6月2日 臭いを感じて認識するダイナミックス(5月18日号 米国アカデミー紀要 オンライン掲載論文)
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6月2日 臭いを感じて認識するダイナミックス(5月18日号 米国アカデミー紀要 オンライン掲載論文)

2022年6月2日
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日本の研究は、研究機関やメディアで紹介されるので、紹介は控えているが、今日の論文は毎日ワインを飲みながら感じていることに近いので、あえて紹介することにした。

どんなことを考えているかだが、ワインテースティングは決して感覚の問題ではない。香りと味の様々な要素を言葉にするとともに、様々な記憶を呼び起こして判断する。おそらく言葉にすることで、より鮮明に記憶を呼び起こせる。これが面白いので、失敗をいとわず、なるべく違うワインをトライして楽しむようにしている。もちろん私の余命と比べたとき、ワインの種類はほぼ無限と言っていいので、飲み尽くす心配はない。

さて、今日紹介する東京大学からの論文は、10種類の同じ強さの異なる臭い(快適な臭いから不快な臭いまで)を嗅いだときの脳波を調べ、最初の刺激がどのように認識として脳内に表象されるかについて調べた研究で5月18日米国アカデミー紀要にオンライン掲載された。タイトルは「Spatiotemporal dynamics of odor representations in the human brain revealed by EEG decoding(人間の脳内に形成された臭いの表象の時間空間的ダイナミックスが脳波の解読から明らかになる)」だ。

研究では22人の被験者について、10種類の臭いに対する主観的な印象を調べるとともに、脳波を記録し、それぞれの臭いに対する脳波の反応から臭いの種類をデコードできるモデルを作成し、このモデルから臭いが認識されるまでの過程を追いかけた研究だ。脳研究では普通の手法で、頭皮の外側からの脳波記録なのでどこまで正確なモデルを作成できるのかちょっと心配になるところだが、臭いの刺激を受けてから1秒間程度の経時的変化を記録して、64電極による空間的記録と合わせることで、基本的には臭いの種類を十分区別できるモデルが出来ている。実際、言語認識の研究を別にすると、時間ファクターも含め総合的に判断するモデルの論文はほとんど読んだことがなかった。いわばビッグデータ解析なので、全ての詳細を省いて、結論だけをピックアップすると、以下のようになる。

  1. 臭い刺激に対する脳の反応は150msぐらいから始まり、これが刺激に対する一次感覚を反映している。
  2. これが刺激の認知として始まるのは、300msぐらいからで、不快な臭いほど反応が早い。
  3. その後、それぞれの臭いを特徴付ける反応は脳全体に広り進化して、ほぼ1秒間かけて認識のピークに達する。
  4. 脳の各領域に応じて、反応のピークは異なる。即ち、臭いの認識が時間をかけて進化することを示している。
  5. 特に臭いの質を判断する認識に、言語に関わる Broca 領域が関わっているのは面白い。

以上、全てすっ飛ばして自分がワインを感じている時を思い出しながらまとめてしまったので、著者には申し訳ないことをしたかもしれない。しかし、個人的体験を後追いでき他という意味で、本当に楽しめる論文だった。

今後、それぞれの領域が、一つの臭いの構成にどのような意味を持つのか、AI を超えた解析が進むことを読者として期待したい。

カテゴリ:論文ウォッチ

6月1日 思春期に睡眠が妨げられると、新しい出会いへの好奇心が低下する(5月26日 Nature Neuroscience オンライン掲載論文)

2022年6月1日
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私たちの精神形成にとって、思春期の重要性を疑う人は誰もいない。しかし、我々がこの時期に受ける社会からの影響は極めて複雑で、発達に影響する様々な行動を特定し、それを是正することは簡単でない。また、この時期に神経学的な介入を行える動物モデルを作ることはさらに難しい。

今日紹介するスタンフォード大学からの論文は、人間を含むほとんどの動物で共通にみられる行動の一つ、睡眠を取り上げ、思春期に慢性的に睡眠を妨げられたマウスが、新しい経験への好奇心が低下すること、およびそのメカニズムを神経学的に解明した論文で、眠りを取り上げたことで、マウスと人間をつなぐ将来の実験が可能にできる研究だと言える。タイトルは「Adolescent sleep shapes social novelty preference in mice(思春期の睡眠は新しいものへの好奇心形成に関わる)」で、5月26日 Nature Neuroscience にオンライン掲載された。

