エボラ出血熱という名前が頭にあるため、進行するとあらゆる粘膜から出血がおこり死に至るという説明をなんとなく納得してしまっていた。実際の患者さんの実態を知らないことによる結果だが、専門家ならともかく、私自身もちろん実際の患者さんに触れることはないし、また症例報告を目にすることもそうない。その意味で、今日紹介するフランクフルト大学医学部からの論文は、集中治療に成功した患者さんの症例報告で、私自身にとっても何十年ぶりかで症例報告を読む機会になった。治療過程の緊迫感が伝わってくる報告で、非謹慎とは知りながらもスリリングな読み物だと感心した。論文のタイトルは「Severe Ebola virus disease with vascular leakage and multiorgan failure: treatment of patient in intensive care(血管漏出と多臓器不全の重症エボラ出血熱の症例:集中治療の報告)」だ。患者さんはウガンダ人の医師で、シエラレオーネでエボラ治療センターの責任者として奮闘していた。発熱と下痢に見舞われ、当然エボラ感染を疑い検査が陽性と出た。医師であることから、感染症にも効果があると言われていた抗不整脈剤アミオダロンと抗生物質セフトリアゾンを自分の判断で服用していたが改善せず、発症後6日目に集中治療のため飛行機でフランクフルト大学病院に運ばれてきた。周知のように2次感染を防ぐために最も厳格なP4レベルの隔離が行われる。治療にあたっても手袋を3重に装着しており、脈すら触診ができない状況での治療だ。このようなP4レベル隔離で、症状に対応して集中治療が可能かがこの研究の重要なテーマだ。しかし重症化したとして運ばれてきたときの血液データは、肝機能障害以外はざっと見たところ以外に正常だ。一方、この患者さんの肺機能は低下の一方で、フランクフルトに来たときは起座過呼吸状態で、マスクから3Lの酸素を吸入している。レントゲンや、気管支挿入、心臓モニターのためのPiCCOカテーテル留置が行われるが、一つ一つ感染拡大予防のための様々な注意が必要で、詳しく書かれており、全て参考になる。これらの検査から、最も深刻な症状が血管漏出による肺水腫と、腎不全と診断し、その治療に集中する。ここで使われたのがFX06と呼ばれるオーストリアの企業が開発したフィブリン製剤で血管からの漏出を止める働きが期待される薬剤で11日目から投与が始まった。一方日本で開発されたRNAウィルスRNAポリメレース阻害剤は、胃腸症状が強く2日間服用できただけだったようだ。腎不全に対しては、透析療法が行われている。血液循環動態が安定したのち1回、ウィルスを吸着する膜を使った血液ろ過が行われているが、臨床評価としてあまり効果がなかったと判断している。他にも一般感染に対する抗生剤を投与しており、副作用を考えながらも考えられるあらゆる手段を講じたと言える。患者さんは13日目から回復に向かい、最終的にエボラに対する抗体が作られることで病気が収束している。結局、集中的な対症療法を行えば最悪期を乗り越えることが可能であるという結果だ。この症例報告がなぜLancetに掲載されたかを考えると、11目からFX06を投与したことで、確かに血管漏出が止まりはじめ、13日目から症状が快方に向かったからだろう。緊急状況で一定の安全性があるならおそらくこの論文を見た医師は使用すると思う。とはいえ、ではこの治療が決定打になったかというと、この報告からだけで結論はできないだろう。この論文にも書かれているように、ライプチヒに送られた患者さんはFX06を投与されたが、残念ながら死亡している。この薬もやはりアフリカで治験をしっかり行うしかないように思う。さらにこの報告を読むと、まずアフリカでこの報告にあるのと同じような集中的治療を実施するのは不可能だろう。したがって、より多くの人に使える治療の開発が急務だ。ただ、治療の対象はウィウルスだけでなく、結果起こってくる多くの症状に対する治療法の開発も、この疾患の場合は重要であることがよくわかった。いずれにせよ、今回の治療で一人の強力な戦士がエボラとの戦いに新たに加わったことは間違いない。
12月22日:エボラ治療の症例報告(12月19日号The Lancet掲載論文)
12月21日:磁場で遺伝子発現を調節する(Nature Medicineオンライン版掲載論文)
