2025年12月28日
リタリンやコンサータという名前で知られるメチルフェニデートは1944年に合成され、1954年には臨床利用が始まった薬剤で、ノルアドレナリンとドパミンのトランスポーターを阻害して再取り込みを抑制することで、ドパミンやノルアドレナリン濃度を上昇させることがわかっている。処方薬だが、覚醒剤と同じ効果を持つため、処方できる医師を登録するなど厳しい規制下にある。事実リタリンは即効性の副作用のため使いにくかったが、徐放生のコンサータの出現で子供の注意障害などにも使われるようになった。
今日紹介するワシントン大学からの論文は、メチルフェニデートを服用している子供の機能的MRI画像を337例も集めて解析し、これまでメチルフェニデートの作用として信じられてきた注意ネットワークに作用するのではなく、脳の覚醒ネットワークと報奨ネットワークを活性化することを示した研究で、12月24日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「Stimulant medications affect arousal and reward, not attention networks(精神刺激薬は覚醒と褒賞回路を活性化するが、注意ネットワークには関わらない)」だ。
この研究は Adolescent Brain Cognitive Development (ABCD) と呼ばれる全米の1万2千人の小児を長期追跡したプロジェクトの参加者のなかで、メチルフェニデートを服用している300人近くの子供の fMRI画像の解析から、メチルフェニデートにより変化する脳の結合性を調べている。これまでも同じような研究は行われ、注意ネットワークが活性化されると信じられてきた。その結果として注意障害を示すADHDの子供に用いられてきた。ただこれまでの研究は、ほとんどの場合100人以下の小規模研究で、撮影時間も短く、条件も揃っていなかった。これに対し、ABCDはMRI画像の撮影条件を標準化し、画像の品質管理が厳しく行われており、これに合致する画像が300人以上得られるというのが大きな利点になっている。
この研究では平均化された脳画像から、parcel-wise map と呼ばれる機能的結合性を中心に、リタリンを朝服用した子供がその日検査に来た時に認められる変化を調べている。どの領域と詳しく紹介するのはやめて結論だけにするが、朝メチルフェニデート服用により誘導される変化は、覚醒状態の誘導と維持に関わる、すなわち目が覚めて頭がはっきりしていることに関わる領域の変化を誘導することがわかった。
ABCDコホートの素晴らしいのは他の課題についてのデータと比較ができる点で、活性化される領域の活動を睡眠との関係で見直すと、睡眠時間と相関して変化する領域と一致する。また、覚醒を誘導するノルアドレナリン受容体の数の多い領域とメチルフェニデートにより活性化される領域が重なることから、メチルフェニデートは注意ネットワークではなく、睡眠からの覚醒時に活性化される領域に働いていることを示している。
さらに、良い睡眠によりもたらされる学業や知能テストの成績向上と同じ結果をメチルフェニデート投与でも誘導することができる。そして極め付けは、寝不足で低下する知能テストの成績をメチルフェニデート投与で防ぐことができる。そして睡眠時間により変化する脳領域結合性の関係は、メチルフェニデート投与で解消される。
以上の結果から、メチルフェニデートの作用はこれまで考えられてきたように注意ネットワークの活性化ではなく、目が覚める時にノルアドレナリンが働くのとほぼ同じプロセスが起こっていると結論している。もちろん、これ以外にドパミンの濃度も上昇することから、報奨系の活性化も併せて起こると考えられる。
とすると、現在ADHDの子供に投与しているメチルフェニデートは、注意力を活性化しているというより、ADHDで起こりやすい睡眠不足症状を抑えているだけかもしれない。様々な分野で今年も多くの進展があったが、このように人間の脳の理解も着実に進んでいる。
2025年12月27日
病気の種類を問わず、特定の病気について一つのグループで全てのデータを産出するとなると限界があるが、最近のようにデータベースが整理されてくると、自分のデータを中心に、様々なデータを比較することが可能になり、single cellレベルの遺伝子発現やエピゲノムから、代謝物を調べるメタボローム、更には組織レベルでの遺伝子発現まで調べ尽くして、病気のメカニズムを探るスタイルのオミックス研究が盛んに行われるようになった。
