うれしい悲鳴だが、多発性骨髄腫の治療が今めまぐるしく変わろうとしており、数多くの治験が同時進行している。今年9月7日には副作用の強いアルキル化剤を使ずに、レナリドマイドとデキサメサゾンだけを併用する治験について紹介した。その時、プロテアソーム阻害剤という新しい薬剤の治験が進んでいることについても触れた。事実今年8月号のBlood誌 (Blood 124:987,2014)にcoming soonと期待を込めて論評されたixazomibの第I/II相治験の結果がついにJAMA Oncologyに発表された。メイヨークリニックからの論文で、タイトルは「Safety and tolerability of ixazomib, an oral proteasome inhibitor, in combination with lenalidomide and dexamethasone in patients with previously untreated multiple myeloma: an open-label phase 1/2 study(経口プロテアソーム阻害剤のレナリドマイド+デキサメサゾンとの併用療法の未治療患者に使った時の安全性と許容性。非盲検第I/II相治験だ)」。プロテアソーム阻害剤が骨髄腫に高い効果を示すことはすでに知られており、武田薬品の子会社ミレニアム製薬のベルケイドなどの治験が進んでいた。ただこれまでの薬は経口投与ができず、同じミレニアムが開発した経口投与可能なixazomibに期待が集まっていた。Ixazomib単剤の治験、及びデキサメサゾン併用での治験も現在進んでおり、これまでのところ期待が持たれる結果が得られているようだ。今回の治験では、すでに骨髄腫治療のスタンダードの地位を固めたレナリドマイドをさらに加えた三者併用を試みた治験だ。昨年12月8日にここで紹介したようにレナリドマイドはIKFZ1,3と呼ばれる骨髄腫の生存に必須の分子を特異的に分解してしまう薬剤だ。一方、プロテアソーム阻害剤は様々なタンパク質を分解する過程を阻害するのがメカニズムだ。作用機構は特異的ではないが、骨髄腫がこのメカニズムに強く依存していることから、他の細胞より感受性が強い。このため正常細胞と骨髄腫との効果の差がはっきり見られる用量を決めることが重要だ。今回の研究ではその点に重点を置いた第I/II相研究で、I相15人、II相50人の小規模な研究だ。無作為化などの統計的な大規模治験とは全く違い、言ってみればさじ加減を許す研究と言える。副作用とのバランスを見ながら用量を決め、服用時に4mg経口投与を、28日を1サイクルとした時、1、7、15日に3回投与するというプロトコルを決め、副作用、効果などを調べている。さじ加減は自由に行っており、副作用が強い場合は用量を医師の判断で減らしている。まず副作用だが、薬剤の標的は特異的ではなく、したがってほとんどの患者さんに様々な副作用がみられ、一人は副作用で亡くなっている。ただ、これまでのベルケードでの結果と比べるとそれでも副作用は軽く、また用量を減らすことで対応できることが分かった。さらに重要なのは、高齢者と他の年代で副作用の出方にあまり大きな差がないことだ。高齢者の多い病気であることを考えると期待が持てる。今回の治験は効果を調べることが目的ではないが、ほぼ9割の患者さんに治療効果が認められ、35%には完全ではないが高い効果、そして27%には完全寛解が見られ、期待通りの結果になっている。論文の内容をよく見てみると、患者さんに合わせたさじ加減を行えばさらに高い効果が得られる用法も開発できそうだ。また、どのタイプの骨髄腫に最も効くかなど、ゲノム検査も重要だ。時間がかかるが、効果の高い治療法に発展する期待が膨らむ。Ixazomibも武田薬品の子会社ミレニアム製薬の開発品で、我が国でも同じ3剤併用の治験がすでに走ろうとしているはずだが、できるだけ早く使えるようにして欲しいと思う。次から次へと新薬が生まれ、骨髄腫患者さんにとっては素晴らしいことだ。しかし、製薬企業にとっては安心しておられないことも事実だ。プロテアソーム阻害剤が骨髄腫に効く理由としてNFkB分子活性抑制が最も重要な標的経路として理解されているが、10月15日に紹介したように、この経路に特異的な新しい新薬の開発が進んでいる。効果が同じでも、副作用が低ければ新しい薬剤で置きかわる。しかし患者の立場からいうと、このような競争は嬉しい競争だ。どんどん進めてほしい。
11月20日:多発性骨髄腫の経口新薬(11月14日号JAMA Oncology掲載論文)
