2017年11月30日
40年以上前とは言え、数多くの肺がん患者さんの治療に関わった。当時は、癌の宣告は余程のことがない限り行われず、真菌感染や肺膿瘍など定番の診断名を患者さんには告げていた頃だ。経験でも肺がんの患者さんの多くは運動時に呼吸困難を訴えることがあった。実際、がんセンターの患者さんへの情報サイトでは、肺がんの自覚症状として「咳、痰、血痰、発熱、呼吸困難、胸痛」が挙げられている。最近の状況は分からないが、私が臨床にいた頃は肺がんに呼吸困難が伴うのは、肺の病気だから当たり前だと思って、深く考えることはなかった。
今日紹介するドイツ中部のバート・ナウハイムのマックスプランク心肺研究センターからの論文はこの問題をしっかり問い直し、肺がんが肺高血圧の原因を作っていることを示した論文で11月15日号のScience Translational Medicineに掲載された。タイトルは「Lung cancer associated pulmonary hypertension: Role of microenvironmental inflammation based on tumor cell immune cell cross talk(肺がんに伴う肺高血圧:微小環境の炎症を基盤とするガン細胞と免疫細胞のクロストーク)」だ。
よく考えると、肺がんだからといって局所にとどまっているケースも多く、それでも呼吸困難を訴えるのは確かに不思議だ。この研究では、これが肺高血圧のせいではないかと考え、CT、エコー検査、カテーテル検査を用いて、肺がんの種類や、慢性閉塞性肺疾患併発などの条件を問わず約半分の患者さんが肺高血圧を示すことを確認している。また、肺がんの組織学的検索から、腫瘍に侵されていない部位でもほとんどの血管で血管壁の肥厚が起こり、小血管でも肥厚が確認される。これらの結果から、肺高血圧は肺全体の血管が肥厚し抵抗が増えることで起こると結論した。
次に、肺血管の変化が肺がんによって誘導されるのかどうか調べる目的で、様々な肺がんモデルを用いて、遺伝子導入による発生に時間がかかる発ガンモデルだけでなく、がん細胞の移植により短期間でガンを誘導しても、肺高血圧が誘導されることを確認している。すなわち、ガンが発生すること自体が肺高血圧の原因と特定された。
とは言え、組織学的には肺がん細胞が血管に詰まったり、あるいは血栓ができることで肺高血圧になっているわけではない。著者らは、肺がんの周りに見つかるリンパ球やマクロファージの浸潤に注目し、ガンにより炎症が誘導され、これが肺高血圧の原因ではないかと考えた。これを確認する目的で、正常マウスに肺高血圧を誘導できる肺がん細胞を免疫欠損マウスに注射し、ガンによる肺高血圧誘導に免疫系細胞が必要であることを確認している。
あとは、リンパ球/マクロファージ浸潤から血管壁肥厚までのカスケードを調べ、免疫細胞が発現する炎症性サイトカインが腫瘍細胞をNFκΒ依存的に刺激し、ケモカインやIL-8,GM-CSF分泌させ、これらが共同して血管内皮フォスフォジエステラーゼ5(PDE5)の発現を促進、その結果血管平滑筋が増殖することを示している。実際、PDE5阻害剤を投与すると、肺がんを注射したマウスの肺高血圧は是正されるので、今後この回路を標的に、ガンによる症状を抑えられる可能性は高いと結論している。
肺ガンなら呼吸困難が当たり前と思わず、治療可能な経路を明らかにした、もと呼吸器科医にとってては面白い仕事だと思う。この論文を読んで一つ気になるのが、肺ガンに対するチェックポイント治療だ。この治療が炎症自体を高めるなら、当然肺高血圧を悪化させることになる。その意味で、PDE5阻害剤との併用の効果など、調べることは多い。
2017年11月29日
最近は言語の誕生の研究論文を読み漁っているが、発生学と同じで「個体発生は系統発生を繰り返す」かどうかが重要な問題になっているのがわかる。例えば、言語誕生のきっかけに「意図の共有」が重要だと考えているのがネアンデルタール人ゲノム解読で有名なライプチヒ・マックスプランク進化人類学研究所のTomaselloで、チンパンジーなどの類人猿と、様々な年齢の子供を丹念に比較する研究を重ねて結論している。しかし、実際にサルや幼児が考えていることを調べるのは難しい。とりわけ、人間とサルの行動を比べる研究では、その能力から言語が発生したのか、逆に言語獲得により獲得された能力なのかが常に問題になる。サルでも、人間でも自分を正確に表現できない個体の頭の中を覗くのは難しい
