7月22日:カニクイザルES細胞でキメラ胚を作る(7月2日号Cell Stem Cell掲載論文)
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7月22日:カニクイザルES細胞でキメラ胚を作る(7月2日号Cell Stem Cell掲載論文)

2015年7月22日
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同じ胚生幹細胞(ES細胞)と名前が付いていても、マウスES細胞とヒトやサルのES細胞では分化のステージが異なっていることはなんども紹介してきた。マウスの場合胚盤胞と呼ばれる時期の内部細胞塊に対応する細胞だが、ヒトやサルではもう一段分化が進んだエピブラスト段階に相当する。このため、ヒトES細胞は増殖速度が遅く、また単一細胞から増殖させるのが難しい。当然、ヒトやサルES細胞をマウスと同じ内部細胞塊段階へと転換するための技術開発が行われ、このホームページでも何度か紹介した(http://aasj.jp/news/watch/664、http://aasj.jp/news/watch/1942、http://aasj.jp/news/watch/2160)。しかし、これらの方法で本当に内部細胞塊に相当するES細胞を培養できているかの最終証明には、細胞を胚盤胞以前の段階の胚に移植し、キメラができるかどうか、さらに生殖細胞へ分化して次世代を造るかどうか調べる必要がある。もちろんそんな実験をヒトで行うわけにはいかない。代わりに試験管内で同じように振る舞うサルES細胞を使うしかないが、このような実験をサルで行う技術はどこにでもあるものではない。今日紹介する昆明理工大学と中国科学技術院からの論文はサルES細胞を内部細胞塊段階へ誘導して桑実胚に移植することでキメラサルを造ることができることを示した研究で7月2日号のCell Stem Cellに掲載された。研究ではカニクイザルを用いてES細胞を樹立、その細胞を彼らがNHSMVと呼ぶ培地に移すと、内部細胞塊に似た段階へ誘導できることを示した上で、この細胞を桑実胚に移植してキメラを形成する条件を検討している。実際、試験管内で内部細胞塊様に戻せたからといって、簡単にキメラが作れるわけではない。著者らは、桑実胚の培養方法を工夫することで、キメラ率が7割近くに達する方法を開発した。この研究では妊娠100日目で胎児を調べているが、ES細胞由来の生殖細胞の存在を確認しており、この結果が本当ならES細胞由来の次世代がサルで生まれるのも時間の問題だろう。これまでナイーブ状態、基底状態を誘導できると主張されてきたサルES細胞培養条件が、確かに内部細胞塊に相当する細胞を維持できることの証明は極めて重要だ。当然ヒトのES細胞やリプログラム研究も進む。また、脳研究を筆頭に様々な分野で実験動物としてのサルの胚操作技術の必要性は高まるだろう。これはクリスパーなどのゲノム編集技術が進展しても、置き換えられるものではない。この研究の意義は大きく、実験動物としてのサルの完成という意味では中国は一歩先を行った。この論文は技術だけのそっけない論文だが、いつかはできると皆が思っていることを、やり遂げるのは実は簡単ではない。独創性のある研究という点ではまだまだでも、中国はこの点で最も力のある国になった様に思う。責任著者の一人、斉周は個人的にもよく知っているが、フランス留学組だ。この13億中国の力と伍していくには、我が国は独創的な研究者を育てるしか方法はないだろう。ハプスブルグ帝国没落後の20世紀初頭オーストリアに、芸術から科学(マーラー、シェーンベルグ、カフカ、ヴィトゲンシュタイン、ゲーデル、ノイマン、ボルツマン、フロイト、ランドシュタイナーなど挙げればきりがない)で世界をリードする多様な人材が輩出された例は目標となる。しかし、21世紀、これから人文科学と自然科学が統合に向かう時、文系と理系と分ける20世紀遺物的思想で大学から人文科学を駆逐しようとする狭い了見しかないわが政府の舵取りでは、没落の道しかないだろう。
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7月21日:耳鳴りの磁場治療(7月16日号JAMA Otholaringology Head-Neck Surgery掲載論文)

2015年7月21日
