2015年11月27日
先日発表されたiPSを用いた再生医療工程表の見直しは、自分が治療を受けられるのはずっと先だと思っていても、結果を心待ちにしていたパーキンソン病の患者さんを失望させているようだ。私たちのAASJでも、来られた患者さんはとりあえず京大を紹介して、治療の可能性を待つよう手配してきた。ずいぶん前に、最初の工程表作成に関わった私から見たとき、今回の見直しの周りで進んでいる状況は、治療開始が大幅に遅れることを予感させる。山中さんがノーベル賞をもらったこと以外に、これまでと何が変わったのかを含め、この状況については12月4日午後7時から緊急にニコニコ動画を使って、パーキンソン病の患者さんや神戸の難病連の方たちと分析をしたいと思っている(http://live.nicovideo.jp/watch/lv243264737)。最初の工程表作成に関わったとき、iPS研究の中心研究者から聞こえるのは安全性の確認の話ばかりだった。そんな状況を見て、当時再生医学実現化プロジェクトの座長だった私は、大阪大学の岸本先生から、「要するに「危ない技術で実用化は先の先や!」ということやな!」と言われたのを覚えている。
これについては当日ゆっくり議論することにして、今日は生理学の基礎研究から生まれたパーキンソン病のディスキネシアを抑える新しい可能性について述べたアメリカノースウェスタン大学からの論文を紹介する。タイトルは「M4 muscarinic receptor signaling ameliorates striatal plasticity deficits in models of l-dopa-induced dyskinesis (M4ムスカリン受容体の刺激は線条体での可塑性の欠損を改善しl-dopaにより誘導されるディスキネジアモデルの症状を改善する)」で、11月18日号のNeuronに掲載されている。線条体では、ドーパミン性とコリン性の刺激がバランスをとることで意思通り手や足が動くのを調節している。ドーパミン産生細胞が変性するパーキンソン病ではこのバランスが崩れ、震えや筋肉の動きが硬くなる。この症状を理解する鍵は線条体に存在する有棘神経興奮の長期抑制(LTD)と増強(LTP)を調節するドーパミン受容体であることがわかっていたが、それ以外の刺激についてはまだよくわかっていなかったようだ。この研究では、線条体を切り出したスライスを用いた試験管内の生理学実験系で有棘細胞のLTDとLTPを調べ、このバランスに関わる神経刺激物質を調べている。手法は極めてオーソドックスな生理学だが、目的の神経を特定したり操作するために様々な遺伝子改変技術を使っている。詳細を全て省いて結論だけを述べると、M4ムスカリン受容体刺激が有棘細胞のコリン作動性のLTDを促進し、ドーパミン作動性のLTPを抑制することを明らかにした。この結果に基づき、パーキンソン病モデルでM4ムスカリン刺激の効果を調べ、有棘細胞が示す異常なLTPを抑制できることを突き止めた。最後に、M4受容体を活性化させるPAMによって、パーキンソン病の患者さんがL−Dopaを服用したときに示すディスキネシアが抑制できることを示している。実際の論文は、プロの生理学で、幹細胞研究者とは頭の中が違うと思わせる実験が行われているが、最後に患者さんの問題を解決するところまでトランスレーションが進んだのはさすがだと思うし、嬉しい。これも早く治験を進めてほしい結果だ。
2015年11月26日
パリで同時多発テロが起こったのは11月13日の夜だった。それから2週間も経たない11月25日、イギリスの医学雑誌「The Lancet」に、テロ当夜300人を越す負傷者の治療に関わったAPHP(Assistance Publique- Hopitaux de Paris)の危機対応ユニットと、SAMU(Service d’Aide Medicale Urgente)メンバーの手記を含む、当時の救急医療対応についてのレポートが掲載された(Hirsch et al, The medical response to multisite terrorist attacks in Paris, The Lancet, http://dx.doi.org/10.1016/S0140-6736(15)01063-6)。緊迫感の伝わるレポートで是非一読を勧めるが、一般の人が雑誌にアクセスするのは難しいと思い紹介することにした。これほど迅速にレポートが医学誌に掲載されたのは、明日またテロが繰り返えされてもおかしくない多発テロの危険にさらされている各国の救急医療体制に対して、経験に基づくアドバイスをいち早く世界に提供するためだ。このレポートを、順を追って紹介しよう。
イントロダクション