11月19日:ガン細胞からのハイテクミサイル(11月10日号Cancer Cell誌掲載論文)
論文の中には「え。ほんと?」と思う一種のキワモノ論文がある。特に、特定の概念が流行しているとき、その概念が思いもかけない方向へ進みうることを示す論文がそうだ。少し抽象的になったが、今日紹介するテキサスMDアンダーソン病院からの論文は、エクソゾームと呼ばれる細胞から分泌される小胞についての研究で、11月10日号のCancer Cell誌に掲載された。タイトルは、「Cancer exosomes perform cell-independent microRNA biogenesis and promote tumorigenesis (ガン細胞が分泌するエクソゾーム内ではマイクロRNAが生成されガンを促進する)」だ。細胞内には小胞体、リソゾーム、エンドゾームなど様々な小胞が存在しており、それぞれの小胞に分子を分配し閉じ込めることで、分解や分泌が行われる。これは細胞学の中でも最も重要な分野で、ここで簡単に紹介するのは不可能だ。細胞内には機能の異なる多くの小胞体が存在すると思っておいてほしい。さてこの小胞の中に、さらに小胞の入った多胞体と呼ばれる比較的大きな小胞体が存在するが、この多胞体の中にある小さな細胞膜で囲まれた袋が細胞外に分泌されたものをエクソゾームと呼ぶ。エクソゾームは細胞膜で囲まれていることから、他の細胞に融合し、中の分子をその細胞に送り込む可能性がある。実際、狂牛病やアルツハイマー病で異常タンパクを他の細胞へと伝搬するのに一役買っていることが明らかになってから、エクソゾームは急に注目されるようになった。このようにエクソゾームには様々なタンパク質、あるいは核酸が含まれており、これを細胞間のコミュニケーションの積極的は方法として位置づけることが流行っている。最近になって、ガン細胞が、RNAの翻訳を抑制することのできるマイクロRNAを送り込んで自分の周りの細胞を変化させる手段となっていることを示す論文が発表され、さらにこの分野が賑やかになってきた。この仕事もこの延長にあるが、これまでの研究の集大成的な位置にあるように思う。この研究を一言でまとめると、少なくとも乳ガン細胞から分泌されるエクソゾームには、マイクロRNAをプロセスし、標的RNAに結合させ、その標的を破壊する全ての酵素系が、マイクロRNAと共に濃縮されており、このエクソゾームを取り込んでしまった乳腺上皮細胞の多くの分子の発現が抑制される。その結果、正常乳腺細胞株のガン化が促進されるという結果だ。論文のポイントとしては、1)初めてエクソゾーム内でマイクロRNAがプロセスされ、活性のある成熟型へと転換されること、2)これら分子のエクソゾームへの濃縮はCD43分子を介する能動的過程であること、3)血中に流れるエクソゾームにがん化自体を促進する活性があること、4)実際の乳ガン患者さんの血液中にも活性のあるエクソゾームが見つかることなど、従来のガンのエクソゾームの研究をさらに進展させたものになっている。特に、患者さんの血中エクソゾームが、まだガン化はしていない乳腺細胞株(長期に培養されているので完全に正常とは言えないだろうが)のがん化を促進するという点は重大だと思う。しかし、この結果をガンが、ガンを誘発するという簡単な話として捉えると間違うことになる。マイクロRNAが送り込まれて細胞の増殖プログラムが変わったとしても、遺伝子変化は起こらない。すなわち、実際にはガンがガンを誘発するわけではない。もしこのようなメカニズムが乳ガンに関わっているなら、おそらくそれは初期段階の話だろう。正常上皮の中の一個のガン細胞が、自分の足かせとなる周りの上皮細胞を変化させるには優れたメカニズムになるはずだ。いずれにせよ、ガンのエクソゾームはさらに流行りの分野になるような予感がする。
11月18日:蚊が人の血液を吸えるための進化の鍵(11月13日号Nature掲載論文)
もう下火になったが、一時大騒ぎをしたデング熱は蚊が媒介する。しかし、蚊は昔から人の血液を吸う昆虫だったのだろうか?現在人間+家畜+ペットの総重量は、地球に生息する全ての哺乳動物全体のなんと98%に達するという。それなら、蚊も当然人間や家畜を利用する方が効率がいい。しかし、1000年前にはこれが0.5%しかなかったのではと推定されている。まあ、人間の支配が急速に進んだと言えるが、蚊の方も必要に応じて急速に進化する必要があった。今日紹介するロックフェラー大学からの論文は、まさにこの問題、すなわち蚊が人間に対する指向性を獲得するようになるのに必要だった分子を探した研究だ。