7月17日 アウストラルピテクス幼児の食生活を推定する(7月15日Natureオンライン掲載論文)
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7月17日 アウストラルピテクス幼児の食生活を推定する(7月15日Natureオンライン掲載論文)

2019年7月18日
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男女差の体格がなくなり、犬歯が退化した直立原人が誕生する前の人類は、アウストラロピテクスと総称されるが、そのうちの200~300万年前に南アフリカに生存していた種類が、アウストラロピテクス・アフリカヌスだ。もちろんこの時期になると、遺伝子を調べることなど夢のまた夢で、時代測定と形態の比較、そして石器の解析が研究の中心になる。

しかし現代の分析手法が、このアイソトープの組織内分布パターンを解析できる能力があり200万年以上前のアウストラルピテクス幼児の食事まで分析できるとは、今日紹介するオーストラリア・サザンクロス大学を中心とした論文を読むまで、想像だにしなかった。タイトルは「Elemental signatures of Australopithecus africanus teeth reveal seasonal dietary stress(アウストラロピテクス・アフリカヌスの元素解析により食料の季節的ストレスが明らかになる)」だ。

方法を読んでみると、歯の切片を切り出した後、レーザーでそれぞれの場所から小さなスポットを採取して、質量分析器で調べ、 結果を組織状に再マップし直す方法が用いられている。この方法で、成長に従ってカルシウムが沈着する歯のそれぞれの場所のバリウムとカルシウムの比を調べると、母乳を飲んでいた時期がわかるらしい。もちろん自然界にバリウムは多く含まれているが、消化管での摂取の選択性のためか、なぜか母乳を飲んでいた時にバリウムの比が高まり、離乳してしまうとバリウムはほとんど歯に蓄積しなくなる。

なるほどと感心するが、実際この方法は現存の野生動物や、ネアンデルタール人などの離乳時期を調べたりするのに広く用いられてきた様で、要するに私が知らなかっただけだ。あまりゲノムばかりに心を奪われていると、考古科学の進展を見失うことがよくわかった。

従って、この研究はこれまで確立された方法をそのままずっと古いアウストラロピテクスで試してみたという話になる。

結果だが、まず離乳時期が大体6~9ヶ月の間ということがこの解析からわかる。まず一年を超えることはなかった様だ。人間では18ヶ月までなので、だいぶ短いといえる。

ただ人間と全く異なるのは、授乳時期でもバリウム/カルシウム比が3~4ヶ月のサイクルで変化することで、リチウム/カルシウム比をとっても同じ様なサイクルが見られる。

結果はこれだけで、これまでのサルの歯を用いた同じ手法の研究などと比較しながら、このサイクルがサバンナで暮らしていたアウストラピテクスの食料調達の季節性を反映しているのではと結論している。すなわち、サバンナでは乾季になると食料の調達が難しくなる。従って、ミルク以外を摂取する様になっても、食料調達が減った時は母乳への依存性が高まることを示している。

この説の可能性が高いことは、同じ方法で解析した野生のオランウータンではこのサイクルが見られるが、人間に飼われているオランウータンにはこのサイクルは消失する。

以上のことから、アウストラロピテクスの住んでいた南アフリカのサバンナの厳しい状況が推察できるという話だ。しかし、これほど精密な元素分析が可能になっていることに驚いた。

カテゴリ:論文ウォッチ

7月17日 自閉症発症につながる新しい変異の解析方法(Nature Genetics 6月号掲載論文:Vol51:973 )

2019年7月17日
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自閉症の遺伝性は高く、これまでも大規模なゲノム解析が行われ、様々な遺伝子が複雑に絡んだ一つの状態、すなわちneurodiversityの概念形成に大きく寄与してきた。ただ、発症には他にも両親には見られないが子供だけに存在するde novo変異の関与が示唆されている。このde nove変異の特定には、両親、本人、そしてASDを発症しなかった兄弟姉妹の遺伝子を比べることが必要になるが、これまで何度か紹介したシモン財団では、このような組み合わせをなんと1700家族について集めており、そのゲノムが公開されている。このセットを用いてこれまでも、ASD発症に関わるタンパク質へと翻訳される遺伝子(エクソーム)変異が認められて、データベースの重要性が示されていた。

しかし、エクソーム解析だけではこのデータベースは宝の持ち腐れで、実際には翻訳されない部位(イントロン)の変異も比較的容易に発見できる。ただ、イントロンの変異の場合、その変異の発症への寄与度を推定することは容易ではない。実際には、モデル細胞や動物を用いて、その場所の機能を調べていくしかないように思えた。

今日紹介するプリンストン大学からの論文はこの課題をこれまでのデータベースから集めた情報だけでやり遂げようとする研究で6月号のNature Geneticsに掲載された。タイトルは「Whole-genome deep-learning analysis identifies contribution of noncoding mutations to autism risk(全ゲノムレベルの深層学習によって自閉症リスクにつながるノンコーディング変異が特定できる)」だ。

この研究では、シモンズ財団のデータベースを用いると、細胞の機能変化につながると予想できるイントロンのde novo変異を13万近くリストできる。問題は、このうちどれがASDリスクとなる可能性があるかをどう調べるかだ。この研究ではENCODE プロジェクトで蓄積している様々な細胞のエピゲノムのプロファイル(クロマチンの状態、転写因子の結合、ヒストンマークなど)データを、深層学習させ、この中からイントロンの機能的寄与度を推定するAIを構築し、このAIがASDリスクについて、意味のある推定ができるか確かめている。ある意味では、この研究はイントロンの機能を推定するAI構築が目的で、そのテストにASDを用いていると言える。

まずASDを発症した子供と、発症しなかった兄弟、それぞれに見られるde novo変異をこのAIで解析して、ASDに限らず一般的細胞機能に寄与する変異の総数を調べると、明らかにASDを発症した子供の方が機能に関わる領域に変異が蓄積している。

