カテゴリ:論文ウォッチ
6月1日慢性リンパ性白血病の薬剤抵抗性(5月28日号The New England Journal of Medicine掲載論文)
2014年6月1日
がんは未熟な幹細胞の増殖異常だとするのが現在の通説だが、もちろん例外もある。特に抗体を造るBリンパ球が異常増殖をする骨髄腫や慢性リンパ性白血病(CLL)はその典型で、間違いなく完全に成熟した細胞からおこるがんと言える。CLLは欧米の高齢者には深刻な問題だが、幸い我が国ではあまり多くない白血病だ。完全に原因がわかっているかと聞かれると、答えはNOだが、抗原に反応して増殖するという、B細胞の本来の機能に必須のシグナル伝達経路の異常活性化がその背景にあると考えられている。これを裏付けるのが抗原からのシグナルを伝えるために必須のBtkと呼ばれる分子の活性がCLLで上昇している点だ。この結果を治療に生かすために、Btkの活性を抑制する分子イブルチニブが開発され期待通りの効果を上げている。ただ一定の割合で薬剤耐性の白血病が発生することがわかって来て、耐性のメカニズム解明が待たれていた。今日紹介する論文は、イブルチニブ耐性のメカニズムについてのオハイオ州立大の研究で、5月28日号のThe New England Journal of Medicineに掲載された。タイトルは、「Resistance mechanisms for the Bruton’s tyrosine kinase inhibitor iburtinib(ブルトン型チロシンキナーゼ阻害剤イブルチニブ耐性のメカニズム)」だ。研究では6例のイブルチニブ耐性を獲得したCLLの全エクソーム配列を決定し、耐性獲得前の遺伝子と比較した。驚くべきことに、全ての耐性獲得CLLでBtk遺伝子か、PLCγ遺伝子の同じ場所に、同じ変異が見つかったことだ。Btkに対する薬剤だから、Btkが突然変異しても不思議はないが、同じ突然変異が全てに見られることは、耐性の獲得ががんにとってもそう簡単でないことを意味している。また、Btkが直接作用するPLCγの突然変異でも同じ耐性が獲得されると言う結果は、Btkからのシグナル経路がCLLの主要な役割を演じ続けていることを示している。この研究では次にこの変異の生化学的性質を詳しく調べている。詳細は全て割愛してまとめると、Btkの突然変異は、Btkとイブルチニブの結合を不安定にして薬剤の効果を減少させる変異であること、及びPLCγ分子の突然変異は他の分子の調節を受けなくなる異常活性化状態を作り出すことが明らかになった。今回の結果から、がんのしたたかさを垣間みることが出来るが、しかしこれなら必ず対応方法がある。是非新しい異常分子に対する薬剤を早期に開発して欲しいと思う。
5月31日:タウ蛋白もプリオンになる(Neuron誌6月号掲載論文)
2014年5月31日
タウ蛋白、プリオンと言われてもよくわからないと言う人は多いだろう。先ずタウ蛋白は伸びた神経の構造を保つ微小管形成に必須の分子だ。ただ、アルツハイマー病や幾つかの神経変性疾患は、このタウ蛋白が細胞内で集まって沈殿するために起こることが知られている。プリオンは狂牛病の原因として知られているが、この本態は細菌やビールスとは全く異なり、実は細胞間シグナル伝達に関わると考えられる普通の分子PrPに由来する異常蛋白そのものだ。タンパク質が機能するためには正確に一定の3次元構造へと折り畳まれる必要がある。ただ、どんなことも失敗がある。折り畳みに失敗したタンパク質も造られるが、通常細胞内で処理される。ただ幾つかのタンパク質では処理できずに細胞内に蓄積する場合があり、これが様々な神経変性疾患を引き起こす。プリオンも、PrP蛋白がうまく折り畳まれなかった一種廃棄物と言える。プリオンが問題なのは、うまく折り畳まれなかった失敗作プリオンが、正常のPrPの折り畳み過程に影響して、失敗作プリオンにしてしまう点だ。細胞内で失敗作が失敗作を増やして行く。更に、シナプスを介して拡がる。このように感染力があるにもかかわらず遺伝子は全く必要ない。幸いこの様な恐ろしい力を持つ蛋白はこれまでプリオンと、酵母に存在する蛋白の2種類しか知られていなかった。今日紹介するワシントン大学からの論文は、タウ蛋白もプリオンと同じように感染し、拡がることを示した研究で6月号Neuron誌に掲載された。タイトルは「Distinct Tau prion strains propagate in cells and mice and define different Tauopathies(タウ蛋白から異なる形のプリオンが造られ、細胞やマウスの中で増えてタウ蛋白症を引き起こす)」だ。