今日紹介するMITからの論文は、高脂肪食を摂取させ続けることで誘導するマウス肝ガン発生までの過程の肝臓のオミックスデータ解析結果から得られる視点で、人間の代謝性脂肪性肝疾患や肝ガンのオミックスデータを見直し、代謝ストレスが早い段階から肝臓ガン誘導環境を形成することを示した研究で、12月22日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「Hepatic adaptation to chronic metabolic stress primes tumorigenesis(慢性的な代謝ストレスに対する肝臓の適応がガン発生を始動する)」だ。
高脂肪食と糖を摂取させることでマウス肝臓ガンが発生するという恐ろしい結果は2016年に報告されているが(Journal of Hepatology:65,579,2016)、この系を踏襲しながらも肝ガン発生までの経過を6ヶ月、12ヶ月、15ヶ月と追跡、全ての時点で単一細胞レベルのトランスクリプトーム、エピゲノム、組織レベルのトランスクリプトームを行い、この解析から得られる結果を、他のデータと比べる視座に置いたのがこの研究の最大の売りだ。ただ、オミックス研究の焦点を抜き出すのはなかなか難しく、読み進むうちに面白いと思った点だけを箇条書きにする。
- 面白いことにガンのゲノムの研究は全く行っておらず、基本的には代謝ストレスによりエピゲノムが変化し、その結果肝ガン誘導環境が整うという考え方に立っている。すなわち、代謝ストレス応答自体が肝ガンの原因になっていることになる。
- 代謝ストレス応答で、肝臓の本来の機能に関わるプログラムの発現は低下するが、Wntなどの増殖プログラムが更新する。この変化は1年齢で既にはっきりしており、肝ガン誘導の環境が形成される。
- この原因となる転写の変化は、Sox4とRELBの転写システムが上昇する事が原因となっている。また、これを指標に組織解析を行うことでガン発生の場所を明らかに出来る。
- 個人的に興味を引いたのはケトン体を作るHMGCS2分子の低下で、ケトン体が出来ず、コレステロールなどの他の脂質合成が上昇する事がガンのシグナルになっていることを明らかにしている。
- 人間の代謝性脂肪性疾患や肝ガンのデータベースと対照させると、組織学的に強い線維化がマウスでは存在しない点などいくつかの違いはあるが、特にSox4とRELBを中心とするストレス環境の成立、それによる肝臓の増殖優位プログラムの発現などはほぼ再現できている。
このメカニズムについては、ヒト肝臓培養細胞への遺伝子導入などを繰り返して、確認もしており、分子、機能、組織を組み合わせた統合的な研究で説得力は高い。個人的意見だが、生活習慣を改善して、代謝ストレスを抑える以外の介入方法は示せていないと思うが、肝ガンは生活習慣で起こるガンの代表として研究されていくと確信した。
2025年12月26日
エストロジェン受容体陽性乳ガンに対して、Palbociclib をはじめとするCDK4/6阻害剤 (C4/6i) を、例えばエストロジェン受容体を分解する fluvestrant などのホルモン抑制剤 (Eri) を組み合わせた治療は、進行性の乳ガンの抑制を可能にした革新的治療として広く利用されている。しかし治療を続けると、またしても治療耐性が発生することから、次の一手が求められていた。耐性乳ガンを調べると3-4割がPIK3CA分子の変異が見つかり、2-3割にPI3Kシグナルを抑制しているPTEN分子の欠損が見られることがわかってきた。事実 PI3K/AKT/mTOR として知られるシグナル経路の阻害剤は耐性乳ガンに対して効果を発揮し、現在様々な治験が進んでいる。
今日紹介する南デンマーク大学からの論文は、異なる変異を持つ C4/6i+Eri 耐性腫瘍に対するPI3K/AKT/mTOR 経路の異なる分子を標的にした阻害剤の効果を、人間の乳ガンを移植したマウスを用いて素朴に調べた論文で、研究としては古典的で、よくこのレベルの雑誌にアクセプトされたなと思うが、臨床の疑問に答えるという意味では重要な論文と言っていいだろう。タイトルは「Dual PI3K/mTOR inhibition is required to combat resistance to CDK4/6 inhibitor and endocrine therapy in PIK3CA-mutant breast cancer(PIK3CA変異を持つCDK4/6阻害剤と内分泌治療に抵抗性の乳ガンを抑制するためにはPI3K/mTOR両方に効果がある阻害剤が必要だ)」で、12月27日号の Science Translational Medicine に掲載された。