今日紹介するハーバード大学心理学部門からの論文は、まだ歩行が始まる前の10ヶ月齢の乳児が、簡単な漫画を見て報酬とコストの関係を理解できているのか調べた論文で11月24日号Scienceに掲載された。タイトルは「10ヶ月齢の乳児は、ゴール達成に必要な努力を見てゴールの価値を判断できるか」だ。
このような人間の心理学、認知科学の研究は課題の設計が全てだ。この研究では、擬人化した目を持った、赤いボールが、同じく擬人化された青い四角形、黄色い3角形のどちらが価値が高いと判断しているかを、画面を見ている10ヶ月の乳児に判断させる。この赤いボールがそれぞれの標的に近づく時、壁や、坂、溝が現れ、行く手を遮る。ただ、青い四角形に近づく場合は近づくのを諦める障害の大きさが低い。すなわち早く諦める。一方、黄色い三角形に近づく時は、青で諦めた障害でも飛び越すことを示す。この場合も、障害が大きすぎると結局諦める。
この画面を見せた上で、今度は青の四角形と黄色の三角形を見せた時、それぞれを見つめる時間を計り、克服する障害の高い標的ほど価値が高いと判断しているかを調べている。
なかなか言葉だけではうまく表せないが、Scienceにアクセスできる読者はビデオを見ることができるので、見て欲しい。
結果だが、高い障害を克服しても近づきたいと思う価値の高い標的より、価値の低い標的の方を長く見るという結果が出た。もちろん結果は大きくばらついており、これで結論していいのかとも思うが、この結果を認めると、ゴールの価値については区別していることがわかる。ただこの研究では、大人なら価値が低いと判断する方を長く見るのかについては説明してくれていない。ともかく、まだ飛んだり跳ねたりする行動が取れない子どもの脳でも、要求される努力に応じて価値が決まることがわかっていると結論している。
この分野の素人だが、しかし結論先にありきの研究という印象が強く、面白いとは思っても本当かなという疑念は晴れなかった。しかし、自分を表現しない子どもの頭の中を覗くことは重要なので、良しとしよう。
2017年11月28日
最近ガン組織のバイオプシーからガン細胞を試験管内で増殖させる技術が格段に進歩している。実際にすい臓がんを培養している研究者から、数百個程度のガン細胞も培養できると聞き、現在もなお予後の悪い多くのガンも、いつかは制圧する方法が見つかるのではないかと期待している。しかしただ培養すればガン細胞が増殖するというわけではなく、多くの場合、ガン細胞に塊を作らせる3D培養法が用いられている。このような細胞の構造化による培養は、神経幹細胞のスフェロイド培養などに遡れるのだろうが、慶応大学の佐藤さんたちが正常腸上皮の培養に成功してから、急速に応用が広がった印象がある。3D培養の面白さは、正常組織構築とある程度相関する構造をガン細胞も呈するおかげで、培養の中でガンの組織発生学が可能になる点だ。
今日紹介するバージニア大学からの論文は、試験官内での細胞構築の組織学を起点に悪性度の強いトリプルネガティブ乳がんの発生学に取り組んだ研究で11月20日号のDevelopmental Cellに掲載された。タイトルは「Tumor supperssor inactivation of GDF11 occurs by precursor sequestration in triple negative breast cancer(トリプルネガティブ乳がんの腫瘍抑制因子GDF11の隔離による不活化)」だ。
最初、トリプルネガティブ乳がん(TNBC)の研究がどうして発生学の雑誌Developmental Cellに掲載されるのか訝しく思ったが、読み通してみるとガンが対象とはいえ発生学に近い方法で解析されており、なるほどガンの発生生物学だと納得した。
研究の目的はTNBCの3D培養の中に、細胞社会から逸脱したカドヘリン発現が抑制されたガン細胞が発生するメカニズムを明らかにすることで、細胞株の培養、マウスへの移植実験、実際のガンのゲノム解析、遺伝子発現解析、さらにガンの組織学など多くの実験を組み合わせて、TNBCが転移しやすい悪性ガンになる過程を解析している。ほとんどすべての実験過程が記載されているため、極めて長い論文で、よく編集者がこの長さをそのまま掲載したなという印象だ。
いずれにせよ、すべての詳細を紹介することはできないので、結論だけをまとめておく。