次に、de novo変異がどの細胞に影響するかを調べると、ASD発症児のde novo変異は神経細胞での発現に関わる可能性が高く、またシナプス機能や発生に関わる機能に関わる変異が蓄積していることがわかる。また、新たに開発した他の分子との相互作用を推定する数理処理を用いると、ASDのde novo変異は、これまでASD発症に関わると考えられている遺伝子と関係している頻度が高いことを明らかにしている。

最後に、イン・シリコの実験だけでなく、解析からASDと関係すると推定される59のイントロンの変異について、神経細胞での転写活性を調べると、なんと96%が遺伝子発現の変化につながっていることがはっきりした、

機械学習の力をまた思い知る論文だが、解析だけではなく、どうすれば対処できるのかを支持できるAI を開発して欲しいと思った。

カテゴリ:論文ウォッチ

7月16日 殺人:最後の一線を越える脳科学(7月5日 Brain Imaging and Behaviour オンライン掲載論文)

2019年7月16日
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犯罪は生まれか育ちかという議論は何度も行われてきた。凶悪犯罪の遺伝率は38%というこれまでの報告があり、様々な精神疾患と同じくかなり高い。ゲノム解析が始まってからは、犯罪者と相関する遺伝子が探索され、monoamin-oxidaseをはじめとする遺伝子の多型が報告されている。また犯罪者の脳構造を調べる研究も特にMRI検査が可能になってからは盛んで、このブログでも、明らかな脳損傷が犯罪を誘発する可能性について調べた研究を紹介したことがある(http://aasj.jp/news/watch/7800)。

今日紹介するNew Mexico大学からの論文も同じ線上にある犯罪者の脳研究だが、凶悪犯の中で殺人にまで至った犯罪者と、一線を超えなかった犯罪者を比べている点でユニークな研究で、7月5日にBrain Imaging and Behaviourにオンライン掲載された。タイトルは「Aberrant brain gray matter in murderers(殺人者に見られる灰白質の異常)」だ。

脳組織は細胞体が集まっている灰白質と、神経線維が集まっている白質に分かれるが、この差を浮き上がらせるT1-ScanというMRIの撮影法がある。この研究では、New Mexico とWisconsin州の犯罪者矯正局で続けられている、犯罪者の脳T1-scanを集めて、殺人犯、強盗や誘拐などの凶悪犯、そして比較的軽い犯罪犯の3グループの平均画像を算出し、比べている。

最も驚いたのは、米国の州の中には、犯罪矯正プログラムとして脳画像の収集が行われている点で、このおかげで800人を超す犯罪者、なんと20人の殺人犯のT1-scan 画像が集められている。ただ、実際に殺人を犯したのかどうか犯罪記録だけでは不十分なので、実際にインタビューして犯罪の状況、実際に殺人が行われたかについても念入りに調査している。

結果は明確で、殺人者では、他の犯罪者と比べた時、脳の極めて広い領域で灰白質の厚さが低下していることが明らかになった。これは殺人犯と凶悪犯を比べても、実際に殺人を犯してしまった犯人と、殺人未遂犯を比べても、この差が認められる。一方、比較的軽い犯罪者と、凶悪犯を比べてもこの差は認められない。この結果から灰白質の現象は、単純に犯罪意図だけではなく、最後の一線を超えてしまうかどうかと相関していることになる。

異常が見られる場所は大脳皮質の広い範囲に見られ、実際には感情に関わる領域、自己制御に関わる領域、社会性に関わる領域が含まれ、特にTheory of Mindと呼ばれる相手の心を読む意図に関わる領域だ。今後機能的解析や、テンソル解析による脳内の結合性に基づく、詳しい解析が行われると思う。

いずれにせよ、殺人を実際犯したかどうかだけでこれほどの差が出るのは本当に驚く。もちろん、この変化を遺伝的変化と決めつけてはいけない。育ちも大きな影響があることは間違いない。ただ、今回の結果は、麻薬の使用、基礎精神疾患、そして知能とは無関係であることも確認しているので、殺人という行為研究としてはかなり重要な結果だと思う。

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7月15日 ホモ・サピエンス出アフリカ時期の見直し?(7月10日号Nature オンライン掲載論文)

2019年7月15日
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ネアンデルタール人と我々現生人類の先祖は7-80万年前にアフリカで分離した後、独自の進化を遂げ、40万年前にはすでにユーラシアに移動していた。一方現生人類は約30万年前には現在の形にアフリカで進化していたが、ヨーロッパへの移動は5万年前ぐらい、アラビア半島からインドルートは少し早く10万年前というのが通説だった。しかし、DNA解析の限界から、この通説は出土した骨の年代測定と形態測定、そして石器の分類によって決められてきた。ただ、素人から見るとこの形態の比較などはとても難しい。例えば質問サイトQuoraにはネアンデルタールと現生人類の復元図が示されているが(https://www.quora.com/Were-Neanderthals-smarter-or-more-advanced-than-their-Homo-sapiens-counterparts-at-their-time)、素人目にこれが現生人類のバリエーションと言われてもほとんど違和感はない。

今日紹介するドイツ・チュービンゲン大学とギリシャ・アテネ大学からの論文は、南ギリシャで発見されていた20万年前の人類の骨が現生人類のものだと結論した研究で7月10日号のNatureオンライン版に掲載された。タイトルはズバリ「Apidima Cave fossils provide earliest evidence of Homo sapiens in Eurasia (Apidima洞窟の化石はユーラシアの最も早い時期のホモ・サピエンスの証拠だ)」だ。

だいたいこのような人騒がせな化石は地質年代がはっきりしない場所から出土する。この研究で詳しく調べられた2種類の頭蓋骨化石Apidima1(A1)とApidima2(A2)が出土した洞窟は、はっきりとした地層や石器がないため、おそらく洪水などで同じ場所に沈殿してしまった骨と考えられている。したがって、年代測定は同位元素検査のみに頼ることになる。

