6月11日:マウスとヒトの能力を同じ課題で評価する(アメリカアカデミー紀要オンライン版掲載論文)
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6月11日:マウスとヒトの能力を同じ課題で評価する(アメリカアカデミー紀要オンライン版掲載論文)

2014年6月11日
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「実験動物で得られた研究結果は人間にも役に立つ」は決まり文句だが、本当にそうかなかなか確かめることは難しい。特に脳機能となると、心の奥では「動物と人間は比べようがない」と考えるのが普通だ。この常識から考えると、今日紹介する論文は面白い。人間とマウスの能力を同じ課題を課して試す、この実験系を思いついたことがこの研究の全てだ。ボストンMITとハーバード大学グループの研究で、論文はアメリカアカデミー紀要オンライン版に掲載されている。タイトルは「Immersive audiomotor game play enhances neural and perceptual salience of weak signals in noise(バーチャル聴覚運動ゲームで遊ぶと雑音の中の弱いシグナルピークに対する神経反応と聴覚を促進する)」だ。さてどのような課題か?マウスの方から見てみよう。45X65cmのスペースにネズミを置いて、標的を探させるのが課題だ。標的は見えるわけではなく、聞き分ける標的で、特定のシグナル音が雑音なしに聞こえる場所が標的だ。この標的からはなれるに連れて雑音が増えるように設計している。マウスはあらかじめシグナルだけの場所を目指す様報償反応で訓練しておく。マウスは最初雑音ばかりの場所に置かれるが、ノイズの中のかすかなシグナル音を頼りにノイズを減らそうと動いているうちにシグナルだけしか聞こえない標的に到達する。当然訓練を繰り返すと到達時間は短くなる。では同じ課題を人間に課すにはどうすればいいのか?「テレビゲームでネズミになり切ってもらう」が答えだ。被験者はテレビの前に座ってコントローラーで画面上のネズミの動きを操作する。実際のネズミの聞く音と同じ音が画面上のアバターの位置に応じてヘッドフォーンから聞こえるように設計されている。これで、かすかなシグナル音を頼りにノイズの少ない場所を探すと言う、ネズミと全く同じ課題を人間も共有できる。面白い。後は訓練で何が変わるかだが、幸い人間はネズミと大分違うようだ。人間は訓練すると標的のある方向を早く見つけるようになってくる。一方ネズミは訓練することで動き回るスピードを早くなる。言って見れば動体聴覚を上げる様訓練される。まあ、人間の方が確かに賢そうだ。いずれにせよネズミもヒトもノイズの中でシグナルを拾う能力が訓練で高まることは確かだ。この神経的基盤はネズミであれば脳に電極をさして調べることが出来る。実際、聴覚野ではノイズに対する領域全体の反応を抑えて、シグナルの感受性を高まるよう訓練で神経ネットワークが変化している。おそらくヒトでも同じだろうと納得する。しかしここで満足しないのが立派だ。この訓練を受けた人達が雑音の中で言葉を拾う能力について検査して、このゲームでこの検査の成績が格段に良くなることを示している。大変楽しい論文だった。実を言うと私も難聴に煩わされており、今年の始め補聴器を買った。しかしシグナルとノイズの両方が増幅されるのが問題だ。この論文を読むと、このゲームは私にも役に立ちそうだ。早く販売されることを願う。
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6月10日:全ゲノム解析とヘッケル(先週Nature, Science, Nature Communications等の掲載された論文)

2014年6月10日
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様々な分野の論文に目を通しているとこの1年ゲノム解析の終わった動植物は目白押しで、トップジャーナルも競争して論文を掲載しているようだ。ここでも、ワムシ、シロクマ、キウイなどの全ゲノムについて紹介したが、それぞれのゲノムは面白い物語を想像させる。ここで紹介しなかったが、今年始め私が興奮したのは、最も「下等?」なサメ、エレファントシャークのゲノム解析で、なんとCD4T細胞に関わる遺伝子が全て欠損している(Nature,505,174,2014)。ほ乳動物CD4Tについて、30年近くの研究で明らかになった遺伝子の数々が物の見事に存在しない。