10月23日 クリスパー編集後のT細胞の染色体異常が上昇する:幽霊の正体見たり枯れ尾花(10月12日号 Cell 掲載論文)
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10月23日 クリスパー編集後のT細胞の染色体異常が上昇する:幽霊の正体見たり枯れ尾花(10月12日号 Cell 掲載論文)

2023年10月23日
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論文ウォッチの基本は、その日読んだ論文の中で最も面白いと思った順に紹介することだが、たまにはこの範疇に入らない場合もある。今日紹介するカリフォルニア大学サンフランシスコ校とバークレイ校からの論文はぼやきが混じる論文になる。タイトルは「Mitigation of chromosome loss in clinical CRISPRCas9-engineered T cells(CRISPR/Cas9編集T 細胞の染色体欠損を軽減する)」で、10月12日号 Cell に掲載されている。

これまでの CAR-T は患者さんのT細胞にレンチウイルスでガン抗原に対するキメラT細胞受容体遺伝子を導入するので、患者さんごとに遺伝子導入過程が必要で、これが膨大なコストの原因になっていた。これに対し、T細胞が持つTcR受容体遺伝子をノックアウトし、これに目的のキメラ受容体を導入することで、前もって作成した CAR-T を組織適合性のない患者さんにも使えるようにしてコストを下げる方法が既に治験段階にある。

ただ、クリスパー遺伝子編集には目的以外の遺伝子変異を誘導する可能性があり、臨床応用は常に慎重に行う必要がある。この研究では、クリスパー編集後のT細胞の染色体異常を single cell RNA sequencing を用いて解析する方法を開発し、CROP-seq と名付けたクリスパーターゲットと染色体異常の関係を調べる方法を開発して、クリスパー編集が目的以外の染色体異常を誘導しないか、高い精度で調べている。

これまでは全ゲノム配列などを通して集団レベルで異常を調べていたが、これと比べると感度は格段に上昇しており、この点では高く評価できる。

その結果、驚くことに編集効率が上昇するのと並行して、標的遺伝子と同じ染色体の欠失が20%近くに見られることが分かった。この傾向は、T細胞受容体のある染色体に限らず、編集によってその染色体の一部が欠損する傾向が見られることがあきらかになった。

さらにこの結果、細胞はDNA損傷反応から細胞死に至る様々な変化を来し、それぞれの細胞の分裂回数をおおよそ調べられる方法で欠損の影響を調べると、欠損を持つ細胞は一般的に、増殖能が低下していることも明らかになった。

これは一大事で、現在クリスパー編集後のT細胞の治験が進んでいることを考えると大至急対策が必要になる。

この研究でも実際にクリスパー編集T細胞治療を受けた患者さんからT細胞を分離し、染色体欠損がないかを調べ直している。これらの患者さんでは、3種類の遺伝子について同時にクリスパー編集が行われ、それに加えてレンチウイルスベクターによる受容体導入が行われている。

にもかかわらず、患者さんに導入されたクリスパー編集T細胞での染色体欠損は1%以下に抑えられており、心配するほどではなかった。この原因を追及して、結局この実験で遺伝子編集はT細胞増殖を活性化した後行っているのに対し、臨床に使われたプロトコルではまず編集のための遺伝子を導入し、その後増殖刺激を行うプロトコルであることに気づいた。この違いにより、p53の誘導が低いまま編集が行われた結果、欠損率が高くなったという結論で終わっている。

幽霊の正体見たり枯れ尾花というべきか、あるいは大山鳴動ネズミ一匹というべきか、心配させてどんでん返しはないだろうと、ちょっと頭にきた。同じことが他の細胞でもあるのかなど重要な情報はほとんどないので、感度のいい染色体異常検出方法以外に売りはない。レフリーも甘すぎる。

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10月22日 細胞のメカノセンサー刺激可能なハイドロゲル(10月19日 Advanced Material オンライン掲載論文)

2023年10月22日
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糖尿病により出来る皮膚の潰瘍は治療が難しい。これに細胞を混ぜたハイドロゲルで蓋をして治療を促進する方法はこれまでも開発されているが、今日紹介するシンガポール国立大学からの論文は、このゲルを磁場で動かすことで、埋め込んだ細胞を機械的に刺激し、損傷治癒を高めようとする研究で、10月19日 Advanced Material に掲載された。タイトルは「Mechano-Activated Cell Therapy for Accelerated Diabetic Wound Healing(糖尿病患者さんの創傷治癒を促進する磁場により活性化する細胞治療)」だ。

