過去記事一覧
AASJホームページ > 2015年 > 6月

6月20日:コカイン中毒による脳の構造変化(Nature Neuroscienceオンライン版掲載論文)

2015年6月20日
SNSシェア
トヨタの女性役員がオキシコドンを届け出なしに不法に持ち込んだ容疑で逮捕されたが、これに対し昨日トヨタ社長が彼女は仲間で、違法性がないことが明らかになることを信じて待つと陳謝したことが報道されている。早速、核心をはぐらかしたとして非難するメディアも多いようだが、私は現段階で当然の発言だと思う。これがアメリカで広がっているオキシコドン中毒によるのか、あるいは痛みを抑えるために使っていた処方薬なのかはすぐ分かることだろう。いずれにせよ、脱法ドラッグを始め、薬物中毒についての報道は絶えないが、コカイン中毒を増強する一方、アルコール中毒を防いでいる分子GIRK3について紹介したように(http://aasj.jp/news/watch/3456)、薬物と嗜好品の間に明確な線を引くことは難しい。例えばオランダのように大麻などはソフトドラッグとして取り締まらない国から、大麻でも大量に所持しておれば死刑になるシンガポールまで線引きは多様だ。法的対応にこのように違いはあっても、社会として薬物に対応しているのは、薬物自体の作用の問題ではなくその中毒性のせいだ。したがって、医療として行われる投与はシンガポールでも当然合法だ。中毒性が起こる原因については、薬物使用により新しい神経回路が形成されると考えられてきたが、生理解剖学的な明確な変化として示すことはなかなか難しい。今日紹介するニューヨーク大学の薬物中毒研究所からの論文は、コカイン服用によって前脳の側坐核の構造変化が起こることがコカイン中毒の原因である可能性を示した研究でNature Neuroscienceオンライン版に掲載されている。タイトルは「Activin receptor signaling regulates cocaine-primed behavioral and morphologyical plasticity (アクチビン受容体シグナルによってコカイン服用による行動学的、形態学的可塑性が調節されている)」だ。このグループはコカインによる短い刺激と、中毒という長期的効果誘導の間を、アクチビンにより誘導される神経自体の長期変化が仲介しているのではと狙いをつけて研究を始めている。さすがに薬物中毒研究所だけあって、留置カテーテルからコカインが自分の意思で注射できる方法を確立しており、1日20日位ぐらい服用するラットを準備している。その後服用を中止させて1日目、7日目の側坐核を調べると、7日後だけにアクチビンシグナルが更新していることを見出した。すなわちコカインが中断され一定期間たつと、アクチビンシグナルに関わる分子の発現が上昇する。そこで、アクチビンや阻害剤を直接脳内に投与すると、アクチビンにより中毒症状が亢進し、阻害剤で中毒症状が抑制される。遺伝子導入でsmad3分子発現を上げたり下げたりすることで同じ結果を再現できる。最後に、この反応による形態学的変化を調べると、神経の樹状突起から出ているスパインと呼ばれる枝の数が増える一方、スパインが細くなっており、この変化はアクチビンシグナルを遺伝子操作でブロックすると抑制できる。これらの結果から、コカイン服用中の中毒はコカイン自体の薬理作用だが、中止してから1週間で脳側坐核特異的な変化がアクチビンシグナル分子の発現亢進により誘導され、それが結局薬剤から離脱できない原因であるということが結論できる。もちろんラットとヒトが同じかどうかわからない。ただ、もし脳細胞だけに効くアクチビンシグナル阻害剤が開発できれば、中毒問題の一部は解決できるかもしれないという結果だ。中毒について新しい方向を示す研究だと思う。
カテゴリ:論文ウォッチ

6月19日:糖尿病で傷の治りが悪い原因(Nature Medicineオンライン版掲載論文)