最初にAPHPとSAMUについて説明している。APHPはパリ市にある44の病院を組織する世界最大の病院システムで、その中に危機対応部門が設けられている。大規模災害や同時多発テロのような緊急事態発生時にAPHP危機対応部門が招集され、APHP傘下の40病院の人員と施設、設備を一つの組織として、最大10万人の医療従事者、22,000の病床、200の手術室を指揮下において統一運用できるよう組織されている。一方、SAMUはフランス全土に救急医療サービスを提供する組織で、その高い能力、的確性、迅速性は、世界的に有名だ。緊急時には、救急車両や医療チームを現場に手配、派遣し、現場でのトリアージとともに負傷者(患者)の生の声を聞き、搬送先の医療機関を決定する任務を担っている。
今回の同時多発テロで最初の爆発が起こったのは、フランス対ドイツの男子サッカー試合中の会場である「スタッド・ド・フランス」(フランス サン=ドニにあるスタジアム)で午後9時頃だったが、午後10時34分にはすでにAPHPの危機対応部門が招集され活動を始めている。そしてすぐに、APHP設立後、初めてとなる、重大事態への最高レベル対応である「ホワイトプラン」を発令する。この迅速な対応により、治療を受けた負傷者302名のうち298名の命を救う(しかし、4名の尊い命は、失ってしまった。)ことができている。今回のテロ事件では、テロの標的となったバタクラン劇場(フランス、パリ11区の劇場で、コンサートが開催されていた。)の犠牲者が増えるに従い、APHP傘下の病院だけでなく、予備施設として大学の病院も組織に組み込む準備をしたことも述べられており、APHPに広範囲の機関や組織にわたる一元的で強い権限を与えられていることが理解できる。また対応マニュアルも詳細に規定されているようで、今回、精神科を中心とした心のケアチームまで組織されていることには驚くばかりである。
イントロダクションの後、現場で対応に当たったメンバーの手記が続く。
SAMU救急隊の医師の手記
SAMUは、「スタッド・ド・フランス」(サッカー会場)での自爆テロ発生の一報を受けた後、即座に医療チームを現場に派遣している。SAMUの指揮を担当する危機管理チームは通常15人の電話対応要員と5人の医師から構成され、現場からのトリアージ結果の報告を受けるとともに、その報告に基づいてどの現場にどれだけの救急車両を手配し、負傷者をどの病院に搬送するかを指示命令する。今回、「ホワイトプラン」が発令された後、SAMUではそれぞれの現場に医療救急隊チームを45に分けて派遣するとともに、15の予備チームを待機させている。予備チームを設けることで、当初の現場にすべてのチームが集中することを避け、次のテロ行為が発生等の不測の事態を想定した重厚な布陣であると言える。この指揮系統の一元化のおかげで、自力での移動が困難な256人の負傷者は救急車両で搬送され、自力で移動が可能な残りの負傷者は指示された病院に迅速に移動し治療を開始することができた。また、今回の負傷は、ほとんどが銃創であるため、病院に到着するまでの搬送前、搬送中における医師による止血等の適切な外科的処置が生死や予後に大きく影響することから重要となる。今回は、35の外科チームが組織されて重症者の処置に活動していたようだ。治療のためのマニュアルは記載内容が徹底しており、まず止血帯を用いて出血を止めることを最優先にしており、今回、救急車両等に搭載している止血帯がすぐ底をつくほどの使用量されたようだ。止血の後には、体温を保持するとともに、意識を維持しながらも血圧をなるべく低く保って、輸液を抑えるという処置が行われている。また、マニュアルを改善するために、一つひとつのテロ対応の経験を学術論文として素早く発表し社会で共有することの重要性も強調している。今回は、SAMUにとっても前例のない規模の事件対応になったが、結果としてSAMUの大規模テロ対応能力の高さが示されることとなった。これも全て日頃の訓練の賜物で、嘘のような話だが、事件当日もテロ対応を想定した訓練が行われていたようで、実際の招集がかかった時、訓練の続きかと勘違いした隊員もいたようだ。
麻酔医の手記
次に、パリに5箇所設けられている最高レベルの外傷治療センターの一つであるピティエ=サルペトゥリエール慈善病院(フランス、パリ13区)で事件に対応した麻酔医の手記が掲載されている。やはり日頃の訓練が徹底しており、召集される前から事件を聞いてAPHPのスタッフの多くが、自発的に病院に駆けつけ、この病院だけで即座に10室の手術室を準備できている。それでも予想を超える負傷者が運び込まれる事態となってしまったが、手当に必要な医療品のストックは十分確保されており、日頃の準備が完璧であったことを示している。また、銃創治療の訓練も繰り返して行われており、これらの経験に基づいて負傷の重症度を的確に判断し、処置ができたようだ。病院側の体制として重要なのは、手術後の患者を収容するベッドの確保で、このベッドの確保を適切に行うことにより手術室やICU(Intensive Care Unit:集中治療室)が塞がることなく、多くの負傷者に対応できている。