タイトルは「Evolution of mosquito preference for humans linked to an odorant receptor(蚊が人類への親和性を獲得する進化は一つの嗅覚受容体に関連させることができる)」で11月13日号のNatureに掲載された。しかしこれまで馴染みのなかった昆虫の論文は全てが勉強だ。まず世界には約一万種類の動物の血を吸う昆虫が生息しているが、そのうちの高々100種類が人間の血液を吸う。この研究では、様々な病気を媒介するネッタイシマカで、ヒトの血を吸うグループ(K14)と、全く吸わないグループ(K27)をケニヤから採取している。両者は交配可能で、種として分かれているわけではない。K14、K27を研究室で繁殖し実験に用いている。人間の手と、モルモットのどちらに惹かれるかを調べると、期待通りK14は人間の手、K27はモルモットに指向性を示す。両方の遺伝的バックグラウンドを揃えるために、K14、K27を交配した子供をさらに交配し孫世代の中からヒト型と動物型のメスを選んで、両者の発現している遺伝子の違いを探した結果、最終的にOr4と呼ばれる嗅覚受容体の発現レベルの差がヒトに惹かれる遺伝子変化であることを突き止める。次にOr4をショウジョウバエに導入して、ヒト特有の匂いを構成する分子に対する反応を調べ、Or4がスルカトンと呼ばれる化学物質に反応する受容体であることを突き止めた。K14がヒトへの指向性を持つようになったのは、Or4発現が上昇する調節領域の変異が起こったためと推定されるが、ではOr4遺伝子自体にも変化はないのか、実験室で確立したネッタイシマカのコロニーの遺伝子を調べたところ、7種類の変異を認め、それをショウジョウバエに導入してスルカトンとへの反応を調べると、大きな変化があることを明らかにしている。まとめると、ネッタイシマカがヒトへの指向性を持つ原因となる嗅覚受容体Or4を特定し、またその受容体が感知するニオイ物質を決定し、さらに確かにOr4の変異で蚊がヒトへの指向性を持つよう進化することを示した大変な仕事だ。ヒトへの指向性を持つ他の蚊についても研究が進むと、代々木公園の蚊を惹き寄せて一網打尽にすることも可能になるだろう。しかしこの仕事が行われたロックフェラー大学というと、野口英世ゆかりの大学だ。ネッタイシマカはもちろんデング熱だけでなく、野口英世を斃した黄熱病も媒介する。大学に息づく伝統を感じる仕事だった。
11月17日神経芽腫の犯人MYCNを抑制する新しい道(11月20日発行Cell誌掲載論文)
乳児期の腫瘍で最も多いのが神経芽腫だ。網羅的にガンのエクソームを調べる国際プロジェクトの結果を見ると、突然変異はほとんど見つからない腫瘍だ。しかし、突然変異はなくともMYCNと呼ばれる遺伝子が増幅することで腫瘍化していることが確認されている。最近この腫瘍もゲノム解析が進み、MYCN以外にも腫瘍化に関わると推定される遺伝子の変異が発見されてはいるが、やはり治療の本命はMYCNの機能を抑制することだ。しかし乳児期に最も多い腫瘍とは言っても、大人のガンと比べると創薬標的としては商業的魅力が少なく、大手の企業はなかなか薬剤開発に参入しない。さらに、MYCNをはじめ、MYC,MYCLの3種類のMYCファミリー分子は転写因子で、しかも多くの遺伝子の発現に関わっており、創薬標的としては極めてハードルが高い分子だ。しかしMYCファミリー分子はRASと並んで多くのガンの原因となっていることが確認されている分子で、この機能を抑制できるとガンの治療可能性は一段と拡大する。今日紹介するボストン小児病院からの論文は、スーパーエンハンサー説としてYoungらが提唱しているメカニズムを標的として創薬に成功したとする面白い仕事だ。当然のことながらYoungも著者に名を連ねている。タイトルは「CDK7 inhibition supperss super-enhancer-linked oncogenic transcription in MYCN-driven cancer (CDK7はMYCNによりガン化した細胞のスーパーエンハンサーに関わるガン遺伝子の転写を抑制する)」で、11月20日号のCell に掲載された。研究の内容は極めて専門的で、どこまでうまく説明できるか心もとないが、重要な仕事でありなんとか紹介してみようと思っている。まず、タイトルにあるCDK7はDNAからRNAを転写するRNAポリメラーゼの特定の部分をリン酸化して、転写を開始させる働きがある。この機能を抑制すると、転写は全般的に低下するが、特に寿命の短いRNAの転写が強く影響を受け、抑制に選択性が現れる。