まず、3D培養法を用いて、ガン細胞の塊を維持するためにはTGFβファミリー分子の一つGDF11が必須で、数ある他のファミリー分子では同じ効果がなく、GDF11がないと、上皮の塊が維持できないことを明らかにする。次に、GDF11 刺激により活性化されるシグナル経路を明らかにし、このシグナルが乳腺の発生分化に必須のId2の誘導を介して働いていることを示している。すなわち、このシグナルが欠損すると、ガン細胞は上皮構造から分離して浸潤・転移することになる。
次に、実際のガンゲノムを比べ、悪性度とGDF11の相関を調べると、予想に反してGDF11はTNBCでもほとんど変異が起こっていない。代わりに、GDF11前駆体分子から活性型のGDF11に転換する酵素PCSK5の変異とガンの悪性度が相関することを発見している。
以上のことから、TNBCが発生する初期の過程ではPSCK5が分泌され、細胞を塊のまま保つことで、ガンの悪性化が抑制されているが、変異やガン細胞から分泌される分子の作用でPSCK5の機能が低下すると、浸潤、転移が始まるというシナリオを描いている。
このシナリオをベースに、PSCK5はガン抑制遺伝子p53に誘導され、この変異により発現が低下し、またDNA障害が起こると誘導されることから、修復を抑制した上で、放射線照射すればPSCK5のレベルを上げて、ガンの浸潤や転移を抑えられるのではと結んでいる。
これが可能かどうかは、それほど難しくなく実験で示せるはずで、これだけ長い論文を書くなら、この可能性もテストして欲しかったと思う。いずれにせよ、ガン細胞の3D培養を用いた、ガンの発生生物学の一つの可能性を示した論文で、面白く読んだ。
2017年11月27日
分子メカニズムをたどって行くと、新しい組織発生の中には外界のストレス反応と共通の分子を使っている過程が多いことがわかる。例えば、毛の発生にはEDDAと呼ばれる炎症性サイトカインTNFファミリー分子が関わり、その結果ICAM等の接着因子が誘導される。同じように哺乳動物で進化したリンパ節やパイエル板、乳腺などもそうだ。もちろん、多くの病気も最近では炎症との関わりで考えられるようになっており、動脈硬化は言うに及ばず、糖尿病でのインシュリン抵抗性も慢性炎症として捉えるようになっている。
今日紹介するニューヨーク・マウントサイナイ医大からの論文は社会ストレスで誘導されるうつ病も血管の透過性が上昇することで始まる炎症に起因する可能性を示した研究で11月号のNature Neuroscienceに掲載された。タイトルは「Social stress induces neurovascular pathology promoting depression(社会ストレスは神経血管の異常を誘導しうつ病を増悪させる)」だ。
このグループもうつ病を炎症という切り口からアプローチできないか試みていたのだと思う。これまで、うつ病ではIL-6が上昇していることなどを報告している。ただ、末梢血での現象が脳でも起こっているかはわからない。特に脳血管関門が存在し、脳は末梢の影響が簡単に及ばないようできている。そこで、脳血管関門を調べる目的で、血管内皮の接着に関わるタイトジャンクション分子claudin5(cld5)の発現を、自分より大きなマウスと同居することでストレスのかかったマウスの脳で調べている。結果は期待通りで、側坐核や海馬などうつ病に関わる領域のcld5の発現が落ちていることを発見した。この結果を、組織学的、また血管の透過性のテストでも確認できるので、ストレスにより脳の特定の領域のCld5などの接着分子発現が低下し、結果として局所の脳血管関門が破れることがうつ病に関わる可能性が出てきた。また、うつ病で自殺した患者さんの脳でも、同じようにcld5の発現低下が起こっていることも確認し、これがマウスだけの現象でないことを示している。
では血管の透過性が上がればうつ病になるのか?これを調べるため、アデノ随伴ウイルスベクターにcld5遺伝子発現を抑えるshRNAを組み込んで脳に注射する実験で、cld5のレベルを落とすだけでうつ症状が起こることを示している。この透過性により、様々な炎症性サイトカインが脳内に滲出し、脳内への細胞浸潤はあまり見られないが、脳内の血管や脳室に血液細胞が溜まる不思議な炎症状態が起こることがうつ病ではないかと結論している。