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40歳を越えた頃から右耳の耳鳴りが始まった。以来30年近く付き合ってきたが、悩まされるかというとそれほどではない。もともと治らないと諦めているし、目眩などがなければ放置すればいいと思い込んでいる。また全く効用がないわけではない。仕事をしている時でも、コンサートを聴いている時でも、集中している時には忘れてしまっているが、気が散ったり、退屈していると突然聞こえるから、集中度を計ることができる。しかしもし簡単に治るならどうすると聞かれれば、治療によりけりと答えるだろう。昨日紹介した神経回路の話と同じで、耳鳴りは外界とは無関係の回路が形成されてしまっている不思議な現象だ。しかも脳イメージングの研究から、広い範囲の活動が見られる。薬を飲んだりして、他の副作用が出れば大変だと思ってしまう。これに対し、外から脳内に磁場を放射し治す方法(TMS)が開発されている。これまでなんどもTMSの有効性を示す論文が発表されている。しかし異論も多く、アメリカ耳鼻咽喉科学会では、持続性の耳鳴り患者にTMSを進めないほうがいいというガイドラインが出ている。今日紹介するポートランドにある国立耳鼻科リハビリテーション研究センターからの論文は、TMSの効果を2重盲検法で確認した研究で7月16日号AMA Otholaringology Head-Neck Surgeryに掲載された。タイトルは「Repetitive transcranial magnetic stimulation treatment for chronic tinnitus. A randomized clinical trial (慢性的耳鳴りの経頭蓋磁場刺激療法。無作為化臨床治験)」だ。手術や物理的刺激による治療は二重盲検無作為化治験は難しい。というのも、自分が偽薬群に入っているかどうか患者さんや治験者にすぐ気付かれる。この研究のハイライトは、磁場を当てる時に使う同じ形のコイルパッドを作って、音も同じように出る擬似治療機器を作成し、患者にも治験者にも気付かれないようにした徹底性だ。その上で、70人の患者さんを無作為に治療群と対照群にわけ、1日一回、10日間続けてTMS治療を続け、直後から耳なり機能インデックス(TFI)を用いて効果を評価している。最終的に十分な効果が認められるという結論だが、幾つか面白い点があるので、それを紹介しよう。まず、偽薬群も統計的には改善が見られている。おそらく、耳鳴りの強さがかなり自覚的なもので、治療への期待が出てしまうのだろう。次に面白いのは、磁場をかける時、耳鳴りが見られる側であろうと、反対側であろうと同じ効果が見られる点だ。これは耳鳴りが明らかに片方で聞こえていても、結構広い領域が活動していることと関係あるだろう。最後に、耳鳴りのひどい人ほど効果があることだ。原理はともかく、10日間の治療で、半年続く効果が得られ、時間が経つ方が改善の度合いが良く、特に副作用がないというなら、本当に悩んでいる人は受けてみる価値があるように思う。では私はどうかというと、もう少し待ちたい。何よりも、脳イメージングによるデータも見たい気がする。当分はこのまま耳鳴りと付き合っていくつもりだ。
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7月20日:記憶の統合(7月15日号Science掲載論文)

2015年7月20日
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昨年ノーベル賞が与えられた、オキーフさんとモザー夫妻の研究は、脳内のGPSの発見と簡単に要約されてしまっているが、この分野の論文を読んでいると方法論から理論まで、位置特定のための記憶に限らず、記憶研究一般にとって様々な革新を成し遂げた仕事である事がわかる。7月8日に紹介したやはりノーベル賞研究者エリック・カンデルさんは(http://aasj.jp/news/watch/3720)、記憶に必要な個別のニューロン内での変化を追求し続けているが、一方記憶を新しい脳回路の形成とその活動の維持として捉える方向性の研究を代表しているのがオキーフさんたちの研究だろう。今日紹介するテキサス・サウスウエスタン大学からの研究はこの場所記憶の回路の活動が脳の全体のリズムに連結されている事を示す研究で7月15日号Scienceに掲載されている。私のキャリアから見て全く異分野なので、間違った事を伝える不安はあるが、面白いと思ったので是非紹介したい論文で、タイトルは「Autoassociative dynamics in the generation of sequences of hippocampal place cells (海馬の場所ニューロンの興奮生成における自己に連結した動態)」だ。はっきり言って素人にはわかりにくいタイトルだ。そこをなんとか読み進むと、実験では例によって、ラットを2次元、1次元空間で訓練し、場所の記憶を植え付ける。この記憶は、それぞれの場所に脳神経細胞を対応付ける事で生まれるが、これは海馬に埋め込んだマルチ電極で記録する事で解読できる事はすでにオキーフ、モザー夫妻により示されている。