2017年8月6日
健康人にとって、通常食欲は「欲」の一つで、食べ過ぎるのは意志が弱いからになってしまう。しかし、神経性食思不全のような病的な状態を見ていると、生まれついて持っている本能が抑えられているように見える。
特に光遺伝学が開発されてから、食欲の研究が加速している。このブログでも、視床下部のAgrpニューロンと食欲についての研究(
http://aasj.jp/news/watch/3053)、扁桃体のニューロンと食欲についての研究(
http://aasj.jp/news/watch/7010)を紹介してきたが、欲望と本能の境目を考える意味で大変面白いと個人的にも注目している分野だ。
今日紹介するロックフェラー大学からの論文はこれらに加えて脳幹の縫線核と呼ばれる場所と食欲との関係を調べた研究で7月27日号のCellに掲載された。タイトルは「Identification of a brainstem circuit controlling feeding (摂食をコントロールする脳幹の回路の特定)」だ。
最近の脳研究の論文を見ていると、興味のある行動に関わる神経細胞を特定し、機能を調べるためのスタンダードが出来上がっていることがよくわかる。この研究ではこのスタンダードを全て行っている典型と言える。対象は食欲なので、食事を与えないマウスと、普通に与えたマウスの脳を取り出し、空腹時に興奮した神経細胞を神経刺激により発現するFosなどの転写因子を指標に特定している。その結果、脳幹の縫線核にシグナルが見られることを発見している。
縫線核には4種類の神経細胞が存在することが知られているが、ここはこれまでの経験に基づきGABAトランスポーターを発現する細胞(Vgat)とグルタメートトランスポーターを発現する細胞(Vglut3)に絞って調べると、Vgat神経が空腹時に、Vglut3神経が食べた後に興奮することを明らかにした。
はっきり言って、ここでシナリオはほぼ完成しており、あとは確認作業になる。例のごとく光遺伝学を用いて、Vgat, Vglut3神経を刺激、あるいは抑制し、Vgat神経刺激で食物摂取が上がること、逆に抑制で、空腹時でも食物摂取が起こらないことを確認する。逆に空腹後食事ができた時に興奮するVglut3神経の刺激は摂食を抑え、これを抑制すると摂食が高まる。さらに、空腹で興奮するVgatの刺激は、マウスの行動を抑えエネルギー消費を抑える一方、空腹が満たされて興奮するVglutの興奮はマウスの運動を促進する。そして、この間逆の作用を持つ2種類の神経細胞がシナプス形成をしており、VgatがVglut3を抑制する方向の回路を形成していることを明らかにしている。
脳の極めて限られた場所で2種類の逆の働きをする神経細胞が回路を形成し、空腹とそれが満たされたことを感知して、摂食を調節する本能を支えていることがよくわかる。
この回路の働きは例えば脂肪細胞から分泌されるレプチンが欠損して満腹できないため肥満が進むobマウスでも正常に働いているので、独立した摂食本能回路として抗肥満剤開発の標的にできるかもしれない。そう考えてそれぞれの神経から翻訳中のRNAを取り出し、分子発現の違いから薬剤を開発できる可能性を示している。残念ながら、これらの神経細胞だけに効く薬剤の開発まで入っていないし、またこの回路と他の欲望や節制をつなぐ回路についても手つかずのままで論文は終わっている。
今後、視床下部、扁桃体、縫線核同士の回路と、代謝センサー、そして前頭前皮質などとの回路が明らかになってくると、人間の本能と欲望の境についての研究が一段と進むと注目している。特に、フロイトのいう「口唇期」からの数ヶ月の研究が可能なら、面白い話になりそうだ。
2017年8月5日
癌の進展で最も恐ろしいのは転移の発生だ。癌のステージも、リンパ節、他臓器への転移があるかどうかを基盤に決められている。
数年前までトップジャーナルを賑わせたガンのゲノム解析も最近は一巡して落ち着いていた印象があったが、そろそろ第二ラウンドとして、この恐ろしい転移についてゲノムから攻めた良い研究が見られるようになってきた。例えば1ヶ月前にこのブログで紹介した大腸癌のリンパ節転移と他臓器転移は異なる起源を持っている可能性を示す論文がその例だろう(
