10月31日:新しいトランスポゾン由来タンパク質(10月22日号Cell掲載論文)
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10月31日:新しいトランスポゾン由来タンパク質(10月22日号Cell掲載論文)

2015年10月31日
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昨日、病気の発症メカニズムを研究するためにiPSが重要な手段になっていることを、双極性障害という一見iPSからかけ離れて見える精神疾患を例に紹介した。我が国でも山中さんを筆頭に、このような臨床応用がiPSの最も重要な分野であるとして、重点的な助成が行われている。しかし基礎科学としてみても、iPSの拡がりは予想を超える。例えばエピジェネティックスはESやiPSが利用できるようになり急速に進展した。ここでも紹介したゲノムのトポロジーや、スーパーエンハンサーなど、新しい遺伝子転写調節についての方法論や概念の形成にもES,iPSの貢献は大きい。これは、iPSにより、特定の分化段階のヒトやマウスの正常細胞を必要なだけ使って全ゲノムレベルの解析を行えるようになったからだ。他にも全く新しい有望分野を開発すべく活躍しているのがソーク研究所のGageグループだ。彼らはゲノム以外は細胞や組織レベルの実験に多くの制限のある猿からヒトへの進化の研究を、iPSを組み入れることで乗り越えられないかと挑戦を続けてきた。iPSが発表されるとすぐ、世界に先駆けて様々な霊長類のiPSを樹立し、ヒトと比べる研究を行っている。今日紹介する論文はその中から出てきた新しい発見について述べたもので10月22日号Cellに掲載された。タイトルは「Primate-specific ORF0 contribute to retrotransposon-mediated diversity (霊長類由来のORF0はレトロトランスポゾンによる多様性に貢献している)」だ。私たちのゲノムの半分がトランスポゾンと呼ばれるウイルスのような配列で占められているが、その中でL1と呼ばれるトランスポゾンはなんとゲノム全体の20-30%にのぼる。体を形作るタンパク質をコードする遺伝子が1.5%程度であることを考えると驚くべき数字だ。L1にはトランスポゾンの活性化に関わる2つのタンパク質をコードするORF1,ORF2と呼ばれる遺伝子が存在している。ただ30%ものゲノムが活性化されゲノムの他の場所に飛び込むことになれば私たちは生きていられるはずがない。幸いほとんどのL1には突然変異が入って不活性になっており、実際に活動できるのは100以下なので安心してほしい。この研究では、霊長類のL1遺伝子中にORF1,2とは別の転写、翻訳できる配列( ORF)が存在していることを発見しORF0と名付けている。もちろんORFが存在することと、実際のタンパクに翻訳されることとは全く別のことなので、この研究の大半は、このORF0がタンパク質として翻訳されていることを示すことに費やされている。詳細は省くが、チンパンジーやヒトには約3500の翻訳可能なORF0が存在し、作られたタンパク質は核内でPMLボディーと呼ばれる特殊な場所に存在していることを明らかにした。面白いのは、このORF0を持つL1は霊長類で急速に増幅・多様化したことで、霊長類以外の哺乳類には見られない。また、旧世界サルの代表ヒヒには50個程度のORF0しかない。さらに、ヒトとチンパンジーでも900のORF0はそれぞれの種特異的な場所に散らばっている。またORF0は多能性幹細胞(iPS)で発現が上昇しており、遺伝子内のスプライシングのシグナルを使って近くの遺伝子と融合タンパク質を形成していることも明らかになった。すなわち、全く新しい機能を持ったタンパク質が生まれる原動力になっている可能性がある。最後に、この遺伝子を大量に発現させると、L1活性化が高まることから、この分子の役割はL1活性化を促進して、霊長類のゲノム進化を促進することだと結論している。基本的には現象論だけだが、霊長類にしか存在しないこと、新しい融合タンパク質を形成できること、そしてL1活性化を促進すること、を知ると霊長類進化に確かに大きな役割を演じているのではと思えてしまう。次の一手が楽しみな論文だ。昨日紹介した中国の論文にもGageの名前は入っていたが、彼のグループの活躍が目立つ。
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10月30日:そう病を試験管内で再現する(Natureオンライン版掲載論文)

2015年10月30日