多数の負傷者等の受け入れでは、治療を一方向に進むベルトコンベア方式で行う体制が重要であることが強調されている。さらに重要なのは、病院入り口での負傷者のトリアージで、X線検査、CT検査などの必要性、手術室の選択を一元的に決定し、全体がその判断に従う体制だ。この病院では、これを可能にするため、入り口と処置室の状況を把握して患者の搬送先を指揮する医師を、病院入り口と病院内の各所に配置し、トリアージを行っている。この結果、24時間で全ての手術が終わり、なんと次に起こるかもしれないテロリストの襲撃に備えたという。最後に、組織と訓練だけでなく、「各人がベスト以上のことをやろうという強い意志を持つこと」の重要性も述べて手記は終わっている。
外科医の手記
これを書いた外科医はAPHP傘下のラリボアジエール病院(フランス パリ10区)の整形外科医で、事件発生後2時間で病院に駆けつけている。そのときにはすでに6~7人のスタッフが、手術室の準備を自発的に行っていたようで、この外科医も病院スタッフの日頃からの訓練に裏付けられた自発性と専門性が危機対応時の成功の鍵となることが強調している。また、多くの予備の看護婦も自発的に治療を手伝い、全員が心を一つにして一人でも多くの命を助けようとしたことが述べられている。この病院では、経験のある2人の医師が、重症度の高い患者の手術室と、重症度のそれほど高くない患者の処置室に配置され、連絡を取り合いながらトリアージを行っている。このおかげでやはり24時間ですべての負傷者の処置を終えることができている。整形外科医なので、足や腕の銃創と銃弾により破壊された骨の手術を行っているが、処置したすべての患者は全く血管が傷ついていなかったことに驚いている。すなわち現場のトリアージが十分機能したことによって、血管の損傷した患者は、的確に血管専門外科を有する他の病院に搬送されていたようだ。最後にこの外科医は、スタッフ全体の信頼の醸成と、コミュニケーションがスムースに行われたことによって、大きな仕事を成し遂げたという満足感を述べている。
以上の記事は、断片的だが、今回のパリ同時多発テロ事件の対応を今後の遺産として残し後世で役立たすために、この緊急レポートが書かれている。私の文章でこの緊迫感が伝わったかどうかわからないが、当時の様子がよく分かるレポートだと思う。全体の結論としては、死者を負傷者の1%に抑え込むことができたという報告になっているが、今回の同時多発テロ事件がもし平日の昼間に起これば、ここまでの結果が得られたかどうかわからないとの反省も表明している。
繰り返すが2週間以内にこのレポートを発表するAPHPのリーダーシップには舌をまく。フランスは、ドゴール時代からテロにさらされてきた、いわば戦時下等の非常事態発生時の人的、物的、制度的準備の整った国であることがよく理解できる。我が国ではフランス政府に匹敵する実戦で対応できる非常事態発生時の体制や準備はできていないだろう。ではフランスを見習えと単純に言うのは簡単なことだが、平和ボケのせいかもしれないが、私には憚られる。
しかし、我が国でも、地下鉄サリン事件における、聖路加国際病院の石松伸一救急部長や関係者の現場での事態対応や、信州大学医学部付属病院の柳沢信夫病院長からの経験と知識に基づく支援対応を大規模緊急事態時に実践してきた経験と実績もあることから、共有すべき過去の経験は存在しているはずではある。これらの経験を過去に埋没させるのではなく、きちんと後世のために生かしていける社会となることを切に願わずにはいなられない。
2015年11月25日
ドゥシャンヌ型筋ジストロフィーは全身の筋肉が進行性に変性する、現在まで決定的な治療方法のない遺伝性疾患だ。ただ、この病気の原因になる分子ジストロフィンの機能とジストロフィーの発症メカニズムについては研究が進んでおり、筋繊維と細胞骨格を連結する役割を担うジストロフィンが欠損すると筋繊維の安定性がなくなり、その結果筋肉が変性すると説明されてきた。また、これまで私もそう理解してきた。しかし最近これだけでは説明できない現象が発見されていたようだ。今日紹介するカナダ・オタワ大学からの論文はジストロフィンの新しい機能について明らかにし、筋ジストロフィー発症の新しいメカニズムを提案している研究でNature Medicine オンライン版に掲載されている。タイトルは「Dystrophin expression in muscle stem cells regulates their polarity and asymmetric division (ジストロフィンの筋肉幹細胞での発現は細胞の極性と不等分裂に関わる)」だ。これまジストロフィンは筋肉幹細胞には発現していないのではないかと考えられてきたようだが、著者らはジストロフィンが筋肉幹細胞にも発現し、しかも幹細胞が活性化されると、分裂前から細胞の片側に局在して極性を作り、娘細胞の分化を誘導することに気がついた。