今日紹介するスタンフォード大学政治学教室のWerfelさんの論文は、福島原発災害を経験した我が国民を対象に、当時の節電努力を思い出すことが、政府の節電政策支持とどう相関するかを調べた論文でNature Climate Change オンライン版に掲載された。タイトルは「Household behaviour crowds out support for climate change policy when sufficient progress is perceived(家庭での努力によって温暖化問題が解決できていると実感すると温暖化政策への支持が押しのけられる)」だ。
地球温暖化問題への100点の回答は、個人が家庭で節電やリサイクルの努力を尽くし、その上で環境税も含めた温暖化を阻止する政策を支持することだ。この理想的な協調が福島原発災害後の我が国で見られたことは確かだ。しかし、アベノミクス以降金融緩和と消費の需給ギャップを埋めるためのじゃぶじゃぶの財政政策によって借金への罪悪感が麻痺すると同時に、思うように上がらない個人消費を訴える政策により節約へのマインドが薄れ、なんでも消費はよしとする20世紀の古いマインドに戻ってしまった。
この研究では、2011年の大きな節約のうねりを経験した日本人12,000人を対象に、個人が節電努力をすることで、政府による政策的取り組みを支持する気持ちがどう変わるか調べている。
調査は日経新聞のウェッブアンケートを用いて行っている。まず参加者を4グループに分け、第一段階として、第1グループには、2011年各家庭にあてたパンフレットに書かれていた行動3項目を行ったかどうか思い出してチェク、第2グループにはより詳しい10項目についてのチェック、第3グループには節電とは関係のない調査、を行ってもらう。最後の第4グループは第一段階はスキップする。
次の段階で、政府が環境税として各家庭への負担も含めた取り組みを行うことを支持するかどうかを全員に調査する。すなわち、当時の節電努力を思い出すことで、政府の環境対策への支持がどう変化するか見ている。
結果は当時を思い出して、確かに個人的努力をしたと感じることで、政府が環境税を含む対策を推進することを支持しなくなることがわかった。
もう一つの調査では、当時の節電努力の代わりに、今度はいわゆる道徳的な個人行動、例えばこの一週間に誰かを助けたか、あるいはリサイクル運動に参加したかなどを聞いて、やはり環境政策を支持するかどうかを聞いている。結果は、道徳的に振舞おうと努力するほど、個人の努力で十分で、政府の環境対策を支持しないという結果になっている。
要するに我が国では個人的努力をする、あるいは道徳的に行動しようとすると、政府へは期待しなくなるという結果だ。論文では、これが日本だけでなく一般的傾向だと断じているが、例えば環境対策の徹底したドイツや北欧と比較して初めて結論が出る気がする。個人的には、政治への無力感が根っこにあるように思えるし、今の政府は原発推進のためにもあまり節電には熱心でない気がする
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