嚢胞性線維症(CF)は上皮のナトリウムチャンネル(ENaC)の機能を調節するCFTR遺伝子の異常で、この分子異常によってENaCの活性が異常に上昇する結果、症状がでる。病気のメカニズムはかなりの程度理解できているので、これまで例えばENaCの機能を抑制する薬剤の可能性が追求されて来たが、まだ満足できる結果は得られていなかった。今回リスボン大学Amaral博士のチームは、ENaCの機能調節に直接関わる分子を一から検討しなおした。ENaCの機能を生きた細胞で調べる系を用いてしらみつぶしに遺伝子をノックアウトし、ENaCの活性化に関係する遺伝子を探索した。途中を全部省くが、最終的にこれまで知られていなかったENaC分子の活性を調節する2つの新しい遺伝子を発見した。実際には他にも幾つか薬剤の標的になる分子が見つかっているが、この仕事ではCNTFRと呼ばれる受容体と、Diacylglcerol kinase iota(DGKi)が薬剤開発の標的としてかなりの可能性がある事を示した。勿論私はこの分野の専門家ではないが、DGKiに対する薬剤を開発する可能性は高いことが十分な説得力で伝わって来た。おそらくCF治療のための研究としては大きなヒットに思える。特に、嚢胞性線維症の患者さんにとっては大きな励ましになるのではないだろうか。この仕事は今月号のCellに発表された。(Cell 154, 1390–1400, September 12, 2013)
嚢胞性線維症治療薬開発につながる標的分子(朗報)
ジュラシックパーク、消えた夢(オリジナル記事)
これまでは報道ウォッチを中心にしてこのコラムを書いて来たが、時間があるときは、私も科学報道記事を発信してみる事にした。まず最初はPlosOneの電子版に掲載されたマンチェスター大学Brown博士の研究室の仕事だ(http://www.plosone.org/article/info:doi/10.1371/journal.pone.0073150)。
ジュラシックパークは1990年に小説が出版され、1993年には映画化されたフィクションで、世界中が夢中になった。琥珀の中の昆虫の体液から恐竜の血液を取り出し、その遺伝子を使って恐竜を復活させるところは説得力があった。小説に刺激されたからではないと思うが、1992年に幾つかの研究室で琥珀中の昆虫からDNAを分離し配列を解読したと言う話が相次いだ。ただ、示されたデータに疑問が持たれ、その後はまじめにこの可能性を追求する研究は途絶えた。
今回、Brown博士等のグループは、DNAにバーコードをつける技術と、次世代シークエンサーを使ってこの夢を再検討した。結論は明確で、60年前に出来た新しい琥珀中の昆虫からでさえ、まともなDNAは得られないことが判明した。琥珀に完全な形の昆虫が残っていても、琥珀が出来る過程でDNAの受ける障害は大気中より大きいようだ。残念ながら、ジュラシックパークの夢はあきらめた方が良さそうだ。
朝日新聞9月13日(中村)記事:鼻粘膜の蛋白質、におい伝達に一役
元の記事は以下のURL参照。
http://www.asahi.com/tech_science/update/0912/OSK201309120077.html
日本の臭覚研究の第一人者坂野さんのグループの仕事だ。生まれが福井だと本人から聞いていたが、東大から福井移っているのを知った。元の論文は坂野さんが責任者になっているが、記者発表には教室の若手をたてる所は清々しい。