遺伝子の発現を自分の希望する時間と場所で調節する技術は、体の中で特定の遺伝子がどう作用するか確かめるためには必須の技術で、これまで様々な方法が開発されてきた。私自身が使ったことのある方法は、ホルモンや化合物をマウスに投与して遺伝子発現を活性化させる方法だが、この方法だと投与後どうしてもタイムラグがあり、また刺激もすぐに止まらず一定時間続く。したがって、化学刺激の代わりに時間コントロールのしやすい物理的刺激を使って刺激をシャープにするための試みが続いている。ここでも紹介した光遺伝学はその例だが、光は透過性の点でどうしても限界がある。今日紹介するロックフェラー大学からの論文では、熱や力を感じるセンサーを使ってこれを達成しようとしている。タイトルは「Rmemote regulation of glucose homeostasis in mice using genetically encoded nanoparticles(遺伝的に組み込んだナノ粒子を使って糖のホメオスターシスを遠隔操作する)」で、Nature Medicineオンライン版に掲載されている。詳細は割愛して、開発された技術をまとめると次のようになる。まず遠隔操作にはラジオ波を用いている。ラジオ波は医療の現場で体内を局所的に温めるために使われており、ラジオは照射装置はすでに多く開発されている。金属ナノ粒子を使うとこの熱を最も感度よく感知できるが、今度は金属ナノ粒子を目的の細胞内に送る方法が必要になる。代わりに、もともと金属を結合する分子トランスフェリンがこの目的に使えないか調べるのがこの研究の主目的だ。次にトランスフェリンが捕捉した金属の熱や振動を感知するために、カプサイシン受容体を使っている。カプサイシンは唐辛子の成分で、この激しい辛さに対する反応は、カプサイシン受容体によって担われているが、この受容体はもともとイオンを通すチャンネルで、温度刺激に応じて開閉してカルシウムイオン流入させて刺激を伝える。この研究では様々な分子構造を検討して、カプサイシン受容体に直接トランスフェリンを結合させた時に、鉄粒子に捕捉された熱が具合良くカプサイシン受容体に伝わってイオンチャンネルを開くことができることを突き止めている。チャンネルから流入したカルシウムは細胞内でカルシウムに反応して遺伝子発現を誘導するカルシニュウリン、とNFATによってリレーを行い、最終的にインシュリンが発現するようにしている。まとめると、ラジオ波で刺激すると、カプサイシン受容体に結合したトランスフェリンが捕捉している鉄が反応し、カプサイシン受容体の構造を変化させカルシウム流入が起こる。このカルシウムをカルシニュウリンが感知し、NFATをリン酸化し、インシュリン遺伝子をオンにするという複雑な回路を細胞内に構築することに成功している。この分子群を組み込んだビールスベクターマウスに投与すると、期待通りラジオ波に反応してインシュリンを分泌して、血糖を低下させることができる。最後に、鉄が捕捉されているなら強力な磁場でも刺激できないか試み、磁場でも遺伝子発現を誘導できることを示している。言ってみれば、トランスフェリン分子で引っ張られてチャンネルを開けることができるという面白い結果だ。話はここまでで、まず磁場やラジオ波で遺伝子を任意の場所・時間に誘導できることが示された。ラジオ波や磁場は体の深部に到達できることから、新しい遺伝子発現調節法として発展するかもしれない。一方、臨床応用を考えると、私たちが磁場やラジオ波に囲まれて生きているとすると、簡単ではない気がする。しかしいろんなことを考え実現していく人がいる。生命操作という点から見ると、百花繚乱の面白い時代だと感じている。
12月20日:自閉症メカニズム理解の難しさ(12月25日号Nature誌掲載論文)
これまで何度もこのホームページで取り上げてきたが、自閉症は遺伝的背景と環境が複雑に絡んで発症する。とはいえ、成長初期にその病態は固定することから、成長に従って完成していく脳内神経回路、特に扁桃体を中心とした回路の形成異常だと考えられている。一方で、自閉症発症と関連するとして多くの遺伝子が同定されているが、遺伝子と回路形成異常を結びつけるための研究の進展は遅い。今日紹介するニューヨーク州立大学からの論文は、自閉症のはっきりした原因遺伝子についての研究だが、この分子の機能探求を進めると、結局また焦点がぼけてしまい、症状と遺伝子異常の間の距離を縮めるには至らなかったという話だ。しかし、様々なことを考えさせる素晴らしい研究だと思う。論文のタイトルは「An AUTS2-polycomb complex activates gene expression in the CNS(AUTS2-polycomb結合体は中枢神経の遺伝子発現を活性化する)」で、12月25日号のNatureに掲載された。この研究の基本は、これまで自閉症に関連が深い原因遺伝子として知られているAUTS2(自閉症感受性候補遺伝子2)の作用メカニズム解明だ。AUTS2は自閉症だけでなく、知恵遅れなど多くの神経回路発達障害に関わっており、更にはリンパ性白血病から老化までその多様な機能が示唆されてきた。