2016年7月11日
21世紀に入って、生命科学領域では様々なデータベースが整備され、自分で実験をしなくても、自分の疑問を念頭にデータベースと向き合うだけで様々なことがわかる様になった。これは私の様な年寄りには本当に驚きで、なによりも研究費が不足している時も、データベースを活用するとなんとか研究を続けられる可能性を示している。これを実感したのが、神経堤細胞が増殖する時に発現している分子arid3Bが神経芽腫で強く発現していることをガンのデータベースから見つけた時だ。これには教室の仲間のJaktさんと小林さんの貢献が大きい。現役の最後に病気の発症に関わる分子をほとんど費用をかけず一つ発見できたのは嬉しかった。
とはいえ、引退後arid3Bとガンを結びつける話はあまり着目されず進展していなかった。ところが論文を読んでいると、最近台湾のグループがlet7-miRNAによりarid3Bが調節され、この経路の異常が発がんに関わる可能性を示す研究を発表して、個人的に注目していた。
今日紹介するハーバード大学からの論文はlet7とneuroblastomaの関わりを調べた研究で、arid3Bとlet7が結びついたかもしれないと個人的興味で読んだ。タイトルは「Multiple mechanisms disrupt the let-7 microRNA family in neuroblastoma(神経芽腫では複数のメカニズムでlet7マイクロRNAが破壊されている)」だ。
この研究は様々なタイプの神経芽腫で腫瘍化に関わることがわかっているMYCNを抑制するmiRNA、let7の発現を調べた仕事だ。はっきり言って、研究そのものはそれほど高いレベルでなく、これまである程度知られている現象について、力仕事を展開した印象で、スマートな感覚は全く感じない。
Let7がMYCNを抑制することはわかっているので、おそらく発端は神経芽腫でも調べてみようか程度で始めたのだろう。
重要なメッセージがあるとしたら、神経芽腫とlet7の関係は、let7の機能が低下してMYCNが上昇してガンになるという単純な話ではないことを示したのだろう。即ち、let7を抑制するLin28を抑制しても神経芽腫にはなんの影響もない。そこでlet7がなぜMYCN遺伝子が増幅している神経芽腫でうまく働かないのかを調べ、今度はMYCNmRNAそのものがlet7の働きを抑制していることを示している。この結果、let7が抑制している標的mRNAが抑制できなくなり、他のガン遺伝子が上昇するというシナリオだ。嬉しいことにこの標的にarid3Bがリストされており、私の頭の中では話がつながったという実感を得た。
一方、MYCN遺伝子増幅のない神経芽腫でのlet7の関わりも調べられ、この場合let7をMYCNの転写物が抑制することはない代わりに、遺伝子欠損が高い確率で起こっていることを示している。
まとめると、let7を様々な方法で抑制することがMYCNをドライバーとする神経芽腫の発生にとって必須であるという結論になり、これだけではちょっと物足りない印象を受けるだろう。
ただ個人的には、arid3B+MYCNによる神経芽腫と多能性幹細胞の増殖調節というシナリオがlet7を介してより明確になったのではと喜んでいる。
2016年7月10日
まずガン治療の将来を思い描いてみよう。ガンは遺伝すると思っている人も多いが、双生児についてのコホート研究から、遺伝性の高いガンと、環境や生活習慣の影響が多いガンに別れることがわかっている(
http://aasj.jp/news/watch/4688)。例えば我が国で罹患率の多い肺がんや直腸癌では遺伝性の貢献は低いため、様々な予防手段を講じることがまず大事だ。
それでも1/3の人はガンにかかる。そしてガンの背景にはまずゲノムの様々な変化が伴っている。しかも、同じ種類のガンでもゲノムの変化が大きく違うケースも多い。従って、不幸にもガンにかかった場合、そのガンの様々な性質をできるだけ詳しく調べ、その個性に合わせた治療を行うことが望ましい。原理的には、これは可能になってきたが、しかし一人の診断に膨大なコストがかかることになり、一般人の治療としては現実的でない。その代わり、多くのガン細胞について、できるだけ網羅的に性質を調べ、ガンに関わる分子の関わりをパターン化し、このパターンと、抗がん剤の効果を確かめやすいがん細胞株のパターンを対応させて、細胞株の薬剤の反応性から対応するガンの薬剤反応性を予測、ガン治療戦略を立てるための研究が進んでいる。
