この誰もが「絶対」と考えてしまう指紋の信頼性にすらメスを入れ、議論を重ねた9月15日発表の米国科学振興協会のレポートが発表されたので紹介する(https://www.aaas.org/report/latent-fingerprint-examination)。
このレポートは180ページを越す大部なもので、私も全部読み通すほどの時間はない。とはいえ、最初のサマリーと、提言を読むだけでも、採取した指紋の信頼性を敢えて問うことで、裁判における科学のあり方を問い続ける米国の司法の健全さが浮き彫りになるレポートなので、このサワリ部分を紹介する。
1:この調査が始まった経緯。
吐き気を抑える薬剤(Bendectin)の催奇形性をめぐって争われた裁判で(1993)、米国最高裁は、法廷での科学的エビデンスとは何かを定義するが、本当に裁判官が何が科学的エビデンスかを判断できるのか、議会をはじめ様々な批判が湧き上がった。この問題に答えるため、法廷で用いられる科学的エビデンスについての再検討が始まり、指紋も聖域視されずに専門家委員会が設けられ、議論することになった。
2、議論された問題と、それに基づく提言
I. 指紋は個人特定方法として信頼できるか?
指紋自体は、親族間ですら重複のない、科学的個人特定手段として認められる。しかし、指紋の違いを定量化することはできておらず、検査官の能力に依存している。
提言:存在する指紋データに基づいて、指紋の一致度を定量化する方法の開発が急務。
II 指紋が残った条件、採取までの時間などで予想される指紋の変化。
指紋が残された時の条件により、指紋が変化することは科学的に研究され、様々な変化を受けるにしても信頼できる判定が可能なことは証明されている。ただ、この変化により検査官が判定を間違う確率についてはほとんど研究されていない。
提言:残された指紋の変化する条件についてはさらに研究を続け、検査官が間違いを犯す原因を明確にする。
III 自動指紋照合システムの精度を検証する方法はあるのか。
照合自動化は重要な課題で、現在では大量データ処理に欠かせないが、精度でどうしても劣っていることは認識すべき。
提言:指紋照合を見落としなく、定量的に行う自動システムの改良は急務で、官民が協力してコンペなどを行いながら、開発を進める。
IV 指紋照合への思い込みの影響はないのか?また、それをどう評価するか?
検査官の思い込みが結果に影響することを示す研究は多い。思い込みの原因は多様で、検査官も自覚せず、特定が難しい。
提言:思い込みが起こることを前提にして、鑑識過程をマニュアル化する。例えば、鑑識過程を全く捜査から切り離す。
V 検査官の能力を科学的に評価する方法はあるのか?
検査の精度や解釈は、検査官の経験や能力により左右されることはわかっているが、能力を客観的に評価し、検査官にフィードバックすることはほとんど行われていない。
提言:能力評価のための研究を続けるとともに、様々な間違いが起こることを前提に、定期的評価を行うとともに、司法も人的要因による間違いの可能性を組み込んだ判断が必要。
VI 指紋照合結果についての検査官のレポートの表現法。
「完全な一致」といった絶対的断定が行われやすいが、司法判断の間違いを避けるためにも、定量的な表現法が必要な事は多くの組織から指摘されている。市民も、鑑識結果を動かぬ証拠ではなく、意見として理解すること、指紋が一致しても、他のすべての可能性が確かめられたわけではないことを理解する必要がある。
提言:断定的鑑識報告は慎み、特にそれだけで犯人が特定できるようは表現は慎むべき。また証言するときも、独断を排して率直に答えられる司法システムの改善が必要。そして、裁判員、警官、弁護士、裁判官などが指紋照合結果をどう受け取っているかなどの調査を行い、「科学レポートとしての照合結果」の理解の徹底を図るべき。
まとめると、指紋は個人特定方法として十分科学的根拠はあるが、照合定量化のための世界標準はできておらず、また検査過程及び、解釈過程での間違いの危険があることを十分考慮して司法判断に使うと共に、正確な判断のためにはまだまだ研究する余地があるという結論だ。
この結果を端的に表すのが、提案された照合結果表現方法で、以下に訳出しておく。
「採取された指紋と、OO氏の指紋は、指紋隆線の各部の詳細のほとんどで、異なる個人からの指紋であることを示すに足るだけの違いが認められない。実際には、比較に利用した隆線の特徴が他の個人の指紋には存在しないと言えないことはわかっているが、今回の類似は、自分が見た不一致の比較例から見れば、はるかに一致していると言える」
指紋という、伝統ある個人特定方法ですら常に検証の手を緩めない米国の健全さをあらためて見た思いがする。
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