2015年6月19日
SNSシェア
誰もが当たり前と思っていることは意外と研究されていないことが多い。例えば糖尿病で傷の治りが遅いことは古くから知られた事実だが、その背景にあるメカニズムについて完全な定説があるわけではない。一般的には、血管、血液、神経が複合的に絡み合ってこのような現象につながっているのではと説明しているが、こう決めてしまうと治療法が見つからない。結局患者さんには「糖尿病ですから傷の治りが悪いです。できるだけ怪我をしないように」と注意するのが関の山だ。今日紹介するハーバード大学からの論文は糖尿病でおこる白血球機能異常のメカニズムを追求し、傷の治りを早める治療法のヒントを提供する研究でNature Medicineオンライン版に掲載された。タイトルは「Diabetes primes neutrophils to undergo NETosis, which impairs would healing (糖尿病は白血球の細胞外DNA放出を促し傷の治りを障害する)」だ。この研究では糖尿病患者白血球のNET(Neutrophil Extracellular Trap)に注目している。NETとは感染に対する防御反応として白血球が脱凝縮したDNAを組織に吐き出す現象で、DNAで細菌を絡め取るという巧妙なシステムだ。ただ、脱凝縮したDNAを吐き出すためには、PADI4と呼ばれる酵素でヒストンをシトルリン化しておく必要があり、NETが起こるときに白血球ではこの酵素が上昇し、シトルリン化したヒストン3の量が急上昇する。この脱凝縮に関わるのがPADI4と呼ばれる酵素だ。例えば、リンカーヒストンをシトルリン化して脱凝縮するPADI4の発現が山中因子によるiPS誘導に必須であるという論文が小保方論文とほぼ同じ時期にNatureに発表されている(Nature, doi:10.1038)。ただ、白血球でのシトルリン化は転写調節というより粘度の高いDNAを直接使うための戦略になってている。この研究では、糖尿病の患者さんの白血球でPADI4が上昇しており、刺激によりNETが強く誘導されることに注目し、このNETが傷口の治りを遅くする原因ではないかと目をつけている。次に、PADI4の発現とNET上昇が、糖尿病の複合的、慢性的影響ではなく、白血球が高濃度の糖に晒されると誘導されることを示している。すなわち急性的に高血糖を誘導しても、正常白血球を試験管内で高濃度の糖と培養してもPADI4が誘導され、ヒストンのシトルリン化が起こる。そこで、PADI4の欠損したマウスで傷の修復を調べるとNETは起こらず、傷口に核酸のネットワークは形成されず、傷も早く修復される。詳細は省くが詳しい実験を繰り返して、糖尿病で傷の治りを悪くする主原因がPADI4誘導、ヒストン3シトルリン化、そしてそれに続くNETであることを確認して辿り着いた治療法が、吐き出されるDNAを酵素で溶かしてしまうという乱暴な方法だ。実際にはクロマチンが脱凝縮しているおかげでDNase1により分解されやすい。期待通りDNase1の注射で、傷の治りは早くなり、上皮の回復も早い。これまでの謎が解けたという気持ちになる論文だった。ただ一つ気になるのは糖尿病でNETが上昇するなら、傷の治りは悪くても傷口の感染にはいい効果があるのではという懸念だ。まあ抗生物質があるから気にしないで、素直に理解できたことを喜んでおこう。
カテゴリ:論文ウォッチ

6月18日:虫垂炎には手術か抗生物質か?(6月16日号アメリカ医師会雑誌掲載論文)

