2023年4月13日
麻酔のメカニズムについては多くの研究が行われており、またこのブログでもいくつか紹介してきた。しかし、麻酔から覚める過程については、薬剤が脳内から消失する、すなわち薬が切れることで起こるものだと考えてきた。
今日紹介する中国深圳にある南方科学工学大学からの論文は、全身麻酔によって視床後内側核特異的にクロライドイオン(Cl-)チャンネルが抑えられることで麻酔の効きが抑制され、ここから刺激が出ることで、覚醒を早めることを示した研究で、3月27日号 Nature Neuroscience にオンライン掲載された。タイトルは「Emergence of consciousness from anesthesia through ubiquitin degradation of KCC2 in the ventral posteromedial nucleus of the thalamus(麻酔からの意識の覚醒は視床腹側後内側核でのKCC2チャンネル分子のユビキチン化と分解により起こる)」だ。
この論文を理解するためには、麻酔に関わるGABA受容体とKCC2チャンネルについての予備知識が必要だ。異論もあるが、全身麻酔にGABA受容体が重要な働きをしていることは広く認められている。GABA受容体はGABAに反応してイオンチャンネルを開けて、細胞内を過分極させることで神経興奮を抑える。これに対し、KCC2は神経特異的に存在するCl- のトランスポーターで、細胞内GABA受容体の効果を持続させる。すなわち、KCC2の発現が低下すると、GABAの効果が低下することが分かっている。たとえば、このブログでよく取り上げるRett症候群ではKCC2の発現が低下することでてんかんが起こるが、これはGABAによる抑制がうまくいかないからと言える。
この研究では全身麻酔とKCC2発現レベルに注目し、麻酔剤を問わず全身麻酔で意識が低下すると、視床腹側後内側核(VPM)特異的にKCC2の発現が低下することを発見する。そして、KCC2をVPM特異的にノックダウンすることで、麻酔の効きが低下することを確認する。この発見が研究のハイライトで、全身麻酔で意識がなくなると、VPMでは逆に麻酔の効きを抑えて神経活動を保つ方向の動きが起こっていることになる。
次に、なぜKCC2タンパク質の発現が低下するかを探索し、KCC2のスレオニンがリン酸化されることで、ユビキチン化され、この結果KCC2の分解が進むことを明らかにしている。すなわち、メカニズムはわからないが、麻酔剤に拘らず神経活動が低下すると、VPM特異的にKCC2のリン酸化、それに続くユビキチン化、分解がおこり、Cl- 輸送が抑えられることで、GABAの効果を抑える方向に働くことがわかった。
以上をまとめると、もちろん麻酔薬の濃度が低下することが麻酔から覚める要因だが、麻酔後30分ぐらいからVPMでおこるKCC2発現低下により、VPMでは麻酔剤の効果を抑えることで、脳全体にシグナルを送り、麻酔からの覚醒を積極的に助けているというシナリオだ。実際、麻酔中にてんかん発作が起こることはよく知られており、ひょっとしたらVPMでの KCC 2の低下によるのかもしれない。いずれにせよ、このメカニズムは麻酔剤の種類に関わらず起こるので、今後意識の回復しない患者さんの覚醒方法開発にも発展する可能性はある。
2023年4月12日
カロリー制限だけでなく、たとえば肥満外科療法で体重を落としても、リバウンドしてしまうことが多い。すなわち、ダイエットの長期的成功には欲望を抑える理性が必要で、体重が落ちたからと安心してしまえば元の木阿弥になる。
このメカニズムは、体のカロリーバランスを検知してその情報を食欲中枢で知られる視床下部弓状核にあるアグーチペプチドを分泌する AgRP神経細胞を刺激する回路が存在するからだが、今日紹介するドイツ ケルンのマックスプランク代謝研究所とハーバード大学からの論文は、体重低下を感知して活性が高まる視床下部の房室核と AgRP神経サーキットの特性を詳しく調べることで、体重を減らしても結局元に戻るメカニズムを調べた研究で、3月24日 Cell Metabolism にオンライン掲載された。タイトルは「A synaptic amplifier of hunger for regaining body weight in the hypothalamus(視床下部で体重が元に戻るまで食欲を高めるシナプス増強システム)」だ。
