6月5日 ER ストレスを誘導してガンを抑える薬剤の開発(6月2日 Nature Cancer オンライン掲載論文)
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6月5日 ER ストレスを誘導してガンを抑える薬剤の開発(6月2日 Nature Cancer オンライン掲載論文)

2022年6月5日
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化合物の作用を手がかりに、生化学的過程を明らかにすることを chemical biology と呼ぶ。実際アスピリンなど、現在使われている多くの薬剤は、まず化合物の作用が発見され、薬剤として利用された後、その作用の生化学的過程が明らかにされたものだ。一方、分子生物学が発展して、特定の過程に関わる分子が明らかになった後、その分子の機能を抑制する化合物を開発することが、21世紀に入って加速している。例えば、新型コロナウイルスのプロテアーゼに対するパクスロビドや塩野義 S-217622 などはその例だ。特に最近注目されているこの種の薬剤には多くのガンのドライバーとして働いている変異型 K-ras 阻害剤があり、アムジェンのソトラシブや、Mirati のアダグラシブなど、実際の治験が進んでいる。

今日紹介するテキサス South-Western Medical Center からの論文は、エストロジェン受容体に対する標的薬を修飾するうちに、エストロジェン受容体への反応が消失する代わりに、ERストレスを誘導できる薬剤が開発できたという話で、標的薬開発と Chemical biology が合体したような研究だ。タイトルは「Targeting LIPA independent of its lipase activity is a therapeutic strategy in solid tumors via induction of endoplasmic reticulum stress(LIPAのリパーゼ活性とは異なる部位を標的にすると、固形腫瘍の小胞体ストレスを誘導して治療する薬剤になる)」で、6月2日 Nature Cancer に掲載された。

すでに述べたように、エストロジェン受容体に対する化合物 E-11 を様々に修飾しているうちに、エストロジェン受容体を全く発現していないトリプルネガティブ乳ガンの増殖を抑える薬剤 E-RX41 が出来てしまったところから、この研究は始まっている。即ち、化合物がまず存在し、その作用に関わる生物学的過程を明らかにする chemical biology がこの研究の柱になる。

この論文を読むと、chemical biology はこうあるべきだというお手本になる重厚な研究であることがわかる。順を追って、解説しよう。

  1. まず、エストロジェン受容体を発現しないトリプルネガティブ乳ガン(TNBC)に効果があることを確かめた後、ERX-41 により誘導される遺伝子発現から TNBC のERストレスを誘導して細胞死を誘導している可能性を発見、この可能性を生化学的、細胞学的に確かめている。
  2. 次にクリスパー/Cas9によるノックアウト解析で、ERX-41 抵抗性になる分子を探索、lysosomal acid lipase Aがその標的になっていることを突き止める。即ち、ER で LIPA の機能が阻害されるとERストレスが誘導され、ガン細胞の細胞死が誘導される。
  3. 幸いなことに、LIPA は正常組織での発現は少ない一方、多くのガンで発現が高まっており、今後様々なガンを抑える薬剤として使える。
  4. ERX-41は LIPA のリパーゼ活性ととは異なる、LXXL モチーフに結合し、これにより何らかのメカニズムで、タンパク質の折りたたみに関わる分子の発現を抑制し、その結果 ER に折りたためないタンパク質がたまってストレスが誘導され、ガン細胞が殺される。

以上、構造解析を含む可能な全ての方法が総動員され、LIPA への ERX-41 結合が、分子折りたたみに関わるシャペロンなどの発現を低下させ、ERストレスを誘導することで、多くのガンの弱点を突けることを明らかにしている。

実際には、副作用などについてさらに詳しい解析が必要とは思うが、是非 K-ras 阻害剤や、BRD阻害剤などに続く、新しい抗がん剤として発展してほしい。

カテゴリ:論文ウォッチ

6月4日 キリンの首はなぜ長い(6月3日 Science 掲載論文)

2022年6月4日
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ガリレオにより「科学」という、それまでにはなかった新しい「知」の可能性が示された後も、生物は科学の対象外にあった。勿論科学的に考えようとした18世紀のビュフォンを代表とする自然史研究者も、目的に導かれるように見える生命の進化を、ガリレオが示した真知形成の手続き、すなわち「科学」的に説明することは出来なかった。そこに登場したのが19世紀のダーウィンで、多様化と自然選択で進化を説明した。まさに、物理世界の因果性には存在しないアルゴリズムが、科学に登場した瞬間だと思う。

