7月25日:四つ足の蛇(7月24日号Science掲載論文)
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7月25日:四つ足の蛇(7月24日号Science掲載論文)

2015年7月25日
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「パンダの親指」、「ニワトリの歯」と、余分にあったり無くなってしまった形態を材料に進化の面白さを一般の人に伝えたのは、ティーブン・J・グールドだが、彼なら飛びつくキャッチーなタイトルの論文が英国ポーツマス大学からScienceに発表された。「4本足の蛇」とタイトルがついた論文(実際のタイトルは「A four-legged snake from the early Creataceous of Gondwana(白亜紀初期のゴンドワナ大陸に生息した4本足の蛇)」。)で、ブラジルのクラト近郊にある白亜紀の生物の化石が原型のまま保存されている地層で発見された蛇の化石についての話だ。南米白亜紀の地層はこれまでも多くの新しい発見を生んでおり、爬虫類や哺乳類の進化に興味を持つ古生物学者はこの地層に狙いを定めで化石の発掘を続けている。蛇に関して言うと、アルゼンチンの地層からNajashやSimoliophiidaeと名付けられた後ろ足と仙椎がハッキリ残る化石が出土していた。次は当然4本足が全て残る化石を発見しようとおそらく発掘が続けられていたのだろう。と言っても、努力だけでは今回のような発見はできないだろう。幸運の女神が微笑みかけた研究者の興奮が伝わる論文だ。話は、初めて4本足を持った蛇とみられる化石が見つかったという結果に尽きる。それではそっけないので、少し詳しく紹介しよう。もちろん百聞は一見に如かずで、論文に示された図を見ることなので、ぜひ一度ウェッブサイトを開いてみることを勧める。さて写真からわかるのは、間違いなく脊椎が150以上ある蛇だ。なんと腸のあたりには、食べた動物の骨が残っており、脊椎動物を餌にしていたこともわかる。後ろ足の腸骨、腓骨は後ろ足のある蛇NajashやSimoliophiidaeと同じだ。現在の蛇と比べると、顎が細く全般的に未熟な形態をしている。そして、退化はしていても明らかに前足が存在している。素人の私が見ても、人間の腕の構成とほとんど変わるところがない。残念なのは、後ろ足と違ってどこからどのように突き出しているのかがハッキリしないし、実際明確には述べられていない。いずれにせよ、初めて四つ足の蛇の存在が確認された。様々な形態的特徴を元にすると、オフィディアと呼ばれる蛇の先祖が、まず顎の骨の関節を獲得した蛇型の頭部構造を獲得し、体で締め上げるための構造を獲得し、歩くのに邪魔になった四肢をダウンサイズし、脊椎の数を増やして体を伸ばした後、前足から失ったという系統図が描ける。最後に、南米に見られる蛇の多様性から、おそらくこの系統進化はアフリカと南米が一つの大陸として繋がっていたゴンドワナ大陸で起こったのではと仮説を提唱している。また、これまで蛇はひょっとしたら水生の動物に変わることで手足を失ったのではという仮説があったようだが、4本足の蛇が見つかったことで、陸上進化説の可能性が強まったようだ。  自然史博物館を訪れると子供達は大型の恐竜の化石に群がるのを目にする。しかし、中学生以上にはぜひ、今回のような発見の重要性を教えてあげたいと思う。21世紀は一般の人たちが科学にもっと進出する時代になると思っている。化石の発見から得られる興奮は、これを担う次世代を育むための重要な教材になると思う。おそらくグールドもそんな思いで多くの本を書いたのだろう。
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7月24日X染色体不活化(7月17日号Science掲載論文)

2015年7月24日
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ゲノムからあまり間違うことなく予想できることの筆頭は男女の区別だ。男性はXY、女性はXXが人間の性染色体で、この差が男女を決めている。ただこの方式には一つ問題がある。すなわち男性にはXが1本に対して、女性は2本という数の差だ。というのもXには普通の体細胞と同じ生命に必須の多くの遺伝子が存在する。もし何もしないとX染色体上の遺伝子の発現量は女性が2倍になる。多くの遺伝子は2倍の差があってもいいのだが、中には発現を一定に保つ必要のある遺伝子もある。私たち哺乳動物はこの課題に、女性の片方のX染色体をすべて不活性化することで答えている。