人間の条件を探るため、ゲノムを中心に様々な研究が行われており、多くの論文を紹介してきた。単純化して言ってしまうと、ゲノム上での人間特異的変化が、細胞レベルでの遺伝子発現に影響し、その結果が細胞の数、位置、機能を変化させることで人間の特徴が生まれる。従って、ゲノムの比較は、細胞や組織レベルの解析と相関させる必要がある。
Single cell RNA sequencing はこの比較をより解像度の高いものにしてくれている。しかし、例えば脳の場合、構造や細胞は多様で、ただ脳の single cell RNA sequencing の比較を行えばすむという話ではない。
今日紹介するテキサス大学サウスウェスタン医学センターからの論文は、アカゲザル、チンパンジー、人間の脳細胞の差を徹底的に調べた研究だが、細胞を取り出す場所をブロードマン23(辺縁系の一部で大脳各部に投射を持つ、意識にも関わる領域)に限り、そこに存在する細胞の Single cell RNA sequencing から存在する細胞の種類や、各細胞での遺伝子発現の違いを調べ、人特異的な条件を調べた点がユニークで、7月19日 Nature にオンライン掲載されている。タイトルは「Molecular features driving cellular complexity of human brain evolution(人間の脳の進化で細胞の複雑性推進に関わる分子的特徴)」だ。
この論文の様に、領域を限った上で細胞を比べるという研究がどのぐらい行われていたかは把握していないが、ここまで徹底的に行ったのはこの研究が最初だろう。このように、全体にこだわらずに少し焦点を当てることで、なかなか面白い話に仕上がっている。
まず面白いのは、発達が終わった成体の脳であるにもかかわらず、成熟オリゴデンドロサイトがヒトへの進化とともに減少し、逆にオリゴデンドロサイト前駆細胞の数がヒトへの進化とともに上昇する点だ。組織学的な解析から、この傾向は脳のほとんどの領域で見られることが確認されており、遺伝子発現でもオリゴデンドロサイトの移動に必要な細胞骨格調節遺伝子が低下するなど、特徴的な変化が見られる。元々オリゴデンドロサイトが関わるミエリン化がヒトでは遅いことが知られているが、しかし既に成体での結果なので、おそらくオリゴデンドロサイトが神経の可塑性など他の機能にも関わることを示している。
遺伝子発現、エピジェネティック解析をそれぞれの細胞で行うと、細胞共通に見られる人間特異的な変化は少ないが、細胞ごとに見ていくと、特異的変化を数多くリストすることが出来る。
中でも面白いのは、ヒトの言語に関わるのではと最初考えられ、サルと人間で発現に差がないので、言語に直接関わる可能性は少ないと断じられたFOXP2遺伝子の発現が、限られた興奮ニューロンでヒト特異的に発現が上昇していることを発見する。また、これらの細胞ではFOXP2が調節する遺伝子の発現上昇も確認できるので、FOXP2の機能を異なる視点で今後見直す必要が出てきた。
遺伝子発現とクロマチン構造両方が各細胞種で調べられており、それを比べると両者の相関性は高い。すなわち、クロマチンが開く、あるいは閉じるエピジェネティックな変化がそのまま遺伝子発現につながっている。しかも、ヒトとチンパンジーのゲノム上の配列変化は、クロマチン変化の場所に集中しており、ゲノム進化の結果、クロマチン状態が変化し、遺伝子発現進化へとつながることが示された。
クロマチン状態が変化した部位に見られる人特異的ゲノム変化の中で最も目を引くのが、神経刺激で誘導されるFos/Junが結合するモチーフの濃縮で、特に皮質の上層の神経細胞特異的に見られる。機能は示されていないが、おそらく神経興奮による変化を遺伝子発現の変化へと転換する過程で強い進化が起こっていると考えられる。
以上が結果で、異なる視点で見ることで、面白い人間の条件を見つけられることを示した重要な貢献だと思う。