進化のアルゴリズムについて、用不用説を唱えたラマルクとダーウィンを比較する時に使われるのが、キリンの首の話だ(例:https://edu.glogster.com/glog/lamarck-vs-darwin/2d1tlii5fam?=glogpedia-source)。私も授業に使っているが、自然選択説でも、用不用説でも、首が伸びる目的は、高い木の上の葉を食べるというニッチ獲得になっている。

今日紹介する北京、中国科学アカデミー研究所からの論文は中国ジュンガル盆地で新しく見つかった、1600万年前のキリン科の哺乳類 Discokeryx xiezhi の骨格解析から、キリンの首はメスを巡るオス同士の戦いが選択圧になったという研究で、6月3日号 Science に掲載された。タイトルは「Sexual selection promotes giraffoid head-neck evolution and ecological adaptation(メスを巡る戦いがキリン科の長い首の進化と適応を促した)」だ。

研究は、骨格の解析、そして時代検証につきる。

私が知らなかっただけだが、この研究の前から首をハンマーのように用いて戦うために、首の長さが伸びたとする説は提唱されていた。ただ、今回解析された Discokeryx xiezhi は、キリン科ではあるが首がどっしりしてそう長くない。

特に頭の骨を見ると、かなり厚く、頭同士をぶつけ合って戦うスタイルに適しており、首の骨もそれに適応して、強い力を分散させる構造になっている。事実、首モデルで有限要素解析を行うと、頭をぶつけ合ったときの力を分散できることが示されている。そして、おそらく戦ったことによる骨髄炎の名残も観察できる。

一方、頭をぶつけ合う戦いに向かないキリン科の化石も見つかっているが、この場合は首がローテートしやすい構造を持っており、首を巻き付けて戦うのに適したようになっている。

即ち、首そのものを戦いに使えるキリンと、頭をぶつけるブルファイト型のキリンが見つかったことで、高い木の葉っぱを食べるという、食料ニッチではなく、他のオスに勝つという戦いが選択圧になったと言う結論だ。

では、当時キリンが生息していた世界は、高い木がニッチにはならなかったのか?これについては、歯のエナメル質アイソトープ解析から、少なくとも Discokeryx xiezhi は、木の上の葉を主食としていたわけではないことが示された。

以上、次回からラマルクとダーウィンの話は、もう少し複雑な話として語る必要がありそうだ。

カテゴリ:論文ウォッチ

6月3日 老いの覚悟:幹細胞システムを襲う急激な変化(6月1日 Nature オンライン掲載論文)

2022年6月3日
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今日で74回目の誕生日を迎えた。なんとかボケまいと、毎朝、論文ウォッチに取り組むが、始めた頃と比べると様々な機能が落ちているのがわかる。それでも、なんとかやれると納得していても、毎日論文を読んでいると、老いる覚悟を残酷にも迫る論文に出会うことになる。

そんな論文の中でも、今日紹介するウェルカムサンガー研究所と、現役時代レビューボードを務めていたケンブリッジ幹細胞研究所が、2日前に発表した、血液幹細胞システムを襲う急激な老化についての論文は、自分の骨髄で今起こっている老いの過程を覚悟させるが、極めてインパクトの高い研究だ。タイトルは「Clonal dynamics of haematopoiesis across the human lifespan(人間の一生を通した造血システムでのクローン動態)」だ。

老化が進むと、遺伝子に蓄積された変異により、他の幹細胞クローンより増殖力の高い幹細胞が選択され、最終的に造血幹細胞の数が減り、またガン発生の頻度が高まることは、血液のクローン性増殖として、重要な老化指標になっている。ただ、これまでの血液細胞全体を deep sequencing する方法では、70以上の高齢者の1−2割にこれが見られるとされており、まだ他人事だった。

この研究は、クローン性増殖の有無をより正確に把握するため行われた驚くほど大規模な全ゲノム解析で、70歳以上4人を含む10人の臍帯血、末梢血、あるいは死後凍結保存された骨髄細胞から、FACSで未熟幹細胞を精製し、細胞を一個ずつ増殖因子とともに培養してできたコロニーごとに全ゲノム解析をおこなっている。14カバレージで解読できたクローンのみをデータとして用いている。各個人から200ー400個のコロニーが得られ、トータルで3500を超す全ゲノム解析が行われている。我々日本から見ると驚くほどの数だ。

