ガンの種類は数え切れず、またあらゆる組織に発生する。当然、それぞれのガンで発現する分子も多様だ。したがって、すべてのガンに共通に存在するマーカーを見つけて、ガンにかかっているかどうかを一般的に調べる方法の開発は難しい。比較的有効ではないかと言われているのが、ガンが活発にグルコースを取り込んでいることを利用したPET検査だが、死角も多い。ガンから血中に放出されたDNAやmiRNAを使う診断にも期待が集まっているが、特定のガンではなく、ガンがあるかどうかを診断するための方法としてはまだまだだ。今日紹介するスタンフォード大学からの論文は、明日から使える方法ではないが、アイデアとしては新鮮だ。論文のタイトルは「Detecting cancers through tumor-activatable minicircles that lead to a detectable blood biomarker (ガンによって活性化され血液のバイオマーカーを放出させるミニサークルによりガンを検出する)」で、米国アカデミー紀要オンライン版に掲載された。タイトル中のミニサークルとは、通常のプラスミドベクターから遺伝子発現に必要な部分だけを組み替えで切り出してきた小さな環状DNAで、プラスミドベクターと違って発現が抑制されにくく、長期間安定に発現が得られる。ホスト細胞のゲノムに組み込まれないため、安全性も高い。この研究が提案する診断法は、1)サバイビン遺伝子のプロモーターで発現が誘導される胎児性アルカリフォスファターゼを組み込んだミニサークルを作成し、2)ガンを持つ個体にこのミニサークルを注射、3)血中に存在する胎児性アルカリフォスファターゼを測定する、の3段階から構成されている。なぜこれでガンがあるかどうかを診断できるかだが、まずガンの細胞死を防いでいるサバイビンのプロモーターは正常成人ではほぼ発現しないことがわかっている。p53やWntシグナルによって誘導されることから、一般的にガン特異的プロモーターと言える。このプロモーターで誘導される胎児性アルカリフォスファターゼは成人の細胞では発現がほとんどないためバイオマーカーになる。このミニサークルを全身投与すると、ガン細胞に入った遺伝子だけがアルカリフォスファターゼを作り血中に放出する。これを検出すればガンがあるかないかがわかるというわけだ。研究では、これが実際可能であることをヒトのガンを移植したマウスで確かめている。もちろんまだまだ課題はある。本当にステージI/II程度のガンを見つけることができるかなどは今後実際の患者さんで確かめる必要がある。わざわざ外来遺伝子を導入する検査は現実的かという批判もある。原理的には、正常なヒトの遺伝子しか導入しないこと、遺伝子に組み込まれないことなどから、安全性は高いと予測できる。従って、血中マーカーの測定感度を挙げれば検査として十分現実味を帯びるようだ。実際がんの診断を考えてみると、レントゲン検査、CT、PET,胃カメラなどすべて一定の侵襲を伴う。そう考えると、この検査もこれまでの血中マーカー検査とは全く違う発想の転換があり、期待できるように感じた。
2月25日:すべてのガンをカバーする診断法(米国アカデミー紀要掲載論文)
2月24日:進む脳の遺伝子発現カタログ(Scienceオンライン版掲載論文)
一昨日、ヒト各組織や細胞のエピゲノム国際コンソーシアムから続々成果が出始め、Natureが特集号を組んでいることを紹介した。ただ、組織のエピゲノームに関しては、そのままでは解釈が難しいところがある。すなわち、組織といっても様々な細胞から構成されており、個々の細胞では当然エピゲノムが異なる。従って、組織レベルで集めれられたエピゲノムを解釈するためには、その組織に存在する個々の細胞のエピゲノム、あるいは遺伝子発現をカタログ化しておく必要がある。実際、様々な組織で個々の細胞の遺伝子発現カタログを作る研究が進んでいる。今日紹介するスウェーデン・カロリンスカ研究所からの論文は、脳で個別の遺伝子発現カタログを作成するためのパイロット研究で、Scienceオンライン版に掲載された。タイトルは「Cell types in the mouse cortex and hippocampuss revealed by single-cell RNA-seq(単一細胞レベルで行うRNA配列決定によって明らかになるマウスの皮質と海馬の細胞の種類)」だ。この研究では大脳皮質と海馬に焦点を絞り、それぞれの組織を単一細胞に分解した後、マイクロフルイディックスと呼ばれるテクニックで単一細胞を採取、それぞれの細胞が発現しているRNAの量をイルミナシークエンサーを用いるRNA-seqで決定している。