2020年6月27日
南極に残された樺太犬タローとジローの話は、今も私たち世代の心に残る話だが、ソリ犬は何千年もにわたって極地に生きる人類を支えてきた。おそらくスノーモービルなどの普及で、犬ぞりの使用は減ったと思うが、イヌイットなどの生活には今も欠かせないのではないだろうか。このようにソリ犬ゲノムは極地でのソリの牽引に向く様人間により選択されてきた結果を反映している。
今日紹介するデンマーク・コペンハーゲン大学からの論文は、シベリアのZhokhov島から出土した9500年前の遺跡に残るソリ犬と、シベリアから出土した3万年前のオオカミのDNAを解読して、ソリ犬が家畜化された過程を調べた研究で6月27日のScienceに掲載された。タイトルは「Arctic-adapted dogs emerged at the Pleistocene–Holocene transition (極地に適応した犬は更新世から完新世に移る時期に出現した)」だ。
この研究ではまず、9500年前には家畜化されていたと考えられるシベリアのおそらくソリ犬と3万年前のオオカミのゲノムをグリーンランドに現存する10匹の現代ソリ犬のゲノムと比較して、それぞれの関係を比べている。
結果だが、9500年前のソリ犬ゲノムは、現代のソリ犬ゲノムに極めて近く、ソリ犬は9500年より前に、Zhokohov島のソリ犬の先祖を共通の祖先とする一群の系統であることがわかった。また、ゲノムの共通箇所から、更新世ではソリ犬の先祖と狼との交雑が起こっていることも明らかになった。しかし、現代のオオカミとのゲノムの共通性はほとんどなく、家畜化されてから完全にオオカミとは分離して系統維持されてきたことがわかる。また、系統が分岐してからソリ犬と他の犬との交雑はあまり行われていないこともわかった。
最後に他の犬と比べた時に選択された遺伝子をゲノムの中から拾い上げると、他の犬の系統と比べ、デンプンを分解する遺伝子が狼に近い。一方、脂肪代謝にかかわる遺伝子群は極地型を示しており、脂肪成分の高い、デンプンの少ない食事で進化してきたことがわかる。
他にも、血管の緊張性に関わる遺伝子、痛み受容体などの温度感受性に関わる遺伝子、さらには筋肉収縮に関わるカルシウムチャンネルなど、極地のソリ犬特有のゲノムについても明らかにしている。
以上が結果で、動物のゲノム研究としては驚くほどの話ではないが、更新世から完新世の境目で人間が極地でどの様に暮らしてきたのかを考える上では貴重な資料になっている。例えば、極地では狩猟のために長距離の移動が行われたと推定される証拠が多くあるが、これらは犬ゾリという優れた輸送手段に支えられたと思う。実際、高速で回る車輪を開発するより、ソリの開発はずっと容易だっただろう。この様に、人間の歴史を家畜ゲノムから読み解くのも面白い領域だと思う。
2020年6月26日
山中iPSは体細胞を一度多能性幹細胞に分化を戻してから、もう一度目的の細胞へと分化を誘導して、再生医学に利用している。これに対してdirect reprogramming、すなわち組織中の体細胞を操作して、他の細胞に変換するリプログラムの方法が昔から提案され、研究が進んでいると思う。ただ、効率などの点で、臨床応用が可能だと確信できる方法はまだ確立していない様に思う。
今日紹介するカリフォルニア大学サンディエゴ校からの論文は中脳でアストロサイトを神経細胞へとリプログラムしてパーキンソン病を治療する方法開発についての研究で、臨床応用も可能ではと感じた。タイトルは「Reversing a model of Parkinson’s disease with in situ converted nigral neurons (パーキンソン病のモデルマウスを黒質局所でニューロンへ転換することで治療する)」で、6月25日号Natureに掲載された。
この研究グループは、PTBと呼ばれるRNA結合タンパク質が神経分化の転写ネットワークの鍵になっていることに注目し、アストロサイトのPTB転写を抑えることで神経細胞への分化を誘導できるという発見をから始めている。