臭覚は臭い物質が臭覚受容体に結合しG蛋白質、サイクリックAMPなどの細胞内のシグナル伝達分子を介して神経興奮へと転換する。受容体は1000種類以上の遺伝子があり、一つの細胞はそのうちの一つの遺伝子だけを発現している。すなわち、神経を刺激する入力は1000以上の化学物質だが、出力は興奮と言う一つの反応に集約する。一個の嗅覚細胞は一種類の受容体だけを発現する。これによって入り口で刺激が混じらないようにしている。その上で、発現する受容体によって個々の嗅覚細胞の神経が神経を伸ばす場所が異なる事で、より複雑な臭いの区別が可能になっていると予想されている。このように特定の領域に神経が枝を伸ばす過程が、嗅覚受容体からのシグナルよって調節されている可能性が、これまで坂野さんを始め様々な研究者により示されていた。今回の坂野さんの研究は、臭覚神経細胞の発生プロセスに関わる、臭覚受容体が関わる過程に働いているシグナルについてほぼ完全に明らかにした力作だ。シナリオは次の様になる。まず、それぞれの受容体は臭い物質刺激なしに自発的に発生させるシグナルの強さに応じて、神経細胞の枝の前後軸の分布場所を決めている。この場所決めに関わるシグナルの強さの差は、それぞれの受容体の固有の構造によって生まれる。これまでの謎を解く大変重要な発見だ。ここまでは胎児発生の過程だが、生後は臭い物質により刺激され、最後の場所決めが起こる。今回の仕事では、生まれる前と後の過程にはともに臭い受容体が必須だが、細胞の中で使われている分子は異なっていることも明らかなった。これも重要な発見だ。専門的なのでこれ以上深く解説する事はしないが、新たな問題を含めて将来の方向を示す重要な仕事だ。素人の私が見ても、更に面白い可能性が色々浮かんでくる。
さて、朝日新聞の中村記者の記事だが、一般の方には理解しにくいが重要な研究について、伝える焦点を絞ってうまくまとめたと思う。特に、臭い物質の刺激によらない受容体が固有に持つ自発的興奮が発生初期の神経の分布に重要であると言う、今回の仕事の目玉に焦点を当てて伝えている。「「基礎活性」か高いセンサーを持つ嗅細胞は脳の奥へ、基礎活性か低いセンサーを持つ嗅細胞は手前にと、活性の度合いに応じた場所に接続していることが分かった」と言う表現は私も見習いたい。 しかし、この内容の面白さについては、これではなかなか伝わらないだろうとも思う。どう表現すれば重要性が伝わるのか、私も更に努力したい。問題もある。まず見出しは内容に合っていない。鼻粘膜の蛋白質の中のにおい伝達分子を明らかにした仕事のように私も錯覚した。今回の場合、臭い受容体自体が神経の接続場所を決める事を伝える事が大事だ。さらに、薬の開発で記事を締めくくるのはどうしたものかと感じた。今、国は役に立つ科学を強く意識した政策を推進している。しかし、どの病気に、どのような薬を開発するかなどを明らかにしないで、お題目として創薬について唱える事が国の科学技術政策の反映だとしたら寂しい。
嗅覚細胞は神経細胞の中でも、生後定期的に、細胞が新しいものに置き換わり続けると言う珍しい性質を持つ。それでも私たちの臭い認識能力はあまり変わらない。これは今後の重要な問題だ。かくいう私も、10年ぐらい前、感染によって臭いを完全に失った。その後徐々に回復したが、ワインや食べ物などのいい臭いを識別する能力は全て回復したにも関わらず、不快な臭いについては今も全く戻っていない。ある意味では極めて喜ばしい性質を身につけたのだが、どうしてこのような事が起こるのか、さらにこの回復過程を自由に臭い物質や薬で調節できるのか興味は尽きない。臭いが一時的に失われる経験される患者さんは多い。薬について書くなら、この程度の事は付け加えるぐらいの事をして欲しかった気がする。
8月22日号Nature:ワムシのゲノム
朝日が骨粗鬆症に関する仕事について記事にしていたが、読んでみると、マウスの実験だけなのでわざわざコメントする事はないと思った。今日は報道ウォッチはやめて、代わりに、少し古くなったが、皆さんにはほとんどなじみのないワムシの研究について紹介したい.