まず、試験管内でのコロニー形成能は年齢間でほとんど差はない。そして、予想されるように年齢とともに徐々に突然変位数は上昇し、またテロメアの長さは短くなっている。ところが各細胞クローン内で配列を比較して、細胞間の多様性を調べてみると、低い頻度ではあるがテロメアが長く維持されているクローンも存在し、おそらく長く静止期に合った幹細胞が、造血プールに入ってきたのではと考えている。

次に、全ゲノム配列の変異を元に、クローナル増殖が起こっているかを、それぞれのゲノムの系統樹を書いて比べると、ゲノムから計算される実働幹細胞数は50000から250000で、目立ったクローナル増殖は見られない。

ところが70歳以上の4人を調べてみると、驚くことにこれまでの計算を遙かに超すクローナル増殖が見られる。実際の図と数字を見ると本当に驚くが、まず1−2割の高齢者ではなく、4人とはいえ全員にクローナル増殖が見られる。しかも、クローナル増殖に由来する血液細胞の割合は、これまで計算されてきた3−5%の10倍で、30ー60%に達している。すなわち、70歳を超すと、これまで見られなかったクローン増殖が一人あたり10−20幹細胞で起こり、その結果半分近くの造血がクローン増殖由来になっていることがわかった。まさに、私の骨髄で今起こっている。

しかしどうして70歳の壁なのか。これについては、アミノ酸変換を伴う変異が少し高いことから、増殖優位選択が行われている以外は、明確ではない。しかし、クローナル増殖を、いくつかの変異や選択を組みあわせて考えるABCモデルでは、4人のクローナル増殖動態をモデル化できることから、変異は時間をかけて蓄積し、必要な条件が合わさる確率が指数的に上昇するとすることで、説明できるとしている。

もちろん、ニッチの状態や、老化細胞の脆弱性など今後さらに調べるべきことは多い。しかし、時間をかけて老化が進むとは言え、それが突然のように現れることがよく理解できた。これはおそらく血液だけではない。様々な幹細胞臓器でこれが進んでいる。そのことをしっかり覚悟した誕生日の論文ウオッチになった。

カテゴリ:論文ウォッチ

6月2日 臭いを感じて認識するダイナミックス(5月18日号 米国アカデミー紀要 オンライン掲載論文)

2022年6月2日
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日本の研究は、研究機関やメディアで紹介されるので、紹介は控えているが、今日の論文は毎日ワインを飲みながら感じていることに近いので、あえて紹介することにした。

どんなことを考えているかだが、ワインテースティングは決して感覚の問題ではない。香りと味の様々な要素を言葉にするとともに、様々な記憶を呼び起こして判断する。おそらく言葉にすることで、より鮮明に記憶を呼び起こせる。これが面白いので、失敗をいとわず、なるべく違うワインをトライして楽しむようにしている。もちろん私の余命と比べたとき、ワインの種類はほぼ無限と言っていいので、飲み尽くす心配はない。

さて、今日紹介する東京大学からの論文は、10種類の同じ強さの異なる臭い(快適な臭いから不快な臭いまで)を嗅いだときの脳波を調べ、最初の刺激がどのように認識として脳内に表象されるかについて調べた研究で5月18日米国アカデミー紀要にオンライン掲載された。タイトルは「Spatiotemporal dynamics of odor representations in the human brain revealed by EEG decoding(人間の脳内に形成された臭いの表象の時間空間的ダイナミックスが脳波の解読から明らかになる)」だ。

研究では22人の被験者について、10種類の臭いに対する主観的な印象を調べるとともに、脳波を記録し、それぞれの臭いに対する脳波の反応から臭いの種類をデコードできるモデルを作成し、このモデルから臭いが認識されるまでの過程を追いかけた研究だ。脳研究では普通の手法で、頭皮の外側からの脳波記録なのでどこまで正確なモデルを作成できるのかちょっと心配になるところだが、臭いの刺激を受けてから1秒間程度の経時的変化を記録して、64電極による空間的記録と合わせることで、基本的には臭いの種類を十分区別できるモデルが出来ている。実際、言語認識の研究を別にすると、時間ファクターも含め総合的に判断するモデルの論文はほとんど読んだことがなかった。いわばビッグデータ解析なので、全ての詳細を省いて、結論だけをピックアップすると、以下のようになる。