2015年6月18日
SNSシェア
私の年齢になると、虫垂炎にかかった友人を病院に見舞うということはほとんどないが、学生の頃は見舞いに行くといえばほとんど虫垂炎だった記憶がある。医学部に入ってからも虫垂炎の診断、鑑別診断、手術術式などは事細かに習ったような気がする。おそらく発症率が高く外科医になればすぐ出会う疾患であるため、解剖実習が医学部入門コースとして重視されるのと同じように、虫垂炎手術が外科医入門コースとして重視されたのだろう。私の学生時代から現在まで、急性虫垂炎には手術というのが医学の常識だった。しかし虫垂炎も細菌感染だから抗生物質で治療するという考えも根強く続いていた。今日紹介するフィンランドからの論文は「虫垂炎には手術か抗生物質か?」に科学的な答えを出そうと計画された治験結果で6月16日号のアメリカ医師会雑誌に掲載された。タイトルは「Antibiotic therapy vs appendectomy for treatment of uncomplicated acute appendicitis. The APPAC randomized clinical trial (合併症を伴わない虫垂炎の治療は抗生物質か虫垂切除か?The APPAC無作為化臨床試験)」だ。医師をやめてからは虫垂炎のことを考えたことはほとんどなく、今この問題が議論されているのを知って正直驚いた。論文を読むと、抗生物質の利用が始まった1956年から虫垂炎は抗生物質だけで治療できるか調べる臨床研究が行われていた。中でも2006年から2011年にかけて3編の論文が発表されてはいたが、医療統計学から見た時完全ではなく、最終的な結論を得るため今回の治験が計画されたようだ。しかしフィンランドでも虫垂炎は手術と考える患者さんが多く、しかも急性疾患なので、無作為化して手術と抗生物質に振り分けるのは困難を極めたようだ。1379人の患者さんから初めて、治験の条件にかない、同意が得られた方は結局530人に減っていた。これを無作為に外科手術例273人、抗生物質例257人に割り振り、1年間経過を調べることで評価するとともに、治療に伴う副作用などをもう一つの評価基準として調べている。結果だが、当然のことながら外科手術は99.6%の成功率だ。フィンランドでは約5%の患者さんが腹腔鏡下の手術を受けている。一つ問題は2人の患者さんで、結局虫垂に炎症が見られず、ある意味で誤診による手術が行われたことになる。ほぼ安全完璧な手術グループを対照としたときの抗生物質治療グループだが、15例は抗生物質投与のための入院中に痛みが収まらず手術を受けている。このうちの7例は手術をして合併症が併発していることがわかっている。残りの患者さんの72%はその後何もなく1年を過ごしているが、38%は1年以内に再発し、結局虫垂摘出を行っている。ただ、抗生物質治療から始めた結果、病状が重くなり手術が困難になったわけではない。この結果を総合すると、まず抗生物質で始めてから、2回目から手術に切り替えても科学的に差はないが、患者さんが嫌がらなければ最初から手術すればよいという結論になる(これは私の解釈だが)。はっきり言って、どっちでもいいという結果だ。ただ少し気になったのは、今流行りの腸内細菌叢への抗生物質の影響があまり考えられていないことだ。特に虫垂炎は成長期に多い。外科手術でも抗生剤は使うが、使用量は内科治療と比べると少ない。せっかく苦労して集め理解を得られた患者さんのもっと長期の追跡をして欲しいと思う。しかし、どんなに些細なことでも、科学的な結果を得るためにはこれほどの規模の研究が必要になる。科学にはやはり金がかかる。
カテゴリ:論文ウォッチ

6月17日:Nanopore社 MinIOnシークエンサー(Nature Methodオンライン版掲載論文)

2015年6月17日
SNSシェア
昨年12月11日、これまで私たちがDNAシークエンサーに対して抱いていた常識を覆す使い捨ての手のひらに乗るシークエンサーMinIOnがサンプル出荷され始めたことを紹介した(http://aasj.jp/news/watch/2561)。その時、この機械は小さく安いだけでなく、一分子レベルで配列を決めること、また10Kbを越す長さの配列を読めるという大きな長所がある一方、解読の精度が80−85%しかないという大きな問題があるため短い配列を正確に決定できる現在のシークエンサーと組み合わせることでその力をフルに生かすことができると書いた。今日紹介するカナダトロント大学からの論文は、なんとMinIOnだけで完全な大腸菌ゲノム配列決定するために必要なアプリケーションなどを開発したという報告で、Nature Methodオンライン版に掲載されている。タイトルは「A complete bacterial genome assembled de novo using only nanopore sequencing data (ナノポアのシークエンスデータだけを使って新たに決めた完全な細菌ゲノム)」だ。実際MinIOnの精度が85%だから使えないというのは、1回だけしか配列を読めないという場合の話で、シャノンの情報理論によれば正しい情報が少しでも含まれておれば、必ず正確な全情報に到達する手段はある。一番わかりやすいのが、何度も同じところを読んでコンセンサスを取ることだが、それ以外にも配列の傾向をつかんだり、様々な方法で精度を上げることができる。すなわち、何度も読むというのはコストがかかるので、その間をつなぐ方法の開発で読まなければならない回数を減らそうとする試みだ。この研究では1本のDNA鎖を両側から計算上29回繰り返して読むことと対応するデータから、完全なゲノム情報を引き出すための方法を示したものだ。既存のアプリケーションや新しく作ったアプリケーションを用いて読み間違いを排除しているが、この研究ではMinIOnの性能に合わせた新しい方法の開発も行われ、それが売りになっている。MinIOnでは一本のDNAをセンサーであるチャンネルを通す時検出される電流の違いで塩基の種類を特定するのだが、この時の実際の電流の記録をすべてモニターして、シグナルが低すぎてエラーが出る確率をフィードバックできるアプリケーションを開発した。さらに、ナノポアの方法では同じ塩基が4回以上続くとその塩基がスキップされる確率が上がるという傾向も計算に入れるようにして、情報理論的に精度を高めている。この結果、MinIOnだけを使って、これまでの方法で決定されたのと同じ精度で大腸菌の全ゲノムの配列決定が可能であることを示している。それでも、2箇所これまでの配列と一致しないところがあるが、これは繰り返し配列を持つトランスポゾンの配列に由来しており、もともと短い配列を集めるこれまでの方法では検出しにくい領域だと結論している。実際短い配列を集める従来の方法では、バクテリアにある7Kbもの長い反復配列を正確に解読することは至難の技だ。とはいえこれであらゆる配列決定に使えるというわけではない。まだまだ欠点はあるだろう。しかし、すべてが情報理論の問題に還元できるなら、今のハードだけでも様々な可能性が開けそうだ。事実、自分の家でも配列決定ができるようになるということ、1分子シークエンシングにより、そこに存在するDNAをそのまま調べられるという大きなイノベーションは、これまでの方法では達成できない。もちろんハードも進歩するだろう。ゲノムというとすでに大きな枠組みは決定したと考えている人が多いようだが、21世紀ゲノム文明に向けてますます歩みが加速しているというのが実感だ。我が国の科学技術行政に携わる人たちは,この息吹を自分は感じることができているか是非問い直してほしいと思う。
カテゴリ:論文ウォッチ