訓練したラットを同じ空間に離して褒美のある場所を見つけさせるとき、ラットは場所の記憶を頼りに動く。したがって、実際の場所と神経細胞の興奮を対応させることができる。この研究では、動物が特定の場所で、そこに至るまで自分が動いてきた軌跡を思い出すときに見られる特有の興奮パターンとしてオキーフさんたちの発見したsharp-wave ripple(SWR)に注目して、SWRがいつどこで起こっているかを調べている。SWRは直前に動いた軌跡を呼び起こすときに起こる興奮パターンで「リプレイ・再生」と呼ばれていたが、この研究では様々な結果から、SWRを一定の軌跡を思い出すとき一般的に見られるパターンとして解釈している。その上でSWRの発生を詳しく見てみると、動きが停滞したあと、次に早くなる時に発生していること、また動き自体もスムースではなく、リズムがあることに気づいている。このリズムの時間を調べると、動きが停滞しいる時間が24ms、動いている時間が7ms、全体で30−40Hzのリズムを刻んでいることから、この行動が脳のγ波と同じであることに気づく。もともとγ波は記憶の固定や呼び起こしと関係することが知られていたので、実際の動きのリズムとγ波の関係を調べると、なんとγ波の強さのピークが、動きの止まっている時に一致することを発見した。すなわち、SWRが対応する特定の場所の回路の興奮は、それぞれ自由勝手に発生するのではなく、γ波と連動することで脳全体と関連付けられ、詳細に見ると、行動もこのリズムに従っているという結果だ。個々の回路が自由勝手に興奮すると、脳全体の統合性の維持が壊されるから、それぞれを同期させ、脳の統合性を保っていると知ると面白い。ではγ波はもともとどのように形成されるかなど私にはよくわからない点も多いが、脳でも部分と全体の生物特有因果性が形成されているのを知ると、納得する。オキーフさんたちの偉大さは、理解を深めるほどジワっとしみこんでくる、プロの偉大さのようだ。
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7月19日:iPSを用いた自閉症研究(7月16日号Cell掲載論文)

2015年7月19日
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まだ現役時代、わが国でも疾患iPSを集めるプロジェクトが始まったが、最初は希少疾患に限って樹立を進めようという計画だったと思う。当時希少疾患などに限らず、ガンや血管病など対象を広げたらと意見を述べたことがあるが、おそらく大きな計画の変更なく今も進んでいるのだろう。同じ頃文科省の若手官僚と米国NIHを訪れ、iPS研究の助成方向について意見交換を行った。その時、NIHが統合失調症など高次脳機能障害についてiPSを使った研究プロジェクトを始めようとしていることを聞いて、遠い将来のために研究助成を計画する企画力に感心した。その後米国からは、iPSを用いて高次脳機能にチャレンジする論文が発表されているが、今日紹介するエール大学からの論文もそんな一つと言える。タイトルは「FoxG1-dependent dysregulation of GABA/glutamate neuron differentiation in autism spectrum disorders(自閉症ではFoxG1依存性のGABA/グルタミン酸神経細胞分化の異常が見られる)」だ。自閉症のような極めて高次な脳機能の研究に怯まずiPSを用いる意欲に感心する。その上で、疾患のiPSを作ればいいと言った安易な計画ではなく、自閉症を持つ4家族の全てのメンバーのiPSを作成し、ゲノムや遺伝子発現を比べる、周到な計画のもとに研究が行われている。患者さんの選び方も、既知のゲノム異常を持つケースは敢えて省いて、いわゆる原因がわからない自閉症に焦点を当てている。ゲノム時代に入ってから、世界の研究トレンドを見ると、もう一度家族や双生児の研究が盛んになっているのを感じるが、家族で比べるというこの研究にもこの認識が浸透している。ゲノムが複雑であることを改めて認識した上で研究が進められている証拠だが、このような認識が共有されていないわが国の現状を見ると寂しい気がする(私の認識が間違っていたらぜひ指摘してほしい)。次にiPSから3次元の脳組織を誘導する。試験管内での組織形成で見ると、自閉症患者さん由来iPSもコントロールとあまり変化はない。もちろん誘導されるのは小さな神経細胞の塊なので、実際の組織と対応させる必要がある。培養組織の遺伝子発現パターンと、脳発生での遺伝子発現のデータベースを比較して、妊娠2期の終脳皮質に近い組織であることをまず確認している。このパターンがある程度自閉症で注目されている扁桃体とも相関していることも調べている。