2020年2月24日
昔からリュウマチ、シェーグレン病、SLEなどの自己免疫疾患の患者さんで、悪性リンパ腫のリスクが高いことは疫学的に確かめられていた。長期間リンパ球への刺激が続くだけでなく、炎症が慢性化することで炎症性サイトカインが悪さをすると説明されてきたが、実験的に確かめられたわけではない。
今日紹介するオーストラリアGarvan医学研究所からの論文は、逆にリンパ腫につながる突然変異が抗体の変異を誘導し自己免疫症状を発生させることを示した面白い研究で3月5日発行予定のCellに掲載された。タイトルは「Lymphoma Driver Mutations in the Pathogenic Evolution of an Iconic Human Autoantibody (象徴的自己抗体への病的進化にリンパ腫を誘導するドライバー変異が関わっている)」だ。
この研究が焦点を当てているのは一部のリュウマチ患者さんで見られるリュウマチ因子と呼ばれる自己のIgGに結合するIgM自己抗体のなかで、温度が下がると相転換がおこって巨大分子に変身して腎臓などの組織を障害する悪漢自己抗体だ。この抗体については研究が進んでいるので、まず質量分析で自己抗体の配列を決め、これを産生する悪漢B細胞が患者さんの末梢血にも存在することを確認した後、抗体の遺伝子を特定している。
悪漢B細胞が特定できたので、次はこの抗体を産生しているB細胞を分離(イディオタイプに対する抗体を用いている)、こうして得られたB細胞をsingle cell levelで解析し、自己抗体の多様性、進化、そしてこの背景にリンパ腫発生に関わるドライバー変異がないかを調べ、以下の結論を得ている。
一人の患者さんの中で、悪漢自己抗体B細胞として特定できるB細胞は同じ突然変異前の祖先B細胞に由来している。 しかし、祖先B細胞の抗体遺伝子に新しい変異が起こり始めると、多様な部位で変異が蓄積し、悪漢自己抗体産生B細胞が多様化する。 4人の患者さんでこの悪漢B細胞の多様性が発生する前に、リンパ腫に関わることが知られているドライバー遺伝子変異が起こっている。 動物実験で同じドライバー突然変異をマウスリンパ球に導入すると、細胞の増殖自体は正常と変化ないが、抗体遺伝子の多様性が上昇する。 抗体遺伝子の多様化は、抗原に対する親和性の上昇を伴う。
以上が結果で、自己抗体の発生過程で、まずリンパ腫ドライバー遺伝子の変異が先に起こり、この結果まだはっきりしないメカニズムで免疫グロブリン遺伝子の多様性を発生させる突然変異が上昇し、それが選択されて自己免疫病に至ることを示している。
技術自体はどこでも可能な技術だが、人間で自己抗体の進化過程をsingle cell analysisで見てみようと思った発想自体がこの研究のハイライトだと思う。自己免疫の発生と患者さんのリンパ腫リスクについてうまく説明した面白い論文だと思う。
2020年2月23日
新型コロナウイルス感染の広がりをニュースとしてみていると、少なくとも我が国では情報の氾濫だけが目立つが、世界規模で医学という点から見ると着実に進展している。最も知りたいのは治療の進展だが、2ヶ月で漏れ聞こえてくる話で一喜一憂することは厳禁だ。代わりに、国際的治験登録サイトが存在し、治療法の計画段階から登録して、その計画に従って治験を行うことで効果を科学的に確かめるのが国際標準になっている。
登録サイトの中では最も信頼性があるのが米国のClinicalTrials. Govなので、新型コロナウイルスについて登録された治験がどのぐらい走っているのか、covid-19で検索をかけると、驚くことにすでに49の治験が登録されている。中にはまだ始まっていない計画段階のものも含まれるが、2ヶ月という短期間にこれだけの治験が登録されたことは、中国を中心に医学界が総力を挙げ、新しい治療法の開発に挑んでいることがわかる。今見ているサイトはhttps://clinicaltrials.gov/ct2/results?cond=&term=covid-19&cntry=&state=&city=&dist =だが、明日になればもっと増えるだろう。
どんな治験が走っているのか紹介しよう。
スマフォでの自己診断法 2件 サリドマイド 1件(肺の障害を防ぐ) 臨床経過観察研究 7件 検査法研究 3件 漢方薬 2件 フィンゴリモド 免疫細胞移動抑制剤 1件 副腎皮質ホルモン 2件 一般薬の治験(痰の融解、インターフェロン、ビタミンなど) 4件 チェックポイント治療 2件 抗体治験 2件 抗ウイルス剤 11件 細胞治療 5件 肺線維症治療剤 2件 マイクロビオーム移植 1件 抗インターロイキン治療 1件