さて一般の読者にはここからが勉強になるが、このX不活性化の主役がXistと呼ばれる17000塩基の長さのRNAで、これが不活性化されるほうの染色体から読み出されると、どんどん同じ染色体をカバーしてX染色体全体を閉じてしまう(ヘテロクロマチン化する)。このメカニズムは大変よく研究され、なぜ片方だけでXistが転写されるのか、どうして片方のX染色体だけが覆われるのかなど、理解の大きなフレームワークは出来上がっている。しかし、詳細となるとまだまだ分からないことが多く、まずXist-RNAと結合する分子を完全に特定することが必要になっていた。今日紹介するハーバード大学からの論文はこの分子リスト作成に成功したという研究で7月17日号のScienceに掲載された。この研究はXist-RNAとそれに結合している分子を結合させる方法に工夫をこらし、これまでより多くの分子を特異的に精製することが可能になった。全体では200近い分子とXistは相互作用をしていることがわかったが、今度はそれぞれのタンパク質にXistが結合しているか調べる逆の実験を行い、最終リストを作成している。この中にはもちろんこれまでXistと相互作用していることがわかっている分子はすべて含まれているが、多くはこれまで知られていなかった分子だ。詳細はすべて省くが、これらの分子が実際の不活化に関わっているかどうか、どの遺伝子が不活化ができなくなると発現するかを、細胞の遺伝子発現抑制実験を用いて調べ、X不活化にどのような分子過程が必要かを解明している。各過程のより詳細な分子過程を明らかにするにはさらに研究が必要だろうが、この論文ではその中でX染色体のトポロジーが不活化によりどう変化するかに焦点を当てて調べ、1)Xistがcohesinと呼ばれる染色体を束ねる分子を外す働きがあること、2)この結果不活化X染色体では6月3日に紹介した(http://aasj.jp/news/watch/3533)、TADと呼ばれる染色体のトポロジーが完全に壊れてしまっていることを明らかにしている。これまでの研究で、Xistが実際にどのようにX染色体全体に拡がり覆い尽くせるのかについて、トポロジーとの関係を調べる研究が進んでいたが、今回の研究からcohesinを染色体から外すことがこの過程の引き金になることがわかった。今、タンパク質へ翻訳されないRNAの機能がよくわかってきた。この分野の研究を調べてみると、生命誕生時のDNA,RNA,タンパク質の関係が見えてくるような気がして最近興奮している。これについては、生命誌研究館のホームページの「進化研究を覗く」コーナーに、ゲノムとはなにかとして書き始めている(http://www.brh.co.jp/communication/shinka/)。一般の人には難しすぎると思うが、大学院生以上の人はぜひ参考にしてほしい。
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7月23日:ラマン散乱顕微鏡を用いたブドウ糖のイメージング(Angewandte Chemieオンライン版掲載論文)

2015年7月23日
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ラマン散乱分光を利用した顕微鏡がある。熊大時代、教授会同僚の志賀さんから教えてもらったのが最初だが、自分で使ったことは全くない。JSTさきがけの研究総括をしていた時この技術をリプログラミング過程の研究に使うというメンバーがひとりいたが、技術の改良は別として、肝心のリプログラミング過程を観察して、細胞内分子の分布を調べるという本来の目的は果たせなかったと思う。こんなわけで、ラマン散乱が細胞内の様々な分子種を調べることを可能にするポテンシャルがあるのはわかっていても、普及にはまだまだ大きなブレークスルーが必要だというのが私の印象だ。この意味で、今日紹介するコロンビア大学からの論文で私のラマン散乱顕微鏡にたいする印象は少し良くなった。タイトルは「Vibrational imaging of glucose uptake activity in live cells and tissue by stimulated Raman Scattering (生きた細胞や組織で発振するグルコース摂取を誘導ラマン散乱でイメージする)」で、化学の専門誌Angewandte Chemieオンライン版に掲載された。タイトルにあるように、この研究の目的はブドウ糖の細胞内摂取を生きた細胞で調べることだ。しかし、酸素、水素、炭素だけからできているブドウ糖の細胞内分布を画像化するのが簡単でないのは良くわかる。とは言っても、すでに18F—FDGを標識したブドウ糖はPET検査に使われており、アイソトープラベルができるなら、なんとか蛍光ラベルのブドウ糖を作れるのではと考えるが、これが簡単ではなかったようだ。