この発見がこの研究の全てだと思うが、この結果を受けて、ジストロフィンの機能を、幹細胞が未分化細胞と分化細胞へと不等分裂を起こす時のオーガナイザーの役目を果たしていると着想する。そこでジストロフィンの発現を幹細胞でノックアウトすると、予想通り不等分裂がうまく進まず、分化した細胞が産生されない。また、これまで筋肉幹細胞の不等分裂を調節する様々な分子パスウェイとジストロフィンは、微小管の構成を調節するシグナル分子Mark2を介して連結していることも分かった。ジストロフィンが欠損すると、不等分裂の鍵となるPard3分子が細胞全体に分布し、極性が成立しないという結果は、ジストロフィンが幹細胞の不等分裂をガイドするための細胞極性成立の決定因子であることがわかる。おそらく、細胞の分裂方向を決めるのに一役買っていると推定しているが、この結果細胞の分化が進まないだけでなく、細胞分裂自体も異常になり、その結果細胞が死ぬことも明らかにしている。最後に、生体内の幹細胞でのジストロフィン欠損の効果を筋肉再生モデルを使って調べ、幹細胞が担っている再生が阻害されることを示している。これまで示唆されてきた可能性がすべて覆るわけではないが、この研究により、幹細胞レベルの再生にもジストロフィンが関わることが明らかになり、今後幹細胞をターゲットとした遺伝子治療や細胞治療の可能性を示唆している。今後ヒトの筋肉細胞でもこの説が正しいか確認されるだろう。わかったと納得しないことが新しい研究に重要なことがわかる良い例となる研究だと思う。
2015年11月24日
我が国では人文系の学部の再編や廃止が議論されており、すでに地方の国立大学ではこの方針に従った再編案計画を出す動きがあるようだ。医学部に進学したものの、もともと感覚としては人文系の人間だった私にとっては、人文系の廃止と聞くと即、品がないと思える。法人化と同じように、日本の高等教育の長期的視野なしに思いつきで始めた大学の疲弊を招くだけの政策なら早く改めた方がいい。しかし21世紀、多くの人文系の分野が自然科学と融合した分野へと変貌することはわかる。例えば、ゲノム研究が考古学や歴史学を今大きく変化させているし、脳研究が精神についての科学を変貌させている。また、昨年Scienceが格差問題を特集し、Natureにも社会学系の論文が散見されるようになるなど、一般紙の編集方針にもこの方向を強く後押ししようとする意図が見える。ただ、医学から見ても多くの論文はまだまだ新しい科学と従来の人文科学の間をさまよっているように思える。今日紹介するボストン大学脳研究所からの論文も、公正・道徳のような最も高次の脳機能を扱うという点で挑戦的だが、結論のわかりにくい研究だ。タイトルは「The Ontogeny of fairness in seven societies (7つの社会で育つ子供における公正さの発生)」だ。これまでの社会心理学の研究で、公正観念を自己有利な公正と自己不利な公正に分けて調べる方法が確立しているようだ。自己不利な公正とは、自分が不利な状況で公正を求める感覚で、自己有利な公正は、自分が有利な状況で公正を求める感覚だ。実験手法は確立しており、2人の人間を対面させ、例えばお菓子を配る状況で、自分の方に少なく分配されたとき不公平と感じてこの配分を拒否する感覚が自己不利な公正観念で、自分の方に多く分配されたときでも不公平で相手に申し訳ないとしてそれを拒否する感覚が自己有利な公正観念になる。この研究では、分配を拒否するとどちらもお菓子はもらえないことを経験させた上で実験を行っている。すなわち、拒否すると何ももらえないので、少しでももらう方を選ぶか、もらえなくとも抗議の意思を示すかの選択になる。直感的にわかるように、自分が不利な場合、何ももらえなくとも抗議して常に公平を求める感覚は、4歳児ですでに見られ、早くから身につくようになる。実際、サルも同じ行動を示すらしい。一方、自分が多くもらえる状況で、不公平であると意思表示するようになるのは教育が必要で、たしかに発達する時期も学童期以降と遅い。この研究では同じ実験を、インド、メキシコ、ペルー、ウガンダの農村、アメリカ、カナダの都会、そしてセネガルの貿易港湾都市ダカールで行い、それぞれの社会で何歳ごろから2つのタイプの公正を求める心が生まれるか調べている。予想通り、アメリカ、カナダの都会では農村と比べると公正を求める感覚は有利、不利を問わず早く始まり、年齢とともに発展する。面白いのは、自己不利な状況での公正はメキシコを除いてすべての社会で発達するのに、自己が有利でも公正を要求する感覚はアメリカ、カナダ、ウガンダだけで発達している点だ(15歳までの話)。途上国ウガンダの農村でもアメリカと同じように発達していることを見ると、決して先進国の都会という条件に限定されているわけではなさそうだ。論文ではこの結果の原因について色々議論しているが、あまり参考にならない。ただ、この実験が社会の様々な状況を反映することは確かだ。従って、もっと多くの国で同じ調査を行い、他のパラメーターと比較し、公正社会という人文系の課題について研究することが重要だろう。その意味で、調べた国があまりに少ない。もしウガンダがインドやメキシコと同じだったら、あまり面白くない論文だ。私個人でいうと、もちろん我が国を始めとするアジア諸国での調査を期待したい。