この研究では神経活動の記録および光遺伝学による神経活動操作をベースに、視床下部の房室核にある Thyrotropin(TRH)分泌細胞と弓状核の AgPR神経をつなぐシナプスの興奮が、カロリー制限で高まることが、カロリー制限で食欲が高まり体重を元に戻す過程で最も重要な神経回路であることを確認している。
そして、この2領域を結ぶシナプスの特性について詳しく検討し、房室核 TRH細胞が活性化されると、AgRP神経とのグルタミン酸受容体依存的シナプス結合の活性が高まり、結果 AgRPの興奮が続くことを明らかにする。すなわちカロリーバランスが房室核にどう伝わるのかは解明が必要だが、このシグナルは一度房室核TRH細胞の活性化に収束して、ここから AgRPを直接結ぶ回路のシナプス数を増強させ、食欲を持続的に上昇させることがわかった。
ここまではある程度わかっていたことだが、この研究では光遺伝学を用いて TRH細胞を短期に刺激する実験を行い、これにより食欲は刺激が終わっても、24時間活動が高まったまま維持されること、さらには体重は1回の刺激で2週間ぐらい上昇し続けること、またこの上昇はグルタミン酸受容体を阻害することで完全に元に戻ることを明らかにしている。
すなわち、このシナプスの変化は一種のエピジェネティックな変化で、一定の持続性がある。以上の結果から、ダイエットすると体重バランスが元に戻るまでは、常にこの回路の刺激が続き食欲がたかまる。また、元に戻ってもシナプスが正常化するには少し時間がかかって、リバウンドしてしまうという結果だ。
しかし、これはダイエットという極めて現代的な視点で見た時の話で、実際には食べられない限り、餌を求めて行動するために食欲を高めるのは当然のことだろう。おそらく重要なのは、この回路を使って体重が減っても食欲がわかない人を助けることではないかと思う。
2023年4月11日
グリオブラストーマ(Glioblastoma)はおそらく最悪のガンの一つで、現在もなお確実な治療法がない。ガン細胞は周りに浸潤しやすいため、完全な切除が難しく、ガンの量を減らした上で放射線や化学療法を組み合わせる治療が行われるが、すぐに耐性が生まれるため進行を止めることが難しい。
現在免疫治療を始めさまざまな新しい方法が試みられているが、今日紹介するカナダ・トロント大学からの論文はカーボンナノチューブに取り込ませた鉄粉を磁石で引っ張って細胞にストレスを与えることでガン細胞を繰り返し除去しようという試みで、3月29日号の Science Advances に掲載された。タイトルは「Mechanical nanosurgery of chemoresistant glioblastoma using magnetically controlled carbon nanotubes(磁石でコントロールできるカーボンナノチューブを用いた薬剤耐性のグリオブラストーマのナノ手術)」だ。
このグループはグリオブラストーマにメカノセンサー分子PIEZOが腫瘍増殖に関わることを見出していた。そこで、細胞を機械的に刺激する方法を検討する中で、カーボンナノチューブに鉄微粒子を詰め込んで細胞表面や細胞内に取り込ませた後、磁場を使ってナノチューブを引っ張ってメカニカルストレスを与える方法を思いつく。
あとは鉄が50%重量のカーボンナノチューブ(CNT)を作成し、まず試験管内の細胞に加えて方向が変化する磁場を与えると、30%の細胞がアポトーシスに陥ること、この時CNTの多くは細胞表面と共に、細胞内にも取り込まれていることを電子顕微鏡で確認している。さらに、時間が経過すると3割近いCNTはミトコンドリアに到達することも発見する。事実、細胞死に陥った多くの細胞では、方向が変化する磁場に晒すことで、ミトコンドリア膜が強く障害されることを示している。