かなり大雑把に分類したので間違っている点があればお許しいただきたいが、中国がすべての情報を公開して、科学的治験を行おうとしている姿がよくわかる。中には、非接触型の体温測定までその効果を治験研究として申請している。当然のことながら、抗ウイルス薬の治験は多い。同じものを組み合わせたりで、薬の種類が多いわけではないが、あらゆる可能性が確かめられようとしている。チェックポイント治療やサリドマイドまであるのは驚くが、少し考えるとなかなか正しい方向だと思う。
エボラウイルス治療の知見では結局抗ウイルス薬はだめで、ウイルスに対するモノクローナル抗体が効果を示した。その意味で、回復患者さんの抗血清の結果はそのままモノクローナル抗体開発につながるだろう。
さてなぜこんな話をする気になったかというと、今日の新聞で厚労省が備蓄している日本製の抗ウイルス薬の投与を始めるという報道を見たからだ。もちろん重症化した患者さんを前に、何か治療手段をと思うのはわかる。しかし、結果がわからない治療については、すべて治験として科学的に効果を確かめないと、世界から相手にされないことは間違いない。ClinicalTrialに49の治験が登録されたという事実は、中国医学の大きな変化を物語っているが、我が国の治験は登録して行う気があるのだろうか?
報道にリークして特効薬がもらえるのではと勘違いさせ、プラセボ効果を最大限に利用するような愚かな治験をもし医療行政の府が行なっているとしたら、由々しき事態だと思う。医療先進国を自負する我が国の厚労省が、科学的治験の重要性を認識して、正しく治験を進めることを願いたい。
2020年2月23日
ワクチンなど有害なだけだと叫んでいるアンチワクチンキャンペーンの人たちも、流石にコロナウイルスやサーズになってくると、ワクチンはまだかと心待ちにしているのではないだろうか。実際、あれほど激烈な肺症状をおこすウイルスに感染してもほとんどの人が軽症で終わるのは、免疫系があるからだし、エボラウイルスのケースでも、結局有効性が確認されたのはウイルスに対する抗体療法だけだった。要するにワクチンによる予防は感染症に対する宝刀なのだが、まだまだ切れ味が鈍いという点に問題がある。
今日紹介するハーバード大学と上海の復旦大学からの論文はワクチンの切れ味を高める新しい方法の開発で2月21日号のScienceに掲載された。タイトルは「Pulmonary surfactant–biomimetic nanoparticles potentiate heterosubtypic influenza immunity (肺サーファクタントを真似たナノ粒子は系統を問わないインフルエンザ免疫を高める)」だ。
インフルエンザワクチンに対して疑問がでるのはその効果が決定的でないことと個人差が多いことだ。しかしこれは免疫反応の常で、ガンに対するチェックポイント治療の大きな個人差を見ればわかる。したがって反応する人の割合を上げるため、様々な免疫賦活材。アジュバントが使われるが、まだ切り札はない。また、これまでの皮下注射によるワクチン接種では、肝心の肺で働く初期の免疫反応が上手く誘導できないこともわかっている。
この研究では、この二つの課題を、肺の上皮に広がって肺の機械的運動を助け、また細胞を外界から守るサーファクタントを含む脂肪膜でできたカプセルに、自然免疫を直接刺激する最近注目のcGAMPと呼ばれるアジュバントを封入したあと不活化インフルエンザウイルスと混ぜて、吸引させるワクチンを開発している。様々なタイプを開発した結果、サーファクタントに一番近いnano4と呼ばれる吸入ワクチンが、肺のマクロファージに選択的に取り込まれることを確認している。
面白いのは、鼻粘膜などには一切取り込まれないことで、サーファクタントのある場所だけでマクロファージに取り込まれる。したがって、肺へ吸入させるためのワクチンとしては最高の性質を持つことになる。
さらにワクチンとして理想的な性質を備えている。まず、抗原とは無関係に強い自然免疫を誘導することで、初期防御だけでなく、免疫反応誘導も高まるが、リポソームに詰めたGAMPは現在使われているアジュバントと比べて高い。
また、免疫誘導能についても、従来のワクチンと比べて高い抗体反応を誘導でき、ワクチン投与マウスでは病気が発症しない。しかも、吸入してなんと2日目から強い免疫が起こり、インフルエンザの発症をほぼ完全にストップする。
