12月3日:図鑑から計算される鳥の羽色の進化(11月19日号Nature掲載論文)
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12月3日:図鑑から計算される鳥の羽色の進化(11月19日号Nature掲載論文)

2015年12月3日
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熱帯雨林を歩く楽しみの一つは様々な羽色をした鳥に出会えることだ。写真は今年エクアドルで出会ったスズメ目のフウキンチョウの一種アオバネヤマフウキンチョウだが(写真を撮ると人に見せたくなるのが常だ)、このパターンをなんとか説明するのも科学の使命だ。このフウキンチョウは一夫多妻でメスは地味だ。したがって、一般的にオスがメスを獲得するため美しい羽色を獲得すると言われている。もし個別のパターンを説明したいなら、鳥の視覚からこのパターンがどう見えるのかを知るところから始める必要があるだろう。まだまだ難しそうだ。今日紹介するニュージーランド国立数学研究所からの論文は、メスを巡っての競争だけでなく、鳥の羽色に影響のある要因を数理的に割り出そうとした論文で11月19日号のNatureに掲載された。この研究の鍵は、鳥の羽色のパターンをオス・メス別々に取り込み、オスとメスの差を色の派手さにとらわれず一つの指標で数値化する方法の開発だ。こうして調べると、メスが派手な鳥はほとんどおらず、派手なのはオスであるのがわかる。しかし同時に、オスもメスもほとんど同じ色彩を持っている鳥も数多くいることもわかる。この基礎データに今度は鳥の習性との相関を重ねて、羽色の進化に関わる要因を調べている。これにより、例えばオス・メスの羽色が大きく違う種のサイズは小さく、気候の影響が強く、渡りの習性とも関わることがわかる。こうして計算すると、やはり一番大きく影響するのは相手をめぐるオスの競争で、この影響でメスはますます地味に、オスはますます派手になる。一方体や羽の大きさに比例して羽色指標も上昇する。他にも渡りの習性、熱帯気候も羽色に影響することが計算される。まとめると、オスのメスをめぐる競争だけでなく、他の要因も羽色に影響するという結論だ。結論が当たり前すぎて、狐につままれているような気がする論文だが、図鑑をスキャンして、それを数値化する作業だけでNatureの論文にしたのは頭がさがる。PCがあれば、高校生でもできるだろう。誰もが当たり前と納得していることでも、科学にするための手続きとは何かを教えてくれる面白い論文だと思う。一番大事なのは、現象から明確で実験可能なquestionを抽出することだ。あとは論文を書く訓練をすればいい。高校生が、金をかけずにトップジャーナルを狙って論文を書く時代が来れば我が国の科学も安泰だ。
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12月2日:ガン免疫を成立させるための治療法の開発(11月25日Science Translational Medicine掲載論文)

2015年12月2日
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手術のできない進行ガンの根治のために現在考えられるのは免疫療法しかないのではないかと思える今日この頃だが、現在は免疫チェックポイント阻害に注目が集まって、肝心の免疫を成立させる研究はあまり報道されていない。免疫刺激を持続的に維持しないとチェックポイント治療も無力で、逆にガンの方をよりステルス型に変えてしまう。これまでは免疫刺激療法としてはワクチンや樹状細胞治療が存在するが、今日紹介するバーゼル大学からの論文は、毒素をつけた抗体を用いてガンを殺し、その場に樹状細胞やT細胞を引きつけることで免疫を成立させ、それにチェックポイント治療を組み合わせるという理論的な枠組みを確かめる研究で、11月25日号のScience Translational Medicineに掲載されている。タイトルは「Trastuzmab ematasine(T-DM1) renders HER2+ breast cancer highly susceptible to CTLA-4/PD-1 blockade (トラスツズマブエムタンシン(T-DM1)はHER2陽性乳がんでCTLA4/PD-1治療の効力を高める)」だ。T—DM1はロッシュが開発し、進行乳がんに現在使われている薬剤で、乳ガンが発現しているHER2に対す抗体にエムタンシンという毒素を結合させた治療薬だ。わざわざ毒素をつけなくとも、HER2に対する抗体は細胞障害性があるはずで、なぜ毒素をつけたほうが延命効果があるのかを調べる過程で、エムタンシンが障害されたガン細胞を処理する樹状細胞活性を上昇させる効果があることに気がついた。抗体のみの投与、エムタンシン結合抗体T-DM1の投与患者の組織を比べると、確かにTDM-1投与群の組織では、樹状細胞とともにT細胞の浸潤が高まっている。また、T細胞を殺す操作をすると、毒素をつけた効果がなくなる。期待通り、 T-DM1がガンを殺すとともに免疫刺激を誘導していることを示している。