2015年11月23日
数の限られた職業的科学者だけでなく、一般の人も参加して科学を新しく作り直すことの重要性を説いた本にMichael Nielsenの「Reinventing Discovery」がある。この本では、主に科学者側の問題を、分野外の科学者や一般の人が参加して解決する話が紹介されているが、このようなcollective intelligenceは、科学者が思いつかない、あるいは無視している素朴な疑問を科学にリクルートするためにも重要だ。今日紹介するテキサス大学からの論文はプロの仕事だが、私には考えもつかないがダイビングを楽しむ人なら誰でも持つ素朴な疑問を扱った研究だ。タイトルは「Open-ocean fish reveal an omnidirectional solution to camouflage in polarized environments (外洋の魚は偏光環境でカムフラージュするために全方向的解決策を持っている)」だ。色とりどりのサンゴ礁の魚は目を楽しませてくれるが、しかしサンゴ礁という環境で身を守り、また認識し合うために時間をかけて進化してきたはずだ。事実外洋に住む魚はと考えると、確かに色彩に乏しい。この研究では、銀色一色に見える外洋に棲む魚(この研究ではアジ科の仲間が対象になっている)にも進化で獲得された保護色があるのではないかという問題が検討されている。外洋の表層を回遊する魚にとって、青い海が環境になる。釣りをする人ならよく知っているが、この環境は単純に見えて、実は太陽光とその偏光で視覚的に複雑な背景を形成している。そこで、外洋に棲むアジ科の魚は実際にこの偏光に富む環境に対する保護色を持っているのか、鏡と散乱板をコントロールにした時の魚の見えやすさを特殊な写真機で調べている。期待通り、同じアジ科の魚でも水辺に住む魚と比べると、外洋に棲む魚は周りの光に溶け込んで見えにくいことを確認している。すなわち、銀一色に見えても、カムフラージュ能力を進化させている。さらに、太陽の位置や見るアングルなどを変化させて調べ、かなり様々な光の条件でこのカムフラージュが機能することを確認している。最後に、このような光環境でのカムフラージュを可能にする構造を追求し、グアニンプレートレットと呼ばれる皮膚に重なって存在するグアニンが板状に結晶化した構造が、上からの光と横からの光を別々にうまく他方向に散乱させて保護色になっていることを突き止めている。一見楽しいだけの仕事に見えるが、この保護色の起源をグアニンプレートレットと特定できると、保護色研究としては将来先をいく研究になる気がする。面白ついでに、最小の昆虫を扱った紹介しておこう。10月にZooKeysに発表された最小の昆虫は何かについてのモスクワ大学からの論文で、結論はScydosella musawasensisが現在計測された中では最小で、大きさは0.3mmであるという話だ(http://zoobank.org/E38CA5AE-0C65-45D0-9116-E74A1E889BDE Äi0)。しかしこんなサイズの虫をどうして探せばいいのか、人間の注意力とは素晴らしいものだ。私が顧問をしているJT生命誌研究館にもぜひ展示したい。
2015年11月22日
膵臓ガンは現在も外科手術以外にほとんど治療する手段のない腫瘍で、全体で5年生存率が8%を切る。ただがんセンターの統計を見ると、リンパ節に転移せず大きさも2cm以下のステージ1では35%、同じ2cm以下でも転移が見つかる、あるいは転移がなくても大きさが2cmを超えるステージIIの場合は16%になっている。また、日本膵臓学会からの統計では、ステージI/IIでは5年生存率が44%になっており、手術が可能なステージについての我が国の統計は、医学国際誌で見かける数字と比べるとかなり良いという印象がある。これと比較する良い統計がないかと見ていたら、今日紹介するボストン健康管理室からの論文に行き当たった。タイトルは「Association of socioeconomic variables with resection, stage, and survival in patients with early stage pancreatic cancer(早期膵ガン患者の手術率、ステージ、生存率と社会・経済状態の関連)」で、11月18日号のJAMA Surgery に掲載されている。