神経芽腫でのMYCNもCDK7抑制で選択的に転写が抑制されるのではと期待して、神経芽腫のCDK7RNAをshRNAで抑制すると期待通り、MYCNの転写が下がり、細胞の増殖も抑制された。そこで、同じグループが開発していたCDK7と共有結合して機能を抑制するTHZ1を神経芽腫の培養に加えると増殖が止まる。特に、MYCNが増幅している腫瘍でより高い効果が得られ、嬉しいことに、マウスに神経芽腫を摂取してガンの抑制実験を行うと、副作用なく腫瘍細胞を殺すことができる。またこの効果のほとんどが、MYCNを間接的に抑制した結果であることも確認している。おそらくこの仕事は最初にこの薬剤の開発があり、その後このMYCN抑制の解析に進んだと思われる。創薬研究としてはかなり有望に見える。したがって、患者さんにとっての情報としては、ここまでで十分だろう。神経芽腫のほとんどは自然治癒するが、一部は今も治療法がない。この薬剤そのものでもいいし、さらに改良した後でもいいが、早期にCDK7に対する標的薬が副作用の少ない神経芽腫治療として利用できるようになることを願う。一方、なぜCDK7のようなあらゆる転写に関わる分子を標的とする薬剤が、MYCNの機能を選択的に抑制するように見えるのかは基礎的には重要な課題だ。この研究の後半は、このMYCNの転写、特に増幅したMYCNの転写がYoung達が提唱しているスーパーエンハンサーに依存していること、スーパーエンハンサーによる高いレベルの転写は、普通のエンハンサーの転写よりCDK7の抑制の影響を受けやすいことを示そうとしている。実際、MYCNは27番目のリジンがアセチル化したヒストンの密度が高いことから、スーパーエンハンサーに依存するガン遺伝子発現の典型かもしれない。しかし、これがCDK7抑制の効果をより強く受けるかどうかについては正直なところ説得力が弱いと思った。当然流行りの話を取り込んだ方が論文は通りやすい。しかし、メカニズムはともかくTHZ1は間違いなく患者さんの光明であることは確かだ。期待したい。
11月16日遺伝子検査の有効性を検証する(PlosOne11月号掲載論文)
YahooやDeNAが個人向け遺伝子サービスを始めた今年は、我が国のDTC (Direct to consumer:個人向けの遺伝子サービスをこのように表現している)元年と呼んでいいかもしれない。しかし、DTCに対しては様々な批判がある。ここでも紹介したが、年齢を重ねると遺伝的な傾向は生活習慣などで変化したエピジェネティックな傾向にマスクされてしまう。他にも、一般の人のゲノムに対する理解がどこまで進んでいるかもわからない。このため、DTCを商業的に提供することを規制すべきであるという声が様々な筋から聞こえてくる。しかし、はっきり言ってどちらの意見にも一理あり、結局議論を続けるしかないと思う。ただ大事なことは、議論を常に科学的土俵の上で行うという点だ。欧米では将来を見越して、DTCからリスクを知ることで私たちの生活態度が本当に変わるかどうかを調べるための臨床研究が行われ、論文も出始めている。例えば診断や治療について常に検証を怠らないコクラン財団ではすでに遺伝子診断に基づくアドバイスが生活習慣を改めさせられるか調べた研究を行い、効果がないと厳しい結論を出している。今日紹介するトロント大学からの論文は、コクラン財団の調査を踏まえた上で、自分の遺伝子を知ってアドバイスを受けた方が、知らずに一般的栄養指導を受けるより効果があるかどうか調べた研究で、11月号のPlosOne誌に掲載された。タイトルは、「Disclosure of genetic information and change in diet intake: A randomized controlled trial (遺伝情報の開示と食習慣の変化:無作為化比較研究)」だ。研究では呼びかけに応じた1600人ほどのボランティアの中から、最終的に様々な条件に適った157人を選び4種類の遺伝子検査を行っている。遺伝子は、カフェインを摂りすぎると心筋梗塞になる危険がある遺伝子、ビタミンC欠乏症に陥る遺伝子、糖分の摂りすぎになりやすい遺伝子、そして食塩を摂りすぎると高血圧になる遺伝子が選ばれているが、だいたいそれぞれの検査で50−70%の人がリスク遺伝子を持っている。この人たちを無作為に2群に分け、片方には遺伝検査の結果リスクがあることを知らせ、栄養指導を行い、もう一方には結果を知らせずに栄養指導を行い、1年間経過を観察し、食生活を変えるかどうか調べている。結果は、最初の3種類の遺伝子については遺伝子検査結果を教えたか否かにかかわらず、実際の食生活はどれもほとんど変わることはなかった。