この研究では化石を磨く時に得られる断片を用いてウラニウムの取り込まれた年代を測定し、A1は20万年前、A2は17万年前、全く別の場所で土に埋もれ、その後Apidima洞窟に流された後、15万年前にセメント化が始まったと結論している。

あとはなかなか素人ではわかりにくい形態の比較で、現生人類の化石19種類、ネアンデルタール人の化石6種類、他に中石器時代のユーラシアとアフリカの化石を数種類比較に用いて、それぞれのApidima化石がどれに近いか調べている。

方法は、化石をCTで撮影し、断片のデータから全体をコンピュータで再構成し、再構成された頭蓋の様々な計測を数値化して、集まったパラメータの結果を例えば主成分解析を用いて分類している。かなりハイテクな画像診断システムだ。

そしてこのグループは、Apidima1はホモ・サピエンスに最も近く、Apidima2はネアンデルタール人に近いと結論している。

これが本当だと、これまで現生人類のヨーロッパへの進出が5万年前後としてきた通説が覆る。実際、アラビア・インドを通る南ルートの10万年よりはるかに早い。このことから、実際にはホモ・サピエンスの出アフリカはもっと早く、ネアンデルタールのいない地域で独自に進化していたが、その後ネアンデルタールに征服されるというシナリオになる。

面白いし、ロマンもあるが、やはり形態の比較だけでの結論がどこまで確かなのか、これが最も大きな問題だろう。実際同じ化石を分析したフランスグループは、Apidima1を直立原人と結論している。誰がどうこの論争に決着をつけるのか、まだまだこの分野は熱い。

カテゴリ:論文ウォッチ

7月14日:阿吽の呼吸がどう生まれるか(7月11日号Cell掲載論文)

2019年7月14日
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狼がバッファローを襲う時の統制のとれた動きを見ると、私たちは司令官の指示による統制がうまく働いていると思うが、実際には各個体の個別の決断の積み重ねがあたかも指示によって動いているように見えるだけだ(これについてはJT生命誌研究館のブログに「コミュニケーションと言語」というタイトルでまとめてあるので参照してほしい。(www.brh.co.jp/communication/shinka/2017/post_000022.html)。従って、重要なのは各個体レベルでの決断が、他の個体の決断と一定の連関を持たないとうまくいかない点だ。すなわち、他の個体の動きを見、次のアクションを予測し、自分の行動につなげることが必要になる。

今日紹介するUCLAからの論文は個体同士の相互作用の時に生まれる脳内での連関を調べた研究で、私たちが阿吽の呼吸と呼んでいるような行動のルーツに関わる研究で、7月11日号のCellに掲載された。タイルは「Correlated Neural Activity and Encoding of Behavior across Brains of Socially Interacting Animals (社会的に相互作用をしている2個体の行動と相関しコードする神経活動)」。

この研究では、様々な状況で互いに反応し会っている2匹のマウスの背内側前頭前野に存在する多数の神経細胞の活動をカルシウムイメージングで同時に記録し、個々の神経の反応と、ビデオで撮影した行動との相関を数理的に調べることが方法の全てだ。ただ、一匹のマウスの脳の反応を調べる実験とは異なり、神経細胞の活動と相関させる社会活動のパラメーターは、行動の種類、自分の行動、相手の行動、などなど極めて複雑になる。そして、相関がみつかると、モデル化して実際に神経活動から、二匹の個体の行動をそれぞれ予測できるか確かめる事で初めて、意味のある相関であることを結論できる。

この操作を、2個体が競争し会って最終的に優劣がつく状態で、勝った方の神経活動と、負けた方の神経活動を調べ、脳内に2個体の関係がどう表象されるのかを見ている。詳細は省いて面白かった点だけを箇条書きにしておく。

  • ネズミが競争する時、押す時、引く時などそれぞれの行動に対応する神経細胞が存在する。押し切る方が勝負に勝つことを意味しており、押す時の興奮の方が引く時の興奮より強い。
  • 各個体の脳は社会行動中は確実に同期している。しかも、押す時に反応する神経興奮は、相手側では引く時の神経興奮と連動している。すなわち押し合っているときは連動せず、勝負が決まる時に連動する。ともに勝負の結末を認めるといった感じ。
  • 行動に直接関わる神経活動とともに、相手についての情報をコードする神経活動が行動の決断に関わっている。すなわち相手型の行動を読み取って決断に活かすプロセスに関わる神経細胞だ。このような神経細胞は、競争している時ではなく、それぞれ別々に行動している時に反応が見られる。競争していなくても、相手の行動を見ている。
  • この相手の行動をコードする神経細胞は、個体間の優劣にあわせた神経興奮の連動を調整する。わかりやすくいうと、強い方の神経興奮はあまり相手の行動に影響されないが、弱い方の神経活動は強い方の行動により影響される。すなわち、相手の行動をコードする神経細胞の寄与度が大きい。

パラメーターが多すぎて、本当にどこまで正しいのか素人には判断が難しいが、勝負を繰り返すうちに、相手の表象が脳内に形成され、最終的に勝ち組、負け組に固定されていく様子がわかる気がする。結論としては、阿吽の呼吸での協力というより、個人間で優劣を自然に納得する過程の研究といえる。

カテゴリ:論文ウォッチ

7月13日 ホヤ発生過程のsingle cell transcriptome(Natureオンライン掲載論文)

2019年7月13日
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20世紀、ネズミやモルモットといった実験動物に加えて、その時その時の必要性に応じて多くの生物がモデルとして実験室に持ち込まれ、研究された。分子遺伝学でみると、細菌やファージにはじまり、その後ショウジョウバエ、線虫、シロイヌナズナ、ゼブラフィッシュと拡大した。これらは発生学のモデルとしても重要で、突然変異体の形質を解析する遺伝発生学によって発生学は急速に進展した。もちろん分子遺伝学が使えない発生モデルの開発も行われた。アフリカツメガエルがその典型だが、ホヤもその一つだ。

