京大の医学部の教授を務めていた頃、治験研究に関わった医師が金銭の授受で逮捕される事件が起こった。結局不起訴で決着がついたが、教授会でも真剣に対策を議論した。議論の内容はほとんど忘れたが、「病院で治験を行うのを自粛する」と意見が出た時、「臨床医学にとって、治験は最も重要な研究のはずで、これを自粛するということは、基礎医学の私たちが研究をやめると宣言するのと同じではないか」と、自粛は行うべきでないと意見を述べたのだけは覚えている。
その後もわが国で治験問題は発生し続けているが、捏造は問題外としても、参加する側の医師の姿勢も様々な問題の発生に関わっているような気がする。研究の対象となる薬剤のほとんどは製薬会社から提供されるため、医師の側にも自分の研究という気持ちが希薄で、「世間」から企業の手先になって研究していると思われるのではと後ろめたさがつきまとうのだろうか。有名なディオバン事件の時も、ノバルティスの存在を隠した医師主導の治験だった。しかし、多くの場合製薬企業なしに薬剤の開発はないし、薬剤の開発を最も望んでいるのは患者さんだ。現在のところ治験以外に科学的に効果を確かめる方法がないとするなら、プロセスを透明にして、企業と患者さんの間を積極的に取り持つことこそ医学研究者の使命だと思う。
今日紹介するスペインを中心にした国際チームからの論文は(我が国も参加している)、ヤンセンファーマが開発した多発性骨髄腫治療のための新しい抗体薬の治験だが、製薬企業の関与について明確に書かれているのを見て妙に清々しい印象を持ち紹介することにした。論文は2月8日号のThe New England Journal of Medicineに掲載され、タイトルは「Daratumumab plus Brotezomib, Melphalan and Prednisone for untreated myeloma(多発性骨髄腫に対する抗CD38抗体ダラツムマブとボルテゾミブ、メルファラン、プレドニソロン治療)」だ。
多発性骨髄腫は高齢者に多いため、骨髄移植など根本的治療が難しい。幸い、武田薬品からプロテアソーム阻害剤ボルテゾミブが発売され、増殖阻害剤のメルファラン、プレドニソロンと組み合わせることで、ガンの進行をある程度抑えることができるようになったが、それでも五年程度が平均生存期間だ。
ヤンセンファーマはこの状況を、様々な機能を持つCD38に対する抗体が大きく改善する可能性を見出し、ダラツムマブを開発した。我が国を含む多くの国で認可され、すでに臨床に使われている。ただこれまで認可されている対象は再発例が中心で、今回の治験は、これまで未治療患者さんの治療として行われてきた組み合わせに、最初からダラツムマブを加えることで、高い効果が得られることを示すために行われた。
結局結果の最終判断は、認可当局と医師が決めることで、詳細は省くが、ヤンセンファーマの期待通りの結果で、2年経過しても6割の患者さんが再発なく過ごすことが可能になっている。様々な条件で層別化しても、全ての条件でダラツムマブを加えたほうがよく、肺炎の合併は高まるが、他の副作用についてはダラツムマブを加えたほうが少ないという結果だ。おそらく大成功の治験と言っていいだろう。
もちろん結果も印象的だが、私が最も驚いたのが論文の率直さだ。研究のスポンサーがヤンセンファーマであることをはっきりと方法に明示するだけでなく、データはすべてヤンセンファーマに集め、管理したことが書かれている。さらに、ヤンセンファーマがプロの医学ライターを雇って論文を書かせ、最終版を全ての著者が確認したと書いている。 しかし、治験は医師主導であるべきで(もちろんこの治験も医師主導にはなっている)、このようなデータ処理や、論文作成を製薬に任せてはならないと考える人も多いのではないだろうか。実際、ディオバンの捏造論文では、スポンサーは明示されず、費用を大学から出す医師主導の治験を行ったように書かれていた。
製薬会社がデータをまとめ論文を書くこと自体が問題になるわけではない。重要なのは、治験という複雑で膨大なデータを扱う研究を、どれほど正確に行えるかだ。データ処理の各プロセスで著者全員が確認作業を行い、必要とあれば第三者にもデータがアクセスできるなら、誰が主導であれ問題はない。率直さと、透明性、これが必要な全てだと思う。
カテゴリ:論文ウォッチ