(http://www.nature.com/nature/journal/v500/n7463/fp/nature12326_ja.html)
なじみがないと言ったが、本当は魚の養殖には欠かせないエサで、日本人の食卓を支える生物と言って過言ではない。
生物学的にみると、ワムシは多細胞生物のなかではオンリーワンの性質を持っている。性生殖を全くしないで進化を遂げて来た事だ。わかりやすく言うと雄がいない。それでも卵を産み、卵から成虫が発生するサイクルをずっと続けた唯一の生物だ。生物学で言う性とは、個体間で遺伝子に書かれた情報を交換する事だ。人間では生殖細胞分化時の減数分裂過程でこの交換が起こり、「相同組み換え」と呼ばれるメカニズムを使っている。このおかげで、親から受け継いだ染色体とは違う染色体を子供に伝えることが出来、多様性が生まれる。先ず全ての多細胞生物に性があることを考えると、進化過程で種の維持と多様化は性なしに起こらないと考えられる。そのためか、ワムシは「進化のスキャンダル」と呼ばれている。なぜ性なしに種が維持され、進化が進んだのか?面白い。
他にもワムシは面白い性質を持っている。まず乾燥に強い。乾いたまま100年をこして生きることが知られている。また放射線照射にも強い。このため、ゲノムを調べる事の目的は、これらの重要な性質の背景を理解することだ。結論は予想通りで、ゲノム上の遺伝子の並びから相同組み換えに必要な染色体のペアが出来ない事がわかった。性生殖の意味がない訳だ。ではどうして種として維持が出来、また多様化が出来るのか。ペアが作れない事とも関わるのだが、ワムシは、私たちが対立遺伝子として別々の染色体上に持っている一対の遺伝子を、同じ染色体上に持っている。このことが、相同組み換えを出来なくしている原因だ(専門的すぎるが、性を持っていても仕方ないゲノム構造を持っている事を理解していただければ良い)。代わりに同じ染色体上にある「対立遺伝子」「相同遺伝子」に相当する遺伝子ペアの間で、遺伝子変換を起こして、多様化や種の維持を行っているようだ。遺伝子交換機構を持つ事が、放射線に強いと言う性質と関わるようだ。他にも、相手かまわず遺伝子を自分の染色体に取り込んでしまう性質がある。逆に、トランスポゾンと呼ばれる動く遺伝子がほとんど動けないなど、専門家をうならせる事実がこのゲノムに書かれている。ひょっとしたら将来食卓にも大きな影響を持つかもしれない。これからの研究が待たれる。
一般的にモデル動物には、人間や他の動物と共通の性質を持つことが求められる。実際多くの科学者はこの共通性について研究する。そんな中で、他の動植物とは共通性のない動植物を敢えて選んで研究する、文字通りオンリーワンの研究者達がいる。ワムシの研究もそんな人達に支えられてきた。しかし考えてみると、耐熱性細菌の研究から、PCR技術が生まれ、古細菌の進化における新しい位置づけが可能になった。同じように、オンリーワンの動物ワムシからも、これまでにない重要な技術が生まれる様な気がする。
最後にあえて共通性を求める悪い癖からワムシを見て終わろう。私たち雄は、相同組み換えを経験したことのない染色体を持っている。すなわちY染色体だ。一個しかないから相同組み換えは不可能だ。実際Y染色体は多くの動物で消えていく運命にあると考えられている。面白いことに、Y染色体の遺伝子の少なくとも一部はワムシ型をしていることがわかっている。とすると、ワムシはY染色体を失わない秘密を教えてくれる「雄」の先生になるかもしれない。
日本経済新聞9月10日:被曝後の白血病など発症、原因遺伝子を発見 広島大
この広島大学稲葉さん達の論文は朝日でも紹介された。私の専門領域でもある。また、この仕事を行った稲葉さんもよく知っている。さて両方の新聞を読んだとき、高齢被爆者と骨髄異形成症候群(MDS)という重要な問題に切り込んだ仕事を稲葉さんがついに発表したのかと思った。その後オリジナル論文を読み、また正確を期す意味で、稲葉さんが最近出版した数編の論文にも目を通した。しかし残念ながら、今回の仕事と被爆者を結びつける事は私には出来なかった。
