2016年12月25日
これまで特定の遺伝子の機能を個体レベルで調べるためには、遺伝子操作による逆向き遺伝学や、突然変異を多くの遺伝子に誘導した系統を作成し、遺伝子と形質を対応させる前向き遺伝学が使われてきた。研究の性質上、当然様々なモデル動物を用いて研究が進められてきたが、昨日述べたようにゲノムの塩基配列が解析された人間の数が増えてくると、ほとんどの遺伝子について、欠損個体が存在し、しかも動物と比べてさらに詳しい症状が解析可能という状況が生まれている。即ち、様々な異常を訴えてくる患者さんの病院での観察から、特定の遺伝子の機能を明らかにする基礎研究が、シームレスにつながっている。
このことを物語る典型例と言える論文が、英国、ブラジル、カナダ、オランダ、ドイツの研究者たちからNatureオンライン版に発表された。タイトルは「XRCC1 mutation is associated with PARP1 hyperactivation and cerebellar ataxia(XRCC1の突然変異はPARP1の過剰活性と小脳性運動失調を誘導する)」だ。
論文は一人の小脳性運動失調症を訴える47歳女性患者の症例報告から始まる。28歳までは正常だったが、それ以後運動障害が始まり、来院時にはMRIで強い小脳萎縮が認められている。萎縮の原因を特定するため様々な検査が行われ、最終的にエクソームを検査してXRCC1遺伝子の突然変異が両方の染色体(片方は1293番目、もう片方は1393番目のアミノ酸)で起こっていることが判明する。
Xccr1は酸化ストレスなどで起こるDNAの一本鎖切断を修復する多くの分子を束ねる重要な分子であることがわかっており、遺伝子が欠損したマウスは生まれてこない。一方、この分子と複合体を作る修復酵素の多くが小脳細胞死を誘導することも明らかになっており、この患者さんの解析を進めれば、なぜDNA修復酵素の機能異常が小脳性の運動失調症を誘導するのか研究することができる。
そこでこの患者さんから細胞株を樹立して検討し、患者さん由来の細胞株では発現タンパク質が5%程度に低下しているが、一応存在していることが30歳近くまで正常の生活を送れた理由であることがわかる。しかし、DNA一本鎖切断時の修復が遅れ、その結果組換え確率が高まるなど、染色体異常が誘導されることが明らかにされる。
これらの線維芽細胞による結果から、一本鎖の修復が遅れるため、修復箇所を特定する役割を持つPARP1タンパクが働きすぎて、ADP-リボシル化が起こり、NADが余分に除去されるため、神経細胞が死ぬのではないかと仮説を立て、患者由来細胞や、遺伝子ノックアウト線維芽細胞を用いて確認している。
さらにこの仮説を証明する目的で、神経特異的XRCC1ノックアウトマウスとPARPノックアウトマウスを掛け合わせ、運動失調が消失することを明らかにしている。
この結果は、XRCC1及びその結合タンパク質の異常に起因する運動失調はPARP1阻害剤で治療できる可能性を示唆する。さらに、アルツハイマー病など神経変異性疾患でもDNA修復遅れが細胞死を誘導している場合でも同じようにPARP1阻害剤が効く可能性がある。
このように、臨床から基礎、そして臨床というサイクルが患者を救えることが証明されれば、医学研究冥利につきるだろう。
この論文のような臨床と基礎の連携がうまくいく一つの要因は、DNA修復異常研究領域は昔からヒトの突然変異を使って研究を行う伝統があったからだと思う。ただ、ゲノム解読が進むことで、良き伝統は様々な分野にも広がると期待できる。
なぜ小脳症状が強いのかなど理解できないところもあるが、私にとっても、脳と修復の関係を理解させてくれる面白い論文だった。
2016年12月24日
我が国でも個人の遺伝子検査が普及してきているようだが、まだサービスを受けた人たちは10万人を超えたぐらいだろう。また、サービスの内容はSNPアレーを用いて50万から100万の部位の遺伝子多型を調べる方法が主で、会社ごとにそのプラットフォームが異なる。したがって、新しい事実が報告されても、その結果を取り込んで個人に情報として返すことができない。結果、一回検査を受けるとあとは何もできないで終わる。
この問題を解決するのが、ゲノムの塩基配列を調べてしまう方法で、完全なのは全ゲノムを解読してしまうこと、次がタンパク質をコードする遺伝子の全てを解読するエクソームだ。
私たちのNPOの役員の一人、安河内は全ゲノム解析を終えており、私が紹介した論文が報告している新しい方法を常に自分のゲノムで確かめて、その有効性を検証しておいる。このデータについてはいつか紹介したいと思っているが、個人ゲノムの第二段階が必ずくることを予見しての活動だ。我が国だけを見ていると、第二段階は当分先のことと思うが、アメリカでは急速に進んでいる。