細胞のメカノセンサーや刺激についての研究が進んでおり、線維芽細胞に持続的機械刺激を加えることで、増殖やマトリックス合成などの機能を高められることはわかっている。従って実際の臨床現場で実現可能な方法の開発が勝負になる。

この研究ではよく用いられる PEG-dyacrylate に細胞の接着を促すインテグリン結合ペプチド、そしてチオールでコートした磁石を結合させ、これにより磁場によりゲルに接着した細胞に機械的刺激を加えられるようにしている。

まず試験管内実験として、このゲルに人間の線維芽細胞とケラチノサイトを埋め込み、磁場で刺激すると、YAP分子を介する細胞の増殖が、線維芽細胞で約2倍、ケラチノサイトで30%上昇することを確認している。また、同じシグナルによりコラーゲンマトリックスの分泌が上昇、また線維芽細胞の活性化により分泌される様々な刺激因子により、ケラチノサイトから血管増殖因子も誘導されることを示し、期待通り植えた細胞を持続的に活性化出来ることを明らかにしている。

ただ、これだけでは期待通りの効果が得られなかったのだろう。次に、機械刺激に強く反応する線維芽集団が CD55 を発現していることを発見し、治療にはこの集団を植えたハイドロゲルを用いている。

潰瘍をゲルで蓋をして残った創傷の大きさを調べているが、1日3回20分の磁場刺激を加えたグループが、14日目で見たとき、創傷の治りが一番早かったことを示している。また、組織学的にも、血管新生が最も強く誘導されており、増殖細胞数も多いことを示している。

結果は以上で、ここまでやる必要があるかは別として、様々なオプションを用意することは重要だ。以前、機械刺激で開くチャンネルを導入して、磁場に晒されると特定の神経が活性化される方法を紹介したことがあるが、今後ますます機械刺激の医療や生物学への応用が進む予感がする。

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10月21日 CAGリピート病発症に必要な体細胞側の条件(10月11日 Cell オンライン掲載論文)

2023年10月21日
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ハンチントン病はハンチンティン遺伝子をコードする遺伝子に存在するCAGの繰り返し配列の数が増加することによる、優性の遺伝病だが、CAGが長ければすぐ発症するというのではなく、神経細胞内でこのリピートの処理が行われる過程に依存していることがわかっている。すなわち、静止期にある神経細胞での転写やDNA損傷の際にCAGリピート部位で発生する slipped CAG と呼ばれるループ構造の不完全な処理により、CAGリピート数がさらに増大し神経細胞死が徐々に起こる、体細胞過程が関わることが知られている。

今日紹介するカナダのトロント子供病院からの論文は、slipped CAG に結合してこの部位を除去する過程を生化学的に解析、slipped CAG に結合する分子の中で、サル以降の進化で生まれた新しいタイプのRPA分子が、旧型のRPAと競合してslipped CAG処理を阻害することで、CAG リピート数が増大する可能性を明らかにした研究で、10月11日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「Antagonistic roles of canonical and Alternative-RPA in disease-associated tandem CAG repeat instability(旧型と新型のRPAの競合がCAGリピートの不安定化に関わる)」だ。

旧型の RPA はRPA1、RPA2、RPA3から構成されているが、RPA2 が RPA4 に代わったのが新型の RPA で、全てのタイプはハンチントン病の脳で上昇している。 

Slipped CAG を形成させたプラスミドの修復を指標に、それぞれの分子の機能を調べていくと、旧型と新型で slipped DNA に結合する強さ、及び DNA二重鎖をほどく能力で大きく異なっていることを発見する。さらに、DNA 修復に関わる分子との結合様体も変化した結果、修復に必須のヌクレアーゼの機能が新型では阻害されてしまうことも明らかにしている。すなわち、旧型は slipped DNA に結合して一本鎖を除去した後修復する一方、新型では2重鎖がほどけないため slipped CAG がそのまま守られて修復されるため、結果 CAG リピート数が上昇し、さらに長いポリリジンが合成され、細胞死を誘導する可能性が示唆された。