6月16日:脳内ネットワーク維持の分子基盤(6月12日号Science掲載論文)

2015年6月16日
SNSシェア
人間の脳高次機能を研究は、様々な課題に基づく行動を、機能的MRI,PET,脳活動電位などの脳イメージングを使った脳活動と相関させる研究が中心だ。時に遺伝子異常特定された患者さんを同じように調べて、例えばイオンチャンネルから脳の活動、そして行動をつなぐ研究も存在するが、遺伝子レベルの研究はどうしてもマウスなどの動物実験に頼らざるを得ない。しかしいつかこの壁を打ち破り、人間でも、遺伝子発現から脳ネットワークの活動、そして行動にいたる過程を研究する方法を開発しなければならない。わかりやすく言えば、fMRIを使う研究者がその背景にある遺伝子発現についても同時に研究できるようにする必要がある。このためには、これまで別々に研究してきた様々な分野の研究者の対話と協力が必要だがこれが最も難しい。今日紹介する論文を発表したIMAGENコンソーシアムは名前が示すように、脳イメージと遺伝子を統合しようという意欲的課題に挑戦する国際コンソーシアムで、この論文でも脳イメージと遺伝子発現をなんとか相関させようと努力している。タイトルは「Correlated gene expression supports synchronous activity in brain networks (脳ネットワークを同調させる遺伝子発現)」だ。この研究ではまずfMRIイメージングを用いて、安静時互いに同調している脳部位を探索し、同調的に結合する4つの独立したネットワークを特定している。次に、アレン研究所が蓄積してきたヒトの脳各部位の遺伝子発現を調べたデータベースを探索し、それぞれのネットワークの同調性と相関している遺伝子を探索している。最後に、この同調性を支えていると考えられる遺伝子発現がマウスの脳でも同じように見られるかを、同じくアレン研究所のマウス脳各部位の結合性と遺伝子発現を調べたデータベースを使って確認している。正直言って、30人近い様々な分野の研究者の論文のせいか、データのプレゼンテーションがわかりにくく、また表の説明があまりに短すぎて、このコンソーシアムに参加していない読者には理解しづらい論文だ。私も読み始めてすぐ、完全に理解するという気持ちは早々と失せてしまった。とはいえ、この挑戦意図ははっきりとしており、理解不十分でも是非紹介したいと思った。最終的にこの研究により、脳内ネットワークの同調性と相関する遺伝子リスト(136)が作成され、さらにこの同調性を最も上流で支配している分子としてシナプスでのシグナル伝達に直接関わる分子が特定され、アルツハイマー病や統合失調症との関連がすでに示された分子がこのリストに含まれていることを示している。ここで示された同調する脳内ネットワークの発現パターンは生涯安定で、このネットワークが破綻することで様々な神経疾患が起こるのではと議論している。これが私が理解できたことだが、まずIMAGENと洒落た名前で的確に将来の課題を設定したコンソーシアムに様々な分野の研究者が集合していること、そしてそれを支える膨大な脳の遺伝子発現や結合性に関するデータベースの構築が着々とアレン研究所で進んでいることに驚いた。この現状を見ると、我が国の統合データベースの現状が心配になる。世界的視野で一度しっかり総括する必要があると思う。
カテゴリ:論文ウォッチ

6月15日:血液幹細胞の活性を維持する採取法(6月18日号Cell掲載論文)