http://aasj.jp/news/watch/7123)。
今日紹介するミシガン大学からの論文は転移病巣をバイオプシーで集めて、エクソームと発現RNAの解析を地道に行った研究だが、臨床で転移ガンの治療方針を立てる時の遺伝子解析の重要性を強調した研究でNatureにオンライン掲載されている。
研究では最終的に500例の転移巣について、120Xというかなり徹底したエクソーム解析と、転移巣の遺伝子発現を調べる目的でのRNA-seqを行っている。転移巣では平均6割の細胞がガン細胞で、残りは間質や浸潤細胞が占める。このおかげで、ガンだけの情報ではなく、ガンに対する情報も拾いだすことができる。ただこの研究ではリンパ節転移も、他臓器転移も同じように扱っており、解釈には注意が必要だと思う。
ガンのゲノム解析でまず調べるのが、ガン化に関わると考えられる突然変異で、うまくいくと変異分子を標的とした治療薬が見つかるかもしれない。残念ながらこの研究では、この点で新しい進展は得られず(ここまでガンゲノム研究が進むと当然の話だが)、これまで知られているドライバー変異、あるいはガン抑制遺伝子変異がリストされている。とはいえ、エクソーム検査はガン診療のイロハと言っていいだろう。
驚いたのは転移ガンの患者さんのなんと12%が、ガンに関わる遺伝子変異を生まれつき持っている点だ。特に、DNA修復に関わる遺伝子の突然変異が多い。もちろん変異は片方に止まっているが、両方の染色体で変異が重なる確率はグンと上昇し、その結果修復酵素が欠損して変異発生が促進し、転移が起こりやすくなる。ガンだけでなく、個人個人のゲノム検査でリスクを把握しておくことの重要性がよくわかる。転移が見つかってからでもこの点を調べる意味は大きいだろう
転移の過程で、染色体の大きな変化が起こり、遺伝子同士が合体する融合遺伝子が生まれる確率が上がる。この研究では、RNA-seqにより遺伝子発現を調べることで、融合遺伝子の性質を特定できる可能性が高いことを示唆している。他にも、転移ガンでは元のガンの性質は残しているが、元の性質がだんだん薄まって、期限のわかりにくい細胞へと変化していることも示している。今後、リンパ節と他臓器変異に分けてさらに分類することは重要だろう。残念ながらこれらの検査ですぐに新しい治療方針を出せるかは疑問だ。
この研究の最大のハイライトは遺伝子発現検査により、ガンだけでなく、ガンの周りの免疫反応がかなり正確に把握できる点で、エクソームで変異数が多く、またDNA修復異常が特定され、その上でガンのPD-L1やHLAの発現が高く、キラーT細胞の反応が確かめられる患者さんでは、チェックポイント治療の効果が期待されることが明らかになっている。さらに、ケースによっては反応するT細胞の抗原受容体まで調べることができている。
バイオプシーからこれだけ多くの情報が得られることを示した地道な研究で、転移ガンの治療に今後大きな指針になるように思う。
2017年8月4日
体に悪いからと酒を控えようとは思わない。若いときのように、浴びるほど飲むことはまずないが、酒のない夕食は考えられない。しかし、頭のどこかで酒は控えたほうがいいのではと囁く声も聞こえる。医学者というのは因果な商売で、何とか酒好きを正当化する論文を探してこの声を打ち消そうとする。そんなわけでこのブログでも、酒を飲んだほうが体にいいという論文を紹介してきた(
http://aasj.jp/news/watch/4896)。
しかし、今日紹介するカリフォルニア大学サンディエゴ校からの論文は、酒を飲んだほうがボケずに長生きできるという酒好きにとっては極めつきの研究で、同じ酒好きのみなさんのために是非紹介しようと思った。タイトルは「Alcohol intake and cognitively healthy longevity in community dwelling adults: The Rancho Bernardo Study(地域社会で暮らす人にとって、アルコール摂取は認知機能を維持した長生きをもたらす:The Rancho Bernard研究)」だ。