以上の結果は、最初はPIEZOメカノセンサー機能とほとんど関係ないように思えるが、最終的には結果オーライで、CNTを取り込ませて磁場で操作すると、主にミトコンドリアを中心にストレスを与えて細胞を殺せることがわかった。
次は脳に移植した腫瘍にCNTを注入、CNTが腫瘍膜および細胞内に取り込まれるかを調べている。注入した半分のCNTは細胞外液に存在するが、残りは細胞膜および細胞内に取り込まれる。
この状態で、磁場を主要部分にフォーカスし、磁場の方向性を変えてCNTを腫瘍上、あるいは腫瘍内で動かして細胞にストレスを与えると、完全ではないが腫瘍増殖を遅らせることができる。
そこで、腫瘍への取り込みをさらに上げるためにCNTにCD44抗体を結合させ投与すると、さらに高い抑制効果を達成できている。また、この方法は、化学療法耐性になって手の施しようのないグリオーマにも同じように効果を示した。
以上が結果で、細胞を殺すメカニズムについてはさらに検討が必要だと思うが、腫瘍内注射と磁場という副作用が少ないと期待できる方法で、腫瘍細胞数を、極端に言えば何度でも減らすことが可能であるなら、免疫療法などと組み合わせてかなり期待できる方法になるのではと思った。しかし、こんな方法もあるのかと感心した。
2023年4月10日
アデノウイルスでは、ゲノムの複製と、ゲノムのウイルス粒子へのパッケージングは核で行われる。ウイルス構成タンパク質は当然細胞質で合成されるので、これらの分子は核内へ移行して、感染初期にはウイルスの複製を支持し、後期には複製されたウイルスゲノムをウイルス粒子に包むパッケージングが行われる。当然、ウイルス粒子構成成分を核内で濃縮するために、相分離が利用されると想定されるが、これまで研究はあまり行われていなかった。
今日紹介するペンシルバニア大学からの論文は、構造学的特徴からウイルスのパッケージングに関わる52Kタンパク質が相分離のオーガナイザーとして働いている可能性を探求し、この分子が核内で相分離を起こし、そこに他のウイルスカプシドタンパク質を引き込んで、最終的なウイルス生成に備えることを明らかにした研究で、4月5日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「A viral biomolecular condensate coordinates assembly of progeny particles(ウイルスの生物分子相分離によりウイルス粒子の集合が調節される)」だ。
アデノウイルスに感染した細胞の核内でのウイルスタンパク質の局在を調べると、ゲノム複製に関わる大きな構造とともに、相分離を強く示唆する小さな球状構造が認められる。そして、この構造の中にウイルス粒子形成に関わるタンパク質が相分離して存在していることがわかった。
構造的に相分離が可能なのは52Kと呼ばれるタンパク質で、相分離をリードすると考えられる。事実、試験管内で52Kタンパク質は単独で相分離した液滴を形成する。また、他のカプシドタンパク質も、52Kが存在すると相分離体の中に取り込まれる。そして、52K遺伝子を欠損させたアデノウイルスを感染させると、感染後期に現れるカプシドタンパク質が入った相分離体だけが形成されなくなる。
以上、52Kタンパク質が総分離してカプシド形成に必要なタンパク質が濃縮された領域を核内に形成することがわかったが、これら分子ウイルスゲノムを取り込んで、成熟したウイルス粒子へと発展する必要がある。この過程で、52Kタンパク質を含む相分離体がどう変化するか、継時的に調べると、ウイルスゲノムがパッケージされる過程で相分離体は小さくなり、52Kタンパク質も相分離体を離れて核の周辺へと移行する。すなわち、ゲノムをパッケージする必要が生まれると、相分離体からウイルス粒子形成に必要なセットがゲノムに向けて移行し、そこでパッケージングが行われると考えられる。事実、ゲノム複製を阻害すると、相分離体は逆に大きくなる。
