カテゴリ:論文ウォッチ
6月15日:血液幹細胞の活性を維持する採取法(6月18日号Cell掲載論文)
2015年6月15日
もともと地球上には酸素はなかった。そこに光合成を行う生物が現れ、炭酸ガスから酸素を作り出す。しかし酸素の持つ酸化活性は細胞にとって毒性を持つ。その意味で、光合成を獲得した生物が酸素を作り始めたときは、隣の生物にとってパニックだっただろう。酸素のない環境へ逃避するか、酸素を積極的に使った新しい仕組みを獲得するかどちらかしか選択肢はない。私たちの細胞内にあるミトコンドリアはこの毒性のある酸化反応をATPエネルギーに変えることができるようになった細菌が細胞内に取り込まれた小器官で、このおかげで私たちは20%と言う高い酸素濃度の中で活動する、酸素なしでは生きられない生物に変わった。とはいえ酸化ストレスは今でも危険なままで、私たちの体を常に蝕んでいる。このため、大事な細胞中には酸素濃度の低い場所でじっとしているものが存在する。こんなことは、生物学者なら誰でも頭に入っている。しかし、生物学者も実際の実験になるとそんなことは忘れて、ほとんどの場合細胞の処理はもっぱら大気中で行う。この不注意をただし、酸素は危険ですよと再認識させてくれるのが今日紹介するインディアナ大学からの研究で6月18日号のCellに掲載された。タイトルは「Enhancing hematopoietic stem cell transplantation efficacy by mitigating oxygen shock (酸素ショックを和らげることで血液幹細胞移植の効率を高める)」だ。幹細胞がより原始的な解糖系に強く依存し、ミトコンドリアを使った酸素呼吸を抑制していることはよく研究されていた。しかしこれらの研究が幹細胞採取の方法に反映されることはなかった。私たちもマウスやヒトの血液幹細胞を研究していたが、頭でわかっていても採取にあたって面倒臭い低酸素条件を用いることはなかった。このわかっていても誰もが無視したことを誠実に行ったのがこの研究の成功の秘訣だ。まずマウスの骨髄幹細胞採取を酸素3%の低酸素状態と、大気中で行い、骨髄移植効率を比べている。予想以上の効果で、低酸素で採取したほうが5倍多い幹細胞が採取できることを示した。一方、幹細胞の試験管内増殖には正常の酸素濃度が必要だ。すなわち、活動には酸素を使い、じっと骨髄で休んでいるときは酸素を避けて生きている。この幹細胞の生活に合わせて採取すればなんと5倍の細胞が得られる。この結果はそのままヒトの臍帯血中の幹細胞採取にも利用でき、これまで幹細胞が少なすぎるとして廃棄せざるを得なかった臍帯血を使うことができるようにする臨床的には極めて重要な発見だ。もちろん低酸素条件を再現するには設備が必要で、気軽に利用するのは難しい。この問題に答えるため、この現象の背景にある分子メカニズムを突き止め、低酸素状態から急に酸素にさらされて起こるミトコンドリアショックがその原因で、これを免疫抑制剤として使っているサイクロスポリン(CSA)が抑えることを発見した。ミトコンドリアショックには免疫抑制に関わるカルシニューリン経路は関係なく、この経路の中心分子CypDに直接結合してショックを抑えていることも示している。このおかげで、臍帯血にサイクロスポリンをすぐに加えて幹細胞を採取すると、幹細胞の収率が低酸素条件に匹敵するぐらい上昇することを示している。さらにこのショックに関わる分子を探索し、p53、HIF, microRNA210などとの関係を示しているが紹介する必要はないだろう。「幹細胞採取にはサイクロスポリンを使え」という指示がこの研究のハイライトだ。繰り返すが、頭でわかっていることを誠実に行うことがいかにできないかを思い知る論文だった。
6月14日:αシヌクレイン症(Natureオンライン版掲載論文)
2015年6月14日
αシヌクレインという言葉は耳慣れないと思うが、痴呆やパーキンソン病の一部をαシヌクレインの蓄積による病気として総合的に捉えようとする考えだ。この考えを支える最も大きな根拠は、この神経変性病の脳組織に共通して見られるレビー小体と呼ばれる構造で、この構造の主成分がαシヌクレインだ。恐ろしいことに最近の研究で、この分子はプリオンに似て、中枢神経系内で神経細胞間で伝播するだけでなく、消化管などから吸収されて脳内に到達できることも示唆されている。今日紹介するベルギー・ルーヴェン大学からの研究は、精製したαシヌクレイン蛋白を使って、脳内でのレビー小体形成と、神経障害をラットの脳で再現する研究でNatureオンライン版に掲載された。タイトルは「α-synuclein strains cause distinct synucleinopathies after local and systemic administration(αシヌクレインの局所及び全身投与によりはっきりと異なるシヌクレイン症が起こる)」だ。