今日の論文に行く前に、まずネアンデルタール人の言語能力研究の背景についてまとめておこう。
この分野で言語能力という時、話し言葉(Verbal Language:VL)を持っていることと同義ではない。明晰記憶(Explicit memory)に現れる前頭連合野の拡大と、ゴールを共有するコミュニケーションを可能にした脳進化を元にした、脳内の表象を、もう一度音や、絵など実体的なメディアを通して表象し直す能力、すなわちシンボルを使う能力にかかっていると考えられている。この点についてさらに知りたい人たちにはT.DeaconのThe Symbolic Species (https://www.amazon.co.jp/Symbolic-Species-Co-Evolution-Language-Brain/dp/0393317544) がお勧めだ。20年前に出版された本だが、現在も全く色あせていない。
この考えから、言語能力と結びつけることができる、遺跡に残るシンボル、例えば絵画、人形、装飾、化粧などは考古学では極めて重要になる。これまでこのような証拠がネアンデルタール人の遺跡に見つかってこなかったことから、ネアンデルタール人には言語能力がないと考えられてきた。
ところがフランスのシャテルペロニアン遺跡で見つかった、化粧や装飾の跡をきっかけとして、ネアンデルタール人もシンボルを使う能力があったとする研究者が増えてきた。その後、主にスペインで、現生人類がまだヨーロッパ進出を果たしていない前の洞窟に原始的ではあるが絵画が見つかり、ネアンデルタールも言語を持っていたという考えを勢いづかせている。
ただ、多くの洞窟は、現生人類にも使用されたことから、本当にネアンデルタール人由来かどうかは現在も議論が続いている。
今日紹介する、「U-Th dating of carbonate crusts reveal Neandertal origin of Iberian cave art(イベリア地方の洞窟の炭酸塩皮膜のウランートリウム法での年代測定により洞窟のアートがネアンデルタール人由来であることを明らかにする)」とタイトルのついた論文は、鍾乳洞の炭酸塩蓄積を利用したうまい方法で年代を測定した研究で、今日出版のScienceに掲載された。
この研究のハイライトは、洞窟の絵そのものではなく、その前後に進んだ炭酸塩の蓄積を利用して、絵の上に重なっている炭酸塩を絵の表面まで順番に集め、それが出来た年代をウラン・トリウム法で測っている。言い換えると、描かれた絵が、その上に起こる地球の営みにより守られることを利用している。実際には、50以上のサンプルを検査し、最終的に絶対に現生人類の関与がないと断言できるシンボルの痕を5箇所特定している。
話はこれだけだが、ネアンデルタール人もシンボルを使う能力があったという強い証拠になるだろう。
ただ、これはネアンデルタール人にも言語能力があったということを意味しても、Verbal 言語(V言語)を持っていたことを意味するものではないと個人的には思っている。実際、シナイ半島で少なくとも10万年の間現生人類と対峙するためには、同じ能力が必要だ。また、ネアンデルタールも大型動物の狩りを行って、火を使い、さらにヨーロッパという厳しい環境で生きていたことを考えると、当然高い言語能力が必要だったはずだ。
したがって、V言語は現生人類にも、ネアンデルタール人にもいつかは誕生していたはずだが、幸いにも現生人類に先に誕生した。この結果、5万年前シナイ半島での均衡が破れ現生人類がネアンデルタール人の暮らす領域に進出、結果35000年ごろまでにネアンデルタール人は絶滅することになる。
なぜ現生人類にV言語が先に現れたのかについては、例えば我々が生後の脳発達に強く依存していることなど、いくつも理由が挙げれるが、今日はこのぐらいにしておく。この分野はいつも面白い。
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