この研究では脳波を調べながら、生後35〜42日(この時期をマウスの思春期としている)の1週間、睡眠に入ったとき、床を動かせて眠りを慢性的に阻害する介入を行っている。42日以降は普通に過ごさせ、56日目に、マウスの社会性を調べる実験を行っている。

行動実験の概要だが、まず1番目のマウスと対面させ、一定期間後、今度は、1番目のマウスに加えて2番目の初対面のマウスを用意し、それぞれに対する反応を調べるというものだ。

元々マウスは好奇心旺盛な動物で、1番目のマウスに出会ったときはそちらに興味を引かれるが、次に一度出会ってなじんだ動物と、初対面の動物のどちらに興味を示すかを比べると、初対面のマウスの方により興味を示すことが知られている。ところが、思春期に眠りを妨げられたマウスでは、1番目のマウスと出会ったときの反応はコントロールと違いはないが、次に1番目と初対面のマウスを同時に提示したとき、初対面の方にはほとんど興味を示さない。これは思春期に眠りを妨げたときだけに起こる現象で、大人になってから同じような処置をしても、この変化は現れない。

後は、この変化の神経学的メカニズムについて調べている。初対面マウスへの好奇心に関わる腹側被蓋のドーパミン産生ニューロンに焦点を絞り、カルシウム流入を調べながら行動を追跡すると、行動と一致して、1番目のマウスと出会ったときの反応には変化がないが、次のトライアルで1番目と初対面マウスに出会ったときに、コントロールで見られる初対面マウスに対して見られる強い反応が、思春期に睡眠を妨げた群では強く抑えられているのが明らかになった。

腹側被蓋ドーパミンニューロンは、側坐核と前島皮質へと投射しており、そこでのドーパミン分泌を調べると、正常マウスでは1番目のマウスと出会ったとき、側坐核でのドーパミン分泌が上昇した後すぐに低下するのに、眠りを妨げられた群では、上昇したドーパミン分泌が、ほとんど低下しないこと、そして2回目のトライアルでは、初対面のマウスに対して反応したときに起こるドーパミンの分泌が全く起こらないことが明らかになった。即ち、最初に出会ったマウスに強く反応が固定されてしまって、その後他のマウスへの興味が断たれていることがわかった。

そして、睡眠を妨げられることで、腹側被蓋と側坐核の投射が強まり、一方腹側被蓋と前頭皮質との結合が低下することが、このドーパミン分泌、および行動の差につながっていることを明らかにしている。

以上、わかりやすくまとめてしまうと、特に思春期の睡眠が阻害されることで、腹側側坐核ドーパミン神経の投射が大きく変化し、その結果最初に出会った方のマウスに好奇心が固定化されることが、この行動変化のメカニズムであることがわかった。

この最初でに出会ったマウスに好奇心が固定され、新しいマウスに向かない現象は、マウスの自閉症モデルでも見られるので、最後にこの自閉症モデルマウスの症状も、睡眠障害で説明できないか調べている。結果は期待通りで、モデルマウスでは思春期の睡眠が自然に妨げられおり、その結果腹側被蓋ドーパミンニューロンと側坐核の投射増加していることがわかった。すなわち、思春期に睡眠を妨げたのと同じ状態を、自閉症モデルマウスが示すこが明らかになった。

驚くことに、自閉症モデルマウスの思春期の睡眠を、薬剤で正常化してやると、このドーパミン神経の変化が起こらないことを示し、少なくとも自閉症モデルマウスの好奇心欠如を、睡眠を正常化させることで治療できる可能性を示している。

以上、大変面白い研究だと思うが、これを人間に当てはめていくにはまだまだ時間がかかる印象だ。

カテゴリ:論文ウォッチ

5月31日 フォスフォグリセリン酸デハイドロゲネースはガン転移を抑える(5月18日 Nature オンライン掲載論文)

2022年5月31日
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昨日はガンの悪性転換の epigenetics について論文を紹介したが、epigenetics とともにガンの悪性化について注目されているのが、ガンの代謝だ。この分野は、食事などを通してある程度介入が可能なので、研究領域としてかなり拡大している印象がある。私も、ガンの代謝についてはできるだけ読むようにしているが、今日紹介するベルギーガンセンターからの論文のように、代謝かと思って読むと大きく期待を裏切られる論文もあるので、そんな例として是非紹介したいと思った。タイトルは「PHGDH heterogeneity potentiates cancer cell dissemination and metastasis( PHGDH の発現多様性がガンの伝搬と転移を高める)」で、4月18日 Nature オンライン掲載された。