この結果を元にT細胞分化を見直すことで、進化と発生を再検討し直すことが出来るはずだ。ドイツの進化学者エルンストヘッケルは「個体発生は系統発生を繰り返す」と言う有名な言葉を残したが、系統発生で起こったことの記録はやはりゲノムを知らないと理解できない。ようやくこの言葉の真価を問える。新しい機能やそれを作る発生の仕組みが積み重なって行く過程を知るためにおあつらえ向きの動物を選んでゲノムを解析すると、これまでの発生についての理解が大幅に深まる。その例が今週Natureオンライン版に掲載されたクシクラゲのゲノムだ。クラゲと言っても、普通の刺胞動物に分類されるクラゲとはずいぶん違うが、ゲノムがわかるとクシクラゲ、海綿、ヒラムシ、クラゲと全体の系統関係がはっきりする。この研究からクシクラゲが独自の進化を遂げた種であることがよくわかる。例えば系統樹ではクラゲとの間に位置する海綿には存在しない運動機能が存在する。運動と言う同じ機能のためにそれぞれの種で独立に平行して開発された遺伝子は多くを教えてくれる。事実この機能についてゲノムと照らし合わせてみて行くと紹介しきれない位面白いことがわかる。例えば神経機能についても、イオンチャンネル型のグルタミン受容体が先ず進化して来て、その後シナプス形成に必要な分子が加わって運動機能進化の共通ルールのようだ。しかし、他のクラゲのように神経伝達受容体の多様性はない。このあたりについては是非一度ニコニコ動画で高校生と話をしたい。クシクラゲ以外にも先週はScienceにヒツジのゲノムが報告された。トリコヒアリン遺伝子の数が増えて、反芻のための第一胃特異的に使われているのは面白い。他にも私たちの肝臓にしかない脂肪酸合成酵素が皮膚に発現して毛に油を供給している点など、本当に物知りになる。先週は他にもハダカネズミのゲノムも報告された。ハダカネズミはほとんどがんが発生しない動物であることが確認されている。しかし低酸素環境で生きるために癌抑制遺伝子のp53機能が低下している。この矛盾する課題をどう解決しているか、スリリングな物語が展開しており、ゲノムからだけでも多くのことがわかる。これらゲノム研究の結果を理解するためには、もう一度発生過程を眺め直す必要がある。最初に挙げたヘッケルの言葉は、生命研究が異なるレベルの情報統合を目指す研究であることを予言している。進化と発生、ゲノムとエピゲノムだ。生命科学も異分野との統合を進めないと時代について行けないだろう。トップジャーナルがいいとは言わないが、しかし1年論文を眺めていて様々な動物のゲノム研究での我が国のシェアは極端に低い気がする。是非推進策を再検討して欲しい。
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6月9日:コンソーシアム型プロジェクトの重要性(6月5日号The American Journal of Human Genetics掲載コメンタリー)

2014年6月9日
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科学研究から科学者間の競争を除くことは健全な発展を阻害する。しかし、競争的側面を出来るだけ薄めて協力し合うことで達成できるプロジェクトも多い。実際物理学では加速器を個人の研究者の希望に合わせて作るわけにはいかないため、何百人もの研究者が一つのプロジェクトに協力し、論文の著者欄にはアルファベット順に名が並ぶと言うことがあるようだ。無論生命科学にもコンソーシアム型研究は多いが、私の現役時代の経験から言うと、個人のシェアを押さえて全体的目的を実現するコンソーシアムは、我が国の研究者の苦手な分野の様だ。同様にアメリカもこの様な全国コンソーシアム型研究は比較的苦手だ。以前カナダ全国の施設が集まるコンソーシアム型プロジェクトのアドバイザーを務めたことがあるが、その時ハーバード大学の委員がなぜコンソーシアム型で行わなければならないのか不思議そうに聞いていたのを覚えている。考えてみれば、ハーバード大学には全てが存在しており人も金も患者さんも全て内部で揃うため、全国ネットワークを作ると言う意味が理解できないのだ。この点から言えば我が国のコンソーシアムは、外見はカナダ型でも心はアメリカ型、と一貫性が無いことが多い。しかし日本の1つの大学の規模では到底ハーバードには太刀打ちできないことを考えると、全国コンソーシアム型も重要だ。今日紹介するコメンタリーは、カナダの希少疾患を発見するFORGE CANADAプロジェクトを紹介したコメンタリーで、The American Journal of Human Genetics6月号に掲載されていた。