2015年6月15日
SNSシェア
もともと地球上には酸素はなかった。そこに光合成を行う生物が現れ、炭酸ガスから酸素を作り出す。しかし酸素の持つ酸化活性は細胞にとって毒性を持つ。その意味で、光合成を獲得した生物が酸素を作り始めたときは、隣の生物にとってパニックだっただろう。酸素のない環境へ逃避するか、酸素を積極的に使った新しい仕組みを獲得するかどちらかしか選択肢はない。私たちの細胞内にあるミトコンドリアはこの毒性のある酸化反応をATPエネルギーに変えることができるようになった細菌が細胞内に取り込まれた小器官で、このおかげで私たちは20%と言う高い酸素濃度の中で活動する、酸素なしでは生きられない生物に変わった。とはいえ酸化ストレスは今でも危険なままで、私たちの体を常に蝕んでいる。このため、大事な細胞中には酸素濃度の低い場所でじっとしているものが存在する。こんなことは、生物学者なら誰でも頭に入っている。しかし、生物学者も実際の実験になるとそんなことは忘れて、ほとんどの場合細胞の処理はもっぱら大気中で行う。この不注意をただし、酸素は危険ですよと再認識させてくれるのが今日紹介するインディアナ大学からの研究で6月18日号のCellに掲載された。タイトルは「Enhancing hematopoietic stem cell transplantation efficacy by mitigating oxygen shock (酸素ショックを和らげることで血液幹細胞移植の効率を高める)」だ。幹細胞がより原始的な解糖系に強く依存し、ミトコンドリアを使った酸素呼吸を抑制していることはよく研究されていた。しかしこれらの研究が幹細胞採取の方法に反映されることはなかった。私たちもマウスやヒトの血液幹細胞を研究していたが、頭でわかっていても採取にあたって面倒臭い低酸素条件を用いることはなかった。このわかっていても誰もが無視したことを誠実に行ったのがこの研究の成功の秘訣だ。まずマウスの骨髄幹細胞採取を酸素3%の低酸素状態と、大気中で行い、骨髄移植効率を比べている。予想以上の効果で、低酸素で採取したほうが5倍多い幹細胞が採取できることを示した。一方、幹細胞の試験管内増殖には正常の酸素濃度が必要だ。すなわち、活動には酸素を使い、じっと骨髄で休んでいるときは酸素を避けて生きている。この幹細胞の生活に合わせて採取すればなんと5倍の細胞が得られる。この結果はそのままヒトの臍帯血中の幹細胞採取にも利用でき、これまで幹細胞が少なすぎるとして廃棄せざるを得なかった臍帯血を使うことができるようにする臨床的には極めて重要な発見だ。もちろん低酸素条件を再現するには設備が必要で、気軽に利用するのは難しい。この問題に答えるため、この現象の背景にある分子メカニズムを突き止め、低酸素状態から急に酸素にさらされて起こるミトコンドリアショックがその原因で、これを免疫抑制剤として使っているサイクロスポリン(CSA)が抑えることを発見した。ミトコンドリアショックには免疫抑制に関わるカルシニューリン経路は関係なく、この経路の中心分子CypDに直接結合してショックを抑えていることも示している。このおかげで、臍帯血にサイクロスポリンをすぐに加えて幹細胞を採取すると、幹細胞の収率が低酸素条件に匹敵するぐらい上昇することを示している。さらにこのショックに関わる分子を探索し、p53、HIF, microRNA210などとの関係を示しているが紹介する必要はないだろう。「幹細胞採取にはサイクロスポリンを使え」という指示がこの研究のハイライトだ。繰り返すが、頭でわかっていることを誠実に行うことがいかにできないかを思い知る論文だった。
カテゴリ:論文ウォッチ

6月14日:αシヌクレイン症(Natureオンライン版掲載論文)