この研究ではまずPI3Kの構成分子PIK3CAの変異を持つ耐性乳ガンの試験管内増殖を、この経路の別々の分子、即ちPI3K阻害剤 (PI3Ki) 、AKT阻害剤 (AKTi) 、mTOR阻害剤(mTORi) 、そしてPI3K及びmTORの両方の阻害剤 (PMi) 、それぞれ薬剤の名前で言うと、alpelisib、capivasertib、sapanisertib、gedatolisibを、CDK4/6iとERiと同時に加えて調べている。結果は、試験管内の増殖はどの阻害剤を組み合わせても耐性ガンを完全に抑制することが出来た。しかし、同じ耐性ガンをマウスに移植して治療実験を行うと、全て一定の効果はあるものの、PI3KとmTORを両方阻害する gedatolisib のみが12週以上続く効果を発揮した。
一方、PTEN欠損による耐性乳ガンには、PI3Kより下流のAKTiやmTORiが効果を示した。
PIK3CA変異を持つ耐性乳ガンについては、さらにPI3KiとPMiを詳しく比べ、単独阻害では長続きせずPI3K+mTOR両方を阻害するPMiが必須であることを示している。
この理由については、PI3Ki単独ではAKTの再活性化によるリバウンドが起こることが知られているが、これに加えてPMiの場合HIF1αと言った他のシグナルが合わせて阻害されるため、効果が続くことを示している。
以上が結果で、まとめるとCDK4/6i+Eri耐性が発生した乳ガンの場合、遺伝子診断を行いPIK3CAの変異が見つかった場合は、PI3K単独阻害剤ではなく、PI3KとmTORの両方を阻害するPMiを使うべきだが、PTEN欠損による耐性獲得の場合はAKTやmTOR阻害剤を用いることが次の一手になるという結論だ。
PI3K/AKT/mTORシグナル経路のどの阻害剤を選べばいいのかという臨床からの疑問に答えてくれる研究として評価できるが、実際の臨床になると、この経路はインシュリンの作用にも密接に関わっており、強い服作用が予想される。従って、例えばPMiのようにPi3KとmTORの両方を阻害する場合、予想される代謝異常をどのようにコントロールするのか、医者の匙加減が試されるようになる。いずれにせよ、ここで検討された薬剤の多くは現在乳ガンでの治験が行われており、期待したい。
2025年12月25日
昨日に続いて新しい培養法確立論文を紹介する。今回はなんと別々に培養した子宮内膜の上皮と間質からなる3次元組織を作成して、この上にヒトの胚盤胞を乗せて、着床から胚発生までを再現できないかというチャレンジだ。米国スタンフォード大学、スペイン・ラフェ保健研究所、そして英国バブラハム研究所が共同で Cell に発表した論文で、タイトルは「Modeling human embryo implantation in vitro(ヒト胎児の着床を試験管内でモデル化する)」だ。
胚盤胞は子宮に戻すと着床して発生するが、をそのまま試験管内で培養すると、最終的には構造が失われ、培地の組成に応じて様々な細胞が増殖してくる。ES細胞はこの時、内部細胞塊だけをつまみ上げて培養することで樹立している。胎児の構造を保った発生過程は、着床過程を再現することでしか達成できない。即ち、着床する相手の子宮内膜構造を再現する必要がある。
この研究では健康女性の子宮内膜をバイオプシーで採取、まず上皮と間質を別々に培養する。次に子宮内膜の間質層をハイドロゲル内に間質細胞を閉じ込め、これをトランスウェルト呼ばれる、底の膜を通して栄養分が浸透する特殊な器に入れて培養する。このハイドロゲルには様々なコラーゲンなどマトリックスが加えられて、できるだけ子宮に近い環境を形成させている。この上に、オルガノイド培養で維持している子宮内膜上皮を撒くと、上皮にカバーされた間質層からなる立体構造ができあがる。
子宮内膜はエストロジェンとプロゲステロンに反応して着床の準備を行うが、この時子宮内膜に見られるほとんどの形態的変化(例えば上皮に繊毛が発生し、ピノポードと呼ばれる上皮の突起が発生する。また、子宮内ミルクと呼ばれる着床に必要な分泌分子の全てが合成されるのを観察できる。
さていよいよ胚の着床が可能かだが、数少ない胚と共培養する前に、ヒトiPS細胞由来の胚盤胞に似たブラストイドを加えて、着床と同じような強い接着を形成し、最終的に特徴的な分化細胞が発生することを確認した後、実際のヒト胚盤胞を加えて着床と発生を追跡している。この時、従来用いられてきた2次元培養法や、マトリックスとの培養などと、人工子宮内膜を用いる培養と比べている。
結果だが、半数が完全に着床し、その半数が構築を保ったままの発生が起こる。最も重要なイベントは、胚盤胞を包むトロフォブラスト内部にハイポブラストと呼ばれる卵黄嚢や羊膜を形成する細胞がエピブラストから発生してくることだ。これにより、トロフォブラストの分化が始まり、胎盤を形成する栄養膜が形成され、細胞が集まった合胞体栄養膜の形成へと発展する。そして、栄養膜は人工子宮内皮を突き破って人工内膜の中へと侵入する。