研究はサンディエゴの近くのRancho Bernardoに住む成人を対象に1972年以来進めれらているコホート研究で、認知機能を始め様々なテスト項目を定期的に検査している。
この集団の中で85歳になって認知機能を調べることができた1344名についてアルコール摂取との相関を調べている。アルコール摂取量についてはビール、ワイン、スピリッツなど詳しく分類して計算し、moderate, heavy, excessiveに分類している。この地域ではほとんどの人がアルコールと共に生きているようで、全く飲まない人は28人だけで、前回紹介した半分の人が酒を飲まないというノルウェーとは大違いだ。
いろいろ調べているが詳細は全て省いて最も気になる点、85歳までボケずに生きることができるかについて見てみると、補正操作にかかわらずheavyと分類されたひとたちのオッズ比が2以上で優位に高い。Excessiveに飲む人ですら喫煙を補正すると2を越すという結果だ。
量とは別に、どの程度頻回に飲んでいるかを調べても、例えば全く飲まない人を対照にして計算すると(補正なしのデータを示す)、1ヶ月に2回程度の人は1.92、週一回程度の人が1.79、毎日飲む人が2.3と飲んだほうがオッズ比が高い。他にも様々な補正をしているが、結果は変わらない。
まさにこのような論文が出るのを待っていた。とは言え、これを紹介して若者に酒を飲むべきだなどと主張する気にはならない。環境のいい郊外で暮らしている人が対象で、都会の集合住宅で暮らす私に当てはまるかどうかわからない。結局、酒の習慣を単純な枠にはめて考えるのが間違っている。確かに頭の中で「飲み過ぎるな」と囁く声を黙らせるにはいい話だと思うが、逆の結果でも晩酌は欠かせない。
2017年8月3日
亡くなった月田さんを含めて、私も生粋の形態学者の方々と交流を持ったが、一般の研究者が十分納得していることでも、この人たちにとっては物が見えない限り、理解したことにはならない。この見えないと違和感を持つという精神性から多くの発見が生まれたことは間違いない。
この点では私も一般の科学者になり、例えばこのブログで紹介したゲノムの構造化の話も、Hi-Cのような方法から計算される極めて抽象的な結果に基づいて話をし、また十分納得してしまっている。しかし、生粋の形態学者にとっては見えない限りそう簡単に信じられないようだ。
今日紹介する米国・ソーク研究所からの論文はDNAが巻きついているヒストン複合体の一個一個を全て可視化して染色体の構造を見るための方法の開発研究で7月28日号のScienceに掲載された。タイトルは「ChromEMT: Visualizing 3D chromatin structure and compaction in interphase and mitotic cells(ChromET:間期と分裂期の細胞の3D構造とコンパクションを可視化する)」だ。
クロマチンを可視化したいならヒストンを染めればいいのではと思ってしまうが、この場合分子量の大きな抗体を使うことになり、ヒストン複合体そのものを可視化する目的には合わない。
この研究では、様々な蛍光化合物の中からDNAに結合し蛍光を発するとともに光に反応して活性酸素を生産し、その結果酵素染色に用いられる基質DABの沈殿を周りに合成する化合物DRAQ5を特定している。DABの沈殿はDNAが巻きついているヒストン複合体にも及ぶため、これをオスミウムで染色することで、電子顕微鏡で高解像度でヌクレオソームが可視化できるという原理だ。
DRAQ5の開発がこの研究の全てと言っていいだろう。あとは、様々な細胞を用いてヌクレオソームがどう見えるのか、電子の照射軸を8段階に変化させるトモグラフィー電子顕微鏡を用いて3D画像を合成し、詳しく検討している。ただ、形態学の素養のない私にとっては、TADのような抽象的指標と対応させないとなかなか理解し難い点が多かった。
それでも、一つのヌクレオソームの大きさが5nm-24nmまで結構多様なサイズであるのは面白い。すなわち巻き付き方が一様でないのだろう。また、タイトなクロマチン構造を持つ場所はたしかにヌクレオソームの密度が高く、小さなヌクレオソームが増えていることも示されている。