この可能性を、細胞内に様々な量の旧型、新型の RPA を発現させ、旧型はリピート数の増大を抑えるのに、新型は増大を促進することを明らかにしている。

結果は以上で、CAGリピート病は遺伝する病気であっても、体細胞内での過程が発症に大きく関わること、そしてその中核に slipped CAG 処理機構としての RPA が存在していることを明らかにしている。このことは、遺伝病と言ってもハンチントン病をはじめとする CAG リピート病は治療により進行を遅らせる可能性があることを示している。

実際、slipped DNA に結合する分子標的薬や、アデノウイルスを用いた遺伝子治療の開発が現在進行中で、旧型RPA を上昇させ、新型を抑える治療も一つの標的になり得る。

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10月20日 腫瘍溶解性ウイルス治験からわかること(10月18日 Nature オンライン掲載論文)

2023年10月20日
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局所に注入したバクテリアが分泌するタグ分子を表面に取り込んだガンを、それに対するCAR-Tで除去するという新しい方法が10月13日の Science に掲載されていた。しかしガン局所に新しい抗原を誘導してガンを叩くという方法は、既に腫瘍溶解性ウイルスを用いて実用化が進んでいた。

我が国を含め、腫瘍溶解性ウイルスを用いたガン治療法がほぼ出そろってきたように感じる。このブログでも既に何回か紹介しているが、腫瘍溶解性ウイルスが注目されるようになってきたのは、ウイルスにより溶解したガン細胞からのガン抗原に対する、あるいは感染したウイルス自体に対する免疫反応を利用することで、全てのガン細胞を殺せなくても、免疫系を動員してガンを抑制する可能性が示されたからだ。

今日紹介するハーバード大学からの論文は、腫瘍溶解性ウイルスを最初から免疫誘導抗原として使うことを前提に患者さんの反応を調べた研究で、10月18日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Clinical trial links oncolytic immunoactivation to survival in glioblastoma(臨床治験を通してグリオブラストーマ治療での腫瘍溶解性と免疫活性化が結びついた)」だ。

この治験ではCAN-3110と名付けたヘルペスウイルスがを直接脳腫瘍内に注射する治療が行われている。また、必要に応じて免疫チェックポイント治療を組みあわせている。

CAN-3110の特徴は、これまでウイルス感染が拡大することを恐れてヘルペスウイルスから除いていた ICP34.5遺伝子を、ネスチンプロモーターで別に発現させ、ウイルスの増殖と溶解性を高めた点で、これによりガン細胞が存在すれば新たなガン細胞へ感染を伝搬することが可能になる。

とはいえ、この治療も万能ではなく、治験に参加した患者さんの生存期間を5ヶ月から12ヶ月へ延長するにとどまっている。とはいえ、IDH変異が見られるアストロサイとタイプのガン患者さんでは、3例が長期生存を果たしており、このようなリスポンダーの解析は、さらに効果的治療方法開発に重要になる。

そこで、まずウイルスの持続的感染がガン免疫と相関するか調べる目的で、ウイルスに対する抗体の有無と予後との相関を見ると、ウイルスに対する抗体を持っている、すなわちウイルス感染が一定程度続いた患者さんの方が予後が良い。他のウイルスに対する抗体では全く相関がないので、明らかに腫瘍溶解性ウイルスが感染し持続することが腫瘍拒絶につながることが明らかになった。

次に、繰り返される手術時に標本を作製して、腫瘍組織の細胞浸潤を調べると、ウイルスを感染が持続しているグループで、壊死層の周りに多くの CD8、CD4T細胞が浸潤していることが確認された。

さらに、腫瘍組織のmRNA解析から、腫瘍組織で強い炎症反応も起こっていることが明らかになり、ウイルスによる炎症及び新しいガン抗原発生が抗腫瘍効果に重要であることを明らかにしている。

これに加えてキラーT 細胞の抗原受容体遺伝子化石も行っているが、抗原特異性の解析は行っていないので、おそらく感染症でウイルス感染細胞が除去されるのと同じメカニズムでガン細胞が除かれるのではと推察される。この点については、抗原ペプチドを用いた研究が欲しい。