ゲノムの塩基配列を解読するサービスを基盤に個人の遺伝子検査サービスを行う個人ゲノムの第二段階が今始まっていることを示す論文が12月23日号のScienceに、バイオベンチャーのリジェネロンと米国で電子化された患者記録を基盤に病院を含む様々な健康サービスを展開するGeisinger健康システムから発表された。タイトルは「Distribution and clinical impact of functional variants in 50,726 whole exome sequences from the DiscovEHR study.(DiscovEHRプロジェクトに参加する50726人のエクソーム配列解析に見られる機能的変異の分布と臨床医学的インパクト)」だ。
Geisinger Health Systemでは、患者さんのデータを電子化して保存、患者さんがどの医者にかかってもPCからデータ取り出せるようにしている。このサービスが積極的にエクソーム配列解読サービスを進めた結果、電子カルテとエクソームデータをリンクさせることができ、今回インフォームドコンセントの得られた5万人強のデータを解析し、論文にしている。この5万人のうち40%近くが、子供や親のゲノムデータも得られ、家系解析まで可能なビッグデータが生まれている。この事実が、この研究のハイライトで、今後同じデータを使って順々に検査項目を調べれば、新しいデータが無限に得られるという話だ。
一端だけを紹介すると、一人の個人はタンパク質をコードする遺伝子全体で、2万を超す多型を持っており、そのうち遺伝子の機能が欠損する変異はなんと平均21個も持っている。はっきり言って、全て正常な人などまずいない。5万人も調べると、全体で18万近い遺伝子機能が失われる変異をリストすることができ、1313個の遺伝子では両方の染色体でノックアウトされている個人が特定できる。これまでショウジョウバエ、ゼブラフィッシュ、マウスと突然変異を誘導するプロジェクトが進んできたが、これを上回る数の変異を人間で特定できるようになったことになる。
この研究では高脂血症や高尿酸値など様々な検査項目についての解析も示しているが、全て省略する。この論文の重要なメッセージは、患者さんの視点に立ってpeer to peerサービスを目指してきた健康サービスとゲノム検査サービスを組み合わせることの重要性、およびこれが民間主導で行われていることだ。これこそが、ゲノム検査第二段階の重要な要件になる。
こうして明らかになった遺伝子リスクの進行状態をエピジェネティックな状態として評価する可能性を肥満について示した論文がドイツのヘルムホルツセンターからNatureオンライン版に掲載された。タイトルは「Epigenome-wide association study of body mass index and the adverse outcomes of adiposity」だ。詳しく紹介しないが、ざくっとまとめるとメタボリックシンドロームにより、末梢血のメチル化状態が変化し、これが肥満の進行を反映するという話だ。
ゲノムサービス第三段階では、全ゲノム解析に基づき、遺伝子リスクを明らかにし、その進行状態を血液細胞のエピジェネティックな状態からチェックするというスキームかもしれない。
これから考えると、我が国はようやく第一段階入り口と言っていいだろう。なぜこうなったのか、最も大きな要因は患者さんの本当のサービスのためにゲノムを調べるという観点が研究者や役所に欠けていたことだと思う。再建のためにはまず反省が必要だ。
2016年12月23日
増殖中の細胞は高いストレスにさらされる。このようなストレスを解消できないと増殖を続けることができないため、がん細胞はこのストレスを和らげる様々なメカニズムを開発している。
今日紹介するニューヨーク大学医学部からの論文は、ドライバー分子としては最も多くのガンで働いている変異型KRASが、増殖中の細胞で増加する翻訳が途中で止まったタンパク質によるストレスを解消するストレス顆粒形成のメカニズムについての研究で12月15日号のCellに掲載された。タイトルは「Mutant KRAS enhances tumor cell fitness by up-regulating stress granules(変異型KRASはストレス顆粒形成を高めて腫瘍の適応性を促進する)」だ。
翻訳が途中で止まってしまったタンパク質とmRNAを速やかに処理するために大きな複合体にするメカニズムだと考えられている。この研究では、ストレス顆粒が高まるガンがないか探索し、KRAS変異を持つガン特異的にストレス顆粒が見られることを発見している。そして、KRASの様々な変異体を使った実験から、ストレス顆粒は活性化されたKRASがRAF経路を介して誘導されることを突き止める。
この発見がこの研究のハイライトで、あとはKRAS下流のシグナルを一つ一つ検討し、KRAS活性化がRAF経路を介してプロスタグランジン合成に関わる分子の転写を上昇させ、これにより細胞内のプロスタグランジンが上昇すると、mRNAをリボゾームにリクルートして翻訳を開始するプロセスを調節している分子の一つelF4Aを不活性化し、ストレス顆粒を誘導するというシナリオを示している。