そこで実際に免疫刺激が成立しているか調べる目的で、マウスのモデル実験系を用いて、T-DM1投与と同時に免疫チェックポイントCTLA-4とPD-1両方を抗体で抑制すると、ほとんどのマウスで完全に腫瘍を消失させることに成功し、9割以上のマウスで観察した200日は再発がないという画期的な結果が得られている。あとはなぜ免疫がどう成立しているか調べているが、この毒素のおかげでガン周囲のマクロファージのPD-L1が上昇し、様々な炎症誘導性のサイトカインが上昇し、さらに都合のいいことにガンの増殖を助けるVEGFやM-CSFは抑制される。あまりに都合良すぎて目を疑うが、実験モデルでのガン抑制効果には嘘はないだろうから、納得できる。ただ、このフレームワークはおそらくガン免疫に関わる人なら誰もが考えていたはずで、このグループがエムタンシンを用いた点がうまくいった理由だとおもう。私にとって最も面白かったのは、この治療の組み合わせではガンに浸潤するTreg (昨日のホームページを参照してください。http://aasj.jp/news/watch/4492)はそのまま残っているという発見で、ガン免疫抑制にあまりTregは関わらないという結論だ。チェックポイント治療が強い自己免疫反応を起こすことが最も重大な副作用になるが、Tregが残ることで自己免疫反応を抑えながら、ガン免疫だけを高めることができれば、これは一石三鳥に四鳥にもなる。理論的だし、ガンの根治への期待が持てる結果だと思う。
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12月1日:1型糖尿病に対する抑制性T細胞(Treg)移植(11月25日号Science Translational Medicine掲載論文)

2015年12月1日
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1型糖尿病は膵島移植の対象で、変性性の病気だと思っている人が多いと思う。確かにインシュリンを分泌する膵臓β細胞が徐々に失われるが、これを引き起こしているのはT細胞による炎症で、自己免疫疾患がその本体だ。したがって、初期の段階では自己免疫反応をなんとか抑えて病気の発症を抑えられないかという試みが続いており、例えば抗CD3抗体治療など臨床治験が進んでいる治療もある。中でも期待されているのが、我が国の坂口さんが発見し抑制性T細胞(Treg)を移植して、免疫を抑える方法で、癌で行われているチェックポイント治療の逆をいく治療だ。今日紹介するサンフランシスコ糖尿病研究センターからの論文は、26人の1型糖尿病患者さんからTregを取り出し、試験管内で増やした後、患者さんに戻す治療法の第1相治験で11月25日号のScience Translational Medicineに掲載された。タイトルは「Type1 diabetes immuneotherapy using polyclonal regulatory T cells(多クローンのTregを用いた1型糖尿病の免疫治療)」だ。このグループが開発したTregを精製する方法がこの研究の鍵で、この方法により、Tregだけを試験管内で増やすことができるようになっていた。この方法を使って26人の初期患者さんからTregを調整、試験管内で増殖させた後、異なる細胞数を投与したのがこの研究で、第1相治験なので、目的はこの方法で調整したTregの安全性を確かめる研究だ。Tregは抗原特異的細胞で、本来ならβ細胞をアタックするT細胞だけを特異的に抑える細胞を取り出したいところだが、難しいのでこの研究ではTregの量を増やすという戦略をとって調べている。2年以上の経過観察で有害事象は何もなかったので、Tregを安全に選択的に増殖させ、移植もできることを確認する第1相試験としては成功している。もちろん2年も追跡するのだから、安全性以外にも幾つかの項目を調べている。まず、水素同位元素を用いたTreg標識で移植した細胞の持続性を調べているが、多くの患者さんで2年以上にわたって持続することが分かった。そして、少ない細胞数を投与された患者さんでは、インシュリンの分泌を表す血中Cペプチドの低下を抑えることができている。この結果より、Tregを試験管内で増殖させ投与するという方法は安全で、今後患者さんのステージ、投与細胞数、投与回数などをさらに調節することで、治療効果が見られるようになるのではと結論している。データをみると、目覚しい効果というわけにはいかないし、患者さんもインシュリンを手放せない。しかし、長く待たれていたTregを使った治療の第一歩としては上々の滑り出しではないかと個人的には思っている。
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11月30日:未熟児壊死性腸炎へのビフィズス菌の効果(11月25日号The Lancet掲載論文)

2015年11月30日