このグループの売りは、大腸菌に作らせたαシヌクレイン蛋白を試験管内で様々に重合させて、数個の蛋白が重合したオリゴマーから繊維状結晶、さらにはリボン状の結晶まで別々に作成する技術で、これにより初めて特定の構造を持つαシヌクレインがプリオンのように他のシヌクレインを組織化してレビー小体を形成させる能力があるかを調べることが可能になる。神経細胞間の伝播能力について、脳内局所に投与したシヌクレインがどこまで広がるかを調べている。直感的にわかるように、繊維状、リボン状の大きな結晶は注射した場所に留まるが、オリゴマーは高い伝播性を有することが分かった。一方、アデノウイルスベクターで発現させたαシヌクレインをレビー小体へと組織化する能力は大きな結晶を注射した場合で起こる。従って、伝播したオリゴマーはそのまま病気を引き起こすのではなく、局所でさらに大きな結晶を形成する必要があることがわかる。一方神経細胞障害性で調べると、大きな結晶でも精製αシヌクレインの脳内投与だけでは細胞変性は強くならない。細胞死にはアデノウイルスベクターでシヌクレイン遺伝子を発現させることが必要で、細胞自らシヌクレインを生産することが必要だ。さらに、ここにシヌクレインの大きな結晶を注射すると細胞死が亢進することから、神経細胞内でシヌクレインの生産が高まり、そこの結晶化したシヌクレインが核を提供することで、細胞死が進むことがわかった。次に、細胞死が起こる前の神経細胞の興奮性を試験管内で調べると、今度はオリゴマーだけでも興奮性が低下する。従って、オリゴマーが伝播することで、神経細胞の機能低下が誘導され、その後大きな結晶を核としてシヌクレインが蓄積することでレビー小体が形成され、変性が進むというシナリオだ。最後に血中に投与したシヌクレイン重合体が脳に蓄積するかを調べ、オリゴマーからリボン型まで、全ての結晶が脳血管関門を越えることがわかり、プリオンと同じようにシヌクレインの摂取でもこの病気が起こる可能性があることが分かった。これは極めて恐ろしい事実で、患者さんの失望を誘うのではないかと心配する。しかし、プリオン研究と同じで、この過程が明らかにならないと研究は進まない。おそらくこのようなシヌクレインの性質を抑える治療法を見つけるには時間がかかることだろう。それでも、完全に精製したタンパク質を投与して病気を誘導し、さらに細胞死に至る前の機能異常を調べる実験系ができたことは大きい。期待して見守ろう。
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6月13日:考古学と歴史科学(6月11日号Nature掲載論文)
2015年6月13日
広い意味での過去についての研究を指すギリシャ・ラテン語のhistoryと違って、それに対応する日本語の歴史は「史」、すなわち書かれた記録に限定して考えられてきたようだ。従って記録のない有史以前は「考古」、すなわち古代を考えるだけの学問になってしまい、ギリシャ・ラテン語の古代研究archeologyと比べた時、最初から科学性が失われた感じがする。我が国の考古学がこのような用語に左右されて世界に取り残されることがないよう祈っているが、今日紹介する6月11日号Natureに掲載された2編の論文を読んで、古代の遺物のゲノムを研究できる時代に入って新しい「史」の学問がarcheologyを変えつつあることを実感した。一編はデンマークの自然史博物館を中心とする国際コンソーシアムからの「Population genomics of Bronze Age Eurasia(青銅器時代ユーラシアの集団ゲノミックス)」(以後論文1)、もう一編はオーストラリアアデレード大学を中心にドイツ、アメリカチームの論文「Massive migration from the steppe was a source of Indo-European language in Europe (ステップ地帯からの大移動がヨーロッパでのインドヨーロッパ語の起源)」(以後論文2)だ。両方の研究とも、各国の博物館が収集した新石器時代から青銅器時代(BC8000−3000年)の多数の人骨のゲノムを調べ、ゲノムに残る系統や交雑記録を調べて、当時のヨーロッパからアジアの人的交流を解明しようとしている。ゲノムの解析方法を読んでみると、正しいゲノム情報を読み解くための改良が不断に行われていることがわかる。特に論文2ではSNP変異がわかっているゲノム領域に絞ってシークエンスを行う方法に様々な改良を加え、同じ箇所を平均で250回読むことで、69体について39万SNPを正確に判定することに成功している。ではこれらの解読結果から何がわかったのか?論文1、2区別せず面白いと思った結果だけを幾つか列挙しておこう。