一個のしかもRNA結合分子だけであらゆる過程のスウィッチを入れるというのは乱暴な考えに見えるが、1ヶ月という時間はかかるものの、半分以上のアストロサイトを機能的な神経細胞へとリプログラムできる。そして何よりも、中脳のアストロサイトを用いれば、ドーパミン産生細胞も分化してくる。
そこで、直接PTBのshRNAを脳内に注射して10週間待つと、8割近くの局所のアストロサイトが神経へと分化し、さらに機能的神経へと分化することがわかった。
中脳にこのshRNAを注射すると、12週間後には3割近い細胞がドーパミン神経へと分化することを確認している。すなわち、時間はかかるが、PTBをAAV+shRNAで抑制すると、脳局所でのアストロサイトを神経へと転換でき、その場所に応じた成熟神経、例えば中脳ではドーパミン鎮痙が出来てくる。
このドーパミン神経の機能を確認した後、黒質細胞を除去するというモデル実験系で、PTBを抑制するベクターを中脳に注射すると、
- 12週間でドーパミン産生細胞が3割程度まで回復し、
- これらの細胞は様々な神経結合を形成し、刺激依存的にドーパミンを分泌し、
- 様々な運動テストで、パーキンソン病症状をほとんど正常化できる。
ことを示している。
一つの遺伝子を抑えて、あとは果報を寝て待つという少し乱暴な方法だが、しかし単純であることが逆にこの方法の魅力だろう。何に分化するかわからないなどと目くじらを立てず、脳の可塑性に任せることも面白い気がする。重要なのはこの方法がパーキンソンに限らない点で、場所に合わせた神経ができるなら、用途も広がることが期待できる。
高橋さんたちの細胞治療は完全を最初から求めているが、この完全性を捨て、結果オーライを求める割り切りが、吉と出るか凶と出るか期待してみていきたい。
2020年6月25日
ウイルス感染を考える時、特定のウイルスについての感染とそれに対する反応に限定して考えてしまうが、人の一生を考えると、問題になっているウイルス感染より前に、様々なウイルスに感染し、その中には慢性的に私たちの体内に住み着くものまで存在している。そして免疫機能が正常であれば、それぞれのウイルスに対する抗体、T細胞免疫反応が起こり、その一部は記憶細胞として維持される。さらに重要なのは、新型コロナに対する反応でもわかった様に、それ以前の様々な感染経験が免疫記憶として維持され、新型コロナ感染にも動員される。
言ってみると、ウイルス感染は全て環境要因だが、この感染歴史が一種のアイデンティティーを形成しており、特定の感染症を考える時、各人の感染歴アイデンティティーを知ることは、新しい疫学の可能性を開くのではと考えられる。
今日紹介する米国国立ガン研究所からの論文はVirScanと呼ばれる原理的には無限のウイルス抗原に対する抗体を同時に計測する新しい方法を用いて肝臓ガンの患者さんに特徴的なウイルス感染歴を調べた研究で7月23日号のCellに掲載予定だ。タイトルは「A Viral Exposure Signature Defines Early Onset of Hepatocellular Carcinoma (ウイルスへの暴露歴は肝臓ガンの早期発生を定義している)」だ。
この研究の核は何と言ってもVirScanと呼ばれるウイルスに対する抗体を測定する方法だ。この方法は、現在知られている206種類(新型コロナは入っていないとおもう)のウイルス、1000種類にも及ぶ亜種を網羅するウイルス抗原遺伝子を挿入したファージウイルスベクターを用い、ファージの外殻に発現したウイルスエピトープに反応する抗体で免疫沈降し、沈降したウイルスを増やした後、それぞれのエピトープに対するバーコード配列をDNAシークエンサーで解析、配列の出現頻度から、各エピトープに対する抗体の有無だけでなく、量までも測定する方法だ。
もちろん多くの急性感染症ではウイルスに対する抗体は低下してしまうが、体内で抗体を刺激し続けるウイルスも存在する。この方法では、ある時点でのそれまでの抗ウイルス反応の総体が測定できる。