実際にはNBDGと呼ばれる蛍光標識した化合物がこの目的で開発されているが、水に溶けにくく、様々な分子と非特異的結合が高く、使い物にならなかったようだ。そこで著者たちはブドウ糖の水酸基の一つに標識した炭化水素を導入したブドウ糖アナログを開発した。ここに炭素間三重結合を持つアルキンを使って標識することで、ブドウ糖とほとんど変わらない標識アナログの作成に成功した。アルキンは細胞内の分子の散乱光が全く見られない波長に強いピークを持つ性質があり、これを用いると細胞内でこのアナログの分布が検出できるようになる。あとはこれを実際の細胞で確かめるだけだ。結果は上々で、HeLa細胞では外界のブドウ糖濃度に比例して細胞内に取り込まれる。この取り込みは、ブドウ糖トランスポーター依存性の取り込みで、インシュリンによって刺激される。さらに、試験管内の細胞だけでなく、皮下に植えた脳腫瘍細胞を周りの組織から区別できる。これはFDG-PET検査と同じだ。最後に、脳のスライス培養で調べると顆粒層や髄質に強い取り込みがあるのを観察できる。これらの結果から、ラマン散乱光顕微鏡とこの化合物を用いれば、これまで難しかったブドウ糖の細胞内動態が調べられると結論している。最近は細胞レベルの代謝研究が盛んで、一定の需要は出てくるように思う。同じ手法を使えば脂肪や、アミノ酸など他の分子も標識できるようになるだろう。ただ、この論文でも1フレームの撮影に30秒近くかかるのは問題だろう。多くの代謝反応は早い。今は細胞に取り込まれたかどうかだけが問題になっているが、実際には細胞内での詳しい分布がわからないと利用は限られる。とはいえ、初めてラマン散乱顕微鏡の使い道に納得した。
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7月22日:カニクイザルES細胞でキメラ胚を作る(7月2日号Cell Stem Cell掲載論文)

2015年7月22日
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同じ胚生幹細胞(ES細胞)と名前が付いていても、マウスES細胞とヒトやサルのES細胞では分化のステージが異なっていることはなんども紹介してきた。マウスの場合胚盤胞と呼ばれる時期の内部細胞塊に対応する細胞だが、ヒトやサルではもう一段分化が進んだエピブラスト段階に相当する。このため、ヒトES細胞は増殖速度が遅く、また単一細胞から増殖させるのが難しい。当然、ヒトやサルES細胞をマウスと同じ内部細胞塊段階へと転換するための技術開発が行われ、このホームページでも何度か紹介した(http://aasj.jp/news/watch/664、http://aasj.jp/news/watch/1942、http://aasj.jp/news/watch/2160)。しかし、これらの方法で本当に内部細胞塊に相当するES細胞を培養できているかの最終証明には、細胞を胚盤胞以前の段階の胚に移植し、キメラができるかどうか、さらに生殖細胞へ分化して次世代を造るかどうか調べる必要がある。もちろんそんな実験をヒトで行うわけにはいかない。代わりに試験管内で同じように振る舞うサルES細胞を使うしかないが、このような実験をサルで行う技術はどこにでもあるものではない。今日紹介する昆明理工大学と中国科学技術院からの論文はサルES細胞を内部細胞塊段階へ誘導して桑実胚に移植することでキメラサルを造ることができることを示した研究で7月2日号のCell Stem Cellに掲載された。研究ではカニクイザルを用いてES細胞を樹立、その細胞を彼らがNHSMVと呼ぶ培地に移すと、内部細胞塊に似た段階へ誘導できることを示した上で、この細胞を桑実胚に移植してキメラを形成する条件を検討している。実際、試験管内で内部細胞塊様に戻せたからといって、簡単にキメラが作れるわけではない。著者らは、桑実胚の培養方法を工夫することで、キメラ率が7割近くに達する方法を開発した。この研究では妊娠100日目で胎児を調べているが、ES細胞由来の生殖細胞の存在を確認しており、この結果が本当ならES細胞由来の次世代がサルで生まれるのも時間の問題だろう。これまでナイーブ状態、基底状態を誘導できると主張されてきたサルES細胞培養条件が、確かに内部細胞塊に相当する細胞を維持できることの証明は極めて重要だ。当然ヒトのES細胞やリプログラム研究も進む。また、脳研究を筆頭に様々な分野で実験動物としてのサルの胚操作技術の必要性は高まるだろう。これはクリスパーなどのゲノム編集技術が進展しても、置き換えられるものではない。この研究の意義は大きく、実験動物としてのサルの完成という意味では中国は一歩先を行った。この論文は技術だけのそっけない論文だが、いつかはできると皆が思っていることを、やり遂げるのは実は簡単ではない。