cld5を低下させるだけでうつ症状が発生することを示し、血管の変化が早期の引き金になっていることを示したことがこの論文のハイライトだろう。ただ、なぜcld5の発現が低下するのか、EMTではないのか、最近うつ病の原因として注目されている神経幹細胞の増殖はどうか、などほとんど手つかずのまま残っている。いずれにせよ、このスキームが正しいなら、うつ病の治療可能性は広がる。次は是非、治療という観点からの論文を出して欲しいと期待する。
2017年11月26日
研究所の名前はそのミッションを表現する意味で重要だ。逆に、ミッションをぼかしたい時は、抽象的な名前にすればいい。また伝統的名称はイメージを正確に伝えるためにも重要だ。熊本大学、京都大学、理化学研究所で幾つかの研究所の設立に関わったが、例えば京都大学再生医学研究所の場合、計画段階から我が国初の「再生医学」研究所を目指した。ただ、教授の人選も決まり英語の名前をつける段になって、最も若い教授に選ばれた笹井さんの、英語名はもう少し抽象的な名前にしたいという意見を入れてFrontier Medical Sciencesに決まった。一方ミレニアムプロジェクトとして新しい再生医学研究所を計画して欲しいと頼まれた時、一緒に汗を流した相沢さんと再生に絞らず、発生学という伝統的生物科学と医学を結びつけたいと、発生・再生科学総合研究センターを設立した。さらに、英語名からは伝統的でわかり難いregenerationは取り去って、developmental biologyにしてしまった。名前のおかげだけではないが、おそらく新しい研究所としてはミッションを一般にも理解してもらい、業績面でも大成功を収めたと思う。この時発生学と医学が結びつくことを示すシンボルになったのが阿形さんの研究していたプラナリアで、ある時知り合いの証券会社の社長から、息子がプラナリアを飼いたがっているので、飼い方を教えて欲しいと電話を受けた時は、研究所が期待どおり認知されたと確信できた。
今日紹介するマサチューセッツ工科大学からの論文はそのプラナリアの再生についての研究でNatureオンライン版に掲載された。タイトルは「Orthogonal muscle fiberes have different instructive roles in planarian regeneration(直行して走る神経線維はプラナリアの再生に異なる指令を出している)」だ。
おそらく発生学という観点でみれば、この研究は古典的研究と言っていいだろう。最初は、プラナリアの体を縦横に走る筋肉の発生を調べる目的で、筋肉の発生に関わるMyoD遺伝子をRNAiで抑制したところ、縦に走る筋肉だけが消失、横に走る筋肉は影響されないことがわかった。プラナリアの素人の私から見ると、これ自体面白い現象だと思うが、プラナリアの名前が持つミッションに後押しされたのか、著者らは縦に走る筋肉を欠損すると、縦軸の再生ができなくなることに着目し、この研究を始めている。
プラナリアの再生は、まず切断部分の修復と多能性のネオブラストが集まり、細胞分化が始まる。この時、欠損が大きいと2日目ぐらいから体の構築が再生される。縦の筋肉が欠損したプラナリアの遺伝子発現を詳しく調べ、Wntシグナルを抑制するnotumとTGFβシグナルを抑制するフォリスタチン(fst)の発現が低下し、実際fst遺伝子の機能を抑えるとmyoD抑制と同じで再生が抑制されることを発見する。そして最終的に、これらの分子が、再生の後期のネオブラストの持続的供給に必須であることを示している。
他にも、再生シグナルカスケードについての実験を行ってはいるが、この先のレベル、例えば細胞学的レベルになると結局わからないまま、縦の筋肉がないと、fstによるアクチビン抑制が出来なくなり、細胞の供給が続かないという話で終わる。
その代わりに、横に走る筋肉にNkx1が必要であることを発見、横の筋肉が欠損するとどうなるか調べている。ただ、この解析は中途半端で、頭が二つできたりする個体が現れる例から、中心線が2本できると解釈している。縦に切ると、再生は起こり目が余分にできることが示されているが、メカニズムがはっきりしない。なぜ縦に切る実験をもっと数多く行っていないのかなど、まだまだという感がする。
結局縦横それぞれの筋肉が異なるメカニズムでネオブラストの維持を指令することはわかったが、これ以上の発展の道筋は伝わってこなかった。この分野も、そろそろ新しい視点が必要に思える。
2017年11月25日