なぜこれほど効果が高いのかを調べると、自然免疫が高いだけではなく、抗原反応性のキラータイプのCD8T細胞が速やかに出現する。この原因を探ってみると、リポソームを取り込んだマクロファージから、リポソーム内のGAMPが上皮へと受け渡され、上皮の自然免疫反応、さらに抗原提示能を上昇させて、速やかにCD8Tキラー細胞を誘導するからで、CD8T細胞を除去する、あるいはマクロファージから上皮への物質受け渡しを止めると初期の防御効果はなくなる。
最後に、人間に近いモデルとして使われるフェレットを用いた防御研究で、初期反応がしっかり起こり、高いレベルの抗体が誘導できると、一つの系統のインフルエンザ免疫で、他の系統に対する対応が可能になることも示している。
全て納得の極めて説得力の高い結果で、ぜひコロナも含めてワクチンのスタンダードにしてほしいと思う。ただ、人間でも同じように高い効果を示すかどうかは、やってみるしかない。ぜひ期待通りの結果が出て、一回吸入すればどんな系統が来ても心配ないというワクチンが開発されることを願う。独占してもらっていいので、ぜひコストだけは現在のレベルを逸脱しないようにお願いしたい。
2020年2月22日
感覚、記憶、行動など脳の研究の発展は著しいが、高等動物の場合あらゆる脳活動は意識に依存している。この意識が何かについては、DennetやKochなど多くの本が発表されているが、意外なことに意識を直接扱った論文は、トップジャーナルではなかなか目にしない。
科学から離れて自分の感覚だけでいうと、意識とは可変スウィッチみたいなもので、オフだと自分自身がその時間存在したかどうか全くわからない。すなわち、自分があるという感覚の源だ。完全に寝た時、麻酔時にこのオフの経験をしているはずだが、要するにその間自分が存在したのかどうかわからないのだ。幸い今の所覚醒することができ、その時も存在したことを推察している。オンの時は可変で様々なレベルがある。
今日紹介するウィスコンシン大学からの論文は割と自分の体験からくる意識のイメージに合致したわかりやすい研究で、4月8日Neuronに掲載予定だ。タイトルは「Thalamus Modulates Consciousness via Layer-Specific Control of Cortex(視床は層特異的皮質支配により意識を変化させる)」だ。
研究はサルを使って、マルチ電極と記録を行う比較的古典的な実験が中心で、サルを用いているということもあり光遺伝学などのハイテクは全く使われていない。そして、この研究での意識の基本定義は麻酔によって消失する活動の全てということになる。
この麻酔状態を維持しているサルのどこをどう刺激すれば、麻酔にも関わらずサルが覚醒するかがquestionで、260 箇所の刺激を繰り返した結果、視床の中央部を50Hzの高い周期の電流で刺激したときだけ、脳各部の高い周波数の活動が上がり、また行動記録からも覚醒していることがわかる。
また、様々な脳領域の記録から、視床と皮質深層の活動が睡眠も含む意識の状態と最も相関していることを明らかにしている。さらに、様々な領域間の連結性と意識状態との相関を調べ、皮質表層部と深部の活動の連結性が意識とともに上昇するが、この時の連結性は50Hzではなく8Hz前後のθ波およびα波として捉えられることを示している。
結果はこれだけで、視床の中心部に意識のスイッチの一つ(?)が存在し、50H zという早い振動で興奮すると、そこから皮質表層、皮質深層へ投射する神経を介して興奮が伝わり、これが次の引き金になって皮質深部と表層、そして逆に視床間のθ、α波を介した相互作用が起こり、意識が維持されるというスキームだ。そして、このコアの活動を基盤に、他の領域の様々な意識依存性活動が起こるという結論だ。
シンプルな実験だが、視床中央部を50Hzで刺激すると、麻酔下でも意識が回復するという結果がハイライトで、スイッチがこの辺にありそうだということはよくわかった。今後、麻酔以外の条件でこのコア領域の興奮がどう調節されているのか、研究が進む気がする。また、臨床的に意識がないまま長期間生命維持されている人の中で、この部位を刺激することで意識の回復チャンスを高められるかどうかなども面白い課題だろう。
意識について多くのことが語られているが、結局大事なのは創意工夫に基づく研究の積み重ねであることがよくわかる。
2020年2月21日
かなり古くから神経系と免疫系の相互作用の存在は指摘されてきた。記憶は確かではないが、40年以上前、Cold Spring Harbor出版社からNeuroimmunologyについてそれぞれの分野のトップ研究者が寄稿した本があったような記憶がある。たしかに、両システムは多様な認識が可能で、記憶メカニズムを持っていたりと共通項は多いが、最終的に免疫系がなくても、神経系は正常であることが明らかになることで、両者をしいて結びつけることは下火になったように思う。