独創性のある研究という点ではまだまだでも、中国はこの点で最も力のある国になった様に思う。責任著者の一人、斉周は個人的にもよく知っているが、フランス留学組だ。この13億中国の力と伍していくには、我が国は独創的な研究者を育てるしか方法はないだろう。ハプスブルグ帝国没落後の20世紀初頭オーストリアに、芸術から科学(マーラー、シェーンベルグ、カフカ、ヴィトゲンシュタイン、ゲーデル、ノイマン、ボルツマン、フロイト、ランドシュタイナーなど挙げればきりがない)で世界をリードする多様な人材が輩出された例は目標となる。しかし、21世紀、これから人文科学と自然科学が統合に向かう時、文系と理系と分ける20世紀遺物的思想で大学から人文科学を駆逐しようとする狭い了見しかないわが政府の舵取りでは、没落の道しかないだろう。
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7月21日:耳鳴りの磁場治療(7月16日号JAMA Otholaringology Head-Neck Surgery掲載論文)

2015年7月21日
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40歳を越えた頃から右耳の耳鳴りが始まった。以来30年近く付き合ってきたが、悩まされるかというとそれほどではない。もともと治らないと諦めているし、目眩などがなければ放置すればいいと思い込んでいる。また全く効用がないわけではない。仕事をしている時でも、コンサートを聴いている時でも、集中している時には忘れてしまっているが、気が散ったり、退屈していると突然聞こえるから、集中度を計ることができる。しかしもし簡単に治るならどうすると聞かれれば、治療によりけりと答えるだろう。昨日紹介した神経回路の話と同じで、耳鳴りは外界とは無関係の回路が形成されてしまっている不思議な現象だ。しかも脳イメージングの研究から、広い範囲の活動が見られる。薬を飲んだりして、他の副作用が出れば大変だと思ってしまう。これに対し、外から脳内に磁場を放射し治す方法(TMS)が開発されている。これまでなんどもTMSの有効性を示す論文が発表されている。しかし異論も多く、アメリカ耳鼻咽喉科学会では、持続性の耳鳴り患者にTMSを進めないほうがいいというガイドラインが出ている。今日紹介するポートランドにある国立耳鼻科リハビリテーション研究センターからの論文は、TMSの効果を2重盲検法で確認した研究で7月16日号AMA Otholaringology Head-Neck Surgeryに掲載された。タイトルは「Repetitive transcranial magnetic stimulation treatment for chronic tinnitus. A randomized clinical trial (慢性的耳鳴りの経頭蓋磁場刺激療法。無作為化臨床治験)」だ。手術や物理的刺激による治療は二重盲検無作為化治験は難しい。というのも、自分が偽薬群に入っているかどうか患者さんや治験者にすぐ気付かれる。この研究のハイライトは、磁場を当てる時に使う同じ形のコイルパッドを作って、音も同じように出る擬似治療機器を作成し、患者にも治験者にも気付かれないようにした徹底性だ。その上で、70人の患者さんを無作為に治療群と対照群にわけ、1日一回、10日間続けてTMS治療を続け、直後から耳なり機能インデックス(TFI)を用いて効果を評価している。最終的に十分な効果が認められるという結論だが、幾つか面白い点があるので、それを紹介しよう。まず、偽薬群も統計的には改善が見られている。おそらく、耳鳴りの強さがかなり自覚的なもので、治療への期待が出てしまうのだろう。次に面白いのは、磁場をかける時、耳鳴りが見られる側であろうと、反対側であろうと同じ効果が見られる点だ。これは耳鳴りが明らかに片方で聞こえていても、結構広い領域が活動していることと関係あるだろう。最後に、耳鳴りのひどい人ほど効果があることだ。原理はともかく、10日間の治療で、半年続く効果が得られ、時間が経つ方が改善の度合いが良く、特に副作用がないというなら、本当に悩んでいる人は受けてみる価値があるように思う。では私はどうかというと、もう少し待ちたい。何よりも、脳イメージングによるデータも見たい気がする。当分はこのまま耳鳴りと付き合っていくつもりだ。
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7月20日:記憶の統合(7月15日号Science掲載論文)

2015年7月20日