今日紹介する英国サンガー研究所を中心にした英・米・蘭・独・西・仏・中の7カ国共同論文はガンの個別医療を実現するための基盤作りを行った研究だ。タイトルは「A landscape of pharmacyogenomic interactions in cancer(ガンの薬剤・ゲノム相互作用の全体像)」で、7月28日発行予定のCellに掲載されている。
研究では、これまでガンやガンの大規模国際データベースTCGA, ICGCに蓄積されてきたガン細胞のゲノム・遺伝子発現・エピゲノムの結果と、1000種類に及ぶガンの細胞株のゲノミックスデータを比較して、実際のガンとがん細胞株とを対応させた後、ガン細胞株を用いた様々な抗がん剤の効果から、実際のガンに効果のある薬剤を予測できるデータベースを構築している。
この研究の結果はウェッブサイト(http://www.cancerrxgene.org)に収められているので、最終的には医師が治療戦略を立てるときにこのサイトを参照する様になるのが目的だろう。
膨大なデータを簡単にまとめると次の様になる。
1) ほとんどのガンは、1000種類のがん細胞株パネルのどれかと対応させられる。
2) 一般的な抗がん剤の効果は、ゲノムより遺伝子発現パターンと相関することが多い。例えばp53欠損とゲムシタビン。
3) いわゆる標的薬は、ドライバー突然変異の特定、遺伝子コピー数の変異、そしてメチレーションの順番で選択の確率と相関する、
4) ドライバー突然変異と薬剤の標的は必ずしも対応せず、例えばスプライシングに関わるU2AFの突然変異はFLT3阻害剤に感受性が高い場合が多い、
などが示されている。
さらに、実際の臨床でこのデータベースを利用するための示唆について図を用いて示して、臨床応用がこの研究の目的であることを明言している。今後さらにこのデータベースを洗練させ、多くの医師が使える様にして欲しいと思う。
世界レベルのプレシジョンメディシンの進展の様を見るにつけ、我が国の遅れが目につく。
小手先の対応ではなく、一般病院で、ガンの患者さんがプレシジョンメディシンを受けられるためにはどうするか、明確な戦略をたて、これを実現しようとする強い意志を持った研究者を集めるところから始める必要がある。急がば回れ。
2016年7月9日
ガンの治療成績は着実に進歩しているが、膵臓癌だけは何十年もほとんど治療成績の変化が見られず、医学研究をあざ笑っている。しかし論文を読んでいると、医学界も膵臓癌を重要な標的として研究を集中させているように思える。まだまだ前臨床段階なため、治療成績改善につながるところまでには至っていないが、将来は期待できそうだ。
今日紹介するワシントン大学からの論文はマウス膵臓癌モデルを使った研究ではあるが、現在ある治療法の組み合わせを調べた研究で、比較的臨床に近いところにある研究だと思う。タイトルは「Targeting focal adhesion kinase renders pancreatic cancer responsive to checkpoint immuneotherapy(接着斑キナーゼは膵臓癌のチェックポイント免疫療法の効果をあげる)」だ。
膵臓癌の特徴の一つはほとんどがras遺伝子の変異をドライバーとしていることで、多様性の面からみれば単純なガンだ。しかしrasに対する標的薬がないため、標的治療の対象にはなって来なかった。6月30日号のNatureには肺がんを対象としてras変異を、MEK阻害剤とFGF阻害剤の組み合わせで抑えられる可能性が報告されており(Manchado et al, Nature 534, 647, 2016)、ひょっとしたら膵臓癌や肺がんの治療を変えるかもしれない。
もう一つの特徴は、ガンの周りの間質反応が強いことだ。ただ、この反応が膵臓癌を助けているのか、あるいは膵臓癌を抑えているのか、相反する意見がある。ただはっきりしているのは、このような間質反応が強いガンほど予後が悪い。
この研究の発端は、間質反応の強い膵臓癌で細胞がマトリックスと相互作用するときに活性化される接着斑キナーゼ(FAK)が強く発現しているという発見だ。幸い、FAKに対しては阻害剤が存在し、さらに最近の第1相治験でも膵臓癌に対して効果があることが明らかになっている。そこで、マウス膵臓癌モデルを用いて、他の薬剤とFAK阻害剤の組み合わせを試したのがこの研究だ。