タイトルは「FORGE Canada consortium’ outcomes of a 2 year national rare disease gene-discovery project(カナダFORGEプロジェクト:希少疾患遺伝子探索プロジェクト2年間の成果)」だ。このプロジェクトは我が国の文科省の拠点プロジェクトに似ており、遺伝的疾患を扱っている3大センターと21施設、約170人の研究者・医師が集まるプロジェクトで、診断の難しい遺伝疾患を次世代シークエンサーでどの程度診断できるかを調べている。もちろんアメリカでも同じ様な研究が行われているが一施設で行われることが多い。ここでも昨年10月アメリカベーラー大学の研究を紹介した(http://aasj.jp/news/watch/854)。これまでの研究と比べるとプロジェクトの運営はよく設計されており、例えば同じ症状の患者さんが比べられるケース、家族を調べられるケース、患者さん一人しかいないケースなど様々な状況に応じて診断確率を算定するなど、データとしての応用価値は高い。またエクソーム解析を導入してこれまで診断できなかった患者さんの25%が確定診断できたとするベーラー大学と比べても素晴らしい結果を残している。2年間に全国から集まった264人の患者さんのうちなんと半分以上の146人について原因遺伝子が明らかになったと言う結果だ。しかもその中には67人のこれまで知られていなかった遺伝子が原因の病気も含まれていた。まず、これまで紹介して来たようにゲノム解析は大きな威力を持っており、出来るだけ早く臨床現場で利用が進むようにしなければならない。しかしこの結果の重要性は病気の治療や予防にとどまらない。この結果から67もの新しい遺伝子のヒトでの機能を調べる可能性が生まれている。当然iPSを作成して発生段階の研究も可能だ。我が国では疾患iPSの拠点型プロジェクトが進んでいる。しかしこの様なゲノムプロジェクトとの連携はほとんど行われていない。効果のあるコンソーシアムの組み方について、我が国の行政も真剣にカナダから学ぶ必要がある。
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6月8日:パーキンソン病の細胞治療(Cell Reports誌6月号掲載論文)

2014年6月8日
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ちょうど1週間前、京大CiRAの高橋先生にAASJチャンネルにきていただいて、パーキンソン病の治療について話をしていただいた。症状の出るまでに病気を見つけて発症を止めるのが根治だが、症状が出た時には既に細胞の変性が進んでいるので、現在の所ドーパミンを作る細胞を移植することが根治としては最も有望な方法だと言う話をしてもらった。事実、全世界的に見れば胎児の中脳細胞移植を受けた患者さんは500人を超えるのではないだろうか。この治療は人工中絶した胎児の中脳を何体分も集めてそのまま移植する治療で、組織抗原不一致による拒絶反応、細胞の純度などの問題を抱えており有効性の判断が難しいが、大きな効果が見られた患者さんもおられることから、現在細胞治療の有効性を示す唯一の治験結果になっている。有効性が見られた場合次に調べるべき点は、移植したドーパミン産生細胞がどの位長期間脳内で生存し機能するかだ。この点に関して2008年Nature Medicineに3編の論文が報告された。いずれも細胞移植後14−16年後に亡くなった患者さんの脳を組織学的に調べた結果で、いずれの研究も長期間にわたってドーパミン産生細胞が移植部位で生存していることが確認されており、期待の持てる結果だ。ただこの時2編の論文はパーキンソン病の一つの原因になっているシヌクレインの蓄積(レビー小体)が移植した細胞にも見られることから、パーキンソン病はプリオン病のように変性中の細胞から移植した元気な細胞へと伝播すると言う衝撃的な結果だった。一方3編目の論文では、線条体にはレビー小体は認められないとする物だった。今日紹介する論文は、この3編目の論文を書いたグループが同じ組織を詳細に調べたハーバード大学の研究で6月号のCell Reports誌に掲載された。タイトルは「Long-term health of dopaminergic neuron transplanted in Parkinson’s disease patients(パーキンソン病患者に移植されたドーパミン産生神経細胞は長期間健全な状態を保つ)」だ。