52Kタンパク質の相分離にはN末部分の相分離に必要なintrinsically disorderd region(IDR)と呼ばれる特徴的部分が存在するが、この領域の詳しい機能解析を行い、これまで見てきた相分離形成、また相分離からの脱出過程のそれぞれに必要な部分がIDRに備わっており、最初IDRが絡まり合って相分離が始まり、また他のタンパク質も相分離体へ引き込まれるが、その後IDRのプロリンの多い領域を介してカプシドタンパク質が集合し始めると、これをきっかけに相分離体から排除され、ゲノムの存在する部位へと移行し、ウイルスが形成されることを示している。
具体的な実験についてはかなり省いて紹介したが、IDRはカプシドタンパク質を相分離により集めて効率よく組み立てを開始する部品工場のようなもので、部品ができてくると、自然にそこを離れて完全なアッセンブリーを行う工場へと移行する過程に、52Kタンパク質のIDRが重要な役割を演じているという結論だ。
我々の細胞は言うに及ばず、バクテリアからウイルスまで、もう相分離なしに生命機能は維持できない。
2023年4月9日
オス・メス、性決定のメカニズムや生殖の様式は実に多様で、性と生殖の生命にとっての重要性を物語る。しかし、今日紹介するドイツ・マインツにあるグーテンベルグ大学からの論文が明らかにしたCrazy Ant(アシナガキアリ)のオスの発生機構は、想像を超えたまさにクレージーな様式だった。タイトルは「Obligate chimerism in male yellow crazy ants(アシナガキアリのオスはキメラとして発生することを運命づけられている)」だ。
アシナガキアリはメス(女王)アリ、働きアリ、そしてオスアリに分かれている。このグループはアシナガキアリのゲノム構造を調べる過程で、オスのゲノムだけが通常の法則では理解できないことに気がついた。アシナガキアリはメスも、働きアリも2倍体だが、メスにはないゲノム領域を有する対立遺伝子を働きアリは持っており、これをWとすると、メスではRR、働きアリではRWであることがわかっている。一種の性染色体みたいなものだが、オスメスの区別とは無関係なゲノムの分離が起こっていることになる。性染色体がないとするとオスができないのではと心配する必要はない。昆虫では一倍体のまま発生が始まるとオスになって性生殖だけのために存在することは普通にある。この場合はオスはRかWのゲノムどちらかを持つ一倍体になる。そのつもりで多くの個体を調べたところ、一倍体と思われるオスも存在するが、予想に反してRとWの両方が存在するオスが65%も存在することを発見する。
また、同じ個体を調べると組織によりRとWが別の組織(例えば右足と左足)に存在するケースも見つかった。これらの結果から、オスは一倍体だが、RあるいはWゲノムを持つ一倍体の細胞が一個体に混在するキメラである可能性を示唆している。
そこで、各組織をin situ hybridation、あるいはPCRなどを駆使して調べると、個体中には2倍体細胞は全く存在しないこと、そしてほとんどの個体がRおよびWを持つ細胞をもつキメラであることを確認する。
では、1倍体かつキメラのオスはどう発生してくるのか。Rの卵子がWの精子で受精すると、通常はRゲノムとWゲノムが融合して2倍体のゲノムができるが、この場合アシナガキアリは働きアリになる。ただ、RとWのゲノムが融合せず、一つの卵の中で別々に発生を始めると、RとWの別々の細胞を持つキメラ個体として発生することになる。ゲノムとしては一倍体なので、オスに発生するのだが、精子としては一つの個体がRもWも生産することになる。
ただ、Rを持つ細胞は体細胞に分化しやすく、Wを持つ細胞は生殖細胞になりやすいため、R型精子とW型精子の比率は、3:7になっている。
以上が結果で、R細胞が体細胞に適していることを考えると、Wの1倍体個体は生存能力が低いため、この問題を解決するために、キメラで発生することで、R細胞の衣を被ったキメラ個体として発生することになったのだと思う。
これ以外にもアシナガキアリメスは、受精した精子を貯めておいて順番に卵を授精させる仕組みを持っている。後付けでは説明はいくらでもできるが、このような発生様式を選ばせた選択圧はなんだったのか?思えば思うほど昆虫の多様性に驚嘆する。
2023年4月8日