研究の発端は、AUTS2がポリコームと呼ばれる遺伝子複合体に結合していることの発見だ。ポリコーム遺伝子はDNAに結合しているヒストンを修飾して、遺伝子の発現をグローバルに抑制するエピジェネティック遺伝子調節機能を担っている。研究では、AUTS2と結合する分子を明らかにし、一つ一つの機能を追求した結果、次のようなシナリオにたどり着いた。まずAUTS2はCK2と呼ばれる分子をリクルートして、ポリコーム複合体のRING1Bと呼ばれる分子をリン酸化し、RING1Bの持つヒストン・ユビキチン化活性を抑制、これにより結果として遺伝子の活性化を行っている。さらに、AUTS2はp300と呼ばれる分子と結合してヒストンを活性型に変える。もともとポリコーム遺伝子は遺伝子抑制に関わるが、AUTS2によってこの抑制機能が抑制され、結果として遺伝子の発現が上昇するというのが分子メカニズムだ。すなわち脳回路形成には1000近い遺伝子の発現が上昇することが必要なことを示す。一方、AUTS2の発現が低下したり、あるいは突然変異が起こると、ポリコーム遺伝子の作用を抑えることができず、多くの遺伝子の発現が抑制されたままになり、正常な回路形成が進まないというシナリオだ。実際、マウスモデルでAUTS2をノックアウトすると、神経回路を含む多くの発生以上が起こることを示し、このシナリオが体の中で働いていることを証明している。AUTS2の分子メカニズム解明という点では完璧な研究だ。しかし、自閉症発症メカニズムから考えると、一つの遺伝子が結局1000以上の遺伝子の発現抑制に関わっているという結果で、遺伝子異常を神経回路形成と対応させることは現時点で難しいまま残った。遺伝子がわかっても、疾患の理解が進まないという典型だろう。とはいえ、私にとっては学ぶところの多い論文だった。治療の点から言うと、自閉症もキーポイントがあり、そこは治療標的になりうることを示している。これを手掛かりに研究が進展することを願っている。
12月19日:脂肪中毒(12月24日号Cell Reports掲載論文)
十分食べたあとにまだ食欲があるのは、体が欲しているのか、それとも高次神経回路をベースにした情感のせいなのか面白い問題だ。今日紹介するカリフォルニア大学サンフランシスコ校からの論文は明らかに「体派」だが、「本当?」と言いたくなるような意表をつく話だ。論文はクリスマスイブに発行予定のCell Reportsに発表されたが、クリスマスに食べすぎるなという警告のプレゼントかもしれない。タイトルは「Microblia dictate the impact of saturated fat consumption on hypothalamic inflamation and neuronal function(飽和脂肪酸を消費すると視床下部に炎症が起こり神経機能が変化するのはミクログリアの作用だ)」。まずミクログリアだが、脳内に存在する貪食細胞で、胎児期に脳で形成され、炎症の起点となってサイトカインを分泌したり死んだ神経細胞を掃除したりしている。さて、これまでも短鎖脂肪酸が腸管から直接吸収され、脳内で食欲中枢に働きかけることは知られていた。この時働いている脳部位が視床下部だ。このグループの所属は糖尿病センターとあるので、おそらく短鎖脂肪酸の脳への影響を組織学的に調べていたのだろう。その過程で、短鎖脂肪酸を多く含む人工飼料をマウスに投与すると視床下部にミクログリアが集積することを発見し、これは大変だと研究を始めたようだ。ミクログリアが集まってくる場所での炎症反応を調べると、確かにTNFαやIL6などが上昇している。しかも、炎症は完全に視床下部に限られ、その結果として神経細胞にストレスがかかっていることも確認した。この効果は短鎖脂肪酸をチューブで投与したあと早期に発症するため、肥満、脂肪細胞による全身炎症、間接的な効果ではなく、短鎖脂肪酸が直接下垂体のミクログリアに作用した結果と考えられる。結果を総合して描いたシナリオは、「短鎖脂肪酸がミクログリアを刺激し炎症を起こす。この炎症で神経細胞にストレスがかかり、食欲中枢の興奮を抑えるレプチンに対する感受性が低下し、さらに脂肪を摂取しようと行動する」になる。ここまでくると、では本当にこの下垂体へのミクログリア集積が食欲などに影響しているのか調べるしかない。ただ、ここからの実験は大変なだけでなく、少し危なっかしい。実際には脳内のミクログリアだけをトキシンで除去し、再生を脳内にも届くマクロファージ増殖因子受容体抑制剤で押さえるといった複雑な系を使っている。しかし、これでは脳全体のミクログリアが除去されるはずだが、血流の関係から下垂体の細胞が先にトキシンで障害されると言い逃れをしている。