「生命科学の目で見る哲学書」で現在取り組んでいるデビッド・ヒュームのまとめに時間がかかっている。ヒュームは経験論が陥る主観主義の罠を、因果性と蓋然性の概念を導入して克服した哲学者で、このアイデアは生命科学者から見て「ブラボー」と叫ぶしかないのだが、まとめるのが難しい。なんとか松の内の間にと考えているとき、今日紹介するカリフォルニア大学サンフランシスコ校からの論文に出会った。まさに、ヒュームが考えた因果性の経験についての脳科学が行われており、感心した。是非ヒュームの原稿にも使いたいと思う論文だ。タイトルは「Mesolimbic dopamine release conveys causal associations(中脳辺縁系でのドーパミン遊離が因果的関係を伝達する)」だ。
科学的因果性を少し忘れて考えて欲しいが、我々は日常の経験から様々な因果関係を抽出し記憶している。動物実験では、一種の条件付けも因果性の判断に入り、ベルが鳴って砂糖水を得る経験を繰り返すと、ベルと砂糖水に因果関係があると判断する。この二つのイベントの因果性の判断に、中脳辺縁系でのドーパミンが関わることが知られているが、従来はこの過程を、ベルの音による砂糖水への予測が生まれ、その予測の成否で記憶をアップデートして学習が進めると考ていた。すなわち、原因から結果を推定するのが脳の因果性判断のアルゴリズムだと考えられ来た。これは原因と結果の時間的関係を考えると当然の結果だと思う。
しかしこの研究は、結果から過去を振り返って原因を探るのが脳のアルゴリズムで、この過程に中脳辺縁系でのドーパミンが関わると仮説を立て、予測の成否から学ぶか、結果から原因を探って学ぶのかを、ベルと砂糖水の提供の仕方を様々に変化させ、ネズミの学習過程を記録するとともに、中脳辺縁系でのドーパミン遊離量を連続的に量る実験を繰り返して、区別している。
実際には、同じような実験はこれまで何度も行われ、予測に基づく因果性の学習仮説が形成されたはずなのだが、結果から学習する可能性をこれまで全く考慮していなかったため、区別するための適切な実験が行われていなかったというのが批判だ。
このようにどちらかを区別するための実験が全部で11種類考案され、全ての実験で、因果関係は結果から振り返って原因を探り学習することで判断されるという仮説が正しいことを示している。
実験を全部紹介するのは大変なので、2−3紹介しておこう。
- これまでの実験ではベルと砂糖水の間隔は一定に保たれていた。すなわち、予測が当たるか外れるかが問題で、ベルが鳴ってからどこまで待って予測の成否を決めるのかなどの実験は行われなかった。しかし、砂糖水までの間隔が長すぎると、間違っていたと判断し、記憶はリセットされる。一方、砂糖水という結果から振り返ってベルという原因を探す場合、原因と結果の時間差の影響は少なく、100%確信がある場合はじっと待てる。実際、ドーパミンの反応を見ると砂糖水までの時間が長くても決して落ち込まず、一定のレベルを維持するので、後者の可能性を支持している。
- ベルと砂糖水の間隔は同じでも、学習後砂糖水が来ない、あるいはベルの後砂糖水が何回も来るという設定の実験も行っている。この場合砂糖水が来ないと予測型学習では確信が低下するが、結果から振り返る場合、いくらベルが鳴っていても、砂糖水が出ない場合は学習効果にほとんど影響はない。一方、褒美が何回も来る場合は逆で、砂糖水が何回も来てしまうと振り返り学習の確信は低下するが、期待型には何の影響もない。この実験でも、行動やドーパミンの反応は全て、振り返り型学習仮説を支持している。
- ベルの後に異なるベルの音が鳴って、その後砂糖水が出るという課題の学習では、過去を振り返ると2番目のベルは1番目のベルにより鳴ると学習しており、最初のベルで砂糖水が来るという学習は、ドーパミンを光遺伝学的に抑制しても変化しない。
実験が複雑で、説明がわかりにくかったとお詫びするが、要するに私たちは因果関係について、原因から未来を予想することで学習するのではなく、結果から過去を振り返って学習していることを示している。
我々は原因と結果というと、時間関係が厳密に決まっていることを知っている。すなわち、結果が先にあることは決してない。しかしこのように、脳のアルゴリズムが常に結果から始まるとすると、最初から結果と原因の時間の逆転が起こっている。それでも因果性がはっきり学習できる場合はいいが、そうでない場合、世界という結果についての様々な神話に見られる原因論のような、自由な観念に委ねることになってしまう。私たちの脳はそのように出来てしまっているのだ。この点については、ヒュームも看破していたはずで、是非ヒュームとともに最後議論したい。