2008年の研究では、ドーパミン産生神経細胞の生存だけが確認されていたが、今回の研究では、1)線条体へと新しく神経軸索を伸ばし、ドーパミンを分泌するためのドーパミントランスポーターが正確に神経軸索に発現していること、2)ミトコンドリアの活性から見たとき、移植したドーパミン産生細胞は健康な状態を保っていること、3)一方同じ脳内の黒質にある患者さんのドーパミン産生細胞は変性が進んで、異常なミトコンドリア分布を示していること、等が示されている。即ち、患者さんのドーパミン産生ニューロンは移植に関わらず変性が続くが、移植された細胞は宿主細胞の変性に影響されることなく、長期にわたって活性を保つと言う結果だ。シヌクレインの変性が伝播する点についても否定的な結果だ。さらに胎児期の細胞は未熟なためすぐに効果は見られないが、1年位で宿主の線条体との新しい神経結合を開発し、その後発展が続くという報告例なども紹介されている。まだまだ批判的な研究者も多いようだが、この論文を読んで、我が国でも来年早々にも申請される細胞治療には大きな期待が持てると確信した。前回のAASJチャンネル高橋先生の話を更に裏付けるタイムリーな研究が紹介できた。
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6月7日:モルヒネによる便秘に対する新薬(6月4日号The New England Journal of Medicine掲載論文)

2014年6月7日
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がんによる症状の中でも患者さんを最も苦しめるのが痛みだ。私が医師として病院で働き始めたのは1973年だが、現在では標準として使われているモルヒネの経口投与は行われていなかった。習慣性のある麻薬は避けるべきだと言うタブーがあったのかもしれない。そんな時イギリスのブロンプトン病院では経口モルヒネを大量投与ががん性とう痛に大きな効果を上げていることを聞いた。日本では1978年位からこの治療が始まったが、私自身は治療に利用する機会が来るまでに医師を辞めてしまった。それから40年近く、現在もがん性とう痛の最も効果的治療として世界的に何千万の患者さんに処方し続けられている。この論文を読んで不勉強を思い知ったが、現在ではがん性とう痛に限らず、様々な原因の痛みに対する治療としてモルヒネが使われるようになっているらしい。論文ではアメリカだけで1年に2億回分の処方が行われていることを紹介している。しかしモルヒネは脳内の受容体に働いて痛みを抑えるだけでなく、腸管の受容体にも働き、腸神経を刺激して腸管の動きを変化させ便が前に進まなくすると同時に、腸管腔への水分や電解質の分泌を抑えてしまう。この結果患者さんは強い便秘に悩まされる。モルヒネ投与時、下剤を処方するがなかなか期待通りの効果がないのが現状だった。今日紹介する論文はモルヒネ投与による便秘に対する新薬ナロキセゴールの第3相臨床治験の結果を報告したミシガン大学等からの研究で6月4日にThe New England Journal of Medicineに掲載された。タイトルは「Naloxegol for opioid-induced constipation in patients with noncancer pain(がん以外の痛みに対する麻薬投与による便秘に対するナロキセゴールの効果)」だ。ナロキセゴールはモルヒネ受容体に対する抑制剤ナロゾンにポリエチレングリコールを結合させた薬剤で、ナロゾンが脳血管障害を越えないようにすることで腸管だけに作用する様にした薬剤だ。この改変によりモルヒネの脳に対する効果はそのままで、腸管に対する効果は抑制できると言う合理的な薬剤だ。研究ではがん以外の痛みに対してモルヒネ投与を受けている患者さんを選び、投与後12週間、2重盲検無作為化を行う統計学的に確かな方法でこの薬剤の効果を確かめている。結果は期待通りで対象と比べると週3回以上の便通が起こる患者さんが15−20%増えたと言う結果だ。一方、痛みを抑制するモルヒネの効果はそのまま続き、大きな副作用もない。薬剤の原理を考えるともっと効果があっても良い様な気がするが、モルヒネによる便秘に対する論理的な薬剤が初めて開発されたことはうれしいことだ。古代エジプトに芥子の実を鎮痛に使うと言う記録があるらしく、人類の知恵が経験的に開発した痛みを抑える薬が、麻薬として一般に利用されるようになったために医療で気軽に使いにくくなり(もちろん医療でも使い続けられていたが)、その後見直されて今はがん性とう痛に限らず広く特効薬として使われているという歴史を振り返ると、人類の知恵と愚かさの両面をつくづく感じる。調べてみるとFDAの許可は昨年暮れにおりているようだ。日本でも同じ様な薬剤が進んでいる様で、更に古代からの知恵を利用できるようになると期待できる。