ともあれ、下垂体のミクログリアが除去できたマウスをなんとか作って調べると、もちろん炎症は起こらない。そして期待通り、ミクログリアがないと短鎖脂肪酸を投与すると逆に食欲が落ちることを示し、シナリオを支持する結果が得られたと結論している。1980年ぐらいから、生活習慣病を炎症として見直す動きが拡がっている。この論文はこの流れの極端にあるのだろう。食欲までが炎症によって影響を受ける。さらに炎症があると普通は食欲が落ちるのに、逆に食欲が上昇する。知られているように短鎖脂肪酸発生に腸内細菌が重要だとするなら、私たちは細菌に操られているのかもしれない。そういえば、反芻動物を見るとわざわざ発酵用の体を発達させて、一日中食べ続けている。少しゾッとしてきた。
12月18日:プロの教える意外なCRISPR/Casの利用法(12月11日Nature誌掲載論文)
11月28日号のScience誌にCRISPR/Casシステムの発見者として名高いCharpentierさんとDoudnaさんが「The new frontier of genome engineering with CRISPR-Cas9(CRISPR-Cas9によるゲノム工学の最前線)」という総説論文を発表している。ノーベル賞が視野に入ってきたのだろう。私ももう時間の問題だと思う。来年でも全くおかしくない。iPSもそうだったが、優れた技術は多くの研究者のインスピレーションを刺激し、開発者が予想もしなかったスピードで発展する。これに対し開発者も、本家としての経験に裏付けられた新しい方向性を提示する。そんな素晴らしい競争が今進んでいることを、今日紹介する論文を読んで実感した。この技術の開発者の一人Doudnaさんの研究室からの論文で、12月11日号のNatureに掲載された。「え!こんな使い方もあるのか」と思わず膝を打つ意表を突かれた研究で、タイトルは「Programmable RNA recognition and cleavage by CRISPR/Cas9(CRISPR/Cas9によるプログラム可能なRNA認識と切断)」だ。このホームページで紹介してきたこの分野の研究とは一味も二味も違っている。まず、遺伝子(DNA)の編集ではなく。RNA編集にこの系が使えるかどうかを調べた研究だ。そして実験では全く生きた細胞を使わず、試験管内での生化学的研究に終始している。そして、論文の隅々からCRISPR/Cas系の生化学を知り尽くしていることがひしひしと伝わってくる。研究内容だが、DNAにしか働かないと考えられていたCRISPR/Casが、RNAと結合し、切断するための条件を探っている。実際には、PAMと呼ばれているCRISPR/Casの標的DNAが必ず持っている印(CASによって違うが普通使っているCasはNGGという3塩基が並んだ配列(NはATCGどの塩基でも良いという意味)を先端にもつ、標的 RNAに相補的な1本鎖DNAを使うことで、RNAにCRISPR/Casがガイド特異的に結合し、PAMの上流を正確に切断できることを示している。すなわち、うまく条件を設定すればCRISPR/Casシステムを使ってRNAを編集することも可能であることが示された。あとは、RNAと高い親和性を持って結合するための条件や、ガイドRNAの役割など、RNAという新しい基質に今後適用するための条件検討が行われているが、詳細は割愛する。要するに、DNAを標的にするのとほぼ同じメカニズムでCRISPR/CasはRNAに対応することが示されている。その上で、RNAを基質にすることで生まれる、DNAにない特性をうまく生かした使い方の開発を行っている。特に、PAMが標的RNAと相補性の無いように設計しておくと、Cas9の切断活性のスウィッチが入らないが、特異的な結合は保たれる。これを利用すると、細胞から抽出したRNAの中に存在する目的のRNA特異的にCRISPR/Casを結合させ精製することが簡単にできることを示している。全く新しいcDNAクローニング法を開発だ。同じような考えで他のRNA結合分子を使う方法が開発されていたが、今日紹介した方法ははるかに簡便で、特異性が高い。おそらく、最終的にはこの方法に置き換わっていくだろう。一般の方にこのプロの仕事を的確に伝えるのは難しいが、プロの仕事とは何かを理解するには最適の仕事だと感心している。繰り返すが、ノーベル賞は時間の問題だろう。
12月17日:心筋梗塞の遺伝因子(Natureオンライン版掲載論文)