その上で、遺伝的には極めて近いが自閉症を発症していない対照と、組織内の遺伝子発現を比べ、1)自閉症由来iPSでは神経細胞増殖が長く続く、2)これに伴いGABAニューロンの数が増大して、相対的にグルタミン酸ニューロンとの比が下がっている、3)この変化は大脳皮質分化に関わることがすでにわかっているFoxG1分子の発現が上昇する結果で、4)正常iPSにFoxG1を発現させることでこの異常を再現できる、5)FoxG1の発現異常の程度は実際の臨床症状と相関する、ことを見出している。4例と症例数は少ないが、本当なら(とただしたくなる)期待をはるかに超える結果だ。着実に当時のNIHが考えた方向の未来が実現していることを実感する。このような方向性は官僚が作れるものではない。研究者が集まって利害を超えて未来を計画することが必要だ。普通ならiPSでは無理と考えることを支援する長期的視野をわが国のiPS研究指導者にも期待したい。長期的発展は助成金の額を増やすことでは実現しない。間違いなく世界レベルでiPSの研究や利用は今後も拡大するだろう。そんな中で、わが国のiPS研究だけが荒れ野と化していたということにならないよう、わが国の指導者は心してほしい。
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7月18日:外傷性神経変性治療への突破口(Natureオンライン版掲載論文)

2015年7月18日
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微小管に結合してその安定性を調節しているタウ蛋白、なかでもリン酸を受けたタウ蛋白が神経変性疾患に関わっていることがよく知られている。これに基づき、アルツハイマー病や外傷性の神経障害などの神経変性性疾患は、リン酸化タウの異常を基礎とするタウ蛋白症として統一的に捉えようと提案が行われている。今日紹介するハーバード大学からの論文はタウ蛋白症の発症メカニズムを明らかにし、変性の早期診断や治療の可能性を示したという点で重要な研究だと思う。タイトルは「Antibody against early driver of neurodegeneration cis-P tau blocks brain injury and taunopathy (神経変性の早期段階の促進因子cis-リン酸化タウに対する抗体は脳障害とタウ蛋白症発症を阻害する)」で、Natureオンライン版に掲載された。このグループは以前リン酸化タウの構造変化を誘導する酵素がタウ蛋白症を阻害することを見つけ、リン酸化タウのcis型からtrans型への変換でタウが無毒化する可能性を示唆していた。即ち、タウ蛋白症はcis型蛋白によって起こることを提唱していた。この論文では、この二つの分子型を区別できるモノクローナル抗体を作成し、cis型がタウ蛋白症を起こす張本人であることの証明を試みている。このモノクローナル抗体を使って急性脳障害を受けたマウスの脳を追跡すると、外傷2日ぐらいからすでにcis型タウ蛋白だけが上昇を始め、これが時間をかけて脳内に広がり神経内で重合することを明らかにしている。また、外傷性神経変性を起こした患者さんの脳サンプルで蓄積しているのがtrans型ではなく、cis型蛋白であることを示している。これらの結果から、神経内でのリン酸化タウの重合は全てこのcis型蛋白のせいであることが結論できる。一度の障害で誘導されるcis型蛋白が、その後脳内に広がり、慢性の神経変性が起こっていくのを示されると、空恐ろしい気持ちになる。次に試験管内の実験系で、障害によって誘導されるのは全てcis型蛋白で、これが他の細胞に伝播して神経変性を拡大していることを証明している。これまでもタウ蛋白がプリオン様性質を持つことが知られていたが、実際cis型とtrans型の2種類の構造があることがわかると納得する。最後に、cis型の細胞内重合化と伝播を新しく作った抗体で抑制できるか調べ、試験管内でも、実際のマウス脳障害モデルでも、この抗体が神経変性を抑制できることを示し、cis型に対する抗体による治療の可能性を示唆している。最も意外だったのは、試験管内の実験で、抗体がFcγ受容体を通って神経細胞内に入り、細胞内でcis型の重合を阻害しているという結果だ。私自身は、抗体の効果はタウ蛋白の細胞から細胞への伝播を止めるのだろうと考えていたので、にわかには信じ難いが、どちらにせよ効果は明らかだ。素晴らしい結果だが、実験のプロトコルにスッキリしないところがある。例えば、脳障害マウスへの抗体投与実験のプロトコルだが、障害前に腹腔に抗体を投与して、障害後に脳内投与をするなど、臨床から考えるとすべて後から投与だけの結果を示したほうがいい。この様に少し問題はあっても、効果は臨床研究に移っても十分だと思えるぐらいはっきりとしており、何よりも急性の損傷が慢性神経変性へと進むメカニズムについてはしっかり頭が整理できた気がする。神経変性性の疾患は高齢化社会の最大の問題だ。このメカニズムはおそらくアルツハイマー病など他の変性疾患にも共通に存在している可能性が高い。素人から見ても、重要な突破口化が開いた気がする。期待したい。