またプロスタグランジンを加えるとストレス顆粒が上昇し、またプロスタグランジン合成阻害剤でストレス顆粒形成が抑えられることを示してこのシナリオを確かめている。
最後に、ストレス顆粒合成とがんの関係を知るため、プロスタグランジン合成酵素の発現量で膵臓癌を分けて予後を調べ、合成酵素が高い患者さんでは予後が悪いことを示している。
話はこれだけで、正直物足りない。ガンでのストレス顆粒形成のメカニズムを明らかにできたことはわかるが、この経路ががん治療の結びつくかどうかを明らかにできていない。モデル実験でもいいから、プロスタグランジン合成阻害剤により、膵臓癌の治療成績が上がるかどうかを調べて欲しかった。決して難しい実験でない。がん患者さんの生存率とストレス顆粒を調べた結果も、これを標的にすることで治療法が改善するという期待を持たせるほどではない。
憎きKRASの弱点がわかったかと期待を持ったが、最後にがっかりしてしまった。
2016年12月22日
パースの記号論的にいうと、言葉は究極のシンボルだ。対象と何の関係もない音の並びが具体的対象と関連づけられ、それが多数の個体によって共有される。「なぜ人だけにこれが可能になり言葉を話すようになったのか?」はおそらく21世紀最も重要な科学の課題として研究されるだろう。何とか書こうと準備を続けている本でも、ニューラルネットワークから言語への道について納得いくシナリオを探すことが今後2−3年の課題だと思っている。おそらく論文ウォッチにもこの分野が多く登場するのではと思う。
まだまだ皆が納得できるシナリオのないこの分野で、これまで誰もが疑わなかったドグマが、サルは解剖学的に複雑な音、特にコミュニケーションのキーになる母音を生成する能力が欠けているとする1969年Liebermanらにより発表された研究だ。確かにチンパンジーやゴリラを見ていても、鼻からうなるような音は出ても、複雑な音が出てくるとは思えない。
今日紹介するオーストリア・ウィーン大学からの論文はこのドグマに対して、アカゲザルはいくつかの母音を生成することができる、と真っ向から挑戦した研究で、12月9日号のScience Advancesにオンライン出版された。タイトルは「Monkey vocal tracts are speech-ready(サルの声道は話す準備ができている)」だ。
現在受け入れられているLievermanらの結論はサルの死体の解剖学的特徴から導かれている。これに対しこの研究ではアカゲザルの体だけを固定し、あとは自由に動かせる条件でX線ビデオを使って頭部を撮影し、様々な条件で声道の構造を撮影し、この画像から声道の実際の構造を再構築している。これまで、声帯から口腔までサルは短いため複雑な音が出ないとされていたが、実際にはサルも機能的に十分長い声道を持つことが判明した。
あとはさすが音楽の国だけあって、再構築した3次元モデルから、共鳴等の様々な音声学的特性を計算し、最後に声帯からの音がどう聞こえるかシンセサイザーで再現している。こうして得られた音域は人間と比べても充分広く、複雑な音の生成が可能だ。コントロールとして、Liebermanらの声道モデルを使って音域を調べると、彼らの結論通り極めて出せる音の種類が限定される。要するに、生きて声をあげているサルの声道と死体の声道は全く別物だったという話になる。
最後にI will marry youという言葉をサルの声道モデルで再現して、一般の人に聞いてもらったところ、十分理解できたという確認を行っている。
正直に明かすと、3次元モデルを作ってからの計算やシンセサイザーについては全くの門外漢で、この部分を評価することは私には難しい。この論文での計算が正しければ、サルも複雑な母音を発音できるという新しいドグマが誕生したことになる。
もちろん、全く音を出せなくとも、ニカラグァの聾唖の子供が自然発生させた新しい手話言語のように、人間には対象をシンボル化して共有する能力が備わっており、その解明ができないと言語の誕生は理解できない。それでも、私自身は音声が言語誕生の鍵を握ると思っており、その意味では重要な研究だと感心した。
2016年12月21日
今年7月10日、Alfred Knudson博士が亡くなった。研究の上では全く接点を持ったことはなかったが、Knudsonさんが2004年京都賞を受賞したとき、たまたま私が選考委員会の座長を務めた関係で、感慨深く悲しいニュースを聞いた。
Knudsonさんといえば、いうまでもなく網膜芽腫の発症を統計学的に解析しガン抑制遺伝子の概念にたどり着いた偉大な研究者だ。この網膜芽腫発生を抑制した遺伝子こそRb1で、現在では細胞周期の進行に必須のE2F分子と結合することで、細胞増殖を抑制することがガン抑制のメカニズムとして解明されている。