以上、まだまだ改善の余地があるが、ガン抗原を新たに作ってそれを標的にする治療は、腫瘍溶解性ウイルスの切り札として使われる予感がする。

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10月19日 統合失調症にリンクした遺伝子多型を機能にまで掘り下げられるか(10月17日 Cellオンライン掲載論文)

2023年10月19日
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昨日サルと人間の脳に関わるゲノムレベルの差が如何に膨大かを示す論文を紹介し、この膨大な差をまとめて我々人間独自の能力の説明するのは、まだまだ研究が必要だと結論した。そして、この差が説明されるようになる前に、まず統合失調症のような多くの多型が集まった病気の発症メカニズムを解く方法論の確立が必要だと書き留めておいた。

これを書いた後最新の論文を眺めていたら、タイムリーに統合失調症のゲノムレベルの多型を細胞機能の差として特定するための方法論確立を目指したミュンヘン大学からの論文に行き当たったので紹介することにした。タイトルは「Massively parallel functional dissection of schizophrenia associated noncoding genetic variants(統合失調症と連関する non-coding 遺伝子変異の徹底的な並列機能分析)」で、10月17日 Cell にオンライン掲載された。

これまでのゲノム研究で統合失調症と連関する遺伝子多型は300近く存在することがわかっているが、その多型から発生する機能の差についてはほとんどわかっていない。勿論、一つの多型に絞れば、マウスや iPS細胞を用いて、その機能を追求することが出来る。この作業を繰り返せば、全ての多型の機能的意味をある程度は理解できる。

ただ、この研究では出来るだけ多くの多型を同時に機能的に調べるために、現在利用できる様々な方法論を選び、それを検証することに重点が置かれている。ただ、先に断っておくが、同時網羅的に調べたとはいえ、統合失調症発症メカニズムが新しく見えてきたわけではない。

さて方法だが、この研究では300近い多型の中から、non-coding 領域の多型を選んで、この多型により発現が変化する遺伝子を特定することに焦点を絞っている。

多型から機能への橋渡しとしてまず行われるのが ATAK-seq を用いたクロマチンの解析と、細胞や組織レベルでの遺伝子発現と相関する多型の絞り込みで、ここまではこれまでの研究と同じになる。

この研究の売りは、こうして絞り込んだ non-coding 多型のエンハンサーとしての活性を、レンチウイルスを用いたレポーター遺伝子の発現を指標として、網羅的に調べているところだ。具体的には、神経幹細胞や iPS細胞に多型領域とレポーター及びタグ付けたバーコードを導入し、細胞が神経に分化したところで、神経刺激有り無しの条件で、レポーター遺伝子の発現量で細胞を分け、タグ付けに使ったバーコードの頻度で、遺伝子発現を高める多型、あるいは抑える多型を特定している。

この方法によって、最終的に194種類の多型に絞り込める。このようなレポーターシステムを導入した iPS細胞は、分化方法を工夫すれば、脳内の各細胞特異的な機能を調べることが出来る。また、刺激により初めて遺伝子発現の差を誘導する多型も特定することが出来る。

こうして、non-coding 領域の多型が調節する標的遺伝子を特定できると、次に iPS細胞を用いた CRISPR を用いてこれらの領域を変異させた iPS細胞を作成し、これを神経へと分化させ、single cell RNA sequencing を用いて、non-coding 領域の変異と標的遺伝子の発現量を調べ、最終的に40種類の、全てのクライテリアを満たした non-coding variant を特定している。

結果はこれまでで、統合失調症と相関する多型の機能を明確にするという意味では重要な方法論的貢献だと思うが、実際にこの実験を進めるのは大変だったと思う。今後は、新しく示された40の多型と、これまで知られている rare variant を会わせた上で、ここの症例を検討することで、発症メカニズムを推察する最も困難な過程が待っている。ただ、新しい生成AI のおかげで、これも意外と早く進むような予感もする。

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10月18日 言語野の人間特異的特徴を探して(10月13日号 Science 掲載論文)

2023年10月18日
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私の個人的印象だが、我が国のサル学は人間もサルという点を重視する傾向にあり、一方欧米では人間とサルは違うという点を重視するように感じている。チンパンジーのゲノムが解読されたとき、人間のゲノムと1.2%しか違わないことが強調されたが、逆に1.2%も違っているとも言える。