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7月17日:パンダの隠れた病気、甲状腺機能低下症(7月10日号Science掲載論文)

2015年7月17日
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野生の動物を見にいくのは好きだが、動物園は苦手だ。小学校時代を除くと一度ボルネオトレッキングに行った時、乗り継ぎで一泊したコタキナバルのワイルドライフパークに行っただけだと思う。こんな事情だから当然パンダは見たことがない。すでに2000頭を切っているというから、おそらく野生で見る機会もないだろう。ただ、今年5月mBioに掲載されたパンダの腸内細菌には、普通の草食動物に存在するセルロースを分解できる細菌がほとんどないというのを読んで、パンダが短い腸と肉食型腸内細菌叢を持つ本来なら肉食でしか生きることのできない動物であることを知った。今日紹介する中国科学院研究所からの論文はこの矛盾した存在のパンダが生きるために選んだ戦略の一つを示した論文で7月10日号のScienceに掲載された。タイトルは「Exceptionally low daily energy expenditure in the bamboo-eating giant panda (竹を主食とするジャイアントパンダはエネルギー消費が並外れて低い)」だ。この論文を読むまで知らなかったが、重水素と酸素18同位元素で標識した2重標識水(doubly labeled water)を使うことで、毎日のエネルギー消費を調べる方法が開発されているようだ。原理は、2重標識水を摂取、完全に体の水と同化させた後、水としてしか排出されない水素と、水と炭酸ガス両方で排出される酸素の体内からの排出される速度の差をアイソトープで測定、これを元にエネルギー消費を調べる方法だ。この研究では、飼育しているパンダと野生のパンダのエネルギー消費をこの方法で調べ、エネルギー消費量は大きさから計算される予測値の4割しかないことを発見している。これ以外にも、丹念に食事、排出を調べてエネルギー同化についても計算し、2重標識水実験により得られた結果と矛盾がないことを確認している。この低いエネルギー消費を反映して、皮膚の表面温度も他の動物と比べ圧倒的に低い。犬と比べると実に20度近く違う。これらの結果から、パンダはエネルギー消費を落とし、竹を食べることで草食で生き残れた肉食・雑食動物だと言える。言い換えると、エネルギー消費を落とすことで、パンダという矛盾に満ちた存在が可能になっている。もちろんScienceに掲載されるためには、なぜエネルギー消費が低いかを示す必要がある。もともとパンダの甲状腺ホルモンの量が低いことはわかっていたようだが、この研究ではパンダゲノムの比較からDUOX2という甲状腺ホルモン産生に関わる分子をコードする遺伝子にパンダ特異的変異があり、完全なDUOX2分子ができないことを突き止めた。この分子の突然変異によるヒトの甲状腺機能低下症も見つかっていることから、DUOX2分子の機能をあえて失うことで、パンダは自分の矛盾を解決したという結論だ。話は面白いし、これを知るとパンダが本当に愛おしく思える。やはり節を曲げて、王子動物園にでも行ってみようかと思っている。
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7月16日:小細胞性肺がんのゲノム(Natureオンライン版掲載論文)

2015年7月16日
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卒業後、胸部内科を選んだので多くの肺がん患者さんを診ることになったが、やはり小細胞性肺がんの印象が最も強かった。当時は今ほど化学療法は進んでいなかったが、それでも最初は放射線と化学療法がよく効いてガンの大きさが著しく縮小する。しかし喜びは長く持たない。必ず再発し、治療とイタチごっこを繰り返しているうちに、医師は全く無力であることを思い知る。当時は、まだ告知が当たり前でない時代で、状況をどう説明していいのか途方にくれたのを思い出す。今日紹介するケルン大学、スタンフォード大学を中心とする国際コンソーシアムからの論文は小細胞性肺ガンのゲノムの徹底的研究でNatureオンライン版に掲載された。