心筋梗塞というと生活習慣の要素が多いと考えるが、双生児の研究から、50歳以前に起こる症例の場合、遺伝的要因の寄与も大きいことが知られている。中でも、10年ほど前にGoldsteinをはじめいくつかのグループによって、LDL(低比重リポプロテイン)遺伝子の特定の変異が心筋梗塞の危険因子であることが示され、我が国でも健康診断の重要項目になっている。その後多くのSNP解析が行われ複数の多型が心筋梗塞危険因子として特定され、遺伝子解析サービスでも使われている。ただ、SNPだけからリスクを計算しても、なかなか一般の人にその意味を伝えることが難しい多型がほとんどだ。今日紹介する論文は従来の研究と特に変わるところはないが、初めて多数の患者さんについてタンパク質に翻訳される全遺伝子の配列決定(エクソーム解析)を行った点が特徴で、この研究で特定された多型は確かに一般の方に説明がしやすいと思う。研究は多数の国の参加したコンソーシアムにより行われ、実に1万人近くの若年性の心筋梗塞患者さんの全エクソーム解析を行った論文で、Natureオンライン版に掲載されている。タイトルは「Exome sequencing identifyies rare LDLR and APOA5 alleles conferring risk for myocardial infarction (エクソーム配列決定によりLDL受容体と、ApoA5 遺伝子の突然変異が心筋梗塞の危険因子として特定された)」だ。この仕事のポイントは1万人もの若年性(男性50、女性60歳以前)心筋梗塞患者さんのエクソーム配列を決めたという一点にあるだろう。今後このデータは、全ゲノム配列決定、情報処理技術の進展などで、さらに重要度を増していくと思う。このように総合的に解析を進めることで、これまで得られているSNP解析の結果も配列レベルで再検討できる。ただ、これだけ多い人数になると、エクソームでも情報処理が大変そうだ。その意味でこの研究では論文にすることが優先され、情報処理が比較的容易な生物学的意味がはっきりした変異の特定に集中している。その結果、疾患に結びつく変異が特定された遺伝子として、ようやくLDL受容体とAPOA5遺伝子の変異リストできたという常識的な結果で終わっている。具体的にいうと、APOA5の機能異常を引き起こすと思われる変異が患者さんでは93種類発見されており、そのうちの30近くが患者さんだけで見つかる。一方、LDL受容体ではさらに明確で17種類の患者さんだけに見られる変異が特定され、その中には同じ変異が5人の患者さんで見つかっているものもある。もちろん、LDLはすでに動脈硬化、心筋梗塞の危険因子として重要な検査項目になり、健康診断で使われている。また、APOA5の突然変異は血中のトリグリセリドを上昇させることで心筋梗塞の発症を助けているようだ。従って、血液検査から十分リスクを把握することができる。話はこれだけで、たいそうな研究の割には常識的なすでに知られている結果で終わったように思える。ただ、このデータ自体が今後重要なデータとして利用されることは明らかだ。まず、今回発見された突然変異に関しては、個人ゲノムサービスでその意味をはっきり伝えることができる。様々な病気に関してこのようなフォローアップがあって初めてゲノムサービスも生きてくる。また、すでに述べたように、さらに高いレベルの解析が進むと、予想もつかなかった発見があるかもしれない。その基盤を作ったという点では高く評価できる。我が国でもミレニアムプロジェクトで疾患のゲノム解析が大規模に行われた。これはSNPアレーを用いる研究が中心で、実際に多くの疾患遺伝子に関する論文が我が国から発表された。しかし、今雑誌を見ていると、同じ患者さんを、次はエクソーム、次は全ゲノムと言う形で、新たな技術を適用して調べる体制ができていなかったようだ。しかしそれを後悔したり非難しても何も変わらない。今からでも遅くない。もう一度体制を立て直すことを真剣に考えるべきだと思う。
12月16日:悪性黒色腫の根治を目指す(2015年1月12日号Cancer Cell掲載論文)
悪性黒色腫(メラノーマ)の半数以上がBRAFと呼ばれるシグナル分子の特定の突然変異によることが明らかになってから、この腫瘍の治療は急速に進んだ。突然変異型のBRAFを標的にした治療、さらにBRAFの下流で働いている分子MEKを標的にした治療のおかげで、これまで治療が困難だったステージのメラノーマも治療が可能になった。しかしメラノーマはしぶとい腫瘍だ。治療を続けるうち、ほとんどの患者さんでこれら標的薬に抵抗する薬剤耐性腫瘍が発生してくる。BRAFとMEKの両方を同時に叩く治療ではより高い効果があるが、それでも1年ぐらいで薬剤耐性の腫瘍細胞が発生し、根治を阻む。標的薬に対する耐性腫瘍の問題はメラノーマだけの問題ではない。ガンのゲノムに基づく標的療法が進展すればするほど、重要な問題になってくる。