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だれでも気が滅入ったり、逆に気分が高揚したりを繰り返して生きている。程度や、それぞれの時期の持続は個人によってまちまちで、いつも憂鬱な顔をしている人や、逆にいつも会うと自慢話を聞かされることになる人など、誰もが日常経験することだろう。例えばソーシャルネットで自分の話を頻繁に書き込む人はだいたい躁の傾向があるはずで、鬱の人の書き込みを見ることは少ない。ただ、これが1型双極性障害と呼ばれる病的段階になると、社会に適応することは難しくなる。私も学生時代ポリクリで診察する機会があったが、初対面の私にも大きな自慢話を多弁に語ってくれた。そう病にはなかなかいい薬がないのだが、炭酸リチウムが効くことが知られている。発生学者にとって塩化リチウムはWntシグナル系アゴニストだが、炭酸リチウムがなぜ一部のそう病の人に効くのか現在もわかっていなかった。今日紹介する中国清華大学からの論文は1型双極性障害患者さんのiPSを用いてこの謎を解明した研究でNatureに掲載された。タイトルは「Differential response to lithium in hyperexcitable neurons from patients with bipolar disorder (双極性障害患者からの興奮が亢進した神経細胞に対するリチウムの選択的効果)」だ。IPSを用いた神経疾患のモデル化はこれまでも多くの論文が発表されているが、その中でもこの研究は最も成功した研究ではないだろうか。研究では型通り6人の患者さんからiPSを樹立、次に海馬の神経細胞を誘導している。こうして誘導した細胞を生理学的に比べると双極性障害(BD)患者さん由来神経は試験管内で強く興奮している。また遺伝子発現でも明らかに正常と異なり、ミトコンドリアの活性に関わる分子の発現が高い。実際ミトコンドリア機能を調べると、活性が著明に上昇しており、逆にミトコンドリアのサイズが小さい。さらに、神経興奮の亢進と対応するカルシウムや神経刺激に関わるシグナル分子の発現が亢進している。すなわちBD患者さんの神経は普通より代謝的にも活動が強く、その結果神経活動が亢進し、それが症状を引き起こしている可能性が示された。この細胞レベルの興奮亢進が本当に病気の原因か調べるために、炭酸リチウムに反応する患者さんと反応しない患者さんからの神経細胞の興奮をリチウムが抑えるかどうか調べ、臨床的に反応した患者さんの神経の興奮が見事に抑えられ、ミトコンドリアの大きさも元に戻っている。さらに、リチウムでPKAシグナルに関わる遺伝子の発現が抑制されることも示しているが、これについてはまだ研究が必要だろう。データを見ると、嘘と違うかと思うほど綺麗で、明瞭なデータだ。これにより、なぜそう病になるのか、またリチウムが効くのかなど解明が進むと期待できる。これまで読んだiPSを使った病気メカニズムの研究の中でも出色の研究だと思う。
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10月29日:オキシトシンとマリファナ(米国アカデミー紀要オンライン版掲載論文)

2015年10月29日
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ワシントン、コロラド⒉州をきっかけに、アメリカでマリファナの個人使用解禁の動きが進んでおり、JAMAなどの雑誌にもよく取り上げられる。実際には多くの州で医療用の使用は認められ、様々な疾患に処方されている。心理的にはマリファナが敵意を和らげ、コミュニケーション能力を高め、結果として社会性獲得に寄与することが知られている。一方薬理学についても研究が進み、マリファナはCB1と呼ばれる受容体を介してこれらの効果を発揮すること、また社会性を司る脳部位にこの受容体が強く発現していることが知られている。もちろん我々の体内にはこの受容体を刺激するリガンド、カンナビノイドを脂肪酸から作る経路があり、社会性が高まるときにリガンド産生が上昇する。今日紹介するカリフォルニア大学アーバイン校からの論文はカンナビノイドとオキシトシンの刺激経路が相互作用していることを示す研究で米国アカデミー紀要オンライン版に掲載された。タイトルは「Endocannabinoid signaling mediates oxytocin-driven sociall reward (内因性カンナビノイドシグナル経路はオキシトシンにより誘導される社会褒賞システムを媒介している)」だ。おそらくこのグループは社会性が高まるとき新たに内因性カンナビノイドが作られるプロセスに興味を持って研究を続けているようだ。