様々な検討を行っている。FAK単独でも、あるいは膵臓癌に最も使われるゲムシタビンと組み合わせても、抗腫瘍効果を高める。ただ最終的にこの研究が標的にしているのは、膵臓癌で間質反応が誘導されコラーゲンの沈着が増えると、膵臓癌のFAKが活性化され、その結果分泌される主にCXCL12などのケモカインを介して、ガンの周りの炎症を誘導するが、この炎症ではガンに対する免疫を抑える細胞の浸潤が強く、ガンに対する免疫反応が起こらないという経路だ。要するに、FAKを抑制すれば、ガンに対する免疫を高めることが期待できる。
結果は期待通りで、FAK抑制剤は間質反応を低下させ、ガンの周りにキラー細胞の浸潤を助ける。また、人工的な抗原を発現したガンを用いた実験で、ガンに対する免疫が高まっていることも観察している。
最後に、低濃度のゲムシタビン+抗PD1抗体にFAK阻害剤を加える組み合わせでガンが強く抑制できること、またゲムシタビンを使わず、FAK阻害剤と抗PD1抗体+抗CTLA4抗体という最強免疫組み合わせでも、効果が上昇することを示している。ただ、どちらの治療も完全に治る割合はまだ低い。これは免疫療法の宿命で、ガン抗原ワクチンなどによる免疫を成立させることが今後の課題になる。
これは動物を用いた前臨床研究でヒトに応用するにはまだ時間がかかるだろう。しかしやる気になれば明日からでも治験を始められる治療の組み合わせだ。ただ、これほど高価な、しかも異なる会社から提供されている薬剤を組み合わせる治験をどの体制でやればいいのか、難しい問題が残ってしまった。国の支援が必要な分野だと思う。
2016年7月8日
私たちの臓器を顕微鏡で見てみると、様々な種類の細胞が見事に空間的に組織化されているのがわかる。この見事さは顕微鏡や組織染色技術が開発されて以来、医学や生物学研究者を魅惑し続けてきた。その後遺伝子解析技術が進むと、この組織化の美は全て遺伝子発現の時間的、空間的調節の違いを基盤にしていることがわかってきた。この背景には、蛍光抗体法に始まる、組織内での個々の分子の局在を調べる様々な方法が開発され、多くの遺伝子の空間的発現パターンが明らかにされてきたことがあるが、特定の組織領域で発現している全ての遺伝子を調べる方法の開発は遅れていた。
その後、PCRが開発されると、少ない細胞から遺伝子ライブラリーを作成することが可能になり、小さな領域、あるいはそこに存在する一個の細胞が発現している全遺伝子を調べることが可能になっている。このおかげで、遺伝子発現の空間的・時間的制御のメカニズムの研究は一段と促進された。
しかし単一細胞ライブラリーなどこれまで用いられている方法は、一旦細胞を壊してしまうと、その由来や局在を結果から判断するしかなく、一種の自己矛盾を抱えていた。
今日紹介するスウェーデン・カロリンスカ研究所からの論文は、組織からまず細胞集団を分離するこれまでの方法とは全く異なる方法で組織局所からの遺伝子ライブラリー作成法を報告しており、感銘を受けた。タイトルは「Visualization and analysis of gene expression in tissue section by spatial transcriptomics(空間的トランスクリプトーム解析を用いて組織切片の遺伝子発現を可視化する)」で、7月1日号のScienceに掲載された。
組織切片を貼り付けるスライドグラスにRNAをトラップするプライマーを前もって塗布しておくのがこの方法のポイントだが、一種類のプライマーをただ塗布するのではなく、RNAを補足するためのプライマーを約1000種類の配列の異なるバーコードで標識し、回収した遺伝子の場所の特定ができるようにしている。
具体的には6x6cmの領域を100μのスポットに区分し、それぞれのスポットに異なるバーコードのついたプライマーを塗ったスライドグラスを用意し、その上に組織を貼り付ける。
組織を貼り付けた後、細胞膜を破壊すると組織中のmRNAは近くのプライマーに補足される。そこに逆転写酵素を加えてcDNAを合成すると、その局在を反映した遺伝子ライブラリーが合成できる。
この後、組織を全て溶解するとスライドグラス上にはプライマーと結合したライブラリーが残る。これをプライマーごと全部回収すると、普通なら空間局在がわからなくなるが、局在はプライマーについたバーコードで特定できるので、欲しい場所のライブラリーを、バーコードを手掛かりに選択的に回収できるという算段だ。