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新生児医療が大きく進歩し、早産児の命を助けることが可能になってきた今も、壊死性腸炎は重症化すると外科的処置以外に治療法のない死亡率が15−30%に達する病気だ。これに対する期待の治療法として、最近いわゆる「善玉菌」を投与するプロバイオ治療が登場している。特にこれまでの研究をまとめたコクラン財団のメタアナリシスもこの可能性を支持しており、積極的に治療に取り入れるべきだと結論している。   今日紹介するロンドン大学医学部からの論文は、23−30週で生まれた早産児を2群に分けて、出産後48時間以内に我が国のヤクルトが準備したビフィズス菌と偽薬を毎日腸内に直接投与し、壊死性腸炎と敗血症を指標としてその効果を検証する研究で、11月25日号のThe Lancetに掲載された。タイトルは「Bifidobacterium breve BBG-001 in very preterm infants: a randomised controlled phase3 trial(早産児のBifidobacterium breve BBG-001治療:第3相無作為化治験)」だ。研究では2010年7月から2013年7月までの3年間にロンドン市内24の病院で23−30週で生まれた1300人余りの早産児を2群に分け、凍結乾燥したビフィズス菌を、非投与群と比べた大規模研究だ。この研究は英国衛生研究所とともに、我が国のヤクルトが助成を行っている。さて結果だが、壊死性腸炎は投与群で9%、非投与群で10%、敗血症は投与群で11%、非投与群で12%、院内での死亡率は投与群で8%、非投与群で9%と、基本的にはビフィズス菌の効果がなかった。ただ、ビフィズス菌自体が早産児に悪影響を及ぼすこともない。今回の研究では投与したビフィズス菌の定着をきちっと調べており、早産児では44%と低いことが示されている。より定着を高めた上での研究も必要だろう。またこの研究はビフィズス菌のみの投与で、2種類のビフィズス菌とストレプトコッカス一株の3株混合を投与するオーストラリアの介入研究では、敗血症の予防に効果が見られると報告されている。もともと腸内細菌叢が様々な菌のバランスの上に成立していることを考えると、一株のみ投与する方法には限界があるのかもしれない。この論文はいわばネガティブデータの論文だが、このような困難な治験をしたヤクルトには拍手を送りたい。食品とのボーダーにある保健機能食品はわが国だけでなくほとんどの国で効果検証についての規制がなく、基本的にはマーケティングの領域になっている。そんな中で、外国とはいえ、プロバイオ製品の科学的検証を目指す態度は、ぜひ他社も見習って欲しいと思う。
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11月29日:着眼点の勝利:Wntによる副睾丸での精子成熟(11月19日Cell掲載論文)

2015年11月29日
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  一般の人はWntと聞いてもなんのことかよくわからないだろうが、Wntを理解しない発生学者・幹細胞生物学者・ガン研究者はもぐりと言ってもいいぐらい、ほとんどの細胞系列の正常・異常発生に関わっている。Wntによって刺激されるシグナル経路に関わる分子も詳しく研究されており、下流のリン酸化酵素GSK-3を抑制することがシグナル伝達の鍵になっていることがわかっている。残っていた一つの謎が、これまで主に研究されてきたGSK-3によりリン酸化され分解されるβカテニン以外に、Wntの下流のシグナル分子がないかどうかだ。例えばマウスのES細胞やiPSを最も確実に培養するにはGSK-3阻害剤を用いるが、この時βカテニンがノックアウトされている細胞を用いても同じ効果がみられる。したがって、必ずβカテニン以外のWnt下流で働く分子があるはずだと考えられてきた。しかしほとんどの細胞はβカテニンなしに生存できず、またβカテニンの作用は広範に及ぶため、これ以外のシグナル経路を特定するのは至難の技だった。今日紹介するドイツ・ガン研究所からの論文は副睾丸に移動してきた核内での転写が全く必要のない精子を用いることで、βカテニンの関与を完全に排除してWnt/GSK3の作用を調べることができることを着想した頭のキレをうかがわせる研究で、11月19日号Cellに掲載された。タイトルは「Post-transcriptional Wnt signaling governs epididymal sperm maturation (Wntシグナルは副睾丸での精子の成熟に関わる転写後の過程を制御している)」だ。しかし、染色体が凝縮して転写がほぼ停止している精子だけで働いているCCNY1分子ノックアウトマウスを使えば長年の謎が解けると着想した頭の切れる研究者は誰かと思って著者欄を見ると、Christof Niehrsさんだ。彼がいかに頭の切れる研究者かということは、彼の同門で亡くなった、やはり頭の切れる笹井さんからなんども聞かされていたが、この研究はこの評判に新しいエピソードを加えることだろう。   前置きが長くなったが、精子のWntシグナル活性化に関わるCCNY1分子をノックアウトしたマウスを用いてWntの作用を特定したのがこの研究だ。詳細を全て省いて結論だけをまとめると、1)転写活性のほとんどない精子でもWntシグナルがβカテニンを介さず多様な作用を持つことが初めて明らかになった、2)精子でWntが働かないと、GSK3はβカテニン以外にも多くのタンパク質をリン酸化し分解している、3)WntシグナルはGSK3によるseptinn4分子リン酸化を抑制して安定な重合体の形成に関わり、これにより精子の尻尾に一種の壁ができて分子の局在を調節する、4)Wntシグナルは脱リン酸化酵素PP1を阻害することで、それまでPP1により止められていた精子の動きを誘導する、5)副睾丸でWntシグナルはエクソゾームと呼ばれる小胞を介して精子を刺激する、という盛りだくさんの結果だ。専門外の人にはWntがGSK3を阻害して働くなど、少しわかりにくいところはあると思うが、この分野の知識を持つ研究者や学生にとっては、様々なモヤが晴れる研究だった。しかし、Wntとはまず関係がなさそうに見えた成熟精子を使うと着想した頭のキレがこの研究の全てだと思う。楽しい論文だとおもう。
