現在の地球を見れば、言葉を持つことで人間が、あらゆる生物種に君臨していることがよくわかる。もちろん2足歩行や、言葉を話す解剖学的構造などの身体能力などがこの人間の絶対能力の差に全く関わらないとは言わないが、なんと言ってもほとんどが脳の進化の結果であるのは間違いない。21世紀に入って、ヒトの進化で何が起こったか明らかにしようとゲノムから解析が行われ、ゲノム全体でヒトとチンパンジーの遺伝子配列の違いが、たかだか1%前後であることがわかった。ほとんど差がないことが強調されているが、30億塩基対の1%だから、3000万箇所の違いが存在する。脳の進化に関わる変化を見つけるのは簡単ではない。これにチャレンジしているのが今日紹介するエール大学からの論文で、脳発生に関わる遺伝子発現調節領域の進化の理解を目指した研究だ。タイトルは「Evolutionary changes in promoter and enhancer activity during human corticogenesis (ヒトの脳皮質形成過程でのプロモーターとエンハンサー活性の進化)」で、3月6日号のScienceに掲載された。この研究ではまず、ヒトの脳皮質の構造が大きく変化する発生時期の胎児脳組織で働いているエンハンサーとプロモーターを、結合しているエピジェネティック・マークを指標に特定し、対応する発生段階のマウスとアカゲザルの脳組織での活性と比べている。すなわち、ヒト独特の脳発生様式に関わる遺伝子発現調節を特定しようと試みている。翻訳される遺伝子自体にサルと大きな差が見つからないなら、まず調節領域を調べてるのは当然のことだ。とはいっても、発生段階ごとのヒト胎児組織を入手し、得られた貴重な組織からゲノムワイドのエンハンサー、プロモーター部位のリストを作ることは並大抵のことではない。これまでも紹介したが、エール大学はヒト胎児脳発生の研究が活発に行われているようだ。さて結果だが、エンハンサー、プロモーター各活性がヒトで上昇している部位が各ステージで、1000−5000箇所特定されている。しかも、この調節活性の差を、遺伝子配列の違いとして特定するのは今のところ難しいようだ。このように、DNA配列上の差を特定できない変化が1000以上存在すると、次のステップに進むのはなかなか難しい。この研究も結局はこのリストを作った上で、幾つかのアイデアを提示するだけで終わっている。最初に提案された方法は、ヒトエンハンサーと、サルエンハンサーを標識遺伝子につないでトランスジェニックマウスを作り、マウスの脳でサルとヒトの活性を調べる方法だ。論文では、マウスでは全く活性がないが、ヒトとサルで程度の異なるエンハンサー部位についてトランスジェニックマウスを作成し、ヒトとサルのエンハンサー活性の差をマウスの脳での発現で特定できることを示している。ただ、正直、これを真面目に他の何千箇所もの調節領域で繰り返して意味があるか疑問を感じる。ぜひ諦めず、提案したからには自らがこのまま探索を続けて欲しいと思う。もう一つの方法として提案されているのがネットワーク解析で、ヒトとサルの違いを多くの遺伝子が関わるネットワークの変化として捉える方法の導入だ。実際これまで脳発生について、異なる遺伝子ネットワークモジュールが90種類程度特定されている。この研究では、それぞれのモジュールでネットワークを形成している遺伝子について、今回特定された調節領域の変化をマップして、サルからヒトへの変化に関わるモジュールを探そうと試みている。また、確かに大きな変化が見られたモジュールを幾つか示し、その生物学的意味についても議論している。しかし、ではこのモヂュールからどのようなシナリオが描けるのか明確ではない。チャレンジスピリットに感心しながら、結局ゲノムワイドに様々な状態が記述できるようになり、ビッグデータを使った論文がトップジャーナルを賑わせている。最初の頃は、挑戦をしようとする心意気に賞賛を送るのだが、論文の数が増えていくにつれ、このビッグデータをどうプロセス理解へつながるのか明確でなく、論文のための論文ではないかとフラストレーションがたまる。考えが古いのかもしれないが、このモヤモヤを晴らしてくれる論文を心待ちにしている。
3月9日:人間の脳の進化:挑戦することvs理解すること(3月6日号Science掲載論文)
2015年3月9日
カテゴリ:論文ウォッチ