この研究の目的は、アメリカ全土の早期膵ガンの統計をまとめ直し、人種、健康保険を含む様々な社会・経済状況別に生存率を調べ、政策的に治療成績をあげる手段がないか調べることだ。しかし、アメリカで2004-2011年に発生した膵臓ガン患者のうち、転移がないと診断された17000人を超える患者さんの統計で、その意味で我が国の治療成績との比較対象としては十分だ。転移のない膵ガンで手術を行った場合の米国の5年生存率はグラフから目算すると大体20%で、手術を受けなかった場合が5%以下であるのと比べるとはるかに良い(論文では半数の人が生きている時点で計算しおり、手術した場合21ヶ月、手術をしない場合6ヶ月)。また、手術に放射線を組み合わせた方が予後の良いこともわかる。そのまま比較は難しいが、この論文に見るアメリカの数字は日本膵臓学会の数字と比べるとずいぶん悪い。これを見ると、我が国では早期発見さえできれば、治療成績は極めて良いと期待できるのだが、本当にそう思って良いのかは実は統計からだけではわからない。この研究ではアメリカを4地域に分け、南東部は他の地域と比べると生存率が低いことをはじき出している。すなわち、予後は、ガン自体の性状に加え、地域の医療水準、様々な社会・経済的要因が合わさった結果になる。この論文では、健康保険のグレードは言うまでもなく、人種、独身か既婚かなどの社会経済状態、および地域の医療状況など詳しく調べられ、予後との関係が調べられている。実は、自分が病気になった時の治療期待度を知るためには、このような詳しい統計が必要になる。しかしこのような様々な状態を把握するための全国的なガン登録は我が国でまだ始まっておらず、ようやく来年から始まる。確かに論文からだけではアメリカの医療はひどいと思ってしまうが、このようにガン登録後進国とも言える我が国の状況を考えると、学会から出された統計がそのまま他の国と比べられないのが問題だ。ガン登録は来年1月から始まる。一刻も早くガンの予後を決める様々な社会的要因について、全国統計に基づく研究が我が国から生まれることを期待したい。
2015年11月21日
腸内細菌叢と肥満やメタボリックシンドロームとの関係が注目されている。このホームページでも何回か取り上げた。便移植による肥満の話や(http://aasj.jp/news/watch/424)、果ては遺伝子操作した細菌によるダイエット(http://aasj.jp/news/watch/1755)まで、研究は広がりを見せている。この効果についてもメカニズム研究が進み、細菌叢から分泌される因子による食欲調節、そして炎症を介した糖や脂肪代謝の変化が特定されている。今日最初に紹介するスイス・ジュネーブ大学からの論文は、抗生物質で腸内細菌叢を完全に除去した時に見られる糖代謝改善についての研究で11月16日号のNature Medicineに掲載された。タイトルは「Microbiota depletion promotes browning of white adipose tissue and reduces obesity (腸内細菌叢の除去により白色脂肪組織が褐色脂肪組織に変化し肥満が改善される)」だ。以前からこのグループは無菌マウスや抗生物質投与マウスの糖代謝を、高インシュリン・正常血統クランプ法と呼ばれる厳密な検査を用いて調べ、腸内細菌がないと耐糖能とインシュリン感受性が高まることを報告していた。この研究では、アイソトープを用いてクランプ状態でブドウ糖の取り込みが上昇する組織が鼠蹊部と生殖器官周囲の脂肪組織であることを突き止める。そして細菌叢除去による糖代謝の改善が、脂肪を溜め込む白色脂肪組織から、脂肪を燃やす褐色脂肪組織への転換によることを発見する。最後に、この転換の原因が脂肪組織に存在するマクロファージが炎症型に変化することを示している。まとめると、腸内細菌叢は脂肪組織の炎症を抑えて白色脂肪組織を維持しているが、抗生物質で除去するとこの作用が弱まり、白色脂肪組織は褐色脂肪組織に変わり、耐糖能やインシュリン感受性がよくなるという結果だ。
腸内細菌との関わりは調べられていないが、老化に伴う脂肪組織の糖代謝変化に炎症が関わることについてのソーク研究所からの論文がNatureオンライン版に掲載されている。タイトルは「Depletion of fat-resident Treg cells prevents age-associated insulin resistance(脂肪組織に存在するTreg細胞を除去すると加齢に伴うインシュリン抵抗性を阻止する)」だ。私も含めて老人になるとわかるのだが、何をしても太ってしまう。基礎代謝が落ちるせいと片付けてきたが、この研究は老化に伴い起こる脂肪組織の変化を調べ、PPARγ陽性のTreg細胞が加齢に伴い脂肪組織に蓄積することを発見する。次に、Treg細胞のPPARγ分子をノックアウトすると脂肪組織でのブドウ糖の取り込みが上がり、耐糖能やインシュリン感受性が上がりブドウ糖代謝が改善する。