今日紹介するマンチェスターにある英国癌研究所からの論文は、従来のメラノーマ治療の問題を一挙に解決したと大きな期待がかけられている研究で、2015年1月12日号のCancer Cell誌に掲載された。タイトルは「Paradox-breaking RAF inhibitors that also target src are effective in drug-resistant BRAF mutant melanoma(パラドックスを破るRAF阻害剤はsrcも標的にしており薬剤耐性になったBRAF突然変異メラノーマに効果がある)」だ。この研究のポイントは、タイトルにあるパラドックスを破るRAF阻害剤という言葉で表現されている。変異型BRAFに対する耐性はしばしばRAS突然変異が新たに生じることで獲得される。この時、BRAFで活性化される下流のMEKは標的薬で活性が落ちるのだが、同じ細胞でRASが活性化すると、今度は同じ標的薬がMEKの活性を上げてしまうことがわかってきた。このメカニズムも理解がすすんでおり、BRAFとCRAFの2量体形成を薬剤が促進することが原因だ。この同じ薬剤が、同じシグナル分子を一方では抑制しながら、同時に促進するという現象がパラドックスで、今回開発されたCRAFをBRAFと同時に抑制できる薬剤は、パラドックスを発生させない。さらに新しい薬剤には、耐性のもう一つの原因であるSRC分子の活性化も同時に抑制する効果がある。すなわち、BRAFだけでなく、CRAF,SRCに渡る広い特異性を持つ薬剤だ。広い特異性と聞くと、なるほどと思うのだが、逆に正常分子も阻害して多くの副作用の原因になることが多い。この研究では、1)新しい薬剤が、治療により耐性を獲得したメラノーマに有効か、2)パラドックスを抑えているか、3)広い特異性による副作用がないか、の3点に絞って調べている。結果は有望で、マウスの実験だが長期投与でも目立った副作用はない。また、薬剤耐性を獲得した臨床サンプルの増殖をほぼ完璧に阻害できる。期待通り、これまでの薬剤のようにパラドックスが発生することはない。詳細は割愛するが、読んだところ前臨床は期待通りに終了したという結果だ。論文でもアナウンスされているが、この結果を受けて、来年には第1相臨床試験に進むようだ。臨床試験が期待通りなら、おそらくこの薬剤は従来の標的薬に代わって最初に選択される薬剤になる可能性が高いのではないだろうか。医療経済的な問題もあるだろうが、癌治療の目標は根治だ。この場合、できる限り再発のない薬剤を最初から選ぶことが重要になる。今日紹介した薬剤の最初の治験では、薬剤耐性になったメラノーマが対象になるだろうが、できる限り早い段階でファーストラインの薬剤としての実力を比べて欲しいと思う。製薬業界にとってはしんどい話だろうが、ここは患者さんの側に立った根治を目指す治療確立を目指して競争が続くことを願っている。
12月15日:トンボの予測能力(Natureオンライン版掲載論文)
バイオミメティクス領域でトンボから習いたいということは多い。羽ばたいて飛んだかと思うと、グライダーのように滑空し、ヘリコプターのようにホーバリングしているかと思うと、とんぼ返りして素早く飛び去る。トンボとりで苦労した経験のある人はその飛翔能力の高さに驚嘆したはずだ。これを真似たロボットが開発され、YouTubeで見ることができ、すでに100万回近くアクセスがあるようだ (https://www.youtube.com/watch?v=nj1yhz5io20)。しかし今日紹介するのはトンボの飛翔能力の話ではなく、トンボの脳の予測能力についての論文で、バージニア大学から発表された。タイトルは「Internal models direct dragonfly interception steering (トンボの餌に対する攻撃を内部モデルがコントロールしている)」だ。この論文で答えたかった疑問は、「エサを取るときのトンボの飛翔は、餌からのインプットに反応して調節されるのか、それとも高次中枢機能を有する動物のようにすでにある内部イメージにより調節されるのか?」だ。これまで昆虫の飛翔はミサイルの追尾システムのように、対象の動きに反応的に行われていると考えれていたようだが、そこに著者らは疑問を持った。高速度カメラでトンボの餌とりを撮影してみると、対象に合わせてナビゲーションが起こるのは餌とりの最後の瞬間だけで、餌を感知して飛び出してからかなり長い時間、対象との角度はまちまちで定まっていない。したがって、ミサイルの誘導装置のような仕組みではなさそうだ。考えてみると、餌の方も必死だ。逃げるために当然予想外の行動をとる。それにどう対応しているのか調べるために、トンボの頭と胴体に小さな印をつけ、撮影しながら、餌、胴体、頭の動きを記録し、どう体を調整し、どのぐらいの速さで調整が可能かを調べている。