私が研究を始めた頃はまだゲノム解読ができないため、発癌研究というと、疫学か、発ガン物質の動物への投与実験が中心だったと思う。遡ればこのルーツが山極勝三郎のコールタールの塗布による人口発ガン実験と言えるだろう。煙突掃除の皮膚ガン発生という疫学データを手がかりに、ウサギの耳にガンを誘導することに成功した。
今日紹介する英国フランシス・クリック研究所を中心とする129施設が共同で発表した論文は、大気中のPM2.5による発ガンのメカニズムを、疫学、ゲノム、動物実験を組み合わせて解明した、総合的医学研究のお手本になる研究で、4月6日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Lung adenocarcinoma promotion by air pollutants(大気汚染による肺腺ガン促進機構)」だ。
肺ガンというとすぐタバコが原因にされてしまうが、疫学的には全くタバコを吸ったことのない人にも肺ガンは起こるし、またガンゲノムを詳しく解析すると、喫煙者のガンの1−2割は、タバコ以外の原因によるゲノム変異がおこっている。
タバコ以外の原因として問題になるのが大気汚染、特に現代社会ではPM2.5として知られる空気中の微粒子だ。この研究では英国、韓国、台湾などさまざまな疫学データから、間違いなくPM2.5が肺ガンのリスクを上昇させていることを確認した後、PM2.5を吸入させる発ガン実験に進んでいる。
山極勝三郎の時代と異なり、現代はゲノム変異を人為的に誘導して発ガンを早め、発ガン因子のゲノムへの影響と、それ以外の効果を区別することができる。非喫煙者の肺ガンの多くは腺ガンで、EGF受容体分子の変異を持っている。そこで、発ガン遺伝子セットを人為的に誘導する実験系にPM2.5を組み合わせると、発ガンを明らかに促進することが明らかになった。
この実験系でPM2.5が発ガンを促進させるメカニズムを探ると、直接ゲノムに働いて変異を誘導する可能性や、ガン免疫を抑制してガンを促進する可能性はほとんどないことを確認している。
では何が起こっているのか?これを調べるために、PM2.5に暴露された肺胞上皮細胞、マクロファージの遺伝子発現を調べると、発ガン遺伝子の発現とは関わりなく、マクロファージでIL-1βを中心に炎症性サイトカインの発現が高まり、肺胞上皮が未分化型に変化していることがわかった。すなわち、マクロファージに取り込まれたPM2.5が炎症を誘導し、この炎症性サイトカインが肺胞上皮を未分化細胞へとリプログラムすることで増殖が高まりガンが促進される可能性が考えられる。
この可能性を証明するため、発ガン遺伝子を発現させたマウスにPM2.5暴露した時におこる発ガン促進実験にIL-1β抗体を加える実験を行い、マクロファージからのIL-1β活性を抑えるだけで発ガン促進を完全に抑えることができることを示している。
最後にこのシナリオをもう一度疫学的に確認している。まず、非喫煙者の肺ガンの主流である腺ガンのEGF受容体変異が、ガンとは関わりなく5万回に1回程度の確率で起こっていること、そしてこの変異がPM2.5への暴露を反映する肺胞への炭粉沈着と相関することを明らかにし、炎症により肺胞細胞が未熟化して増殖が高まることがEGF受容体変異を誘導していることを明らかにしている。
以上が結果で、疫学からゲノム解析、そして動物実験まで、読んでいて圧倒される研究だと実感する。大気汚染と肺ガンは長年の問題だが、炎症と発ガンの問題として新しく提示された。
2023年4月7日
我々の頃の病理学では炎症とは、痛み、腫れ、熱感の3症候から定義すると習ったが、今ではこのような症候学に、分子メカニズムが被せられ、もっと複雑な分子ネットワークについて習っているのだと思う。いずれにせよ、痛みを考えると炎症もストレス反応で、神経を巻き込んだネットワークの存在が想定できる。
炎症の痛みは、炎症によるさまざまな局所変化が末梢神経の痛み受容体を刺激するからだが、今日紹介するハーバード大学からの論文は、痛み刺激がいくつかのメカニズムを通して樹状細胞を刺激し、炎症を誘導するという逆の回路についての研究で、3月31日号 Science に掲載された。タイトルは「Multimodal control of dendritic cell functions by nociceptors(樹状細胞の侵害受容による複数の回路による制御)」だ。