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11月28日:古代人の遺伝子検査(11月23日号Nature掲載論文)

2015年11月28日
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  アメリカと比べると随分遅れたと思うが、今年が我が国の遺伝子検査元年だと言われている。一般的に考えられている遺伝子検査の重要性は、自分の体質を知り、将来の病気のリスクを知ることだが、これはほんの一部の可能性に過ぎない。実際には私たちのゲノムには、38億年の生物の歴史、そして40万年の人類の歴史が書かれている。これまで人類の歴史は私たちの脳活動から生まれた遺物や記録を元に推測するしかなかった。そこに新しくより身体と密接に関連したゲノムが記録として登場したのが現在だ。ゲノムの変遷から人類の歴史を読み直し、脳活動の産物から解読した歴史と比べるというエキサイティングな研究が今急速に進んでいる。   今日紹介するハーバード大学からの論文はBC6500年からBC300年にユーラシア各地に暮らしていた古代人のDNAを回収して、現在個人遺伝子検査として行っているSNP(一塩基多型)検査を行った研究で、11月23日号のNatureに掲載された。タイトルは「Genome-wide patterns of selection in 230 ancient Eurasians(230人の古代ユーラシア人のゲノム全体にわたる選択の跡)」だ。この研究ではすでにデータが発表されている63人の古代人(63人も既に解析されているのに驚く)に加えて、163人のゲノムを新たに調べている。これを現在行われているのと同じように、120万SNPについて遺伝子型を特定している。調べたのは北欧からカスピ海北部中央アジアにかけて出土した人骨で、アイソトープによる年代測定が確定したサンプルだ。研究には2つの目的がある。一つはユーラシア各地の民族の移動と定着過程を明らかにすること、もう一つは、現代ヨーロッパ人に見られる形質が選択される過程を明らかにすることだ。膨大なデータなので全て紹介することはできないが、いくつか面白い発見を抜き出しておこう。現代ヨーロッパ人のルーツを探る時、現トルコに位置するアナトリアの古代人が鍵になることは知られていたが、アナトリア古代人のゲノムは中近東の現代人とはあまり似ておらず、ハンガリーからスペインにかけての初期農耕民族に似ている。この結果は、ヨーロッパ農耕民族はアナトリア人と祖先を共有していることが想像できる。ただヨーロッパに定着したグループは、もともとヨーロッパにいた狩猟民族と交雑を重ねて、独自の民族に発展している。他の地域の解析も行われているが、この比較により、現在ユーラシアに存在する民族の発展過程がかなりの精度で推定できる。   このような民族の発展は、当然、戦いも含む民族間交流、そして生活環境の変化で形作られて行く。この研究では、各民族を決めることになる身体的特徴がどう選択され定着したかを調べている。各個人間で大きな違いが見られ、民族の形質の選択に関わったと想像出来るSNPを探していくと、少なくとも3種類の多型を持つ12遺伝子座が残る。この中で一番はっきり別れるのが、乳糖分解酵素持続症で、BC2000年頃にヨーロッパで定着している。この形質は牧畜により大人になっても人間がミルクを飲む食習慣と相関しており、ヨーロッパでの牧畜の起源を特定することができる。他にも、ビタミンD代謝、皮膚の色のような日照時間と関連する形質や、農耕生活で不足するエルゴチオネイン吸収システム、そして結核やらい病に対する抵抗性を決める自然免疫など、民族レベルの選択に関わる形質がこのSNPには含まれている。今後、各形質について、他の遺物との比較が行われ、ますますエキサイティングな人類史が聞けるのもすぐだろう。最後に背の高さの違いについても調べている。180cm以上の背の高さと関連するSNPをこの230人について調べると、ヨーロッパの農耕人は背が低く、高い身長はヨーロッパ南東部ステップ(草原)の民族に由来していることがわかる(確かにクロアチア人は今も背が高い)。そしてこの差が、現在ヨーロッパ北部の方が南部より身長が高いという形質につながっているようだ。   最近Nature,Scienceなどに続々登場する新しい人類史の研究は21世紀が個人ゲノムの時代であることをはっきりと教えてくれる。
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11月27日:パーキンソン病のディスキネジア(不随意運動障害)の生理学(11月18日号Neuron掲載論文)