今日紹介するカナダ小児健康研究所からの論文は同じRb1がなんとゲノム中の繰り返し配列のサイレンサーとして働いているという研究で12月15日号のCancer Cellに掲載された。タイトルは「An RB-EZH2 complex mediates silencing of repetitive DNA sequences(RB-EZH2複合体は繰り返しDNA配列のサイレンサーとして働く)」だ。
Rb1が細胞周期以外の過程、特に転写抑制にも関わるとは想像だにしたことがなかったが、Rb1がポリコム遺伝子と結合して遺伝子発現を抑制しているという論文はこれまでも数多く発表されていたようだ。おそらく著者らには今回の結論は見えていたのだろう。まずRb1が結合しているゲノム領域を免疫沈降し調べ、細胞周期とは全く関わりのない領域、特にレトロトランスポゾンや内在性のレトロウイルス領域、そしてこれ以外の繰り返し配列に結合していることを見出している。
次に、細胞周期調節には関わらない832番目のアミノ酸の付近の領域でE2Fと複合体を作ることが繰り返し配列への結合に必要であることを明らかにする。この832番目のアミノ酸を変異させたRb1を持つマウスの系統を作成し、このマウスから樹立した線維芽細胞株を用いて遺伝子発現を調べると、この領域でE2Fとの結合ができないと、細胞周期には影響ないが、本来なら抑えられている繰り返し配列の転写が上昇していることを明らかにしている。
次に繰り返し配列のヒストン修飾を調べると、Rb1の突然変異では繰り返し配列特異的に抑制型のH3K27me3が消失していること、そしてこれにはEZH2を含むポリコム遺伝子複合体が予想通り関わることを明らかにしている。
繰り返し配列特異的にポリコム遺伝子複合体をリクルートするメカニズムについては今後の研究が必要だが、Rb1はE2Fと結合することで繰り返し配列特異的にポリコム遺伝子複合体をリクルートし、これにより抑制型のヒストン修飾を誘導することで、繰り返し配列の転写を抑制していることが明らかになった。
最後にこのRb1突然変異を持ったマウスを長期間観察すると、100%でリンパ腫が出現することを示し、繰り返し配列の転写が抑制されないと腫瘍発生の契機になることを示している。しかし私にとって不思議なのは、繰り返し配列の転写抑制が取れてもガンの発生に1年半以上かかることだ。これについては、繰り返し配列は外来抗原として免疫系に認識され排除されるのではと著者らは考えているようだが、まだ研究が必要な問題だ。
しかし、Rb1=細胞周期という単純な思い込みで満足せず、様々な可能性を探る研究者がいてくれるおかげで、新しい発見がある。ドグマにとらわれない若い研究者を育てることの重要性を認識する。
2016年12月20日
他の制度と違い、医療に関わる制度はその性質上たえず改善される必要がある。例えば現在問題になっている薬価もそうだし、医療と医療スタッフの関係など、多岐にわたる。ただ、制度の変更による結果を客観的に評価することは重要だ。おそらく我が国でも評価が行われていると思うが、できればその結果が審査をへた論文として発表されるのはもっと望ましい。
そんな例とも言える論文がコロラド大学を中心とする研究グループから12月6日発行の米国医師会雑誌に掲載された。タイトルは「Association between end-of-rotation resident transition in care and mortality among hospitalized patients (ローテーション終了によるレジデントの交代と入院患者さんのケアや死亡率との相関)」だ。
米国の医療や公衆衛生学の論文を見ていると、インターンやレジデントの燃え尽き症候群や自殺が大きな問題になっているのがわかる。大学を終えて間もない医師にとっては、精神的にも肉体的にも過酷な労働であることは、自分の経験からもよくわかる。実際、1日16時間を超える労働が当たり前だったようだ。ようやく2011年に1年目のレジデントやインターンの労働時間が16時間を超えてはならないという卒後教育評議会からの勧告が行われ、勤務シフトが行われるようになった。おそらく一般の方から見たら16時間はなんとブラック労働かと驚かれると思うが、私には納得できる。
ただ、16時間であれ勤務シフトが行われると引き継ぎがうまくいくかどうかが問題になる。これについては、インターン、レジデントのシフト制度導入前後で入院患者さんの死亡率が調べられ、特に問題ないことが確認されている。
この研究の目的は、インターンやレジデントのローテーションが終わり、次のグループに引き継がれるとき、患者さんに影響が出ていないかを調べることだ。私も経験があるが、我が国では医師免許が交付されるとすぐに研修医が始まる。これを起点として、研修プログラムが設計されているため、必ず患者さんを引き継ぐ必要がある。この境で、引き継ぎがうまくいっているかどうかを調べるものだ。
舞台はニューヨークにある退役軍人を対象にする医療施設で、大学の研修機関になっている。この研修プログラムで引き継ぎは、直接医師が出会って行うのではなく、ほとんどが文書による引き継ぎになっている(少なくとも私の時代も同じだった)。