2015年6月14日
SNSシェア
αシヌクレインという言葉は耳慣れないと思うが、痴呆やパーキンソン病の一部をαシヌクレインの蓄積による病気として総合的に捉えようとする考えだ。この考えを支える最も大きな根拠は、この神経変性病の脳組織に共通して見られるレビー小体と呼ばれる構造で、この構造の主成分がαシヌクレインだ。恐ろしいことに最近の研究で、この分子はプリオンに似て、中枢神経系内で神経細胞間で伝播するだけでなく、消化管などから吸収されて脳内に到達できることも示唆されている。今日紹介するベルギー・ルーヴェン大学からの研究は、精製したαシヌクレイン蛋白を使って、脳内でのレビー小体形成と、神経障害をラットの脳で再現する研究でNatureオンライン版に掲載された。タイトルは「α-synuclein strains cause distinct synucleinopathies after local and systemic administration(αシヌクレインの局所及び全身投与によりはっきりと異なるシヌクレイン症が起こる)」だ。このグループの売りは、大腸菌に作らせたαシヌクレイン蛋白を試験管内で様々に重合させて、数個の蛋白が重合したオリゴマーから繊維状結晶、さらにはリボン状の結晶まで別々に作成する技術で、これにより初めて特定の構造を持つαシヌクレインがプリオンのように他のシヌクレインを組織化してレビー小体を形成させる能力があるかを調べることが可能になる。神経細胞間の伝播能力について、脳内局所に投与したシヌクレインがどこまで広がるかを調べている。直感的にわかるように、繊維状、リボン状の大きな結晶は注射した場所に留まるが、オリゴマーは高い伝播性を有することが分かった。一方、アデノウイルスベクターで発現させたαシヌクレインをレビー小体へと組織化する能力は大きな結晶を注射した場合で起こる。従って、伝播したオリゴマーはそのまま病気を引き起こすのではなく、局所でさらに大きな結晶を形成する必要があることがわかる。一方神経細胞障害性で調べると、大きな結晶でも精製αシヌクレインの脳内投与だけでは細胞変性は強くならない。細胞死にはアデノウイルスベクターでシヌクレイン遺伝子を発現させることが必要で、細胞自らシヌクレインを生産することが必要だ。さらに、ここにシヌクレインの大きな結晶を注射すると細胞死が亢進することから、神経細胞内でシヌクレインの生産が高まり、そこの結晶化したシヌクレインが核を提供することで、細胞死が進むことがわかった。次に、細胞死が起こる前の神経細胞の興奮性を試験管内で調べると、今度はオリゴマーだけでも興奮性が低下する。従って、オリゴマーが伝播することで、神経細胞の機能低下が誘導され、その後大きな結晶を核としてシヌクレインが蓄積することでレビー小体が形成され、変性が進むというシナリオだ。最後に血中に投与したシヌクレイン重合体が脳に蓄積するかを調べ、オリゴマーからリボン型まで、全ての結晶が脳血管関門を越えることがわかり、プリオンと同じようにシヌクレインの摂取でもこの病気が起こる可能性があることが分かった。これは極めて恐ろしい事実で、患者さんの失望を誘うのではないかと心配する。しかし、プリオン研究と同じで、この過程が明らかにならないと研究は進まない。おそらくこのようなシヌクレインの性質を抑える治療法を見つけるには時間がかかることだろう。それでも、完全に精製したタンパク質を投与して病気を誘導し、さらに細胞死に至る前の機能異常を調べる実験系ができたことは大きい。期待して見守ろう。
カテゴリ:論文ウォッチ

6月13日:考古学と歴史科学(6月11日号Nature掲載論文)