2015年11月27日
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先日発表されたiPSを用いた再生医療工程表の見直しは、自分が治療を受けられるのはずっと先だと思っていても、結果を心待ちにしていたパーキンソン病の患者さんを失望させているようだ。私たちのAASJでも、来られた患者さんはとりあえず京大を紹介して、治療の可能性を待つよう手配してきた。ずいぶん前に、最初の工程表作成に関わった私から見たとき、今回の見直しの周りで進んでいる状況は、治療開始が大幅に遅れることを予感させる。山中さんがノーベル賞をもらったこと以外に、これまでと何が変わったのかを含め、この状況については12月4日午後7時から緊急にニコニコ動画を使って、パーキンソン病の患者さんや神戸の難病連の方たちと分析をしたいと思っている(http://live.nicovideo.jp/watch/lv243264737)。最初の工程表作成に関わったとき、iPS研究の中心研究者から聞こえるのは安全性の確認の話ばかりだった。そんな状況を見て、当時再生医学実現化プロジェクトの座長だった私は、大阪大学の岸本先生から、「要するに「危ない技術で実用化は先の先や!」ということやな!」と言われたのを覚えている。   
これについては当日ゆっくり議論することにして、今日は生理学の基礎研究から生まれたパーキンソン病のディスキネシアを抑える新しい可能性について述べたアメリカノースウェスタン大学からの論文を紹介する。タイトルは「M4 muscarinic receptor signaling ameliorates striatal plasticity deficits in models of l-dopa-induced dyskinesis (M4ムスカリン受容体の刺激は線条体での可塑性の欠損を改善しl-dopaにより誘導されるディスキネジアモデルの症状を改善する)」で、11月18日号のNeuronに掲載されている。線条体では、ドーパミン性とコリン性の刺激がバランスをとることで意思通り手や足が動くのを調節している。ドーパミン産生細胞が変性するパーキンソン病ではこのバランスが崩れ、震えや筋肉の動きが硬くなる。この症状を理解する鍵は線条体に存在する有棘神経興奮の長期抑制(LTD)と増強(LTP)を調節するドーパミン受容体であることがわかっていたが、それ以外の刺激についてはまだよくわかっていなかったようだ。この研究では、線条体を切り出したスライスを用いた試験管内の生理学実験系で有棘細胞のLTDとLTPを調べ、このバランスに関わる神経刺激物質を調べている。手法は極めてオーソドックスな生理学だが、目的の神経を特定したり操作するために様々な遺伝子改変技術を使っている。詳細を全て省いて結論だけを述べると、M4ムスカリン受容体刺激が有棘細胞のコリン作動性のLTDを促進し、ドーパミン作動性のLTPを抑制することを明らかにした。この結果に基づき、パーキンソン病モデルでM4ムスカリン刺激の効果を調べ、有棘細胞が示す異常なLTPを抑制できることを突き止めた。最後に、M4受容体を活性化させるPAMによって、パーキンソン病の患者さんがL−Dopaを服用したときに示すディスキネシアが抑制できることを示している。実際の論文は、プロの生理学で、幹細胞研究者とは頭の中が違うと思わせる実験が行われているが、最後に患者さんの問題を解決するところまでトランスレーションが進んだのはさすがだと思うし、嬉しい。これも早く治験を進めてほしい結果だ。
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11月26日:パリ多発テロに対する緊急医療対応(11月25日号Lancet掲載緊急レポート

2015年11月26日
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パリで同時多発テロが起こったのは11月13日の夜だった。それから2週間も経たない11月25日、イギリスの医学雑誌「The Lancet」に、テロ当夜300人を越す負傷者の治療に関わったAPHP(Assistance Publique- Hopitaux de Paris)の危機対応ユニットと、SAMU(Service d’Aide Medicale Urgente)メンバーの手記を含む、当時の救急医療対応についてのレポートが掲載された(Hirsch et al, The medical response to multisite terrorist attacks in Paris, The Lancet, http://dx.doi.org/10.1016/S0140-6736(15)01063-6)。緊迫感の伝わるレポートで是非一読を勧めるが、一般の人が雑誌にアクセスするのは難しいと思い紹介することにした。これほど迅速にレポートが医学誌に掲載されたのは、明日またテロが繰り返えされてもおかしくない多発テロの危険にさらされている各国の救急医療体制に対して、経験に基づくアドバイスをいち早く世界に提供するためだ。このレポートを、順を追って紹介しよう。
イントロダクション