最初、グループで育てたマウスの子供を隔離した後、グループに戻したときに脳内で作られるカンナビノイドを測定している。期待通り、グループに戻すことで前脳の側坐核特異的にカンナビノイドの濃度上昇が見られる。また、カンナビノイドの分解が遅いマウスでは、社会性が高まるが、CB1の阻害剤でこの効果がなくなることを明らかにした。すなわち、社会活動が高まると、社会性の褒賞システムを司る側坐核で新たに脂肪酸からカンナビノイドが作られ、この行動を維持するという結果だ。社会性を高めることで有名なもう一つのシグナルがオキシトシンだ。著者らはカンナビノイドとオキシトシンの刺激がどこかでリンクしているのではと着想した。これを調べるため、オキシトシン受容体を抑制した条件で社会性を高める刺激でカンナビノイドが上昇するか調べた所、側坐核でのカンナビノイド合成が誘導されないことを発見した。一方、オキシトシン反応性神経が強く活動するようにしたマウスでは、カンナビノイド合成が著明に上昇する。最後に、カンナビノイド反応性の神経の興奮をcFos分子発現でモニターし、オキシトシン刺激がカンナビノイドの側坐核での産生を促し、それによりCB1陽性細胞が刺激され、社会性上昇につながることが示された。   オキシトシンがマリファナに対する受容体を介して働いているというこの発見はおそらく臨床的には重要な発見ではないだろうか。同じ週Molecular Psychiatryオンライン版に自閉症に対するオキシトシンスプレーの効果を調べた無作為化試験の結果が掲載されていた(doi:10.1038/mp.2015.162)。マリファナやCB1刺激剤もこれから視野に入っていくのではないだろうか。   とはいえ医療使用と個人使用は話が違う。それでも、タバコやアルコールを禁止できないなら、なぜわざわざ大麻を取り締まるのかというアメリカの合理性には驚く。
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10月28日:肺炎球菌ワクチンに関する米国予防接種諮問委員会及び米国疾病予防管理センターからの勧告(10月26日号JAMA Internal Medicine掲載論文)

2015年10月28日
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我が国のメディアで盛んに肺炎球菌ワクチンの接種が呼びかけられている。私も適齢期なのでワクチンを受けようかなと調べていたところ、新しいPCV-13ワクチンについての米国予防接種諮問委員会(ACIP)の勧告に対する2つの意見が10月26日号のJAMA Internal Medicineに掲載されていたので紹介する。最初の意見は当のACIPからの意見で「Pnemococcal prevention gets older and wiser (肺炎球菌予防法は高齢者に合理的な方法で使える)」がタイトルだ。ここでは新しい勧告に至る経緯が述べられている。最初開発されたワクチンは、抗原となる様々なポリサッカライドを使ったPPSV-23で、公費補助が行われたためアメリカの6−7割の人が接種を受けた。ただ、免疫学的には予防効果は中程度で、特に年齢が進むほど効果がないことがわかっていた。それでも一貫してACIPは65歳以上の人たちにPPSV23とインフルエンザワクチンの併用投与を呼びかけている。そこにポリサッカライドに異種タンパクを結合させ免疫原性を高めたワクチンPCV-13がFDAにより認可される。これを受けてACIPはまずHIV患者など免疫の弱い人へのPCV-13接種を勧告する。そして、オランダで行われた85000人の65歳以上の人たちへの接種研究が、75%の肺炎に効果があり、45%の他の肺炎の予防効果もあるという結果を受けて、最終的にこれまでワクチンを受けたことのない人はまずPCV−13を接種、その後1年以上間をあけてPPSV23を接種、またすでにPPSV23接種を受けたことのある人はPCV-13一回を打つように勧告した。この意見では、この結果が昨年の肺炎流行時に効果を及ぼしたという研究を引用し、ワクチンの効果については2018年にもう一度見直すが、免疫誘導効果は十分なので、勧告通り接種を進めるという意見を述べている。  これに対しUCLAのグループは「Reconsidering guildines on the use of pneumococcal vaccines in adults 65 years or older (65歳以上の人への肺炎球菌ワクチン接種のガイドラインを再考する)」という意見を提出している。この意見では、PCV-13の効果について、これまでワクチン接種のないオランダ(我が国も同じ)での治験であり、すでに6割以上がPPSV23接種を受けているアメリカとは状況が異なること。