この栄養膜の活動により胚も人工子宮内膜内に完全に包み込まれ、構造を保ったまま発生する。とは言え、この条件では例えば幻聴形成が起こり、3胚葉が発生するというわけではなく、これを実現するためにはまだまだ研究が必要だ。しかし、栄養膜の発生を誘導でき、胚の着床過程をほぼ完全に再現できたことは重要で、例えばAXLと呼ばれるキナーゼをブロックすることで着床が完全に阻害されるといった実験的検討が可能になることから、着床異常の研究が進む様に思う。
このように、地道なトライアンドエラーを繰り返して、正常過程を再現する培養法の確率を目指す研究の伝統は力強く続いているようだ。
2025年12月24日
肝臓の美しい組織学的構造を試験管内で再現する研究が加速している。私たちも経験があるが、培養方法の開発は地道なトライアンドエラーなので、研究者からは毛嫌いされるのではと思うが、粘りの必要な研究を進める人たちがいることは心強い。これまで、ヒトiPS細胞から肝臓を再現する研究では我が国の武部さんたちの研究が進んでいるが(例:Nature:https://doi.org/10.1038/s41586-025-08850-1)、今日紹介するドイツド レスデンのマックスプランク分子細胞学研究所からの論文は、ヒト成人の摘出肝臓組織から得られる細胞を用いて、長続きするヒト肝臓の再現を試みた研究で、12月17日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Human assembloids recapitulate periportal liver tissue in vitro(ヒトのアッセンブロイドは門脈周囲の肝臓組織を再現する)」だ。
このグループは、今年5月、マウスを用いて肝臓組織の再現を試みた論文を Nature に報告している(Nature: https://doi.org/10.1038/s41586-025-09183-9)が、そこで培った様々な技術をヒトに移したのがこの研究だ。
基本的には、門脈周囲の構造を、胆管細胞、肝細胞、そして肝臓間質細胞を合わせて作成することがゴールになっているが、それぞれの細胞を長期に維持する培養法の確率から始める必要がある。これまでiPS細胞や胎児肝での培養法は報告されているが、成人の肝臓はハードルが高い。
まずEPICAM陰性の肝細胞を精製してこれをマトリゲルの中で培養する条件を検討し、一般的に肝臓培養に使われる様々な増殖因子カクテルに加えて、Wntと同じ働きのある人工タンパク質Wntサロゲート及びYAPを活性化させるための薬剤TRULIを加えることで、長期にわたる肝臓のオルガノイド培養が可能であることを示している・・・等と気楽に書いてしまったが、この過程が最難関で、様々なトライアンドエラーが重ねられている。WntサロゲートやTRULI添加は誰もが考えると思うが、ビタミンの一つニコチンアミドを培地から除去することが増殖を促進するという結果は、大変な努力が行われたことを物語る。
ただ、こうして完成したオルガノイド増殖培養では加えた増殖因子などの効果で、分化が進まないことが、遺伝子発現などから明らかになった。そこで、TRULIとFGFを除いた培養を行うことで、細胞を分化させると、極性を持った肝細胞からできる胆汁小管をもった構造が出来、遺伝子発現でもほぼ正常肝臓と同じになる。実際、様々な解毒機能をもち、遺伝的肝不全のマウスの肝臓に移植すると肝臓機能を復活させることも確認した正真正銘の肝臓細胞が出来た。
このようにヒト肝臓細胞から肝臓細胞を増殖させることが可能になったことは極めて大きなブレークスルーだと思う。おそらくバイオプシー程度の肝臓細胞からも培養が可能になると思うので、肝疾患の研究が進むだろう。この研究でも、肝臓培養を行った患者さんの肝臓オルガノイドの遺伝子発現を個別に調べ、それぞれのオルガノイドが患者さんの個性を発揮していることも示しており、期待を持たせる。
ただ、研究はこれで終わっていない。次は機能的胆管も含めた肝臓組織の再現にチャレンジしている。この目的で、胆管細胞のオルガノイド、そして肝臓間質細胞の培養にチャレンジしている。特に後者は間質細胞の表面抗原の定義から始めて、純粋な肝臓特異的間質細胞培養に成功している。これも大変な努力だと思う。
こうして出来た3種類の細胞を細胞の凝集を促進する培養プレートに共培養することで、アッセンブロイドとよぶ胆管と肝臓細胞が混じったオルガノイドが形成され、形態や遺伝子発現から実際の肝臓に極めて近いことを示している。その上で、間質細胞の量を増やすことで、原発性胆汁性胆管炎と同じ病態を誘導できるところまで示している。
結果は以上で、目的に応じた様々な肝臓組織を試験管内で再現し、さらに病気のモデルを試験管内で誘導できたことは素晴らしい成果で、昔培養を行っていた身としては、頭が下がる。
2025年12月23日