それでも詳細に眺めると、両者の不思議な依存性が見つかるようで、今日紹介するハーバード大学からの論文は脂肪細胞への交感神経支配がγδT細胞により誘導されていることを示す研究で2月19日号のNatureに掲載された。タイトルは「γδ T cells and adipocyte IL-17RC control fat innervation and thermogenesis (γδT細胞と脂肪細胞のIL-17受容体Cが脂肪細胞への神経支配と熱発生をコントロールする)」だ。
交換神経細胞は様々な組織に端末を伸ばしているが、なぜこれだけ多様な組織に合目的に神経支配を確立するのか確かに不思議だ。この研究は、寒さに晒された時、脂肪燃焼による熱の発生を調節する脂肪組織の交感神経支配が成立する過程が、免疫システムが欠損したRag2ノックアウトマウスで強く障害されているという発見から始まっている。
ではどのリンパ球が交感神経支配の成立に関わるか、様々なノックアウトマウスを検討し、意外なことにγδT細胞が欠損すると、交感神経支配が低下し、熱の形成が低下すること、そして脂肪組織のγδT細胞のほとんどはVγ6を抗原受容体として発現していることを明らかにする。
この発見を皮切りに、順番にノックアウトマウスを組み合わせてγδT細胞が交感神経支配成立に関わる過程を解析し、以下の結果を得ている。
γδT細胞の分泌するIL-17Fと脂肪細胞側のIL-17C受容体が交感神経支配の誘導に必須。 IL-17RC依存性の交感神経支配は脂肪細胞特異的。 γδT細胞の分泌するIL-17F で刺激された脂肪細胞はTGFβ1を分泌し、これが交感神経支配を誘導する。
以上が結果で、繰り返すとγδT細胞は炎症性サイトカインIL-17Fで脂肪細胞を刺激し、このシグナルにより誘導されたTGFβ1により交感神経支配が確立するという結論になる。
実際には神経系と免疫系が直接関わりあうという話ではなく、免疫系によりマークをつけられた脂肪細胞に神経支配が確立するという話だった。少し深めに解釈して、この図式をIL-17という炎症性サイトカインを用いる脂肪細胞と免疫細胞の相互作用がおこっている炎症サイトをめがけて交感神経支配が伸びてくるという話として捉えると、炎症と神経という問題にまで拡大する面白い話だと思った。
2020年2月20日
昨年の3月、40Hzの光と音で同時に刺激すると、脳内のミクログリアが活性化され、アミロイドプラークを除去する結果、アルツハイマーモデルで記憶が改善するという驚くべき論文を紹介した(https://aasj.jp/news/watch/9864 )。更に驚いたのは、米国でこの40Hzの音と光を出すデバイスを販売している会社があるという事実だ(https://gammalighttherapy.com/ )。米国の活力の源を見る感じがする。とはいえ実際には、光や音と脳波が同期してγ波が海馬で発生する結果だと解説したが、ではなぜγ波がミクログリアを活性するかはわかっていない。
今日紹介するアトランタ・エモリー大学からの論文は、40Hzの光の明滅(フリッカー)で刺激されたマウスの脳内でミクログリアを刺激するサイトカインが選択的に誘導されることを示した論文で2月5日号のJournal of Neuroscienceに掲載された。タイトルは「Gamma Visual Stimulation Induces a Neuroimmune Signaling Profile Distinct from Acute Neuroinflammation(視覚のγ刺激は急性炎症とは異なる神経免疫学的シグナルプロファイルを誘導する)」だ。
研究は単純で、マウスを40Hzフリッカーで1時間刺激し、すぐに視覚野を取り出して32種類のサイトカインの発現を見ているだけだ。ただ実験では、40Hzだけでなく、20Hz、波長がランダムに変わるフリッカー、そして明滅しない持続的光についても、サイトカインの発現誘導を調べている。
結果は明快で、40Hzのフリッカー刺激は多くのサイトカインを誘導するが、何と言っても高いのはミクログリアを刺激するM-CSF,IL-6,MIG,IL-4で、この結果は昨年3月に紹介したγ波によるミクログリア活性化と一致する。