この方法で肝ガン、慢性肝炎、そして正常人を比べると、抗体が反応するウイルスエピトープから推定される感染歴はそれほど大きな差はない。ただ、それぞれのエピトープに対する反応を全て機械学習させ、ウイルス感染歴を数値化すると、同じC型肝炎ウイルスにより発生する肝ガンと慢性肝炎を高い確率で区別できることがわかった。一般的に、肝ガンを発生する患者さんは、インフルエンザやサイトメガロウイルスなど他のウイルスに対する高い抗体を持っている。
さらに重要なのは、肝ガンの死亡率がVirScanをもとに算出したスコアと相関する点で、様々なウイルスに感染歴がある場合、より悪性の肝ガンになりやすいこと、また悪性化率予測も現在最も使われているアルファフェトプロテインよりはるかに高いことを示している。
最後に、この指標と相関する遺伝的背景についても検討し、この指標がホストの何らかのウイルスへのかかりやすさと相関することも示している。
特定のウイルス感染を、不特定のウイルスに対する感染歴から解析するユニークな研究で、まだまだ検討を要する点も多いと思うが、面白い方向だと思う。おそらく、今回の新型コロナウイルス感染で得られた血清でこの研究を行えば、普通の方法では得られない新しい発見があるのではと期待できる。現在、膨大な数の感染患者さんの血清が、臨床経過とともに世界中に集まっている。おそらくすでに解析が始まっていると思うが、何が出てくるか期待したい。
2020年6月24日
ウイルス感染に対して私たちは抗体産生と、T細胞を介するキラーや炎症を介して反応するが、ウイルス感染が長引くとT細胞が消耗して反応が低下する。これは、いつまでも炎症やキラー活性が続かない様にする重要な反応だが、感染やガンと戦うためには邪魔な反応になる。このT細胞の消耗は抗原刺激によりT細胞が発現するチェックポイント分子の作用により媒介されており、このシグナルを止めて免疫を長続きさせるのがチェックポイント治療だ。
チェックポイント治療は現在ガンの治療に用いられているが、場合によっては長引くウイルス感染症などにも利用可能で、データはほとんど出てきていないが、新型コロナ感染症に本庶先生のオプジーボを用いる計画は治験登録サイトに早い時期から登録が見られた。
要するにウイルス感染でT細胞の消耗を抑えれば感染を抑えられる確率は上がる。今日紹介するドイツ ガンセンターからの論文は、この問題に筋肉量を高めるという意外な解決策を示唆する論文で6月12日号のScience Advancesに掲載された。タイトルは「Skeletal muscle antagonizes antiviral CD8+ T cell exhaustion (骨格筋は抗ウイルスCD8T細胞の消耗を防ぐ)」だ。
これまでもなんども紹介してきた様に、ウイルス退治の切り札が、感染細胞を殺してくれるキラーT細胞だが、このグループはT細胞の消耗を防ぐIL-15シグナル経路を刺激するIL-15/IL-15Rα複合体の発現がウイルス感染時の筋肉で上昇していることを発見し、筋肉ではT細胞の消耗が防がれる可能性に気が付いた。
この意味を探るために、筋肉細胞のIL-15遺伝子をノックアウトしたマウスにLCMVウイルスを感染させると、全身のPD-1陽性T細胞が増加し、T細胞が消耗する。実際、リンパ組織のCD8細胞と比べると、筋肉組織中のCD8T細胞は高い増殖能を維持している。LCMVウイルスは全身感染させているが、おそらく筋肉ではウイルス抗原や炎症がほとんどなく、T細胞の消耗が防がれる上に、IL-15/IL15RαがT細胞をさらに守っているからだろうと考えられる。すなわち、筋肉がCD8T細胞の心地よい隠れ家になっている。
この時IL-5遺伝子をノックアウトされた筋肉では、T細胞の浸潤が起こらないことから、IL-15シグナルの最も重要な役割は、ウイルス感染により刺激消耗しかけたT細胞を筋肉という隠れ家に呼び込むことといえる。
そして最後にTGFβ受容体を阻害して筋肉量を高めると、CD8Tの消耗をより防ぐことができることを示している。
以上が結果で、実際にはウイルス感染処理についてのデータが全くないので、この効果を少し割り引く必要があるが、そのまま受け取るとウイルス感染に対するキラー免疫は、筋肉を鍛えた人の方が高いことになる。
本当かどうか、疫学調査などで調べる必要はあるが、高齢者で重症化する理由の一つが筋肉の衰えかもしれない。