一方、食塩を摂りすぎると高血圧になりやすいACE遺伝子については、遺伝子検査の結果とリスクを知らせて指導すると、食塩摂取量を1日1.5g以下に制限した人が、遺伝子検査結果を知らせない場合より1.5倍ほど増加し、はっきりとした有意差が出たという結果だ。この結果は、心筋梗塞や、ビタミンC欠乏症のようなあまり身近でない病気については、諦めるのか、信用しないのか、指導を受けても食事生活を変えることはあまりない。一方、高血圧のような身近な病気だと、DTCが確かに効果があることを示している。これに習って、我が国でもDTCの効果について議論するとき、効果の検証をしっかり行い、エビデンスに基づいた議論が行われることを期待する。間違っても、有識者がエビデンスのない意見を押し付けるということはやめたほうがいい。一方、リスク管理に有効としてDTCを提供する側は、結果に応じて様々なアドバイスを提供できる体制を構築するよう努力することが必要だろう。さて私の意見だが、役に立つ、立たないを問わず、個人ゲノムを自分の意思で読むことが、21世紀では当たり前になると確信している。この観点から、是非議論を進めて、我が国でもDTCを根付かせるべきだと思っている。
11月15日:長寿の秘密はそう簡単に姿を現さない(11月号PlosOne掲載論文)
長寿が遺伝することを示唆する多くの論文がこれまで報告されている。ところがゲノム解析時代に入って100歳を超える長寿の人達のエクソームやゲノムの配列が決定され始めたが、期待に反して長寿に関わるとはっきり特定できた遺伝子はまだないようだ。今日紹介するスタンフォード大学からの論文は、おそらく人間の寿命の限界に近い110歳以上の長寿者を調べれば遺伝子が特定できるのではという期待で始まったと思われる研究で、11月号のPlosOneに掲載された。タイトルは「Whole-genome sequencing of the world’s oldest peoplee (最も長寿の人達の全ゲノムシークエンス)」だ。世界には74人の110歳以上の高齢者が生きておられるようだが、そのうち17人がアメリカ在住だ。研究では、この方々から血液の提供を受け、全ゲノム配列を同じ場所を最低40回以上は繰り返して調べる精度で決定している。この中には1人だけアルツハイマー病の人が含まれているが、心臓病や糖尿の人は誰もいない。また、110を超えて生きるような人はカクシャクとしており、一人は103歳まで現役で仕事を続けており、また107歳まで運転をしていた人までいる。さて結果だが、残念ながら結局長寿と有意に相関する遺伝子変異は何も見つからなかったというのが結論だ。言ってみればこの論文は、膨大な失敗記録と言える。事実、相関がないということを結論することは簡単ではない。「うまくいかないのは、方法が間違っているからだ」とか「データは本当に正しく取られているのか」とかいくらでも文句がつけられる。このため、この論文には結局徒労に終わった様々な検討が正直に全て示されている。普通、ネガティブデータは論文にならない。しかし本当はこのようなネガティブデータも論文として残す価値が大きい。データベースに登録しておけばいいと考える人もいるだろうが、後で調べるとき、論文として残っているだけで格段に検索がしやすくなる。その意味で、このネガティブデータを論文として掲載したPlosOneには敬意を払う。何れにしても失敗の連続が正直に記録されている珍しい論文だ。例えば、長寿者とそれ以外とを比べても統計的には優位差がないが、それでも疑わしいと思える、呼吸のリズムを決める神経回路形成に関わるTSHZ3と呼ばれる遺伝子を探り出して、他のデータベースを加えた解析まで行って、その結果を示している。100歳以上の人ではアミノ酸の配列が変化する変異が4%に対し、一般のポピュレーションでは2.5%だ。ただし、有意差検定をすると統計的には両者に差がないことになる。他にも、今回対象となった人たちには心臓病の経歴は全くないのだが、一人だけ右心室肥大を伴う不整脈と密接に関係する変異を持っている。おそらく多くの遺伝子検査でこの変異は使われていると思うが、陽性となっても110まで生きている人もいると思えば安心できるだろう。多大な努力を払って調べた著者たちには申し訳ないが、やはり長寿の秘訣は日々の節制ということだろう。
11月14日:眠っているうちにタバコをやめる(J. Neuroscience12月号掲載論文)