タイトルにある PHGDH とは、フォスフォグリセリン酸ハイドロゲネースのことで、NAD を補酵素としてフォスフォグリセリン酸をフォスフォノオキシピルビン酸に変える一種の還元酵素で、この酵素がないとセリン合成が傷害されることから、欠損すると代謝病を誘発する。

このようにれっきとした酵素なので、タイトルを読むと、「ナニナニ!こんな代謝酵素がガンの転移に働いているのか?」と興味を持つのが普通だ。読み進むと、確かに PHGDH の発現が低い細胞が、血中を流れるガン細胞や転移巣では多く見られることを示しており、ガンの伝搬や転移をこの酵素が抑えていることが示される。また、遺伝子をサイレンシングする実験から、人為的に PHGDH の発現を低下させると、ガンが転移しやすくなることを実験的に示している。

そして、この PHGDH の低下により、インテグリンの一つ avβ3 インテグリンのシアリル酸化が高まり、これがガンの転移を誘導していることを示している。シアリル化でインテグリンが活性化されて、ガンの転移能が上昇すること自体は、何ら驚くことではないが、問題はなぜフォスフォグリセリン酸でハイドロゲナーゼがこの過程に関わっているのかを調べることだ。

詳細を省いてこの研究の結論を述べると、PHGDH が低下すると、フルクトース6リン酸をフルクトース2リン酸へ転換する PFKB の活性が低下し、結果的にフルクトース6リン酸がシアル酸合成の方にリクルートされることを発見する。結局グルコース、フルクトースの経路にこの転移でも問題が集約された。

最後の問題は、どうして PHGDH の低下がこの過程を媒介しているのかだが、ここでドンデン返しが待ち受けている。即ち、PHGDH の低下の効果は、この酵素の活性とは全く無関係で、酵素タンパク質自体が PFKB と直接結合することで、フルクトース6リン酸を、シアル酸化経路にリクルートしていることを示している。実際、PHGDH の酵素活性を阻害する化合物では、同じような転移を誘導することは出来ないし、また遺伝子操作の実験から酵素活性を欠如させた PHGDH 分子でも、ガンの転移を抑制することが出来ることを示している。

このどんでん返しは大きい。すなわちこの過程に PHGDH が酵素として働いておれば、酵素活性を高めたり落としたり出来る化合物が開発できるかもしれないが、PHGDH と PFKB の直接結合だとすると、改めてタンパク質同士の相互作用を阻害する分子を探すしかない。

論文は以上で、このどんでん返しでよく論文が掲載されたなと思うが、結局この研究でもグルコース代謝経路のバランスの重要性が認識された。

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5月30日 前立腺ガンエピジェネティックス研究の一種のお手本(5月25日 Science 掲載論文)

2022年5月30日
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次世代シークエンサーが導入されてから、ガンの研究が、まず、ゲノムの変化とガンの発生や経過を対応させる試みから始まった。これは大きな成果を生み、ガンの標的分子の同定やガン免疫の対処法になるネオ抗原の特定を通して、新しい治療開発をリードしてきた。

一方で、ガンの発生や進行を支えるのはゲノム変異だけでないことも明らかになってきた。特に、前立腺ガンでは、治療によりうまくコントロールされていたアンドロゲン依存性の段階が、医者も気づかないうちに悪性転換を遂げてしまうことがよく知られている。私も友人をこの悪性転換で失ったが、普通の経過観察で病院を受診したとき、もはや治療の方法がないと宣告されるという過酷なものだ。この過酷さについては、亡くなった西郷輝彦さんの闘病経過が報告されることで、広く知られているようになった。

この課題を克服して、悪性転換した前立腺ガンを治療できるようにするには、遺伝子の発現を調節しているエピジェネティックスを調べる必要がある。今日紹介する米国コーネル大学からの論文は、まさにこの課題にチャレンジして、一つの治療標的を発見した研究で、5月25日Scienceに掲載された。タイトルは「Chromatin profiles classify castration-resistant prostate cancers suggesting therapeutic targets(去勢抵抗性の前立腺ガンの染色体プロファイルにより分類することで治療標的が特定できる)」だ。