2009年に稲葉さん達は、若年性のMDSで異常がある遺伝子を分離している。今度の論文は、この遺伝子とMDSの関係を研究できるマウスモデルを作成した仕事だ。稲葉さんのグループは、最初の2009年の研究から、MDSに多い染色体異常部位の遺伝子について着実な研究を進めており、高く評価する。今回の仕事も、ヒトMDSから分離してきた遺伝子を操作したマウスを作り、疾患モデルを作成したものだ。特に異形性と呼ばれる血液の形も再現できるモデルを開発したという点で重要な結果である。このマウスでの結果と実際のMDSとの関わりについても検討が行われている。実際の患者さんの多くが、この染色体部分の欠損を持っているようだ。ただオリジナルな論文をどう読んでも、被爆者と結びつくような記載はない。2009年以降、稲葉さん達がこの染色体7qにある遺伝子について調べた論文を2報ほど読んでみたが、やはり被爆者との関連をはっきりさせる記述はない。その意味で、朝日新聞の川原さんの記事の見出し「血液がんの一種、原因遺伝子をマウスで実証 広島大など」は正確だ。ただ、記事の冒頭が「放射線被曝(ひばく)から数十年を経て発症する血液のがんの一種 「骨髄異形成症候群」(MDS)の原因 遺伝子の働きを、広島大などの研究グループがマウスの実験で確かめた」と来ると、明らかに被爆者が前面に出た仕事のように錯覚する。
記事を書く方は、どうしても科学と社会をつなぐ使命感に駆られ、分かりやすい例を参照する。これがジャーナリスティックであると言うことだろう。また、科学者の方もそれに答えて、気楽にジャーナリスティックな伝え方をする。この結果、論文自体の本来のメッセージがゆがめられることがある。日経、朝日両方とも、被爆者の部分を消して読むと、極めて正確にメッセージを伝えている。とすると、被爆者部分は読者向け脚色と言える。勿論、MDSは高齢者被爆者の最も重要な課題だ。科学的に見ると、老化と放射線障害との相乗効果という問題だ。これは今ほぼ日本だけで調べることの出来る重要なテーマだ。これを強調する意味で、ジャーナリスティックな脚色を行う気持ちも理解できないわけではない。ただ、その結果さらに多くの誤解を生むことも確かだ。専門家の私でさえ実際の論文を読むまで、放射線障害に特有の遺伝子が見つかったのかと錯覚した。
原爆、そして福島は日本の文化とさえ言える。ずいぶん昔、私は、今は亡きた多田富雄先生や、アメリカのワイスマン博士と原爆医学研究所のレビューをしたことがある。そのとき、専門家を驚かせる多くの事実が被爆者の方の追跡から明らかになっていることを実感した。稲葉さんも被爆と白血病の研究を行っており、Runx1と言う遺伝子について被爆との関係を調べた重要な仕事をしている。しかし今回は論文にはそのことが書かれていない。
広島、そして福島には今しかできない研究課題がたくさんある。ぜひこれをジャーナリスティックな脚色で済まさず、正面から向き合ってほしいし、国も十分な支援をすべきだと思う。最後に、私も今年の初めまで長崎大学の方とMDSの仕事をしていたので、広島や長崎のMDSの患者さんイコール被爆者に近いことは理解している。ひょっとしたら、稲葉さんの調べたサンプルは全て被爆者の方からだったかもしれない。そうだとすると、そのことは本来の論文ではっきり書かれるべき事だ。是非、この遺伝子異常が被爆特異的かどうかを明確に調べた論文も出してほしいと思った。
元の記事については日本経済新聞:
http://www.nikkei.com/paper/article/?b=20130910&ng=DGKDZO59478150Z00C13A9TJM000
朝日新聞:
http://www.asahi.com/tech_science/update/0910/TKY201309090468.html
を参照して下さい。
info@aasj.jpが使えるようになりました。
皆様のご意見・ご感想をお送りいただいても送信できないという声を寄せていただいておりました。info@aasj.jpへの送信が可能になりましたのでお知らせします。どうぞ貴重なご意見・ご感想をお送りください。お待ちしております。
毎日新聞記事9月6日:肥満:太った人の腸内細菌“移植”でマウスも太る
元の記事は次のURLを参照して下さい。
http://mainichi.jp/select/news/20130906k0000e040242000c.html
この論文は読んだ時から、日本のメディアも報道して欲しいなと期待していた。嬉しい事に毎日新聞が9月6日掲載した。ただ例のごとく、共同通信経由の記事として掲載しており、毎日の手はあまり入っていないようだ。これまでの毎日新聞のパターンを見ていると、外国で行われ、日本で記者発表が行われなかった記事は多くの場合、共同にアウトソーシングしているように思える。まあ掲載してくれたのだから何も言うまい。さて、記事の内容だが、いつも通り極めて短い。幸い今回は、短くても内容は正確に伝えられている。私も記事について特にコメントはない。ただ、新聞報道と関係なくすばらしい仕事と感じ、またアメリカの強さが際立つ仕事だったので、もう少し詳しく紹介しよう。