この研究のポイントは、タウ蛋白が感染性のプリオンへと変化したかどうかを調べるための検出系細胞を確立したことだ。この細胞に折り畳みに失敗したプリオン化タウ蛋白を導入すると、細胞内で発現している蛍光標識したタウ蛋白が塊を形成させるので、検出が可能になる。驚くべきことに、プリオン化タウ蛋白には様々な立体構造があり、細胞内で正常タウを自分と同じ形をしたプリオン化タウに変える。さらに、形の違うプリオン化タウごとに引き起こされる異常も違っていると言う結果だ。もちろん、マウスからマウスへとこのプリオン化タウを伝搬できることなど、タウ蛋白からプリオンと言える全ての性質を持つプリオン化タウが出来ることを示している。専門でないので正確に評価できないが、著者等はこの研究がタウ蛋白がプリオン化することを示した最初の研究だと主張している。重要なことは、タウ蛋白蓄積によるアルツハイマー病の細胞から抽出した蛋白をこの検出系に加えると、同じ構造を増殖させられることだ。もし患者ごとにプリオン化タウ蛋白の構造が違うとしても、それを増やして調べることが出来る。感染性物質の研究はそれを増殖させる実験系が必須だ。この様なプリオン化蛋白は細胞から細胞へと伝播することが知られているが、この過程を特異的な抗体で抑制できるかもしれない。既に紹介したように、抗体を脳の中に移行させる技術も開発されている。タウ蛋白がプリオン化することは恐ろしいことだが、同時に新しい光が見える研究だ。
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5月30日:脳血流量に見られる思春期男女の大きな差(アメリカアカデミー紀要オンライン版系再論文)
2014年5月30日
まだ実現していない差別のない社会を確立することは21世紀の課題だ。ただ本当に差別をなくし平等を実現するためには、差別の元になる違いをしっかり理解した上で、なぜそれを克服して平等を実現するかという理論構築が重要だ。これまで人類が克服を目指して来た差別の中でも男女差別はこの典型で、まだまだ不十分とは言え、差を認めた上での平等の実現を目指した取り組みが進んでいる。ただ、男女差についてまだまだ知らないことが多い。今日紹介する論文は、脳の様々な部分の血流を思春期前後の男女で比較したペンシルバニア大学の研究でアメリカアカデミー紀要オンライン版に掲載された。タイトルは「Impact of puberty on the evolution of cerebral perfusion during adolescence (青年期の脳血液かん流の進化に対する思春期のインパクト)」だ。この研究ではArterial Spin Labeling(ASL)というMRIテクノロジーを使って脳血流量を測定している。原理は私も完全に理解できているわけではないが、脳に流入する血液中の水分子のスピンを変化させて標識し、それが普通の水と置き換わる速度をMRIを使って測定すると考えればいい。通常血流量を測定するにはアイソトープや造影剤が必要なため、思春期の健常人に利用するには敷居が高すぎた。しかしASLではこの必要がないため、900人を超す健常人の脳血流の測定が初めて可能になった。この研究はASLにより検出される脳血流量変化の大規模コホート研究と言える。結果には驚かされる。通常脳血流量は小児期に高く、その後徐々に低下するが、女性の脳の特定の部位では思春期に低下が止まり、青年期にかけて上昇することが発見された。この変化は脳全体で見られるのではなく、default mode networkと名付けられている、記憶を辿ったり、夢想したりといった内省的過程に必要な脳内ネットワークの拠点領域や、あるいは感情に反応して何かを決めたりするのに必要な領域でこの傾向が最も著しい。一方男性では、これらの領域の血流量は青年期にかけて低下する一方だ。なぜこの差が生まれるのかについては今後の研究が必要だが、脳の特定の領域でしか見られないことを考えると。思春期の女性ホルモンに反応すると言った全身的な反応ではない。おそらく女性特有の思春期の脳発生を反映しているのではと推論している。この研究ではまだ現象論の範囲を超えないが、今後様々な異常状態を調べることで、男女の脳の発生や生理の差が明らかになるだろう。例えば性同一性障害などの基盤もわかるようになるかもしれない。調べてみると、ペンシルバニア大学はASLを開発しこの分野のセンターとなっている。この新しい方法を取り入れた長期にわたる脳発達のコホートが行われていることを知ると、脳研究に取り組むアメリカの本気度がよくわかる。