脊索類のホヤは、脊髄動物が進化してくるプロトタイプとして研究が行われているが、細胞を標識する系統解析によって、原腸陥入前の胚に存在する110種の各細胞の運命が決定されていることがわかっている。その意味で、バーコードを用いて行うsingle cell transcriptome解析には最適の動物と考えていたが、ようやくプリンストン大学から今週Natureオンライン版に掲載された。タイトルは「Comprehensive single-cell transcriptome lineages of a proto-vertebrate (脊髄動物の原始形の包括的single cell transcriptomeによる細胞系列)」だ。

原腸陥入前からオタマジャクシ期まで10の異なるステージの胚からsingle cellを調整し、各細胞の遺伝子発現を総計9万個あまりの細胞で解析し、あとはそれぞれの関係を発現している遺伝子の重複などからつないでいく作業になる。

まずこれまでの細胞系譜の研究により明らかになっていた各細胞間の系列関係は完全にバラバラにした細胞の解析から、例えば前後といった構造的関係も再現できる。個体から分離した細胞を用いて発生を調べてきた経験から考えると、感慨が深い。ではこれまでの細胞系譜研究の成果は必要ないかと言われると、そうではないと思う。単一細胞解析だけでどこまで発生を再現できるのか、モデル動物とは全く異なる動物での研究が必要だろう。

特に圧巻は神経細胞の発生で、ほぼ完全な系譜を再現できると同時に、長い距離を移動して、構造からはわかりにくい細胞系譜についても明らかにすることができている。

また、発現しているシナプスでの神経伝達因子と受容体を組み合わせていくと、神経ネットワークの構築を決定することもできている。

他にも、ホヤ特異的な脊索からの筋肉の分化の様子、あるいは終脳が神経細胞とそれに隣接する上皮細胞が相互作用して新しい構造を作ることなどが示されている。

細胞系譜がここまで解析された動物でもこれほどのことができるとは、やはりsingle cell transcriptomeおそるべしという論文だった。

カテゴリ:論文ウォッチ

7月12日 地道に続けられているジカウイルス感染の追跡調査(Nature Medicineオンライン掲載論文)

2019年7月12日
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2015年から2016年に起こったジカウイルスに感染した母親から生まれた子供の多くが小頭症を発症したという報道は世界を震撼させた。このブログでもすでに7回ジカウイルスについての研究論文を紹介している。論文を読んで一番感銘を受けたのは、現代医学の実力だ。感染が報道されて半年も経たないうちに、クライオ電顕による構造解析がおわり、iPS由来の脳組織を用いて感染実験が行われ、小頭症発症のメカニズムの大枠が明らかにされている。

これらの研究から明らかになったのはジカウイルスが神経幹細胞に感染して殺すために、脳組織の発達が阻害されるという点だ。しかし、脳発達は極めて可塑的で、少々の異常は克服する可能性も高い。今日紹介するカリフォルニア大学ロサンゼルス校と、ブラジル クルーズ財団との共同論文は、ジカウイルスに感染した母親から生まれた子供の追跡調査でNature Medicineオンライン版に掲載された。タイトルは「Delayed childhood neurodevelopment and neurosensory alterations in the second year of life in a prospective cohort of ZIKV-exposed children (ジカウイルスに暴露された前向きコホート研究で、2歳時点で神経発達と感覚系の変化があきらかになった)」だ。

この研究は2015-2016年の流行時に発疹などの症状があり、PCR検査でジカウイルス感染が確定した244人の妊婦さんの子供の胎児期からのコホート調査で、これまで子宮内での超音波検査結果などが継続的に報告されている。このうち223人が出産し、そのうち216人についてインフォームドコンセントが得られ、2年間追跡が行われた結果が今回報告された。

このコホートで出産時に小脳症を発症したのは8人で、これは予想通り。ただ、このうち3人は正常化している。2人については頭蓋骨の早期の縫合を防ぐ手術が必要だったが、子供の脳の可塑性が高いことを示している。

しかし、生まれた時に異常がなくとも、30%以上の子供に脳の発達障害(認知障害、言語障害、運動障害のいずれか)。2歳時点での自閉症も2%にみられ、今後年齢とともに増加することが予想される。このように、胎児期での神経幹細胞は目に見えなくとも様々なネットワーク異常を誘導しており、この異常が今後悪化するのか、正常化するのか重要な点だ。

聴覚障害(12%)および眼底検査の異常(9%)も神経発達障害が広い範囲に及ぶことを示している。

リスク因子としておもしろいのは、男児の方が異常率が高い点で、ひょっとしたらASDが男児に多いこととの相関があるかもしれない。もちろん妊娠初期の感染は発症率が高まる。

おそらくこの研究の最も重要なメッセージは、初期に異常が認められても半分の子供が正常化する点だ。逆に、初期に異常がなくとも25%は異常が出ることもある。この様に、感染は胎児期でも、脳の発達様式で症状が変化していく点だ。

ウイルス感染が胎児の脳発達に影響することはすでにわかっているが、それでもこれほどダイナミックな変化が見られるとは予想できない。その意味で、この200人の子供をずっと見続けていくことは、小児の脳発達理解に大きく貢献することは間違いない。

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アリストテレス 「動物誌」「動物発生論」:アリストテレスの生命への関心の源を探る(生命科学の目で見る哲学書 第5回)

2019年7月11日
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前回述べたが、バートランド・ラッセルは「西洋哲学史」の中で、

「プラトンがもたらしたものは、感覚の世界を拒否して、自ら作り出した純粋な思惟の世界を優位に据える、という事であった。アリストテレスとともにやってきたものは、科学における根本概念としての目的というものに対する信仰であった」