  1. 臭い刺激に対する脳の反応は150msぐらいから始まり、これが刺激に対する一次感覚を反映している。
  2. これが刺激の認知として始まるのは、300msぐらいからで、不快な臭いほど反応が早い。
  3. その後、それぞれの臭いを特徴付ける反応は脳全体に広り進化して、ほぼ1秒間かけて認識のピークに達する。
  4. 脳の各領域に応じて、反応のピークは異なる。即ち、臭いの認識が時間をかけて進化することを示している。
  5. 特に臭いの質を判断する認識に、言語に関わる Broca 領域が関わっているのは面白い。

以上、全てすっ飛ばして自分がワインを感じている時を思い出しながらまとめてしまったので、著者には申し訳ないことをしたかもしれない。しかし、個人的体験を後追いでき他という意味で、本当に楽しめる論文だった。

今後、それぞれの領域が、一つの臭いの構成にどのような意味を持つのか、AI を超えた解析が進むことを読者として期待したい。

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6月1日 思春期に睡眠が妨げられると、新しい出会いへの好奇心が低下する(5月26日 Nature Neuroscience オンライン掲載論文)

2022年6月1日
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私たちの精神形成にとって、思春期の重要性を疑う人は誰もいない。しかし、我々がこの時期に受ける社会からの影響は極めて複雑で、発達に影響する様々な行動を特定し、それを是正することは簡単でない。また、この時期に神経学的な介入を行える動物モデルを作ることはさらに難しい。

今日紹介するスタンフォード大学からの論文は、人間を含むほとんどの動物で共通にみられる行動の一つ、睡眠を取り上げ、思春期に慢性的に睡眠を妨げられたマウスが、新しい経験への好奇心が低下すること、およびそのメカニズムを神経学的に解明した論文で、眠りを取り上げたことで、マウスと人間をつなぐ将来の実験が可能にできる研究だと言える。タイトルは「Adolescent sleep shapes social novelty preference in mice(思春期の睡眠は新しいものへの好奇心形成に関わる)」で、5月26日 Nature Neuroscience にオンライン掲載された。

この研究では脳波を調べながら、生後35〜42日(この時期をマウスの思春期としている)の1週間、睡眠に入ったとき、床を動かせて眠りを慢性的に阻害する介入を行っている。42日以降は普通に過ごさせ、56日目に、マウスの社会性を調べる実験を行っている。

行動実験の概要だが、まず1番目のマウスと対面させ、一定期間後、今度は、1番目のマウスに加えて2番目の初対面のマウスを用意し、それぞれに対する反応を調べるというものだ。

元々マウスは好奇心旺盛な動物で、1番目のマウスに出会ったときはそちらに興味を引かれるが、次に一度出会ってなじんだ動物と、初対面の動物のどちらに興味を示すかを比べると、初対面のマウスの方により興味を示すことが知られている。ところが、思春期に眠りを妨げられたマウスでは、1番目のマウスと出会ったときの反応はコントロールと違いはないが、次に1番目と初対面のマウスを同時に提示したとき、初対面の方にはほとんど興味を示さない。これは思春期に眠りを妨げたときだけに起こる現象で、大人になってから同じような処置をしても、この変化は現れない。

後は、この変化の神経学的メカニズムについて調べている。初対面マウスへの好奇心に関わる腹側被蓋のドーパミン産生ニューロンに焦点を絞り、カルシウム流入を調べながら行動を追跡すると、行動と一致して、1番目のマウスと出会ったときの反応には変化がないが、次のトライアルで1番目と初対面マウスに出会ったときに、コントロールで見られる初対面マウスに対して見られる強い反応が、思春期に睡眠を妨げた群では強く抑えられているのが明らかになった。

腹側被蓋ドーパミンニューロンは、側坐核と前島皮質へと投射しており、そこでのドーパミン分泌を調べると、正常マウスでは1番目のマウスと出会ったとき、側坐核でのドーパミン分泌が上昇した後すぐに低下するのに、眠りを妨げられた群では、上昇したドーパミン分泌が、ほとんど低下しないこと、そして2回目のトライアルでは、初対面のマウスに対して反応したときに起こるドーパミンの分泌が全く起こらないことが明らかになった。即ち、最初に出会ったマウスに強く反応が固定されてしまって、その後他のマウスへの興味が断たれていることがわかった。

そして、睡眠を妨げられることで、腹側被蓋と側坐核の投射が強まり、一方腹側被蓋と前頭皮質との結合が低下することが、このドーパミン分泌、および行動の差につながっていることを明らかにしている。

以上、わかりやすくまとめてしまうと、特に思春期の睡眠が阻害されることで、腹側側坐核ドーパミン神経の投射が大きく変化し、その結果最初に出会った方のマウスに好奇心が固定化されることが、この行動変化のメカニズムであることがわかった。