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6月6日:認知機能の老化に及ぼす外国語学習の効果(Annals Neurologyオンライン版掲載論文)

2014年6月6日
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6月4日120万人の初診患者さんの血圧と心血管病との関係を調べた英国の研究を紹介し、英国のコホート研究の伝統と拡がりについて述べた。その時英国では戦後すぐに始まったコホート研究がざらにあることを述べたが、更に上手のコホート研究があった。なんと私が生まれるずっと前1936年にスコットランドで始まったコホート研究で、The Lothian Birth Cohort(LBC)と名前がついている。今日紹介する論文は、このコホートを利用して認知機能の老化に外国語学習は役に立つかどうかを調べたエジンバラ大学の研究で、Annals of Neurologyオンライン版に掲載された。タイトルは「Does bilingualism influence cognitive aging ?(2カ国語学習は認知機能の老化に影響があるか?)」だ。このコホートに登録され生存が確認されている853人が対象で、全員が11歳になった時知能テストを一度受けている。その後71歳から74歳時点でもう一度大学に来て貰って、一般知能、記憶能力、情報処理能力、認知機能、言語能力などを検査するとともに、11歳以降英語以外の外国語教育を受けたかどうか、現在も外国語を使っているかどうか、何カ国語学習したかなどを聞き取り調査し、外国語を学習しなかった群、18歳以前に学習した群、18歳以降に学習した群の3群に分けて、11歳時の知能テストと70歳を超えた時点での認知テストとの相関を調べている。もちろんこれまでにも同じ課題についての研究は数多く行われている。ただ、2カ国語を習うこと自体、家庭環境など様々な因子が介入して来て、検出される効果が原因なのか結果なのかの評価は難しかった。しかしこの研究では語学を習う前に先ず知能テストを行っていること、生まれた年、地域が揃っていること、またスコットランドに移民が流入する前からコホートが始まり、言語的にも比較的均質な集団を扱っているなどの点で、これまで行われたどの研究よりも条件が揃っている。全般的な結論としては、11歳時に測定した知能テストの結果に関わらず、外国語学習は一般的知能、読む能力の老化を防止する高い効果があることが示された。もう少し詳しく見ると、1)記憶や情報処理力にはあまり効果がない、2)IQ(11歳時)が高い場合は早くから学習した群で効果が高い、逆にIQが低い場合は遅くから学習した方が老化を防げる、3)習う外国語の数は多いほど効果がある、4)学習した後使っていなくても効果はある、などだ。外国語の習熟度が調べられていない点が少し難点ではあるが、どの項目で見ても外国語を習って悪い影響があることはないので、外国語教育は老化防止のためにも奨励すべきだろう。もちろん私の年になると既に手遅れで、この様な結果が生活に役立つことはない。しかし、これからの世代の教育政策には重要なエビデンスの一つになるだろう。この論文を読んで私が一番感心するのは、人間の一生をカバーするコホートが行われ、エビデンスを集めようとしている点だ。この研究のように教育の効果を調べたいときはなおさらだ。残念ながら敗戦で社会システムが大きく変化した我が国では、LBCの様な80年近く追跡が続くコホート研究はないと思う。しかし戦後の歩みを語る時、系統だった個人の記録がどれほど手に入るのだろう?現在エコチル調査などが行われているのは知っているが、まだ歴史は浅い。これまで教育についてあまり調べて見る機会はなかったが、我が国の教育行政に人の一生を視野に入れた調査がどの程度反映されているのか調べてみたいと思っている。
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6月5日:血液から肺がん細胞を回収して研究する(Nature Medicineオンライン版掲載)

2014年6月5日