これを聞くと大変な技術かと思われるかもしれないが、DNAマイクロアレー作成に普通に使っている技術の応用で、これを組織局在を反映するトランスクリプトーム解析に使おうとした着想が素晴らしい。
脳を中心に実際この方法をどう利用できるかデータが示されているが、紹介する必要はないだろう。著者らが意図した通り、局在を反映する高品質のライブラリーの作成に成功している。例えば単一細胞ライブラリーと比べて、含まれる遺伝子はほぼ倍になっている。
おそらくどこかの会社が製品化し、脳研究、ガン研究を中心に、かなり普及するのではないかと思うが、21世紀のゲノムイノベーションがますます加速していることを実感させる面白い論文だった。
2016年7月7日
社会問題の科学最終日に紹介する論文は、私たちが明るい夜を過ごす結果、本当の夜空が失われていることを科学的に示した研究で、七夕の今日こそ考えてみる価値のある社会問題を扱っている。
この研究の責任著者のFabio Falchiさんの所属する研究所はInstituto di Scienza e Tecnologia dell’Inquinamento Luminoso、すなわち「光害」科学技術研究所で、この社会問題に特化した研究所があることに驚く。
論文のタイトルは「The new world atlas of artificial night sky brightenss(夜空の人工光輝度についての世界地図)」で、6月10日Science Advanceにオンライン出版されている(Fabio Falchi et al, Science Advance,
e1600577, 2016)。
人工光源による夜の明るさを正確に示した世界地図を作ることがこの研究の目的だ。最初掲載された写真を見て、衛星からの画像を分析しただけかと思ったが、論文を読んでみるとさすが光害科学技術研究所からの仕事だけあって、測定に大変な努力を払っている。
もちろん衛星写真データは、地図作成にとって最も重要な位置を占めており、フィンランドの極軌道を旋回する衛星から各地点を6ヶ月にわたって測定し、雲や雪など様々な条件を補正した世界地図を作り上げている。
この地図をさらに正確にするため、「天頂」の輝度を各地点で測定するとともに、グーグルマップ作成時のように、車両に積んだ夜空の質を図る装置「Light quality meter」を用いて全ての大陸の様々な地点で測定を行い、約10000カ所での正確なデータをはじき出している。
最終的にどう処理したのかは専門でないのでわからないが、これらの膨大な測定をもとに、夜の明かりの世界地図が作成され、何枚かの図に分けて掲載されている。なかなか美しいロマンチックな図だ。
さてこの結果を一言で表すのは困難だが、まず現在地球上に住む人間の80%、米国やEU、そして我が国でも99%がまったく自然の夜空を知らずに生きていることに驚く。
この論文では、天の川を見ることができるかどうかで線を引いて、天の川を見ることができない人の割合を各国で比較している。もっとも人工光の影響が強い国がシンガポールで、ここでは夜空自体が存在しない。次いで、クェート、カタール、アラブ首長国連邦、サウジアラビアと中東産油国が続き、アジアで最初に来るのが韓国になる。
我が国はと目を凝らしてデータを探すと、アメリカやロシアより天の川を毎日見ることができる人口は多いが、それでも70%の人は天の川を見られない場所で生活している。
他にも、例えばガザ地区や、リビア、エジプト、そしてアイスランドまでが我が国より悪い数値になっている。
誤解のないようもう一度この数値を説明すると、夜空を汚染する人工光の輝度を6段階に分け、それぞれの領域で生活する人口の割合を比較に使っている。したがって、自然の夜空が存在する面積ではない。
すなわち、人口が都市に集中すればするほど、この数値は悪くなる。したがって、エジプトやリビアまでが我が国より汚染されているということになるが、決してリビアの砂漠の夜空が失われたわけではない。
一方、天の川の見られる場所の面積も示されている。G20の国でみると、我が国の60%の場所で天の川が見られる。この数値は、ドイツやフランスよりよく、要するに少しドライブすればまだ天の川を見ることができる。
あとはこの結果をどう受け取るかだ。日本人としては、七夕の天の川がなくなるのは寂しいが、しかし1時間もドライブすれば天の川を見ることができるなら深刻な問題にならないだろう。正直な気持ちを述べると、個人的には、真っ暗な夜道の方が不安を感じる。確かに「光害」も社会問題だが、これを社会問題として受け止められるようになったら、その国は物心両面で豊かな、成熟した国と言っていいだろう。我が国にそんな日が来るのだろうか。