驚くのは明滅しない光、あるいは波長がランダムに変わる光を当ててもサイトカインが誘導されることで、神経刺激で常にサイトカインが脳で誘導されているのかと思うと少し心配になる。ただ、40Hzフリッカーの場合、脳に急性炎症を誘導した場合のサイトカインとはまたくことなっており、炎症が起こると心配するほどではないと結論している。事実、行動を調べても、どの刺激でもほとんど変化はない。
不思議なことに、晒される光の性質により発現するサイトカインの種類が異なる点で、これを突き詰めていけば光で必要なサイトカインを脳内に誘導してがんと闘うことすら可能になるかもしれない。
個人的に興味を持ったのは、20Hzの刺激が他の刺激と比べて、サイトカインの発現全般を低下させることで、ひょっとしたら脳を休めるのに20Hzは使えるかもしれない。
ではなぜサイトカインが神経刺激で誘導できるのか?残念ながら最初の引き金は不明だが、TNFRファミリー分子が刺激され、NFkb活性化、MAPK活性化のカスケードが関わることを示している。
以上が結果で、ミクログリアと神経刺激のあいだの距離が縮まった。しかし、なぜ神経刺激でNFKbが活性化するのかは解明できていない。しかし、そんなことにはお構いなく、γ波ビジネスは加速していく気がする。
2020年2月19日
数多くのサプリメントがアンチエージングをうたっているが、本当に健康寿命を伸ばせるのか調べようと思うと、かなり長期の科学的治験が必要になる。例えば、ワシントン大学今井さんの研究で有名なサーチュイン2を活性化するNADの前駆体NMNにしてもようやく治験が始まったばかりで、本当に副作用なく何十年も飲み続けられるのか?少なくとも私にとってわかった時にはもう手遅れだろう。
ただ、抗老化サプリによっては、その効果をもっと早く知る方法もある。例えば肺線維症や腎硬化症はメカニズムが老化とオーバラップする場合も多く、これに治療効果がある場合、老化にも効く可能性がある。この方向の研究として、非特異的キナーゼ阻害剤と、抗酸化サプリを併用して、死にかけの細胞を積極的に殺すsenolysis治療があるが、肺線維症や腎硬化症で効果をあげており、実際の老化にも効果があるのではと期待され始めている。
今日紹介するオーストラリア・ニューサウスウェールズ大学からの論文はアンチエージングサプリとして期待されているNMNが卵子の若返りに貢献することを示し、ひょっとしたらNMSも期待が持てるかもと思わせる研究で2月18日号のCell Reportsに掲載された。タイトルは「NAD + Repletion Rescues Female Fertility during Reproductive Aging (NADを補充することで女性の生殖年齢を若返らせる)」だ。
研究はまず高齢マウスの卵子でNADが低下していることを確かめたあと、経口投与できるNAD前駆体NMNを飲み水に混ぜて飲ませると、NADレベルが回復することを確かめる。
あとはNADが回復した卵子の機能を様々な角度から確かめ、卵子の能力が若返っていることを発見している。ただ面白いのは、NMNを0.5g/lの濃度で飲ませる場合は著しい改善がみられるのに、4倍の濃度液を飲ませると、卵子の機能は逆に低下する。NADが様々な回路で働いていることの現れで、おそらくアンチエージングを考える時も注意が必要な点になる。
この結果はNADが多様な影響を持つことを示しているが、Sirtuin2のトランスジェニックマウスを用いて、卵子若返りの主役はやはりSirtuin2であることを示している。すなわち、NADはsirtuin2の脱アセチル化機能を活性化して働いていることを示している。
最後に生殖補助医療の状況を考え、老化卵子に試験管内で直接NMNを添加する実験を行い、試験管内でも同じようにNMNはSirtuin2を介して卵子の機能を若返らせることを明らかにしている。
以上、実験自体は他の細胞を用いたアンチエージング実験となんら変わることはないが、卵子という老化がはっきりと機能に現れる系でNADの効果が示せたこと、そして年齢が進んだカップルの卵子機能を高める臨床的可能性を開いた点で面白いと思う。
2020年2月18日
「自閉症の科学」では、繰り返し繰り返しASDに関わる遺伝子変異の論文を紹介してきたが、これは21世紀に入ってこの分野の研究が急速に進展し、今も多くの論文が発表されつづけているからだ。しかもこれで十分というレベルには到底達しておらず、知識は今もアップデートされ続けている。これを裏返すと、それほどASDの遺伝的背景が複雑であることを物語っている。これまでの研究から見えてきたのは、ASD状態は、多くの遺伝子が合わさって形成される性格と同じような脳の多様性とともに、その多様性が最後に「異常」として表現されるために必要な遺伝的変異が組み合わさって形成されることで、この二つのタイプの変異の質が大きく異なっているという認識だ。