卒中など脳に障害を受けても、リハビリテーションにより機能を回復する可能性があるのは、我々の神経回路に可塑性があるからだ。しかし、この可塑性は成長するとともに失われていく。失われると言ってしまうとネガティブになってしまうが、実際には神経回路を安定化して同じ反応を得られるようにするためには、可塑性を抑えることが重要だ。面白いことに、成長した後でも可塑性を取り戻す様々な方法が知られており、これらの研究から神経を守る細胞アストロサイトがこの安定性に重要な働きをしていることが知られている。
今日紹介する米国ソーク研究所からの論文は、アストロサイトが組織修復に関わるとして知られるCCN1を分泌して、神経回路の安定性を保っていることを示した研究で、12月17日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Astrocyte CCN1 stabilizes neural circuits in the adult brain(アストロサイトのCCN1は成人の脳で神経回路を安定化する)」だ。
神経の可塑性を調べるとき、ocular dominance、即ち2つある目のどちら側に反応しやすいかが神経細胞レベルで決まっていくが、特にマウス1次視覚野では ocular dominance が強い。そこで生後28日目と120日目のマウス視覚野に存在するアストロサイトの遺伝子発現の違いをリストし、その中から ocular dominance の可塑性を変化させる様々な実験での遺伝子発現の差を手がかりに可塑性に関わる遺伝子を探索し、回路が安定化するに従い発現が上昇し、暗い部屋で育てることで安定化を遅らせると発現が低下し、さらに片方の目を潰したときに特に反対側の視覚野で発現が低下する、即ち回路を安定化させる分子としてCCN1を特定した。
あとはアストロサイトにこの分子を強発現させたり、あるいはノックアウトしたときに、1次視覚野の神経反応を調べ、可塑性があるかどうかを調べる。このために、片方の目を潰して4日後の視覚野の反応を調べocular dominanceの安定性を検証している。
生後28日目のマウスで、片方の目を塞いで4日目には両眼に反応する領域で残っている目に反応する神経の数が上昇するリモデリングが起こるが、CCN1を強発現させるとこれが消失する。一方で、アストロサイトのCCN1を生後1ヶ月目にノックアウトさせ、4ヶ月待ってから片方の目を塞いで ocular dominance がリモデリングされるかどうかを単一神経細胞レベルで追跡すると、CCN1がないと視覚野をリモデリングする可塑性が残っていることがわかる。逆に両眼視力の安定性がないため、高低の差がある飼育環境で行動させると、深さの感覚が安定していないため、何度も下に落ちる。
あとはCCN1により回路の安定性が維持されるメカニズムを調べ、
- CCN1は細胞接着を調節するピニンの量を介在神経の周りで上昇させることで、介在神経の成熟を促進し、回路を安定させる。この時CCN1はインテグリンの結合を通してミクログリアの貪食機能を変化させ、ピニン量を調節している。
- CCN1からインテグリン結合部位のアミノ酸を変異させると、回路安定か機能は消失する。
- CCN1はオリゴデンドロサイトの分化を誘導し、神経軸索のミエリン化を誘導する。
等を通して回路の安定性に寄与していることを明らかにしている。
結果は以上で、ocular dominance を実験系として用いているが、ノックアウトすると可塑性が回復する点は重要で、神経損傷後のリハビリテーション効率を上げるといった新しい実験系で調べると面白いのではないだろうか。
2025年12月22日
CAR : 抗原受容体キメラというと、ガン抗原特異的抗体とT細胞刺激分子のキメラ分子をT細胞に導入してガンを傷害させる方法を指し、ガンに対する免疫をよりコントロールしやすい治療法として臨床応用が進んでいる。
これに対し今日紹介するスイスローザンヌ工科大学からの論文は、CARを樹状細胞に導入してガンの抗原により活性化されるようにし、ガンが排出するエクソゾーム (EV) を取り込んでガン免疫の成立を助けるCAR-樹状細胞 (CAR-DC) の可能性を追求した研究で、12月17日 Science Translational Medicine に掲載された。タイトルは「Coordinate tumor-antigen uptake and dendritic cell activation by chimeric antigen receptors(キメラ抗原受容体を用いて抗原の取り込みと樹状細胞の活性化を強調させる)」だ。
この研究の前提は、ガン細胞からガン特異的抗原を発現したEVが排出され、この中には他にもガン由来タンパク質やRNAが詰まっていることだ。従って、ガン由来EVをアクティブにDCに取り込ませることが出来ればガン特異的免疫反応の誘導効率を上げることができると着想した。