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5月29日:遺伝子診断を治療に利用する(5月21日号アメリカ医師会雑誌掲載)
2014年5月29日
様々ながんの遺伝子診断の拡がりについてこれまで紹介して来た。しかし設備や知識の面で我が国の医療機関がこの進展について行けていないのが事実だ。とすると我が国でがんの遺伝子診断をした所で何の役にも立たないかもしれない。さらにこれまで紹介したように、遺伝子診断により現在の医療では対応出来ないことがはっきりして、よけいに失望することになるかもしれない。それでも原理的に考えると、がんを知って戦う方が治療可能性は高いはずだ。事実、白血病、非小細胞性未分化肺癌、乳がんなど遺伝子診断結果に基づいた治療の効果が確認されたがんの数は増えつつある。今日紹介する論文は肺の腺癌について遺伝子診断を行う意義について調べた研究だ。スローンケッタリングがん研究所を中心とする多施設の研究で、5月21日号のアメリカ医師会雑誌に掲載された。タイトルは「Using multiplexed assays of oncogenic drivers in lung cancers to select targeted drugs (複数のドライバーがん遺伝子についての検査結果をがん治療薬の選択に使う)」だ。これまで紹介して来たように、がんの発見時には既に複数の突然変異が重なっていることがわかっている。この突然変異の中で、がん細胞の異常増殖を直接刺激する遺伝子をドライバーがん遺伝子と呼び、治療標的の第一候補だ。この研究では、これまで肺腺癌で活性化されていることが知られている10種類のドライバー遺伝子についての検査結果と、がんの経過を調べている。対象として、転移が確認されたステージ4(最も進んだ)肺腺癌と診断され、まだ寝たきりになっていない患者さんが選ばれている。検査法は既に臨床に導入されている機器を使って、突然変異を同定している。結果は10種類の遺伝子について検査すると64%のがんのドライバー遺伝子の突然変異が見つかる。先ず安心するのは、ドライバー遺伝子が複数変異しているケースはほとんどないことだ(2種類のドライバー遺伝子の突然変異が同時に起こると予後は悪い)。次に、変異したドライバーの種類とがんの予後にははっきりした相関はないようだ。次にドライバー遺伝子に対する標的治療の可能性だが、残念ながらドライバー遺伝子が特定されてもそれに対する薬剤がない場合も多い。その典型がRAS 遺伝子で、肺がんだけでなく多くのがんのドライバー遺伝子になっている。このことは、なんとしてもRAS遺伝子を標的とする薬剤を開発する必要があることを再確認させる。ただ肺腺癌では他にも様々なドライバー遺伝子が特定され、既に薬剤が開発されている標的が見つかっている。この研究では、標的に対し薬剤が存在する場合はそれを優先して使用、標的に対する薬剤が得られない場合や、ドライバー遺伝子が特定できなかった場合には通常の化学療法を行っている。効果については生存期間の中央値として計算されているが、ドライバー遺伝子に対する薬剤を使った場合は3〜5年、薬剤が使えなかった場合は2〜4年で大きな差がある。予想通り、がんを知って戦うことの重要性がまた明らかになった。今回の研究は2009年に始まり、まだエクソーム解析など高価なため、どうしても遺伝子を決めて調べるしかなかった。しかしエクソーム解析のように発現する遺伝子全てについて変異を調べることが可能になった今、より多くのドライバー遺伝子を特定する可能性は確実に上がっている。我が国でも是非がんを知って戦う治療が普及する様、私もお手伝いしたいと思っている。
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5月28日:演奏家による楽器(バイオリン)の評価(5月20日号アメリカアカデミー紀要掲載論文)
2014年5月28日