最初にAPHPとSAMUについて説明している。APHPはパリ市にある44の病院を組織する世界最大の病院システムで、その中に危機対応部門が設けられている。大規模災害や同時多発テロのような緊急事態発生時にAPHP危機対応部門が招集され、APHP傘下の40病院の人員と施設、設備を一つの組織として、最大10万人の医療従事者、22,000の病床、200の手術室を指揮下において統一運用できるよう組織されている。一方、SAMUはフランス全土に救急医療サービスを提供する組織で、その高い能力、的確性、迅速性は、世界的に有名だ。緊急時には、救急車両や医療チームを現場に手配、派遣し、現場でのトリアージとともに負傷者(患者)の生の声を聞き、搬送先の医療機関を決定する任務を担っている。 今回の同時多発テロで最初の爆発が起こったのは、フランス対ドイツの男子サッカー試合中の会場である「スタッド・ド・フランス」(フランス サン=ドニにあるスタジアム)で午後9時頃だったが、午後10時34分にはすでにAPHPの危機対応部門が招集され活動を始めている。そしてすぐに、APHP設立後、初めてとなる、重大事態への最高レベル対応である「ホワイトプラン」を発令する。この迅速な対応により、治療を受けた負傷者302名のうち298名の命を救う(しかし、4名の尊い命は、失ってしまった。)ことができている。今回のテロ事件では、テロの標的となったバタクラン劇場(フランス、パリ11区の劇場で、コンサートが開催されていた。)の犠牲者が増えるに従い、APHP傘下の病院だけでなく、予備施設として大学の病院も組織に組み込む準備をしたことも述べられており、APHPに広範囲の機関や組織にわたる一元的で強い権限を与えられていることが理解できる。また対応マニュアルも詳細に規定されているようで、今回、精神科を中心とした心のケアチームまで組織されていることには驚くばかりである。 イントロダクションの後、現場で対応に当たったメンバーの手記が続く。 SAMU救急隊の医師の手記
SAMUは、「スタッド・ド・フランス」(サッカー会場)での自爆テロ発生の一報を受けた後、即座に医療チームを現場に派遣している。SAMUの指揮を担当する危機管理チームは通常15人の電話対応要員と5人の医師から構成され、現場からのトリアージ結果の報告を受けるとともに、その報告に基づいてどの現場にどれだけの救急車両を手配し、負傷者をどの病院に搬送するかを指示命令する。今回、「ホワイトプラン」が発令された後、SAMUではそれぞれの現場に医療救急隊チームを45に分けて派遣するとともに、15の予備チームを待機させている。予備チームを設けることで、当初の現場にすべてのチームが集中することを避け、次のテロ行為が発生等の不測の事態を想定した重厚な布陣であると言える。この指揮系統の一元化のおかげで、自力での移動が困難な256人の負傷者は救急車両で搬送され、自力で移動が可能な残りの負傷者は指示された病院に迅速に移動し治療を開始することができた。また、今回の負傷は、ほとんどが銃創であるため、病院に到着するまでの搬送前、搬送中における医師による止血等の適切な外科的処置が生死や予後に大きく影響することから重要となる。今回は、35の外科チームが組織されて重症者の処置に活動していたようだ。治療のためのマニュアルは記載内容が徹底しており、まず止血帯を用いて出血を止めることを最優先にしており、今回、救急車両等に搭載している止血帯がすぐ底をつくほどの使用量されたようだ。止血の後には、体温を保持するとともに、意識を維持しながらも血圧をなるべく低く保って、輸液を抑えるという処置が行われている。また、マニュアルを改善するために、一つひとつのテロ対応の経験を学術論文として素早く発表し社会で共有することの重要性も強調している。今回は、SAMUにとっても前例のない規模の事件対応になったが、結果としてSAMUの大規模テロ対応能力の高さが示されることとなった。これも全て日頃の訓練の賜物で、嘘のような話だが、事件当日もテロ対応を想定した訓練が行われていたようで、実際の招集がかかった時、訓練の続きかと勘違いした隊員もいたようだ。 麻酔医の手記
次に、パリに5箇所設けられている最高レベルの外傷治療センターの一つであるピティエ=サルペトゥリエール慈善病院(フランス、パリ13区)で事件に対応した麻酔医の手記が掲載されている。やはり日頃の訓練が徹底しており、召集される前から事件を聞いてAPHPのスタッフの多くが、自発的に病院に駆けつけ、この病院だけで即座に10室の手術室を準備できている。それでも予想を超える負傷者が運び込まれる事態となってしまったが、手当に必要な医療品のストックは十分確保されており、日頃の準備が完璧であったことを示している。また、銃創治療の訓練も繰り返して行われており、これらの経験に基づいて負傷の重症度を的確に判断し、処置ができたようだ。病院側の体制として重要なのは、手術後の患者を収容するベッドの確保で、このベッドの確保を適切に行うことにより手術室やICU(Intensive Care Unit:集中治療室)が塞がることなく、多くの負傷者に対応できている。多数の負傷者等の受け入れでは、治療を一方向に進むベルトコンベア方式で行う体制が重要であることが強調されている。さらに重要なのは、病院入り口での負傷者のトリアージで、X線検査、CT検査などの必要性、手術室の選択を一元的に決定し、全体がその判断に従う体制だ。この病院では、これを可能にするため、入り口と処置室の状況を把握して患者の搬送先を指揮する医師を、病院入り口と病院内の各所に配置し、トリアージを行っている。この結果、24時間で全ての手術が終わり、なんと次に起こるかもしれないテロリストの襲撃に備えたという。最後に、組織と訓練だけでなく、「各人がベスト以上のことをやろうという強い意志を持つこと」の重要性も述べて手記は終わっている。 外科医の手記