私たちが最も知りたいのは、脳の発生や機能に関わる分子の働き方の差で、研究が進めば進むほど、人間とサルには様々なレベルで大きな差があることが明らかになり、この大きな差をどう統合して機能の違いを説明するかが21世紀の重要な課題の一つになった。

今日紹介するシアトルにあるアレン脳研究所からの論文は、人間の言語野に相当する領域の皮質組織から分離した核内RNAを single cell level で解析した snRNA sequecing を、人間、ゴリラ、チンパンジー、アカゲザル、そしてマーモセットで比較し、人間とサルの差を細胞レベルで際立たせようとした研究で、10月13日号 Science に掲載された。タイトルは「Comparative transcriptomics reveals human-specific cortical features(遺伝子発現の比較により大脳皮質の人間特異的な特徴を明らかにする)」だ。

この研究ではトータルで60万個に及ぶ質のいい核のデータを集めており、言語野という限られた皮質領域だけでも、150種類近くの細胞に分類することが出来る。それを、個体間、種間で詳しく比較し、個体間の差を差し引いた上で、それぞれの種を代表するデータに転換し、それを各細胞レベルで比較している。

まず、この領域の細胞の種類や皮質内での分布はほぼ共通と言えるが、マーモセットと比べると大きな変化を認めることが出来る。すなわち、皮質構造が広鼻ザルから狭鼻ザルへの進化で大きく変化する。

細胞レベルで比較したとき、人間とゴリラ/チンパンジーの差が最も見られるのは神経細胞ではなくグリア細胞で、中でもミクログリアは大きな差が存在する。

しかし似ているとは言え、100を超す遺伝子発現の違いが神経細胞で見られ、この違いはまずシナプス形成に関わる、マトリックス分子や細胞接着因子に集中している。

これまで人間への進化の過程で変異が促進したゲノム変化がデータベースとして整理されているが、まさにこの違いの多くが、今回細胞レベルで特定された人間とサルの違いを説明できることも明らかになった。

いくつかの個々の遺伝子の差についても議論しているが、省略する。要するに、特定の皮質で見たとき、細胞は似ていても、詳しく見ると人間とサルの差として何百もの遺伝子発現の差が厳然と存在すること、さらにこの差はそれぞれの細胞レベルの差を生み出していることが改めて明らかになった。そう考えると、自閉症や統合失調症のメカニズムと比べても、遙かに膨大な差が存在すると言え、人間とサルが似ていることを強調するのは簡単だが、その違いを説明するのがいかに難しいかわかる。

このために、脳の病気も含めて膨大だが質のいいデータを集め続けているアレン研究所の活動には頭が下がる。

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10月17日 フォスファターゼ阻害剤は夢の薬になるか?(10月4日 Nature オンライン掲載論文)

2023年10月17日
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我々の細胞活動は様々なリン酸化反応によって調節されている。そして、これらのリン酸化反応は、フォスファターゼ(脱リン酸化酵素)によって調節されることで、活性がオーバーヒートするのを抑えている。わかりやすい例が、免疫チェックポイントシグナル PD-1 で、これは SHIP2 と呼ばれるフォスファターゼを介して、T細胞受容体(TcR)下流のシグナルを抑え、T細胞のオーバーヒートを抑える。従って、PD-1 刺激を抗体で抑えると、SHIP2 の作用が抑えられ、T細胞は活性化状態を続けることが出来る。

T細胞は他にも数種類のフォスファターゼを発現しており、PTPN1/2はTcR シグナルやサイトカインシグナルを調節していることが知られている。従って、この阻害剤を開発できれば PD-1 抑制と合わせてもっと強い免疫活性化が可能になると期待されるが、これまで開発された化合物の極性が強く、体内、細胞内への移行が悪く利用できなかった。さらに、フォスファターゼは様々なシグナルに効果があるため、副作用を制御できないという懸念もあり、薬剤開発は進んでいなかった。

今日紹介する Abbie 社とハーバード大学などの研究機関から発表された論文は、PTPN1/2 両方に効果がある化合物を開発し、ガンの免疫治療への効果を示した研究で、10月4日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「The PTPN2/PTPN1 inhibitor ABBV-CLS-484 unleashes potent anti-tumour immunity(PTPN2/1 阻害剤 ABBV-CLS-484 は強い抗ガン免疫を活性化する)」だ。