実を言うと、私は大学入学以来長く喫煙を続け、この習慣から抜け出したのは京大分子遺伝に移って少ししてからだ。この時、ニコチンパッチを処方してもらって、やめるまで2ヶ月近くかかったと思う。今日紹介するイスラエル・ワイズマン研究所からの論文は、やめるのに苦労した私にとっては驚きの研究だ。タイトルは「Olfactory aversive conditioning during sleep reduces cigarette-smoking behavior (睡眠中に臭いの嫌悪条件付けを行うとタバコが減る)」だ。この論文を読んで最初の驚きは、この研究が神経科学の専門誌では格の高いJ.Neuroscience12月号に掲載されていることだ。確かにタバコの数が減ることは脳の問題だろうが、これを神経科学とみなしでいいのか少し戸惑う。ただJ.Neuroscienceは懐の深い雑誌であることは実感した。この研究は極めて単純な実験プロトコルで行われている。まず愛煙家を選び、これまでの喫煙歴、毎日の喫煙本数などを自己申告してもらう。次に、1週間の喫煙日記を付けてもらい、筋金入りの愛煙家であることを確認する。次に腐った魚の匂い、硫酸アンモニアの匂いを嗅がして、これを不快な臭いと判定するのかどうか確かめる。このような条件をくぐり抜けて残った愛煙家に、一度研究所に来てもらい、起きているとき、あるいは睡眠中にタバコの匂いと一緒に、不快な臭いを嗅がして条件付けを行う。この条件付けは1日で終了し、終了後もう一度条件付けに使った臭い匂いを実験前と同じように不快に感じているか確かめ、実験により感覚に対する身体的変化が起こっていないことを確認する。その後は帰宅させ、1週間喫煙日記を付けてもらって、喫煙本数を条件付け前と比べて実験は終了だ。この実験の詳細を読んで次に驚くのが、脳波を取りながら条件付けの臭いを嗅がす装置を鼻につけて本当に寝ることができるのかという疑問だ。写真が出ているが鼻の先からチューブが出ているのを見ると、まず私なら寝付けないなと思う。そして最後に驚くのが結果だ。まず、タバコの匂いと不快な臭いを睡眠中に同時に嗅がして条件付けを行うと、なんと次の週のタバコの本数が半分に減る。起きているときに同じ条件付けを行っても全く効果がない。さらに、寝ている時条件付けをするとタバコの本数は必ず減るようだが、熟睡しているときに嗅がしたほうがより大きな効果がある。あとは、タバコの匂いと、臭い匂いを同時に嗅がすのではなく別々に嗅がしたり、あるいはタバコの匂いを全く嗅がさない条件でタバコが減るかも調べている。しかし示されている実験のほとんどはコントロール実験で(もちろんコントロール実験が最も重要だが)、つまるところ寝ている時を狙ってタバコと臭い匂いを嗅がして条件付けをした時だけタバコが減るという結論だ。しかもタバコの本数は条件付けた次の日から、50%近く減っていのもまた驚きだ。思いついたら科学的に確かめて、結果が出たら論文にする根性には恐れ入った。しかし、こんな実験を思いつく責任著者は、愛煙家か、嫌煙家か一番気になる。
11月13日:ヒトゲノム解読は終わっていない(Nature オンライン版掲載論文)
これまで紹介してきたように、ヒトゲノムが解読できたおかげで、私たちは基準として参照できる下敷きを手に入れることができた。現在次世代シークエンサーで調べた個人ゲノム配列はこの下敷きの上に並べ直すことで一つのゲノム構造へと再構築されている。こうして再構築された何千人ものゲノムがデータベースに蓄えられ、新たに読まれた個人ゲノムの個別性が判断されている。この意味で、下敷きとなる基準ゲノムがどこまで完全かを理解しておかないと、様々な間違いが起こる。実際、基準を作る時に遺伝子を大腸菌の中で増幅しているが、大腸菌が嫌う配列はそれだけで取り除かれ、基準ゲノムには反映されないことになる。すなわち実際には完全な手本があるわけではない。さらに、現在使われている次世代シークエンサーにも読める長さが短いという限界がある。このような限界・不完全性のため、遺伝子の病気が疑われているのに、全ゲノム解析で原因遺伝子が特定できない場合は数多くある。このように、現在使われている基準やテクノロジーの不完全性について頭ではわかっているのだが、次世代シークエンサーから続々生まれる輝かしい結果を目にすると、この限界をすっかり忘れてしまっていた。今日紹介するワシントン大学からの論文は、PacBioという会社により開発された、さらに次の世代の一分子シークエンサーと呼ばれるシークエンサーを用いて、私たちが下敷きとして使っている基準の不完全性をはっきりと思い出させてくれる研究で、Natureオンライン版に掲載された。