そこで、CAR-Tにも利用されるHER2に対する抗体を、様々なシグナル分子とキメラにしてDCに導入し、CD86の発現を指標にDC活性化を誘導できるCARを探索、最終的にCD40の細胞内領域と、Fc受容体の細胞内受容体を合わせたCARを、DC活性化効率の高いCARとして確立する。
次にメラノーマをガンモデルとして利用する目的でHER2抗体の代わりにGD2に対する抗体に変えて、GD2を発現するメラノーマ由来EVをCAR-DCに加える実験を行い、活性化型のDCに変化して炎症性サイトカインを分泌、また貪食能が高まり、MHC抗原の発現も上昇して、免疫刺激型のDCに変化することを明らかにする。
卵白アルブミンを発現するメラノーマを用いて、GD2-CAR-DCによってガン抗原に対するT細胞を誘導できるか調べると、期待通りGD2-CAR-DCは卵白アルブミンを含むメラノーマに対する免疫反応を誘導出来ることを確認している。
次に、メラノーマをマウスに移植、4日後、あるいは1週間後にGD2-CAR-DCをPD-1に対する抗体とともに静脈注射する実験を行うと、いずれの場合も完全ではないがガンの増殖を抑えることを確認している。ただ、効果が弱いので、効果を上げるために細胞内ドメインのアミノ酸を変化させ、分解されにくいCARに変えると、より抗ガン効率が上がることを示している。
DCはガン局所でT細胞を刺激する運び屋としても研究が進んでいるが、この研究ではさらに活性化されたときだけIL-12が分泌される遺伝子コンストラクトを導入したGD2-CAR-DC-IL12も作成し、これを使うことでさらに強いガン抑制効果があることを示している。
この方法の利点は、一つのガン抗原に縛られないことで、DCのT細胞刺激能を高めることで、様々なガン抗原に対するT細胞反応を誘導できることだ。実際、反応するT細胞を調べると、CAR-DC-IL12により多くのT細胞クローンが反応することが確認されている。
最後に、ヒトの血液から精製したDCを同じように改変し、EVによって活性化されることを確かめ、臨床にも使えることを示している。
以上が結果で、DCを使うことで、免疫チェックポイント治療に抗原特異性を付与して、本来のがん免疫療法に転換できることを示している。おそらくこの実験で行われたDCの静脈注射の代わりに、ガン局所へのDC注射が最初の治療としては現実的だと思うが、CAR-Tと比べるとホストの免疫反応を信じる必要がある。個人的には魅力的方法だと思う。
2025年12月21日
私が医学部を卒業した頃は、ガンの中では胃ガンが男女ともにトップだった。しかしピロリ菌の感染率の低下とともに罹患率は低下し、現在では男女とも4番目に多いガンになっている。それでも頻度の高いガンだが、研究に目を移すと研究人口は少ないように思う。実際、既に5000回に近づいているこのブログで紹介した胃ガンの研究論文は、数えるほどしかなく、紹介した大腸ガンの研究論文の数とは比較にならない。
今日紹介するシンガポール A*STAR からの論文は、マウスの実験胃ガンモデルとヒトの胃ガンを比べながら胃ガンの幹細胞を探った研究で、珍しいので紹介することにした。タイトルは「AQP5: A functional gastric cancer stem cell marker in mouse and human tumors(AQP5:マウスとヒトの胃ガンの機能的な幹細胞マーカー)で、12月18日号 Science に掲載された。
胃上皮の難しさは、Wntシグナルが増殖の中心にある腸上皮と違って、Wnt以外にEGFR、Notchi、Hippo/Yap 等様々なシグナルが、しかも領域依存的に働いている。加えてピロリ菌感染による炎症や消化管ホルモンなどが加わるため、発ガンにいたるドライバーも単純でない。
ガンを単一の細胞の集団ではなく、正常組織のように幹細胞から増殖前駆細胞、そして分化細胞までの階層性を持った集団と考えるのが常識になってきたが、胃ガンでは腸のガンで使えるWntシグナルに関わるLgr5が使えないため、階層構造を定義することが難しかった。
このグループは水分子のチャンネル aquaporin5 (AQP5) をガン幹細胞のマーカーとして使えるのでは着想し、この可能性をマウス実験胃ガンモデルや、ヒト胃ガンで調べている。そのため、AQP5遺伝子に蛍光標識など様々な遺伝子が導入できるようにしたマウスを作成し、まず正常の胃でAQP5の発現パターンを調べている。この研究では基本的に幽門を対象としているが、基底膜上部の幹細胞領域に発現が認められる。このマウスに大腸ガンと同じ遺伝子セットを誘導するとガンが発生するが、ガン細胞は初期からAQP5を発現している。人間の胃ガンでもAQP5発現を調べ、様々なタイプでガン細胞がAQP5を発現していることを確認している。