タイトルは「Comprehensive genomic profiles of small cell lung cancer (小細胞性肺ガンの包括的ゲノムプロファイル)」だ。もちろん我が国からも研究に参加しているが、ファンディングには我が国の記述がなく、日本のガンゲノム研究がそれほど助成を受けていないのがわかる。さて、行われたゲノム解析は徹底的で、110人のガンについて全ゲノム解析をするとともに、81人については遺伝子発現の網羅的解析、さらに142人には全ゲノムレベルのSNP解析を行っている。さらに、臨床データをマウスモデルで確かめる実験研究も行っている。ドイツ的な完璧主義を彷彿とさせる研究だ。データは膨大で、詳細は全て省く。意外に思った点や読後感を述べておこう。まずこのガンでは遺伝子変異が異常に多い。普通肺ガンの場合、変異の数は喫煙と相関しているのだが、小細胞性肺ガンの場合相関が見られない。これが正しければ、最初から遺伝子の不安定性がこのガンで起こっている可能性がある。この結果として、Mycなどのガン遺伝子の増幅が起こっているのだろう。私は勝手に小細胞性肺ガンはMycLの増幅と思っていたが、Myc, MycNでもしばしば増幅が見られるようだ。この論文ではp73遺伝子について変異の起こり方を詳しく調べているが、確かに多様な変異が起こっており、全般的に遺伝子が不安定であることが感じられる。もう一つの特徴は、メジャーなガン抑制遺伝子が軒並み欠損しているいることだ。P53やRb1に至ってはほぼ100%といっていい。Mycが発現して細胞周期のチェックポイントが効かないとすると、確かに化学療法や放射線が効くのも納得できる。問題はなぜこれほど再発率が高いかだ。残念ながら、この論文はこれには答えていない。動原体構成成分や、RNAプロセッシングに関わる分子は調べれば面白いかもしれないが、おそらく変異が多すぎて、絞り込むのが大変なのだろう。NOTCHと呼ばれる遺伝子のガン抑制機能を抽出して詳しく調べたデータを示していても、新しい光がさしたという読後感はない。薬剤がすでに開発されている標的分子KIT, RAF, PTENなどについても記載しているが、多くの患者さんはカバーできていない。もちろん少ない数でも、ぜひその効果を試して欲しいと思う。結局、これまで通り比較的多くの患者さんで見られるドライバーを見つけ、ゲノム研究を治療に活かすという方向だけで解決するほどガンは簡単な相手でないということだ。いずれにせよ、これだけ豊富なデータが蓄積された。これからは、ガンの共通性だけを求めるのではなく、ガンの個性に軸足を置いた研究(例えば個別のガン抗原が見つかるか?)も必要になるだろう。このデータの真価を知るのはずっとあとになる気がする。野心のある若い医師がぜひ様々な角度からこの膨大なデータベースを丹念に調べなおして欲しいと思う。読んだあと、40年すぎても、ゲノムが明らかになっても、小細胞性肺ガンではガンが優勢であることを思い知らされた。それでも、あと少し頑張れば医学が優位にれるかもしれないと期待している。
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7月15日:エンハンサー領域の転写:データベースを駆使して安上がりに研究を行う(Nature Neuroscienceオンライン版掲載論文)

2015年7月15日
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ヒトゲノムプロジェクトから、RNAに転写され、タンパク質へと翻訳されるゲノム領域、すなわち遺伝子は高々1.5%ぐらいしかないことがわかっている。しかしENCODEや理研FANTOMプロジェクトなど、様々な組織で検出できるRNAを網羅的にリストする研究から、8割にも及ぶゲノム領域がRNAに転写されることが示され驚いた。進化を考えている立場からいうと、生命誕生時のDNAとRNAの関係の名残のように思えるが、この関係は動物ごとに独自の発展を遂げ、例えば昨年5月11日紹介したゾウリムシのような2つのゲノムを可能にする舌をまくメカニズムにまで発展している(http://aasj.jp/news/watch/1538)。遺伝子をコードしないnon-coding RNAの研究は急速に進んでいるが、多様性が大きくまだまだ研究が必要な領域だ。今日紹介するオーストラリア・サウスウェールズ大学からの論文は、脳細胞で発現しているnoncoding RNAのうち、元々は遺伝子発現を調節しているエンハンサー領域から転写されてくるRNA (eRNAと名付けている)を調べた論文でNature Neuroscienceオンライン版に掲載された。