研究ではランダムに細胞を3000個集め、そのRNA発現を調べている。パイロット研究と位置付けたのは、あくまでこの研究目的がカタログを作るという点に絞っているためだ。詳細を全て省いてまとめると、この3000個の細胞は、遺伝子発現から区別できる47種類の細胞に分かれる。この中には血管内皮なども存在するが、ほとんどは神経やグリアだ。皮質神経細胞は7種類に分かれ、それぞれは存在する皮質の層を反映しているようだ。介在ニューロンはもっと多い、12種類に分別できる。アストロサイトは2種類、オリゴデンドロサイトは6種類に分けられるといった具合だ。この論文はこれ以上でも、以下でもない。リンネに始まるスウェーデン分類学の伝統を受け継いでいると言えるが、いずれにせよこれはカタログ作りの始まりだろう。この結果から考えると、おそらく脳内の細胞は100種類を超えるだろう。まずエピゲノム解析が進む同じ組織と対応させて個々の細胞の遺伝子発現カタログ作りが必要だ。そのあと、刺激を受け興奮した細胞と、静止したままの細胞など、同じ組織で調べることも重要だ。最後に様々な病気の組織から細胞を採取してカタログを作ることが重要だ。データを統合するということは、これほど大変なことだ。そして、統合が進めば進むだけ理解は進む。ヒトゲノムプロジェクトが益々拡大して進んでいることを実感する。
2月23日:ALS を理解するための大規模ゲノム研究(Science オンライン版掲載論文)
ALSは今も医学の介入を拒否し続けている難病だ。確かに他の難病と比べても研究者の数は多く、様々な角度から研究が日夜続けられているが、残念ながらまだ切り札となるような治療法は開発されていない。しかし、優秀な研究者によって日夜確かな努力が続けられていること自体が、患者さんたちにとっての大きな励ましになること間違い無い。今日紹介する論文もそんな努力の例だろう。米欧の40近い研究施設が共同で患者さんのゲノムをもう一度見直した研究で、Scienceオンライン版に掲載された。タイトルは「Exome sequencing in amyotrophic lateral scleraosis identifyies risk genes and pathways (ALS患者さんのエクソーム配列決定により、リスクになる遺伝子や反応経路が明らかになる)」だ。遺伝的変異がはっきりしている10%程度の症例を除いて、大半のALSは孤発性、すなわち遺伝性はなく、誰でもがかかる可能性を持っている。それでも遺伝的変異のはっきりした症例は、分子についての手がかりがあるため、病気発症のメカニズムを知るためには重要だ。このため、できるだけ多くのALS発症に関わる遺伝子を特定する試みは繰り返し行う必要があるだろう。この要請を受けて、今回2874人の症例のエクソーム解析(タンパク質に翻訳される部分の遺伝子配列決定)が行われ、6500人の正常人データと比べられている。おそらくこの規模でエクソーム解析が行われたのは初めてのことだろう。この結果の大半は、これまで報告されてきた遺伝子の確認と、正確な頻度の測定だ。例えば最も有名なSOD1遺伝子はこの研究でも最も相関性の高い遺伝子として特定され、約0.9%のALS患者さんで突然変異が見られる。今回大規模にエクソーム解析を行うことで、これまで知られていた遺伝子以外にも、TBK1と呼ばれるキナーゼが見つかってきた。この遺伝子について反応経路解析をしてみると、もともとALSに関連すると知られていたoptineurin, SQSTM1と呼ばれる遺伝子と、タンパク分解のためのオートファジー経路で相互作用があることが分かった。ALSで神経細胞変性が起こる原因として、神経細胞がタンパク質を処理できずに変性するとする見方と、神経の周りのグリア細胞が活性化されて神経細胞を障害するとする見方の2種類が存在していた。面白いことに、このTBK1はオートファジー経路だけでなく、NFκBやインターフェロンを介する細胞障害性反応にかかわりうる。とすると、どちらの説が正しいかどうかではなく、病気の進行には両方の経路があり、ともに治療の標的になるかもしれない。他にも、リボゾームのリサイクル経路に関わるTARBP遺伝子の突然変異部位の解析も詳しく行われている。この分子は遺伝背景を問わず90%以上の患者さんの神経細胞でこの分子が含まれる封入体が形成されることから、蛋白合成からリボゾームのリサイクルまでの過程も発症に関わる重要な過程であることが推定できる。これ以上詳しい結果を列挙してもあまり意味がないだろう。大規模エクソーム解析により、調べる遺伝子のリストはできた。今後は、この遺伝子と発症との関わりを詳細に渡って調べ、治療可能性を探すことが必要だ。そのために、iPSもあるが、このようなゲノム研究と組み合わせてないと、その力は発揮できない。せめてこれらの遺伝子については、希望する患者さんについては我が国でもエクソーム解析を無償で行い、治療の糸口の発見に役立ててほしいと思う。