他にも、分裂期では染色体全体がDNAとは無関係の足場を使って構造化されており、微小管との関係も可視化できる点など、私でも理解できた。
いずれにせよ、次は形態学と抽象的な学問との連携が目指されるだろう。月田さんのように両方兼ね備えた研究者もいるが、やはり両方がもっと交流を深めて、ゲノムの構造化の原理を解明して欲しいと思う。
2017年8月2日
様々な疾患の遺伝的原因を特定するため、ゲノム領域の一塩基多様性(SNP)と疾患との統計学的相関を調べる研究(GWAS)が21世紀に入って急速に進展した。この結果が、例えば遺伝子に基づく体質検査につながっているが、実はこうしてGWASで特定されたSNPが疾患発症に関わるメカニズムはほとんど明らかになっていない。すなわち統計学的なリスク計算はできるが、なぜそうなるかはほとんど想像の域で止まっている。従って、多くの予算を使ってリストしてきたSNPの意味を調べることは今後の重要な課題になっている。
今日紹介するハーバード大学からの論文は統計学的解析としてのSNPを疾患メカニズム理解につなげるのに成功した典型的な研究で7月27日号Cellに掲載された。タイトルは「A genetic variant associated with five vascular diseases is a distal regulator of endothelin-1 gene expression(5種類の血管病変に関わる遺伝的変異はエンドセリン1遺伝子発現を調節する遠位の調節領域)」だ。
GWAS統計学を疾患メカニズムに結びつける研究が新たに進展できる背景には、様々なヒトゲノムデータベースが整備されてきたことがある。この研究でも様々なデータベースを飛び回って、6番染色体上の6p24領域に特定されていた様々な遺伝子多様性の中からr9349379と特定されているSNPのG型が血管内皮の病気と最も高い因果性を示すことをまず確認している。
次にこのSNPと病気との関わりを英国のバイオバンクのデータを使って調べ血管内皮に関わる病気だけと強い相関を示すこと、さらに血管の機能検査を行った大規模コホートデータを用いて、血管内皮の外圧に対する反応以上とG型SNPが関わることを明らかにしている。
すなわちこの領域が血管内皮で働いている必要があるが、それを調べるためヒストンのアセチル化状態を血管のデータが含まれる遺伝子発現調節に関するデータベースを用いて調べ、この領域に結合しているヒストンが血管内皮で強くアセチル化され、血管内皮で働いていることを明らかにしている。
このように、現在ではデータベースサーフィンによって、ここまで研究を進めることができるが、最後の詰めは実験が必要になる。
この研究では血管内皮への誘導が可能なヒトiPS細胞からCRISPR/Cas9を用いて、まずこのSNPを含む領域80bを除去すると、様々な遺伝子の発現が変化するが、これらはこのSNPの比較的近くにあるエンドセリン1遺伝子の発現が50倍に上昇する結果であることを突き止める。すなわち、この領域はエンドセリンの発現の抑制に関わっている。
さらに、今回特定したSNPのAA型とGG型を持つiPSをCRISPR/Cas9で作成、IL-1で刺激した時のエンドセリン遺伝子の発現がGG型で強く上昇することを確認している。
そして、エンドセリン遺伝子から比較的遠く離れたこの領域が本当にエンドセリン遺伝子の発現調節に関わるかを、遺伝子同士のコンタクトを調べる4C方法を用いて調べ、この領域が確かにエンドセリン遺伝子の近位調節領域とコンタクトするスーパーエンハンサーとして働いていることを明らかにしている。
最後に、健常人のデータベースを使ってGG型の人たちでは確かにエンドセリンの発現が上昇していることも明らかにしている。
今後この領域に直接結合する分子の特定など課題は残っているが、GWAS論文を医学的メカニズムへ発展させるためのお手本とも言える研究だと感心した。
2017年8月1日
今顧問をしているJT生命誌研究館のウェッブサイトでも月2回ブログを掲載しており、21世紀生物学の重要問題について自分なりに考えている。ゲノムの構造化、無生物から生物、脳と意識、とこれまで全く経験のない分野をまとめてきた上で、現在は言語の発生の問題に取りかかっている(