と述べて、プラトンとアリストテレスを、せっかくイオニアで生まれ始めた科学の芽を摘み取った犯人として扱っている。

この本を先に読んでしまった結果、プラトンやアリストテレスを読もうという気持ちになかなかなれなかったが、今回何冊か読んでみて大きく印象は変わった。前回述べたように、プラトンについては今も苦手だが、アリストテレスには親近感を持つことができた。

ラッセルが、「科学における根本概念としての目的に対する信仰」を持っているとアリストテレスを切り捨てた点に関しては、生命科学を仕事として生きてきた私にとってそれほど違和感はない。もちろん、生命科学でも目的を科学的因果性として扱うことは避けるようになっているが、機能を問うことは当たり前だ。しかし私たちが機能という時、そこには潜在的に目的概念が含まれてしまっている。それほど、生命科学から目的論を排することは難しい。実際「自然目的」は、18世紀の科学の重要なテーマとして、スコラ哲学などとは異なるコンテクストで議論され、その結果自然史や有機体論といった生命科学に近い学問分野が生まれ、この流れからダーウィンの進化論が生まれることになる。

この流れについては、18世紀を扱うとき詳しく議論するつもりだが、今回何冊か著作を読んでみて、個人的にはアリストテレスは18世紀の生命科学を先取りしていた部分が大きいと評価している。というのもプラトンと異なり、アリストテレスを読むと、彼が感覚の世界を重視し、感覚を通して人間や生物も含めた自然を観察し、それを説明しようとしていた強い意志が感じられる。実際、冒頭の写真に示すように、アリストテレスは動物について多くの著作を残しており、生物や人間を宗教的な教義に頼ることなく説明しようとしていたことがわかる。

まさにこの点が、「感覚の世界を拒否し」、ドラマ仕立てのフィクションの創作を続けたプラトンとアリストテレスの大きな違いで、アリストテレスをプラトンの弟子と言っていいのか、疑問を感じる点だ。アリストテレスを輩出したということは、プラトンの学校ではギリシャの自由な伝統が失われず、何かを押し付けるというより、それぞれが才能を伸ばせるような、自由な雰囲気があったのかもしれない(と勝手に思っている)。以上のことから、アリストテレスは動物論、霊魂論、形而上学と3回に分けて紹介したいと考えており、今回は動物学に関する著作、実際には動物誌と動物発生論を取り上げる。

繰り返すが、これがプラトンの弟子かと思うほどアリストテレスの著作はフィクションを排し、論理性を重視したアカデミックな口調で書かれている。このためドラマ仕立てのプラトンと比べると、一般の人が面白く読めるというものではない。おそらく、ほとんどの人は、アリストテレスの名前は知っていても、著作を読むことはないと思う(かくいう私も現役引退まで読んだことはなかった)。それでも哲学書の場合、退屈なのは覚悟の上だ。しかし、今回取り上げる動物誌や動物発生論といった科学的内容の場合、「昔はこんなふうに考えていたのか」という驚き以外は、ただただ観察の羅列が続き、よほどのマニアでない限り退屈すると思う。しかし、動物論についての何冊かの著作こそ、アリストテレスをプラトンから分かつ最も重要な著作だと思う。

一般の人にとって読みにくいのだが、大教授が若者に語るがごとく進んでいく(プラトンではこの役割を登場人物ソクラテスが演じるのだが)アリストテレスの著作は、権威に満ちており、中世の終わりにヨーロッパに再導入されてからは、思想に対する影響力の点では、プラトンよりも大きかったことは容易に伺える。特に自然に関する多くの著作は、アリストテレスが自分の感覚を通して自ら自然を見つめている点で他を圧倒する説得力があり、その後の彼の権威づけに役立ったと思う。この結果、ヨーロッパの科学はアリストテレスのドグマに縛られることになり、その間違いを正すために長い時間がかかる事になる。

さて今回取り上げる動物誌と動物発生論は、動物の多様性(=進化)と発生に関する著作だ。この分野はアリストテレス以後も「なぜ?何のために?」という問いが常に問われた、すなわち目的論と最も近い領域だった。しかしアリストテレスにとって目的因は、それに陥るというような消極的なものではなく、もっと積極的に評価されるべき自然の法則だった。すなわち、目的なしに自然は存在せず、目的因こそが自然に意味を与えるもので、特に生物を観察するとこのことがよくわかると考えていた。勘ぐると、目的因の実在を示すという目的が先にあり、この目的を果たすために動物に強い関心を示し、動物論を書いた可能性が高い。しかしプラトンやその後のキリスト教哲学と異なり、アリストテレスの目的因の背景には、宗教的教義の影は希薄だ(全くないわけではない)。すなわち、宗教的教義に頼らず自分で考えた結果、自然の持つ法則の一つとして目的因を考えており、その意味でイオニアの科学の後継者だと言える。

図2 岩波文庫版の動物誌。

まず「動物誌」からみてみよう。アリストテレス全集と同じ島崎三郎訳の岩波文庫版のカバーには、次のような紹介文が掲載されている。

「その研究範囲は広く、約120種類の魚や、60種類の昆虫を含む、ゆうに500を超える異なる種の動物が対象とされ、アリストテレスの観察家としての才能が発揮されている」

「彼の学問的立場が本質的には生物学を基礎としているところから、自然科学のみならず哲学論文の理解のためにも重要なものであり西洋の科学文明の礎石ともいうべき書である」

この紹介文の通り、実に多くの動物の観察記録が記載されている。もちろん全て自分で観察したわけではなく、伝聞も多いと思うが、それでも良くここまでと驚く。生物少年でもなく医学部に進学し、そのまま生命科学者になった私の知識などはこれと比べると足下にも及ばない。生命誌研究館の顧問になって初めて知ったイチヂクコバチについても、動物誌では、