2016年7月6日
社会問題の科学特集3日目は、ランカスター大学をはじめとする数カ国の国際チームがアマゾンの熱帯雨林環境破壊について行った調査研究を紹介する。タイトルは「Anthropogenic disturbance in tropical forests can double biodiversity loss from deforestation (人間による熱帯雨林の乱れは森林破壊による生物多様性の損失を倍加させる)」で、Natureオンライン版に掲載されたところだ。
この研究は本来社会学というより、生物学の一分野である生態学研究に分類できる。しかし、最初から熱帯雨林破壊という社会問題を科学的に解決する糸口を見つけたいという明確な社会的目的を持って行われている点で、社会問題の科学と呼んでいいだろう。
さらに一万年前と比べると熱帯雨林を始めとする原生林の8割以上が失われ、現在も失われ続けており、二酸化炭素問題を始め地球レベルの変動の原因になっている。ただ、この変動は人間の活動によってもたらされたもので、この変動についての生態学的研究は自然と人間の接点でおこる社会問題の科学になる。
もちろん我々も熱帯雨林破壊が地球に及ぼす影響は十分認識しており、多くの政府も経済発展を犠牲にしても熱帯雨林を保護する政策を取り始めている。ただ、この政策の中心は森林を完全に破壊することの規制にだけ向けられており、ジャングルの中で行われる様々な人間の活動についての評価はほとんど行われていなかった。
この研究の目的は、森林内で行われる選択的伐採、人為的な焼畑や火事が、アマゾンの熱帯雨林の生物多様性に及ぼす影響を調べ、エビデンスに基づいて森林内での人間の活動の規制について提言することだ。
研究ではブラジルパラ州の熱帯雨林の様々なローケーションにある水場での、植物、甲中、鳥類の定点観察を2年にわたって行い、その周辺で行われた人為的活動が生物多様性に及ぼす影響を調査している。実際156種、150万個体の観察に基づいて生物多様性の保存の程度が評価されており、大規模な研究であるのがわかる。
膨大な結果が示されているが、全ての詳細を省いてまとめてしまうと、
1) 森林を完全に破壊することで当然生物多様性もほぼ完全に失われる、
2) ただ、これまで規制の対象になっていた大規模破壊だけでなく、森林内で行われる一部の植物の伐採や、人為的焼却も、生物多様性喪失に大きな要因になっている。
という結論になる。
経済目的での大規模破壊が規制され、熱帯雨林が一見保護されているように見えても、ジャングルの中で行われる人間の様々な活動も規制しないと、生物多様性が失われ、その結果森林も失われることを警告している。そして様々な熱帯雨林の状況に即した実行可能な政策を提言している。
1ヶ月もするとブラジルはオリンピックに沸くだろう。しかしその経済状態を見ると、このような提言を実行に移す余裕はないと思う。この研究と同じような、国際的プロジェクトチームがブラジル政府と協力してこの提言を実行していくしかないだろう。いずれにせよ、社会問題の科学も、それが政策として実行されなければ、生物学で終わる。
2016年7月5日
社会問題の科学特集2日目は、科学自体が抱える問題、すなわち科学社会学の論文だ。
科学の発展を左右する一つの鍵は、分野の殻に閉じこもらず、様々な領域の研究者が協力して新しい分野を切り開く力だ。これを学際協力と呼ぶが、その手本と言えるのが、ネアンデルタール人ゲノム解読で有名なペーボさんが立ち上げたドイツライプチヒ・マックスプランク進化人類学研究所だろう。研究所の部門構成をみると、進化遺伝学、言語学、人間行動学、人間進化学、サル学、比較発生生理学からなっている。特に言語学と遺伝学のように全く離れた分野の学問が、人間進化学やサル学を仲立ちに一つの研究所に同居する部門構成をみるとペーボさんの未来志向がよくわかる。
国も学際協力の重要性をよく理解しており、 例えば我が国の新学術領域のように助成を重点的に行う姿勢を示しているが、新しい学際的研究所が生まれるまでにはまだまだ道は険しい。
この原因の一つは、学者自身の交流が狭いことにある。実際現役の頃を振り返ると、広い領域の人と交流する余裕はほとんどなかった。