この引き継ぎ期間と、それ以外での患者さんの死亡率を比べると、インターンだけ、レジデントだけ、そしてインターンとレジデントが同時に交代するプログラムで、オッズ比でそれぞれ12%、7%、18%と上昇している。また、退院後30日目、60日目の死亡率で見ても高い。このことから、インターンやレジデントが患者さんのケアの中心になっており、その引き継ぎが極めて重要であることがわかる。
さらに重要なのは、この引き継ぎリスクが、16時間労働制限が守られるようになってから大きく上昇している点だ。例えばレジデントの交代時期で言えば、オッズ比1.01が、労働制限後1.13に上昇している。すなわち、労働を削ると引き継ぎがうまくいっていないという実態が明らかになった。
この結果を受け、他の機関でも検討が行われ、引き継ぎがスムースに進むプログラムが考えられるだろう。
この論文を読んで、私が一番驚くのは結果ではない。このような調査に医療施設が協力し、あまり好ましくない結果をトップジャーナルに掲載することができるという点だ。さらに、このような調査が、病院のコンピューターにある記録を抽出することだけでできることだ。この公開性こそ、医療制度改善の基盤になる。自分の働いている病院で、同じ研究が可能か考えてみることが重要だと思う。
2016年12月19日
CRISPR技術は、我が国ではもっぱら特定の遺伝子のゲノム編集及びそれに関連する倫理問題との関連で注目されるが、その真価は種を問わず多くの遺伝子を同時に編集する道を開いた点にある。これまで前向き遺伝学として突然変異を誘導して行っていた研究が、この方法により効率が上がり、変異遺伝子の特定も何千倍も容易になった。例えばiPSと組み合わせれば、分化の過程に関わる遺伝子の特定が容易になる。とはいえ、これを実現するためには、様々の最新技術を組み合わせて誰でもが使える技術に仕上げる研究者の能力が問われる。
今日紹介するマサチューセッツ工科大学からの論文は、CRISPR技術、遺伝子バーコード技術、単一細胞からのバーコード化cDNAライブラリー形成方法、次世代シークエンサー、そして新しいインフォーマティックスの全てを組み合わせ、これまで一つ一つ調べていた転写因子の機能を、セットで調べる方法を開発したという報告だ。タイトルは「Perturb-seq:dissecting molecular circuits with scalable single-cell RNA profiling of pooled genetic screens(Perturb-seq :細胞集団を用いた遺伝子探索で得られる大規模化可能な単一細胞RNAプロファイリングを用いて分子間相互作用を解析する)」で、12月15日号のCellに掲載されている。またこの論文掲載された同じ号のCellに、この方法を用いてERストレスに関わる転写因子群の解析を発表して、この方法が確かに使えることを示している。
この研究の目的を簡単に表すと、これまで遺伝子変異を導入して解析を行っている研究者のストレスを全て解消できる方法の開発と言えるかもしれない。
CRISPR法のおかげで、何十種類もの遺伝子をノックアウトすることは簡単になった。この研究ではCas9を発現するトランスジェニックマウスにレンチウイルスを用いて、何十種類もの遺伝子に相当するガイドRNAを導入している。問題は遺伝子ノックアウトの結果をどう解析するかだが、バラバラに遺伝子がノックアウトされた細胞が混じっている状態では、何もわからない。そこで、水滴の中に一個づつ細胞をトラップし、そこでmRNAライブラリーを作るときにバーコードをつけるという単一細胞の遺伝子発現解析のための方法と組み合わせている。これによって、ガイドRNAと、それによりノックアウトされる遺伝子の影響下で発現が変化したmRNAを対応させることができる。バーコードによりノックアウトした遺伝子とその結果としての遺伝子発現を対応させることができるため、細胞ごとの遺伝子発現を保存しないで、得られた全てのデータを一つのストーレージにまとめておける。ただ、何万個もの細胞に対応する個別のデータがまとめて一つのデータベースに存在しているため、大変なビッグデータだ。これをバーコードと対応させながら、遺伝子の機能を示唆することができるアプリケーションの開発が必要で、このアプリも同時に開発している。
この結果、骨髄の樹状細胞がLPSで活性化されるときに関わると思われる67種類の転写因子を一度の実験で一網打尽に解析できることを示している。詳細は全て省くが、この方法で得られる結果は、従来何年もかけて明らかにされてきた結果とほぼ一致する。同じように、次の論文ではERストレスに関わる転写因子ネットワークを明らかにすることに成功している。