タイトルはCoexpression networks indentify brain region-specific enhancer RNAs in the human brain (共発現ネットワークを調べると、ヒト大脳の脳領域特異的エンハンサーRNAを特定できる)」だ。この研究で実験として行われたのは、理研のPiero Carniniciの協力を得て成人脳の様々な部位から転写開始点の網羅的ライブラリー(CAGEライブラリー)を作成し解析しただけだ。あとは、利用できるあらゆるデータベースに当たって自分で作成したeRNAライブラリーから情報を引き出そうと努力している。この研究ではまず、エンハンサー領域のデータベースを参照に、遺伝子内に存在するエンハンサー領域から転写されていると思われるeRNAをリストし、脳で発現が高い103エンハンサー領域をリストしている。次に神経疾患のゲノム解析データと比較して、リストした遺伝子が自閉症と連関する遺伝子群とオーバーラップすることを見つけ、eRNAを調べることになんらかの意味があるのではと確信したようだ。あとは、エンハンサーとそれが支配する遺伝子がセットとして明確に特定できるコンビネーションを、やはり理研FANTOMやENCODEデータベースを参照して特定し、脳の特定領域でそれぞれの遺伝子とネットワークを形成しているモヂュールを特定している。要するに、転写された遺伝子だけを調べていたのではわからなかった遺伝子同士の関係が、eRNAが反映するエンハンサー活性を参照にして見ることで明確にできたという論文だ。もちろんこの結果が自閉症の理解にどれだけつながるかは、今後の研究が必要だ。ただこの論文を読んで、研究費に困っている若手でも、アイデアさえあれば、コンピュータとデータベースを駆使してかなりのことができる時代が来たことを感じる。例えば山中さんも最初理研のES細胞のFANTOMデータベースから多能性に関わる遺伝子をリストして、リプログラムの研究を始めている。金がないとぼやくだけでなく、研究費が不足している災いを、21世紀的新分野の開拓のエネルギーとする若手が出てくることを願っている。
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7月14日:減数分裂に関わる分子を網羅的に探す(7月6日号Nature掲載論文)

2015年7月14日
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20世紀後半の20年の生命科学は遺伝子ハンティングの時代だった。特定の過程に関わる分子を特定するために、様々な方法が開発されたし、それぞれの研究室は工夫を凝らし、クローニングの一番乗りを果たそうとしのぎを削った。しかしこの挑戦に直接関わる大学院生や若手研究員にとっては、一番乗り以外は意味がないという熾烈な力仕事で、大きなプレッシャーの中で苦労を重ねていたと思う。当時の逸話は挙げればきりがない。ただ21世紀に入るとゲノムが解読され、存在する遺伝子は原則すべてわかったという時代が来た。このためそれぞれの遺伝子や遺伝子ネットワークの働きを解明するエレガントな研究が増えた印象がある。とはいえ、生命科学には素朴な力仕事の伝統は生きている。今日紹介する英国MRCからの論文はそんな伝統を彷彿とさせる研究だった。タイトルは「Live imaging RNAi screen reveals genes essential for meiosis in mammalian oocytes (ライブイイメージを用いたRNAiスクリーニングにより哺乳動物卵の減数分裂に必須の遺伝子が明らかになる)」で、7月6日号のNatureに掲載された。哺乳動物の卵子は1回目の減数分裂の途中で止まったまま受精を待ち、その後2回目の減数分裂を完成する。その結果、極体と呼ばれる小さな細胞と、大きな卵が形成される。このプロセスは複雑で、しかも失敗が多く、この失敗が流産につながったり、染色体異常の原因になると考えられている。ただ、培養細胞でこのプロセスを再現することは大変で、これに関わる分子の探索は簡単でなかった。この研究ではこの課題を、マウス卵巣から採取した一個一個の卵の減数分裂を試験管内で誘導し、そのすべての過程をビデオで記録する時、RNAiと呼ばれる方法で遺伝子の機能を抑制してその影響をイメージングで読み取り、減数分裂各過程に関わる分子とその機能を明らかにしようという、まさに力仕事だ。もともとRNAiは大きな卵内の遺伝子操作には向いていないとされていたが、この研究では卵巣から採取したばかりの卵に注入する方法でこの問題を解決している。あとはビデオを撮り続けて異常を起こすRNAiをただただ探し続けている。この結果、この時期の卵に発現が高い774種類の遺伝子の中から、減数分裂時に染色体維持に関わる分子、紡錘糸形成に関わる分子、細胞分裂に関わる分子を特定している。一つ一つの分子について紹介するのは割愛するが、すでに機能が特定されていた遺伝子も当然この中に含まれており、哺乳動物卵の減数分裂に関わる分子のリストとしては包括的なリストが出来上がったと評価する。今後、リスト中の分子の関わりについて、同じアッセー系(分析系)を用いて調べていくのだろう。20世紀分子生物学の力仕事の伝統を改めて感じさせてくれた仕事だった。