今日紹介するオーストラリア国立大学からの論文は、学際協力を目指す助成申請書を審査する側にも、学際協力を阻む要因があることを示した研究で6月30日号のNatureに発表された。タイトルは「Interdisciplinary research has consistently lower funding success (学際研究は常に採択率が低い)」だ。
オーストラリア政府も学際協力を推進しており、自然科学から人文科学に至る広い基礎研究を同じ枠内で助成する「The Discovery Programme」を設けている。この研究では、5年間にわたりこの助成金を申請した18476件の申請内容を分析し(採択率は15−20%)、申請の学際率を申請者が属する領域から計算している。計算方法は、進化過程でそれぞれの種がどれだけ離れているかを形態から計算するときに用いられる手法を用いている。ただ、領域の距離の算定方法はかなり恣意的に行われている印象だ。
この方法を用いると各申請は0〜1の範囲のどこかに分類される。0に近いほどよく似た領域、1に近いほど離れた領域になる。この数値と、実際の採択率をプロットしたのがこの研究のハイライトで、学際率と採択率は見事に負の相関を示すというのが結論だ。
これが、オーストラリア内での研究所のレベルに影響されているのか、あるいは有力研究者の参加と関係あるかなど、様々な要因の影響を調べているが、結論としては誰がどの研究所から申請しようと、学際研究は採択率が低いという結論は変わらないようだ。
科学が仲間による審査を基盤に成立している限り、学際協力研究の発展は難しいことをこの研究は示している。事実ペーボさんの著作を読むと、研究所の部門構成は自由に構想したようだ。とすると、学際協力を推進するためにはもっと違ったメカニズムが必要だと思う。
2016年7月4日
社会学を、学者のもっともらしい見識だけに頼る学問から、科学的手続きを経た社会科学へと発展させることは21世紀の課題だ。トップジャーナルの編集者もこの使命を十分認識しており、社会問題を科学的に分析した論文を積極的に採択している印象がある。特にScienceやNatureなどの科学全般を扱う雑誌を見るとこの傾向が最もよくわかる。実際、私がサマリーに目を通して紹介してもいいなと思った論文だけでも、この2週間で4編にのぼった。そこで、今日から4回にわたって、社会問題の科学と題してこの4編の論文を紹介することにした。
初日はネット上のテロリスト集団について精力的に研究を続けているマイアミ大学から、ネット上で特定できるテロ集団内の女性の役割を調べた論文がScienceの姉妹紙、Science Advancesに発表されているので紹介する。タイトルは「Women’s connectivity in extreme networks (テロ集団での女性の連結性)」だ。
テロリスト集団の中心は男性が占めていると思いがちだが、テロ実行犯に限らず、女性の重要性が認識されるようになっている。この研究では、ロシアのSNSサイトVKontakte上の投稿を、「イスラム国」「シリアに対するジハード」などのキーワードで検索し、この中から個々のイスラム国支持集団を割り出し、それぞれの集団の中での女性の役割を、ネットワーク上の発信数と広がり、ネットワーク上での活動期間などから分析している。
この研究でなぜフェースブックでなく、ロシアのVKontakteを対象にしたのかは、先月に同じグループの研究を紹介した時(http://aasj.jp/news/watch/5404)述べておいたが、
1) フェースブックと違って、テロに関わるサイトも閉鎖されないこと、
2) チェチェンなどテロリスト集団の多い地域をカバーしていること、
などの点から、VKontakteはイスラム過激集団のネット上の活動を研究する目的には欠かせないネットサイトのようだ。
具体的には2015年2、3月の2ヶ月間の書き込みの分析から、一つの閉じたイスラム国支持グループが抽出され、それぞれのメンバーがどのような役割を演じているのか、ネット上での活動状況から解析している。
結果は、多数のメンバーとつながり、情報や物の受け渡し、メンバーのリクルートに中核的役割を果たしているのは女性が多いことが明らかになっている。
また同じ分析を幾つかの個別のグループで行い、女性の重要性と、組織の寿命を調べると、女性の役割が高いほど組織の寿命が長いことを示している。