重要なのはガンといえどもAQP5陽性と陰性に分かれることで、上皮を培養するオルガノイド培養を行うと、AQP5陽性陰性を問わずオルガノイドは形成されるが、AQP5陽性細胞のみが増殖を続ける。またマウスの幽門部に移植すると、AQP5陽性細胞のみガン増殖を示す。同じ実験をヒト胃ガンサンプルを用いて行うと、オルガノイド増殖及び移植でのガン増殖能力がAQP5陽性細胞で高いことから、AQP5はガン幹細胞のマーカーになると結論している。
では、オルガノイドや移植実験でAQP5陽性細胞を途中で除去すると、増殖は抑えられるだろうか?この問題を調べるため、AQP5陽性細胞をジフテリアトキシンで除去する実験系で調べ、増殖が始まった後でもAQP5を除去することでガン全体を除去できることを示している。
水分子チャンネルAQP5が直接ガンのドライバーになることはないが、AQP5をノックアウトするとガンの増殖は低下する。これはヒト胃ガンオルガノイド、マウス胃ガンモデル、肝臓転移マウス胃ガンでも認められるので、AQP5は増殖を促進する効果があることは間違いない。例えばAQP5ノックアウトすると、マトリックスを分解する酵素の発現が低下し、また様々な増殖シグナル分子の活性化が低下することから、水分子チャンネルと増殖因子の間に重要なシグナル経路があることがわかった。
以上が結果で、これで胃ガンの標的薬が見つかったという話にはならないが、標的細胞がはっきりしたこと、AQP5の役割もはっきりしたことから、水分子チャンネルを標的に出来なくても、これに関わる標的を特定して、胃ガン共通の標的薬を発見できる可能性はある。
2025年12月20日
遺伝的共通部分が半分あるとは言え、胎児は母親にとって異物と言える。その異物を妊娠中に拒絶なく維持するために、何重もの安全システムが出来ており、胎盤という免疫バリアに加えて、免疫反応や炎症を抑える仕組みが存在する。
今日紹介するコーネル大学からの論文は、胎児への免疫反応抑制に母親の腸内細菌叢が深く関わることをモデルマウスで示した研究で、12月17日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「Gut microbiota promotes immune tolerance at the maternal-fetal interface(腸内細菌叢は母親と胎児のインターフェースで免疫トレランスを促進する)」だ。
この研究は無菌マウスで胎児発生異常が起こりやすく、胎生16.5日目では多くの胎児が流産し吸収されることに気づいたことに始まる。すなわち、免疫反応抑制が不十分である可能性が高く、調べてみると母親の胎児に対する抗体が上昇し、さらに胎盤や子宮内のインターフェロン分泌性のCD4細胞やCD8T細胞の数が上昇している。
母親の細菌叢が胎児へのトレランスを作っていることは、母親の腸内細菌、特にグラム陽性細菌を除去する抗生物質を飲ませると、流産が増加し、胎盤や子宮での胎児への反応が高まることからわかる。
このトレランスの破綻の細胞学的原因を探すと、腸内で炎症を抑えることで知られる顆粒球系の細胞が無菌マウスでは大きく低下していることがわかる。様々な操作実験を行い、この細胞が腸内の細菌叢をTLR等の自然免疫系で感知し、それが胎盤へと移行する事で炎症や免疫反応を抑えていることがわかった。実際、この細胞を取り出して妊娠無菌マウスに移植すると、流産を抑えることができる。
これに加えて、従来から胎児へのトレランス維持に関わるとされている、今や一般の人にも多く知れ渡った制御性T細胞Tregも細菌叢により胎盤や子宮で増加していることがわかった。特に腸内で免疫反応のバランスをとっているRORγ分子を発現したTregが選択的に増加しており、これが免疫を抑制していると考えられる。またこのRORγ陽性Tregを、同じくRORγ陽性樹状細胞が刺激し、免疫抑制を維持していることも示している。腸内での細胞をラベルする実験から、RORγ陽性Tregは腸管内で細菌叢の刺激を受けた後胎盤へと移行してトレランスを維持することもわかった。
Tregの刺激サーキットは直接細菌叢に反応することはないことから、細菌叢から出る代謝物を調べて、トリプトファン代謝物のインドールなどがAhRと呼ばれる受容体を介して働いて、RORγ陽性Treg刺激システムを活性化していることを発見する。これを証明するために、インドールを無菌マウスに経口投与すると、流産を防げる。さらに、このトリプトファン代謝物を合成する細菌を探索し、L.murinusと呼ばれる乳酸菌がインドールを分泌して胎児への免疫トレランスを維持していることを示している。
最後に人間でも同じことが言えるか調べる目的で、習慣流産の母親が流産したときの脱落膜の single cell RNA sequencing や代謝物のデータベース(こんなデータがパブリックに存在することに本当に驚くが)を探索し、確かに炎症を抑える顆粒球、RORγ陽性Tregが低下しており、インドールなどのトリプトファン代謝物量も低いことを示している。