2月22日:ゲノムとエピゲノムの統合(2月19日号Nature掲載論文)
2月29日号のNatureはヒト組織や細胞のエピゲノムの網羅的解析に関する論文が集められた特集号だった。ゲノムは言うまでもなく情報だ。ただそれぞれの細胞で、すべての情報が使われるわけではない。同じ細胞で同じ情報を安定して使うため、特定のゲノム部分に遺伝子の使い方を決める様々な標識をつけていくエピジェネティックス機構がある。この標識は細胞外の環境が同じならそのまま子孫細胞に伝わるが、ゲノムとは異なり、細胞外の環境に反応でき、その環境に適合した違うエピゲノムを持った細胞に変化できる。これが分化やリプログラム現象だ。即ち、病気も含めて、個体、組織、細胞が環境に応じて変化する過程についての研究は、ゲノムとエピゲノムの統合を目指している。今日はこの特集号から、MITのBradley Bernsteinのグループの論文を取り上げる。Bernsteinはエピゲノム解析分野をリードしてきた機知に富む研究者で、彼の論文はいつも将来への示唆に富んでいる。論文のタイトルは「Genetic and epigenetic fine maping of causal autoimmune disease variants(自己免疫病の原因になる遺伝及びエピジェネティック変異地図の作成)」だ。膨大な仕事ですべて紹介できないが、自己免疫病の様々なデータを集め、ゲノムとエピゲノムを統合した地図を作成して、自己免疫病の原因を明らかにするための情報データベースを構築しようとしている。これまで、ゲノムレベルの自己免疫病の研究というと、自己免疫病に関連するゲノム上の変異を探索することだった。この結果が現在、例えば昨日紹介した遺伝子検査に使われている。ただ、遺伝子検査の予測性が低い最大の原因は、関連づけられた変異の因果性が強くないことだ。特に、多くの変異はタンパク質に翻訳されないゲノム部分に存在しているため、動物実験で因果性を確かめることが極めて難しい。この研究では新しいPICSと名づけられたアルゴリズムで、予測性を高めるとともに、変異を免疫に関わる様々な細胞のエピゲノム、特にエンハンサーやスーパーエンハンサーと関連付けることで、この問題を克服できないか調べている。研究ではまず、新しいアルゴリズムを用いてこれまでの研究より自己免疫病との因果性の高い変異をデータベースより集めている。次に、国際コンソーシアムによって集められたエピゲノムデータの中の、アセチル化されたヒストン標識を目安に、免疫に関わる細胞で働いているエンハンサーやスーパーエンハンサー部分を特定し、PICSにより選んだ個々の変異をこれらのエンハンサー部位にマップしている。まさに、ゲノムとエピゲノムを統合する研究だ。これにより、それぞれの自己免疫病で働いている免疫細胞や、サイトカイン、あるいは転写因子の関係が浮き上がってくる。例えば、自己免疫病と相関する変異は、活性化されたリンパ球のエンハンサー部分に集中している。病気の多くは、CD4T細胞で働くエンハンサーと関連するが、SLEや川崎病はB細胞との関連が強い。さらに調節性T細胞を刺戟するIL2受容体遺伝子を調整するスーパーエンハンサーと変異との関わりも浮き上る。また同じエンハンサーにマップされる変異も、病気ごとに場所が違う。これまでSNPの論文を読んできたが、そのとき感じる無味乾燥な統計学という印象がすべて払拭され、データを目で追うだけで面白い。これ以上紹介しないが、おそらくそれぞれの病気に興味を持つ医師や研究者にとって素晴らしい贈り物となること間違い無い。もちろんこれはまだ始まりだ。ゲノムとエピゲノムの統合。私が最初にこの話を聞いたのは10年以上前だ。それが今や現実となったことを実感し興奮する。しかし、我が国からもこのような論文が生まれる可能性はあるのだろうか。そう考えだすと、興奮は冷める。
2月21日:個人ゲノムは社会の財産(Nature Communicationsオンライン版掲載論文)