これを書いた外科医はAPHP傘下のラリボアジエール病院(フランス パリ10区)の整形外科医で、事件発生後2時間で病院に駆けつけている。そのときにはすでに6~7人のスタッフが、手術室の準備を自発的に行っていたようで、この外科医も病院スタッフの日頃からの訓練に裏付けられた自発性と専門性が危機対応時の成功の鍵となることが強調している。また、多くの予備の看護婦も自発的に治療を手伝い、全員が心を一つにして一人でも多くの命を助けようとしたことが述べられている。この病院では、経験のある2人の医師が、重症度の高い患者の手術室と、重症度のそれほど高くない患者の処置室に配置され、連絡を取り合いながらトリアージを行っている。このおかげでやはり24時間ですべての負傷者の処置を終えることができている。整形外科医なので、足や腕の銃創と銃弾により破壊された骨の手術を行っているが、処置したすべての患者は全く血管が傷ついていなかったことに驚いている。すなわち現場のトリアージが十分機能したことによって、血管の損傷した患者は、的確に血管専門外科を有する他の病院に搬送されていたようだ。最後にこの外科医は、スタッフ全体の信頼の醸成と、コミュニケーションがスムースに行われたことによって、大きな仕事を成し遂げたという満足感を述べている。
以上の記事は、断片的だが、今回のパリ同時多発テロ事件の対応を今後の遺産として残し後世で役立たすために、この緊急レポートが書かれている。私の文章でこの緊迫感が伝わったかどうかわからないが、当時の様子がよく分かるレポートだと思う。全体の結論としては、死者を負傷者の1%に抑え込むことができたという報告になっているが、今回の同時多発テロ事件がもし平日の昼間に起これば、ここまでの結果が得られたかどうかわからないとの反省も表明している。 繰り返すが2週間以内にこのレポートを発表するAPHPのリーダーシップには舌をまく。フランスは、ドゴール時代からテロにさらされてきた、いわば戦時下等の非常事態発生時の人的、物的、制度的準備の整った国であることがよく理解できる。我が国ではフランス政府に匹敵する実戦で対応できる非常事態発生時の体制や準備はできていないだろう。ではフランスを見習えと単純に言うのは簡単なことだが、平和ボケのせいかもしれないが、私には憚られる。 しかし、我が国でも、地下鉄サリン事件における、聖路加国際病院の石松伸一救急部長や関係者の現場での事態対応や、信州大学医学部付属病院の柳沢信夫病院長からの経験と知識に基づく支援対応を大規模緊急事態時に実践してきた経験と実績もあることから、共有すべき過去の経験は存在しているはずではある。これらの経験を過去に埋没させるのではなく、きちんと後世のために生かしていける社会となることを切に願わずにはいなられない。
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11月25日:ジストロフィン(筋ジストロフィー原因分子)の新しい機能(Nature Medicineオンライン版掲載論文)

2015年11月25日
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ドゥシャンヌ型筋ジストロフィーは全身の筋肉が進行性に変性する、現在まで決定的な治療方法のない遺伝性疾患だ。ただ、この病気の原因になる分子ジストロフィンの機能とジストロフィーの発症メカニズムについては研究が進んでおり、筋繊維と細胞骨格を連結する役割を担うジストロフィンが欠損すると筋繊維の安定性がなくなり、その結果筋肉が変性すると説明されてきた。また、これまで私もそう理解してきた。しかし最近これだけでは説明できない現象が発見されていたようだ。今日紹介するカナダ・オタワ大学からの論文はジストロフィンの新しい機能について明らかにし、筋ジストロフィー発症の新しいメカニズムを提案している研究でNature Medicine オンライン版に掲載されている。タイトルは「Dystrophin expression in muscle stem cells regulates their polarity and asymmetric division (ジストロフィンの筋肉幹細胞での発現は細胞の極性と不等分裂に関わる)」だ。これまジストロフィンは筋肉幹細胞には発現していないのではないかと考えられてきたようだが、著者らはジストロフィンが筋肉幹細胞にも発現し、しかも幹細胞が活性化されると、分裂前から細胞の片側に局在して極性を作り、娘細胞の分化を誘導することに気がついた。この発見がこの研究の全てだと思うが、この結果を受けて、ジストロフィンの機能を、幹細胞が未分化細胞と分化細胞へと不等分裂を起こす時のオーガナイザーの役目を果たしていると着想する。そこでジストロフィンの発現を幹細胞でノックアウトすると、予想通り不等分裂がうまく進まず、分化した細胞が産生されない。