しかし、この研究を読んで改めて認識したが、最近のガン研究を後押ししている最も有効な技術の一つは、慶応の佐藤さんたちが開発してきた臓器のオルガノイド培養ではないかと思う。この研究でも、前立腺ガンのオルガノイドライブラリーをまず整えた上で、オルガノイドのクロマチンの on/off を何度も紹介している ATAC-seq と呼ばれる方法で解析している。

この結果、前立腺ガンは、ゲノムに特段の変化がなくても、クロマチンの違いで、少なくとも4種類に分類できることを示している。クロマチン変化も、結局は遺伝子発現に反映されるのだから、一般的転写プロファイルで話はすむのではとも言えるが、現在急速に進むゲノムや様々なオミックスに対するインフォーマティックスの進歩の結果、クロマチンと対応させることで、より機能的なガンに関わる転写のネットワークを明らかに出来ることが、この研究でも示されている。そして、この結果、それぞれのガンのタイプを決めている特徴的な転写因子ネットワークやシグナルについて明らかにしている。

また、オルガノイドの解析から導いたそれぞれを特徴付ける転写因子が、そのまま悪性転換した前立腺ガンの患者さんの分類にも使えることを示している。この臨床分類は重要で、例えばアンドロゲン治療に抵抗性が獲得されたとはいえ、まだアンドロゲン受容体が転写ネットワークの中核に存在するガンのタイプは、新世代のホルモン治療組み合わせが、他のタイプと比べてより効果を示すことから、分類に基づく治療が可能になることを示している。

このタイプ以外のガンは、これまで他の方法で特定されていた、Wntシグナルが強く効いているタイプ、神経内分泌系の転写経路が強く発現したタイプに加え、全く新しい幹細胞に見られる転写因子が強く発現したタイプの3種類だが、この研究では新しく見つかった幹細胞型に特に焦点を当てて、解析を進めている。

その結果、幹細胞型のクロマチン変化を誘導する最も重要因子として、AP1 と、それと直接結合するYAP、TAZ、TEAD が存在することを示している。そして、YAP システムや AP1 を阻害することで、このタイプの増殖を強く抑制できることを示している。

以上、極めて単純省略して紹介したが、実際のデータは膨大で、ガンのエピジェネティック研究の方向性を知る意味で重要な研究だと思う。

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5月29日 糖尿病で傷の治りが悪い一因としてのエフェロサイトーシスの低下(5月25日 Nature オンライン掲載論文)

2022年5月29日
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エフェロサイトーシスは、ラテン語の死体を墓に埋めるという意味のefferreから命名された言葉で、死んだ細胞が食細胞によって処理されることを意味する。実際、この機能のおかげで、多くの細胞が死んでしまう炎症や損傷部位でも、死細胞の数が上昇しない。

今日紹介するベルギーのVIB炎症研究センターからの論文は、炎症局所の樹状細胞によるエフェロサイトーシスを抑制するアミノ酸トランスポーター SLC7A11 が、糖尿病で上昇して損傷治癒を遅らせる原因になっているという研究で、5月25日 Nature にオンライン出版された。タイトルは「Targeting SLC7A11 improves efferocytosis by dendritic cells and wound healing in diabetes(SLC7A11を標的にすることで樹状細胞によるエフェロサイトーシスを正常化し糖尿病での損傷治癒を早める)」だ。

おそらくこのグループの目的はエフェロプトーシスを調節する様々な方法を開発することだろうと思う。マウス骨髄由来樹状細胞に、細胞死進行中のヒト細胞を取り込ませ、エフェロサイトーシスにより誘導される分子を探索している。実際には200近い遺伝子がエフェロサイトーシスで変化するが、その中から最終的に SLC7A11 を選んでいる。おそらく、この分子のトランスポート機能を阻害するエラスチンがすでに存在して研究がやりやすいのだろうと思う。実際にはエフェロサイトーシスは細胞ごとに異なる分子が働く複雑な過程だと思う。

いずれにせよ SLC7A11 はエフェロサイトーシス過程で発現が上昇し、エラスチンを用いて阻害するとフェロサイトーシスが高まることを発見している。即ち、エフェロサイトーシスが始まると、発現を高めてブレーキをかける分子であることがわかった。

次に SCL7A11 の機能を、エフェロサイトーシスが働く皮膚の損傷治癒過程でしらべているが、エラスチンで阻害するだけでははっきりと差が出ないようで、エフェロサイトーシスを刺激するため、死細胞を損傷部位に注射してエフェロサイトーシスを高めるためのちょっとしたトリックが使われている。基本的には細胞死が多く起こって炎症が高まっていることがエフェロサイトーシスにとっては重要だ。そして、この系で見ると、損傷治癒がエラスチン投与で促進することを確認している。