我が国でもようやく個人ゲノム検査(DTC)が提供されるようになってきた。しかし、米国ではすでに10年近い歴史があり、最も検査数の多い23&meにはなんと80万人の検査データが集まっている。DTCはdirect to consumerと呼ばれるように、検査を受ける個人に向けられたものだ。このため、当然のこととして個人の役に立つというニュアンスが込められている。実際、あなたの病気のリスクを予測しますというのが、DTC販売のうたい文句だ。しかし、例えば私の年になると、遺伝的リスクを推定することの意味はほとんどなくなる。それでも、私はDTCは重要だと思っており、また講演などを通じて推進意見を述べてきた。私自身、もう少し安くなれば全ゲノム配列も調べたいと思っている。この最大の理由は、私のゲノムは38億年の生命の歴史に現れた一回きりのユニークなゲノムであり、私の死後もPCの中にしまっておける形で存在している。このゲノムと、個人に関わる他の情報がまとまったログは、将来人間の様々な性質とゲノムとを統合するための重要なデータになる。私にとって、DTCは個人の役に立つから調べるのではなく、将来の人類文明に小さな貢献をするための情報だ。今日紹介するアルバート・アインシュタイン大学と23&meからの論文は、DTCデータが社会の財産として活用できることを示す研究で、Nature Communcationsオンライン版に紹介されている。タイトルは「Escape from crossover interference increases with maternal age(交叉阻害からの逸脱は母親の年齢とともに増加する)」だ。23&meが協力した論文だ。もちろんデータの由来は全て23&meのSNPアレーによる遺伝子検査を購入した人たちだ。研究で調べているのは、精子や卵子形成時の組み替えの頻度だ。「え?どうしてSNPアレーのデータから染色体同士の組み替えがわかるの?」と訝しく思われるかもしれない。もちろんこのためには、親と子のデータを比べることが必要だ。23&meやdeCodeのように50万以上のSNPが調べられていると、それぞれのSNPがリンクする頻度や、特定のハプロタイプのマーカーとなるタグSNPなどを合わせて計算すると、かなり正確にそれぞれのSNPがどの染色体から来たかを推定できる。この論文では、23&meデータに存在する4000家族を抽出して、2002年に報告されたアルゴリズムを使って組み替え頻度を調べている。まず驚くのは、4000家族が両親と子供が一緒にゲノム解析を受けていることだ。この中の3000は両親と2人の子供、500が3人の子供、80人が4人の子供の組み合わせだ。最終的に65万近い染色体交叉を特定している。今回の結果から、女性で平均50近く、男性で25近くの組み替えが1ゲノムあたりに存在する。今回の研究のハイライトは、母親の染色体では年齢とともに組み替え頻度が上昇するが、このような上昇は父親の染色体には見られないことだ。こうして計算される組み替え頻度は、組み替え場所を決めているPRDM9のSNPと相関しており、この結果PRDM9の特定のSNPを持つアフリカ系の人では組み替えが低い。モデル解析から、組み替え率の上昇する原因を、交叉を正確に行うための抑制性メカニズムが、年齢とともに卵子では働かなくなるためだと推定している。結果はこれだけだが、これだけ多数の家族を、おそらく大きなコストをかけずに調べられたことがこの研究の最も重要な点だ。実際、2010年にはアイスランド人の家族についての同じような研究がDeCode社から報告されている。これまでのように、研究を計画してから対象を集めるのではなく、目的を定めないデータが存在して、そこに含まれる様々な意味を様々な角度から抽出するという新しい方向性が定着してきた気がする。ぜひDTCを社会の財産として育てる視点が必要だと思う。
2月20日:発語と大脳ブロカ領域(米国アカデミー紀要オンライン版掲載論文)