1)これまでインドヨーロッパ語は中央ロシアに始まるヤムナ文化がヨーロッパへ移動してヨーロッパに伝わったと考えられてきたが、青銅時代ヨーロッパの縄目文土器文化人はヤムナ文化人と石器時代ヨーロッパ人の交雑で形成されていることが明らかになり、インドヨーロッパ語のヤムナ文化起源説を裏付けた。2)現代ヨーロッパ人はこの時形成された縄目文土器文化人に近いが、サルディニアやシチリア人は石器時代ヨーロッパ人のゲノムをより多く有している。3)青い目は石器時代のヨーロッパ現地人の性質だが、ミルクに対する乳糖耐性はヤムナ文化人を起源としている、4)タリム盆地にぽつんと存在するインドヨーロッパ言語のトカラ語はヤムナ文化人のゲノムがこの地区のアファナシェヴォ文化人に入っていることから、ヤムナ文化起源であることがわかる。などなどで、全部紹介していたらきりがないし、また論文でも全部紹介しきれていないだろう。ゲノムが情報で、嘘のない「史」であることを考えると、その価値は計り知れない。我が国も「考古学」という言葉を捨てて、科学的な古代学へ転換する時期が来ているのではないだろうか。
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6月12日:外科手術の評価(Annals Thoracic Surgery6月号掲載論文)
2015年6月12日
最近我が国では、内視鏡手術、肝移植など外科手術の適応を巡って議論が行われている。外科手術の評価は、術者の技術や施設の体制など様々な要因が重なって決まるため、同じ術式でも薬と同じように扱うのは難しく、結局施設だけではなく術者も含めた結果を公表し、患者さんに選んでもらうしかないと私は思っている。重要なことは、白血病など一部の例外を除いて成人のガンの場合、根治のためには外科手術が必要なことは私が卒業してから40年の間変わっていないことで、分子標的薬が進んだ今も、根治が約束できる化学療法はほとんど存在しない。このため、手術ができないと判定されると、根治を諦めることになる。もちろん外科としても、手術が唯一の根治の手段という自負から、手術の適応をなんとか広げようと努力が続いているが、手術の効果が定まっていない境界領域の患者さんに手術を行うことは常に議論を呼ぶ。今日紹介するワシントン大学からの論文は手術適応はないとされていたステージIIIBの患者さんに対して行われた手術の成績を医療統計的に評価した研究で6月号のThe Annals Thoracic Surgeryに掲載されている。タイトルは「Role for surgical resection in the multidisciplineary treatment of stage IIIB non-small cell lung cancer (非小細胞性肺がんステージIIIBの複合治療での外科切除術の役割)」だ。研究では1998年から2010年に行われた非小細胞性肺がん(NSLC)治療成績のデータベースから、手術例と非手術例を選び出し、背景の条件を合わせて生存率を比較した研究だ。NSLCのステージIIIBは、原発のガンが周りの組織に浸潤して、リンパ節転移が認められる段階で、多くの病院では手術適応外と判断される。まず羨ましいことに、アメリカにはこのステージの肺がん患者さん17万人が登録されており、そのうち15万余は治療のほぼ完全なデータが得られることだ。その中から、化学療法と放射線療法を基準に従って最後まで受けた患者さん7459人と、ほぼ同じ治療に加えて肺葉切除を行った患者さん1714人を選び出し生存率を比較している。手術例の7割は腫瘍完全切除を行なっており、6割で肺葉切除が施されている。さらに、この中から年齢、性、人種、収入、腫瘍サイズ、リンパ節転移の状態を揃えた患者さんを631人づつ選んで、背景を厳密に揃えた組み合わせの比較も行なっている。軍配は明らかに外科手術併用に上がり、5年生存率では10−20%、50%生存で1年の差見られる。外科手術の効果は放射線化学療法の前に行おうと、後から行おうと大きな差はないようだ。したがって、もし安心できる外科医と体制を抱える施設なら、肺切除という大きな負荷のある手術に挑戦する価値はあるという結果だ。もちろんアメリカの成績がそのまま我が国に当てはまるわけではない。しかし、我が国で同じような大規模調査ができる日はいつ来るのだろう。手術の評価はこのような統計学的調査が行われた上で、議論が行われる必要がある。我が国は何かと言うと専門家や専門家委員会に頼る。ただ、そこに客観性があるという期待は幻想だ。専門家委員会も、科学的なエビデンスが得られて初めて機能する。そのエビデンスを取る手段が我が国にないのが問題だ。この論文を読んで、年収に至るまで背景を揃えることができるデータベースがアメリカに存在するのに驚かされる。しかし本当はそれが当たり前で、驚く私が遅れている。アメリカは医療保険など様々な問題を抱えていても、公衆衛生や疫学では我が国をはるかに凌駕している。このレベルのデータが我が国でも利用できるよう、早く追いつく努力が必要だ。