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7月13日:第6の絶滅(6月19日号Science Advance掲載論文)

2015年7月13日
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昨年のピュリッツァー賞ノンフィクション部門は、ニューヨーカー元ライターのコルベルトさんが書いた「The Sixth Extinct(第6の絶滅)」だ。私もKindle版を買ってはいるが、まだ通して読んではいない。このThe Sixth Extinctと言うタイトルは2008年カリフォルニア大学バークレー校のWakeたちがアメリカアカデミー紀要に両生類が地球から急速に失われる事を警告した論文を発表した時に使った定義で、おそらくコルベルトさんもこの定義を踏襲している。すなわち、大陸移動、火山、隕石衝突などで、1)オルドビスとシリル紀の移行期、2)デボン紀、3)ペルム紀、4)三畳紀後期、5)白亜紀に起こった生物の大規模な絶滅を5回の大絶滅としている。そして第6番目は人間が原因で今地球上で起こっている生物の絶滅を意味している。この生物多様性の問題に生物学者は警鐘を鳴らすことができても、何もできない。例えば、1万年前には人間とペットや家畜が陸上脊椎動物に占める割合は0.1%だったが、現在は97−98%になろうとしていることは生態学の常識となっている。しかしどうすればいいのか。すなわちこれも言ってみれば科学の成果だ。   今日紹介するメキシコ大学からの論文はThe Sixth Extinctという言葉をそのまま使って生物絶滅について警告している論文で、6月19日号のScience Advanceに掲載された。タイトルは「Accelerated modern human-induced species losses: entering the sixth mass extinction (人間が原因の種の喪失の加速:第6の大量絶滅期に入っている)」だ。研究自体はおそらく大学生でも十分できる。すなわち、2014年国際自然保護機関が公表した、レッドリストを元に1500年以降の脊椎動物の絶滅を丹念に計算している。この時、見積もりはできるだけ控えめに行っているが、更に控えめに最低レベルの絶滅数も計算している。結果だが、人間の数の影響を直接受ける種は1600年ぐらいから絶滅数が増えている。ただやはり工業化が始まる19世紀からあらゆる種で急速な絶滅が始まり、化石などに残る種から計算される100年に1万種の中で2種起こるという自然絶滅の頻度に対して、少なめに見積もっても1900年からは哺乳動物で28種に、通常の見積もりだと55種に達すると計算されている。この論文のメッセージはこれが全てで、また十分だろう。このような議論に対して常に科学者の中から反論が出されるのも科学だが、多い少ないは別にして、今地球は、人間によりグローバルな変化を強いられており、それが第六の絶滅として現れていることは確かだ。残念ながら、科学者はこのようなグローバルな問題に対してほとんど無力だ。というのも、この変化の起源は科学技術の発達にあるからだ。これまで社会は「more science, more future」という考えに立って、科学のアウトカムは人間の立場からだけ評価してきた。ただ、違う視点に立てば必ずひずみが見える。ただ、ひずみに対しても科学が対応できるとうそぶくと必ず反科学が生まれる。20世紀、家庭が機械化した時代に起こった温暖化問題、産業革命とともに始まった人口増大と第六の絶滅、そして医学の発展が抱える格差の発生など、私たちは科学と政治(社会の意思決定)の共通問題として捉え直していく必要がある課題を多く抱えている。残念ながら生物多様性の議論についてのわが国の科学者からの声は大きくない。これは科学者の頭の中で政治家がお金をねだる対象としてしか存在していないからだろう。実際には、科学だけで解決できない問題は多く、同じ問題を違う角度から一緒に考える相手として政治家と付き合う必要がある。わが国の科学者も政治家も、このような関係を築けるほど成熟しているかどうかわからないが、それなくして何も前には進まないだろう。
カテゴリ:論文ウォッチ
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