またこの治験も4年というスパンで見ると予防効果はやはり中程度でしかないことを重視している。その上で、これまでの長い経験で米国では安価なPPSV23が十分効果を発揮し、全体の発症数を抑えるのに成功しており、わざわざPCV-13に変える必要はないという意見だ。PCV-13は150ドル、PPSV23は50ドルで、その差は大きい。ただ、UCLAのグループもワクチン接種には賛成で、接種を受けた人数を増やして、社会全体で肺炎球菌感染を減らすべきだとしている。   我が国で現在厚生労働省などが薦めているのは、PPSV23の接種だ。ただ突然一方的にメディアでワクチン接種を呼びかけるのではなく、現在得られるワクチンの情報、これまでの研究、ワクチンに対する様々な意見をなんらかの形で紹介することが重要だろう。ただ、米国と異なり我が国ではワクチン接種は始まったばかりだ。実際には、子供から大人までワクチン接種を進めることが前提であるにもかかわらず、65歳以上だけに必要であるかのような宣伝の仕方には疑問を感じる。多くのワクチンは個人だけの問題を超えて、社会の病気全体を減らす可能性があり、ワクチンの必要のない世界のために進めるという戦略性が必要だ。UCLAのグループも、肺炎球菌は若年層で最も維持されていることを強調している。またACIPの勧告ではPCV13を2回接種する代わりに、PCV-13接種の後12ヶ月以上開けてPPSV23を接種することを勧めている。これは副作用など幾つかの理由のあることで、我が国もこのプロトコルを受けられるのか,いつ認可されるのかはっきり示してほしい。おそらく我が国では自動的にPPSV23を繰り返すのではないだろうか。いずれにせよ、一貫したワクチン行政を進めるためにも、我が国も委員会形式でなく、議論がはっきり見えるACIPの様な機関が必要だろう。   さて私だが、PCV13のあとPPSV23というプロトコルが可能か調べて接種を受けるつもりだ。
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10月27日:サルコイドーシス(Bloodオンライン版掲載論文)

2015年10月27日
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今日紹介するミュンヘン・ヘルムホルツセンターからの論文は、完全に現象論で終わってしまっている点から考えると、普通このホームページで取り上げない、はっきり言ってよくBloodが採択したと思える。ただ、研修医時代の思い出があるサルコイドーシスについての研究がしかもBloodに掲載されているというのを見て思わず取り上げた。あえて言えば個人的思い出を書き留める意味で取り上げることにした。タイトルは「Characterization of subsets of the CD16-positive monocytes: impact of granulomatous inflammation and M-CSF-receptor mutation (CD16陽性単核球:肉芽種性炎症とM-CSFの影響)」で、10月13日オンライン版としてBloodに掲載された。この研究の結果をまとめると、 1) CD16(FcγIII受容体)陰性の単核球から分化してくるCD16陽性の単核球をSlanと呼ぶ糖鎖抗原で明確な2種類のポピュレーションニ分けることができる。 2) Slan陰性ポピュレーションは抗原提示に必要な組織適合性抗原誘導に必要な遺伝子群を発現している。一方、陽性群は自然免疫刺激による活性化を受けたポピュレーションの特徴を持つ。 3) 肉芽種性慢性炎症の代表と言えるサルコイドーシスでSlan陰性ポピュレーションが上昇している。特に男性の患者で多い。 4) M-CSFの受容体を欠損したhereditary diffuse leukodystrophyの患者さんではSlan陽性ポピュレーションが欠損している。 になる。
ディスカッションから推察すると、活性化されたCD16陽性単球をさらにSlan陽性と陰性群に分けることができ、陽性群にはM-CSFのシグナルが必要である。一方、おそらく慢性肉芽腫性炎症に関わる刺激によりサルコイドーシスで上昇しているという結論だ。もともと女性に多いサルコイドーシスのうち男性患者でなぜこの細胞が増えているのかなど説明できていない点は多い。また、結核などの他の肉芽腫性疾患についても調べるべきだと思う。   ただこの論文を読んで私の研究生活の原点を思い出した。研修医の頃私の指導医だった泉先生のサルコイドーシス外来を手伝った。そのとき、肉芽腫性炎症は面白い研究対象になると思った。