この分析結果が、ネットという新しい媒体の登場によって生まれたのか、テロ集団支持組織の一般的特徴かを調べるため、この研究では詳しい活動記録を得ることができる北アイルランドのテロリスト集団アイルランド共和国軍についても分析を行い、テロの激化に呼応して、女性の果たす役割が高まっていることを明らかにしている。
以上、「政府機関にマークされにくい」、「実行犯として働くことが少ない」などの条件から、テロ集団の活動期間が長くなれば、自然に女性がネットワークの中核を占める傾向があるというのが結論だ。
読んでなるほどと納得する論文だが、この研究のスポンサーになっている軍に有益でも、一般人の立場から考えると、知ってどうなるという気持が先に来る。ただテロ集団に限らず、ネット分析を通した集団分析が社会学の中心になることを示す意味で、Science Advanceに掲載されたのだろう。今後さらに技術が進んで、テロリストの心理まで分析が可能になれば、科学のトップジャーナルのこのような論文が登場する機会は増えるような気がする。
最後に我が国のテロ集団について記憶をたどって思い出してみると、赤軍派が繰り返したハイジャック事件、オウム真理教の麻原彰晃だけでなく、連合赤軍事件の永田洋子、日本赤軍の重信房子と女性が中心的役割を果たしている事件が多い。これが偶然なのか、必然なのか?学者の見識にだけ頼らない分析が重要だろう。
2016年7月3日
ドイツで暮らしたときの忘れられない思い出の一つは、ジャムを塗ってもよし、ハムを乗せてもよし、朝は何は無くとも、たっぷりバターを塗ったブロッチェンをコーヒーと食べることだ。今でも、ドイツに旅行する時は、この朝食を期待している。しかし、バターは飽和脂肪酸を多く含む食物として、動脈硬化に悪い食べ物の代表としてやり玉に挙げられてきた。ところが、2015年ぐらいから潮目が変わって、少なくとも我々のような高齢者のコレステロールを何が何でも下げていいのかについてはエビデンスがないとする論文が多く見られるようになった。今日はそのような論文を集めて解析した(メタアナリシス)を2法紹介する。
最初は米国タフツ大学からの論文で、バターの摂取量と心臓病、糖尿病との関連についての9編の論文をまとめ直した研究で6月28日PlosOneに掲載された。タイトルは「Is butter back? A systematic review and meta analysis of butter consumption and risk of cardiovascular disease, diabetes and total mortality (バターは本当に原因か?バター消費と心血管病、糖尿病、全般的死亡率との関連についての系統的再検討)」だ。
研究ではバター摂取について調べたコホート研究論文9編を選び、これらの論文で対象になった約65万人の死亡率、心臓血管障害発症率、糖尿病発症率とバターの摂取量の関連についてのデータを再検討している。結果だが、相対危険度で死亡率全般については、1日バター消費量14グラムに対して1%相対危険率の増加が見られるが、心臓病の発症率とはほとんど相関がなく、糖尿病に至っては4%の低下が見られたという結果だ。
今回再検討された論文の中には血中の脂肪酸とバター消費についての相関を調べたけ論文があり、それによるとバター摂取と血中のペンタデカノイック酸、及び奇数鎖脂肪酸との相関があり、これは心臓病の発症を低下させると結論されている。
要するにバターの楽しみは諦めることはないという話だが、コレステロールやLDL-コレステロールが飽和脂肪酸摂取で上昇することは確かで、これまでの常識に逆らう結果ではないのか?と思っていたら、次の日発行のThe British Journal of MedicineにLDL-Cと心臓病との関係を再検討したスウェーデンからのメタアナリシスが報告されていた。タイトルは「Lack of an association or an inverse association between low-density-lipoprotein cholesterol and mortality in elderly: a systematic review (高齢者ではLDL-Cと死亡率は相関しないか、逆相関が見られる:系統的再検討)」だ。
