チンパンジーゲノムが解読されたとき、我が国では人間とほとんど変わらないことが強調された。サル学でも、人間とサルの共通性を求める方向があるが、この方向性を私は猿の惑星型研究と呼んでいる。一方、徹底的にサルと人間の違いを突き詰める方向性も存在する。例えばネアンデルタール人ゲノム解読の Pääbo さんと同じ研究所の Thomasello さんのサル学がそれに当たる。小さな違いを際立たせることで人間を理解する方向で、私はキリスト教の自然観をとって Scala Natura 型と呼んでいる。
同じように、類人猿、旧人類、そしてホモサピエンスまでのゲノムを比較して、小さな違いを見いだし、その違いを機能的に際立たせる手法で研究を続けているのがライプチヒの Pääbo さんと、ドレスデンの Huttner チームで、おそらく最初は2015年に紹介した ARHGAP11B 遺伝子ではなかったかと思う(https://aasj.jp/news/watch/3151)。最近では、同じコンビで細胞分裂マシナリーをネアンデルタール人と現代人で比べた論文も紹介した(https://aasj.jp/news/watch/20247)。この中から浮かび上がるのは、小さな機能変化が積み重なった土台に、新しい脳機能が創発してくるといったシナリオだ。
今日紹介する Pääbo-Huttner コンビの研究もこの流れ上にあるが、これまでと比べるとこれでもかこれでもかと徹底的な実験が行われている。タイトルは「Human TKTL1 implies greater neurogenesis in frontal neocortex of modern humans than Neanderthals(人類のTKTL1遺伝子は、現生人類の前頭新皮質の神経細胞増殖がネアンデルタール人より多いことを示唆している)」で、9月9日号の Science に掲載された。
おそらくネアンデルタール人と現生人類のゲノムで異なっている部位の精細なリストが出来ているのだと思う。その中から、脳に発現している分子の中から、今回はネアンデルタール人と現生人類でアミノ酸一つだけが異なっている、脂肪代謝と糖代謝を結びつける分子 TKTL1 に今回は焦点を当てている。Huttner さんは、神経幹細胞の増殖を研究してきた第一人者なので、この分子が radial glia と呼ばれる幹細胞の中の特に bRG で強く発現していることも、この分子を選んだ理由だと思う。まあ、神経発生のプロが選んだ分子なので、膨大な実験が行われており、結果は箇条書きで紹介する。
- 現生人型 TKTL1(hTKTL1) と旧人類型 TKTL1(a TKTL1) をマウス前頭葉に導入すると、hTKTL1 を導入した時のみ、radial glia のうち bRG の数が増え、bRG を起点に多くの神経細胞が生産される。
- フェレットを用いて同じ実験を行うと、同じように bRG が増殖、その結果、新皮質上層部の神経細胞の数が増え、脳回路の形態変化が起こる。
- 人間の脳オルガノイドを用いて aTKTL1 に置き換えると、bRG と神経の増殖が低下する。すなわち、hTKTL1 になることで、人間は皮質神経の数を増やすことに成功した。
- hTKTL1 による bRG の増殖は、脂肪代謝経路での TKTL1 の働きに依存しており、hTKTL1 は従来型より多くのアセチル CoA を合成する機能を持っている。
実際には代謝について、阻害剤を含めた詳しい検討が行われており、これまでの論文の中でも執念が感じられる。以前紹介した ARHGAP11B も代謝に関わる酵素だったし、今年紹介した KIF の話も分裂に関わる話だった。おそらくまず大事なのは、ともかく脳細胞を増やすことで、制限の中で、すこしづつ効率のいい分子を集めていくことでこれが可能になったのだろう。勿論、この研究の積み重ねがそのまま創発につながるわけではないだろう。しかし、ARHGAP11B をマーモセットに導入する実験を行うHuttner さんだ。今後、ヒト型に変化した様々な動物の脳機能の研究が示されるのだと思う。その時、猿の惑星型か Scala Natura 型かもわかるかもしれない。