2020年6月23日
ゲノムから種を特定することが可能になり、腸内細菌叢の量や多様性をゲノム解析から測定することが可能になり、免疫や栄養状態と腸内細菌叢の状態との相関についての理解が急速に進んだ。ただこの方法で得られる相関を、生物学的因果性へと転換することは難しい。AIもあるのでそれでいいという考えもあるが、生物学者としては、最後は細菌叢を培養して、因果性を目指す研究を行いたいと思う研究者が出てくるのは当然のことだ。
今日紹介するプリンストン大学からの論文はできるだけそのままの形で腸内細菌叢を培養して、様々な機能解析と、その因果性解析に用いることができるか調べた論文で6月25日号のCellに掲載された。タイトルは「Personalized Mapping of Drug Metabolism by the Human Gut Microbiome (人腸内細菌叢による薬物代謝の個人別のマッピング)」だ。
目的は極めて単純で、「腸内細菌叢をそのまま培養できるか?」だ。ただ、何千種もの細菌が存在し、実際にはバイオフィルムも含めて構造化されている細菌叢を培養することは本当は難しい。従って、この研究ではゲノム解析での多様性を維持できるかどうかに絞って、培養法を開発するところから始めている。
もともと細菌培養とは多数の菌の中から特定の菌を分離培養することを指すが、この研究ではその逆をいっている。一人のボランティアの便を14種類の培地で4日間培養し、質量ともに元の大便に最も近い培地を探している。この結果、我が国で開発された岐阜嫌気性培地が再現率7割と優れていることがわかった。
次はこの方法を用いると、試験管内で因果性についての研究が可能かをテストしている。そのために、細菌叢により経口薬が分解されるという現在問題になっている点について、575種類の薬剤をそれぞれ細菌叢培養に加え、加えた薬剤とそれ由来の代謝物を検出している。結果の詳細は省くが、これまで予想されていた薬剤の変化だけでなく、培養を用いるとこれまで知られなかった分解や代謝が起こることがわかった。すなわち、この様な培養を用いて、投与する薬剤が細菌叢により分解されないかあらかじめ調べることができる。
次に、20人の異なる個体にこの解析を広げられるか調べている。ただ、岐阜培地でうまく行ったからと言って、他の人にも同じ培地が通用するかどうかわからない。そこで、10種類の異なる培地を用いて、比較的平均値に近い培地を探索し、最終的にBryant and Burkey培地70、岐阜培地30を混ぜた培地が最も適していると結論している。実際には、あらゆる可能性が試されない以上、この程度で妥協する必要があるのだろう。
その上で、様々な薬剤の分解について20人の細菌叢を調べている。例えばヒストンアセチル化阻害剤ボリノスタットの分解能は個人ごとに多様だが、強心剤ジゴキシンはほとんどの人が分解できるのに2例の例外があると入った具合で、予想通り、薬剤への細菌叢の影響が大きいことがわかる。
次に、薬剤の分解や代謝に関わる細菌種と分子の特定が問題になるが、これを現在知られているゲノム解析の結果から割り出すのは簡単ではなさそうで、どうしても関連する遺伝子が決まっている薬剤に限られてくる。
この問題を克服するために、この研究ではなんと100万個のバクテリアから発現遺伝子ライブラリーを作り、それを大腸菌に導入してできた機能分子ライブラリーに薬剤を加え、その分解や代謝に関わる分子を特定する可能性について、ステロイドホルモンの分解をモデルに示している。
要するに、できるだけそのまま腸内細菌叢を培養することで、生物学的因果性に関わる研究が可能であることを示そうとした論文だ。もちろん色々問題はあるが、この意気込みと、遺伝子発現スクリーニングまでやった徹底性に脱帽。
2020年6月22日
一旦存在が明らかになると、今度はあらゆるものが同じ様に見えてくる好例が相分離現象だろう。今や私たちの細胞の中は相分離した様々な液滴で満ち満ちている様だ。すなわちタンパク質がそれぞれの液滴に分離しているなら、分子量のずっと小さい薬剤の分布はどうなのか?
