私たち人間は、乗り物を通して自分の能力以上の移動を行っている。例えば電車に座っているとき、特に歩いていないが窓の外の景色で動きを感じているし、電車の加速や減速に伴い、前庭器官を通しても動きの感覚を得ている。ただ人間の場合、現在電車に乗っているといる認識に基づくトップダウンの調節の寄与は極めて大きいと思う。これは動く歩道を考えてみるといいだろう。腰より下が見えないようにして前に歩いていて急に動く歩道に乗ったら殆どの人は転ぶ。しかし、「動く歩道に乗ることがわかると、同じスピードで歩いたままで、さらに例えば2km/hの速度が追加されても転ばない。
今日紹介するロンドン大学からの論文は、トップダウンの認識を完全に遮断した上で、動物が運動をどのように感じているのか、大がかりな方法で調べた面白い論文で、2月19日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「Motor and vestibular signals in the visual cortex permit the separation of self versus externally generated visual motion(運動と前庭シグナルから視覚野へのシグナルが視覚野で感じる運動が自発的か受動的かを区別する)」だ。
トップダウンの調節を排除すると、運動を感じるのは、視覚上の変化、前庭器官による加速度感覚、そして自分の運動についての身体感覚になる。ただ、これら全ての感覚を同時に記録するのは難しい。というのも広い空間を自由に動ける条件で、視覚インプットをコントロールしながら脳記録を行う装置は全くできないというわけではないと思うが、簡単ではない。そこで、トレッドミル上で運動させながら景色をそれに合わせて変化させる装置が用いられる。ただ、これだと前庭からのシグナルは変化しない。従って、頭の向きを急に変えると行った実験以外は3種類のインプットを全て追跡することはできなかった。
これに対し、この研究ではトレッドミル上で視覚インプットを変化させ脳記録を行う装置をなんと1.5m移動して前庭のシグナルを発生させられるステージの上に設置して3種類のインプットを生成している。
これを使うと、真っ暗でトレッドミルも動かない状態でステージだけが動くことで前庭感覚を刺激できるが、実際体が動きを感じると、視覚野神経が興奮する。それもほんの一部ではなく、25%程度の神経が活動することは、前庭の刺激が視覚野にも伝達され、視覚シグナルの調節をしていることがわかる。
実際、じっとしている状態で視覚インプットだけを変化させて起こる視覚野の神経興奮にステージを動かす刺激が加わると倍以上の神経が興奮していることがわかり、前庭からの刺激が視覚野の興奮閾値を大きく変化させていることがわかる。
一方視覚の変化にアジャストさせてトレッドミルを回し、マウスを走らせると、すなわち視覚インプットと運動感覚が合わさると、さらに2倍以上の神経が興奮する。面白いのは、このときステージを移動させても移動させなくても興奮する神経の数は変わらない。すなわち、自発的に運動している場合、前庭加速度センサーからのインプットは抑えられる。
とすると、視覚インプットと運動感覚だけがあれば移動に関する感覚は十分ということになるが、例えば視覚の変化と運動感覚の統一性がなくなるような状況、実験的には運動中に急にステージを動かす状態、そしてマウスの生活から考えると急に滑って移動速度が増したような状態、ではそのときだけ前庭からのシグナルも合わさってさらに多くの神経細胞の興奮が観察される。
この研究では視覚野への影響が研究されたが、実際には他の皮質神経でも、前庭及び運動からのインプットは神経興奮の閾値を変化させていることが示され、空間を移動する感覚が、我々の認識の基礎にあることを示している。
以上が結果だが、この研究の全ては研究装置の設計にあると思う。
RNA sequencing を中心とする single cell レベルの解析法の医学・生物学への貢献は計り知れない。特に、サンプル採取が難しい人間の研究のハードルが下がり、病気についての理解が急速に進展したことはこのブログで何度も紹介してきた。しかし、single cell 解析ではどうしても細胞をより詳細に分類することに目が奪われて、本質を見失うことも多い。