おそらく、京都時代に始めたリンパ節やパイエル板発生の研究はこの延長線上にあると思う。サルコイドーシスではリンパ球の中のT細胞が低下しているということで、すべての患者さんのリンパ球を分離してT細胞数を測定した。と言っても今のように抗体を使った検査ではなく、若い人には信じれないだろうが、羊の赤血球と結合するリンパ球をT細胞として算定した。その後蛍光抗体で細胞を分ける時代が来たが、病気の理解のために実に何でもやっていたのだと感慨が深い。この意味で、この病気は、細胞をともかく分画したがる私自身の原点にあるのだと今でも感じる。もう一つの原点がM-CSFだ。熊本大学で独立した研究室を持ったとき、当時助手の林さんたちの頑張りで、分子遺伝学ではど素人の集団がマウス大理石病がM-CSFの突然変異であることを示せた。このおかげで、研究費や認知度が高まった。そのとき、人でも同じ病気がないのか調べたが、人の大理石病にM-CSFシグナル異常で起こるケースはなさそうに思えた。その後林さんたちはこのシグナルの研究を続けたが、私自身は抗体を作る程度であまり深入りをせず、そのまま忘れていた。この論文を読んで、M-CSF受容体のシグナルが欠損すると、大人になって脱髄性の脳変性が進行することを知っておどろいた。おそらく、ミクログリアの機能異常だと思うが、大人になって発症するなど大変興味深い病態だ。もう一度勉強し直す気になった。個人的思い出だけでごめんなさい。
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10月26日:5000年前のペスト(10月22日Cell掲載論文)

2015年10月26日
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古代の生物の遺物からDNAを取り出し塩基配列を決定する研究が加速している。これはゲノムが記録として様々な歴史を伝えてくれるからで、文字による「史」が存在しない過去の様子がゲノム解読の進展により明らかにされ始めている。このトレンドはドイツ・ライプツィッヒにあるマックスプランク研究所のペーボさんたちの努力に負うところが多いが、最近の論文を見ているとこの分野の研究が特に盛んなのがデンマークだ。70万年前の馬の全ゲノム解読を報告した論文や(http://aasj.jp/news/watch/103)、インドヨーロッパ語の伝搬をゲノムから研究した論文(http://aasj.jp/news/watch/3584)などこのホームページでもかなり紹介した気がする。そのデンマークからまた新しい古代のゲノムについての論文が10月22日号のCellに発表された。タイトルは「Early divergent strains of Yersinia pestis in Eurasia 5000 years ago (5000年前のユーラシアに広がるペスト菌の多様化)」だ。
  石器時代から青銅時代の遺物のゲノム解析が現在急速に進んでいる。もちろん当時の人間のゲノムを調べ、有史以前の人間の行動を明らかにすることが主目的だが、採取されたDNAに含まれるDNAのほんの一部だけがヒト由来で、実際には分類ができていないDNAが大半を占める。この研究ではこれまで解読された101にのぼる2600-5000年前の人骨由来DNA配列890億塩基対のうち、これまで人間以外のDNAとして排除した配列の中にペスト菌のDNAが含まれているのではないかと着想した。ペスト菌は約2600年〜3万年前のいつか、Y.pseudotuberculosisから分離したと推定され、歴史で習うようにその流行は、500ACにユスチニアス1世時代ビザンチン帝国、14世紀から続いたヨーロッパの黒死病大流行など、歴史に大きな影響を与えてきた。ただ、有史以前となると流行の実態はわからない。調べてみると、全ゲノムが解読できた2体を含む7体の人間の歯にペスト菌DNAが存在することを発見した。あとは解読された配列が本当にその当時の人間が感染していたペスト菌由来かどうか、様々な基準を用いて確認したうえで、現在のペスト菌と毒性を比べている。詳細を省いて結論をまとめると次のようになる。
1) 地理的広がりをみると、少なくともバルカンからロシアに広がる地域でペスト感染者が3000BC-1000BCには存在していた。
2) ペスト菌のY.pseudotuberculosisからの分離はこれまで考えられていたよりずっと昔、約50000年前。
3) ペストの大流行に関わるネズミ毒素(ノミの腸内で生存するために必須)は青銅時代のペスト菌には存在せず、1600BCから951BCの間のいつかに獲得されている。この獲得にはトランスポゾンを利用する水平遺伝子伝搬が重要な働きを演じている。