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昨年ノーベル賞が与えられた、オキーフさんとモザー夫妻の研究は、脳内のGPSの発見と簡単に要約されてしまっているが、この分野の論文を読んでいると方法論から理論まで、位置特定のための記憶に限らず、記憶研究一般にとって様々な革新を成し遂げた仕事である事がわかる。7月8日に紹介したやはりノーベル賞研究者エリック・カンデルさんは(http://aasj.jp/news/watch/3720)、記憶に必要な個別のニューロン内での変化を追求し続けているが、一方記憶を新しい脳回路の形成とその活動の維持として捉える方向性の研究を代表しているのがオキーフさんたちの研究だろう。今日紹介するテキサス・サウスウエスタン大学からの研究はこの場所記憶の回路の活動が脳の全体のリズムに連結されている事を示す研究で7月15日号Scienceに掲載されている。私のキャリアから見て全く異分野なので、間違った事を伝える不安はあるが、面白いと思ったので是非紹介したい論文で、タイトルは「Autoassociative dynamics in the generation of sequences of hippocampal place cells (海馬の場所ニューロンの興奮生成における自己に連結した動態)」だ。はっきり言って素人にはわかりにくいタイトルだ。そこをなんとか読み進むと、実験では例によって、ラットを2次元、1次元空間で訓練し、場所の記憶を植え付ける。この記憶は、それぞれの場所に脳神経細胞を対応付ける事で生まれるが、これは海馬に埋め込んだマルチ電極で記録する事で解読できる事はすでにオキーフ、モザー夫妻により示されている。訓練したラットを同じ空間に離して褒美のある場所を見つけさせるとき、ラットは場所の記憶を頼りに動く。したがって、実際の場所と神経細胞の興奮を対応させることができる。この研究では、動物が特定の場所で、そこに至るまで自分が動いてきた軌跡を思い出すときに見られる特有の興奮パターンとしてオキーフさんたちの発見したsharp-wave ripple(SWR)に注目して、SWRがいつどこで起こっているかを調べている。SWRは直前に動いた軌跡を呼び起こすときに起こる興奮パターンで「リプレイ・再生」と呼ばれていたが、この研究では様々な結果から、SWRを一定の軌跡を思い出すとき一般的に見られるパターンとして解釈している。その上でSWRの発生を詳しく見てみると、動きが停滞したあと、次に早くなる時に発生していること、また動き自体もスムースではなく、リズムがあることに気づいている。このリズムの時間を調べると、動きが停滞しいる時間が24ms、動いている時間が7ms、全体で30−40Hzのリズムを刻んでいることから、この行動が脳のγ波と同じであることに気づく。もともとγ波は記憶の固定や呼び起こしと関係することが知られていたので、実際の動きのリズムとγ波の関係を調べると、なんとγ波の強さのピークが、動きの止まっている時に一致することを発見した。すなわち、SWRが対応する特定の場所の回路の興奮は、それぞれ自由勝手に発生するのではなく、γ波と連動することで脳全体と関連付けられ、詳細に見ると、行動もこのリズムに従っているという結果だ。個々の回路が自由勝手に興奮すると、脳全体の統合性の維持が壊されるから、それぞれを同期させ、脳の統合性を保っていると知ると面白い。ではγ波はもともとどのように形成されるかなど私にはよくわからない点も多いが、脳でも部分と全体の生物特有因果性が形成されているのを知ると、納得する。オキーフさんたちの偉大さは、理解を深めるほどジワっとしみこんでくる、プロの偉大さのようだ。
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7月19日:iPSを用いた自閉症研究(7月16日号Cell掲載論文)

2015年7月19日
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まだ現役時代、わが国でも疾患iPSを集めるプロジェクトが始まったが、最初は希少疾患に限って樹立を進めようという計画だったと思う。当時希少疾患などに限らず、ガンや血管病など対象を広げたらと意見を述べたことがあるが、おそらく大きな計画の変更なく今も進んでいるのだろう。同じ頃文科省の若手官僚と米国NIHを訪れ、iPS研究の助成方向について意見交換を行った。その時、NIHが統合失調症など高次脳機能障害についてiPSを使った研究プロジェクトを始めようとしていることを聞いて、遠い将来のために研究助成を計画する企画力に感心した。その後米国からは、iPSを用いて高次脳機能にチャレンジする論文が発表されているが、今日紹介するエール大学からの論文もそんな一つと言える。