http://www.brh.co.jp/communication/shinka/)が、調べるほど言語と道具使用の相互作用の重要さが実感される。事実、言語の発達とともに道具は急速に発展する。
しかし、精巧な石器を作るためには、言語だけではなく、器用な手を動かすための神経系を用意する必要がある。これについて私は、手を使う猿の進化の結果、新しい運動神経系が生まれてきたとすっかり思い込んでいた。実際手を支配する大脳皮質は大きな領域を占めており、脊髄での運動神経もずっと複雑な走行を示している。
ところが今日紹介する米国シンシナティ小児病院からの論文を読んで、考えを改めた。タイトルは「Control of species-dependent cortico-motoneuronal connections underlying manual dexterity(手の器用さに関わる皮質運動神経結合の種特異的コントロール)」で、7月28日号のScienceに掲載された。この研究の責任著者は吉田さんという方で、おそらく日本の方だと思う。
実際、マウスと人間を比べると、皮質からの神経の脊髄での走行が手を支配する脊髄上部では大きく違っており、脊髄腹側及び側部から運動神経と結合する皮質神経(vlCST)がマウスでは存在しない。吉田さんたちは、マウスでも生まれた当初はこの経路が存在するのではないかと考え、筋肉から逆行性に神経をラベルする方法を用いて、期待通りvlCSTが生後数日存在するが、その後消失することを発見する。
次に、このvlCST消失の原因が神経の伸張を阻害する分子として有名なPlexinA1とSemaphorin6の発現による反発作用によるのではないかと考え、CST特異的にPlexA1をノックアウトした。すると、期待通りマウスでも生後のvlCSTの消失が防がれ、人間と同じようにvlCSTによる運動神経支配が成立したまま大人になる。そして手の動きが器用さを測るために独自に開発した方法を用いて、vlCSTが残存するマウスでは、手が器用になっていることを示している。
これだけでも十分楽しめるが、最後に人間でvlCSTの運動神経支配が維持されるのがplexA1の発現抑制によるのではと考え、サルや人間に特異的なplexA1発現調節領域を特定し、人型の調節領域では皮質第5層の神経での発現が抑制されていることを示している。
結論的にはマウスも実際には器用に生まれており、ただ必要ないため無駄な神経支配を整理したという面白い話になる。
読んでいてマウスとサル、人間は比較的近縁だが、ずっと離れているナマケモノなど枝をしっかり掴む動物ではこの経路はどうなっているのだろうと、ふっと思った。
2017年7月31日
これまで何度もDNAはTADと呼ばれる区域に正確にわけられ、遺伝子の転写を調節するメカニズムを小さな領域に制限するようできていることについて、論文を紹介してきた。このゲノムの構造化に関る論文を読むと、染色体ごとに対応する長いDNAを折りたたんだり、ほどいたりを正確に繰り返すメカニズムに驚嘆するが、私たちが「紐」を相手にするとき直面する、紐がもつれてダンゴになる問題はここにもあるようだ。
今日紹介する米国NIHからの論文はTADを形成する過程で紐をたぐるときにもつれを外すのがトポイソメラーゼ2(TOP2)で、この分子がうまく働かないとDNA鎖にストレスがかかり切断するという研究で、7月27日号のCellに掲載された。タイトルは「Genome organization drives chromosome fragility(ゲノムの組織化により染色体の脆弱性がおこる)」だ。
もともと小さく折りたたまれているDNAは転写や分裂のたびに構造を変化させるが、このときTOPはDNAのねじれをほぐす重要な働きをしている。実際、TOP2の機能が抑制されるとDNAの切断箇所を修復できない。これを利用してエトポサイドと呼ばれるTOP2阻害剤をガン治療に使っている。
切断されたDNAの修復を止めるエトポサイド(ETO)の作用は、細胞死だけでなく、場合によっては切断面同士が結合する染色体転座をひきおこす。実際、リンパ球をETOで処理すると、様々な転座が起こり、白血病が発生することが知られている。不思議なことに、ETOは非特異的な阻害剤であるにもかかわらず、なぜ同じ場所の転座が繰り返し起こるのかについてはよくわかっていなかった。