今日紹介するハーバード大学からの論文はこの問題にチャレンジした研究で、おそらく効果の高い抗がん剤を考える意味では極めて重要な貢献だと思う。タイトルは「Partitioning of cancer therapeutics in nuclear condensates (核内で相分離した液滴への癌治療薬剤の隔離)」で、6月9日号のScienceに掲載された。
この研究は転写やエピジェネティックスの大御所Richard Youngの研究室からの論文だが、Youngはスーパーエンハンサーの研究から、エンハンサー場での転写因子複合体の形成が相分離によると見抜き、この分野をリードしている。
まずスーパーエンハンサー(SE)を形成する転写因子をガン組織より調整した細胞で調べ、期待通り相分離が見られ、SEでの相分離が一般的な現象で
よく知られた5種類の転写因子とメディエーターMED1が相分離していることを確認している。
その上で、それぞれの転写因子が試験管内でも相分離すること、しかしこれらの系に蛍光分子などの小分子を共存させても、分離した駅的に濃縮されることはないことを確認している。
次に、MED1を含む5種類の転写因子の相分離実験系に、プラチナ化剤のシスプラチン、DNAのintercalatorミトキサントロン、エストロジェン受容体阻害剤タモキシフェン、CDK7阻害剤、そしてSEのBRD4を阻害するJQ1を加え、がんの治療薬なら相分離した液滴に濃縮されるか調べている。すると、全ての薬剤はMED1が相分離した液滴に分離すること、そして例えばJQ1、メトキサントロンはそれぞれBRD4 およびFIB1, NPM1にも濃縮されることを発見している。すなわち、普通の低分子と異なり、抗ガン剤の一部はMED1に濃縮され、SEにリクルートされることを示している。
この相分離液滴への濃縮は、非特異的なものでMED1に存在するアミノ酸の芳香環と薬剤側の芳香環の作用により起こる現象で、例えばシスプラチンによるDNAのプラチナ化を指標に調べると、MED1液滴に濃縮されることが活性に重要であることがわかった。そして、シスプラチンによりDNAがプラチナ化されるにつれて、SEが解消されることも明らかになった。
次に、乳ガンのエストロジェン受容体阻害剤について相分離の観点から、詳しい検討を行い、エストロジェン受容体はエストロジェンと結合することでMED1を含むSEに濃縮され、タモキシフェンはMED1液滴内で、このプロセスをブロックすることでエストロジェン受容体のSEへの濃縮を阻害している。その意味でタモキシフェンが濃縮され有効濃度が高まることに相分離は貢献しているが、MED1が強発現することで相分離の液滴が大きくなると、相対的に有効濃度が低下するため、MED1の発現が上昇した乳ガンではタモキシフェンの効果が低下することなど、これまで説明が難しかったことを見事に説明している。
結果は以上で、転写に効果がある薬剤をSEなど相分離液滴に濃縮させることで、より高い薬効が得られる可能性は、今後単純な薬剤動態だけでなく、相分離液滴への濃縮まで考えた薬剤開発が重要であることが理解される優れた研究だと思う。
もしかしたらコロナウイルスの分子も相分離という観点で見直したら面白いことがわかるかもしれない。おそらく、この可能性をテストしている研究者はいると思う。
2020年6月21日
今、我が国では、新型コロナについておかしな逆転現象が起きている。前にも批判したが、外出自粛や新しい生活様式といった本来なら政治家や経済学者が研究者のアドバイスをもとに語る内容を、医師や科学者が語り、ワクチンや治療薬についての見通しを首相や知事といった政治家が語っている。
一方ワクチンについては科学者内でも、期待できるとかできないとか議論がSNSで白熱している様だが、科学者として丁寧な説明にはあまりお目にかかったことがない。丁寧な説明ができるかは、開発したワクチンの免疫学的特性をどこまで正確に検証できるかにかかっている。逆に丁寧な説明がないと、とりあえず抗体ができるから、感染機会の多い医療従事者に使って効果を確かめればいいといった乱暴な議論が横行してしまう。
では丁寧な説明は可能か?今日紹介するオックスフォード大学からの肝炎ワクチンに関する論文を例に、これが可能であること、そして我が国のワクチン開発者も、自らの口で効果について丁寧な説明ができる様、十分な検証実験をする様促したい。論文のタイトルは「MHC class II invariant chain–adjuvanted viral vectored vaccines enhances T cell responses in humans (クラスII-MHCのインバリアント鎖を用いたウイルスベクターワクチンはヒトのT細胞反応を促進する)」で、6月17日号のScience Translational Medicineに掲載された。