この結果、トンボが餌を追うときは、体の向きは後回しにして、まず目を餌の方に固定するように頭を動かし餌のイメージの振れを抑えていることがわかった。一方体は頭の角度に合わせて機械的に決められる。すなわち、考えなくとも目と体が一定のアルゴリズムで機械的に一体化されているため、飛翔方向が機械的に決まり、これが素早い飛翔調節を可能にしているという結論だ。しかしこれだけだと機械的な制限はあるにせよ、「なるほど、視覚情報に反応しているのか」という話になる。しかし体がついてくる速さを計算すると、視覚から運動神経までの回路を通るための時間と比べてはるかに早いことがわかった。ということは、神経伝達で運動が視覚に合わせて調節されることはあり得ないことになる。飛び出し時点で記憶や本能などに基づく予想が形成され、この予想に従う飛翔を、視覚による小さな頭の動きで微調整するという結果だった。すなわちトンボも予想能力とそれに基づく内部イメージ形成能力があり、それが調節の主役になっているという結論だ。話はこれだけだが、考えるところは多かった。結論はともかく、トンボに印をつけて動きを計測する方法はいいアイデアだ。人間の動きの記録では常套手法だが、この方法により昆虫の飛翔の研究は進むだろう。ひょっとしたら、今よりはるかに恐ろしいミサイルが開発されるのかもしれない。一方結論についていうと、消去法に基づいているのが気になる。神経伝達系より早い反応なので、内部イメージが先にあるはずだという結論の導き出し方は注意すべきだろう。すなわち、これを言うためには、これまでの計測が本当に正しいのか詳細な検討が必要だ。事実、ヒトではリベットの実験という、思いついてから行動するまでの時間を測って、思いつく前から行動が決まっていたという結論に達した有名な実験がある。以前ドイツの哲学者ハーバーマスが京都賞を受賞し、記念シンポジウムで話せと言われた。哲学について話をするのかと思って勇んで行ったら、彼がリベットの実験と自由意志が本当に存在するかという哲学の問題と絡めていたのに驚いた。私としては計測の問題もあり、結論を鵜呑みにしないことが重要だといった気がする。Natureも商業誌だ。一般、特に哲学者が興味を示すような結論を載せたがる。今のところは、面白いお話として読んでおけばいいだろう。
12月14日:クモに習う(Natureオンライン版掲載論文)
バイオミメティクスという分野があり、生物の持つ機能や構造から学ぶことで、新しい技術を開発しようという分野だ。私は工学は自然科学の僕ではなく、人間の側から物を考える学問だと思っている。進化では車輪は生まれなかったが、人間の都合から考えることで車輪が生まれた。とはいえ、必要があっても、常にそれに応えるいい考えが出るわけではない。無駄な時間を費やすより、38億年の進化から生まれた構造や機能から学んでそれを応用する方が早道なことはある。先週Natureオンライン版に広い意味でバイオミメティクスと呼んでいい論文が2報掲載された。一方はクモ、もう一方はトンボに学ぼうとしている。今日明日と、この2報を紹介する。今日紹介するのは国立ソウル大学からの論文で、タイトルは「Ultrasensitive mechanical crack-based sensor inspired by the spider sensory system(クモの感覚系からヒントを得た割れ目を利用した超高感度センサー)」だ。最初クモの感覚器の話かと思って読み始めたが、実際にはセンサー開発の論文で、正直完全に理解できなかったことも多い。特に原理についての理論的考察は苦手な数学が出て困った。しかし、内容は理解できたと思っており、その範囲で紹介する。さて、メカノセンサーと呼ばれる圧力や振動を感じるセンサーが様々なところで必要になっている。例えばマイクロフォンがそうだが、高い感度で、ノイズに強く、折り曲げが可能なセンサーの開発はまだ難しいようだ。一方、クモは網にかかった虫の小さな振動をいち早く察知できる。そこで、クモの足に備わっているメカノセンサーを調べてみると、なんと工学的には想像できなかった端がギザギザの割れ目がはっしっていることに気がついた。これを材料として実現するため、フレキシブルなアクリルポリウレタンの上にプラチナ箔を合わせ、そこに割れ目(クラック)を作成する方法をまず開発している。その技術を基礎に割れ目の走ったプラチナ箔の伝導度を測ることで、圧力センサーと振動センサーの両方の機能を持ち、その上を歩くてんとう虫の振動を十分感じられるセンサーの開発に成功している。こうしてできたセンサーを、バイオリンの胴体の振動、首に装着して声帯の振動、腕に装着して心拍数と脈波、微笑流量センサー機能などの応用で調べている。