タイトルは、「Resolving the complexity of the human genome using single-molecule sequencing (一分子シークエンサーを使ってヒトゲノムの複雑性を明らかにする)」だ。DNA一分子の配列をそのまま解読するということは、増幅が必要ないということで、現在の次世代シークエンサーより格段に長いDNA鎖を一気に読むことができる。論文を読むとなんと5000塩基対も読めるということで、現在のシークエンサーの読める長さの10−50倍になる。この研究では、母親の核が失われ、父親の遺伝子だけで異常発生してしまった胞状奇胎のDNAを調べている。このゲノムはほぼ精子のゲノムに等しいので、2本づつある染色体の片方だけ(ハプロタイプ)を調べることができる。あまりに専門的なので全て割愛するが、驚くべき結果で夢が覚めたというのが読後感だ。要するに、新しい技術を使わないと解読でないため、これまで全く検出されてこなかった遺伝子領域が20000箇所以上存在し、この中にはたんぱく質へと翻訳される遺伝子部位や、遺伝子の発現を調節している部分も多く含まれている。とすると、まず早急に下敷きとして使っている基準を改定する必要がある。この研究でこれまで繋がっていなかった部分を50箇所も埋めることができており、また40箇所についてはギャップの長さを短くできている。当面は、新しい機械で解析されるゲノムの数を増やすことが必要だろう。しかし、もう少し長い将来を見据えるなら、現在の次世代シークエンサーも、最終的に一分子シークエンサーで置き換えられるだろうと予想される。ただその時PacBioが笑っているかどうかはわからない。センサーになっている穴の中をDNAに通過させて塩基を読み取る方法の開発も進んでいる。10年先、研究室でどのシークエンサーが使われているかは予測できない。いずれにせよ、めまぐるしくイノベーションが進む分野は間違いなく将来性のある分野だ。とすると、我が国はこのイノベーションから取り残されてしまったのではと心配になる。
11月12日:信者に高い道徳を要求する宗教の維持に必要な条件(アメリカアカデミー紀要オンライン版掲載論文)
人間と神の関係が完全に非対称な一神教の誕生は、人類学の重要な課題だ。この基準を満たす一神教のうち信者が多い宗教は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教になるが、ともにユダヤ教がルーツだ。では人間と神の位置が対称的な多神教から、完全に神が優位の非対称な関係を認めるユダヤ教が生まれるきっかけは一体何だったのだろうか。通説では、中東の砂漠地帯という厳しい自然の下で民族の団結を保つために、人間と完全非対称の関係に基づいて信者に道徳性を求める一神教が生まれてきたのではとされている。この通説の真偽を確かめることは難しそうだが、現在一神教を信じている社会がその信仰を維持し続けている共通性が明らかにできると、この通説を検証するための手がかりになる。今日紹介するワシントン大学からの論文を読んで、まさにこのような問題に科学的に取り組もうとしている研究者がいることを知って驚いた。論文は、信者に道徳性を要求する一神教を信じている集団とそれ以外の集団を比べ、共通の特徴がないかどうかを探った研究で、アメリカアカデミー紀要のオンライン版に掲載された。タイトルは「The ecology of religious beliefs.(宗教的信仰の生態学)」だ。研究では世界各地に散らばる583集団について、宗教、地理的環境、言語、生活様態などを詳しく調べ、道徳性を要求する一神教を信じている社会と相関する条件を統計学的に調べている。方法としては、極めてオーソドックスな文化人類学と言える。すでに一神教を信じる社会の条件として証明されている、農耕、共通の言語などに加えて、今回の解析から、1)家畜の利用、2)集団内の複雑な政治システム、3)食物や水を手にいれることの難しさなどが、一神教を信じる集団の条件として明らかになった。通説との関係でいうと、高い道徳を要求する一神教を信じる集団の多くは、気候変動など環境の変化が激しい場所に住んでいることがわかり、通説も一理あったと納得する。結局極めて常識的な結論が示されると、本当に500程度の集団の比較で結論していいかどうか、統計学的に問題ないことが強調されていても、正直なところ少し疑問を感じる。ただ。このような人間集団の精神的、社会的特徴を科学的に明らかにするという方向性は高く評価する。是非この論文一枚で調査を終えるのではなく、コホート研究として長期にこれらの集団を記録し、得られるビッグデータに基づいた研究へと発展することを願っている。もし通説のように「困った時の神頼みには、頼む側の道徳性を高める必要がある」なら、困難が社会経済的に克服された後は、「衣食たって礼節を知る」ための新しい道徳観が必要になる。