4) 組織深く浸透するためのプラスミノーゲン活性化因子はペスト菌が分離した最初から存在している。
5) ヨーロッパ大流行の後、ペスト菌からDFR4と呼ばれる遺伝子が欠損し、毒性が弱まるが、この遺伝子は最初から存在している。
6) ペスト菌は免疫反応を逃れるために鞭毛を失っているが、2000BC以前の菌には鞭毛が存在しており、免疫反応が十分対処していた可能性が高い。鞭毛は1000BCぐらいから失われ始めたと考えられる。
このように、青銅時代までのペスト菌は感染性はあっても、免疫反応を誘導し、ノミを媒体に使えないため、大流行はなかったようだ。とはいえ、ユーラシアの広い範囲に広がっていた。このように、論文では主にペスト菌の由来と歴史が調べられているが、今後記録に残るペスト菌の流行と対応させた歴史学的検討へと進むだろう。文字とDNAはともに書かれた記録で、歴史の解読に重要な双輪になっていることを実感する論文だった。しかし、この分野の我が国のプレゼンスはあまりに低いのが心配だ。歴史問題議論が盛んな我が国だからこそ、決して変更されていない「史」としてのDNAは重要なはずだ。
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10月25日:脳環境が乳ガンを成長させる仕組み(10月19日号Nature掲載論文)

2015年10月25日
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様々な薬剤が利用できることから、転移乳ガンをある程度コントロールすることが可能になっているが、脳に転移すると薬剤が到達しないなど対応が一段と難しくなる。このため、乳がんの増殖を助ける力が何か脳という環境に存在するのではないかという可能性について研究が行われてきた。今日紹介するテキサス大学からの論文は脳のグリア細胞が乳がんの発現するガン抑制遺伝子の発現を抑えるメカニズムを解明した研究で10月19日号のNatureに掲載された。タイトルは「Microenvironment-induced PTEN loss by exosomal microRNA primes brain metasis outgrouth (微小環境由来ミクロゾーム中のマイクロRNA によるPTENにより脳転移巣の増殖が促進される)だ。この研究では乳がん患者さんの原発巣と脳転移巣の遺伝子発現を比較して、脳転移巣の7割に様々な増殖因子シグナルを抑制するPTEN分子の発現が低下していることを発見する。次にPTENが低いから脳転移するのか、脳転移したからPTEN発現が低くなるのかを調べ、脳環境、特にグリア細胞が乳がん細胞の増殖を促進することを見出す。著者らはこのPTEN低下がグリア細胞からPTENを抑制するマイクロ RNAがマイクロゾームを介して注入されることによるという仮説を立てる。突拍子もないように思えるが、この考えはガンと環境の相互作用の様式として今流行りの考えなので、特に驚くほどのことはない。まず、アストロサイトからPTENを標的にするmi17〜92をノックアウトしたマウスに腫瘍を移植すると、ガン増殖促進が見られなくなる。さらに、実際miRNA19aがエクソゾームに濃縮されており、がん細胞に入ってPTENを抑制することを確認している。PTENが低下すると増殖因子シグナルが亢進しガンが増殖しやすくなることは当然だが、他にもPTENにより都合のいい変化がガン細胞に誘導されないか調べ、CCL2と呼ばれる白血球遊走を誘導するケモカインの発現が上昇することを発見する。この結果ガンの周りに炎症が起こり、この炎症がさらにガンの増殖を亢進させること、そしてこの炎症を抑制するとガンの増殖を抑えることができることを示している。実際の患者さんで脳内炎症を抑制したり、エクソゾームの分泌を抑えて乳がんの脳転移を抑えられるかどうかは今後の研究が必要だ。ただ、もし脳自体が乳ガンの増殖を促進しているなら、特異的な治療法の開発ができるはずだ。その意味で期待につながる研究だと思う。
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10月24日:生命の誕生時期(米国アカデミー紀要オンライン版掲載論文)

2015年10月24日