2015年6月13日
SNSシェア
広い意味での過去についての研究を指すギリシャ・ラテン語のhistoryと違って、それに対応する日本語の歴史は「史」、すなわち書かれた記録に限定して考えられてきたようだ。従って記録のない有史以前は「考古」、すなわち古代を考えるだけの学問になってしまい、ギリシャ・ラテン語の古代研究archeologyと比べた時、最初から科学性が失われた感じがする。我が国の考古学がこのような用語に左右されて世界に取り残されることがないよう祈っているが、今日紹介する6月11日号Natureに掲載された2編の論文を読んで、古代の遺物のゲノムを研究できる時代に入って新しい「史」の学問がarcheologyを変えつつあることを実感した。一編はデンマークの自然史博物館を中心とする国際コンソーシアムからの「Population genomics of Bronze Age Eurasia(青銅器時代ユーラシアの集団ゲノミックス)」(以後論文1)、もう一編はオーストラリアアデレード大学を中心にドイツ、アメリカチームの論文「Massive migration from the steppe was a source of Indo-European language in Europe (ステップ地帯からの大移動がヨーロッパでのインドヨーロッパ語の起源)」(以後論文2)だ。両方の研究とも、各国の博物館が収集した新石器時代から青銅器時代(BC8000−3000年)の多数の人骨のゲノムを調べ、ゲノムに残る系統や交雑記録を調べて、当時のヨーロッパからアジアの人的交流を解明しようとしている。ゲノムの解析方法を読んでみると、正しいゲノム情報を読み解くための改良が不断に行われていることがわかる。特に論文2ではSNP変異がわかっているゲノム領域に絞ってシークエンスを行う方法に様々な改良を加え、同じ箇所を平均で250回読むことで、69体について39万SNPを正確に判定することに成功している。ではこれらの解読結果から何がわかったのか?論文1、2区別せず面白いと思った結果だけを幾つか列挙しておこう。1)これまでインドヨーロッパ語は中央ロシアに始まるヤムナ文化がヨーロッパへ移動してヨーロッパに伝わったと考えられてきたが、青銅時代ヨーロッパの縄目文土器文化人はヤムナ文化人と石器時代ヨーロッパ人の交雑で形成されていることが明らかになり、インドヨーロッパ語のヤムナ文化起源説を裏付けた。2)現代ヨーロッパ人はこの時形成された縄目文土器文化人に近いが、サルディニアやシチリア人は石器時代ヨーロッパ人のゲノムをより多く有している。3)青い目は石器時代のヨーロッパ現地人の性質だが、ミルクに対する乳糖耐性はヤムナ文化人を起源としている、4)タリム盆地にぽつんと存在するインドヨーロッパ言語のトカラ語はヤムナ文化人のゲノムがこの地区のアファナシェヴォ文化人に入っていることから、ヤムナ文化起源であることがわかる。などなどで、全部紹介していたらきりがないし、また論文でも全部紹介しきれていないだろう。ゲノムが情報で、嘘のない「史」であることを考えると、その価値は計り知れない。我が国も「考古学」という言葉を捨てて、科学的な古代学へ転換する時期が来ているのではないだろうか。
カテゴリ:論文ウォッチ

6月12日:外科手術の評価(Annals Thoracic Surgery6月号掲載論文)

2015年6月12日
SNSシェア
最近我が国では、内視鏡手術、肝移植など外科手術の適応を巡って議論が行われている。外科手術の評価は、術者の技術や施設の体制など様々な要因が重なって決まるため、同じ術式でも薬と同じように扱うのは難しく、結局施設だけではなく術者も含めた結果を公表し、患者さんに選んでもらうしかないと私は思っている。重要なことは、白血病など一部の例外を除いて成人のガンの場合、根治のためには外科手術が必要なことは私が卒業してから40年の間変わっていないことで、分子標的薬が進んだ今も、根治が約束できる化学療法はほとんど存在しない。このため、手術ができないと判定されると、根治を諦めることになる。もちろん外科としても、手術が唯一の根治の手段という自負から、手術の適応をなんとか広げようと努力が続いているが、手術の効果が定まっていない境界領域の患者さんに手術を行うことは常に議論を呼ぶ。今日紹介するワシントン大学からの論文は手術適応はないとされていたステージIIIBの患者さんに対して行われた手術の成績を医療統計的に評価した研究で6月号のThe Annals Thoracic Surgeryに掲載されている。タイトルは「Role for surgical resection in the multidisciplineary treatment of stage IIIB non-small cell lung cancer (非小細胞性肺がんステージIIIBの複合治療での外科切除術の役割)」だ。研究では1998年から2010年に行われた非小細胞性肺がん(NSLC)治療成績のデータベースから、手術例と非手術例を選び出し、背景の条件を合わせて生存率を比較した研究だ。NSLCのステージIIIBは、原発のガンが周りの組織に浸潤して、リンパ節転移が認められる段階で、多くの病院では手術適応外と判断される。まず羨ましいことに、アメリカにはこのステージの肺がん患者さん17万人が登録されており、そのうち15万余は治療のほぼ完全なデータが得られることだ。その中から、化学療法と放射線療法を基準に従って最後まで受けた患者さん7459人と、ほぼ同じ治療に加えて肺葉切除を行った患者さん1714人を選び出し生存率を比較している。手術例の7割は腫瘍完全切除を行なっており、6割で肺葉切除が施されている。さらに、この中から年齢、性、人種、収入、腫瘍サイズ、リンパ節転移の状態を揃えた患者さんを631人づつ選んで、背景を厳密に揃えた組み合わせの比較も行なっている。軍配は明らかに外科手術併用に上がり、5年生存率では10−20%、50%生存で1年の差見られる。外科手術の効果は放射線化学療法の前に行おうと、後から行おうと大きな差はないようだ。したがって、もし安心できる外科医と体制を抱える施設なら、肺切除という大きな負荷のある手術に挑戦する価値はあるという結果だ。もちろんアメリカの成績がそのまま我が国に当てはまるわけではない。しかし、我が国で同じような大規模調査ができる日はいつ来るのだろう。手術の評価はこのような統計学的調査が行われた上で、議論が行われる必要がある。我が国は何かと言うと専門家や専門家委員会に頼る。ただ、そこに客観性があるという期待は幻想だ。専門家委員会も、科学的なエビデンスが得られて初めて機能する。そのエビデンスを取る手段が我が国にないのが問題だ。この論文を読んで、年収に至るまで背景を揃えることができるデータベースがアメリカに存在するのに驚かされる。しかし本当はそれが当たり前で、驚く私が遅れている。アメリカは医療保険など様々な問題を抱えていても、公衆衛生や疫学では我が国をはるかに凌駕している。このレベルのデータが我が国でも利用できるよう、早く追いつく努力が必要だ。
カテゴリ:論文ウォッチ