もちろん、これまで知られていないことをどこまで明らかにできるかは今後の課題だろう。ヒトの発生で言えば、iPSとの相性はいいと思う。他にも、クロマチン解析など様々な方法を組み合わせる可能性がある。ただソフトも含めて、ここまで統合的に方法が開発されると、他の研究者は技術の消費者にならざるをえない。
おそらくこのような統合的方法の開発はNEDOが目指しているはずだ。遺伝子編集にまつわる世界レベルの技術が生まれるのか、注視していきたい。
2016年12月18日
最近、我が国の経済系の新聞や医療情報誌に、「xxの機関がガンの早期診断や治療にビッグデータの利用に乗り出した」と言った記事が多い。ただある程度内内のことを知っているものから見ると、手を挙げている人が本当に真剣に取り組んでくれているのか心配になる。はっきり言うと、また国からお金を引き出すためのアドバルーンかと勘ぐってしまう。というのも、例えばガン領域で言えば、我が国のゲノム研究は遅れており、またインフォーマティックスについてもなるほどと思わせる論文はおろか、なんとか新しい方法を目指して苦しんでいるなと思わせるような我が国からの論文にお目にかかることができない(私が見ている範囲の話で、間違いなら嬉しい)。
私から見れば、この差を埋めるのは新しい研究者で、決して既存の研究者ではないと思う。一方世界レベルで見ると、ガンのデータから治療戦略を探るための研究は盛んだ。正直、簡単でないという印象を持つが、それでも産みの苦しみを感じることができる。
今日紹介するドイツ・マルティンスリードにあるマックスプランク研究所からの研究は産みの苦しみの典型で、Nature Communicationに掲載された(DOI: 10.1038/ncomms13404)。タイトルは「Direct identification of clinically relevant neoepitopes presented on native human melanoma tissue by mass spectrometry (質量分析を用いたメラノーマが提示している臨床に役立つネオ抗原の同定)だ。
免疫システムにはガンを根治に導くことが明らかになって、ガン治療の王道の一つが、ガン特異抗原を見つけ、それに対する免疫を誘導することだとわかっている。ただ、一つのガンは多くの突然変異を持っており、どの抗原に患者さんが反応しているのか特定するのはできていない。現在ガンのエクソームからインフォーマティックスを用いて抗原を特定するアプリケーションの開発が進んでいるが、配列だけから予測できる日はまだまだ遠い。
この研究はエクソームだけでなく、腫瘍組織から直接組織適合性抗原に結合するペプチドを精製して解析することで、臨床に使えるガン特異的抗原を見つけられないか調べた研究だ。膨大なデータを集める大変な研究だが、はっきり言って成功したとは言い難い。論文は雑然としており、最後の結論は寂しい。簡単にまとめると、25人の患者さんからガン組織で提示されているペプチドを解析すると、メラノーマ抗原として知られていた分子由来のペプチドが上位を占め、またリン酸化ペプチドも多く発見される。このランキングは将来のインフォーマティックスやワクチン開発には役立つかもしれない。ただ、今のままでは混乱があるだけだ。というのも、5人を選んで、実際の免疫に関わる変異タンパク由来ペプチドを探索してみると、このリストのトップにくるタンパク質由来ではない。なんとか臨床に関わる11のペプチドが特定できたが、そのうち8つは一人の患者さん由来で、また免疫反応が8キル特定できるのは2つだけだ。さらに、最初反応があっても、ガンの進行とともに免疫が落ちるという結果だ。
大変な実験の割に、結果が華々しくないため論文を発表するのに苦労したのだろう。ただ、それでもなんとか王道を行こうという意気込みが見える。この産みの苦しみを繰り返すしか、新しい治療は生まれない。
同じことは、拡大しつつあるデータベースから、ガン発生に関わるドライバー遺伝子を発見するためのアルゴリズム開発を目指した研究についてのジョン・ホプキンス大学から米国アカデミー紀要に発表された論文にも見られる。タイトルは[「Evaluating the evaluation of cancer driver genes(ガンドライバー遺伝子の評価を評価する)」だ(www.pnas.org/cgi/doi/10.1073/pnas.1616440113)。詳しくは述べないが、この研究では現在進むガンのドライバー遺伝子探索ソフトを機械学習を通して評価するプラットフォームを開発している。印象だけを述べると、そう簡単ではなく、これまでの知識で整理できる地点にまだまだ来ていないと思う。
しかし、この産みの苦しみについての論文ですら、我が国から本当に生み出されているのか心配になるほど、少なくとも私が目にする機会がない。
2016年12月17日
医学や生命科学の専門誌のエディターの関心事の一つは、多くの読者を得るために面白い論文を集めることだが、閲覧ヒット数だけが目的化しているキュレーションサイトと異なり、掲載された論文のデータの信頼性の確保にも努めなければならない。このため、各論文は厳しい審査過程を経て初めて掲載される。この過程で、一般の人から見ると「堅苦しい話」が中心の雑誌になる。