次に、SCL7A11 のエフェロサイトーシスブレーキのメカニズムを調べ、

  1. SCL7A11 ノックアウト樹状細胞では、グリコーゲン分解と、そこで出来たグルコースの嫌気的回答が高まっていること、すなわちSCL7A11は代謝を抑えてエフェロサイトーシスを抑えていること、
  2. SCL7A11 を阻害することで TGF ファミリー分子の一つ GDF15 が分泌され、エフェロサイトーシスが組織に分泌され、それがまたフェロサイトーシス上昇へと変えること、

を明らかにしている。

このようにグルコース代謝がエフェロサイトーシと接点を持ってきたので、最後に2型糖尿病モデルマウスを用いて CL7A11 の発現と機能を調べ、糖尿病マウスおよび GDF15 ノックアウトマウスでは SCL7A11 が強く上昇し、またこの機能を抑えると糖尿病マウスでも損傷治癒が早まることを示している。

最後のメカニズムの方は、結果か原因かがわかりにくい実験が行われており、切れ味はもう一つだが、エフェロサイトーシスを調節する一つの標的分子が見つかったことは、炎症や老化研究にとっては重要だと思う。

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5月28日 アマゾンのジャングルに覆われた伝説の都市遺構(5月25日 Nature オンライン掲載論文)

2022年5月28日
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伝説の文明の存在を信じて熱帯のジャングルを分け入って進むと、突然、朽ち果ててはいても、往時を偲ぶことが出来る大建造物に出くわすという話は、例えばアンコールワットの再発見を思い出すわくわくする話だが、このような冒険談とはかなり違うが、それでもわくわくする、アマゾンジャングルに隠れている遺跡の発見が、ボン大学のドイツ考古学研究所から5月25日 Nature にオンライン発表された。タイトルは「Lidar reveals pre-Hispanic low-density urbanism in the Bolivian Amazon(Lidarによる探索によりスペイン制服以前の人口の少ない都市生活様式がボリビアアマゾンで発見された)」だ。

タイトルにあるLidarはすでに様々なスマフォにも搭載されている、光で対象物を探り、その距離をはかるテクノロジーで、例えば車の自動運転に欠かせないセンサーにもなっている。

この研究ではジャングルにより覆われているため、衛星写真などでは発見できなかった遺跡も、Lidarによりその輪郭を発見できるのではという着想に基づいて行われている。

対象は、ボリビアで紀元後500年から1400年にかけて栄えた Casarabe 文明で、伝説ではなく、ボリビア4500平方キロメートルに広がって発見される200カ所に渡る小規模の遺跡からその存在が知られていた。ただ、これらの遺跡は都市化とは全く無縁で、一つの大きな社会システムが存在していたのかどうかが焦点になっていた。

そして、オーストリア製の精密なLidarをヘリコプターにぶら下げて、200平方キロメートルにわたってスキャンしたところ、ついに人口密度は低いと考えられるが、都市と思われる遺構を発見できたというのがこの研究の全てだ。

従って、実際の遺跡に人間が踏み入ったわけではなく、大きな構造物の輪郭が画像的に再構成されただけで、昔の探検記にある興奮はない。しかし、3重の城壁に囲まれた中心に20mにも及ぶピラミッド状の構造物や、U字型の大きな構造物が見事に立体化されているのを見ると、やはり大発見だと胸が躍る。この論文は free access なので是非論文のウェッブサイトを眺めてほしい(例えば図2:https://www.nature.com/articles/s41586-022-04780-4/figures/2)。現代のインディージョーンズは、スーツを着ていて仕事が出来るという話だ。

通常なら、その後探検隊がジャングルに分け入って、写真でも撮って論文化されるのだろうが、この Lidar の威力を見ると、その興奮で掲載されたのだと思う。もちろんすぐに実際の写真も発表されるだろう。

しかし、このような市販品の威力を見ると、ドローンに積んで当然戦争に使われているはずで、ウクライナでも Lidar 戦争が繰り広げられているのだろうと、悲しい思いにも駆られるこの頃だ。

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5月27日 驚くことにケモカイン(CCL5/CCR5)が海馬神経に働いて記憶を整理している(5月25日 Nature オンライン掲載論文)