私の様なクラッシック音楽の消費者は、演奏家がどの楽器を使っているのか一応気にする。実際には、演奏家が様々な楽器を弾き比べるのを聞いたわけではないのだが、どの楽器を使っているのかは演奏家のプレステージだと思っている。特に弦楽器では、イタリアのストラディバリウス、グァルネリ、アマティ等が定番だ。また、弦楽器は一定の期間が経ないといい音がしないと言う通説もそうかと納得している。ただ、音楽の消費者にはその真偽を確かめる術はなかなかない。この間をつなぐために、科学的(?)に古いバイオリンが本当に好まれる音を出すのか確かめる調査がこれまでも行われたらしい。特に有名なのがインディアナポリスの音楽コンクールで行われた調査で21人の演奏家に新旧のバイオリンを弾いてもらい好きなバイオリンを指摘してもらった所、ほとんどが新作のバイオリンを気に入ったと言う結果だ。しかしこれが科学になるためには、追試が必要だ。今日紹介するパリソルボンヌ大学からの研究は、インディアナポリスの研究が再現できるかどうかを、慎重に条件を設定して検討した研究で、5月20日号のアメリカアカデミー紀要に掲載された。タイトルは「Soloist evaluations of six old Italian and six new violins(独奏者による6台の新しいバイオリンと、6台のイタリア製古いバイオリンの比較)」だ。研究で選ばれた古いバイオリンはグァルネリ、ストラディバリウスを集める一方、新しいバイオリンは制作されたばかりの物から、せいぜい制作後20年までのバイオリンを集めている。参加した10人のバイオリニストも、チャイコフスキー、ロンティボー,シベリウス、パガニーニ、エヴリン・フィシャーなど名だたるコンクール入賞者だ。このうち2人は新しいバイオリンを使っているが、残りはストラディバリウス、グァルネリをずっと使って来た演奏家だ。テストでは、最初短い時間で気に入ったバイオリンを3台選ばせ、その後時間をかけてどれがいいかを決めてもらっている。結果は予想通り(?)で、最初軽く弾いたときも、その後ゆっくり調べたときも気に入られたバイオリンの1、2位は新作のバイオリンで、3位,4位にようやく古いバイオリンが入った。他にも様々なことが調べられているが、通説を覆し、音の拡がりも新作バイオリンの評価が高かった。一方新しいバイオリンは、弾き易さや,音の明瞭さなどが感じられるようになるまで弾き込む必要があるとされていたが、この通説は確認された。いずれにせよ、ほとんどの通説は当てにならないと言うことで、今度は聞き手についても調べてみれば面白い。驚いたのは、新しい古いは意識せずに音や拡がりを基準にすると、ほとんどの演奏家が一つのバイオリンを選んだことで、バイオリン製作者の励みになること間違いない。悪いクセだが、この様な研究の助成はどのように行われているのか気になったのでアクナレッジメントを調べてみると、フランスの国家研究助成局、マリーキューリー大学の公的資金とともに、アメリカバイオリン協会の寄付によっても支えられているようだ。この様な交流が、新しい音楽のあり方を造ることは間違いない。
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5月27日:教育効果を社会への還元度で評価する(Circulation誌5月20日号掲載論文)
2014年5月27日
私も熊本大学で免疫学、京都大学で発生学を担当して、学生教育に関わった。正直自分の講義がどれほどの効果を発揮するか考える余裕はなく、効果のほどは結局試験に頼るだけだった。久しぶりに教え子と出会ったりして、私の講義をどう受け止めたなどと長期効果を聞くと冷や汗ものだ。しかし、試験以外の教育効果判定法はあるのかについては、なかなかアイデアが出てこないのが実情だ。今日紹介するハーバード大学からの論文は、この問いに対し新しい評価法を提案していて面白い。5月20日号のCirculationに掲載された論文で「An online spaced-education game among clinicians improves their patient’s time to blood pressure control: a randomized controlled trial (医師がオンライン版間隔学習ゲーム行うとその患者さんは早く血圧がコントロールされる:無作為対照研究)がタイトルだ。もともとこのグループは医師の新しい教育システムとして、spaced-education(SE:間隔教育)を開発し、その効果を調べて来たグループだ。SEとは一定の知識量を教えてから試験で評価する従来の方法ではなく、問題を一問づつ与えてその都度評価し、少し時間を置いて次の問題へと進む方式の教育プログラムで、医学だけではなく他の分野でも検証が進んでいるプログラムらしい。この研究では、質問、説明、評価(他の参加者との競争)の組み合わせを32問、ゲーム形式で与え、正しい答えが得られたときだけ次の設問に進むと言うプログラムを作成している。次に300人余りの開業医をこのプログラムを受けるグループと、そうでない対象グループにランダムに振り分ける。ここまでなら普通の研究と変わらないが、この後が面白い。