自分の経験から音楽の鑑賞に関わる脳過程が、絵画の鑑賞過程から絶対違うと確信するのは、聞いた音楽、見た絵を思い出す時だ。もちろん画家や絵にいつも強い感動を覚える人はまた違うのだろうとは思うが、私自身はどんな好きな絵でも、言葉でもう一度記述し直さないと、詳細を思い出せない。これがまんざら私だけの問題ではいことは、エミー・ハーマンの「観察力を磨く名画解読」(早川書房)を読んでみるとわかる。要するに見たものを丹念に言葉に直して記憶し直すことが観察力に必須であることがわかる。一方音楽は、演奏会場から出たときから頭の中でぐるぐるメロディーが回っているし、好きな音楽の詳細に至るまで思い出して頭の中で再構成するのはそれほど難しくない。今日はこの違いについて解説するわけではないが、この違いの大きな原因の一つは、音楽がその起源から感情を伝えるメディアであったからだと思っている。
この音楽の喜びを感じるメカニズムについては、脳イメージングを使った研究が進んでいるが、今日紹介するカナダ・モントリオールのマクギル大学からの論文はさらに踏み込んでこの喜びの感情を操作できるかを調べた研究で、11月20日発行のNature Human Behaviourに掲載された。タイトルは「Modulating musical reward sensitivity up and down with transcranial magnetic stimulation(経頭蓋磁気刺激を用いて音楽の喜びの感受性を上げたり下げたり操作する)」だ。
研究では、被験者の好みのタイプだが、それほど馴染みのない音楽を、前もって選び出し、その音楽に対する好感の度合いを頭蓋の外から磁場を当てるTMSを用いて操作をしようと試みている。これまでの研究で、喜びの感覚にはドーパミンが関わっており、ドーパミンの分泌には分泌する神経の存在する線条体と前頭前皮質の後ろ側方との回路が関わっていることが知られている。
このグループは、この回路の感受性をTMSを用いて高めたり、抑えたりする方法を2005年のNeuronsに報告している。この研究では、この操作法を用いて音楽を聴いた時の「ご褒美回路」の閾値を変化させ、音楽に対する好き嫌いの気持ちを変えることができないか調べている。
このような心理的評価を複数の被験者で調べる実験は、評価の指標が妥当かどうかが勝負で、このために多くの予備実験が必要だが、それを信頼すると、結論はわかりやすい。この実験の詳細を全て省いて結果だけ紹介すると、感動の度合いを自己申告させるテスト、一種の嘘発見器のような仕組みで感動の度合いを客観的に捉えるテスト、そして音楽を聴いた後にその音楽をお金を払ってダウンロードするかどうか、するならいくら払うか申告させるテストの全てで、TMSは音楽を聴いた喜びを変化させられるということを示している。
話はこれだけで、何度も紹介してきた頭蓋の外から電磁波をあてて脳を操作するTMSの方法が急速に進歩していることを実感するとともに、同じ場所の刺激方法を変えるだけで、興奮の度合いを上下させられるようになると、この技術の利用について早く議論を進めた方がいいように思う。
これまで拷問というと、痛めつけて自白させることだが、今後快感の回路を操作して、結局言うことを聞かせることは簡単になると予想できる。音楽が覚えやすいように、感情は理性を簡単に超える。ついに倫理委員会で、「倫理とは何か」本質的議論が始まるときが来た。
2017年11月24日
腸内細菌叢の研究は今も活発で、トップジャーナルに毎号掲載されているが、一時のようにただ細菌の種類をメタアナリシスで調べただけという論文はトップジャーナルからは影を潜めた。代わりに、免疫系への影響の解析、そして細菌叢全体を物質代謝という観点から見る面白い研究が続々発表されている。
今日紹介するベルリンのマックスデルブリュックセンターとシャリテ病院を中心とする論文はマウスモデルで腸内細菌叢に対する高食塩食の影響を調べた論文で11月15日号のNatureに掲載された。タイトルは「Salt-responsive gut commensal modulates Th17 axis and disease(塩に反応する常在菌がTh17と病気に影響する)」だ。
もちろん塩分を摂りすぎることが高血圧だけでなく、心臓病や腎臓機能低下を来すメカニズムについは生理学的に理解が進んでいる分野で、新しい観点から研究するのが難しい分野だ。この研究では、塩分の取りすぎがTh17を活性化するという最近の研究にヒントを得て、他の慢性疾患と同じく塩分の取りすぎは腸管を通してTh17が活性化し、炎症が起こることが様々な病気につながるのではと考えこの研究を始めている。その意味では、動機は論理的というわけではないが結果として面白い可能性を掘り当てている。