2022年5月27日
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ケモカインは、発生や炎症で白血球やリンパ球を惹き付け、炎症を維持する働きがあるが、他にも神経系の発生に関わることを示唆する多くのエビデンスが挙げられている。ただ、私が知る限り、神経細胞同士の相互作用に関わり、神経機能を直接制御しているという論文は見たことがなかった。

今日紹介するカリフォルニア大学ロサンゼルス校からの論文はマクロファージからリンパ球まで広いスペクトラムの細胞に作用する CCL5 とその受容体が神経系に発現し、context memory と呼ばれる異なる事象の記憶のアンサンブルを整理しているという驚くべき発見で、5月25日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「CCR5 closes the temporal window for memory linking(CCR5は記憶を連結させる時間間隔を短くする)」だ。

この研究では、AイベントとBイベントを様々な間隔で経験させ、Bイベントの後で電気ショックを当てたとき、Aイベントも悪い経験として残っているかという課題を用いている。当然、AイベントとBイベントの間隔が開くと、記憶の連合は消失していく。

この研究では、まずマウスがケージの中で様々な経験をしたとき、海馬神経細胞が CCL5 やその受容体 CCR5 を発現するかを調べている。結果、ミクログリアではなく、神経細胞自体の CCL5、CCR5 の発現が高まることを確認している。また、CCR5 刺激が発生したとき、刺激細胞が標識出来る方法を用いて、経験した後少し時間をおいて神経細胞がラベルされることを確認し、神経細胞が実際に CCL5 刺激を受けて反応していることも確認している。

次は、CCL5 を脳内に注射したり、CCR5 機能をノックアウトして、このシグナルの記憶の連合への役割を調べると、CCL5/CCR5 シグナルは記憶が連合するのを抑える働きがあることを明らかにする。即ち、CCL5 シグナルが高まると、短い間隔でも2つのイベントの連合確率が低下する一方、CCR5 機能がノックアウトされると、2つのイベントの間隔が開いても記憶の連合が維持されることを明らかにした。

次に神経生理学的に、CCL5/CCR5 シグナルによって、神経興奮が抑えられること、2つのベントで重複して興奮する神経細胞が低下すること、逆に CCR5 シグナルが欠損すると重複して興奮する細胞数が上昇することを明らかにし、CCR5 シグナルが異なる事象間の連合を抑えることで、記憶が混乱しないよう働いていることを明らかにしている。

以上が主な結果だが、マウスではあるが年齢とともにこのシグナルが上昇し、連合機能が落ちていることも示している。要するに、現象に対してどうしても視野が狭くなることを意味しているのだろう。

CCR5 が記憶に働くことにも驚くが、記憶成立時の整理をしてくれているとはもっと驚く。将来、このシグナルを操作して、記憶の混乱を防いだり、連想力を上げたり出来るかもしれない。

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5月26日 ヨーロッパの海の民成立過程(5月18日 Cell オンライン掲載論文)

2022年5月26日
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以前、金沢大学とダブリン大学から発表された、日本人ゲノム成立過程についての論文で、古墳時代のゲノムから、弥生以降も大陸からのゲノム流入が大きな役割を果たしているという論文を紹介した時、上野さんから、サンプルによって異なっており弥生がそのまま続いて現在に至るケースもある、という指摘をいただいた。すなわち、日本もそれぞれの地域についての研究が必要で、これにより古代の人の移動や交流を調べることが出来る。是非、多くの若者が、この課題に取り組み、新しい日本史を書いて欲しいと期待している。

実際、ヨーロッパについては新石器時代から青銅器時代に書けて、民族の移動と交雑により、大きなゲノムの変化がもたらされたことがわかっているが、各地域のゲノム研究から、移動や交流の道が明らかにされてきている。

今日紹介するデンマーク・コペンハーゲン大学と、アイルランドのダブリントリニティーカレッジからの論文はイタリア半島の沖に位置するマルタ島の新石器時代の遺跡から出土したヒトDNA を解析し、当時の海の道の存在を探った研究で、5月18日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「Ancient Maltese genomes and the genetic geography of Neolithic Europe(古代マルタ島人ゲノムと新石器時代ヨーロッパの遺伝的地理学)」だ。

さてこの研究の対象になっているマルタ島だが、ヨーロッパ本土とは海で隔てられており、人類が居住するようになったのも新しい島で、ヤムナ文化やアナトリアの農耕民の影響が少ないと考えられる。