この最初でに出会ったマウスに好奇心が固定され、新しいマウスに向かない現象は、マウスの自閉症モデルでも見られるので、最後にこの自閉症モデルマウスの症状も、睡眠障害で説明できないか調べている。結果は期待通りで、モデルマウスでは思春期の睡眠が自然に妨げられおり、その結果腹側被蓋ドーパミンニューロンと側坐核の投射増加していることがわかった。すなわち、思春期に睡眠を妨げたのと同じ状態を、自閉症モデルマウスが示すこが明らかになった。

驚くことに、自閉症モデルマウスの思春期の睡眠を、薬剤で正常化してやると、このドーパミン神経の変化が起こらないことを示し、少なくとも自閉症モデルマウスの好奇心欠如を、睡眠を正常化させることで治療できる可能性を示している。

以上、大変面白い研究だと思うが、これを人間に当てはめていくにはまだまだ時間がかかる印象だ。

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5月31日 フォスフォグリセリン酸デハイドロゲネースはガン転移を抑える(5月18日 Nature オンライン掲載論文)

2022年5月31日
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昨日はガンの悪性転換の epigenetics について論文を紹介したが、epigenetics とともにガンの悪性化について注目されているのが、ガンの代謝だ。この分野は、食事などを通してある程度介入が可能なので、研究領域としてかなり拡大している印象がある。私も、ガンの代謝についてはできるだけ読むようにしているが、今日紹介するベルギーガンセンターからの論文のように、代謝かと思って読むと大きく期待を裏切られる論文もあるので、そんな例として是非紹介したいと思った。タイトルは「PHGDH heterogeneity potentiates cancer cell dissemination and metastasis( PHGDH の発現多様性がガンの伝搬と転移を高める)」で、4月18日 Nature オンライン掲載された。

タイトルにある PHGDH とは、フォスフォグリセリン酸ハイドロゲネースのことで、NAD を補酵素としてフォスフォグリセリン酸をフォスフォノオキシピルビン酸に変える一種の還元酵素で、この酵素がないとセリン合成が傷害されることから、欠損すると代謝病を誘発する。

このようにれっきとした酵素なので、タイトルを読むと、「ナニナニ!こんな代謝酵素がガンの転移に働いているのか?」と興味を持つのが普通だ。読み進むと、確かに PHGDH の発現が低い細胞が、血中を流れるガン細胞や転移巣では多く見られることを示しており、ガンの伝搬や転移をこの酵素が抑えていることが示される。また、遺伝子をサイレンシングする実験から、人為的に PHGDH の発現を低下させると、ガンが転移しやすくなることを実験的に示している。

そして、この PHGDH の低下により、インテグリンの一つ avβ3 インテグリンのシアリル酸化が高まり、これがガンの転移を誘導していることを示している。シアリル化でインテグリンが活性化されて、ガンの転移能が上昇すること自体は、何ら驚くことではないが、問題はなぜフォスフォグリセリン酸でハイドロゲナーゼがこの過程に関わっているのかを調べることだ。

詳細を省いてこの研究の結論を述べると、PHGDH が低下すると、フルクトース6リン酸をフルクトース2リン酸へ転換する PFKB の活性が低下し、結果的にフルクトース6リン酸がシアル酸合成の方にリクルートされることを発見する。結局グルコース、フルクトースの経路にこの転移でも問題が集約された。

最後の問題は、どうして PHGDH の低下がこの過程を媒介しているのかだが、ここでドンデン返しが待ち受けている。即ち、PHGDH の低下の効果は、この酵素の活性とは全く無関係で、酵素タンパク質自体が PFKB と直接結合することで、フルクトース6リン酸を、シアル酸化経路にリクルートしていることを示している。実際、PHGDH の酵素活性を阻害する化合物では、同じような転移を誘導することは出来ないし、また遺伝子操作の実験から酵素活性を欠如させた PHGDH 分子でも、ガンの転移を抑制することが出来ることを示している。

このどんでん返しは大きい。すなわちこの過程に PHGDH が酵素として働いておれば、酵素活性を高めたり落としたり出来る化合物が開発できるかもしれないが、PHGDH と PFKB の直接結合だとすると、改めてタンパク質同士の相互作用を阻害する分子を探すしかない。