しかし私が付き合ってきたエディターたちは決して「堅物」ではない。当然茶目っ気もある楽しい連中だ。堅苦しい話ばかりに満足せず、「まず世の中の役には立つようには思えない」面白い論文も掲載したいと思っている。そんな例を私のホームページでも紹介してきた。
これまで紹介した例を挙げると、
電気ウナギの戦略(
http://aasj.jp/news/watch/2539)、
相場と脳(
http://aasj.jp/news/watch/1805)、
シマウマの縞(
http://aasj.jp/news/watch/1345)、
グンカンドリは飛びながら寝る(
http://aasj.jp/news/watch/5615)
などだが、これらの論文は読んでいて思わず笑みがこぼれる。しかし、だからと言ってデータの信頼度をないがしろにしてはいない。
信頼性の原則を守りつつ、ウケを狙った論文の特集号を毎年発行しているのが、英国の医学雑誌The British Medical Journalだ。
反ワクチングループに買収されていたウェークフィールド論文や、タミフルの予防効果についての誇大宣伝に対して最も激しく戦った硬派の医学雑誌だが、クリスマスシーズンになると真面目と遊びの間のような論文を集めたクリスマス特集号を出している。アクセスに課金される通常の論文と異なり、この特集はすべての人に解放されており、英語だが読むことはできる(
http://www.bmj.com/thebmj)。シャレと真面目の境にあるような論文ばかりだが、科学的信頼性を守るということが何かもわかるようになっている。
掲載された論文だけでなく、あらゆる記事に細工がある面白い特集で、今年はBrexitについても言及があるかなと思っていたが、残念ながら当てが外れた。
今回は論文だけに絞って、タイトルと内容を私なりに書いてみた。ただ、いつもの論文紹介と異なり、あくまでも斜め読み。
論文は5編だ。
1)
セレブの言葉は影響力があるか?アンジェリーナ・ジョリーのNYタイムズの論説記事の後見られたBRCA遺伝子検査と乳腺切除数についての観察研究。(論文の著者は全員専門家だ。2013年5月、有名女優アンジェリーナ・ジョリーがNY Timesに書いたBRCA遺伝子検査の結果に基づいて、予防的に乳腺切除したことについての告白記事の前後でBRCA遺伝子検査数と乳腺切除数の推移を調べている。期待通り、発表直後からBRCA遺伝子検査数3割以上増加し、現在まで高止まりしている。ところが全乳腺切除数は変化なく、さらにBRCA遺伝子テストに基づいて予防的に行われる切除数は逆に低下している。このことから、セレブの宣伝に反応するのは健康な人で、乳がんの近縁者がいたりで心配している人には、世間が騒ぐことで検査を受けに行きにくいという逆効果になっている心配がある。)
2)
良い子のサンタさんの迷信を一掃する:サンタクロースについての後ろ向き観察研究。(著者は医学生と指導教官。医学生とはいえ科学的に研究を進める必要がある。2015年クリスマスに、サンタクロースがやってきた小児病棟を調べ、ロンドン東部を除いてはほとんどの小児科病棟にやってきていることを示している。そして分析の中で社会問題にも目を向けさせ、サンタが貧しい地域を訪れる頻度が少ないことを指摘、サンタがくる習慣が格差の維持に貢献しているのではという指摘をしているのは、教育的にも重要な議論が行われたことをうかがわせる。最後に、地域の若者の有罪率とサンタの現れる頻度に相関がないことを示した上で、「よい子のサンタ」という神話が否定された事実を子供に伝えるかどうか問うて終わっている。イギリス的ウィットに富んだ楽しい論文だ)
3)
高齢者になっても生活を享受することと死亡率:英国高齢者の縦断研究(これは専門家による論文:これは既に進んでいる英国高齢者の縦断研究の対象者について、生活を楽しんでいるかを2006年に指標化して、2013年までの死亡率を追跡している。ただ観察研究であるため、信頼性にはかけることを断った上で、高齢者が毎日の生活に満足することが死亡率低下につながることを示している)
4)
ポケモンGoを攻略したぜ!ポケモンGoと若年成人の身体的活動:差分の差分法研究 (ポスドクと教授が著者:ウェッブで参加者を募集し、スマホの歩数計のデータを記録、ポケモンGoをダウンロードしてからの歩数を調べている。結果は、参加者平均の歩数は普通1日4000歩程度だが、ポケモンを始めると平均で900歩程度上昇する。ただこれは一過性で、6週間目にはほとんど差がなくなるという結果だ。)
5)
おしっこの価値(P-value)を嗅ぎ出す:アスパラガスに対する嗅覚障害のゲノムワイド関連解析。