11月11日:白血病原因遺伝子の変異は発病以前に検出できる(Nature Medicineオンライン版掲載論文)
このホームページでも紹介したと思うが、長年働き続ける血液幹細胞には突然変異が積み重なっていることが知られている。しかし、明らかに白血病につながる突然変異がどの程度の正常人の血液に起こってくるのかについて詳しく調べられたことはなかった。今日紹介するワシントン大学からの論文はこの問題をなかなかうまいやりかたで調べた研究で、Nature Medicineオンライン版に掲載されている。タイトルは、「Age-related mutations associated with clonal hematopietic expansion and malignancies (年齢と相関して起こる、血液細胞の増殖や悪性化に関連する突然変異)」だ。私がうまいやりかたと言ったのは、この研究で使った血液ゲノムデータのことだ。現在がんのエクソーム解析を系統的に進めるThe Cancer Genome Atlasというプロジェクトが世界中の多くの研究室が参加して進んでいる。この時がんのゲノムと比べる正常組織としてもっとも普通に使われるのが血液細胞で、がん患者さんのデータベースにはガンのエクソームとともに血液細胞のエクソーム解析が公開されている。がんの患者さんの血液とはいっても、血液に悪性細胞がないことが臨床的に確認されている。従って正常に見える細胞にどのような変異が起こっているのか調べるには格好の材料だ。この研究では、公開データベースからなんと2700人を超す人の血液ゲノムを手に入れることができており、まさに着眼点が全ての仕事と言っていいだろう。とは言え白血病の発症と老化を考えるヒントになる重要な結果が示されており、私にとっては大いに勉強になった。まず、臨床的に白血病になる前から、血液には多くの突然変異が蓄積しており、その中には白血病の原因として特定されているのと同じ突然変異が見つかる。驚くべきことに、このような変異は調べた中の2%の人で見つかり、変異が見つかった人では、血液細胞のかなり部分が同じ変異を持っている(場合によっては半分以上の血液が同じ変異を持っていることまで示されている)。おそらく、これらの変異によってより幹細胞の増殖力が高まり、正常細胞を押しのけて勢力を広げている段階だと言える。また、このような白血病と同じ変異を持っている確率は高齢になるに従って高まり、70歳以上ではなんと5−6%の人の血液に白血病の原因になる変異が見つかる。従って、白血病が発症する前から、かなりの人がその予備軍として変異を持っていることを示している。私自身がとりわけ感心したのは、白血病発症以前に見つかる遺伝子変異がこれまで特定されたに白血病の原因遺伝子にランダムに分布しているのではなく、その8割以上が限られた遺伝子に集中していること、及びこれらの遺伝子のほとんどがJAK2を除いて、遺伝子発現の調節、特にエピジェネティックな機能に関わる分子をコードしている点だ。これが正しいとすると、白血病が発症するためには、ただランダムに変異が積み重なってもダメで、まず染色体構造を変化させる変異が起こり、増殖能が少し高まって少しづつ正常クローンを駆逐していく中で、2次的な他の突然変異が付け加わって白血病に至ると想像される。この研究で2次的とされ、白血病発症以前の血液には全く見つけることができない変異の中には、私自身が絶対白血病のドライバー変異だろうと思っていたFlt3,Wnt1, n-rasなどのシグナル分子が存在しているのも驚きだ。専門的なので割愛するが、リストされた遺伝子変異は専門家から見ると実に興味深い。今後このようなケースから白血病が発症するまで追跡が行われれば私たちの白血病に対する理解は一段と深まると思う。そして今後ゲノム検査が当たり前になれば、おそらく発ガンリスクの判定にこのようなエクソーム検査が使われるようになるだろう。血液を研究してきた者にとっては学ぶところの多い論文だった。しかし、もし血液細胞にこれほど変異が多いとすると、がんのエクソーム検査に簡単に血液を使うのも気をつけたほうがいいと警告も発している。国際コンソーシアムも、この点についてはぜひ早急に対応策を示してほしいと思う。この研究はゲノム時代に本当に必要なのは問題設定と、情報処理であることを示す典型だ。我が国にもデータベースサーフィンから従来型の研究者を驚かせる若いインフォーマティシアンが出現するのを期待する。