まず、この仕事は将来性に富む力作で、この分野の素人の私でさえ感心した。この一週間に日本のメディアが紹介した仕事と比べても群を抜く重要な論文だ。ワシントン大学を中心にする多くの施設が参加する共同研究で、論文を掲載した雑誌サイエンスでも、この週のハイライトとして紹介している。まず最も驚いたのは、腸内細菌も含め完全に細菌が除去されたマウスに、ヒトの大便を移植してヒトの腸内細菌叢をマウスの中で再現するのに成功している点だ。これがこの研究の核心だ。これまで、腸内細菌叢を動物同士、あるいはヒトからヒトに移植すると言う実験は行われていた。しかし、ヒトの腸内細菌叢の機能を調べる実験系はほとんどなかったと言っていい。実際、口から大便を導入する実験が気軽にヒトで出来きるとは思えない。その意味で、今回完全無菌マウスの腸管内に人間の腸内細菌叢を再現出来る事がわかった事で、細菌叢全体の機能についての研究が急速に進むと期待できる。ではだれから腸内細菌藪を含む糞を貰えば良いのか?このグループは単純に肥満と正常人を統計学的視点で選ぶと言う事はしない。代わりに、双子で片一方だけが肥満と言うペアーを選んで研究を行った。これにより、遺伝的な多様性などを気にせず、生活によって生じた肥満だけを対象に出来る。これが可能になるのは、ミズリー州で双子のコホート研究が行われており、条件にあった対象を4組選ぶことができたからだ。そして圧巻は、やせたヒトからの大便を移植したマウスに比べて、肥満のヒトからの大便を移植されたマウスは肥満になる事が示された。同じ事は、大便から分離した細菌を移植しても起こる。この結果は、腸内細菌藪の「機能を移植」出来た事になる。実際の論文では更に詳しい重要な実験が続く。特に腸内細菌藪の細菌の種類の違いを決め、肥満につながる原因を探る部分は圧巻だ。しかし、これは少し専門的すぎるので、またの機会にしよう。
今回の仕事を読んでみて、では日本でこの様な仕事は可能だろうかと心配になった。まず腸管内の細菌も除いた完全無菌マウスは日本で利用できるのか?普通のマウスを無菌化する場合、母乳で育てる限り腸内まで完全に無菌化する事は困難だ。大変な努力を払って欧米ではこれが維持されていると言う事だが、日本ではどこまで気軽に使えるのだろうか?次に、双子の実験を思いついたとして、条件にあった双子のペアーをリクルートする事が出来るだろうか?日本ではコホート・コホートと騒がれているが、本当に草の根から長期間にわたって人間を調べると言う覚悟があるのだろうか。アメリカでは本当にこの様な草の根の仕事が数多く進んでいる。本当はこの様な層の厚さこそ、臨床研究のための力になるのではないかと思う。PatientLikeMeからマウスまでこの厚みがアメリカにはある。この層の厚みは一朝一夕では不可能だ。長期の視野を持った計画がほしいと思った。
9月3日Nature:ビデオゲームによる練習は高齢者の認知能力を高める
今日は私が記者の代わりをしよう。
元ネタはNatureの9月3日号に掲載された、カリフォルニア州立大学サンフランシスコ校のGazzaley等の仕事だ。この号の表紙を飾った仕事で、動物実験ではなく、生の人間についての仕事だ。
ビデオゲームを通して複雑な課題の練習を課すと、高齢者の認知能力が改善するかと言う、誰もが興味を引かれるテーマについての研究だ。実験では、車のドライブゲームと、画面に現れるサインを分別するゲームを一つの画面で同時に行う課題を使ってテストが行われる。予想通り、高齢者ではこの課題を行う能力は衰えている。同じ課題を1ヶ月、時間を決めて自宅で練習してもらうと、この課題に対する能力は若い人と同じにまで回復し、この効果は6ヶ月維持されていた。一方、ドライブゲームやサインゲームを個別に練習しても全く改善は見られなかった。驚く事に、効果はゲームにとどまらない。注意力の持続や作業記憶を調べる他のテストでも、複雑な課題で練習したグループは大きな改善が見られた。しかもこの改善は、脳波レベルでも検出できる。うれしい事に、ビデオゲームを用いて複雑な課題の練習を行えば、高齢者の一般的認知能力を高める事が出来ると言う結論だ。