ヒトの高次脳機能を調べるために、脳内に直接電極を埋め込んで、脳活動をリアルタイムに計測する事が行われている。もちろん研究のために電極を埋めるわけではなく、てんかん発作の始まる場所を正確に特定するために行われる検査の一つだが、この機会をとらえて、例えば言葉を話すような複雑な脳機能を調べるために、患者さんの協力を得ることが欧米では行われている(我が国についてはよく知らない)。このホームページでも昨年1月22日に、言語に関わる領域は決して左脳に限局しているわけではないことを示した、これまでの通説を完全に覆す論文を紹介した。今日紹介するカリフォルニア州立大学バークレー校からの論文もこの方法を用いた言語野に関する研究で、米国アカデミー紀要オンライン版に掲載された。タイトルは「Redefining the role of Broca’s area in speech (発語の際のブロカ領域の役割を再定義する)」だ。研究では、脳内に電極が埋め込めこまれた7人のてんかん患者さんに発語に関する課題を行わせ、その時の上側頭回(STG)、ブロカ領域、そして運動野での神経活動を記録している。STGは言葉の音認識や理解に関わる領域、ブロカ領域は言葉を発する課程に関わる領域であることが、それぞれの部分が障害されたことにより起こる失語の症状からわかっていた。今回の研究は、単語を聞いて発語するまでの、どの課程にブロカ領域が関わるかを詳しく調べることを目的としており、そのための3つの課題が設計されている。一つは、聞いた1音節の単純な単語を復唱する課題、複雑な音節の単語の復唱、そして、意味のある単語と意味のない単語を聞かせて復唱させた時の反応が調べられている。結果は明快で、一音節の単語を聞くとまずSTGが活性化する。その途中でブロカ領域が興奮しだし、言葉を復唱するときには運動野が興奮する。この研究のハイライトは、復唱が始まると、すなわち具体的に発語が行われるときはブロカ領域が全く活動していないという発見だ。これまで機能的MRIなどを用いた研究から、ブロカ領域は発語時に音の順序などを調節し続ける役割があると考えられていた。しかし、電極を使って直接神経活動を調べると、発語時には全く活動がないことがわかった。活動の因果性を調べる統計的方法を用いて神経伝達の方向性を調べると、単語を聞き始めるとSTGからブロカ領域へと伝達が起こり、次にブロカ領域から運動野、STGへと伝達が進むようだ。最後に、意味のない単語を聞かせて復唱させると、意味のある単語と比べてブロカ領域の活動時間が長くなる。すなわち、単語の音節を構成するのに時間がかかる。これらの結果から、著者らはブロカ領域の役割は、感覚や記憶など、多くの大脳皮質領域から集めた情報に基づいて、発語に向けた単語の構成を決め、運動野に伝えることで、発語自体には直接関わらないという結論を得ている。しかし、40年前に大学で習ったことが、一つ一つ改定されていくのを見ると、どんなに脳活動記録法が進んでも、最も単純な電極による記録法にはまだ敵わないことを実感する。次は文章を復唱するとき、文章という全体と、単語という部分をブロカ領域がどう処理しているか知りたいものだ。
2月19日:幽霊の正体見たり枯れ尾花(Nature オンライン掲載論文)
手品の中には、タネが明かされても、タネ自体の創造性に感嘆するものもあるが、多くはネタが明かされると「なんだ、それだけのことか」で終わることが多い。論文もそうで、最初「なんだろう」とひきつけられ、興味を抱いたまま読み進んでも、読み終わると「なんだ、これだけのことか」で終わることも多い。今日紹介するワシントン大学からの論文はこの典型で、それでもNatureオンライン版に掲載された。タイトルは「Vertically transmited faceal IgA levels determine extra-chromosomal phenotypic variation (子孫に伝達できる便のIgAレベルは染色体外に起因する形質変異を決める)」だ。まずこの研究は、動物施設のマウスを、便の中のIgAレベルで2種類に分けられることを示す。しかも、ケージ内でこの性質は、新しく生まれた子孫に伝わる。ただ、マウスの遺伝型とは相関しないので、流行りの腸内細菌叢のせいかと当たりをつけ、IgAレベルの低い便を移植すると、ホストの便中IgAは低い。逆に高い便の移植では高いままだ。次に、細菌叢が便中のIgAレベルを決めるメカニズムを探ると、結局細菌の中にIgAが腸管内に分泌される分子を分解するものがあることを突き止める。IgAはこの分子によって複合体を形成しているので、この分子がなくなるとIgAは他の細菌性のタンパク分解にさらされ、結果便中のIgAが低くなるというシナリオだ。もちろんこの細菌がSuttelaと呼ばれる嫌気性菌の仲間が怪しいというところまでは辿り着いている。また、これが原因でIgAが低い場合、腸がデキストラン硫酸ナトリウムの障害を受けやすいため、病理的に重要なマーカーになることを示唆している。ただ、読む側としてはずっと引き伸ばされて、枯れ尾花が正体でしたと言われた気分だ。せめて、IgA分泌蛋白を分解する酵素ぐらいは突き止めて欲しいと思う。もちろん蓼食う虫も好き好き。