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6月11日:Chromothripsis(染色体破砕)(6月11日号Nature掲載論文)
2015年6月11日
この歳になっても、ほとんど聞いたことのない用語が細胞形態学には多く存在する。Chromothripsisもどこかで聞いていたかもしれないが、この論文を見た時もなんのことか全くわからなかった。調べてみると、日本語版のWikipediaにも「悪性腫瘍や先天性疾患で、限られた染色体で膨大な数の崩壊と再編成が起こること」と記載されており、特に最近CellやNature Reviewなどに立て続けに総説が出ていた。Chromothripsisを単純化して説明すると、少数(通常一本)の染色体だけで染色体の崩壊や再構成が起こる現象だ。普通細胞死に伴って核が崩壊する時は全ての染色体が分解する。なぜ崩壊が少数の染色体に限定され、もう一方の対立染色体を含め他の染色体には崩壊が起こらないのか不思議だ。今日紹介するボストン・ダナファーバー癌研究所からの論文は、この不思議な現象のメカニズムをうまく説明した研究で6月11日号のNatureに掲載された。タイトルは「Chromothripsis from DNA damage in micronuclei(小核形成により誘導されるDNA損傷が染色体破砕を起こす)」だ。この研究では、分裂時に、1−2本の染色体が核外に取り残されて小核を形成することが染色体破砕の原因になっているという仮説を立て、この可能性を検証している。といっても熟練と最新の技術が必要な研究だ。まずこの仮説を証明するためには、小核が形成された細胞を特定して、その細胞のゲノムを調べることが必要になる。また、どの染色体が核外に取り残されるのかは決まっているわけではないので、小核ができているからといって細胞を集めてゲノムを調べたのでは、Chromothripsisが起こっていることはわかっても、この仮説は証明できない。すなわち個々の細胞のゲノムを別々に調べないと、少数の染色体だけに異常が起こっていることを示すことはできない。着想を得てからも、実現にはずいぶん準備が必要だっただろうと思う。研究では、まず小核が形成されただけではDNA損傷は発生せず、次の分裂が始まってS期が始まると損傷が進むことを観察している。この結果から、小核の形成された細胞を特定した後、それが次の分裂を終えた時点で2個の娘細胞を別々に分離し、そのゲノムをmultistrand displacement amplificationという方法で増幅し解読している。結果は予想通りで、小核が形成された細胞だけが染色体再構成を一部の染色体で起こす。すなわち染色体の一部が核外に取り残されたあと、次の分裂で全体に統合されていく過程でDNA障害が起こる。この時染色体内で起こった再構成の種類と数を調べると、離れた部分同士の組み替えが染色体全体で起こっていることがわかる。また、2本の染色体が核外に残され小核を作った場合は、染色体間でも組み替えが起こっているのが観察できる。すなわち、小核に取り残された染色体だけにDNA損傷が起こり、それを修復することで大規模な組み替えが起こっていることが明らかになった。最後に、染色体が次のサイクルで娘細胞に分配される時、通常なら同じ染色体がそれぞれの細胞に分配されなくてはならないのに、小核を形成した染色体は部分部分がバラバラに分解し、それぞれの部分は片方の娘細胞だけに分配されて再構成されるため、両方の娘細胞を比べると、同じ染色体の違う部分が交互に分配されるchromothripsisに特徴的な変化が見られることを明らかにしている。現役時代ならおそらく読まなかったマニアックな論文だが、説得力は十分で、勉強した気分になる論文だった。
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6月10日:投票行動と脳活動(6月3日号Journal of Neuroscience掲載論文)
2015年6月10日