抗体誘導を目的に開発された様々なワクチンの失敗から、ウイルス感染細胞を除去するT細胞を誘導するワクチンの開発が現在加速している。以前紹介した様に、うまくキラー型のT細胞(CD8T)が誘導できると、一種類のインフルエンザワクチンでほとんどの異なる系統のインフルエンザへの抵抗力ができる(https://aasj.jp/news/watch/12433)。
このT細胞免疫は抗体反応に必要だが、抗体反応とは独立に誘導される。例えばBCG摂取を受けたあと、結核菌に免疫ができているかどうかは決して抗体で検証しない。我が国ではほとんどの人が受けことのある、ツベルクリン反応(結核の抗原PPDに対するT細胞の反応を皮膚反応としてみる)で検証している。
このグループは、ウイルスに対するT細胞の反応を誘導する方法の開発を進めてきた様で、長い研究に基づき、人間にはほとんど自然抗体が見られない猿のアデノウイルスベクターを用い、抗原遺伝子に、細胞内で抗原の処理を高めMHCとの相互作用を高める、インバリアント鎖遺伝子を融合させた抗原をデザインし、T細胞の反応を高めるワクチンをにたどり着いた。
この研究では、このワクチンが期待通りウイルスに対するT細胞反応を誘導できるか、ヒトに接種して調べている。結論的には、ワクチン接種で様々な副反応が起こるが、全て軽度で終わること、抗体はほとんど誘導されないこと、長期にわたる強いCD4TおよびCD8T反応が誘導でき、またワクチン接種後のペプチドに対する2次反応も誘導でき、極めて有望であることを示している。ただ、ワクチンの有効性については有望という一言で済ませて詳細は割愛したい。
その代わりに是非紹介したいのは、ワクチンがT細胞反応を誘導できるかどうか、ヒトで確かめる方法が存在するという点だ。
この研究ではインバリアント鎖を融合させたワクチンと融合させていないワクチンを摂取した時、
- 末梢血にインターフェロンγ陽性細胞が現れ、長期間持続すること、
- 抗原に用いたタンパク質をカバーするペプチドを準備し、プールしたペプチドに対するCD4T、CD8T細胞の反応を調べると、インバリアント鎖を持つワクチンではるかに高いT細胞免疫が誘導されること、
- 一部のボランティアについては、MHCとペプチドの複合体を準備し、これと結合するT細胞の数までカウントし、34週間にわたって末梢血中の抗原特異的T細胞の数を数えることができる(なんとCD8Tでは20%が抗原と結合するレベルまで上昇する)こと、
を示している。すなわち、ワクチンに対するT細胞の反応をヒトで正確に検出できる方法が整っているということだ。
それでも、このワクチンがC型肝炎予防に有効かどうかは実際の臨床実験が必要であることはいうまでもない。
この研究から、我が国のワクチン計画を担う研究者へ以下の様に要望したい。
- インバリアント鎖の効果からわかる様に、免疫誘導を助けるアジュバントの仕組みがワクチンのキモになるが、これについてそれぞれの方法を正確に説明すること、
- 動物実験のみならず、ヒトの接種実験でも、ペプチドプールも含めて上に述べた検出方法を用いて、T細胞免疫誘導性について説明すること。
これは研究者自らが語るべきことで、いくら一般の人に知識がないからといって、政治家やメディアレベルの知識でお茶を濁して臨床応用へ突き進むことは許されない。
2020年6月20日
タイトルを見ただけで、実験やメッセージ、そしてその重要性が頭に浮かんでくる論文はまちがいなく面白い。今日紹介するスローンケッタリング癌研究所からの論文はまさにそんな例だと思う。
アンチエージングは今最も注目されている分野だが、実際の臨床で最も効果があるのがsenolysis(老化細胞を溶かす)と呼ばれる方法で、死にかけの細胞を積極的に除去して、新陳代謝を高めることで、組織を若々しく保つ方法だ。この方法は、一般の人が考える老化だけでなく、老化メカニズムが関与する様々な病気、例えば肺線維症や腎硬化症の進行を抑えるため、臨床的価値は大きい。
ただsenolysisを誘導する方法は限られており、遺伝子操作か、あるいは癌治療に使われる特異性の低いリン酸化阻害剤で死にかけの細胞を殺す方法しかなかった。実際、リン酸化阻害剤は腎硬化症や肺線維症に用いられ成果を挙げているので、全身性の老化にも効果があると期待できるが、やはり抗ガン剤を続けて服用するということになると、二の足を踏む人が多いのではないだろうか。
研究は6月17日号のNatureに掲載され、タイトル「Senolytic CAR T cells reverse senescence-associated pathologies (senolysisを誘導するCAR-T細胞は老化に関わる病理を正常化する)」だ。