また、マルタ島も海洋民族になるが、海洋民族としてイギリス、サルディニア、シチリアなど他の海洋民族との交流が古くから盛んだったのか、逆に海は交流を阻む壁の役割をしただけなのかも興味の焦点になっている。

今回マルタ島 Gozo 島の Xaghra 遺跡から出土した9体の骨から、DNA を抽出、2体については、ほぼ全ゲノムをカバーできるデータを得て、ゲノムの成り立ちを調べている。結果だが、

  1. 詳しく調べられた3体は、ROH と呼ばれる、相同ゲノムの長いストレッチを保有しており、これまでヨーロッパで出土したゲノムの ROH の長いトップ10に含まれる。特に1体は、おそらく近親交雑によると考えられる。
  2. ゲノム間の多様性や、先祖の数を調べるテストにより、当時のマルタ住民数は極端に少なく、一時は全員で300人以下という状況に陥っていたことがわかる。これがおそらく ROH が高い原因になっている。
  3. ヨーロッパ人のゲノムは、最初の人類である狩猟採取民ゲノムに、現ウクライナ近くのヤムナ民族移動に伴って流入したステップゲノム、そして現トルコであるアナトリアの農耕民族から流入したアナトリアゲノムから構成されているが、マルタゲノムは後者のゲノムの流入がほとんどなく、大陸から孤立して存在していたことがわかる。
  4. 大陸だけでなく、他の海洋民族ともほぼ完全に分離されていることから、それぞれの島に移住した人類は、海に隔てられ孤立した進化を遂げた。
  5. 全ヨーロッパの海洋民族を調べると、それぞれの間での交流は盛んでなく、海の民で有ることが積極的な役割を果たすことはなく、基本的に海により孤立した発展を遂げた。

以上が結果で、読めばなるほどで終わるのだが、このような論文を読むにつけ、我が国のゲノム構成の歴史を文化と照らし合わせることが何時出来るようになるのか、いつも心が騒いでしまう。

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5月25日 ヒトグリア細胞分化の多様性:ヒト胎児脳スライスでここまで出来る(5月19日 Science オンライン掲載論文)

2022年5月25日
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脳細胞を考える時、私たちは単純に興奮神経、抑制性神経、アストロサイト、オリゴデンドロサイト、そしてミクログリアから出来ていると単純化して考えている。特に、神経を支える側のグリア細胞については、多様性について考えることはほとんどない。しかし、様々な疾患でのアストロサイトの役割が明らかになるにつれ、その機能の多様性に注目が集まっている。

今日紹介するカリフォルニア大学サンフランシスコ校からの論文は人間の胎児皮質スライス培養を用いてグリア細胞の多様性を発生学的に明らかにした研究で、ヒトでもここまで出来るのかと驚いて読んだ。タイトルは「Fate mapping of neural stem cell niches reveals distinct origins of human cortical astrocytes(神経幹細胞ニッチの運命マッピングは人間の皮質アストロサイトの異なる起源を明らかにした)」だ。

研究自体は単純で、18−23週目のヒト胎児の皮質を切り出し、2週間程度培養し、その間に標識遺伝子をアデノウイルスで幹細胞に導入、その後のコースを追跡している。切り出した脳スライスをどこまで正常発生と同じと考えるかは問題になるにせよ、新鮮な脳を集めるだけでも大変なはずで、ともかくやり遂げたことに感心する。

神経細胞が subventricular zone(脳室下帯)と呼ばれる場所に存在する幹細胞が分化しながら radial glia(放線状グリア細胞)をたどって移動することで、美しい層構造が形成されることは、教科書的事実として認められている。一方、radial glia も含めアストロサイトやオリゴデンドロサイトなどのグリア細胞が、神経幹細胞から由来することは描かれていても、その後の分化についてはあまり知られていないように思う。

この研究では、まず、ヒト胎児皮質の ventricular zone (VZ) とその上の subventricular zone (SVZ) に分けて、幹細胞をラベルし、その後の運命を調べている。そして、少なくともヒトのこの時期では、SVZだけでなく、VZ 細胞を標識しても、神経やグリア細胞をラベルで着ることを確認している。