「野生イチジクの実の中には『イチジクバチ』と称するものが入っている。これは最初は小蛆であるが、やがて皮が破れて剥がれると、この皮を残して『イチジクバチ』が飛び出してくる」

と記載されている。いちいち例を示すことはやめるが、このように、動物誌ではできる限り多くの生物を観察、あるいは観察記録を集め、その中から動物の共通性を明らかにしようとする方向性がはっきりしており、18世紀のビュフォンの「自然史」の先駆けと言える。

現代の理解からみて彼が明らかに間違って解釈している現象は多いが、そんなことはどうでもいい。驚くのは、その鋭い観察力だ。例えばこの本で正しくも軟骨魚類として分類されている数種類のサメとエイについて、

「あるサメでは、先に述べたごとく卵は子宮(実際には卵管)の中央部、背骨の付近についている。たとえばコイヌザメの場合である。卵は成長すると、動き回る。子宮はこういう類の他のものと同様に二股で、下帯についているので、卵は動き回って、どちらの部分の中にも入る。・・・・・・コイヌザメやガンギエイは卵殻のようなものを持っていて、その中に卵状の液体が入っている。卵殻の形はヨシ笛の下によく似ていて、卵殻には毛のような管がついている。」

私も見たことがないので、これほど詳細に書かれていると、信じるしかないと思う。

さらに、自分で解剖や実験を行なっていたことは間違いない。

「クモは先ず小さい卵状の小蛆を産む。・・・小蛆は初めから丸い物である以上、その全体が変化してクモになるので、一部分がなるのではない。・・・子は3日間で形が分化する。・・・押しつぶした時に出る汁は、小蛆の場合でも、幼いクモの場合でも、同様であって濃くて白い」

などはその典型だろう。押しつぶした時に出る汁を比べるとは、科学者の執念が感じられる。

そして、彼の動物観察者としての類いまれなる実力は、循環器の記述に最も明確に現れる。

まずこれまでの方法論の過ちについて、

「(これまでの)無知の原因はこれら(循環器)が観察しにくいことである。すなわち、死んだ動物では、主要な血管でさえはっきりしなくなるものであり、・・・・・従って死んで解剖された動物体で観察した人々は、最大の起始さえ見落としてしまったし、非常にやせた人体で観察した人々は、痩せて体表に現れた血管からその起始を結論したのである」

と間違った観察に至る原因を確かめた上で、動物の循環器を正確に観察するための工夫を

「動物を痩せさせておいてから、絞め殺して見さえすれば充分に調べることができる」

と述べている。このように実験のための工夫と先入観を排する鋭い観察眼のおかげで、心臓を起始として肺、全身へ血液を運ぶ閉鎖循環系の詳細を正確に記述しているが、詳細は省く。

こうして動物誌を通読してみて感心するのは、これだけの本を書きあげたアリストテレスのモチベーションだ。もちろん歴史上には、ビュフォンの自然史のようにもっと大部な動物の記録を書き上げた人もいる。しかし、アリストテレスは自然だけでなく、哲学、倫理、政治に至るまで多様な分野にまたがる著作がある。その合間に、多くの動物を観察し、解剖し、それを記述している。

読んだあと、ひょっとして生物オタクの走りではないかとすら疑ってしまうが、実際にはもっと大きな使命感で動物論諸作を書き上げたと思う。

重要な動機の一つは、プラトンと同じで、イオニア以来集まっていた知識や思想を集大成したいという気持ちだろう。イオニアでは哲学だけでなく、自然学も思想家にとって重要なテーマだった。動物についての観察や、現象の解釈も、自然や数学と同じように議論されていた。例えば物質は原子と空虚からなると原子論を唱えたデモクリトスも、「動物に関する諸原因」(全3巻、ラエルディオス著、ギリシャ哲学者列伝、岩波書店参照)を書いている。このように、イオニアに始まるギリシャ哲学では、自然現象や人間を、宗教的な教義に頼ることなく理解しようとし、様々なアイデアが生まれた。しかし、どの考えが正しいのかを決めるための実証的手法は全く存在しなかった。そのため、ほとんどの考えが未整理のまま集まるという状況があったのだろう。おそらく、アリストテレスにはこの状況は耐えられなかったのだろう。それぞれの考えを整理し、同じ現象を自分で先入観を排して正確に観察することで、多くの人が納得できるよう彼以前の自然学を集大成したいと考えたと思う。彼の正確な観察能力を持ってすれば、多くの人を説得することが可能だと自信も持っていたように思う。

例えば先ほど紹介した循環器の構造についての記述では、最初シュエンネシスと、ディオゲネースの循環器の記述を引用し、これらが解剖の際の不適切な処理の結果生まれた間違った考えであるとして否定している。

さらに動物発生論になると、エンペドクレスやデモクリトスの動物に関する記述をこっぴどく批判している。アリストテレスによると、デモクリトスは動物のオス・メスが生まれる原因について、  

「メスとオスの違いは母胎内で起こる。・・或るものがメスになり或るものがオスになるのは、少なくとも熱や冷によるのではなく、両親のどちらの精液が優勢になることによる」

と考えていたようだが、これに対して彼はオスは原理を提供し、メスは質量を提供することで個体が発生すると彼の考えを述べている。例えば、

「(去勢された人々)彼らは一部分(睾丸)を切り取られただけで、元の姿からあんなにも変わり果て、女の外観といくらも違わぬものになるのである。この理由は、身体の部分の中のあるものは「原理」である、ということであって、一たび原理が動かされると、それに伴う部分の多くは必然的に変化するのである」

と、彼の考える原理とは何かを証拠とともに述べた上で、

「もしオスの精液が支配すれば、(メス=質量)を引き入れてオスになるが、逆に支配されると反対物(メス)に転化するか、または消滅するのである。」

と彼の理論を述べている。

今考えると、どっちもどっちになるが、重要なことは先に引用した様に、アリストテレスの否定は、ともかく自らの実験手法と観察を基礎として行われている点で、他の人を説得するための証拠をさがそうとする、プラトンにはみられない基本姿勢が見られる。