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胸部内科で働いていたとき、私も小細胞性未分化肺がん(SCLC)の患者さんの主治医になったが、全員2年以内に看取ることになった。当時SCLCの5年生存率は5%に到達していなかったと思うが、現在も状況は変わっていないようだ。ゲノム解読が進んで、腺癌、扁平上皮癌、非小細胞性未分化癌などでは治療標的になる分子が発見されたのに、SCLCからは有望な標的分子は見つかっていない。またほとんどのがんで、p53,RB1などの癌抑制遺伝子が欠損しており、悪性度が高いことも納得できる。SCLCの治療を困難にしているのが転移で、発見された時にはほとんどの例で転移が起こっている。事実5月18日に紹介したCellSearchと言う機械を使って調べると、血液を流れるがん細胞の数は乳がんの50倍近くに上る。この困難をはねのけるためには更にがんのことをよく知る必要があるが、今日紹介する論文はこの血中に流れるがん細胞を集めてマウス皮下で増殖させられることを示した英国マンチェスター大学と英国がん研究所の研究でNature Medicineのオンライン版に掲載された。タイトルは「Tumorigenicity and genetic profiling of circulating tumor cells in small cell lung cancer(小細胞性肺がん患者の血中を流れるがん細胞の動物での増殖性と遺伝子プロフィール)」だ。研究では先ず6人の化学療法を受ける前の患者さんから10ccの血液を採り、赤血球以外の細胞を集めて免疫機能を完全に失ったマウスに注射している。まだ100日以上時間がかかるが、期待通り4例の血液から集めたがん細胞はマウス皮下で増大し腫瘤を形成した。5月18日に紹介した血中のがん細胞数を数えるCellSearchと呼ばれる機器で調べてみると、腫瘤を造った患者さんは458−1625個のがん細胞が7.5ccの血液中に見つかったが、がんが増えてこなかった2例は222個と20個で、血中のがん細胞は少なかった。全例でないとは言え、血液からマウスの中で増殖させられるがん細胞を採取できると、実際のがん細胞を用いた研究の可能性が一気に広がる。実際この研究の経過中に5例の患者さんは亡くなっているが、がん細胞は生きたまま残っていると、残ったがん細胞を使って治療経過と相関させたり、様々なデータが取れるはずだ。マウス皮下のような人為的な環境で増やしていると言う問題はあるが、形成された腫瘤内のがん細胞は病理的にも小細胞性未分化癌の特徴を示し、抗がん剤への反応も患者さんの反応と一致していることが確認され、患者さんの体内にあるがんを代表出来ていることが示されている。当然ゲノムについても調べており、それぞれのがん細胞が個性を持ちながら、SCLCの特徴も維持していることが確認されている。この研究では残念ながら患者さんから正常細胞を得ることが出来ていないため、見つかった変異のどれががん特異的か特定することは出来ていないが、今後正常細胞を供与してもらうことはそれほどハードルの高いことではない。最後にマウスに移植したことによりゲノムが変化していないか調べるため、もう一度血液からがん細胞を集め、マウスの皮下で増殖した細胞と遺伝子を比べている。結果はマウス皮下で増殖することで大きなゲノム変化は起こっておらず、マウス皮下でもオリジナルな性質を保てることがわかった。発想は単純だが、素晴らしい仕事だと思う。30年にわたって医学はSCLCに敗北を余儀なくされてきた。原因の一つはがんを知るための資料を得ることが難しかったためだ。今回の仕事は単純だが、患者さん由来のがん細胞を使った研究を進めて行く上での大きな一歩になるはずだ。サンプルを得るためのハードルが下がることで、創薬企業にも実際のがん細胞を用いて研究が出来るようになるだろう。この研究を転機として医学が反攻を始めることを期待したい。
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6月4日:英国初診患者電子登録システムの力(5月31日The Lancet誌掲載論文)

2014年6月4日