2月18日:突然変異の順序と発ガン(2月12日号The New England Journal of Medicine掲載論文)
ゲノム解析が進んだおかげで、ゲノム上に変異が集まることが発ガンに必要なことは具体的に理解できるようになった。また、特定のガンに特定のセットの遺伝子が関わっていることも明らかになってきた。しかし、通常変異の起こる順序が最終結果に影響があるとは考えてこなかった。今日紹介する英国ケンブリッジの幹細胞研究所からの論文は、突然変異のできる順序がガンの性質を大きく変えることを示す研究で、2月12日号のThe New England Journal of Medicineに掲載された。タイトルは「Effect of mutation order on myeloproliferative neoplasm(突然変異の順序の骨髄球増殖性腫瘍の性質への影響)」だ。骨髄の増殖疾患の多くは、骨髄幹細胞の増殖異常に起因する。ガンのゲノム解析が進んだおかげで、この病態の多くにJak2が活性化される突然変異とTET2遺伝子が不活化する突然変異が起こっていることがわかっていた。また、Jak2突然変異は現在治療のための重要な標的になっている。Jak2は細胞の増殖分化に関わるキナーゼで、TET2は核酸についたメチル基を水酸化してハイドロオキシメチルに変換する酵素で遺伝子のエピジェネティック制御に関わっていることがわかっている。研究では、両方の突然変異を持つ患者さん24人が選ばれ、骨髄から採取した個々の幹細胞のコロニーを試験管内で形成させ、その一個一個のコロニーの遺伝子型を調べている。すると、両方の遺伝子が変異しているコロニーや、正常のコロニー(正常幹細胞由来)とともに、どちらかの遺伝子だけに変異が見られるコロニーも発見される。ただ、個々の患者さんで見ると、Jak2の変異とJak2+TET2の変異があるケースと、TET2の変異とJak2+TET2の変異があるケースに分かれる。即ち、例えばJak2変異だけの細胞とJak2+TET2遺伝子両方に突然変異がある細胞が混じった患者さんでは、まずJak2に変異が起こり、その上にTET2が変異を起こしたことになる。これをJak2-first、他方をTET2-firstとして分類して病態を比べた。すると、TET2-firstの患者さんは比較的高齢で、幹細胞が増えており血栓を起こす頻度は低い。一方、Jak2-firstの患者さんは若く、分化した巨核細胞や血液細胞の増殖が強くて血栓を起こす確率が高く、赤芽球増加を併発することが多い。すなわち、最終的には同じ突然変異を持っていても、どちらの変異が先に起こったかによって病態が全く異なるという結果だ。メカニズムについては推察するほかないが、最初の変異により細胞の転写ネットワークが決まってしまうと、他の変異の効果はその文脈に制限されてしまってしまうためだと思われる。今後新しいゲノム診断方法として定着する気がする。また、メチル化阻害剤の使い方も含めて、病態に合わせた治療も可能かもしれない。しかし、患者さんの骨髄の中にこれほど多様な細胞が混在していることは驚きだ。ゲノムとエピジェネティックスが複雑に絡み合ってガンができていることを再認識する論文だった。
2月17日:過去の神経活動の指紋を採取する(2月13日号Science掲載論文)
私が学生時代、神経活動の記録というと、挿入した電極による細胞内外の電流の記録だった。細胞内のカルシウム濃度により蛍光を発するカルシウムセンサーの登場はこの分野を大きく変化させた。細胞内に生じるカルシウム濃度の変化をリアルタイムに記録することができ、記録が単独細胞から領域へと広がった。しかし研究者の欲望は尽きない。どの方法で検出しようと、神経活動は極めて短い期間で終わってしまう。もちろんモニターし続けることで、後からどの細胞がいつ興奮したかを再現できるが、動き回る動物では長期のモニタリングは至難の技だ。この頃の刑事映画では、刑事がビデオモニターを徹夜で調べるシーンが出てくるが、同じことで、もし一定時間内の活動が積算されればこの苦労はないだろう。もしできるなら、一定期間に興奮した細胞を後から指紋を採取するように調べることはできないのか?この課題に挑戦したのが、今日紹介するシカゴ大学からの論文で2月13日号のScienceに掲載された。タイトルは「Labeling of active neural circuits in vivo with designed calcium integrators(デザインされたカルシウム積算系を使って神経回路活動を生体内で標識する)」だ。