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これまで一般の人に生命誕生時期について問われたら、「地球上の生命は37−38億年前に誕生した」と答えてきた。しかし当時の生物はもちろん単細胞で、化石と言っても発見するのは大変だ。昨年生命誌研究館のホームページ(http://www.brh.co.jp/communication/shinka/2014/post_000005.html)に書いたように、それでも35億年前の最古の生物化石が西オーストラリアのストロマトライトの中に発見されている。最古の化石が35億年なのにどうして生命誕生は37−38億年前なのか?適当に2−3億年足して37−38億年としているのだろうか?もちろんそんないい加減な決め方ではなく、一応科学的根拠を元に算定されている。すなわち生命由来の有機化合物には炭素同位元素13Cの含量が低いという性質を利用して、38億年前の岩石に残る炭素から生命の存在を推定している。具体的には、グリーンランドのイスア地域の37億年前にできたとされる堆積層で発見されたグラファイト中の13Cの測定を元に、37億年前には生命が存在したと推定している。ではそれ以前に生命は存在しなかったのかとなると難しい。なぜなら、その時代にできたことが証明できる地層を発見すること自体が難しい。従って、研究はまず40億年以前に形成されたことがはっきりした鉱物を探すことから始まる。今日紹介するUCLAからの論文は西オーストラリアJack Hillで発見された40億年以前に形成されたジリコニウムの中に存在するグラファイトが生物由来であるという研究で米国アカデミー紀要オンライン版に掲載された。タイトルは「Potentially biogenic carbon preserved in a 4.1 billion-year-old zircon(41億年前のジリコニウムの中に保存されていた生物由来と考えられる炭素)」だ。この研究は38億年より以前に形成されたジリコニウムの結晶に多くのグラファイトが含まれているという発見から始まっている。グラファイトは言うまでもなく炭素の結晶で、細菌の質量分析技術の進歩で小さな結晶の13C含量を測ることができる。研究では採取したジリコニウム結晶にグラファイトが含まれるか丹念に調べ、グラファイトと思われる結晶の成分分析をまずラマン分光により確認、最後に我が国のSpring8に相当する放射光による質量分析を行い、13C/12C比を測定している。結果は生命由来と考えていい数値にこの比が収まったため、生命は41億年前には存在していたという結論だ。あとは、このグラファイトがジリコニウム結晶の形成時に封入されたのかどうかだが、信じない人も出てくるだろう。いずれにせよ、これから一般の人の質問には、この研究についても言及する必要があるだろう。法則性がない領域では、過去に起こったことの証明が一番難しいのは、100年も経っていない歴史問題がこれほど議論になることからもわかる。
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10月23日:医療の南北格差調査(10月21日号The Lancet掲載論文)

2015年10月23日
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高血圧、動脈硬化に起因する心臓発作の再発を防ぐためにWHOはアスピリン、スタチン、βブロッカー、そしてアンジオテンシン変換酵素阻害剤の予防的服用を勧めている。これらの種類の薬剤の中には既に特許切れにより安価なジェネリック薬が利用できるものが存在し、WHOは2025年までには世界の50%の人たちがこれらの薬剤を実際に服用し心臓発作の再発が防げるようにしたいと目標を定めている。この目標を実現するために何が必要かを調査したのが今日紹介する国際チームからの論文で10月21日号のThe Lancetに掲載された。タイトルは「Availability and affordability of cardiovascular disease medicines and their effect on use in high-income, middle-income, and low-income countries:an analysis of the PURE study data. (高所得、中所得、低所得国での心血管疾患薬の使用に及ぼす入手可能性と購入可能性の影響)」だ。この研究では、WHOの目標を実現するためには、まず薬が手に入ること、そしてその薬を服用するお金があること、そして飲む意志があることが重要だと考え、この点について調査している。しかし論文を読むと、表面的に統計を集めるのではなく、実際大変な努力を払って調査を行っていることがわかる。例えば薬が手に入るかについては、それぞれの地域の決まった地点から徒歩で実際に歩いて薬局を探し、その薬局で目的の薬を買うことができるか、また値段はいくらかを調べている。次にその地域の所得を調べて、薬の服用によって家計の何パーセントが圧迫されるかを調べ、最後に一度心臓発作のエピソードを持つ人にインタビューして、どれだけこれらの薬を服用しているか調べている。