まず普通の餌を与えたマウスに、余分に食塩をあたえ、腸内細菌叢を調べると、目立ったパターンの変化はないものの、数種類のバクテリアの、特に乳酸菌がすぐに低下することに気がついている。すなわち、餌の内容は同じということで、細菌叢のパターンが大きく変わることはないが、塩分に明瞭に反応する細菌が存在するという結果だ。
マウスの便の培養から、最も減少が激しいのがLactobacillus murinusで(おそらくmurinusという学名からマウス固有の乳酸菌なのだろう)、残念ながら人には存在しないようだ。そこで、ヒトに常在する乳酸菌を高食塩と培養する実験を行い、murinusと同じように高食塩で増殖が抑えられる乳酸菌を幾つか特定している。
次に、L.murinusが減少することが炎症を高めるのではと、多発性硬化症モデルマウスにL.murinusを摂取させると、Th17が減少して炎症が抑えられる。さらに驚くのは、塩分の高い食事をさせているマウスにL.murinusを補ってやると血圧が低下する。同じ効果は、ロイテリ乳酸菌株でも確認している。すなわち、塩分の高い食事で起こる高血圧や炎症の増悪の一部は、L.murinusが減少する結果で、これを補ってやれば治るということになる。
最後に、人間のボランティアを用いて塩分を6g余分に摂らせる実験を行い、乳酸菌類が確かに減少し、末梢のTh17細胞が増加していることを確認している。
血圧が下がるというこの結果は重要で、今後様々な乳酸菌でテストが行われるだろう。目的の菌の増減は、便のインドール量でわかることから、わりと短期のテストで検証が可能だろう。ロイテリ菌はネッスルが独占していると聞くので手に入りにくいなら、ネズミの固有の菌でも十分な気がする。今後の展開を期待したい。
2017年11月23日
私たちの脳は生まれた時から活動を続け脳死に至るまで止まることはない。生まれると内外からのインプットが全くなくなるという状態は考えられないが、それでも行動や感覚のような外界とは独立して脳自体が活動する内的状態があると考えられている。この状態を定義し、研究することは簡単でないが、認知科学の総説を読んでみると、何もしていない時に逆に活動しているDefault-mode networkが研究されているのがわかる。最近この状態を瞳孔の大きさと相関させることが可能になり、俄然研究が進んだ。この回路の面白いのは、特定のことをしようとすると活動が弱まるが、何もしないだけでなく、ボーとしながらとりとめもなく次から次へと思いを巡らせるMind Wondering時に必要なことだ。ところが、瞳孔の大きさだけはMind Wonderingでも縮小する。いずれにせよ、何もしていないことすら研究対象にして、神経的な指標を丹念に定義しているこの分野の進展を目の当たりにすると、私たちが人間特有の高次機能と考えてきたことについての解明が進む実感を持つ。
もちろん外界から独立して内的に活動するネットワークを形成することが、脳という組織が進化する駆動力だったはずで、すべての脳を持つ生命には共通の内部状態が存在するはずだ。この問題にチャレンジしたのが今日紹介するスタンフォード大学の光遺伝学の創始者Deisseroth研究室からの論文で12月14日発行のCellに掲載予定だ。タイトルは「Ancestral circuits for coordinated modulation of brain state(脳の状態を協調して変化させる先祖から伝わる回路)」だ。
脳の内部活動ということは、脳のどこかの領域に焦点を当てられないということで、神経の全活動をモニターする必要がある。この研究では、脳全体を同時にモニターできるゼブラフィッシュの幼生を用い、全ての神経活動をカルシウム流入による蛍光でモニターした後、脳を固定して各神経細胞のアイデンティティーを神経活動に関わる分子の抗体染色と細胞の位置で特定し、この地図を蛍光でモニターした神経細胞の活動にオーバーレイすることで、脳の内的状態の変化で同調して動く神経細胞を特定している。この時、瞳孔の代わりに心臓の活動を同時にモニターし、外界の刺激との関係を測定している。