アリストテレスの論理の特徴の一つは、生命を4つの因果性から捉えようとする点だ。そして、これら因果性の全ては生物の観察から証明できるという彼の信念が、膨大な動物論諸作をかくもう一つのモティベーションだったと思う。

動物誌を読んでいて気づくのは、彼の生殖過程への関心の高さだ。「個体の再生産という生物に備わった特徴は古今東西面白いに決まっている」と片付けずに考えて欲しいのは、このような質問は簡単に宗教的教義の中に閉じ込められてしまう点だ。キリスト教に限らず、天地創造から人間創造まで、様々な宗教的教義が存在している。これに対し動物論諸作でアリストテレスは、一貫して観察に基づいた説明を試みており、まさに宗教教義を排して考えるイオニア哲学をひきついでいる。ただ彼の場合、自然を説明するために着想した「アリストテレスの4因」として知られる、自然の法則があった。そして、この4因が最も明瞭に見られる場所が、動物の発生過程だと確信していた。

そのため、動物発生論は、

「・・・事物の基礎には4種の原因があって、「それのためにというそれ」、すなわち終局(目的因)および実態の概念(形相因)であり、第3と第4は材料(質料因)と運動の起源(起動因)である」

とアリストテレスのマニフェストから始まっている。すなわち、「これから記載する生殖と発生の多様性を、全てこの4因という法則を用いて説明するぞ」というマニフェストだ。

このマニフェストの後に、生殖器官、卵、精液、月経血、交尾など、様々な動物に関する記述が続くが、全て割愛する。

先に少し触れた哺乳動物の生殖に限って彼がどの様に考えていたかをもう一度紹介しよう。まず生物種が同じ形を繰り返して再生産し続けられることを、

「動物の本性は永遠であることができないので、生成するもの(生物)はそれにとって可能な様式においてのみ永遠なのである。」

と、種という様式が繰り返して生産されると考えている。誤解を恐れず喩えで説明すると「水の流れの中の渦は様式として永続しているが、それを構成する水分子は常に変わる」というようなイメージではないだろうか。

そして、胎生であろうと、卵生であろうと、また彼が蛆性と呼ぶ昆虫の生殖であろうと、はたまた腐った土から生まれる自然発生であろうと、全ての発生は4因の総合的作用によって「様式」の再生産が可能になっていると考えている(よく似た議論は、ライプニッツのモナド論から続く18世紀の有機体論で現れるのでその時議論する)。

アリストテレスが4因の相互作用による個体発生をどう考えていたのか、もう少し具体的に月経のある哺乳動物での説明を見てみよう。まず、

「メスは生殖に対して生殖液(精液)を寄与するものではないが、何かを寄与するのであり、しかもこれは月経の構成物質や無血動物でそれに相当するものだ。」

と述べて、オスの精液とメスの月経の中の何かが作用しあって個体が発生すると説明している。これに続いて、

「必ず産むもの(生殖原理すなわち起動因)と、それから生まれるというそれ(質料)がなければならない。」

「もしオスが動かすもの(起動因)が能動的なものであり、メスは受動的なものであるなら、オスの精液に対してメスは精液ではなく質料を寄与することになろう」

と、オスの精液は個体発生の起動因として子宮内のメスの月経血の中にある材料にモーメントとその後の運動原理を提供し、その結果発生が始まった個体は、メスの血液を利用して精子に内在する原理により成長すると説明している。

正しいか正しくないかは別として、これは現象の説明にはなっている。しかし発生過程の説明だけでは、なぜ同じ様式が再生産されるのか、そもそも様式とはどこから来るのか、すなわち生物がなぜ存在するのかわからない。これについてアリストテレスは、

「(生殖による様式の再生産が何かのためにという原因(目的因)によって生じる限りその原理は上の方からくるものである。)

「霊魂は身体より良く、霊魂を持っているもの「生物」は霊魂を持っていないものよりその霊魂のゆえにより良く、また存在することは存在しないことより、生きていることは生きていないことより良いのである。異常が動物の発生する原因(目的因)なのである。」

と、少し苦しい答えを示している。

原語をで読んでいるわけではないのでこの煮え切らない不明確な文章の本当のニュアンスは測りかねるが、アリストテレスはここで、単純に発生のメカニズムだけでなく、生物そのものが存在している原因まで問うていることがわかる。

もう少しわかりやすい彼の目的論の解説は動物運動論の蛇についての記述に見られるので、引用しておこう。

「ヘビ類に足のないわけは、自然が何者も無駄には作らず、すべて可能な限り個体にとって最上のものを見通し、個体の特有性と本質を保つ、ということ・・・」

と述べているのは、生命は自然のもつ目的論に従って生まれることを意味しているし、

「有血動物でヘビのように、体の長さがその他の形質に対して不釣り合いなものは足を持つことができない、という事が明らかである」

と述べているのは、本来あるべき様式が存在すると考える形相因を意味している。

この記述からわかるのは、目的や形相が世界とともに最初から存在するという考え方だ。それに従って、物理法則とも言える質料因と作用因具体的に働く。これこそがラッセルが「科学における根本概念としての目的に対する信仰」と切り捨てた、アリストテレスのプラトン的側面だ。

しかしアリストテレスはこの基本概念の欠如が、彼以前の自然学の問題であると、次のように自信を込めて断じている。

「生成は実体にともない、実体のためにあるので、実体は生成に伴うのではない。しかし、昔の自然学者たちはこれと反対に(生成の結果実体が存在する)と考えていた。その理由は、彼らは原因がいくつもあることを知らないで、質料因と運動因しか知らず、しかもこれらを区別せず、概念因(形相因のこと)と目的因を考慮しなかったからである」