すなわち、加齢特有の脂肪組織でのTregの蓄積は、脂肪組織の炎症を抑え、メタボ型へ糖代謝を変化させているという結果だ。この2編の論文からわかるのは、脂肪組織内の炎症がメタボリックシンドロームの発症を抑えていることだ。「えっ!炎症がある方がいいの?」と訝しく思われるかもしれない。しかしよく考えると、飽食を経験する私たちのような人類は今もほんの一握りだ。普段は食料がないという条件に適応し、腸内細菌叢と共存し、老化に従って炎症を抑え、脂肪を蓄積するようにできていると考えればいい。従って、メタボリックシンドローム防止を基準に、炎症がある方がいいと考えるのは人類進化に逆らう先進国特有の生活から来る不条と考えれば全て納得できる。
2015年11月20日
かつて私が委員長をしていた京都賞1次選考委員会で小児の網膜腫瘍の遺伝学的解析からガン抑制遺伝子Rb1の存在を予言したKnudsonさんを選んだ話を昨年9月26日紹介した(http://aasj.jp/news/navigator/navi-news/2216)。Knudsonさんが予想した、「多くの子供のガンには遺伝的な体質が背景にある」という考えは、次世代シークエンサーが診療に導入されるとますます検証されやすくなっている。今日紹介するセントジュード病院からの論文は20歳以下のガン患者さん1120人のゲノムを調べ(がん細胞のゲノムではなく正常細胞のゲノム)、若年者のガン患者さんがどの程度遺伝的背景を持つか調べた研究で11月19日号のThe New England Journal of Medicineに掲載された。タイトルは「Germline mutations in predisposition genes in pediatric cancer (小児ガンの素因となる遺伝子の突然変異)」。繰り返すが、この研究の対象はガン患者自身のゲノムで、ガンのゲノムではない。患者さんの正常細胞からゲノムを調整して、ほぼ半分の患者さんは全ゲノムを、残りの半分はタンパク質に翻訳される全エクソームを解読している。こうして得た配列情報から、これまで明らかにガンの素因として特定されている565個の遺伝子について、ガンの原因になる突然変異がないかをまず調べている。結果は、95人(8.5%)の患者さんが、いずれかの遺伝子の突然変異を素因として持っている。これは、ランダムに選んだ健常人で見られる頻度1%と比べるとかなり高い。素因としての突然変異のほとんどはKnudson さんが予測したガン抑制遺伝子で、p53,APC,BRACA2と続く。しかし、明らかに遺伝的なこの素因は血縁者にガンが多いかという家族歴からは半分以下しか予測できない。従って、将来小児のゲノムやエクソーム検査を前もって行って危険性を予測することは、治療戦略にとっても重要だろう。詳細なガン遺伝子のリストを省くと話はこれだけだが、実際には8.5%の中に把握しきれていない突然変異が数多く存在し、詳しく検討すればこれらもガンの素因と特定される可能性が多い。従っておそらく10−20%の若年性のガン患者さんには何らかの遺伝的素因があるのではないだろうか。さらに、今年8月5日に紹介したように、もう少し効果は低いが、ガン体質に貢献する転写領域の突然変異も素因として働く可能性がある(http://aasj.jp/news/watch/1967)。とすると、若年性のガンの発ガン過程を理解するためには、この素因となる変異を知る必要がある。もちろんこれを知ったからといって、今有効な手立てがあるわけではない。しかし、臨床医学が科学である以上、医師として知らないで済ませる問題ではなくなると思う。
我が国も今月ゲノムを用いる医療の実用化をはかるための委員会が厚労省でスタートしたようだが、ようやく委員会をスタートさせて、また例によって議論が延々と続くと予想される状況ではおそらく10年遅れてしまっているだろう。私の友人に聞くと、個人ゲノムのエクソーム検査ならもう5万円は切っている。おそらくPCR検査よりはるかに安くなっていくだろう。そんな時、ようやく実用化のタスクフォースと聞くと、我が国がゲノム後進国であることを思い知り、暗澹たる気持ちになる。将来を見据えて政策を立案する力を役所に回復させることが最も重要な課題だと思う。
2015年11月19日