普通なら開業医に試験を受けてもらって評価するかわりに、この研究ではそれぞれの開業医にかかっている高血圧の患者さんの血圧コントロールの達成度で評価している。即ち実地臨床現場で、教育が役に立っているかどうかを確かめている。この論文の結論はプログラムの効果が確かにあって、それを受けた医師にかかっている患者さんは治りが早いと言う結果だ。確かに有意差検定も含め統計学的処理が行われており、信頼すべき結果なのだろう。しかし正直本当に効果があるのか少し疑問に感じる。有意差があるとは言え、例えば血圧が目標値に落ち着くまでの時間が、プログラムを受けた医師にかかっている患者さんは142日、そうでない場合は148日と言った具合だ。今後、もっと違ったプログラムを同じように現場で検証して行くことが必要だろう。ただ、医師への教育効果を、その医師にかかっている患者さんの治療成績で評価すると言う発想にはなるほどと納得した。
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5月26日:ニュージーランドのキウィはどこから来たのか?(5月23日Science誌掲載論文)
2014年5月26日
一つの種の中に生じる多様性が最終的に異なる種として分離する要因として、地理的隔離があることは広く認められている。例えば湖が火山活動で分断され交流が無くなり、新しい種が生まれるという話はよく聞く。この地理的分離が大きなスケールで起こったのが大陸移動で、ゴンドワナと呼ばれる一つの大陸が地球表面のプレートの移動により分かれ、現在の形になったと考えられる。この大規模な変化により、多くの地上動物が隔離され独自種の進化が加速したと考えられている。一方飛行の可能な鳥は地質的分離の影響は受けにくい。ただ南半球には現在もアフリカ産のダチョウを筆頭に様々な跳べない鳥が存在する。オーストラリアのヒクイドリとエミュ、南米のレアなどだ。大型の走鳥類だけではない。中でもニュージーランドにしかいないキウィは小型走鳥類の代表だ。実はニュージーランドには絶滅した大型の走鳥類がいた。それが1400年代に絶滅したモアだ。キウィとモアのサイズは大きく異なるが、形態学上の類似から、ニュージーランドに隔離された共通の祖先から進化を遂げたと考えられて来た。言ってみれば、観察上少々矛盾があっても、「走鳥類は飛べないためにそれぞれの大陸で独自進化したはずだ」という通説の方が正しいとして説明されて来た。しかし遺伝子配列の比較による系統解析が始まると、走鳥類進化の過程は簡単ではないことがわかって来た。最近モアの化石DNAが調べられ、驚くべきことに南米にいる飛ぶことが出来るシギダチョウに近いことが明らかになった。今日紹介する論文は絶滅種の骨に残るDNAを解読することでさらにこの問題に迫ろうとしたオーストラリアからの研究で、5月23日号のScienceに掲載された。タイトルは「AncientDNA reveals elephant birds and kiwi are sister taxa and clarifies ratite bird evolution(古代DNAの解読により、キウィとエレファントバードが同じ分類群に属することが明らかになり、走鳥類の進化が明らかになった)」だ。これまでDNA研究から得られなかったマダガスカルの絶滅種エレファントバードの骨からDNAを回収して配列決定を行い、走鳥類の系統樹をほぼ完成させたことがこの仕事のポイントだ。驚いたことに、マダガスカル島に隔離されていたエレファントバードに最も近い走鳥類は、地理的に近いアフリカのダチョウではなく、キウィだったと言うのが結果だ。モアが南米のシギダチョウに近いと言う研究と合わせて考えると、走鳥類が大陸移動により隔離された先祖が、それぞれの大陸で独自の進化を遂げたとするこれまでの考えには大きな変更が必要だ。この論文では、エレファントバードとキウィの祖先は飛ぶことが出来、広い範囲に分布した。ただ、その後陸上の天敵がいないと言った状況から走鳥類へ進化したと言うシナリオを提案している。古代のDNAが歴史記録として新しい歴史を語り始めていることを実感させる論文だ。
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5月25日:格差問題の科学(5月23日号Science誌特集)
2014年5月25日