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私のいたCDBからも多くの研究者が英国に留学している。おそらく日本人にとって英国の医療システムには戸惑う所が多いだろう。私は英国で暮らしたことがないので、知り合いから聞いたり資料から窺い知るだけだが、先ず一般医(GP)に登録しておく必要があるし、最初から病院に行くことも出来ない。また実際にGPの診断が間違っていたり、遅れて苦労した知り合いもいる。では医療ケアシステムととして全面的に劣っているかと言うと、優れた点も多い。先ず医療は完全に無料だ。一方我が国では3割の自己負担だけではなく、税金から負担している部分も多く、巨額の財政赤字の一つの原因になっている。両者を比べたとき、我が国では到底追いつかないと思えるのが、患者さんのデータ登録だ。GPでの診断治療は電子化されて残され、academic health networkを通して利用できるようになっている。他にも心臓血管病については全ての医療機関をカバーするデータ登録が行われ、GPでの記録と照合をつけることが出来る。ようやく昨年になってがんの登録法ができた我が国とは雲泥の差だ。今日紹介する論文は、この登録システムを使った血圧と心臓血管疾患の関係を調べた健康情報を研究するFarr研究所からの研究で、5月31日号のThe Lancetに掲載された。タイトルは「Blood pressure and incidence of twelve cardiovascular diseases:lifetime risk, healthy life-years lost, and age-specific associations in 1.25 million people(12種類の心臓血管疾患と血圧の関係:125万人の調査からわかる障害リスク、健康生活損失、年齢ごとのかかり易さ)」だ。結果は明快で、収縮期圧が高いと、脳内出血、くも膜下出血、狭心症のリスクが40%以上上昇し、一方拡張期圧が高いと腹部大動脈瘤の危険が高まると言う結果だ。他の新血管疾患、年齢ごとのデータ、健康生命予後など詳しいデータが示されているが詳細は割愛する。これまでの調査と特に変わらないように思えるが、血圧が高いからと言ってあらゆる心疾患のリスクが上昇するわけではないこと、また高齢者同士で比べると高血圧の影響は減少することなどはこの研究で新たに明らかになったと言える。しかし何と言ってもこの研究の素晴らしさは、120万人という大規模な調査を可能にするこれまでの蓄積にある。英国ではこれだけでなく、長期間一定の対象を追跡する様々なコホート研究が進んでいる。戦後すぐから始まったコホートもざらにある。この様な蓄積が正しいデータを生み、健康行政の自信につながる。様々な問題を抱えながらも、英国がこの健康ケアシステムを維持する自信はこの様な記録に支えられているのだろう。私は21世紀がゲノムを始め個人の記録が蓄積され、パブリックに利用できるようになる世紀だと思う。この観点から見ると、おそらく我が国は英国に大きく遅れをとっていること間違いない。研究者も私利私欲を捨てて協力し合い、この問題に取り組んで欲しいと願っている。高齢化、財政問題などを考えると我が国に残された時間は少ない。
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6月3日:暴露される歴代イギリス王室の病気(5月31日号The Lancet掲載論文)

2014年6月3日
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私は読んでいないが、シェークスピアの戯曲「リチャード3世」では、王を狡猾・残忍な陰謀家でせむしの男として描いているらしい。作り話とする説もあるが、当時の歴史家John Rousがリチャード三世を「体格は小さめで、右肩が上がっていた」と書いていることから、せむしと言うのもまんざら間違いではないように思われていた。リチャード3世はボズワースで戦死、グレイフライアースに埋葬される。我が国では考えられないがその後遺体は発掘しなおされ、その時確かに側彎症があることが確認された。今日紹介するレスター大学の論文は、発掘された遺体のCT検査を行い、3次元画像を再構成、3Dプリンターを用いて脊柱を再現して更に詳しく異常の原因を調べた研究だ。論文は5月31日号のThe Lancetに掲載され、「The scoliosis of Richard III, last Plantagenet King of England:diagnosis and clinical significance(最後のプランタジネット家英国王リチャード3世の側彎症:診断と臨床的意義)」だ。結論は、リチャード3世は確かに側彎症だったが、足を引きずるほどではなく、遺伝的原因や脳麻痺などが原因である可能性はなく、いわゆる学童期に始まる「突発性側彎症」と診断できると言う結果だ。