特定の部位に局所的脳損傷を持つ患者さんの行動を調べる研究は、これまで様々な高次行動に関わる脳領域の特定に大きく貢献してきた。最も有名なのが失語の研究で、発話に関わるブローカ領域と聞き取りに関わるウェルニッケ領域はこうして特定された領域だ。多彩な研究が行われており、論文だけでなく一般向けにも様々な本が出版されている。例えばダマシオの「デカルトの間違い」などはその典型で、一般の方が読んでも楽しめると思うが、一方わが身に起こったらと考えると恐ろしい話ばかりだ。とはいえ、今日紹介するモントリオール大学からの論文のように投票行動まで脳の局所論で片付けようとするのは少し首を傾げたくなる。論文のタイトルは「Lateral orbitofrontal cortex links sociall impression to political choices (眼窩前頭野側部は社会的印象を政治的選択と結びつける)」で、6月3日号のJournal of Neuroscienceに掲載された。タイトルからもわかるように、この研究の課題は候補者の個人的印象が投票行動に反映される過程に関わる脳部位を特定しようとしている。というか、すでに様々な社会的状況を考慮する決断や、写真から社会的情報を得る能力に関わっていることが示唆されている眼窩前頭野側部が投票行動に関わるかどうかを調べている。この脳領域が損傷された患者さん7人、他の前頭野に損傷を持つ患者さん18人、そして健常人53人のMRIで損傷部を確認した後、まず30組の候補者の組み合わせを順番に見せ、印象でどちらに投票するかを決めさせる。このとき、政治的主張などは提供せず全て印象で決めてもらう。その後、30組の選択課題に登場したそれぞれの候補者を、能力がありそうに見えるか、好感度が高いかに限って点数をつけてもらう。そして、2人の組み合わせからどちらを選んだかという決断と、それぞれの候補者の印象からつけられた点数を比較して、好感度や見た目によって投票行動がどう影響されるか調べている。予想通り、対照に選んだ健常人や前頭葉に損傷を持つだけの患者さんでは、候補者の印象からつけた点数が高い方を選んで投票している。すなわち、このような設定では候補者の見た目の印象に従って投票している。一方、眼窩前頭野側部に障害を持つ患者さんは、各候補者の評価では対照群とほとんど変わらない点数をつけているにもかかわらず、投票行動にこの点数が全く反映されないことが分かった。結果はこれだけで、この脳部位が様々な印象を総合して政治決断へ結びつけるときの重要なハブになっているという結論が導かれている。確かに面白い課題を設定していると思うが、これを政治的選択と呼んでいいかについてはやはり疑問を感じる。例えば、何かを頼みたいとき、どちらに頼むかという場合も同じ結果になるだろう。せっかく政治選択と結びつけるなら、支持政党との関係などの分析ができる課題が必要だと思う。他にも北朝鮮の人など、政治体制の影響も調べてみたい。いずれにせよ、この論文の著者たちはこのような行動研究から何を得ようと期待しているか?選挙など結局候補者の印象で決まると言いたいのか、もっと深い意図があるのかなど結局分からず、フラストレーションの残る論文だった。
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6月9日:思い込み(6月4日号Nature掲載論文)
2015年6月9日
二光子レーザー顕微鏡が開発されてから、生きた組織を観察する研究を随分目にするようになってきた。私自身は「ただ見るだけという研究は想像力をなくす」と公言して、研究室の誰かがこの方法を提案すると、常に批判者の立場に立ってはいたが、結局は想像力が間違った思い込みにつながっていることをなんども思い知らされた。今日紹介するエール大学からの論文も毛根組織の再生を生きたまま観察し続けることで、これまで想像力に頼って陥っていた間違った思い込みを訂正した研究で6月4日号Natureに掲載された。タイトルは「Niche-induced cell death and epithelial phagocytosis regulate hair follicle stem cell pool(ニッチにより誘導される細胞死と上皮細胞による貪食が毛根の幹細胞プールを調節している)」だ。このグループは2012年、同じ方法で毛根が活性化される過程を観察しているが、今回は毛が抜けて新たな毛の再生が始まるまでの過程を観察している。毛根の再生は常にバルジと呼ばれる毛根の上部で起こるため、新しい毛根の再生には既存の毛根下部の細胞を除去した上で新しい毛根再生をリスタートさせる必要がある。この時の下部毛根細胞の除去は細胞死により組織が崩壊することで起こると考えられてきた。まずこの論文では下部毛根が確かに退縮はするが大規模な細胞死は観察されないこと、そして一部死んだ細胞は周りの生きている上皮細胞に貪食され、決して周りの組織に分散していくものではないことが示されている。この論文ではあまり強調されていないが、上皮が上皮を貪食するこの退縮方法なら、必要なくなった部分も毛根としてのインテグリティーを保ったまま退縮させられる。極めて合理的な方法だ。次に、この細胞死は毛母のTGFβにより誘導されることを示している。