毎日毎日、様々な動物を観察しながら、この基本概念を確認していたアリストテレスの姿が目に浮かぶ。

以上、アリストテレスの動物論諸作がどんなものだったか、ある程度わかってもらえたのではないだろうか。次回は動物発生論でも姿を現した、おそらく読者の皆さんにはさらにわかりにくいアリストテレスの「霊魂」概念について見るため、彼の「霊魂論」を取り上げたい。

7月11日 頸部脊椎損傷による四肢麻痺の手の機能を神経移植で再建する(7月4日 The Lancetオンライン掲載論文)

2019年7月11日
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様々な脊髄損傷治療法が開発されているが、慢性期の患者さんに有効であることが示され、なおかつ治療法が論理的なのは、プログラムされた硬膜外刺激とリハビリを組み合わせた治療法だと思っている。ただ、わが国でほとんど紹介されないので、今月の27日、患者さんたちとYouTubeで最近の研究を解説する予定にしている。

この様な研究は、再び歩くための治療法になるが、今日紹介するオーストラリアのモナーシュ大学、メルボルン大学などから共同で発表された論文は、、頚部の脊髄損傷による四肢麻痺の腕の機能を、局所の神経移植で治療する試みで7月4日号のThe Lancetに掲載された。「Expanding traditional tendon-based techniques with nerve transfers for the restoration of upper limb function in tetraplegia: a prospective case series(四肢麻痺の上肢機能の再建のための腱移植を基盤にした術式を神経移植で拡大する)」だ。

恥ずかしいことに脊髄損傷で抹消神経の移植療法が行われてきたとは全く知らなかった。しかし言われてみると、腕の筋肉支配は結構複雑で、C4は肩、C5は上腕外側、C6は肘から手にかけて支配されている。とすると、C4,C5部位の損傷の場合、後方の支配神経を、まだ生きている前方の神経に移すことは十分考えられる。もちろん神経支配は個性が多く、それぞれの患者さんに合わせて行われるが、この治験では主にC4,C5の脊髄損傷で四肢麻痺に陥った患者さんの上皮の機能を、肘を伸ばすという機能、手で掴むという機能に絞って、回復の難しい支配神経を、回復が望める支配神経に移し替える移植手術をおこなっている。

実際にはプロの手術の話で、私もほとんど術式を理解しているわけではないが、これまでよく行われていた神経と腱を筋肉に移植する方法と異なり、上部の神経移植だと多くの筋肉の支配を復活させることができる様だ。この研究では、腱移植を組み合わせたり、神経移植だけにしたり、複数の組み合わせを試している。

結果は上々で、障害を受けてから18ヶ月以内の16人の患者さんに総計59本の神経移植を行い、2年後の経過を観察すると、3例を除いて、全ての人で肘を伸ばし、ものを掴む機能が改善し、その結果室内での移動や、トイレ内での車いすからの移動など、車いすは必要だが、自分でかなりのことができる様になっている。

また腱移植の場合は力が出るが、神経移植の場合はスムースな動きが回復するなど、今後に役立つ結果も多く得られている。

結果の詳細を省くが、専門家の神経移植手術で、四肢麻痺の上肢機能を一部回復させることで、生活上はかなりの改善が見られるという話だ。現在失われた脊髄のギャップを埋める話のみに注目が集まっているが、可能なことは全て試して少しでも機能を向上させる努力も大切なことがよくわかった。

カテゴリ:論文ウォッチ

7月10日 アルコールは長生きの元(Alcoholism: Clinical and Experimental Researchオンライン掲載論文)

2019年7月10日
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このブログも多くの方に読んでいただきやりがいを感じているが、今日は自分のために、気楽に書いているので、あまり参考にしないでほしい。さて、若い時から酒は好きな方だったが、毎日晩酌をする様になったのは50を過ぎてからだった。量としてはほどほどなので、ストレスを感じるよりは体にいいかと勝手に納得してこの習慣をやめようとは思はない。

今日紹介するコロンビア大学からの論文は、高齢になってからは間違っても禁酒しないほうがいいという驚くべき論文で、酒好きの私ですら本当かと今だに疑っている。タイトルは「Alcohol Consumption in Later Life and Mortality in the United States: Results from 9 Waves of the Health and Retirement Study(米国での引退者のアルコール消費と死亡率:9回の健康と引退コホート対象者の調査研究)」だ。

この研究は平均60歳の退職者コホート研究の参加者を1998年から、2014年にかけて追跡している。この研究を始めるときにインタビューを行い、毎日のアルコール消費について、全く飲まない、現在禁酒中、たまに飲む、中程度飲む、かなり飲む、の5段階に分けてその後の生存カーブをプロットしている。

驚くことに、男女共中程度に酒を飲むほうが、ほとんど飲まないより生存率がはっきり高い。たまに飲む人と比べても良い。最悪は、あとから禁酒をした人で、かなり飲むと答えた人よりも生存率が低い。

あとから禁酒するというのは、病気など様々な理由の結果だと考えられるので、この様な要因を加味して死亡リスクを計算し直しているが、結局途中から禁酒した人が最も死亡リスクが高く、中程度に飲んでいる人が最も低い。驚くことに、酒を口にしたこともないという人より、中程度にたしなむ人の方が長生きだ。

話はこれだけで、この結果はアルコール消費は死亡リスクをたかめるというこれまでの研究と真っ向から対立するが、著者らはこの研究はこれまで行われた中では、16年しっかり対象者をフォローした最も大規模な研究であると、自信を持って「退職後少なくとも80歳ぐらいまでのアルコールは体にいい」と結論している。

もちろん、他に修正すべき対象のバイアスはあるかもしれないし、この結果は統計の罠で、いつかひっくり返るかもしれない。そのため繰り返すが、今日の論文紹介は自分のためだけに書いてみた。

カテゴリ:論文ウォッチ