この研究はETOにより誘導される白血病転座の選択制を明らかにすることを目的に始められている。白血病細胞を用いてETO処理でTOP2の機能を抑えた白血病細胞でDNA切断が起こる場所を調べると、これまで白血病転座が起こる場所として特定された場所に切断が入っていること、およびその場所にTOP2とTADの境界に結合するCTCF結合部位とほとんど一致することを見出す。おそらくこの結果から、TAD形成時のDNA鎖のねじれを治すため、TAD境界にTOP2が結合するが、ねじれ自体によりDNA鎖が切断されるため、TPOP2がETOで抑えられると、切断部位同士が結合する染色体転座が起こるというシナリオを思いついたのだと思う。
あとは、
1) ETOにより誘導されるDNAの切断はTOP2作用の抑制による、
2) このときのTOP2の作用は転写や分裂とは関係がない、
3) TOP2はCTCFとコヒーシンが結合しているTADの境界に結合している、
4) 領域間の接合が高いTAD境界領域、すなわちDNAのもつれが激しい領域でDNA鎖の切断が多いこと、
などを示し、
コヒーシンとCTCFによりDNAがたぐられる時DNA鎖にストレスがかかりDNAがちぎれるため、TOP2が同時に存在し、そのストレスを解消しており、これをETOで抑制すると、DNA鎖の切断が修復されず残る。このサイトは厳密にTAD境界に存在するため、特異的な場所同士の転座が起こるというシナリオになる。
この話を聞くと常にダンゴ担った紐が頭の中に浮かんでしまっていたが、今後はこのもつれを解いて、論文を読めそうだ。
2017年7月30日
2ヶ月ほど前、どのメディアか覚えていないが、DNA複製時のエラーを修復する酵素の機能が失われたか、あるいはマイクロサテライト不安定性が見られる全ての固形ガンを、メルクの抗PD-1抗体キイトルーダの対象とできることをFDAが認可したというニュースが報告された。これを聞いた時、「適切なポイントに注目して適用を広げているな」という印象を持った。というのも、我が国でもどの患者さんにPD-1抗体の治療を行うかについて議論が行われており、適用を決めるためのマーカーを探そうという動きも行われているが、この治療が、結局はガンに対する免疫が成立している患者さんにしか効かないこと、またガンに対する免疫は、突然変異の数の多いガンほど成立しやすいというこれまで蓄積されている(私でも論文を通して知っている)結果を積極的に使おうという話は聞こえてこなかった。しかし、5月の報道の通り、メルクは事実に症例を絞り着々と準備を重ねていた。
今日紹介するジョンホプキンス大学とメルクの共同論文は、すでにFDAに認可されている。PD-1抗体治療の適応を決めるための分子マーカーとしてのミスマッチ修復酵素の変異をクレームする時の下敷きとなったデータを改めて論文に仕上げたもので、7月28日号のScienceに掲載されている。タイトルは「Mismatch repair deficiency predicts response of solid tumor to PD-1 blockade(PD-1阻害に対する固形ガンの反応性をミスマッチ修復酵素の欠損が予測できる)」だ。
はっきり言って、まとまりのない論文だなという印象だ。
研究では部位を問わず固形ガン患者さんの中から、ミスマッチ修復に関わる4種類の遺伝子のいずれかに生まれつき変異を持つ人を選び、PD-1に対する抗体治療を行っている。この研究では、変異のないコントロールを全く置かない観察研究だが、それでも86例中66例でガンの進行を抑えることに成功し、すっかりガンが消えたのが21%、部分的効果がえられたのが33%、ガンの縮小はないが病気自体が安定したのが23%で、悪化したのは14%に過ぎなかった。そして、二年以上悪化が見られないのが6割近くに達している。観察研究とはいえ、この結果は赫赫たる成果といえ、おそらくこれを基礎にFDA の認可が行われたのだろうと思う。