また、これまで筋肉幹細胞の不等分裂を調節する様々な分子パスウェイとジストロフィンは、微小管の構成を調節するシグナル分子Mark2を介して連結していることも分かった。ジストロフィンが欠損すると、不等分裂の鍵となるPard3分子が細胞全体に分布し、極性が成立しないという結果は、ジストロフィンが幹細胞の不等分裂をガイドするための細胞極性成立の決定因子であることがわかる。おそらく、細胞の分裂方向を決めるのに一役買っていると推定しているが、この結果細胞の分化が進まないだけでなく、細胞分裂自体も異常になり、その結果細胞が死ぬことも明らかにしている。最後に、生体内の幹細胞でのジストロフィン欠損の効果を筋肉再生モデルを使って調べ、幹細胞が担っている再生が阻害されることを示している。これまで示唆されてきた可能性がすべて覆るわけではないが、この研究により、幹細胞レベルの再生にもジストロフィンが関わることが明らかになり、今後幹細胞をターゲットとした遺伝子治療や細胞治療の可能性を示唆している。今後ヒトの筋肉細胞でもこの説が正しいか確認されるだろう。わかったと納得しないことが新しい研究に重要なことがわかる良い例となる研究だと思う。
カテゴリ:論文ウォッチ

11月24日:公正観念の発達(11月18日号Nature掲載論文)

2015年11月24日
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我が国では人文系の学部の再編や廃止が議論されており、すでに地方の国立大学ではこの方針に従った再編案計画を出す動きがあるようだ。医学部に進学したものの、もともと感覚としては人文系の人間だった私にとっては、人文系の廃止と聞くと即、品がないと思える。法人化と同じように、日本の高等教育の長期的視野なしに思いつきで始めた大学の疲弊を招くだけの政策なら早く改めた方がいい。しかし21世紀、多くの人文系の分野が自然科学と融合した分野へと変貌することはわかる。例えば、ゲノム研究が考古学や歴史学を今大きく変化させているし、脳研究が精神についての科学を変貌させている。また、昨年Scienceが格差問題を特集し、Natureにも社会学系の論文が散見されるようになるなど、一般紙の編集方針にもこの方向を強く後押ししようとする意図が見える。ただ、医学から見ても多くの論文はまだまだ新しい科学と従来の人文科学の間をさまよっているように思える。今日紹介するボストン大学脳研究所からの論文も、公正・道徳のような最も高次の脳機能を扱うという点で挑戦的だが、結論のわかりにくい研究だ。タイトルは「The Ontogeny of fairness in seven societies (7つの社会で育つ子供における公正さの発生)」だ。これまでの社会心理学の研究で、公正観念を自己有利な公正と自己不利な公正に分けて調べる方法が確立しているようだ。自己不利な公正とは、自分が不利な状況で公正を求める感覚で、自己有利な公正は、自分が有利な状況で公正を求める感覚だ。実験手法は確立しており、2人の人間を対面させ、例えばお菓子を配る状況で、自分の方に少なく分配されたとき不公平と感じてこの配分を拒否する感覚が自己不利な公正観念で、自分の方に多く分配されたときでも不公平で相手に申し訳ないとしてそれを拒否する感覚が自己有利な公正観念になる。この研究では、分配を拒否するとどちらもお菓子はもらえないことを経験させた上で実験を行っている。すなわち、拒否すると何ももらえないので、少しでももらう方を選ぶか、もらえなくとも抗議の意思を示すかの選択になる。直感的にわかるように、自分が不利な場合、何ももらえなくとも抗議して常に公平を求める感覚は、4歳児ですでに見られ、早くから身につくようになる。実際、サルも同じ行動を示すらしい。一方、自分が多くもらえる状況で、不公平であると意思表示するようになるのは教育が必要で、たしかに発達する時期も学童期以降と遅い。この研究では同じ実験を、インド、メキシコ、ペルー、ウガンダの農村、アメリカ、カナダの都会、そしてセネガルの貿易港湾都市ダカールで行い、それぞれの社会で何歳ごろから2つのタイプの公正を求める心が生まれるか調べている。予想通り、アメリカ、カナダの都会では農村と比べると公正を求める感覚は有利、不利を問わず早く始まり、年齢とともに発展する。面白いのは、自己不利な状況での公正はメキシコを除いてすべての社会で発達するのに、自己が有利でも公正を要求する感覚はアメリカ、カナダ、ウガンダだけで発達している点だ(15歳までの話)。途上国ウガンダの農村でもアメリカと同じように発達していることを見ると、決して先進国の都会という条件に限定されているわけではなさそうだ。論文ではこの結果の原因について色々議論しているが、あまり参考にならない。ただ、この実験が社会の様々な状況を反映することは確かだ。従って、もっと多くの国で同じ調査を行い、他のパラメーターと比較し、公正社会という人文系の課題について研究することが重要だろう。その意味で、調べた国があまりに少ない。もしウガンダがインドやメキシコと同じだったら、あまり面白くない論文だ。私個人でいうと、もちろん我が国を始めとするアジア諸国での調査を期待したい。
カテゴリ:論文ウォッチ
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