この研究ではNaV1.8侵害受容体陽性末梢神経と樹状細胞の共培養を用いて、末梢神経の刺激により、樹状細胞の炎症性サイトカイン分泌を促進して、特にバクテリアなどの細菌感染に備えている可能性を発見する。
次に、この末梢神経による樹状細胞活性化に神経と樹状細胞の直接接触が必要であることを培養実験で確認し、樹状細胞が活性化されるメカニズムを調べ、最終的に3種類の経路を介して神経が樹状細胞を刺激していることを明らかにしている。
最初の経路は、神経興奮がそのまま樹状細胞の膜脱分極を誘導する経路で、この結果樹状細胞の自然免疫反応を高め、IL6、IL12、IL23などのサイトカインの組織への分泌が高まる。
2番目の経路は、刺激により末梢神経細胞から分泌される CCL2ケモカインにより、樹状細胞は刺激神経に引き寄せられ、局所炎症状態を維持する。
最後に、同じく刺激された末梢神経は神経ペプチドの一つCGRPを分泌し、これが直接樹状細胞に働いて、自然炎症分子のもう一つの柱IL-1βの分泌が促進される。
以上の3経路により、痛み刺激は局所炎症を維持する働きがあることを、皮膚をモデルに生体内で確かめている。実際、CCL2ケモカインが欠損したマウスでは、皮膚炎症が低下するだけでなく、接触過敏免疫反応も低下することを示している。
以上のように、炎症が痛みを誘導するだけでなく、痛み自体も樹状細胞を通して局所炎症を促進することが明らかになった。この結果は、痛みを抑えることが炎症を抑えるためにも重要であることを意味しており、炎症の制御に関する新しい治療法の開発にもつながる気がする。
2023年4月6日
今、カントの著作やカントに関する評論などを読み漁っているが、つくづく感じるのは、哲学の世界では、最終的に何らかの結論を出さざるをえないという縛りがさまざまな無理を産んでいる、という実感だ。いつになるかわからないが、これについては科学との比較でまとめるつもりだ。面白いことに、同じような感覚を、最近流行りのChat-GPTなどの、 GPTとその基盤のAIについても感じる。すなわち、結論までのプロセスがわからないことと、必ず答えを出そうとする点で、人間の最も高次な活動である哲学とAIの共通性に少し驚いている(もちろん自動運転で答えが出ないことは困ることは間違いない)。ただ、コンピュータでないと解析できない膨大なデータをどう扱えばいいのかについては、特に科学の世界で厳しく吟味する必要がある。
今日紹介するオランダ神経科学研究所からの論文は、大人の神経細胞も増殖能を持つかという点についてsingle cell RNA sequencing (sRNAseq) を用いて行われた解析データを再検討し直して、sRNAseqの問題を詳しく検討した研究で、4月2日 Neuron にオンライン掲載された。タイトルは「Mapping human adult hippocampal neurogenesis with single-cell transcriptomics: Reconciling controversy or fueling the debate?(大人のヒト海馬での神経生成についてのsingle cell転写マッピング:神経幹細胞の存在についての論争を調整できるか、あるいは火に油を注ぐか?)」だ。
sRNAseqは間違いなく21世紀を代表するテクノロジーで、生命科学に大きな確信をもたらしている。しかし、一個の細胞から大量のデータを取り出し、しかもそれを数千から数十万個の細胞で解析する必要があり、コンピュータによるデータ解析なしには成立し得ない。さらに、得られたデータの解析のために、さらにAIなどが使われ、細胞の特定が行われる。その結果、一定の解析手法で得られたデータを再検討することなしに、どうしても結論を導き出してしまう。
この研究では、人間の海馬神経は増殖している、あるいは増殖していないという相反する結果を報告した論文のデータをもう一度さまざまな視点で再解析し、なぜこのような違いが出たのかについて詳しく検討している。