年下の兄弟・姉妹と比べると、第一子は共通の様々な性質を持つと長く考えられてきた。私も長男の一人だが、この通説に科学的根拠がどこまであるのか気にしたこともなかった。というのも、第一子には親も手をかけるし、第2子のように最初から競争相手がいるわけでもない。一方、年長者としての責任も子供ながらに感じるはずで、別に科学的検証がなくても、このような影響がでるのはなんとなく当たり前だと思ってしまう。しかし、この命題も検証すべきと考えた科学者は何人もいたようで、科学的検証の最初は、周りの科学者に第一子が多いことに気づいてそのことを発表したGaltonの100年前の論文にさかのぼる。その後何回もこの命題は検証されてきており、おおむね第一子は知力が高く、外交的で、責任感があるという通説が支持されてきた。今日紹介するドイツ・ライプツィヒ大学からの論文は現在利用できる出生コホート・データベースを使って統計的にこの通説を検証した研究で11月7日号の米国アカデミー紀要に掲載された。タイトルは「Examining the effects of birth order on personality (出生順の性格に及ぼす影響を調べる)」だ。これまでの研究では、同じ家族の兄弟の性格を同じ研究者が調べていることが多く、どうしても先入観が入ること、そして対象としている人数が少ないこと、などの問題があるという反省から、この研究では英国、米国、ドイツの出生コホートからサンプルを抽出し、そこで行われた知能テストや性格検査をもとに兄弟・姉妹間の比較を行っている。また、家族内で比べる調査と、家族をこえて出生順で比べる調査の両方を行い、純粋に出生順の影響を検出しようと努力している。また対象は、家族内で比べる調査が3256人、全体では17030人と十分な数に達している。さて結果だが、知能テストの結果は出生順に低下するが、その差はたかだかIQにして1.5程度だ。それ以外は、外向性、心理的安定性、闘争性、寛容性、そして想像力全ての点で全く差がないという結果だ。ただ、家族内で比べた時、IQの差は少し広がるのと、第二子が闘争性が高いという結果になる。いずれにせよ大きな差ではないので、結論としては出生順が性格や知能に影響するという通説は支持できないことになる。この結論は子供の性を分けて調べても同じで、母親が女性であるという影響もないようだ。これまで長男であるということで少しは負い目を感じていた私だが、この統計を見て安心した。
2015年11月18日
これまで考古学は新しい科学的手法の導入のたびに大きく変化してきた。アイソトープの年代測定に始まり、今ではアイソトープの比を用いて、古代の人の食べ物や住んでいた場所まで推測が可能になってきた。それに加えて、古代DNA配列の解読は当時の住人の身体的性質や関係を教えてくれる。これまでわが国では「考古学は歴史学か人類学か」などの議論が行われてきたが、おそらく馬鹿げた議論で「考古学」は人類の過去についての科学として位置付けられていくだろう。今日紹介するブリストル大学を中心に欧州全体で進められた共同論文は石器時代にハチミツが使われていたかどうかを科学的に検証した研究で11月12日号のNatureに掲載されている。タイトルは「Widespread exploitation of the honeybee by early neolithic farmers (ハチミツの利用は新石器時代前期には広く行われていた)」だ。例えば熊のようにハチミツを探して食べる動物もいるし、そもそもハチミツが何千年も保存されていることはありえない。そんな状況で、いかに人間が生活の中でハチミツを利用していたことを証明するかがこの研究の課題だ。たしかにハチミツは保存されないが、幸い蜜蝋に含まれる脂肪成分は長期に保存されているようだ。研究の中心になったのはブリストル大学の有機地球科学部門で、古代の有機物の分析が専門だ。研究では微量サンプルから、ガスクロマトグラフと質量分析器を組み合わせて、蜜蝋に含まれるアルカンなどの複雑な脂肪酸を特定する技術を開発して、新石器時代の陶器に蜜蝋の痕跡が残っていないか調べている。ギリシャ・ローマで蜜蝋が陶器の水漏れを防ぐ目的で使われていることをヒントにすると、多くの陶器に蜜蝋の痕跡があるということは、明らかに生活の中でハチミツが使われていたという証拠になる。さて結果だが、蜜蝋の痕跡が見つかった最も古い陶器はトルコ、アナトリア地方のチャタル・ヒュユク遺跡から出土した陶器で、今から9000年前になる。ただこの遺跡で蜜蝋が検出できる陶器の数は少なく、検出された脂肪酸も特異性に難がある。結局、遺跡に残る蜂の巣の絵を合わせて、実際に生活に使っていたと結論している。まさに、文理融合の典型だ。加えてもう少し後、8000年前のトルコのトプテペ遺跡には複数の陶器に蜜蝋が見つかることから、アナトリア地方では新石器時代前期からハチミツが生活に使われていたと結論していいだろう。その後、8000年前ぐらいから急にヨーロッパ全土にハチミツの利用は広がり、中石器時代になるとハチミツ利用の北限デンマークに到達してしている。この背景には当然気候変化も存在する。この研究では、ヨーロッパだけでなく、北アフリカにもハチミツ利用が進んでいたことを明らかにしている。話はこれだけで、何だということになるかもしれない。しかし、典型的な従来の考古学の対象である陶器と化学を組み合わせた新しい文理融合型考古学の重要性を教える研究だ。考古学は若かったら、やってみたい分野の一つになってきた。