今日紹介したい論文は、ボストンのMITを中心に1万人以上のASDのゲノム配列を調べ、特にASDが異常として表現される遺伝子変異を特定しようとした探索研究だが、論文をいきなりそのまま紹介したのでは、おそらく医学部の学生さんでもすぐ理解するのは難しい内容だと思うので、まず遺伝子変異の質についての基礎知識から紹介してみたいと思う。
私たちの細胞は外界からのストレスがなくても、細胞が分裂するたびにDNAが複製され、そのたびに様々なタイプの複製ミスが生まれるようにできている。このような個人レベルのゲノムの違いが、環境要因に影響される遺伝子の使い方(エピジェネティックス)と合わさって一人一人の性質や性格の違いを生み出している。図に示すように、こうして生まれる遺伝子変異は、大きく頻度の比較的高いコモンバリアントと、稀にしか見つからないレアバリアントに分けることができる。この、コモン、レアを決めている要因が、遺伝子変異への選択圧力で、例えば個体の生存に関わる多くの変異は、子孫が残せないため集団内の頻度は必然的に低くなり、レアバリアントになる。一方、現在個人の病気の遺伝的リスクを調べるために提供される個人ゲノムサービスの多くは頻度が比較的高いコモンバリアントを調べる検査だ。例えば、身長などはこのようなコモンバリアントがいくつか合わさって決まることがわかっており、最近ではこのようなコモンバリアントの組み合わせから身長を推察することも可能になっている。要するに私たちが一般的な性質や性格と呼ぶものは、コモンバリアントの複雑な組み合わせからなるといっていい。
ASDも、コモンバリアント(CV)、レアバリアント(RV)の両面から調べられてきた。例えば脆弱性X症候群、RETT症候群など特定の遺伝子機能が失われるRVは、発達遅延とともにASD様症状を示すことが知られており、異常状態が発生させる過程を理解するために重要な変異だ。実際このようなRVは、動物に導入するとASDに似た症状を示すことが多く、ASDモデル動物として研究されている。ただ、発達障害のような目立つ症状が出る場合以外は、RVを発見することは難しく、調べるためには千人以上のゲノムを調べることが必要になる。
一方頻度の高いCVのほとんどは個体の生存に直接関わることは少なく、個々のCVは変異というものの、性質の大きな変化につながることはまずない。すなわち変異への選択圧は弱く、結果その変異が一定の頻度で維持されてきたと考えられる。個々のCVの影響は大きくないが、他の様々な変異と合わさることで様々な病気の発症に関わることも確かで、全ゲノムレベルでCVを調べる検査(GWAS検査)で疾患との相関を調べることでリスクを計算することができる。ASDについても多くの研究が行われ、100を超すCVがASDのリスク因子として相関することが明らかになっている。ASDと相関するCV がこれほど多く見つかったと言う事実は、ASDがまさに様々なタイプを包含するスペクトラム障害で、性格と同じようにCVの組み合わせで決まる脳の多様性を反映している根拠として考えられるようになった。
その後次世代シークエンサーの利用により、個人ゲノムのDNA配列を読むコストが急速に低下した結果、千人を越す人のゲノム配列を調べる研究が可能になり、自閉症という一枚のコインを、CV,RV両面から一体的に調べる研究が進み始めた。その典型が前回「自閉症の科学」で紹介した「父親の精子に見られる遺伝的変異のモザイク」(https://aasj.jp/news/autism-science/12266 )についての論文で、この研究では図でde Novoの変異として示した、両親、兄弟にはなく自閉症児本人だけにみられるRVを調べている。
さて、今日紹介したいMITを中心とする国際チームからの論文では1万人を越すASDについて、ゲノムのうちタンパク質に翻訳される部分(エクソン)を解読し、ASDだけに存在し、一般人には見つからないRVを探索している。RVを特定したい場合、対象が多ければ多いほど新しいRVを見つけることができる。これまでの研究では千人規模だったので、1万人規模にスケールアップすることでさらに稀なRVも見つけることができる。ただ、この探索には終わりはなく、次は10万人、その次は100万人と、すべてのASDリスクRVがリストできるまで研究は続くと思う。従って、この研究も中間報告として考える必要がある。