論文は以上で、このどんでん返しでよく論文が掲載されたなと思うが、結局この研究でもグルコース代謝経路のバランスの重要性が認識された。

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5月30日 前立腺ガンエピジェネティックス研究の一種のお手本(5月25日 Science 掲載論文)

2022年5月30日
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次世代シークエンサーが導入されてから、ガンの研究が、まず、ゲノムの変化とガンの発生や経過を対応させる試みから始まった。これは大きな成果を生み、ガンの標的分子の同定やガン免疫の対処法になるネオ抗原の特定を通して、新しい治療開発をリードしてきた。

一方で、ガンの発生や進行を支えるのはゲノム変異だけでないことも明らかになってきた。特に、前立腺ガンでは、治療によりうまくコントロールされていたアンドロゲン依存性の段階が、医者も気づかないうちに悪性転換を遂げてしまうことがよく知られている。私も友人をこの悪性転換で失ったが、普通の経過観察で病院を受診したとき、もはや治療の方法がないと宣告されるという過酷なものだ。この過酷さについては、亡くなった西郷輝彦さんの闘病経過が報告されることで、広く知られているようになった。

この課題を克服して、悪性転換した前立腺ガンを治療できるようにするには、遺伝子の発現を調節しているエピジェネティックスを調べる必要がある。今日紹介する米国コーネル大学からの論文は、まさにこの課題にチャレンジして、一つの治療標的を発見した研究で、5月25日Scienceに掲載された。タイトルは「Chromatin profiles classify castration-resistant prostate cancers suggesting therapeutic targets(去勢抵抗性の前立腺ガンの染色体プロファイルにより分類することで治療標的が特定できる)」だ。

しかし、この研究を読んで改めて認識したが、最近のガン研究を後押ししている最も有効な技術の一つは、慶応の佐藤さんたちが開発してきた臓器のオルガノイド培養ではないかと思う。この研究でも、前立腺ガンのオルガノイドライブラリーをまず整えた上で、オルガノイドのクロマチンの on/off を何度も紹介している ATAC-seq と呼ばれる方法で解析している。

この結果、前立腺ガンは、ゲノムに特段の変化がなくても、クロマチンの違いで、少なくとも4種類に分類できることを示している。クロマチン変化も、結局は遺伝子発現に反映されるのだから、一般的転写プロファイルで話はすむのではとも言えるが、現在急速に進むゲノムや様々なオミックスに対するインフォーマティックスの進歩の結果、クロマチンと対応させることで、より機能的なガンに関わる転写のネットワークを明らかに出来ることが、この研究でも示されている。そして、この結果、それぞれのガンのタイプを決めている特徴的な転写因子ネットワークやシグナルについて明らかにしている。

また、オルガノイドの解析から導いたそれぞれを特徴付ける転写因子が、そのまま悪性転換した前立腺ガンの患者さんの分類にも使えることを示している。この臨床分類は重要で、例えばアンドロゲン治療に抵抗性が獲得されたとはいえ、まだアンドロゲン受容体が転写ネットワークの中核に存在するガンのタイプは、新世代のホルモン治療組み合わせが、他のタイプと比べてより効果を示すことから、分類に基づく治療が可能になることを示している。

このタイプ以外のガンは、これまで他の方法で特定されていた、Wntシグナルが強く効いているタイプ、神経内分泌系の転写経路が強く発現したタイプに加え、全く新しい幹細胞に見られる転写因子が強く発現したタイプの3種類だが、この研究では新しく見つかった幹細胞型に特に焦点を当てて、解析を進めている。

その結果、幹細胞型のクロマチン変化を誘導する最も重要因子として、AP1 と、それと直接結合するYAP、TAZ、TEAD が存在することを示している。そして、YAP システムや AP1 を阻害することで、このタイプの増殖を強く抑制できることを示している。

以上、極めて単純省略して紹介したが、実際のデータは膨大で、ガンのエピジェネティック研究の方向性を知る意味で重要な研究だと思う。

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5月29日 糖尿病で傷の治りが悪い一因としてのエフェロサイトーシスの低下(5月25日 Nature オンライン掲載論文)

2022年5月29日
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エフェロサイトーシスは、ラテン語の死体を墓に埋めるという意味のefferreから命名された言葉で、死んだ細胞が食細胞によって処理されることを意味する。実際、この機能のおかげで、多くの細胞が死んでしまう炎症や損傷部位でも、死細胞の数が上昇しない。