ヒト胎児では VZ にも幹細胞が存在することは重要な結果だが、VZ 標識と SVZ 標識でラベルされる細胞の性質が大きく異なっていることが初めて発見された。

まず、radial glia 細胞には長い突起を一方向に伸ばしたタイプと、双方向に突起を伸ばしたタイプの2種類が存在するが、VZ からは後者のみ、SVZ からは前者のみが発生することがわかった。

さらに驚くことに、標識された神経細胞は脳の全ての層に分布するのだが、アストロサイトを調べると、もともと幹細胞起源と言われていた SVZ 起源のものは、AVZ とその上の subplate にだけ分布し、一方 VZ 起源のアストロサイトは脳の全ての層に分布することが明らかになった。

そして、これらの起源の異なるアストロサイトは、形態的にも、分子発現的にも区別が可能で、例えばグリオーマで発現が高いインテグリン β4 などは、VZ 由来のグリア細胞だけで発現していることを示している。

結果は以上で、この差が脳の発生や機能とどう関わるかはわからない。しかし、人間を用いた研究から、マウスでは指摘されないことがここまでわかるというのは驚きで、胎児脳を用いた研究に対して反対もあると思うが、その意義は大きいと思った。

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5月24日 皮膚移植の瘢痕形成を抑制する(5月18日 Science Translational Medicine 掲載論文)

2022年5月24日
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やけどを始め様々な状況に皮膚移植が使われるようになっているが、損傷が大きい場合は利用できる皮膚片は皮下組織のあまり含まれていない薄い皮膚になるため、修復箇所に瘢痕形成が起こるのが問題で、特に修復箇所が引きつったように縮んでしまう。基本的には、いわゆる線維化の問題で、これまで多くの研究が行われているのだが、形成外科医の立場に立って臨床的な解決を探るといった研究はあまり行われておらず、結局この問題に対するFDAにより認められた治療法はない。

今日紹介するスタンフォード大学からの論文は、豚を使った皮膚移植モデルを用いて、修復後に進行する細胞プロセスをsingle cell RNAseqを用いて調べることで、線維化の引き金になる要因を特定し、それを治療する方法の開発を目指した前臨床研究で、5月18日号 Science Translational Medicine に掲載された。タイトルは「Disrupting mechanotransduction decreases fibrosis and contracture in split-thickness skin grafting(メカノシグナルを抑制することでsplitthickness皮膚移植での線維化と組織の収縮を抑えることが出来る)」だ。

研究自体は特に目新しさはない。しかし、豚の皮膚を大きく切除して、そこに自己の皮膚を移植するというまさに実際に行われている臨床に即した実験系を用いて修復過程を追跡していることが、最大の特徴だ。特に純系の実験動物でなくても、single cell RNAseq(scRNAseq) を用いることで、そこで起こっている分子過程を追跡できるようになったおかげで、このような実験が容易になっている。

タイトルで splitthickness 途あるのは分層植皮と呼ばれる方法のことで、皮膚の上層のみを採取して移植する方法を意味している。

さて、移植後の経過を追うと、白血球、線維芽細胞で大きな遺伝子発現の変化が見られ、特にメカノシグナルと呼ばれる機械的な刺激による遺伝子発現が高まっていることがわかった。そこで、メカノセンサーに関わる FAK 阻害剤が徐放されるように設計したジェルとともに皮膚移植を行うと、外見的にも、組織学的にも瘢痕の少ない皮膚が再生される。

臨床応用へ向けた前臨床研究とすれば、これで終わりなのだが、このグループはさらにメカニズムを追求するために、阻害剤を加えた皮膚移植による修復と、加えない場合の修復を比較し、メカノセンサー阻害がどのように作用しているのか詳しく調べている。

結果、意外なことに、この効果はまず白血球に現れ、炎症を抑える方向で働くことを示している。その後、線維芽細胞でもメカノシグナルが発生し線維化や形質転換が起こるが、阻害剤はここでも効果を現し、線維芽細胞の暴走を抑えていることを明らかにしている。

最後に、試験管内培養システムで、人間の線維芽細胞のメカノシグナルを、FAK 阻害剤で抑えられることも確認し、最終的な応用への布石を打っている。

以上が結果で、実際の臨床セッティングに併せて実験が行われた結果、メカノシグナルが2段階にわたって、まず白血球、そして線維芽細胞に働いていることを明らかにしている。繰り返すが、このような臨床に即した研究が可能になったのはなんといっても scRNAseq のおかげだと思う。この方法を知ったときに予想したように scRNAseq の臨床応用は大きく広がり続けている。

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