昨日私が勤務する生命誌研究館を訪問中の某放送局の方から、サルからヒトへの進化を後押ししたスイッチのような遺伝子がないか聞かれた。サルとヒトのゲノムがほとんど同じと考えれば、一つの遺伝子で話が決まる可能性がないわけではないが、やはり「そう簡単な話ではない」と、答えるしかなかった。事実、700万年前に我々の先祖・原人がサルと別れてからも徐々に変化が積み重なってきていることが化石からわかるし、転写・翻訳される遺伝子の差から考えても、新しい遺伝子が全てのスイッチを入れるとは考えにくい。とはいえ、ヒトとサルの差は間違いなくゲノムの差としてそこに存在している。従って、それぞれの遺伝子の発現を調節している領域の差による遺伝子発現の小さな差が積み重なってヒトとサルの差が生まれたのではと多くの研究者は考えており、また地道な努力が重ねられている。今日紹介するデューク大学からの論文はサルとヒトの脳の大きさの差を決めている領域についての研究で3月16日号のCurrent Biologyに掲載された。タイトルは「Human-Chimpanzee differences in a FZD8 enhancer alter cell-cycle dynamics in the developing neocortex (FZD8エンハンサー領域のヒトとチンパンジーの差が新皮質発生過程での細胞周期の動態を変化させる)」だ。この研究ではFZD8と呼ばれるWnt増殖シグナルを受ける受容体遺伝子の上流にある領域の活性の差をチンパンジーとヒトで比べている。この領域に注目した理由についてはあまり明確ではないが、情報処理手法だけで出てきたというより、おそらく長年の経験から、FDZ8を脳細胞の増殖に関わる重要分子として狙いを定め、その遺伝子調節領域に注目したのではと想像する。このHARE5と名付けられた領域は他の領域と比べてもチンパンジーとヒトの差が大きい。この遺伝子配列の差を機能の差として見るため、ヒト、チンパンジーそれぞれからHARE5領域を調整して標識遺伝子とつなぎ、マウス胎児発生でその活性を調べたところ、予想通りこの領域は、どちらも発生中の脳新皮質で発現する。ただ驚くべきことに、ヒトの領域を用いると発生の早くから、しかも30倍も高い発現が誘導される。この発現の量の差が実際の脳の形態変化をもたらすのか、今度は同じ領域をFZD8遺伝子自体とつないで、マウス胎児脳で発現するFDZ8分子の量を変化させると、ヒト調節領域を用いてFDZ8を発現させたマウスでは脳細胞がよく増殖するようになり、脳の大きさが少し増大したという結果だ。話はこれだけだが、現在行われている地道な努力を代表するなかなかの力作で、このような積み重ねから少しづつサルとヒトの違いが明らかになるのだろうと思う。もちろん、全ゲノムが解読されているネアンデルタール人やデニソーバ人のゲノムデータも重要だ。個人的には、もしこのマウスが生きているのなら、次はそれぞれのマウスの行動解析の結果を知りたいものだと思う。
3月26日:サルからヒトへのスイッチ(3月16日号Current Biology掲載論文)
2015年3月26日
カテゴリ:論文ウォッチ