日本ではテレビゲームと言うだけで顔をしかめる向きも多い。しかし大事なのは、今回のように、顔をしかめて決めつける前に、良いか悪いかを科学的に調べると言う態度だ。今回の仕事を読んで、新しい課題に取り組んでいる若手が世界にいる事を実感した。コンピューターと人間の差を調べるアラン・チューリングのテストや、ジョン・サールの中国語の部屋など、一種ゲーム的設定を実際の研究に使う伝統が欧米にはある。日本では、ソニー、ニンテンドーと言ったゲーム機メーカーや、DeNAのようなソーシャルネットまで、ゲームは大きな市場に育っている。これらの効果を科学的に調べてみる事も今後重要な課題だろう。
最後に一つだけ強調しておきたい事がある。それは、今回の結果も更に長期のフォローアップを要する点だ。私たちの脳は、年老いてもフレキシブルだ。従って、半年までの結果が何年先まで維持できるのか、あるいは逆効果にならないかなど調べる事が必要だ。これまで紹介して来たような長期のコホート研究は、特に私たちの脳を知るのに必要だと実感した。
国立精神・神経医療研究センターがミトコンドリア病治療薬の臨床研究に入る
国立精神・神経医療研究センター(NCNP)は、厚労省から特定疾患に指定されている稀少難病ミトコンドリア病の一種MELAS(脳卒中様症状を伴うミトコンドリア病)への治療効果を調べるために、米国ベンチャー企業のエジソン社が開発中の酸化ストレス除去剤EPI-743について、8月から同センター病院の神経内科および小児神経科で臨床研究に入ると発表しました( http://www.ncnp.go.jp/press/press release130809.html )。
EPI-743は、米国および欧州でミトコンドリア病の一種のリー脳症(ミトコンドリア脳筋症)を対象に臨床第IIb試験を実施中で、日本でも既に今年3月に大日本住友製薬が、エジソン社からライセンスを受け、同用途での開発を進めており(http://www.ds-pharma.co.jp/pdf_view.php?id=493)、本試験薬が両社と同センターでの臨床開発が、協奏的に加速され、これら適用範囲の承認を得て、早期にミトコンドリア病患者に届くことを期待しています。
このように国内外を問わず、産官学が協力して稀少難病治療薬の創出に取り組まれる事例が、最近散見されるのを知り、稀少難病患者の実態が、社会でも認知され始め、また科学と創薬技術の進歩に各種制度の整備も進んでいることを実感し、さらに他の稀少難病にも目が向くものと期待が広がります。 (田中邦大)
婚外子と科学(番外)
今日のニュースのトップは竜巻、ゲリラ豪雨、そして婚外子の権利についての最高裁判決だ。科学に偏った目から見ると、全て科学問題に見える。え?婚外子も?と聞かれる向きもあるだろう。私の偏った考えを紹介しよう。
まず私は今回の判決を支持する。遅かったぐらいだ。この判決を阻んで来た唯一の理由が、明治憲法以来(あくまでも明治以来)の婚姻形態/制度の保護と言うことだ。しかし、婚外子の立場から見ると極めて理不尽な話で、実際遺産相続の話に矮小化できるものではない。また、非嫡出子になるからと望まない人工中絶を強制される女性がいることも確かだ。これをきっかけに、根本的な変革が必要だと思う。
と言った上で、しかしこの決定を科学が可能にしていることを強調したい。天一坊事件を持ち出すまでもなく、婚外子の場合に最も問題になるのが血のつながりがあるのかないのかの判断だ。しかし、現在ではこの問題は存在しない。どれほど否定しようと、遺伝子診断を行えば血縁関係はすぐけりがつく。従って、嫡出、非嫡出の区別がなくなったとしても、血縁関係を争う訴訟が頻発することはほとんどない。頻発しても、裁判にまでいくこともない。すなわち、血縁関係を制度で保証する理由はほとんどなくなったと言うことだ。ただ、ここで血縁というのは身体的なことに限っている事を肝に銘じる必要がある。すなわち、血縁=身体=科学が全ての法的判断根拠にならないようにしなければならない。血縁関係がなくとも、家族である例はいくらでもある。大事なことは、親子家族の様々な可能性が認められる社会を作ることだろう。
デカルト以来、私たちは心と身体の2元論を克服できていない。とは言え、実際には一元的であるはずだ。これを一元的に理解することが21世紀科学の最も重要な課題だ。ところで、血縁を少し科学的に言い換えるとゲノムになる。こう考えると、制度と血縁、すなわち心と体を、法律の方では既に一元化して扱おうとしている事はすばらしい。今日の最高裁決定は21世紀に開いている。