タイトルは「FoxG1-dependent dysregulation of GABA/glutamate neuron differentiation in autism spectrum disorders(自閉症ではFoxG1依存性のGABA/グルタミン酸神経細胞分化の異常が見られる)」だ。自閉症のような極めて高次な脳機能の研究に怯まずiPSを用いる意欲に感心する。その上で、疾患のiPSを作ればいいと言った安易な計画ではなく、自閉症を持つ4家族の全てのメンバーのiPSを作成し、ゲノムや遺伝子発現を比べる、周到な計画のもとに研究が行われている。患者さんの選び方も、既知のゲノム異常を持つケースは敢えて省いて、いわゆる原因がわからない自閉症に焦点を当てている。ゲノム時代に入ってから、世界の研究トレンドを見ると、もう一度家族や双生児の研究が盛んになっているのを感じるが、家族で比べるというこの研究にもこの認識が浸透している。ゲノムが複雑であることを改めて認識した上で研究が進められている証拠だが、このような認識が共有されていないわが国の現状を見ると寂しい気がする(私の認識が間違っていたらぜひ指摘してほしい)。次にiPSから3次元の脳組織を誘導する。試験管内での組織形成で見ると、自閉症患者さん由来iPSもコントロールとあまり変化はない。もちろん誘導されるのは小さな神経細胞の塊なので、実際の組織と対応させる必要がある。培養組織の遺伝子発現パターンと、脳発生での遺伝子発現のデータベースを比較して、妊娠2期の終脳皮質に近い組織であることをまず確認している。このパターンがある程度自閉症で注目されている扁桃体とも相関していることも調べている。その上で、遺伝的には極めて近いが自閉症を発症していない対照と、組織内の遺伝子発現を比べ、1)自閉症由来iPSでは神経細胞増殖が長く続く、2)これに伴いGABAニューロンの数が増大して、相対的にグルタミン酸ニューロンとの比が下がっている、3)この変化は大脳皮質分化に関わることがすでにわかっているFoxG1分子の発現が上昇する結果で、4)正常iPSにFoxG1を発現させることでこの異常を再現できる、5)FoxG1の発現異常の程度は実際の臨床症状と相関する、ことを見出している。4例と症例数は少ないが、本当なら(とただしたくなる)期待をはるかに超える結果だ。着実に当時のNIHが考えた方向の未来が実現していることを実感する。このような方向性は官僚が作れるものではない。研究者が集まって利害を超えて未来を計画することが必要だ。普通ならiPSでは無理と考えることを支援する長期的視野をわが国のiPS研究指導者にも期待したい。長期的発展は助成金の額を増やすことでは実現しない。間違いなく世界レベルでiPSの研究や利用は今後も拡大するだろう。そんな中で、わが国のiPS研究だけが荒れ野と化していたということにならないよう、わが国の指導者は心してほしい。
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7月18日:外傷性神経変性治療への突破口(Natureオンライン版掲載論文)

2015年7月18日
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微小管に結合してその安定性を調節しているタウ蛋白、なかでもリン酸を受けたタウ蛋白が神経変性疾患に関わっていることがよく知られている。これに基づき、アルツハイマー病や外傷性の神経障害などの神経変性性疾患は、リン酸化タウの異常を基礎とするタウ蛋白症として統一的に捉えようと提案が行われている。今日紹介するハーバード大学からの論文はタウ蛋白症の発症メカニズムを明らかにし、変性の早期診断や治療の可能性を示したという点で重要な研究だと思う。タイトルは「Antibody against early driver of neurodegeneration cis-P tau blocks brain injury and taunopathy (神経変性の早期段階の促進因子cis-リン酸化タウに対する抗体は脳障害とタウ蛋白症発症を阻害する)」で、Natureオンライン版に掲載された。このグループは以前リン酸化タウの構造変化を誘導する酵素がタウ蛋白症を阻害することを見つけ、リン酸化タウのcis型からtrans型への変換でタウが無毒化する可能性を示唆していた。即ち、タウ蛋白症はcis型蛋白によって起こることを提唱していた。この論文では、この二つの分子型を区別できるモノクローナル抗体を作成し、cis型がタウ蛋白症を起こす張本人であることの証明を試みている。このモノクローナル抗体を使って急性脳障害を受けたマウスの脳を追跡すると、外傷2日ぐらいからすでにcis型タウ蛋白だけが上昇を始め、これが時間をかけて脳内に広がり神経内で重合することを明らかにしている。