(会議に集まった専門家が話しているうちに思いつき、論文にした:アスパラガスを食べた後はオシッコが不快な臭いを放つという観察をベンジャミン・フランクリンが書き残しているようだが、医療関係者のコホート調査を対象に(インフォームドコンセントが取りやすい)、臭いを感じる人と感じない人を分け、ゲノムワイド関連解析をしたところ、1番染色体の嗅覚受容体クラスターに多型が特定された。)
と、盛りだくさんだ。対象は子供から高齢者まで、著者も学生から専門家まで。そして、しっかり科学的手法とは何かを示すとともに、格差などの社会問題を考えさせる素晴らしい特集だ。ぜひ医学部の教育に取り入れればいいと思う。
私たち夫婦にとっても、世の中のしがらみを捨て、今まで通り楽しく生きようと思いを新たにした。
2016年12月16日
何年か前までは、様々な動植物の全ゲノム解析についての論文がNatureやScienceなどの一般科学雑誌にも多く掲載されていた。しかし、ゲノム解析は当たり前になり、現在も続々ゲノム解析論文は発表されているが、ほとんどが専門誌に回るようになっている。それでも、極めて特異的な性質について明快な機能的答えが示せると、一般紙も掲載する。
今日紹介する中国、ドイツ、そしてシンガポールの研究施設が共同で12月15日号のNatureに発表した論文はタツノオトシゴについてのゲノム研究で、この魚が持つ幾つかの特徴を機能的にも説明した面白い研究だ。タイトルは「The seahorse genome and the evolution of its specialized morphology(タツノオトシゴのゲノムと特異的な形態の進化)」だ。
研究はタツノオトシゴの全ゲノムを解読し、魚とは思えない形態や機能を見たときに感じる一つ一つの疑問をゲノムから見直している。論文は読みやすく、読んだ後でなるほどと納得するのだが、半分は著者らにマインドコントロールされた結果かなとも思う。
まずタツノオトシゴと他の魚との系統関係だ。これまでタツノオトシゴはトゲウオの仲間で、ティラピアやメダカに近いと考えられていたが、ゲノムが明らかになりこれが確認された。一億年前の白亜紀に他の種から分離したことがわかる。タンパク質をコードする遺伝子で見ても、コードしない遺伝子でみても、進化速度が速くこの結果かくも不思議な形態を進化させることができたのだろう。
次に特異な特徴に関わる遺伝子欠損について調べ、重要な遺伝子の欠損を指摘している。
一つはカルシウム結合性のリンタンパク質で、骨や歯の形成のために幾つかのファミリー分子を我々は有しているが、この中でタツノオトシゴは、歯のエナメル質の形成に関わる遺伝子のみ完全欠損していることがわかった。これが、タツノオトシゴでは歯が存在しないことと一致する。鳥類など他にも歯を失った脊椎動物でもエナメル形成に関わるこのファミリー分子の欠損が知られているが、タツノオトシゴではこれに関わるほぼ全ての遺伝子が欠損していることが特徴的だ。
タツノオトシゴの顔つきを見ると鼻が長いように見えるが、驚くことに匂いを感じるための遺伝子の多くを失っており、これまで最も少ない匂い受容体を持つとされていたエイの仲間の60個と比べても少なく、25個しか見つからない。今後、タツノオトシゴの生態を考える上で重要な発見だ。
最後にタツノオトシゴがなぜ胸ビレを失ったかについても検討し、Tbx4と呼ばれる遺伝子が欠損していることを発見している。例えば同じ胸ビレを失ったフグではHoxd9a遺伝子の発現パターンの調節変化がこれに関わっている。このように、形態進化の道筋は多様だ。Tbx4はノックアウトするとマウスの後ろ足がなくなることも知られている。この研究ではCRISPR-Casを用いてゼブラフィッシュの遺伝子をノックアウトし、確かに胸ビレが欠損することまで確認している。
次に、進化で数が増えた遺伝子についても探索し、パトリスタシンと呼ばれる魚の卵の成分を分解する酵素の遺伝子が増加していることを発見する。タツノオトシゴはオスが育児嚢と呼ばれる場所で卵を孵化させるが、この孵化時にこれらの酵素で卵を分解するのだろう。メスが体内で孵化させるプラティフィッシュもパトリスタシンファミリー遺伝子の数を増やしている。したがって、体内の孵化に重要な進化といえる。ただ、それぞれの魚は異なる遺伝子を増幅しており、ここでも進化の道筋の多様性がわかる。
ではタツノオトシゴの特異な形態はゲノムから説明できるのだろうか?これに対し、著者らは魚で保存されている遺伝子をコードしない領域(CNE)がタツノオトシゴで異常に多く失われていることに着目している。しかも失われたCNEは形態形成に関わる重要な遺伝子の近くに存在している。このことから、CNEが大きく変化することで特有の形が生まれたのではと提案している。これを裏付けるため、7箇所のCNEに標識遺伝子をつないでゼブラフィッシュに導入して、タツノオトシゴが失ったCNEが確かに領域特異的遺伝子発現に関与していることを示している。
以上が示された結果だが、かなり納得できたのではないだろうか?私は完全にマインドコントロールされ、納得した。