この研究では19編のLDL-Cと死亡率との相関を調べたコホート研究データが集められ、もう一度再検討されている。対象は、60歳以上の男女が約7万人だ。結果は単純で、60歳以上についてはLDL-Cと死亡率には全く相関がないか、論文によってはLDL-Cが高い方が長生きするというデータまで出ているようだ。この研究には日本の論文も対象になっており、また高齢者にとってコレステロールを維持する方が重要であるという結果を最初に報告したのは日本のグループだ。
以上、単純にコレステロール、そしてその原因になる食物を目の敵にしていいのかについては、さらに研究が必要だと思う。実際、コレステロールを下げるスタチンの長期効果は幾つかのコホート研究で示されており、今日紹介した話と真っ向から対立する。両方正しいとすれば、スタチンがコレステロールを下げる以外のメカニズムで心臓病を防いでいることになる。
いずれにせよ、最終的結論を得るには、さらに長期の国際共同研究が必要だ。ただ、バターについての論文は個人的に正しいとして認めることにした。
2016年7月2日
急性感染症と異なり、慢性で複雑な生活サイクルを示し、変異が早い病原体に対するワクチンの開発は難航を極めている。例えば6月30日号のThe New England Journal of Medicine (Olotu et al, 374:2519, 2016)に、7年間にわたるマラリアワクチンの効果に関する論文が発表された。確かにワクチン接種後1年間は感染を抑える効果が見られたが、その後は効果が薄れてしまうという残念な結果の報告だ。同じ状況は、エイズを引き起こすHIVに対するワクチン開発にも見られる。長年にわたって開発が試みられているが、ウイルス中和抗体を安定的に誘導するワクチンはまだ開発されていない。
そこで、まず変異体も含む様々なHIV系統の感染を食い止める抗体とはどのような抗体かをまず明らかにし、同じような抗体を誘導する作戦を考える方向で研究が始まっている。すなわち、多くのエイズ患者さんの血清中の抗体を調べて、中和抗体の特徴を探ろうとする研究だ。この研究から、中和活性の強い抗体が出来ていることは確認できるが、そのほとんどが長い年月をかけて抗体遺伝子が変異を積み重ねた結果出来てきた抗体であることが明らかになった。すなわち、一回や2回のワクチン接種で同じような抗体を誘導することは難しいことが明らかになった。
そこで、大人の抗体を探す代わりに、エイズに感染して時間が経っていない幼児に高い活性のある中和抗体が存在していないか探索が始まっていた。
今日紹介するフレッド・ハッチンソンがん研究所からの論文は、生後3日ではウイルスが検出されず、3ヶ月にはエイズ感染が確認された幼児の血清を15ヶ月齢で調べ、発見された中和抗体についての研究で6月30日号のCellに掲載された。タイトルは「HIV-1 neutralizing antibodies with limited hypermutation from an infant (一人の幼児に見つかった突然変異の少ない抗HIV-1中和抗体)」だ。
結果だが、十人の感染幼児から10種類の中和抗体を分離することが出来、特にその中の一人から、多くのウイルス系統にわたって高い中和活性を示す抗体を分離することに成功している。この抗体を成人から得た抗体と比べると、多くの系統に反応できる点では同等だが、活性は低いことがわかる。しかし期待通り、抗体遺伝子にほとんど突然変異は蓄積していない。このことは、ワクチン接種後すぐに誘導される抗体の中にも、ウイルス感染を防御できる抗体が存在することを示している。
使われている抗体遺伝子は成人から分離された抗体と全く異なることから、おそらく大人の場合長期間の刺激により、最初は親和性が低く、弱くしか刺激されなかったB細胞が、時間をかけて進化し、優勢な抗体になっただろうと結論している。すなわち大人の反応と異なり、幼児の場合抗原刺激にすぐに反応できる抗体遺伝子を特定できることになる。他にも幼児の抗体が外殻の3量体を認識する、大人では見られない抗原特異性を持つことなど多くの結果が示されているが、重要な結論は突然変異を蓄積しない抗体遺伝子でウイルスに対応できる可能性を示したことだろう。
確かにワクチン接種後すぐに有効な抗体が作られる可能性は示されたが、例えば幼児で反応する抗体遺伝子のレパートリーの違いや、その違いが最初に持っている抗体遺伝子の差を反映しているのかなど、もう少し詳しく示してほしいと思った。さらに、同じ抗体が持続的に作られるのかもわからない。結局ワクチン開発への道はまだまだ険しいという印象を持った。