また、外傷性神経変性を起こした患者さんの脳サンプルで蓄積しているのがtrans型ではなく、cis型蛋白であることを示している。これらの結果から、神経内でのリン酸化タウの重合は全てこのcis型蛋白のせいであることが結論できる。一度の障害で誘導されるcis型蛋白が、その後脳内に広がり、慢性の神経変性が起こっていくのを示されると、空恐ろしい気持ちになる。次に試験管内の実験系で、障害によって誘導されるのは全てcis型蛋白で、これが他の細胞に伝播して神経変性を拡大していることを証明している。これまでもタウ蛋白がプリオン様性質を持つことが知られていたが、実際cis型とtrans型の2種類の構造があることがわかると納得する。最後に、cis型の細胞内重合化と伝播を新しく作った抗体で抑制できるか調べ、試験管内でも、実際のマウス脳障害モデルでも、この抗体が神経変性を抑制できることを示し、cis型に対する抗体による治療の可能性を示唆している。最も意外だったのは、試験管内の実験で、抗体がFcγ受容体を通って神経細胞内に入り、細胞内でcis型の重合を阻害しているという結果だ。私自身は、抗体の効果はタウ蛋白の細胞から細胞への伝播を止めるのだろうと考えていたので、にわかには信じ難いが、どちらにせよ効果は明らかだ。素晴らしい結果だが、実験のプロトコルにスッキリしないところがある。例えば、脳障害マウスへの抗体投与実験のプロトコルだが、障害前に腹腔に抗体を投与して、障害後に脳内投与をするなど、臨床から考えるとすべて後から投与だけの結果を示したほうがいい。この様に少し問題はあっても、効果は臨床研究に移っても十分だと思えるぐらいはっきりとしており、何よりも急性の損傷が慢性神経変性へと進むメカニズムについてはしっかり頭が整理できた気がする。神経変性性の疾患は高齢化社会の最大の問題だ。このメカニズムはおそらくアルツハイマー病など他の変性疾患にも共通に存在している可能性が高い。素人から見ても、重要な突破口化が開いた気がする。期待したい。
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7月17日:パンダの隠れた病気、甲状腺機能低下症(7月10日号Science掲載論文)

2015年7月17日
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野生の動物を見にいくのは好きだが、動物園は苦手だ。小学校時代を除くと一度ボルネオトレッキングに行った時、乗り継ぎで一泊したコタキナバルのワイルドライフパークに行っただけだと思う。こんな事情だから当然パンダは見たことがない。すでに2000頭を切っているというから、おそらく野生で見る機会もないだろう。ただ、今年5月mBioに掲載されたパンダの腸内細菌には、普通の草食動物に存在するセルロースを分解できる細菌がほとんどないというのを読んで、パンダが短い腸と肉食型腸内細菌叢を持つ本来なら肉食でしか生きることのできない動物であることを知った。今日紹介する中国科学院研究所からの論文はこの矛盾した存在のパンダが生きるために選んだ戦略の一つを示した論文で7月10日号のScienceに掲載された。タイトルは「Exceptionally low daily energy expenditure in the bamboo-eating giant panda (竹を主食とするジャイアントパンダはエネルギー消費が並外れて低い)」だ。この論文を読むまで知らなかったが、重水素と酸素18同位元素で標識した2重標識水(doubly labeled water)を使うことで、毎日のエネルギー消費を調べる方法が開発されているようだ。原理は、2重標識水を摂取、完全に体の水と同化させた後、水としてしか排出されない水素と、水と炭酸ガス両方で排出される酸素の体内からの排出される速度の差をアイソトープで測定、これを元にエネルギー消費を調べる方法だ。この研究では、飼育しているパンダと野生のパンダのエネルギー消費をこの方法で調べ、エネルギー消費量は大きさから計算される予測値の4割しかないことを発見している。これ以外にも、丹念に食事、排出を調べてエネルギー同化についても計算し、2重標識水実験により得られた結果と矛盾がないことを確認している。この低いエネルギー消費を反映して、皮膚の表面温度も他の動物と比べ圧倒的に低い。犬と比べると実に20度近く違う。これらの結果から、パンダはエネルギー消費を落とし、竹を食べることで草食で生き残れた肉食・雑食動物だと言える。言い換えると、エネルギー消費を落とすことで、パンダという矛盾に満ちた存在が可能になっている。もちろんScienceに掲載されるためには、なぜエネルギー消費が低いかを示す必要がある。もともとパンダの甲状腺ホルモンの量が低いことはわかっていたようだが、この研究ではパンダゲノムの比較からDUOX2という甲状腺ホルモン産生に関わる分子をコードする遺伝子にパンダ特異的変異があり、完全なDUOX2分子ができないことを突き止めた。この分子の突然変異によるヒトの甲状腺機能低下症も見つかっていることから、DUOX2分子の機能をあえて失うことで、パンダは自分の矛盾を解決したという結論だ。話は面白いし、これを知るとパンダが本当に愛おしく思える。やはり節を曲げて、王子動物園にでも行ってみようかと思っている。