活動記録の後神経細胞を特定するとか、全ネットワークをカルシウムでモニターすること自体はこの研究が最初では勿論ないが、それでもゼブラフィッシュの全部の脳の活動をモニターし、細胞間の関連を特定できるようにしたというのはハードだけでなく、ソフト面でも大変なことだと思う。例えば、細胞の大きさのズレを直すなど、一つ一つ問題が解決されたことがわかる。この方法で、外界からの刺激に対する感覚・運動系の反応時間を脳の内部状態の指標として使えることを示している。
次に、外界からの刺激に備えた状態に内部状態が移行した時に協調して興奮する神経を探し、5種類の神経が協調的変化することを突き止め、刺激に備えるために細胞間の協調が高まって行くことを捉えている。
ゼブラフィッシュで内的な状態を研究できることを示した後、今度はマウスで音を聞いた時の舌舐めの動きを内部状態の変化に対応する反応時間として測定し、同じマウスの脳幹の神経活動をほぼ同じ方法でモニターている。そして、外界への準備が高まるとゼブラフィッシュと同じタイプの神経の協調性が増大することを示している。最後に、同じ実験を学習させた課題ではなく、光遺伝学的刺激と瞳孔の反応を用いて行い、「内部状態が外部へと開く」と言えるプロセスが、刺激にかかわらず脊髄動物共通のメカニズムで行われることを明らかにしている。その上で、脳の内部状態と瞳孔の大きさを別の神経過程として切り離せることも示している。これは、Mind wonderingを考える上でも面白い。
デフォルトの回路や、Mind wonderingの実験を見てくると、これは動物実験は難しいのではと思っていたが、その辺を見事な説得力で解決してみせるDeisserothの脳には脱帽。
2017年11月22日
昨年の3月このホームページで紹介したが、ピーナツアレルギーの予防には乳児期からピーナツ成分を積極的に摂取させることが高い効果を示すことが報告された(
http://aasj.jp/news/watch/4957)。その後我が国でも卵アレルギーの予防に、生後6ヶ月から少量の卵を食べさすことでアレルギーを予防できることが示され、乳児期から離乳期にアレルギー原因物質を消化管を通して投与することで抑制性T細胞を選択的に誘導し、長期に免疫寛容を誘導できると考えられるようになった。ただ、これらの臨床試験では、母体が同時にピーナツや卵を摂取していたのかどうかについては明らかになっていない。実際、最近Journal of Allergy and Clinical Immunology (
http://dx.doi.org/10.1016/j.jaci.2017.06.024)
に発表されたカナダの研究では、子供にだけピーナツを摂取させても逆効果で、母親も同時にピーナツを摂取していると高い効果があることが示されている。このように、臨床試験の結果もまちまちで、整理の意味でも条件を揃えた動物実験が必要だと思っていた。
今日紹介するボストン小児病院からの論文はこの母体側の要因をマウスモデルで丹念に検討した極めてオーソドックスな研究でJournal of Experimental Medicineオンライン版に掲載された。タイトルは「Maternal IgG immune complexes induce food allergen specific tolerance in offspring(母体由来のIgG免疫複合体が乳児のアレルゲン特異的トレランスを誘導する)」だ。責任著者の一人はOyoshiさんというおそらく日本人の女性研究者だ。
実験では妊娠前から授乳中までメスマウスを卵白アルブミン (OVA)で免疫し、そのメスから育ったマウスのアレルギーが抑えられることの確認から始めている。抑制性T細胞の誘導の焦点を当てた研究から、アレルゲンで免疫された母親から母乳を通してアレルゲンが子供に摂取されるとアレルゲン特異的抑制性T細胞が誘導され、成長後もこの抑制性T細胞がアレルギーの発症を抑えることを示している。
次に、母親に誘導されたアレルゲン特異的IgGとアレルゲンの複合物が母乳内に存在し、これを摂取した子供の血中にも免疫複合物が存在することがわかった。また、この複合体を持った母親から授乳を受けることがアレルギー予防に重要であることも示している。さらに、母親に直接アレルゲン・抗体複合体を投与して授乳実験を行い、ミルクからの免疫複合体がアレルゲン予防の原因であることを示している。そして、抑制性T細胞誘導にCD11陽性細胞がIgG受容体を介して複合体を取り込むことが重要であることを示している。
最後に、人間の母乳にもOVA免疫複合体が存在し、これをIgGの受容体を人型に変えたマウスに投与して、アレルギーの予防が成立することを示している。