これに対し今日紹介するハーバード大学、エピジェネティック研究の大御所 Bradley Bernstein 研究室からの論文はグリオーマ組織に存在する骨髄球(ミクログリア、マクロファージ、単球、樹状細胞、顆粒球など)の single cell RNA sequencing データを細胞レベルで細分化するのではなく、カテゴリーに分けて整理しようとした研究で、2月26日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Programs, origins and immunomodulatory functions of myeloid cells in glioma(グリオーマ組織の骨髄球のプログラム、起原、そして免疫機能)」だ。
簡単にいってしまうと、この研究は抽象的な single cell RNA sequencing の結果を、これまでの血液学で行われてきた解析、すなわちそれぞれの血液系統(プログラム)の反応解析に近づけようとした研究と言える。どうしてこれまで、この方向での整理が進まなかったのか不思議だが、何度も行われてきただろうガンの微小環境の single cell 解析の中では、わかりやすさで特筆すべき研究と言える。
まず骨髄球の系列を決めているプログラムを定義するための遺伝子発現セットを特定し、先に挙げた5種類の細胞系列に分けている。脳なので、ミクログリアとマクロファージは分けられているが、あとは一般的な分類だ。
その上で、それぞれの系統での反応性を定義するための遺伝子セットを決めている。例えば、低酸素状態に晒されると全ての細胞で同じような転写プログラムがオンになる。これにより、骨髄球は系列を問わず、全身性炎症、局所性炎症、補完免疫抑制、貪食免疫抑制プログラムに分けている。さらに、組織レベルの転写解析法を用いて、それぞれのプログラムがガン組織のどこに発現しているのかも調べている。これにより、それぞれの機能プログラムが誘導される要因を整理できる。
まず、それぞれの系統はいずれの機能プログラムを発現できるが、ガン以外の組織では局所炎症性、あるいは貪食免疫抑制性プログラムは殆ど発現されない。すなわち、両者はガン組織特有の機能プログラムであるのがわかる。
脳組織の場合、脳内に限定されるとミクログリアと循環を通して移動してきたマクロファージを分ける必要があるが、通常のマーカーを使うのではなく、ミトコンドリアゲノム変異を single cell レベルで調べることでクローン標識として用いて区別している。これにより、ミクログリアには一部だがマクロファージが血液を通して移動し、ミクログリアに変化するものも含まれることがわかる。
このようにカテゴリー分けを行って丹念に見てみると、例えば全身性炎症プログラムを発現している細胞は、循環しているマクロファージがこのプログラムを発現したあとガン組織に浸潤しているのがわかる。また、ガン組織で強い低酸素状態が誘導されると、その結果として貪食型免疫抑制プログラムが誘導されることもわかる。そして、このプログラムが誘導されるガンの予後は悪い。
このようにガンと白血球の相互作用が詳しく解析されているが、詳細を省いて面白い結果を2つ紹介しよう。
一つは補完的免疫抑制プログラムで、これは脳内に限らず全身の細胞でも認められ、実際にはグリオーマ治療で使われるデキサメ鎖損により誘導されることがわかる。これも免疫抑制的なので、免疫治療を行うときにはデキサメサゾンの注視する必要があるのだが、残念ながらデキサメサゾンの効果が長く続くので、今後免疫治療のための重要な課題になる。
もう一つはこれらのプログラムがエピジェネティックな調節の結果として誘導されている点で、ガンの予後に悪影響のある貪食型免疫抑制プログラムは、p300/CBP を標的とする阻害剤で強く抑制できることを発見している。さらにこの阻害実験を基盤として、このプログラムが腫瘍組織の IL-1β により誘導され、AP-1 により支配される分子の発現により自恃されていることを示している。
当たり前とは言え、それぞれの系統プログラムと、反応プログラムを整理することで、single cell 解析がわかりやすく理解できることを示した、さすがにプロの目を感じさせる研究だと思う。