研究ではこれまで PTPN1/2 の活性基と反応することが知られている thiadiazolidinone をスタートとして、蛋白質の構造にはまり込む化合物 A-650 を設計し、そこからさらに修飾を加えて最終的に経口接種可能で、試験管内ではナノモルレベルの阻害活性のある AC484 を開発した。

後はこの分子の効果を試験管内、あるいはモデル動物系で確かめているが、全てがガンを抑える方向に回ったと言えるほど驚くべき結果になっており、すわ夢の抗ガン剤が見つかったのかとすら思える結果だ。

まず、ガン細胞自体のインターフェロン受容体下流に働き、インターフェロン感受性を上げ、細胞の増殖を抑えるだけでなく、キラー細胞に必要なMHCの発現を上昇させる。

次に免疫細胞側では、T細胞のTcRやサイトカインシグナルを活性化させ、キラー活性が上昇するとともに、PD-1 抑制と同じで抗原刺激による細胞の疲弊を抑えることが出来る。さらに、NK細胞のキラー活性も上昇させる。一方抑制性T細胞は活性化しない。

これらの結果をモデルマウスで確かめると、AC484 を経口投与したマウスでは、腫瘍を移植した部位にT細胞、NK細胞の浸潤が高まり、AC484 単独でも PD-1 阻害を超える効果を認めることが出来る。さらに、両方組みあわせると相乗効果が得られる。勿論、ガンワクチンと組みあわせて、その効果を高めることが出来る。

PTNP阻害は細胞全体のシグナルに関わり、結果として代謝の変化も誘導する。その結果、細胞内のエネルギー代謝も高めることで、TCAサイクルからの代謝物によるエピジェネティックなリプログラムが進行し、T細胞の持続的活性開示にも関わる。

さらに驚くのは、ガン周囲の他の細胞にも働いて、周囲の炎症を高めることが出来る。

以上のメカニズムが集まって、AC484 はガン周囲のあらゆる反応をガン抑制に向かわせる夢の薬剤になり得るという結論になる。

現在既に第1相の治験が始まっているようなので、それを待ちたいが、一番懸念されるのはこれほど多様な作用を持つ PTPN1/2 を止めることで、例えばインシュリンシグナル他、様々なチロシンキナーゼシグナルがオーバーヒートしないかだ。PD-1 阻害のように、特異的シグナル阻害でも免疫オーバーヒートが観察されることを考えると、大変な問題が起こる予感もする。

全て杞憂で夢の薬が完成することを願いたい。

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10月16日 ホモ・エレクトスはアフリカの高地で進化した?(10月12日 Science オンライン掲載論文)

2023年10月16日
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私たちの世代は人類の祖先としてジャワ原人、北京原人などを総称して、直立原人として習った覚えがある。しかし、現在ではこれらは全てホモ・エレクトスとしてまとめられている。ホモエレクトスはアフリカで生まれ、200万年にわたって地球に拡がるが、この進化過程を理解することが、人類発生を理解する最も重要な課題だ。というのも、エレクトスでは犬歯が退化して、かみつく生活から、食べ物を処理する生活へと移行する。これと平行して、石器も進化し、アウストラピテクス遺跡で見られるオルドワン型石器からアシューリアン型と呼ばれる、少し細工が複雑化した石器へと移行する。さらに、男女の体格差も減少することから、メスを巡る争いが減り、オスの体格が一定化したのではと考えられている。

ではエレクトスはどこで発生したのか?アフリカには、エレクトスとアウストラピテクスの中間と言える様々な化石が出土しており、アフリカで生まれたことははっきりしている。今日紹介するローマ大学からの論文は、最も古いエレクトスと思われる下顎骨をエチオピアの2000mに達する高原から発見し、様々な解析からエレクトスと断定した研究で、10月12日 Science にオンライン掲載された。タイトルは「Early Homo erectus lived at high altitudes and produced both Oldowan and Acheulean tools(初期のホモエレクトスは高地に住んでオルドワン型とアシューリアン型道具を使っていた)」だ。

この発掘場所の特徴は200万年前に起こった地磁気の逆転期(オルドバニ・松山境界)に乗っていることで、年代測定が正確に行えることだ。そこから、様々な石器とともに、子供の歯のついた下顎骨が見つかった。これまで最も古いエレクトスの化石は180万年前なので、これがエレクトスであれば最も古い化石になる。残念ながらDNAは利用できない年代なので、もっぱら形態の比較になるが、アウストラピテクスやホモ・ハビリスとは異なり、他のエレクトスに近い。