今週号のScience誌を開いて、「格差問題の科学」を特集しているのに驚くとともに、感銘を受けた。編集者のコメントから始まる様々な総説を合わせると10編を超す論文が掲載されている。もちろん科学分野での格差だけが特集の主題ではない。社会格差全般を問題にしている。これを示すため、有名なPikettyとSaezに「Inequality in long run(長期の格差)」と題する総説を依頼している。この二人は貧困や格差で有名な経済学者で、経済学専門でない私ですら2012年この二人による全米経済研究所のレポート「Optimal Labor Income Taxation」は読んだ。購入しただけでまだ読んでいないが、最近出版されたPikettyの「Capital in the 21st Century(21世紀の資本論)」は、Pikettyの母国フランスだけでなく、アメリカでも大きな話題になったと聞いている。今回Scienceに掲載された総説も特に科学行政について書いているわけではなく、これまでの研究と同様、収入や資産の統計分析から格差是正の方向性を探る彼らの試みがテーマだ。従来通り、成長を上回る資産からのリターンが格差の大きな要因で、税を含む政策による所が多いと結論している。では科学についての週刊誌Scienceがなぜこの問題を取り上げたのだろう?この問題解決に果たす科学の役割の自覚が大きな動機になっているようだ。もちろん社会矛盾を科学で克服すればいいと言った傲慢な発想の企画ではない。例えばPikettyとSaezの論文の背景には、収入、資産、税を始め様々な経済活動に関するいわゆるビッグデータの解析がある。またプリンストン大学のDeatonよるこの特集の基調論説では、「inevitable inequality(格差は不可避か?)」と題して、格差問題が自由な社会の当然の結果ではなく、解決すべき問題であることを強調している。イデオロギーが消失した今、科学に対する期待は大きい。そして編集主任のChinが「The science of inequality(格差の科学)」」と題する論説を書き、格差に関わるビッグデータを扱うことは、生物やヒトのゲノムデータを扱うことと同じ科学の問題で、21世紀がこれらの情報を統合し、社会問題に対応できる科学を構築する時代であることを示唆している。もちろん競争が当たり前の科学界について分析したミシガン大学のXieの論文も掲載されている。詳しくは紹介できないが、「科学での格差の是正論議は敗者の不満でしかないのか?」と言う問題を様々な面から分析している。結論はないのだが、格差により若い優秀な研究者の育成が阻害される懸念は同感だ。
我が国ではScience誌と言うと、科学論文を発表する超一流雑誌としてしか受け取られていないようだが、21世紀の新しい科学を考えようとする明確な意志と使命感を感じる。研究者だけでなく科学行政に関わる多くの人に読んで欲しいと思う。しかしこの様な分野を超えた交流がないことが我が国の問題かも知れないと閣僚名簿を調べてみたら、水産大学出身の防衛大臣以外は理系閣僚は皆無だった。しかしこの結果に妙に納得してしまうのは私だけだろうか?
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5月24日:膵臓がんの間質反応(Cancer Cell誌オンライン版掲載論文)
2014年5月24日
がんの中でも悪性度の強い膵臓がんは、周りの強い間質反応が特徴だ。同じように間質反応が強いがんにスキルスと呼ばれる瀰漫性胃がんがあり、やはり悪性度が高い。このことから今日紹介する論文を読むまで、私は間質反応とがんの悪性度の間には正の相関があると考えていた。ところがCancer Cellオンライン版に掲載された2編の論文は、これが全く逆で、間質反応はがんに対する防御反応で、間質反応が無くなるとがんがもっと悪性になる可能性を示唆している。一つはミシガン大学から、もう一つはMDアンダーソンがんセンターからの仕事で、それぞれ「Stromal element acts to restrain, rather than support pancreatic ductal adenocarcinoma (間質反応は膵臓がんの支持ではなく抑制に関わっている)」「Depletion of carcinoma-associated fibroblasts and fibrosis induces immunosuppression and accelerates pancreas cancer with reduced survival(がん周囲の線維芽細胞と線維化を除去するとがん免疫が低下し膵臓がんの増殖が促進する結果生存率が低下する)」だ。