タイトルからわかるようにsenolysisをCAR-Tにやらせようという話だが、CAR-Tについて少し説明しておこう。CAR-Tはキメラ抗原受容体T細胞の訳で、簡単にいうとキラーT細胞の抗原認識システムを遺伝子操作して、相手の抗原を認識する抗体に置き換えた細胞のことを意味している。白血病治療には、我が国でもすでに認可されており、白血病細胞表面上の抗原に対するCAR-Tを用いて、白血病細胞をほぼ完全に除去することが可能になっている。
この研究ではガンのではなく、老化細胞に特異的な細胞表面抗原に反応して老化細胞だけ殺してくれるCAR-Tを開発すれば、抗ガン剤を服用するより安全な抗老化治療ができるのではと着想した。この着想が研究の全てで、全く新しいCAR-Tの未来が開けたのではないかとすら感じる。
着想できれば、あとは細胞種類を問わず老化した細胞だけで細胞表面に発現が見られる抗原を探索し、この研究ではuPAR(ウロキナーゼ型プラスミノーゲン活性因子受容体)を特定している。
次に、uPARに対する抗体を作成、この抗原結合部分を持ったT細胞抗原受容体キメラ遺伝子作成、T細胞に導入し、uPARを発現した細胞を殺すキラーT細胞株を開発している。
あとは試験管内、生体内で正常細胞は殺さず、uPARを発現する細胞だけ殺すことを確認して、老化ガン細胞、肝臓障害後の線維化、非アルコール性肝炎による繊維化などを標的に前臨床研究を行い、繊維化を抑え病気の進行を止めることを明らかにしている。
以上が結果で、まだマウスモデルの段階だが大きな可能性を感じる。癌の周りの繊維化を抑えれば、膵臓癌の治療に使えるし、肝臓だけでなく、肺線維症、腎硬化症、さらには老化により発病が促進する骨髄異形成症候群など、応用範囲は広い。このシステムでは軽度ではあるがサイトカインストームが誘導されている。全身の細胞が老化し始めた高齢者に投与するときは、最初はかなり注意が必要だろう。
いまや新型コロナですらCAR-Tで感染細胞を根こそぎにしようという時代だ。チェックポイント治療と並んでガン免疫治療のシンボルになってきたCAR-Tは、さらにその可能性を広げようとしている。
2020年6月19日
古事記で日本を造ったとされるイザナギ、イザナミが兄弟姉妹の関係だったのかどうかは諸説あるが、人類誕生初期から近親相姦はタブーになってきたにも関わらず、神話ではこのタブーが破られるのは世界共通のようだ。ギリシャ神話のゼウスは二人の姉を妻にしているし、オペラファンなら馴染深いワーグナーのオペラに登場するジーグフリードは、神ヴォータンと人間の女性との間に生まれたなんと双子の兄妹ジーグムンドとジーグリンデの子供で、近親相姦の究極とも言える関係がわざわざ示唆されている。
ただ、ここまで極端でなくとも、神性を持つ王の一族では、我が国も含めて血統を守ることが重視され、近親婚も許されてきた証拠が多く存在する。このようなタブーからの例外がいつから認められるようになったのか、階層的社会の形成を理解するためには重要な課題だ。
今日紹介するアイルランド ダブリン トリニティーカレッジからの論文は、新石器時代の太陽光に沿った長い廊下を持つNewgrangeの巨大古墳(https://www.knowth.com/newgrange.htm)から出土した男性の骨のゲノム解析から、当時兄弟姉妹婚が行われていたことを示唆する研究で6月17日Natureにオンライン掲載された。タイトルは「A dynastic elite in monumental Neolithic society(新石器古墳時代(私の勝手な訳)の王族のエリート)」だ。
この研究の目的は近親婚の証拠ではなく、アイルランドという大陸から分離された島国での民族形成、特に新石器時代に農業が導入される時期の民族形成過程を明らかにすることだ。そのためにアイルランド各地から中石器時代2人、新石器時代42人の骨から分離したDNAの全ゲノム解析や年代測定、さらには成分分析を行い、民族内外の系統関係、当時の食事などを調べている。
従来の研究で、新石器時代の農耕は海を渡ってスペインから伝播したと考えられているが、アイルランドの新石器人は英国のそれとオーバーラップしており、海を渡って新しい人達が入ってきて、農耕が導入されることを示している。
他にも、農耕前の狩猟採取民のゲノムでは、アイルランドと英国や大陸との交流はほとんどなかったこと、一方当時陸続きであった大陸と英国では交雑が認められることから、農耕前には海が障壁として交流を阻んでいたこと、あるいは世界最古の21番トリソミーを持つゲノムの発見など、面白い発見が示されている。