今日紹介するベルギーのVIB炎症研究センターからの論文は、炎症局所の樹状細胞によるエフェロサイトーシスを抑制するアミノ酸トランスポーター SLC7A11 が、糖尿病で上昇して損傷治癒を遅らせる原因になっているという研究で、5月25日 Nature にオンライン出版された。タイトルは「Targeting SLC7A11 improves efferocytosis by dendritic cells and wound healing in diabetes(SLC7A11を標的にすることで樹状細胞によるエフェロサイトーシスを正常化し糖尿病での損傷治癒を早める)」だ。

おそらくこのグループの目的はエフェロプトーシスを調節する様々な方法を開発することだろうと思う。マウス骨髄由来樹状細胞に、細胞死進行中のヒト細胞を取り込ませ、エフェロサイトーシスにより誘導される分子を探索している。実際には200近い遺伝子がエフェロサイトーシスで変化するが、その中から最終的に SLC7A11 を選んでいる。おそらく、この分子のトランスポート機能を阻害するエラスチンがすでに存在して研究がやりやすいのだろうと思う。実際にはエフェロサイトーシスは細胞ごとに異なる分子が働く複雑な過程だと思う。

いずれにせよ SLC7A11 はエフェロサイトーシス過程で発現が上昇し、エラスチンを用いて阻害するとフェロサイトーシスが高まることを発見している。即ち、エフェロサイトーシスが始まると、発現を高めてブレーキをかける分子であることがわかった。

次に SCL7A11 の機能を、エフェロサイトーシスが働く皮膚の損傷治癒過程でしらべているが、エラスチンで阻害するだけでははっきりと差が出ないようで、エフェロサイトーシスを刺激するため、死細胞を損傷部位に注射してエフェロサイトーシスを高めるためのちょっとしたトリックが使われている。基本的には細胞死が多く起こって炎症が高まっていることがエフェロサイトーシスにとっては重要だ。そして、この系で見ると、損傷治癒がエラスチン投与で促進することを確認している。

次に、SCL7A11 のエフェロサイトーシスブレーキのメカニズムを調べ、

  1. SCL7A11 ノックアウト樹状細胞では、グリコーゲン分解と、そこで出来たグルコースの嫌気的回答が高まっていること、すなわちSCL7A11は代謝を抑えてエフェロサイトーシスを抑えていること、
  2. SCL7A11 を阻害することで TGF ファミリー分子の一つ GDF15 が分泌され、エフェロサイトーシスが組織に分泌され、それがまたフェロサイトーシス上昇へと変えること、

を明らかにしている。

このようにグルコース代謝がエフェロサイトーシと接点を持ってきたので、最後に2型糖尿病モデルマウスを用いて CL7A11 の発現と機能を調べ、糖尿病マウスおよび GDF15 ノックアウトマウスでは SCL7A11 が強く上昇し、またこの機能を抑えると糖尿病マウスでも損傷治癒が早まることを示している。

最後のメカニズムの方は、結果か原因かがわかりにくい実験が行われており、切れ味はもう一つだが、エフェロサイトーシスを調節する一つの標的分子が見つかったことは、炎症や老化研究にとっては重要だと思う。

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5月28日 アマゾンのジャングルに覆われた伝説の都市遺構(5月25日 Nature オンライン掲載論文)

2022年5月28日
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伝説の文明の存在を信じて熱帯のジャングルを分け入って進むと、突然、朽ち果ててはいても、往時を偲ぶことが出来る大建造物に出くわすという話は、例えばアンコールワットの再発見を思い出すわくわくする話だが、このような冒険談とはかなり違うが、それでもわくわくする、アマゾンジャングルに隠れている遺跡の発見が、ボン大学のドイツ考古学研究所から5月25日 Nature にオンライン発表された。タイトルは「Lidar reveals pre-Hispanic low-density urbanism in the Bolivian Amazon(Lidarによる探索によりスペイン制服以前の人口の少ない都市生活様式がボリビアアマゾンで発見された)」だ。

タイトルにあるLidarはすでに様々なスマフォにも搭載されている、光で対象物を探り、その距離をはかるテクノロジーで、例えば車の自動運転に欠かせないセンサーにもなっている。

この研究ではジャングルにより覆われているため、衛星写真などでは発見できなかった遺跡も、Lidarによりその輪郭を発見できるのではという着想に基づいて行われている。

対象は、ボリビアで紀元後500年から1400年にかけて栄えた Casarabe 文明で、伝説ではなく、ボリビア4500平方キロメートルに広がって発見される200カ所に渡る小規模の遺跡からその存在が知られていた。ただ、これらの遺跡は都市化とは全く無縁で、一つの大きな社会システムが存在していたのかどうかが焦点になっていた。