最初の研究では、shhと呼ばれる遺伝子の機能を膵臓細胞で抑制する、あるいはこのシグナルに関わる受容体機能を薬剤で抑制すると膵臓がんの悪性度が高まるが、これががんの周りの間質反応が消失によることを示している。これまで間質反応を抑える目的で、このシグナル阻害が試みられたが、まるで反対の結果だ。2編目の論文では、遺伝子操作により線維芽細胞を直接除去できるようにしたマウスで膵臓がんを発生させ、線維芽細胞を除去するとやはり膵臓がんの悪性度が上昇することを示している。この意外な結果が人間の膵臓がんにも当てはまるのか確かめる意味で、新しく間質反応と悪性度の相関を調べてみると、人間でも間質反応が高い方ががんの予後が良いことがわかった。これまで間質反応の強い膵臓がんでは、がんを栄養する血管が少ないことが知られていたが、間質反応ががんを抑制するメカニズムの一つはがんを栄養する血管が減ることであることも示されている。最も私の興味を惹いたのは2番目の論文で、がんの周りの線維芽細胞を除去するとがん抑制免疫反応が低下するが、抗CTLA-4抗体で間質反応と同じ抑制効果を得ることが出来ると言う結果だ。間質反応の多彩な機能をかいま見ることが出来る。今日紹介した論文はともにマウスモデルについての研究だが、抗CTLA4抗体の効果、がん血管抑制の効果など、多くの点で人間の膵臓がんに近い。既に述べたように間質反応はがんを促進していると考えて、shhを抑制する治療が試されたこともある。この研究からわかるようにshh抑制治療は効果がなかった。逆に、今回の仕事により間質反応を強化してがんを抑制すると言う新しい可能性が生まれた。期待したい。しかし、常識とは疑うためにあることをまた思い知った。
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5月23日:ブラジルワールドカップでのデング熱の危険性(The Lancet Infectious Diseaseオンライン版掲載論文)
2014年5月23日
連休中ボルネオのジャングルをトレッキングしたが、マラリアやデング熱を媒介する蚊に刺されない様万全の注意を払った。注意が過ぎて長袖、ヒルよけソックスなど重装備で熱帯を長時間歩いたため、今度は汗疹で1週間位苦労するはめになった。同じように、ブラジルには熱帯雨林があり、マラリアやデング熱の危険地帯だ。特にデング熱の発症はブラジルが世界中でも一番高いようだ。デング熱と言うのはウィルス性の病気で、筋肉や関節の痛み伴う発熱が特徴だ。ほとんどの場合死に至ることはない一過性の病気なので心配はないが、しかし6月ワールドカップサッカーで大挙して訪れる日本人ファンには注意を促した方がいい。そのための最適な論文がThe Lancet Infectious Diseasesオンライン版に出ていた。ブラジルからの研究でタイトルは「Dengue outlook for the world cup in Brazil: an early warning model framework driven by real-time seasonal climate forecast(ブラジルワールドカップサッカーでのデング熱展望:リアルタイムの天気予報に基づく早期警戒モデル。)」とドンピシャの仕事だ。研究では2000年から2013年までの天候データ、デング熱発症データなどを調べ、それに基づいて階層ベイズ法と言う推計学の手法を用いて、ブラジル各地域でのデング熱発症予報モデルを構築している。モデルについては2013年まで実際の発症数と比較して予測確度を計算している。率直に言って、あたる確率は思ったほど高くなく、予想としては天気予報よりはるかにあたらないと考えた方が良さそうだ。ただサンパウロ、ナタルなど一部の都市については予測の正確度は高いので、十分参考になると思う。転ばぬ先の杖だ。さてワールドカップ開催中の予想だが、低リスク都市;ブラジリア、サンパウロ、クイアバ、クリチバ、ポルトアレグレ、中リスク都市;リオデジャネイロ、ベロホリゾンテ、サルバドール、マナウス、高リスク都市;レシフェ、フォルタレザ、ナタルだ。驚いたことに我がNipponは予選リーグをレシフェ、ナタルクイアバで戦う。即ち高リスクの2都市で戦わなければならない。特にナタルは予想確度が高い地域なので、気をつけた方がいい。ここで高リスクとは10万人に300人が発症する。致死的でないとは言え無視できない数字だ。選手のキャンプ地はリスクが低そうなので少し安心したが、やはり注意は喚起した方が良さそうだ。開催国ブラジルの研究者の責任感を感じる仕事だ。
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