あとは、腫瘍が退縮したケースのガン組織のバイオプシーにより、ガンの退縮の確認、病理的瘢痕像などの確認、最初から反応しなかったケースのエクソーム解析、原発巣と転移巣の比較を行っている。残念ながらなぜ効果が得られなかったのかについて、ガン側の明確な理由は見つかっていないが、転移巣と原発巣の比較では、転移巣ではなんと1000近くの新しい突然変異が加わっていることを示し、ミスマッチ修復が障害されると急速に突然変異が蓄積することも確認している。
ケースを選んで経過中のエクソーム解析も丹念に行っており、急に悪化する場合これまで報告されているようにβ2ミクログロブリン遺伝子の変異が腫瘍抵抗性の原因になることを示している。
加えて、一部の症例について、ガン組織では特定のT細胞受容体が濃縮されていること、またネオ抗原の特定、ペプチドに対する反応などを明らかにし、チェックポイント治療によりガンに対するT細胞の反応が本当に誘導され治療につながったことを示している。
最初から細かく計画を立てず、患者さんの経過に応じて検査を重ねるといったスタイルの研究で、完成した研究というより、経過報告といった感じの論文だ。それでも、ほとんどの固形ガンを視野に入れ、突然変異の数から免疫に使えるネオ抗原とリンクさせた点は、PD-1の新しい展開になるだろう。この研究はさらに続くだろうし、実際に臨床応用が進みこの結果の確認はすぐ行われるだろう。
繰り返すが、PD-1治療の成否はガン免疫の誘導ができるかどうかにかかっている。この当たり前のことを考慮した、最もストレートな分子標的による適用の決定法の開発を本家の我が国でも開発して欲しいとおもう。
2017年7月29日
アルツハイマー病の原因遺伝子として最も研究されているのが、脳内に蓄積するベータアミロイド分子自体の変異と、BACEで切られたベータアミロイドをさらに短くするγシクレターゼの構成成分プレセニリンの変異だ。特にプレセニリン1、2の変異については200に上る変異が知られている。すなわち、これらの変異でアミロイドの切断がうまくいかないと長いアミロイドが形成され蓄積、プラークができるという話で皆納得していた。しかし、生化学的な詳しい検討はあまりなされていなかったようだ。
今日紹介するベルギーカソリック大学からの論文はβアミロイドとγシクレターゼ複合体の生化学を丹念に行い基質と酵素の結合安定性がプラーク形成につながるアミロイド形成の鍵になっていることを明らかにした論文で7月27日号のCellに形成された。タイトルは「Alzheimer’s causing mutation shift Aβ length by destabilizing γsecretase-Aβ interaction(アルツハイマー病を誘導する突然変異はAβとγシクレターゼの相互作用を不安定化させAβの長さをシフトさせる)」だ。
基質と酵素の反応を扱った極めて地味な仕事に見えるが、読んでみると論理的で説得力があり、専門ではない私も十分納得できるように論文が書かれている。
まずAβの前駆体(APP)がBACEで処理されると次に膜上でγシクレターゼにトラップされ、49番目、46番目、43番目、そして40番目が順番に削られる。試験管内実験系で温度を上げていくと、短いAβはほとんど切られなくなる。一方、APPや同じγシクレターゼの基質Notchは、温度の影響がより少なく、反応は安定していることがわかる。
すなわち、基質と酵素の安定性が重要であることがわかるので、膜上のγシクレターゼ複合体全体を再構成してAβとの反応を調べると、温度は一定でもAβが短くなるほど切られにくくなることを発見する。様々な実験の結果、APPがγシクレターゼに捕捉されると、順々に切断されるが、その際γシクレターゼとの結合力が順々に弱まるので、他の複合体の分子がなんとか結合を助けて最後まで切断が進むようにしている。この反応が突然変異などで途中で止まると、Aβは膜から遊離、完全に切断できていないと沈殿してプラークを作るというシナリオになる。
実際、プレセニリンの突然変異分子を使って反応を調べると、Aβとγシクレターゼの結合が不安定化されるため、結局Aβが離れてしまうことを示している。