そして、オーストリア製の精密なLidarをヘリコプターにぶら下げて、200平方キロメートルにわたってスキャンしたところ、ついに人口密度は低いと考えられるが、都市と思われる遺構を発見できたというのがこの研究の全てだ。

従って、実際の遺跡に人間が踏み入ったわけではなく、大きな構造物の輪郭が画像的に再構成されただけで、昔の探検記にある興奮はない。しかし、3重の城壁に囲まれた中心に20mにも及ぶピラミッド状の構造物や、U字型の大きな構造物が見事に立体化されているのを見ると、やはり大発見だと胸が躍る。この論文は free access なので是非論文のウェッブサイトを眺めてほしい(例えば図2:https://www.nature.com/articles/s41586-022-04780-4/figures/2)。現代のインディージョーンズは、スーツを着ていて仕事が出来るという話だ。

通常なら、その後探検隊がジャングルに分け入って、写真でも撮って論文化されるのだろうが、この Lidar の威力を見ると、その興奮で掲載されたのだと思う。もちろんすぐに実際の写真も発表されるだろう。

しかし、このような市販品の威力を見ると、ドローンに積んで当然戦争に使われているはずで、ウクライナでも Lidar 戦争が繰り広げられているのだろうと、悲しい思いにも駆られるこの頃だ。

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5月27日 驚くことにケモカイン(CCL5/CCR5)が海馬神経に働いて記憶を整理している(5月25日 Nature オンライン掲載論文)

2022年5月27日
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ケモカインは、発生や炎症で白血球やリンパ球を惹き付け、炎症を維持する働きがあるが、他にも神経系の発生に関わることを示唆する多くのエビデンスが挙げられている。ただ、私が知る限り、神経細胞同士の相互作用に関わり、神経機能を直接制御しているという論文は見たことがなかった。

今日紹介するカリフォルニア大学ロサンゼルス校からの論文はマクロファージからリンパ球まで広いスペクトラムの細胞に作用する CCL5 とその受容体が神経系に発現し、context memory と呼ばれる異なる事象の記憶のアンサンブルを整理しているという驚くべき発見で、5月25日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「CCR5 closes the temporal window for memory linking(CCR5は記憶を連結させる時間間隔を短くする)」だ。

この研究では、AイベントとBイベントを様々な間隔で経験させ、Bイベントの後で電気ショックを当てたとき、Aイベントも悪い経験として残っているかという課題を用いている。当然、AイベントとBイベントの間隔が開くと、記憶の連合は消失していく。

この研究では、まずマウスがケージの中で様々な経験をしたとき、海馬神経細胞が CCL5 やその受容体 CCR5 を発現するかを調べている。結果、ミクログリアではなく、神経細胞自体の CCL5、CCR5 の発現が高まることを確認している。また、CCR5 刺激が発生したとき、刺激細胞が標識出来る方法を用いて、経験した後少し時間をおいて神経細胞がラベルされることを確認し、神経細胞が実際に CCL5 刺激を受けて反応していることも確認している。

次は、CCL5 を脳内に注射したり、CCR5 機能をノックアウトして、このシグナルの記憶の連合への役割を調べると、CCL5/CCR5 シグナルは記憶が連合するのを抑える働きがあることを明らかにする。即ち、CCL5 シグナルが高まると、短い間隔でも2つのイベントの連合確率が低下する一方、CCR5 機能がノックアウトされると、2つのイベントの間隔が開いても記憶の連合が維持されることを明らかにした。

次に神経生理学的に、CCL5/CCR5 シグナルによって、神経興奮が抑えられること、2つのベントで重複して興奮する神経細胞が低下すること、逆に CCR5 シグナルが欠損すると重複して興奮する細胞数が上昇することを明らかにし、CCR5 シグナルが異なる事象間の連合を抑えることで、記憶が混乱しないよう働いていることを明らかにしている。

以上が主な結果だが、マウスではあるが年齢とともにこのシグナルが上昇し、連合機能が落ちていることも示している。要するに、現象に対してどうしても視野が狭くなることを意味しているのだろう。

CCR5 が記憶に働くことにも驚くが、記憶成立時の整理をしてくれているとはもっと驚く。将来、このシグナルを操作して、記憶の混乱を防いだり、連想力を上げたり出来るかもしれない。

カテゴリ:論文ウォッチ
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