ここでは、神経細胞の sRNAseq解析が陥るさまざまな問題についてわかりやすく解析しているので、ぜひ多くの方に直接読んでもらいたいと思うが、
- 解析できる細胞数が足りないために起こってくる問題。
- 神経細胞全体の代わりに、核内のRNAを調べるために起こってくる問題、
- 死後脳や病気の脳を用いざるを得ない制限の問題、
- 増殖細胞のような稀な細胞を特定するときに現在使われるデータ処理法に潜む問題、
- 例えば Radial glia 細胞や神経前駆細胞といった増殖とリンクする細胞を特定するときの分子マーカーの問題、
- 解釈にはどうしてもそれまでの知識が必要で、我々はマウスのデータに依存しすぎている問題、
などを詳しく、批判的に検討し、さらにこれらの問題を解決するため、例えば ヒトの胎児のデータ、あるいは霊長類のデータとの比較の重要性などの道筋を示している。
その上で、異なる結論を持つ論文のデータを再検討し、データ自体は全く違っているわけではなく、結局確実に増殖している細胞が存在するかどうかはどちらのデータでも明らかではないが、間違いなく未熟な神経細胞がどちらのデータでも見つかることを示している。結論としては、人間の海馬で神経細胞の再生が行われているかは、まだ検討が必要だが、その可能性は高いということになる。
今後もコンピュータに任せざるを得ないデータを、一つの視点から常に解析し直すことの重要性を、科学界は率先して示していってほしいと思う。
2023年4月5日
昨日は、ガン周囲組織の好中球の中にはガンの免疫療法を助ける集団が存在し、この集団をコントロールすることで、よりガン障害効果の高い新しいガン免疫治療を開発できる可能性を示した論文を紹介した。
今日紹介するハーバード大学からの論文は、同じ好中球が回り回って膵臓ガンの代謝システムをプログラムし直すのに手を貸しているという話で、膵臓ガン特異的代謝を標的にした治療開発にも、ガン組織中の好中球の役割を理解することの重要性を示した研究で、3月29日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Ornithine aminotransferase supports polyamine synthesis in pancreatic cancer(オルニチンアミノ転移酵素は膵臓ガンのポリアミン合成をサポートする)」だ。
このグループは、膵臓ガン特異的な代謝経路を探索し、それを治療標的にしようと研究を行ってきて、細胞増殖などに必須のポリアミン合成経路が、膵臓ガンでは、通常のアルギニンからオルニチン、ポリアミンという経路ではなく、グルタミンからオルニチン、ポリアミンという経路にプログラムし直されていること、しかもグルタミン経路を抑制しても、すぐにはアルギニン経路にスイッチできないことを突き止めていた。
すなわち、この経路を膵臓ガン特異的治療標的にできる可能性が示されたので、この研究ではアイソトープを用いた代謝実験で、オルニチンとポリアミンの一つプトレシンが、膵臓ガンだけでグルタミンから合成されることを確認し、なぜこのような代謝経路のスイッチが起こるのかを調べている。
このようなスイッチは正常の膵管上皮では見られない。そこで、膵臓ガン発生に関わる変異Rasの役割を調べると、Rasの下流で活性化される Klf6転写因子を介して、グルタミンからオルニチンを合成する酵素OATの転写が高まっていることを発見する。実際、Ras変異がない膵臓ガンではグルタミン経路へのスイッチは見られない。
しかし、変異Rasに依存するガンは数多く存在し、代謝を比べてもアルギニン経路を主に使っているので、Rasの活性化だけでは説明がつかない。そこで、膵臓ガン周囲組織でアルギニンが減っているのではないかと着想し調べると、アルギニンがガン周囲組織でほとんど存在しないことを確認する。そして、直接示してはいないが、これは白血球でアルギニン経路が高まっている結果で、このアルギニン欠乏に対応するため、膵臓ガンでグルタミン経路へのスィッチが起こると結論している。この結果を見ると、ガンと好中球の関わりがいかに複雑化を思い知るし、膵臓ガンの場合アルギニンをめぐる競争の中で新しい性質を獲得してしまったことが、膵臓ガンの超悪性化に関わっているとすら思えてくる。