黒曜石を用いた石器も、オルドワン型とともに、エレクトスを代表するアシューリアン型石器が多く出土し、さらにこれらがまとまって存在することから、エレクトス型石器工房があったと考えられる。

以上が結果で、今回発掘された遺跡は、骨の解析から初期エレクトスの遺跡と考えられ、単純なオルドワン型からアシューリアン型への移行を目の当たりにすることが出来る遺跡であることがわかる。

そして最も古いエレクトスの遺跡が、2000mの高さで見つかったことで、エレクトスの先祖が高地というより厳しい環境に適応する過程で、我々にも見られる人類の基本能力を獲得したことが推察できる。エチオピアは今後の発掘が楽しみな地域になった。

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10月15日 言語モデルの医学への応用2題(10月10日 米国アカデミー紀要オンライン掲載論文 他)

2023年10月15日
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トランスフォーマーなどの大規模言語モデル(LLM)を利用した新しい情報処理モデル形成については、おそらく医学領域が最もアクティブではないだろうか。その意味で、面白いと思ったモデルは今後も紹介していきたい。

今日最初のモデルは10月10日 米国アカデミー紀要 にオンライン掲載されたニューヨーク大学からの論文は、統合失調症の言語テストを自然言語モデルを用いて解析する研究で、タイトルは「Trajectories through semantic spaces in schizophrenia and the relationship to ripple bursts(統合失調症での意味空間の軌跡とリップルバーストとの相関)」だ。

この研究では統合失調症患者さんに、例えば「動物の名前を思いつく限り挙げて」と質問したときにリストされてくる動物の名前を、既に事前学習により単語がコンテキストに従ってエンベッディングされている自然言語モデル(トランスフォーマー以前に開発されたモデル)、すなわち単語の意味空間を用いて分析し、挙げられた単語の意味空間内での軌跡を、正常の人の軌跡と比較している。おそらく同じことは小さなコンピュータでも使うことが出来る GPT-1 や GPT-2 でも可能だと思う。要するに、発せられた言葉の意味空間上での位置さえベクトルとして数値化できればいい。

よほどおかしな動物の名前が出てこない限り、見ただけでは差を見つけることは困難だが、自然言語モデルの意味空間を用いると、小さな差を特定することが出来る。具体的には、正常の人は意味空間の位置が近い動物の名前を挙げてから(例えば哺乳動物)鳥類に移る傾向があるが、統合失調症の患者さんは犬の後、魚に飛んでまたマウスといった具合に軌跡の多様性が大きい。

残念ながら診断的価値があるというわけではないが、この傾向を数値化すると、症状や、統合失調症の人に特徴的に見られる海馬の早い振動の波(リップルバースト)と相関が認められることを示している。従って、言語行動を通して患者さんの頭の中を明らかにするのに役立つ面白い研究だ。

もう一編は、ミュンヘンのヘルムホルツ研究所とドレスデン工科大学からの論文で、直腸ガンに限ってバイオプシー標本をピクセル化して、トランスフォーマーを用いたモデルを開発する研究で、9月11日号の Cancer Cell に掲載されている。タイトルは「Transformer-based biomarker prediction from colorectal cancer histology: A large-scale multicentric study(トランスフォーマーを基盤にする大腸直腸ガン病理組織のバイオマーカー診断:大規模多施設研究)」だ。

これまで主に「たたみ込みニューラルネット(CNN)」を用いた病理組織の機械学習は進められてきた。この研究では pixel 化したバイオプシー標本をさらに小さな四角いパッチにわけ、それぞれのパッチをトランスフォーマーにインプットして診断のためのモデルを作っている。

まず、大腸ガンの診断という意味で新しいトランスフォーマーを用いたモデルは CNN を用いたモデルを凌駕している。さらに面白いのは、ゲノム不安定性についての診断についても、十分臨床に使えるレベルで可能になっている。さらには、まだ確実性で問題はあるが、ガンのドライバーが BRAF か RAS かについても診断することが出来る。