The Lancetでは以前も、ジョージ3世のポルフィリン尿症について詳しい検証を行った論文を掲載している(The Lancet, 366, 332, 2005)。この論文では、ジョージ3世の髪の毛に含まれるヒ素の含有量について調べて、毛髪全体に一様に分布していることから、ポルフィリン症の胃腸症状に対して投与されたアンチモンのなかにヒ素が混入していたと結論している。驚くのは、この毛髪が個人所有された後、オークションで取引され最終的にウェルカム財団の博物館に所有されていることだ。リチャード3世や、ジョージ3世については様々な歴史記述が残っている。これらの記述が正しいかどうか、医学的に確認することは歴史を知るためにも重要だ。とは言え、王の遺体を再発掘し、毛髪を自由取引で博物館展示を許す。イギリス国民と王室の関係は、我が国とは全く違っていることがよくわかる。
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6月2日刺激に依存する神経結合過程の可視化(Science誌5月23日号掲載論文)

2014年6月2日
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論文を読んで昔の知識がよみがえった。私たち人間の視神経は脳の両側に軸索を伸ばし、両眼からの刺激統合が必要な立体視を可能にしている。もちろんほとんどのカエルでも同じ事が言える。しかし変態前のオタマジャクシは目が左右に完全に分離しており、視神経も脳の反対側だけに投射している。カエルへと変態が始まると、目の位置が顔の前の方に移動、立体視が必要になると視神経が同じ側の脳に投射するようになる。発生学の教科書を初めて読んだとき、なかなか合目的に出来ていると感心したものだ。今日紹介するモントリオール・McGill大学の研究はこのオタマジャクシの特徴をフルに生かして、視覚刺激により安定した神経結合が形成されるプロセスを研究している。論文は5月23日号のScience誌に掲載され、「Rapid Hebbian axonal remodeling mediated by visual stimulation (視覚刺激によって引き起こされる急速なヘッブ法則に従う軸索再構成)」がタイトルだ。ヘッブ法則と言うのは1949年やはりMcGill大学の教授だったヘッブ博士が提唱した「同調して興奮している神経細胞は結合するが、同調していない神経細胞は結合を失う」と言う法則を意味する。ただこれを証明するためには、刺激に反応する神経軸索の振る舞いをリアルタイムにモニターする必要がある。オタマジャクシを用いるとこのことを確かめる実験が可能であることを思いついたのがこの研究の全てだ。発生学から生理学までの深い知識に基づきこの研究が行われている。私も知らなかったが、確かにオタマジャクシの視神経は反対側の脳に投射するのだが、発生の間違いで少しは同側にも投射が起こるらしい。この一種の間違いを利用して、この同側に紛れ込んだ神経軸索が視覚野で安定な神経結合を形成する条件を調べている。即ちこの視神経が紛れ込んだ側のほとんどの神経は反対側の視神経から刺激を受ける。これを利用して、反対側の目に対する刺激と、紛れ込んだ視神経が由来する同側の目に対する刺激のパターンを同期あるいは非同期させて与えることで、紛れ込んだ神経が周りの神経と同期する場合と、非同期の場合が設定できる。納得だ。さらにメラニン色素のない透き通ったオタマジャクシを使い脳神経を直接観察できるようにしている。そして、同側から紛れ込んだ視神経をラベルする方法を利用して、軸索の短期間の振る舞いを細胞レベルで調べることを可能にしている。独創的なほれぼれする実験系だ。論文ではヘッブの法則を確認するだけでなく、新しい発見も示している。まず軸索の刺激が周りの神経と同期していないと軸索成長の速度が上がる。これは新しい発見だ。しかしヘッブが予想した通り、もし周りと同期していない場合は形成されたシナプスが早期に消失すると言う結果だ。そして同期された場合も、シナプスでの神経伝達を阻害すると、安定なシナプス結合が失われる。さらにこの様な反応は予想以上に早いと言うこともビデオで確認している。この結果から、単一神経への刺激だけでなく、常に全体の刺激状況を瞬時にモニターしながら、最適な神経結合が組織化されて行く様子がよく理解できる。今後多くの研究室が採用しそうな実験系だ。しかし、同じ大学で提唱された法則を証明するために次の世代が努力しているのを見ると、科学はグローバルと簡単に言えない伝統を感じる。
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