6月11日:Chromothripsis(染色体破砕)(6月11日号Nature掲載論文)

2015年6月11日
SNSシェア
この歳になっても、ほとんど聞いたことのない用語が細胞形態学には多く存在する。Chromothripsisもどこかで聞いていたかもしれないが、この論文を見た時もなんのことか全くわからなかった。調べてみると、日本語版のWikipediaにも「悪性腫瘍や先天性疾患で、限られた染色体で膨大な数の崩壊と再編成が起こること」と記載されており、特に最近CellやNature Reviewなどに立て続けに総説が出ていた。Chromothripsisを単純化して説明すると、少数(通常一本)の染色体だけで染色体の崩壊や再構成が起こる現象だ。普通細胞死に伴って核が崩壊する時は全ての染色体が分解する。なぜ崩壊が少数の染色体に限定され、もう一方の対立染色体を含め他の染色体には崩壊が起こらないのか不思議だ。今日紹介するボストン・ダナファーバー癌研究所からの論文は、この不思議な現象のメカニズムをうまく説明した研究で6月11日号のNatureに掲載された。タイトルは「Chromothripsis from DNA damage in micronuclei(小核形成により誘導されるDNA損傷が染色体破砕を起こす)」だ。この研究では、分裂時に、1−2本の染色体が核外に取り残されて小核を形成することが染色体破砕の原因になっているという仮説を立て、この可能性を検証している。といっても熟練と最新の技術が必要な研究だ。まずこの仮説を証明するためには、小核が形成された細胞を特定して、その細胞のゲノムを調べることが必要になる。また、どの染色体が核外に取り残されるのかは決まっているわけではないので、小核ができているからといって細胞を集めてゲノムを調べたのでは、Chromothripsisが起こっていることはわかっても、この仮説は証明できない。すなわち個々の細胞のゲノムを別々に調べないと、少数の染色体だけに異常が起こっていることを示すことはできない。着想を得てからも、実現にはずいぶん準備が必要だっただろうと思う。研究では、まず小核が形成されただけではDNA損傷は発生せず、次の分裂が始まってS期が始まると損傷が進むことを観察している。この結果から、小核の形成された細胞を特定した後、それが次の分裂を終えた時点で2個の娘細胞を別々に分離し、そのゲノムをmultistrand displacement amplificationという方法で増幅し解読している。結果は予想通りで、小核が形成された細胞だけが染色体再構成を一部の染色体で起こす。すなわち染色体の一部が核外に取り残されたあと、次の分裂で全体に統合されていく過程でDNA障害が起こる。この時染色体内で起こった再構成の種類と数を調べると、離れた部分同士の組み替えが染色体全体で起こっていることがわかる。また、2本の染色体が核外に残され小核を作った場合は、染色体間でも組み替えが起こっているのが観察できる。すなわち、小核に取り残された染色体だけにDNA損傷が起こり、それを修復することで大規模な組み替えが起こっていることが明らかになった。最後に、染色体が次のサイクルで娘細胞に分配される時、通常なら同じ染色体がそれぞれの細胞に分配されなくてはならないのに、小核を形成した染色体は部分部分がバラバラに分解し、それぞれの部分は片方の娘細胞だけに分配されて再構成されるため、両方の娘細胞を比べると、同じ染色体の違う部分が交互に分配されるchromothripsisに特徴的な変化が見られることを明らかにしている。現役時代ならおそらく読まなかったマニアックな論文だが、説得力は十分で、勉強した気分になる論文だった。
カテゴリ:論文ウォッチ
2015年6月
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930