しかしこの研究のハイライトは、何と言ってもNewgrangeの羨道墳で発見された男性の骨から、この男性が兄弟姉妹婚により生まれたことがわかったことだ。今回調べられた他の骨の解析から、身分の高いと思われる個体でも、近親婚の痕跡はなく、さらにはこの個体と親戚関係にあると推定される他の王族でも近親婚の痕跡は認められず、近親婚がタブーとして避けられていたことを示している。すなわち、この男性だけが完全な例外になっている。
もちろん1例だけなので、たまたまという話もできるが、この骨が有名なNewgrange 羨道墳から出土したこと、羨道墳では太陽の軌跡が古墳内を長く続く廊下に反映していることなどから、単純な例外ではなく、古墳に埋葬される王族は血縁関係を持つが、その中から神聖な儀式を司るメンバーが選ばれ、このメンバーでは純血を守るために兄弟姉妹婚が行われていたのではと推察している。
これを裏付ける一つの証拠として、英国中世では王が太陽の軌跡を司る能力を身につけるために妹と結婚するという伝説、あるいはDowthにある同じような羨道墳が「罪の丘」「近親婚の丘」と呼ばれていることも持ち出し、アイルランドで早くから極めて複雑な宗教と権力が一体となった社会が形成されていることを示している。
ゲノム解析が歴史解明にいかに有効化を示す新たな論文が付け加わった。
2020年6月18日
山中さんのiPSの登場で議論がほとんど中断したが、ヒトES細胞樹立に向けた倫理的問題を文科省で議論し始めた頃、ヒト胚の尊厳が3胚葉が形成される原腸陥入期に発生するとする考えが欧州にはあることを聞いたのを覚えている。この概念の起源についてはよくわからないが、個体の構造を細胞浮遊液へと解体してから、再構成する時、原腸陥入以降ではほとんど再構成できないので、細胞が個体に属するようになるという意味でこの概念が出たのかと考えていた。
今日紹介するケンブリッジ大学からの論文をは、ES細胞を用いたヒト胚培養で原腸陥入期を超えて体節形成期まで発生を誘導できるという研究だが、胚培養を原腸陥入期を超えて進めてはいけないというルールはヨーロッパでも消失していることがわかった。タイトルは「An in vitro model of early anteroposterior organization during human development(ヒト発生時の前後軸形成の試験管内モデル)」で、6月11日号のNatureに掲載された。
もともとES細胞からembryo body(EB)と呼ばれる凝集塊を形成させ、自発的に発生させる方法はポピュラーで、オルガノイド培養のルーツとして広く行われている。ただ実際のヒト胚と比べると、どうしても細胞分化のバランスが壊れてしまい、三胚葉は形成されても、実際の胚とは程遠い。
この研究ではES細胞をまずWnt刺激化合物Chironで1日処理し、その後細胞を凝集させ、Chironと笹井さんたちが開発したRock阻害剤で24時間培養するという方法を開発し、この方法ではEBがオタマジャクシのような形に伸び、この構造が一種のボディープランを持っていることを発見した。
この発見がこの研究のすべてで、実際マウスでも同じようなボディープランを持ったオルガノイドを形成することは難しい。これは培養に使う分化増殖因子がどうしても発生を捻じ曲げてしまっていたからと考えられるが、それをChironという化合物で置き換えることで、偶然とはいえ乗り越えた。実際、Chironの代わりにWnitを用いてもうまくいかない。もちろんよく使われるBMP4などでもボディープランの発生は観察できない。なぜかChironが持つ様々なシグナル系への副作用が、胚発生の絶妙のバランスを生みだしたことになる。
実際、この発生過程にWnt、BMP、nodalなど、初期発生に必須の分子に対する阻害剤を加えると、発生はうまく進まない。
このEBが伸びて造られる新しい構造では、3胚葉が形成されるだけでなく、細胞の集団の動きが原腸陥入をミミックし、最終的に前後軸を様々な分子マーカーで確認できる構造が形成される。そしてこの構造を前から後ろまで順番に切片として切り出し、それぞれの切片での遺伝子発現を見ると、分子マーカーが前後軸に沿って発現し、ボディープランとともに発現パターンが生まれるHox遺伝子の発現でもこのプランを確認できる。そして、この前後軸の形成を支持するオーガナイザーについても特定できる。
以上詳細を省いて、イメージだけを紹介したが、ES細胞から体の構造を作る試験管内実験系ができたことは重要だと思う。見たところ、前後軸はできても、背腹軸についてはうまくできていないので、次は両方同時に誘導する方法の開発が進められると思う。その結果、どこまで実際に近いヒト胚が形成できるのか、楽しみだ。