ただ、治療という立場からみると、好中球のおかげで膵臓特異的で、正常組織では存在しないアキレス腱が生まれたことになる。そこで、この経路に関わるOAT1を阻害して膵臓ガンの増殖を抑えられるか試験管内や生体内の発ガン実験で確認している。また、この増殖抑制が、おそらくポリアミンの低下の結果発生するエピジェネティックな転写の再プログラムによることも示している。
以上が結果で、結局、なぜ膵臓ガンだけでガン細胞のアルギニン欠乏が起こるほどの白血球浸潤が起こるのかについてはよくわからなかった。しかし、この経路だけを標的にしてガンの根治は難しいとしても、ガン特異的な一つの標的が見つかったことは大きい。納得できない部分も多いが、膵臓ガンの基礎、臨床の両方で新しい方向が見えたような予感はする。
2023年4月4日
これまで紹介したガン免疫に対する好中球の役割を調べた論文のほとんどは、好中球はガン免疫を抑える方向に働くとする結果だった様に思う。例えば、治療の難しい膵臓ガンの場合、間質に好中球が多いとキラーT細胞のガン組織への移動が阻まれることから、好中球をガン組織に入れない方法の開発が行われている。
今日紹介するハーバード大学からの論文は、好中球も様々なタイプがあり、ガン免疫が成功するためには、ガン免疫を助けるタイプの好中球の参加が必要であることを示した研究で、3月30日号 Cell に掲載された。タイトルは「A neutrophil response linked to tumor control in immunotherapy(好中球の反応は免疫治療でのガン制御と関わる)」だ。
この研究ではマウス肺がんモデルを用い、ガン免疫を高めるCD40抗体治療効果を調べていたところ、治療がうまくいった全てのケースで、CD40刺激後2日目に強い好中球の浸潤が起こっていることを発見した。
すなわち、ガン免疫を助ける好中球が存在することを強く示唆しているので、single cell RNA sequencingを用いて好中球を詳しく分類すると、全体で7種類の好中球に分けることが出来、ガンに対する免疫を助けるタイプはシアル酸結合レクチンSiglecの発現が高い集団であることを確認する。逆にSiglec発現の低い好中球はこれまでガン免疫を抑えると考えられていたタイプに対応することも示している。
さらに、ガン免疫を助ける好中球と、抑える好中球は、かなり早い時期から分離しており、ガン局所での免疫反応が始まると、ガン免疫を助けるタイプの未熟好中球のガン組織への浸潤が促進され、それが成熟することで、 ガン免疫を助けることを明らかにしている。
このSiglec発現の高い好中球がガン免疫を助けるメカニズムについては、インターフェロンにより誘導される分子の発現が高いことに着目し、好中球のインターフェロンに対する反応性を変化させた遺伝子改変マウスを用いて、免疫細胞から分泌されるインターフェロンにより誘導される分子が働くことにより、ガンを傷害するだけでなく、ケモカインを発現してガン局所の免疫を高める効果を持つことを明らかにしている。
最後に、Siglec 発現好中球がガン局所で誘導されるメカニズムについては、まずガンに対する免疫が起こることが必須で、この時樹状細胞のIL12によりT細胞が活性化し、この結果インターフェロンが分泌される結果、好中球がガン免疫に動員されることを示している。
以上が結果で、基本的にはガン免疫が高まってすぐの反応で、もっと長いスパンで見たとき同じような好中球がリクルートされ続けるのか明確ではない。ただ、人間の症例を検討して、末梢血のSiglec発現の高い好中球が高い患者さんでは免疫治療による予後が良いことをデータベース解析から示しており、うまくいった場合はガン免疫を促進してくれる好中球が持続的にリクルートされてると期待できる。いずれにせよ、細胞の機能を一つのステレオタイプに押し込めることの間違いを思い知らされる論文だった。