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7月16日:小細胞性肺がんのゲノム(Natureオンライン版掲載論文)

2015年7月16日
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卒業後、胸部内科を選んだので多くの肺がん患者さんを診ることになったが、やはり小細胞性肺がんの印象が最も強かった。当時は今ほど化学療法は進んでいなかったが、それでも最初は放射線と化学療法がよく効いてガンの大きさが著しく縮小する。しかし喜びは長く持たない。必ず再発し、治療とイタチごっこを繰り返しているうちに、医師は全く無力であることを思い知る。当時は、まだ告知が当たり前でない時代で、状況をどう説明していいのか途方にくれたのを思い出す。今日紹介するケルン大学、スタンフォード大学を中心とする国際コンソーシアムからの論文は小細胞性肺ガンのゲノムの徹底的研究でNatureオンライン版に掲載された。タイトルは「Comprehensive genomic profiles of small cell lung cancer (小細胞性肺ガンの包括的ゲノムプロファイル)」だ。もちろん我が国からも研究に参加しているが、ファンディングには我が国の記述がなく、日本のガンゲノム研究がそれほど助成を受けていないのがわかる。さて、行われたゲノム解析は徹底的で、110人のガンについて全ゲノム解析をするとともに、81人については遺伝子発現の網羅的解析、さらに142人には全ゲノムレベルのSNP解析を行っている。さらに、臨床データをマウスモデルで確かめる実験研究も行っている。ドイツ的な完璧主義を彷彿とさせる研究だ。データは膨大で、詳細は全て省く。意外に思った点や読後感を述べておこう。まずこのガンでは遺伝子変異が異常に多い。普通肺ガンの場合、変異の数は喫煙と相関しているのだが、小細胞性肺ガンの場合相関が見られない。これが正しければ、最初から遺伝子の不安定性がこのガンで起こっている可能性がある。この結果として、Mycなどのガン遺伝子の増幅が起こっているのだろう。私は勝手に小細胞性肺ガンはMycLの増幅と思っていたが、Myc, MycNでもしばしば増幅が見られるようだ。この論文ではp73遺伝子について変異の起こり方を詳しく調べているが、確かに多様な変異が起こっており、全般的に遺伝子が不安定であることが感じられる。もう一つの特徴は、メジャーなガン抑制遺伝子が軒並み欠損しているいることだ。P53やRb1に至ってはほぼ100%といっていい。Mycが発現して細胞周期のチェックポイントが効かないとすると、確かに化学療法や放射線が効くのも納得できる。問題はなぜこれほど再発率が高いかだ。残念ながら、この論文はこれには答えていない。動原体構成成分や、RNAプロセッシングに関わる分子は調べれば面白いかもしれないが、おそらく変異が多すぎて、絞り込むのが大変なのだろう。NOTCHと呼ばれる遺伝子のガン抑制機能を抽出して詳しく調べたデータを示していても、新しい光がさしたという読後感はない。薬剤がすでに開発されている標的分子KIT, RAF, PTENなどについても記載しているが、多くの患者さんはカバーできていない。もちろん少ない数でも、ぜひその効果を試して欲しいと思う。結局、これまで通り比較的多くの患者さんで見られるドライバーを見つけ、ゲノム研究を治療に活かすという方向だけで解決するほどガンは簡単な相手でないということだ。いずれにせよ、これだけ豊富なデータが蓄積された。これからは、ガンの共通性だけを求めるのではなく、ガンの個性に軸足を置いた研究(例えば個別のガン抗原が見つかるか?)も必要になるだろう。このデータの真価を知るのはずっとあとになる気がする。野心のある若い医師がぜひ様々な角度からこの膨大なデータベースを丹念に調べなおして欲しいと思う。読んだあと、40年すぎても、ゲノムが明らかになっても、小細胞性肺ガンではガンが優勢であることを思い知らされた。それでも、あと少し頑張れば医学が優位にれるかもしれないと期待している。
カテゴリ:論文ウォッチ
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