膨大な研究なので詳細は省いて、RVを調べることの意味を中心に以下にまとめてみた。
分子の構造変化につながるRVがASDでは3.5倍多く蓄積する傾向がある。逆から言うと、ASD発症には確かに分子機能の変化を伴うRVが関わっている。統計学的には、RVはASDで見られる変異の2%ほどで、50%以上はCV。 RVの頻度は女性のASDの方が2倍高い。ASDは男性が圧倒的に多いことを考えると、この結果は不思議に思われるかもしれない。しかし、女性がASDを発症しにくいということは、逆に発症のためには男性より多くのRVが必要であることを意味し、これまで考えられていた様に、女性はASDになりにくい事実の裏返しと見ることができる。 この研究では全体で102種類のASD特異的RVと特定されたが、そのうち60は新しく発見されている。即ち、対象の数を増やせばさらに新しいRVが発見できる可能性がある。 ほとんどのRVは神経細胞で発現しており、ASD特異的RVp(53種類)と、他の精神疾患にも見られるRVn(49種類)に分けることができる。他の神経疾患でも見られるRVを持つ児童は、歩く時期が遅く、軽度の発達障害が見られる事から、RVpとRVnの機能は異なることが推察できる。 RVの機能は、遺伝子発現調節に関わる分子か、シナプスなどの神経管結合に関わる分子に分けられる。また、101種類のRVは出生前の脳で発現が高い事から、神経発達に関わると推定される。
これ以外にも、いくつか面白い解析が示されてはいるが、あまりに専門的になるので割愛する。
要するに対象の数を増やすことで、ASD特異的RVを特定することができ、統計学的解析からこれらRVが確かにASD発症に関わることが証明できたと言える。
これまで自閉症と相関することが発見されたCVがあまりに多いため、ゲノムから新しい治療法を発見することは難しいのではと考えられてきたが、この脳の多様性が「異常」として表現されるために必要なASD特異的RVが明らかになることで、ゲノムからASD治療法を開発することも夢でないと思っている。
2020年2月18日
私たちが医学部で学んでいた頃の神経疾患は症状の違いを中心に分類されており、また分類した研究者の名前が病名につくため、習う方としてはただただ暗記一辺倒になっていた覚えがある。例えば小脳神経の編成が強いとオリーブ橋小脳萎縮症、自律神経症状が強いとシャイ・ドレーガ症候群、そして線条体症状が強いのがパーキンソン病(PD)と分類され、線条体中心のパーキンソン病以外は多系統萎縮症(MSA)と総称されていた。1990年ごろαシヌクレインが変性した繊維状構造の異常蓄積がこれらの病気の共通の原因と考えられるようになり、これらすべての病気は今やαシヌクレイン症として分類されようとしている。しかしなぜ同じ分子背景なのにこれほど症状の違いがあるのかを説明しない限り、やはりαシヌクレイン症で片付けるのは難しい。
今日紹介するテキサス大学からの論文はPDとMSAを誘導するαシヌクレイン繊維は機能的に区別できることを示した論文で2月13日号のNatureに掲載された。タイトルは「Discriminating α-synuclein strains in Parkinson’s disease and multiple system atrophy (パーキンソン病と多系統萎縮症に存在するαシヌクレインを区別する)」だ。
さてこの研究の目的は明快だ。PD とMSAを誘導しているαシヌクレイン繊維は、構造上の違いがあり、それを用いて両者を鑑別することができることを示すことだ。
もちろん答えはYesで、これを以下の方法で確認している。
変性により形成されるαシヌクレイン(αSNL)繊維はプリオンと同じで、非変性のαSNLを変性型に折りたたんでαSNL繊維へと転換する鋳型の役割がある。この患者さんのαSNL繊維を鋳型に非変性型αSNLが変性型に折りたたまれるとき蛍光を発するαSNLを用いて、患者さんの脊髄液に変性型の鋳型が存在するか調べると、PDのαSNL繊維を鋳型にした方がMSAのそれより、高い蛍光が見られること。ただ、これは繊維型へ変性した分子数がPDの場合で多い訳ではなく、αSNL繊維の構造上の違いを反映している。 これをさらに確かめるため、αSNL繊維に特異的に結合する様々な化合物を用いてPD 由来とMSA由来のαSNL繊維への結合を比べると、化合物HC199はPD由来のαSNL繊維と、HC159はMSA由来αSNL繊維と選択的に結合する。 タンパク分解酵素で分解しにくい分子領域を調べる方法で、PDとMSA由来αSNL繊維を区別できる。 これらの差を用いて、患者さんの脳脊髄液に存在するαSNL繊維を調べると、ほぼ90%の確率で両者を区別できる。 分光分析機やクライオ電顕でそれぞれの繊維の構造の差を明確に定義できる。 iPSや神経幹細胞由来の神経細胞へ転嫁する実験を行うと、MSAのαSNL繊維の方が細胞毒性が強い。