例えばレーザーで毛母を取り去ると細胞死は減り、毛根退縮が起こらない。同じことがTGFβシグナルを止めることで起こるため、もともと毛根の増殖誘導に関わる毛母が、最終局面で細胞死誘導と毛根退縮に関わることが明らかになった。最後に、退縮時に生き残った細胞はもう一度増殖して新しい毛根の発生に関わることが示されている。従来は、新しい毛根はバルジにある幹細胞を再活性化させることで起こると考えられてきた。もちろん、バルジの重要性に変わりはないが、この研究でバルジからの新しい細胞に加えて、古い毛根からの細胞も参加することで、毛根の再生を高めていることがわかった。こうして示されると、この過程だけでも3つの思い込みをしていたことがわかるし、また示されたシナリオの方がずっと合理的に見える。幸い私の研究室にも何人かいたが、ただ見ることのために努力を惜しまない研究者はたしかに貴重な存在だ。
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6月8日:MERSについて(6月3日号The Lancet掲載レビュー)
2015年6月8日
韓国を不安に陥れているMERSについて、我が国のメディアも連日大きく取り上げている。私自身はこの病気についてほとんど知識がなかったので論文を探していたところ、The Lancetがタイムリーにこの病気について詳しい総説を掲載したので紹介する。英国、香港、米国の大学に在籍する研究者が著者で、タイトルはズバリ「Middle East respiratory syndrome(MERS)」だ。論文に書かれている順序に従って紹介しよう。
1:前書き:MERSは中東で2012年最初に発症が見られたコロナウイルス感染症で、症状やウイルスの性状はsevere acute respiratory syndrome(SARS)に極めて類似している。主に飛沫により感染するが、現在感染しているウイルスでは全世界的爆発的感染は起こらないのではと考えられている。というのも、感染の始まったサウジアラビアには2013−2014年184国から何百万人もの巡礼者を受け入れたが、この巡礼者にMERSの報告はない。
2、患者の認定:中東滞在歴(現在では韓国、中国も含む)のある人が、咳、熱など呼吸器症状を訴える場合は、PCR,血清検査を行い確定診断する。
3、感染状況:第一例は2012年6月サウジアラビア・ジェッダで発見(ただ、9月まで報告なし)。ここから遡って調べられた結果、おそらく2012年4月、13人が感染したのが最初と考えられる。その後10人台の患者数で推移してきたが、2014年4−6月に数百人規模の患者が確認された。今年はこれまで50人程度の患者。
4、ウイルス:コロナウイルスで28-32Kbの大きさのRNAウイルス。ホスト細胞のディペプチジルペプチターゼ4を受容体としてホスト細胞に侵入(これはSARSも同じ)。転写、複製は全て小胞体膜状で行われ、作られたウィルスは小胞体輸送系を用いて細胞外へ運ばれる。ウイルス機能に直接関わらない補助タンパク質はSARSと大きく違っているが、他の点では極めてよく似ている。補助タンパク質の差がインターフェロンの感受性の差と関係していると考えられている(MERSの方が感受性が高い)。もともと変異や組み替えが高い頻度で起こり、この性質のためSARSではコウモリから始まり、様々な種をホストとして広がった。従って、現在爆発的広がりがないと言っても安心はできない。MERSもコウモリ由来と考えられているが、実際にコウモリから分離されたことはない。一方名前の示す通り中東ではラクダに広く感染しており、オマーンでは100%のヒトコブラクダに感染している。ヒトでは2012年に検出されたのが最初で、それ以前分離された血清にも存在しないが、サウジアラビアのラクダの血清には1992年から検出できる。現在のところ、動物からのMERS感染ルートはこれが全てと考えていい。
感染と症状:韓国の例にもあるように、ヒトからヒトへの感染は濃厚な飛沫感染によるもので、病院で感染することが最も多い。これは潜伏期に感染する率が低いためと考えられる。家族内感染率について調べた論文では4%の家族に患者から感染していることが示されている。一方、例えばサウジアラビアの透析施設で23人が感染し、60%が死亡している。透析もそうだが、糖尿病など基礎疾患のある場合、感染率が高く、症状が重く、死亡率が高い。実際75%の感染者は基礎疾患を持っているという統計がある。従って、基礎疾患を持つ人や高齢者は最初から自分はかかりやすいと思っておいたほうがいい。最初は風邪と同じ症状で始まり、1週間で肺炎に至り、呼吸不全で死亡する。腎臓にもウイルス受容体が発現しており、症例によっては一次的、二次的腎不全も併発する。また下痢などの症状のある場合もある。一般検査はウィルス性肺炎と同じで、リンパ球減少がみられ、典型的肺X線像を示す。LDHやクレアチニン上昇など肝臓や腎臓の検査所見も伴うことが多い。ウイルスは血中や尿中にも認められることはあるが、圧倒的に気管分泌物に多い。重要なのは気管からのウイルス分泌は発症後1ヶ月にもわたる点で、予防にとって重要。確定診断は、PCRと血清検査で行える。PCR検査について言えば、各医療機関は様々な部位からサンプルを採取してウイルスを検出することで、病気の進展を推し量れる可能性がある。