タイムリーな問題を、オーソドックスな手法で丹念に検討して、抗原の処理から抑制性T細胞誘導までの経路の一端が、動物モデルとはいえ明らかになったことは重要だと思う。また、先に述べたカナダの論文の意味も理解できた。
ただ、この論文を読んで疑問に思うのは、なぜ免疫複合体を母乳と混ぜるという実験がされていないのかだ。実際の臨床現場を考えると、母親に抗体がある場合も、ない場合もあるだろう。ない場合、母親に複合体を注射することは現実的でない。また、母親もアレルギーがあれば、授乳期にアレルゲンを摂取することは難しいだろう。とすると、免疫複合体を母乳と混ぜて効果を確かめることが重要になる。確かに、授乳期にマウスに強制的にミルクを飲ませることが実験的にいかに難しいかはよく分かる。また、結果は同じだろうと想像できる。しかし完璧を目指す意味でも、ぜひこの実験にもチャレンジして欲しいと願いたい。
2017年11月21日
貧富の差の指標としてジニ係数が用いられるが、この係数は所得を基礎に算定されるのが普通だ。厚生労働省により発表されている我が国のジニ係数は増加を続けており、平成26年では0.57になっている。しかしこの数字は、税率などで補正すると0.37−0.38とほとんど横ばいで、これが正しいとすると我が国の税制は格差抑制のためにうまく働いていることになる。ただ、所得をジニ係数の算定基準に使えるのは最近のことで、歴史的には所得事態を把握することは簡単でない。
代わりに遺跡に残る住居跡のサイズの違いをベースに、狩猟生活から、植物栽培の開始をきっかけに定住が始まる時代を経て、農業社会へと移行していく約1万年近い時間にわたってジニ係数を算定し、文明の進化に伴う格差の発生について調べた論文がワシントン州立大学からNatureオンライン版に掲載された。タイトルは「Greater post Neolithic wealth disparities in Eurasia than in North America and Mesoamerica(新石器時代以降に北米、およびスペイン占領前の中米と比べると富の不平等がユーラシアで進行した)」だ。
この研究では、世界中に点在する古代社会の遺跡で住居について詳しい記載のある論文から、集落の住居の広さを算定し、その差をもとにジニ係数を算定、その社会の特徴を探ろうとしている。住居の広さからジニ係数を算定すること自体は、記録のない時代を知るための優れた方法であることを確認し、そのデータの解析を行っている。
まず、ジニ係数が狩猟生活、定住の始まり、農耕社会と経過するにつれて、上昇する。すなわち格差が広がっていくのが明らかになった。さらに悲しいかな、政治体制が国家へと進むとともに原則としてジニ係数が増加する。もちろん例外もあり、例えばメキシコのテオティワカンでは農業を基本とした大型の国家が形成されているにもかかわらずジニ係数は0.17で止まっている。これは、宗教を中心にした集団政治体制により貧富の差が抑えられたとするこれまでの考え方と一致する。
各地・各時代のジニ係数から著者らが最も注目したのが、アジア、中東、ヨーロッパの旧世界と、北米、中米の新世界では、時代によるジニ係数の増加パターンが大きく異なる点だ。すなわち、旧世界ではジニ係数が時代とともに上昇し続けている一方、新世界では時間と相関が明確でない。また、一般的にジニ係数は新世界で低い。この差が、大型の家畜の農業への導入時期が、旧世界では地域でまちまちだったせいではないかと考え、その地域の大型家畜導入時期を起点としてグラフを書き直し、両地区でのジニ係数の動きがほぼ同じようになることを示している。
まとめてしまうと、共同性を獲得することで新たな発展を遂げ、共同狩猟社会、そして原始農業の始まりとこのスタイルを守ってきた人間も、専門性を必要とする大型動物の導入で新たな格差社会を始めたことになる。また、テオティワカンのようにこの傾向から大きく外れる国家については、体制について違った見方が必要であることも示している。この研究では、現代の集落についても同じ方法でジニ係数を算出し、スロべキアやスペインではジニ係数が横ばいなのに対し、アメリカや中国でそれぞれ、0.8,0.73と急速に上昇することを指摘して、この原因を調べることで現代の問題点も整理できるのではと結んでいる。結論は当たり前に見えるが、「古きを考える」考古学が、ゲノム研究だけでなく様々な領域で新しい科学へと変換する息吹を感じる。