機械学習は処理過程が全くブラックボックスと言われているが、一旦ベクトルかされた結果は確認することが出来る。そのおかげで、統合失調患者さんの単語の軌跡を追跡できるわけだが、同じように病理組織でも、どのパッチにアテンションが向かっているかを調べて提示することが出来るので、診断理由についても検証することが出来る。

以上、LLMの医学利用はますます賑やかになってきた。このことは、将来医師は何をするのかについて、今真剣に考える時が来たことを意味している。大変だ。

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10月14日 従来の哲学課題を科学的に研究する(10月6日 Cell オンライン掲載論文)

2023年10月14日
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今日紹介するチュービンゲン大学からの論文は、ひょっとしたら全く理解できていないかも知れないと思うほど、難しい論文だ。それでもあえて紹介したいと思ったのは、論文の書き方が凝っているように思えたからだ。論文は10月6日 Cell にオンライン掲載され、新しい像を既に存在する要素から構成し直す人間の脳過程を調べた研究で、タイトルは「Generative replay underlies compositional inference in the hippocampal-prefrontal circuit(海馬と前頭前皮質回路での構成的組成に関する推論には生成的再生が背景にある)」だ。

私の感じた凝った言葉の選び方から解説しよう。タイトルの generative という言葉は生成AI を彷彿とさせるし、実際 embedding という言葉とセットで使われている。また、サマリーの書き出しは「Human reasoning depends on reusing pieces of information by putting them together in new ways.(人間の推論は情報の一部を新しい方法で集めて新たに使い直すことに依存している)」で、ほとんどの人は気にならないと思うが、reasoning という単語は、カントの pure reason(純粋理性)を思い起こさせ、また以下に解説する実験の内容も、カントの提出した課題に通じるところが多い。要するにカントから大規模言語モデルまで、全て脳の問題として研究しているという著者の意志を感じてしまった。

この論文は責任著者が筆頭著者の Schwartenbeck さんだが、気になってラストオーサー Behrens さんの論文もいくつか読んでみたが、同じような手法で同じような課題を扱ってはいるが、この論文のような凝った単語の選び方は全く見られないので、Schwartenbeck さん自身の書き様だろう。結局私の深読みかも知れないが、人間の脳研究がカントから ChatGPT までつながっていることをはっきり認識して研究しているように思えた。

話が長くなったが、研究では画面に示された新しい複雑な構築を、イメージの中で要素となるレゴブロックを組み合わせて再構成する課題、すなわちシルエットとして提示される形を、頭の中で要素ブロックを組みあわせて分析している間に我々の脳の中で起こっている過程を調べている。

まず要素ブロックや、それを組みあわせた様々な形を見たときに起こる脳の興奮を fMRI で調べ、ブロック自体の視覚刺激とは別に、要素の数や、複雑性などを判断する reasoning のプランに関わる脳領域を特定している。すなわち経験を処理するための抽象的枠組みが脳に存在することを確認している。

次にブロック数を減らした単純な課題を行っている過程を、時間解像度の高い脳磁図計を使って調べている。この結果、3種類のブロックの組みあわせ程度のシルエットであれば、それぞれの要素ブロックとシルエットの形や大きさの比較が頭の中で1秒足らずの間に進むことを確認する。

その上で、それぞれの要素ブロックの視覚に対応する脳の表象領域の興奮を指標に、ブロックの組み合わせを考える時に頭の中で起こっているとき、それぞれの要素ブロックが同頭の中に浮かぶかを再現し、土台ブロックの上に、様々なブロックを組みあわせる試行を順番に繰り返し、正しい答えに到達していることを明らかにしている。

結論としては、新しい経験は、視覚経験(要素ブロック)を、空間、複雑性などの reasoning にもとづいて構想し直し、一般化しているという結論になる。

最後にこの結論をもう少しカント的に直して終わる。カントは経験を処理する枠組みとして量、質、関係、特性の4つのカテゴリーを示しているが、この研究はまさにこの経験を処理する枠組としてのカテゴリーが脳のサーキットとして存在し、従来の経験をこの回路上で再生しながら新しい知識へと変えていくという結論になる。著者はこの脳過程が生成AI とつながっていることまで、用いる単語に慎重に選ぶことで示しているのに感心した。今後が楽しみな研究者に思える。

カテゴリ:論文ウォッチ
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