これまで、一定の波長の光を当てると緑の光が赤に不可逆的に変わるEos2FPと呼ばれるサンゴの蛍光物質があった。このグループは、この蛍光分子を改変して、高いカルシウム濃度環境だけで赤への変化が起こるようにした。このような色素をデザインしたことがこの研究のすべてだ。この色素を発現する細胞では、興奮してカルシウム濃度が高まった時に光が当たると、その後はずっと赤く光り続ける。すなわち、興奮した細胞を後から特定できるようになる。論文では様々な実験系を使って、この色素がこの分野を大きく変える可能性があることを示している。例えば幼生ゼブラフィッシュのすべての脳細胞がこの色素を発現するようにして、光を当てながら自由に泳がせると、前部の皮質のみが興奮していたことがわかる。幼生では泳いでいても視覚野の活動はない。あるいは、ネズミに動く格子模様を提示して、異なる動きの向きに反応する別々の神経細胞を特定することもできる。他にも、光遺伝学を使って特定の細胞を刺激し、それに刺激されて起こる神経回路も視覚化できる。これまでの方法と比べると、1)動物を拘束することなく、神経活動を調べることができる、2)脳全体の活動を後からマッピングできる、3)永久的変化として記録でき、組織を固定したあとでもその結果を見ることができる、4)興奮した細胞だけをセルソーターで純化できる。など、不可能だったことが可能になった。今後、さらなる改変が加えられ、神経活動にとどまらず様々な細胞の変化を積算して調べる新しい方法へと発展するだろう。この分野の進展に目を離せない。
2月16日:ガン細胞が標的薬から逃れるための一つのメカニズム(Nature Geneticsオンライン版掲載論文)
これまで紹介してきたように、RAFと呼ばれるキナーゼ分子の突然変異に起因する腫瘍に対する薬剤が成功を収めている。最初RAF突然変異が半数に見られる悪性骨髄腫から始め、現在では肺がんの一部など徐々に対象が広がっている。ただ、成功の陰には常に問題がある。同じ突然変異を持つのに、一部のガンでは薬剤の効きにくい細胞が存在し、治療を妨げる。なぜ同じ突然変異で起こったガンにこのような差があるのかを調べ、新しい薬剤を開発する動きが加速している。今日紹介するカリフォルニア大学サンフランシスコ校からの論文はこのような試みの一つで、Nature Geneticsオンライン版に掲載された。タイトルは「The Hippo effector YAP promotes resistance to RAF- and MEK-targeted cancer therapyes (Hippo分子のエフェクター分子YAPはRAFやMEKに対する標的治療抵抗性を阻害する)」だ。研究は一直線といった感じだ。まずRAF突然変異を持つ肺がん細胞株に、様々な遺伝子の機能を抑えるshRNAをコードするレトロウィルスベクターを感染させ、標的薬で処理する。もし標的薬の効果を高めるshRNAが存在すれば、細胞は死滅するので、このベクターは生き残った細胞に維持されている確率は少ない。この方法で真っ先に消えてしまったshRNAがYAPという遺伝子を抑制するshRNAだった。YAP遺伝子は転写因子で、Hippoと呼ばれるシグナル経路によりリン酸化されると核へ移行できず、不活化される。実際、この論文以前から、YAPが薬剤抵抗性の原因になることを報告する論文が続いていたため、おそらくこのグループは本命に当たったと確信したはずだ。あとは、この分子がRAFだけでなく、MEKが関わるシグナル経路の活性化による多くのガン(厄介なRASの突然変異も含む)の薬剤耐性の張本人であることを示している。また、実際の臨床例でこの分子の発現量と、標的薬の効果が逆相関することも示している。その上で、YAPにより活性化され抵抗性に関わるエフェクター分子がBCL2L1であることを突き止め、この分子を抑制すると同じように薬剤への感受性が上がることを示している。この論文が主張するようにBCL2L1がYAPの効果の全てかどうかはわからない。事実、昨年発表された論文では、RASとYAPが協調して上皮細胞の形態変化を誘導することで、ガンの生存が促進することを報告している(Cell 158, 1–14, July 3, 2014)。しかし、多くのガンでMEKシグナルが関わり、またYAPが抑制されても副作用はそれほど強くないと予想できるため、間違いなくHippo-YAP経路は今後重要なガン治療の標的になっていくだろう。期待したい。