治療:MERS特異的治療はない。サルの感染実験で、インターフェロンαとリバビリンの組み合わせがウイルス量を減少させることが知られているが、他の方法も含めて実験段階。中でも期待できるのは、ヒト型モノクローナル抗体。
予防:外科用マスク着用が一番効果がある。また、防御メガネも有効。あと中東などで行われている、ラクダ繁殖時の予防措置の徹底などは我が国には参考にならないだろう。
今後の問題:現在のところMERSはウイルスが完全に人に適応していない。ただ、ウイルスの性格からこの可能性は残っているので、ウイルスの変化を注意深く調べることが重要。その間に、抗体など治療法の準備を行うことが大事だろう。
私の感想:2012年に初めて報告されたとはいえ、研究はかなり進んでいる。感染率はまだ低く、十分予防も可能なうちに、政策的に押さえ込むことが重要だろう。むやみに恐れることはないが、相手をよく知って用心を怠るなという段階ではないだろうか。
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6月7日:考えるほどブチ切れる(6月18日号Cell掲載論文)
2015年6月7日
今日紹介するマサチューセッツ工科大学Picower学習・記憶研究所が6月18日号のCellに発表した論文も「え!本当!」と思わず叫びたくなる常識を覆す研究だ。現在神経が興奮したかどうかを調べるために、興奮によって誘導される分子の発現を見ることが行われている。普通の細胞を研究している人間から見ると、少し違和感がある方法だ。というのも、転写が神経興奮のような短い時間単位のイベントを反映できるとは少し考え辛い。このマーカーとしてよく使われるのがFosと呼ばれる蛋白だが、分単位で転写が誘導される。この早さは、転写に必要な複合体がFosプロモーターやエンハンサー上にあらかじめ集まっていることによることがわかっていた。しかし、この複合体のスウィッチを入れる機構についてはわかっていなかった。この「Activity-induced DNA breaks govern the expression of neuronal early-response genes (神経活動によって誘導されるDNA切断が初期遺伝子の発現をコントロールしている)」とタイトルのついた論文は、このスウィッチがDNAが神経興奮の結果切断されることによって入れられることを示す驚きの論文だ。幸い、このグループも最初からこれほど大胆な仮説を持っていた訳ではなさそうだ。この着想は、DNA切断を誘導する薬剤の神経細胞への影響を調べる地道な研究から生まれている。すなわち神経細胞をエポトシドと呼ばれるトポイソメラーゼの正常作用を阻害してDNA切断を誘導する抗がん剤と培養し、その影響を見ていた時、いわゆる初期誘導遺伝子の発現が急速に上昇することに気がついたところから始まっている。この結果からひょっとしたら神経興奮で同じことが起こるのではと着想し、培養した神経細胞をNMDAで刺激しDNA切断箇所に濃縮されるγH2AXの結合場所を調べると、驚くなかれFosなどの初期発現遺伝子の転写調節領域に濃縮しているのがわかった。次にトポイソメラーゼがこの切断部位と相関しているか調べるためクロマチン沈降法でトポイソメラーゼの結合部位を調べると、γH2AXの濃縮部位に接するFosなどの初期発現遺伝子プロモーター部位に濃縮され、確かにそこでDNAが切断されていることを突き止めた。次の疑問は、ではどうしてトポイソメラーゼが結合してDNAが切断と転写が始まるかだが、このグループはトポイソメラーゼの結合部位とCTCF分子の結合部位が一致していることに注目した。6月3日ゲノムが構造化され転写が調節されていることを紹介したが(http://aasj.jp/news/watch/3533)、このドメインの境でエンハンサーの影響を食い止める役割をしているのがCTCFだ。この結果から、神経細胞では初期発現遺伝子の発現調節複合体は前もって集められて刺激を待っているが、CTCFによりエンハンサーの影響がブロックされていることで、転写が止まっている。そこに刺激が入るとトポイソメラーゼがリクルートされ、CTCF結合部位にカットを入れるため、抑制が取れて転写がすぐに始まるというシナリオだ。さらに、トポイソメラーゼの機能がなくとも、例えばクリスパーCAS9系を使ってFosプロモーターに切れ目を入れると転写が始まることも示している。こんな話を聞くと、考えれば考えるほでDNAが切れてしまうと心配するが、実際には転写後すぐに極めて正確な修復酵素が働いて治るようだ。このような転写システムが進化のどの辺りで開発されたのか興味が湧くが、脳がなぜかDNA修復異常に弱い組織であることもうまく説明できる面白い研究だと思った。また、CTCFはTAD境界にとどまらずTAD内にも存在するが、この機能の一端も理解できた気がする。驚きの仕事だった。