興味を引いたのはプレセニリンの様々な突然変異を用いてAβとの乖離温度を調べると、見事に発症時期と温度の高さが一致することで、長い時間をかけて蓄積するような小さな変化も、酵素反応的にしっかり説明できることを示している。
最後に温度をあげた反応系を用いることで、この結合を安定させる化合物を特定できること、また細胞やマウスの脳内でも、発熱により不安定性が高まりAβが沈殿することを示し、将来の臨床への方向性を示している。
オーソドックスな生化学の仕事からこれほど面白いシナリオが生まれ、さらに将来の創薬可能性まで示されたことに脱帽。長期に服用可能で、安全なγシクレターゼの安定化化合物となると、かなり開発は難しそうだが、しかし可能性はある。ぜひチャレンジしてほしい。
2017年7月28日
コンピューターで素子間をつなぐ連絡と比べると、神経細胞ははるかに遅い反応しかしない。この反応を維持するために、神経興奮やシナプス伝達に必要とされる以上のエネルギーを細胞の恒常性維持に使わなければならない。この激しい代謝のおかげで、脳内の神経の活動を、グルコースの取り込みの変化や、機能MRIで捉えられる血流の変化として私たちが捉えることができるわけだが、神経伝達という一点から見れば無駄が多く、ICなどと比べると冗長の塊みたいな存在だ。今、将棋や碁でコンピュータ(実際にはアルゴリズムは人間が書いている)が勝ったと言っているが、これは当たり前のことで、コンピュータは早くて疲れないが、私たちの神経細胞は冗長で、働けば働くほど疲れてしまう。この意味で、脳をそのままコンピュータになぞらえるのは本質を見誤るような気がする。
これを確信させてくれる(というのは私の思い込みだが)、素晴らしい論文がハーバード大学からNatureに発表された。タイトルは「Distinct timescales of population coding across cortex (異なる時間スケールを持つ神経集団コードが大脳皮質横断的に働いている)」だ。
この研究の目的は私が前書きで述べたような脳とコンピュータの違いを調べることではなく、一連の行動がおこる時、近くにある神経細胞間で見られる興奮の連結の機能的意味を明らかにすることだ。おそらく、頭の中で答えがあったのだろう。これを証明するための凝った実験系を確立している。
マウスを用いた実験で、課題は音が聞こえる方向に動くという単純な行動だ。この時の脳活動を記録するため、聴覚野皮質と前頭前皮質を長焦点の2光子顕微鏡でモニターする。モニターのためにはマウスを自由に動かすことはできないので、なんと球状のトレッドミルにマウスを乗せ、音の方向へ歩いても位置がずれないよう工夫している。ゲーム世代の感覚で、バーチャルな行動野を作り出している。さらにこの研究では記録したすべての神経活動からコンピュータモデルを作り、神経活動を単純に提示するのではなく、モデルから計算される情報量や情報量を変化させる要因(これが神経間の連結として計算される)を指標に、解析を行っている。3番目については、私の最も苦手な点であることを断っておく。
この方法で、刺激に関する情報はほとんど聴覚野の神経活動に存在すること。一方、どちらに動くかについての情報は聴覚野と前頭前皮質両方に存在することをまず明らかにする。
この時、聴覚野で音を聞いた時の情報処理は、単純に迅速に行われ、神経細胞間の連結が行われないようにできているが、行動を選ぶ際の前頭前皮質での情報処理は各神経細胞が多くの神経と連結していること、そしてこの連結により、神経細胞の反応自身は短い持続しかないが、連結することで秒単位の持続が可能になっていることを示している。すなわち、音のシグナルが行動を決めるまでの時間十分維持され、正しい行動がとれることを明らかにした。
私は素人だが、神経細胞を連結させることで、単純な伝達とは異なる、多様な時間スケールの神経活動が可能になることに感激した(単純すぎるかも)。
実験の仕組みは大掛かりだが、結果は現象論で止まり、メカニズムについては全くわからない。ただ、小さな領域での連結なので、次は光遺伝学を使って、連結ができない時の実験などが行われるだろう。
繰り返すが、私たちの神経細胞は命令されなくとも、自ら冗長性を形成できる。これが真の脳コンピュータ実現には必要だろう。