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9月1日:脳外科手術中の患者さんにサキソフォンを演奏させる(9月11日号Current Biology掲載論文)

2017年9月1日
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人間特有の能力で、その結果他の動物を抑えて地球に100億近い個体が生存し、地球の大気まで変化させる元になったのは言語能力に他ならない。この意味で、言語の誕生過程を理解することは、21世紀最大の科学の課題だ。

しかし言語だけ取り出して研究するのは難しい。私自身も、言語の誕生を理解するためには、言語とともに道具の使用、音楽を合わせて考えていくことが重要だと思っている。実際失語症の患者さんの中には道具がうまく使えなくなる失行症や、音楽がわからなくなるamusia(失音楽症)が併発することが知られている。また、道具、そしておそらく音楽も言語の誕生とともに、長い眠りから覚めたように大きな質的転換をとげて急速に発展する(JT生命誌研究館に書いた「道具と言葉」「音楽と言語」を是非一読願いたい)。

音楽能力を支配する脳領域の研究者は増えてきたと思うが、今日紹介するニューヨーク・ロチェスター大学からの論文のように人間の脳を直接操作した研究には滅多にお目にかかれない。この研究では、良性の脳腫瘍にかかったプロのサキソフォン演奏家の腫瘍摘出手術中に、音楽に関わる脳領域を直接刺激して、音楽能力の変化を調べた研究で、9月11月発行のCurrent Biologyに掲載されている。タイトルは「Direct electrical stimulation in the human brain disrupts melody processing(人間の脳を直接電気的に刺激するとメロディーの処理が障害される)」だ。

脳科学を学ぶ学生なら誰もが知っていることだが、脳外科の手術中に電極を挿入して患者さんの反応を調べるのは、カナダのペンフィールドの研究以来の伝統で、機能の局在を明らかにするのに大きく貢献してきた。この研究も、まさにこの伝統の延長にある。

ただペンフィールド時代と異なるのは、脳機能を調べるイメージング技術が進んでいることで、この研究でも患者さん(AEさん)のピッチ、メロディー、リズムなど様々な能力に関わる脳の領域を前もって詳しく調べている。

実際には音楽に関わる脳領域は人により大きく異なる。芸術は右脳と言われるが、例えばプロの音楽家では言語と音楽は左脳に支配される確率が高いことがわかっている。なんと、ラベルは左脳の出血により、言葉と音楽理解の両方を失っている。AEさんの場合は、多くの一般人と同じで右脳の上側頭回と言われる場所が、最も音楽に反応することが確認されている。

この準備の後、開頭中のサキソフォン演奏まで計画に入れて、術中に負担なく演奏できるように、ブレスが短くて済む特注の音楽を聴かせ、弾けるように練習させている(ビデオで見るとこの音楽とはなんと朝鮮民謡「アリラン」だったので驚いた)。

そしてようやく実験に入る。まず、音楽を聞いたり、口ずさんだり、さらにはサキソフォンが演奏できる最も楽なポジションを選んで座らせる。そのまま全身麻酔で眠らせた後、開頭して脳を露出させた後、麻酔が冷めるのを待つ。そして、絵を見て名前を当てる、言葉を聞いて繰り返す、音楽を聞いて繰り返すという様々な動作を行ってもらう間に、本人が知らないうちに先に特定した音楽に関わる上側頭回の様々な箇所に電気刺激パルスを加え、その時、課題に影響があるかどうか調べている。

長い話を短くまとめると、MRIで特定した領域を刺激すると、言語や絵を認識する能力にはまったく影響はないが、音楽の課題に対応する能力が大きく抑制され、完全にメロディーを口ずさめなくなってしまう。また、その周辺の領域を刺激した場合は場所により、小さな間違いが誘導できることがわかった。そして、抑制されるのはほとんどメロディーで、しかもAEさんは自分が間違っていることをよくわかっている。

最後に、この結果が手術中の音楽能力の低下によるものでないことを示すため、開頭されたままのAEさんになんとアリランの短いパッセージを演奏させる念の入れようだ。おそらく、AEさんは開頭のままサキソフォンを吹いた人類最初の演奏家になるのだろう。

要するに、上側頭回自体の電気活動が乱されると、音楽能力が乱されるというだけの結果で、特に新しい話ではない。しかし、このグループは、現代のペンフィールドになるべく、同じ実験を言葉と、音楽について繰り返そうと着々と準備を重ねているようだ。特により小さな領域の刺激による研究は、おそらくこの分野を大きく進展させる気がする
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