以上、構造的、生化学的、機能的すべての面で同じαSNL分子由来でも、変性した繊維構造がPDとMSAで異なることがわかった。この意味で、単純にαシヌクレイン症と一括りにすることができないことがよくわかった。
ただ、なぜできた繊維の構造が病気ごとに違うのか、この解明が最大の問題で、これがわかると病気の理解は格段に進むと期待できる。
2020年2月17日
強い恐怖や悲しみにさらされた後、治療の困難な不安神経症を含む様々な精神的、行動学的異常を示す状態を、PTSDとして一般的不安神経症から区別するようになったのは私が医学部を卒業した頃だった。まさにベトナム戦争の頃だが、重要なことは戦争体験者全員がかかるわけではなく、およそ10%がPTSDへ発展する。
医学的には恐ろしい記憶を抑えようと試みるプロセスが、逆に記憶を蘇らせていると考えられて、学習障害の1型として治療されている。いずれにせよ、記憶を抑えるための回路がこの状態の鍵を握ると考えられる。
今日紹介するフランスノルマンディー大学からの論文は、130人の犠牲者が出たパリ市サン・ドニの自爆テロ事件に居合わせた市民102人の参加を得(うちPTSD55人、PTSD症状を示さない47人)の一般的な記憶抑制機能を調べ、PTSDの患者さんがテロの記憶と関わりなく、記憶の抑制の異常を示すことを示した論文で2月14日号のScienceに掲載された。タイトルは「Resilience after trauma::The role of memory suppression(トラウマの後のストレス回復力:記憶抑制の役割)」だ。
この研究ではテロが起こった日パリを離れていた人(ここでは1群と呼ぶ)、テロにさらされたもののPTSD発症しなかった人(2群と呼ぶ)、そしてテロに居合わせPTSDを発症した人(3群)について、単語と画像のセットを覚えてもらった後、半分はそのまま覚える、残りは頭に浮かばないよう自分で何度も努力してもらう課題を行わせる。この時、記憶を抑えることができたかどうかは、ぼかしが入った画像を見せ、ぼかしを徐々に除去して対象の画像が認識できた時間を抑制の指標としている。すなわち抑制できている人は、思い浮かべるまで時間がかかるというわけだ。
実際、 PTSDの人は、記憶の抑制がうまくいかず、逆に早く認識できる。すなわち、PTSDは特定の記憶だけでなく、記憶自体を抑制することが難しい状態に陥っていると言える。
この異常を脳科学的に調べる目的で、課題を行なっているときに機能的 MRI検査を実施し、脳の活動及び活動の動機を指標とする各部位の連結性を計測している。特にこれまで記憶の抑制に関わることがわかっている背側側部前頭前皮質と、海馬など記憶に関わる領域の反応を調べている。
課題を行なっているときのそれぞれの脳領域の活動には特に目立った差はない。しかし、PTSDを発症した人だけは、記憶を抑制する課題より抑制しない課題でも結合が高まる。一方、テロを経験してもPTSDを発症しなかった人では、抑制する課題の時に結合力が高まる。正常の人でも同じ傾向があるが、抑制時の結合力の増加はテロを経験した人よりは弱い。
結合力の方向性をモデリングに基づいて計算しているが、記憶や認識をコントロールする背側側部前頭葉から記憶領域へのトップダウンの抑制であることを示している。
この結果を私なりに勝手に解釈すると、PTSDを発症した人は、記憶を抑える前頭葉から記憶領域の抑制回路が壊れてしまっていることを意味する。従って、記憶が抑制できないのは決して恐怖体験だけではない。とすると、恐怖体験によって、抑制回路自体が変化してしまったことを示している。
面白いのは、恐怖体験に出会いながらも、PTSDを発症しなかった人たちで、発症した人とは逆に抑制回路の結合が全般に強まり、また結合領域も拡大していることだ。すなわち、発症しないという背景に正常の人より強い抑制回路を確立していることがうかがえる。
この記憶抑制を調べる課題の設計など興味ふかい論文だったが、何より大きな事件を人間の脳の経験の問題として捉えていく研究領域が出来上がっていることを強く認識した。コロナウイルスを始め様々な大事件が世界で進行しているが、この人間への影響を丹念に科学的に検証して、いい加減な評論家の出る幕を閉ざすことが、21世紀科学の課題だと思う。