カテゴリ:論文ウォッチ
6月6日:フッ素18ラベル抗体を使った生体イメージング(ACS Central Scienceオンライン版掲載論文)
2015年6月6日
昨年10月18に紹介したThe New England Journal of Medicineに掲載された、ガン特異的に発現する表面分子を狙った遺伝子導入自己T細胞移植治療についての論文は、ガンの根治を可能にする免疫治療の幕開けだったと言える (http://aasj.jp/news/navigator/navi-news/2309)。この治験はリンパ性白血病という、キラーリンパ球が届きやすい腫瘍を狙ったものだったが、当然の事ながら現在は膵臓癌などの固形ガンをこの方法で治療できないか試みが始まっている。ただこの治療で一番問題になるのが、ガン特異的表面抗原を探す事だ。前に紹介したリンパ性白血病の治療では、CD19と呼ばれるガンだけでなくB細胞にも発現している抗原を使っていたため、ガンはいうに及ばす、B細胞まで消失しまっていた。それだけキラー活性が強いという言い方ができるが、もし抗原が命に関わる細胞に発現していると大変だ。従って今後の研究方向は、できるだけガン特異的抗原を探す事、そしてヒトの体の中でこの抗体がガンにしか発現していない事を確認する必要がある。この目的には抗体をアイソトープでラベルして、PETでガンをイメージングする方法の開発が必要だが、どうしても半減期の長いアイソトープしかタンパクのラベルには用いられなかった。現在PETに最もよく使われているのはフッ素18で、これはエネルギーが強く半減期が2時間と短い。ただ様々な分子をフッ素18で安定にラベルする方法の開発にはどうしても時間がかかっていた。今日紹介するホワイトヘッド研究所からの論文はフッ素18を抗体のラベルに使う方法の技術開発でASC Central Scienceオンライン版に掲載された。タイトルは「Use of 18F-2-fluorodeoxyglucose to label antibody fragments for immuneo-positoron emission tomography of pancreastic cancer (18F-2-fluorodeoxyglucoseを抗体フラグメントラベルに用いて膵臓癌に対する反応をPETで検出する)」だ。この論文では技術の有効性を示すため膵臓癌へのリンパ球浸潤モデルを使っているが、もともとこのグループはこの技術をリンパ臓器のイメージングに使おうとしていたようで、同じ技術について5月12日号のアメリカアカデミー紀要に掲載している(PNAS 112, 6146,2015)。いずれにせよこの2報の論文の最大のハイライトは、ガンのPETイメージングに最も使われているフッ素18FDGをバクテリアの持つソルターゼという酵素を使って抗体のC末端についているソーティングシグナルペプチドに結合させる方法を開発したことだ。こうしてラベルした抗体を使って、免疫反応を生体内でイメージングできることを、膵臓癌の周辺に起こるリンパ球浸潤モデルで示している。話はこれだけだが、将来性は大きい。何よりも放射線薬として調達が最も容易なフッ素18ラベルしたFDGを原料として使える点、CARTに必要なガンの表面抗原探索だけでなく、ガンに対する免疫反応もモニターできる点が極めて重要だ。例えば今はやりのPD1やPDL1のモニターも可能だろう。抗体をラベルしたいとは誰でも考えているはずだ。他にもいろんなラベルの可能性があるだろうが、抗体の細胞内でのソーティングに注目したのはなかなかやるなと思って著者を見ると、なんと私がケルン留学時代に同じ研究所にいたHidde Ploeghではないか。一貫して抗体やMHCの細胞内移送を研究していた成果がここに現れたように思う。Hiddeはイケメンでうちのカミさんの憧れの君だった。以前会った時はこのイケメンの面影は消えてカミさんもがっかりしていたが、スマートさは変わらなかった。この技術が他の技術より優れていたらおそらく楽隠居は間違いないだろうと思う。Congratulation.
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