Tregや炎症を抑える単球が働いていることを知っていたが、ここまで細菌叢が重要な働きをしているとは想像しなかった。面白い研究だと思う。
2025年12月19日
アルツハイマー病 (AD) を特徴付ける主な病理は、アミロイドβからなるアミロイドプラーク形成と神経細胞内でリン酸化されたTauが凝集して起こる神経細胞死だが、これを診断するためには脳脊髄液の検査やPET検査など一般検査としてのハードルが高いため、なかなか早期診断は難しかった。そんな中で、リン酸化Tau (pTau) の凝集が始まるより何年も早く、可溶性で血中に出てくる pTau217(Tauの217番目のアミノ酸がリン酸化されている)が、神経病理を反映する検査として使われ始めている。さらにpTau217はTau病理だけでなく、アミロイドβ病理と早期から相関しており、最近では抗体薬を使うための補助診断としても期待されている。
今日紹介するノルウェーの Stavanger 大学からの論文は、58歳から90歳までの11486人の痴呆の発生を調べるコホート研究で、血中の pTau217 を調べ、痴呆症状との相関を調べた研究では、pTau217 についての最も大規模な研究だ。空恐ろしいタイトル「Prevalence of Alzheimer’s disease pathology in the community(病理学的アルツハイマー病はコミュニティーに蔓延している)」で、12月17日 Nature にオンライン掲載された。
異常値を0.63pg/mlとしているが、異常値を示す割合は60歳代では7%程度だったのが、70歳代を超すと急に20%以上に跳ね上がり、80-85歳で44.1%、85-89歳で57.9%、90歳代を超すと65%になり、pTau217 が病理的なADを反映するとすると、80歳を超すと半数以上にADの原因になる病理的変化が存在していることになる。さらに、痴呆、軽度認知障害 (MCI) 、正常認知機能に分けて調べると、どの年齢でも痴呆と診断された人で pTau217 は最も高く、次いでMCIになるが、認知正常でも、90歳代では62%、85歳−89歳では45%で pTau217 が異常値を示しており、個人差はあってもTau病理はほとんどの人で進んでいくと覚悟する必要があることを示している。
もちろん pTau217 が低いに越したことはなく、これを上昇させない様々な方法が今後検討されると思うが、異常値を示しても認知機能正常の人が一定の割合で存在することは重要で、これまで強調されてきたようにADの発症を様々な方法で抑える可能性が存在することを意味している。
この研究では、高等教育を受けたグループでは pTau217 が正常値の確率が高いことも示しており、ただ認知機能が保持されるだけではなく、高等教育を受けることにより pTau217 に反映される病理過程を遅らせられることを示している。
以上、今後病理的変化があっても認知機能を保存する方法と、pTau217 で見られる病理変化を遅らせる方法が研究されていくと期待したい。論文自体は、ADに至る病理変化は想像以上に頻度が高い、生理的老化過程の一つだという恐ろしい結果だが、指標が明確になることで、多くの予防研究が進むように思う。
以上のように、ADを防ぐ生活習慣は重点項目として研究する必要があるが、そんな例として、なんと高脂肪乳製品が痴呆のリスクを下げるというスウェーデン ルンド大学からの論文を短く紹介して終わる。タイトルはずばり「High- and Low-Fat Dairy Consumption and Long-Term Risk of Dementia(高脂肪の乳製品は長期的痴呆のリスクを下げる)」だ。
この研究は1991-1996年に始まった食生活と健康に関するコホート研究で、参加時に一週間にわたっての食事のデータを詳しくとっている。その後25年経った後にADと血管性の痴呆の発症率を調べ、リスクと関連する食物を調べているが、この研究ではもっぱら乳製品について相関を調べている。
結果は、脂肪分が高いチーズやクリームを食べるほど痴呆のリスクが減るという結果で、チーズ好きにはうれしい結果だ。個人的に驚いたのは、ADリスクの高い APOE4 を持つ人で高脂肪チーズのリスク軽減効果が高いことで、この話がある程度信頼できることを示している。
要するに、身体に悪いと考えられる高脂肪乳製品が痴呆についてはリスクを下げるという話で、タバコがADリスクを下げるという研究と同じカテゴリーに入るような気がするが、このような直感に反する結果も pTau217 等を指標として検討し直すと面白いことがわかる気がする。