理論的には完全に理解できないが、クラックが振動で付いたり離れたりすることで起こるコンダクタンスの変化を拾うことで、ノイズに強いセンサーが開発できていることは明らかだ。バイオリンの音を拾ったシグナルから再現しているビデオがあるが、広い音域を全部拾うことはできていないが、それぞれのセンサーの特性にあった周波数については極めてシャープに音が再現できていると思う。他にも、拍動数と脈波を身につけたまま連続測定できるのも優れものだ。アイデアがあればいろんな面白い製品に繋がる気がする。工学の論文もなかなか面白い。一方私の立場で見ると、クラックを使うセンサーがどう進化してきたのか、興味が尽きない。新しい意味で、基礎研究と工学研究が相互作用することができるような気がする。さて、明日はトンボだ。
12月13日:クリスパーを改造して全遺伝子の発現スウィッチを自在に操る(Natureオンライン版掲載論文)
ゲノムの任意の場所にCas9を局在させる技術、CRISPR/Cas9は今人々の想像力をかきたてているようだ。このホームページでも11月2日にこの技術を使って任意の遺伝子の発現を誘導したり、抑えたりする技術を紹介した。今日紹介する論文も任意の遺伝子を誘導する方法開発についての研究だが、以前紹介したカリフォルニア大学からの研究とは幾つかの点で違っている。同じ目的を実現するため、様々な方法が競い合う技術の成熟段階に入ってきたことを実感する。と言っても、もちろんまだまだ様々なアイデアが出てくることは間違いない。ハーバード大ブロード研究所からの論文で、JSTさきがけの西増、東大の濡木さんも共著者になっており、Natureオンライン版に掲載されたばかりだ。タイトルは「Genome-scale transcriptional activation by an engineered CRISPR-Cas9 complex(改変したCRISPR/Cas9複合体による全ゲノムレベルの遺伝子発現誘導)」だ。11月2日に紹介した研究ではCas9のみ改変して(短いペプチド片を加えて)、それに対する抗体に遺伝子活性化分子VP64を融合させて特定の遺伝子を活性化する方法を開発していた。これと比べると、今日紹介する研究はCas9だけでなく、それが結合するガイドRNAも改変するのがポイントだ。今年発表された西増さんたちのCas9構造解析を詳細に検討して、ガイドRNAの一部がCas9から飛び出しているのに気づき、この飛び出している部分を改変できないか思いつく。この研究ではタンパクと結合するアプタマーと呼ばれるRNAを設計、飛び出している部分に加えることでアプタマーの結合するタンパク質をこの部分に引き寄せてくることに成功している。ここでは私たちの遺伝子には存在しないファージビールスのカプセルタンパクMS2をアプタマーと他のタンパクを結合する橋渡しに使っている。これによって、ガイドRNAの結合する遺伝子部位に自由に様々な分子をリクルートする事が可能になった。最初はMS2に遺伝子を活性化させるVP64を結合させる方法を試したが、さらに効率の良い方法として、Cas9にVP64、ガイドRNAにはNFκB転写因子の一部p65を結合させたMS2をリクルートさせる方法に辿り着いている。いずれにせよ、ガイドRNAにタンパクをリクルートさせるというアイデアがこの論文の全てだろう。この方法の優位性を示すために、1)複数の遺伝子を同時にオンにできるか、2)新しい技術を実際の創薬に生かせるか、について結果を示している。10種類の遺伝子を同時に発現させられるか試みられているが、実際には個々の遺伝子を活性化するより効率が落ちてくる。ただ、これは方法の限界ではなく、細胞自体の許容力の問題であることが確認されているため、様々な分子を同時に発現させる標準的な方法に発展するだろう。創薬については、悪性黒色腫の分子標的治療の際に問題になる薬剤耐性の原因となる分子の探索を行い、興味ある遺伝子リストを作成している。このように、この論文では実際の有用性を具体的に示した点でも意味は大きいと思う。おそらく次は、遺伝子の発現量を自由に調節するための方法開発が目指されていることだろう。しかしクリスパーの技術開発を見ていると、最初我が国で発見された分子を元に、外国で技術が開発され、今度は我が国で行われた構造解析を元に、新しい技術がまた外国で開発されるといったサイクルになっているのが気になる。我が国が素材を提供して、アップルがアイデアを提供する産業で見られるのと同じサイクルが多くの分野で進んでいるように思える。21世紀、多くのアイデアを軽々とまとめるような若者が我が国から生まれるような施策も大事だと思う。