詳細は省くが、所得が低い国ほど薬自体の入手が難しい(ジェネリック薬生産が盛んなインドは例外で、先進国並みに入手が可能なのは面白い)。さらに、低所得国では現在の価格で4種類の薬を服用しようとすると、インドですら家計の50%が必要になる。一方先進国では1%以下で済む。したがって、WHOの目標を実現するためには、薬剤の価格をさらに低下させ、薬局の数を増やす必要がある。これは簡単ではないだろう。そして最も難しいのが、わかっていても薬を飲む人が少ないことだ。薬が自由に手に入り、経済的負担も大きくない高所得国で調べると、4種類すべての薬を飲んでいる人は20%に満たない。すなわち、3−4種類の薬を飲むこと自体に抵抗がある。したがって、科学的データを示して理解を深め、安心できる合剤などを提供できる体制が必要だろう。先進国ですらWHOの目標実現には様々な壁が存在することがわかる。次は、これをどう解決するのか、WHOからの答えが待たれる。
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10月22日:白血病同士の殺し合いを誘導する治療法(米国アカデミー紀要掲載論文)

2015年10月22日
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アイデア倒れになる心配はあっても、着想自体に感心するという研究がある。今日紹介する米国スクリップス研究所からの論文はその典型で、白血病に同士討ちさせガンを治療できるか模索した研究だ。この研究の責任著者Richard Lernerはスクリップス研究所の元所長で、抗体を酵素反応に利用する研究で有名だが、様々な分野に研究を広げる豊富なアイデアの持つ研究者の典型と言っていいだろう。論文のタイトルは「Agonist antibody that induces human malignant cells to kill one another (ヒトの悪性腫瘍細胞同士の殺し合いを誘導するアゴニスト抗体)」で、米国アカデミー紀要に掲載された。論文の内容から考えると、悪性腫瘍一般にも使えるよなタイトルをつけるのは言い過ぎではないかと思うが、Lernerなら許されるのだろう。この研究では、急性骨髄性白血病(AML)細胞を、互いに殺し合うナチュラルキラー (NK)細胞へと分化させ、白血病を治療できるのではというアイデアを調べている。「何をバカな?」と思われるかもしれないが、血液分化を研究してきた経験からいうと、血液幹細胞に近い白血病細胞をNK細胞へと誘導できる可能性は荒唐無稽ではない。ただ正常の幹細胞がすべてキラー細胞になってしまうと大変だ。本当にAML細胞だけを分化させるシグナルはあるのか?このグループはなんと、血小板を作るのに必須のトロンボポイエチン受容体(TPOR)に対する抗体の一部がなぜかAML細胞だけをNK細胞へと分化させる能力があることを発見する。NK細胞は、正常細胞は殺さないが、ガン化した細胞の多くを殺すことができるため、この抗体を使うと、彼らが「兄弟殺し」と呼ぶ状態を誘導して、ガンを撲滅できるというシナリオだ。この論文では、試験管内で患者さんの骨髄から採取してきたAMLをTPOR抗体で刺激すると、トロンボポイエチンで刺激した時と概ね同じシグナル経路が活性化され、キラー活性に必要な様々な分子の発現が誘導され、形態的にも機能的にもNK細胞へと分化すること。分化したAML由来NK細胞は期待通りAML細胞を殺すことが示されている。残念ながら、モデル実験系で本当に体の中で「兄弟殺し合い」が誘導できるのかは確認できていない。この実験なしに論文が掲載されるのは、Lernerがアカデミー会員だからだが、モデル治療実験ではいいデータが出ていないのではと勘ぐりたくなる。特に問題になるのは、同じ抗体が血小板増加を誘導することだ。トロンボポイエチンがその効果にもかかわらず臨床に使われていないのは、血小板増加を完全にコントロールできないからで、原理から考えてもこれが起こらない抗体を探すのは難しいだろう。結局アイデア倒れに終わる可能性が高いように思えるが、強い薬による治療が難しい高齢者の骨髄異形成症候群には期待できるかもしれない。いずれにせよ、抗体をもっと違った文脈で利用するというアイデアは他のガンにも使えるかもしれない。分化を誘導したり、静止幹細胞の増殖を誘導したり、いろんな可能性が考えられる。私より10歳は年上のはずだが、Lernerの頭はやわらかそうだ。
カテゴリ:論文ウォッチ
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