リンパ球の抗原に対する反応や、嗅覚細胞の臭い物質に対する反応は、それぞれの細胞が一種類の受容体を発現しているため、反応の特異性が保証される。この実現には複雑な分子メカニズムが必要になる。
熊本大学にいた頃に私たちが関わったB細胞で言うと、まずVDJ再構成により始まるmRNAを用いた他のV領域の染色体再構成が起こり、それ以上の再構成が起こらなくなる。これと同時に、翻訳された抗体分子を用いて増殖に必要な IL-7受容体の発現をoffにし、またRAG遺伝子をoffにすることで、一個の抗体分子が発現した細胞がそれ以上再構成を行えないようにしている。
一方嗅覚細胞では嗅覚受容体(OR)が同じ染色体に乗っているわけではないので、遺伝子再構成は使えない。そのため、一つのOR遺伝子のプロモーターだけに、エンハンサーがリクルートされるという離れ業が行われ、さらに一つの受容体が発現すると、他のOR遺伝子とエンハンサーのアクセスがOffになることがわかっている。ただ両方の染色体で2000個もあるOR遺伝子を相手に、本当にうまくいくのか、詳細は不明だ。
今日紹介するコロンビア大学からの論文は、一個のOR遺伝子発現までの過程を、single cell 解析や、様々な遺伝子改変マウスを用いて解析し、OR遺伝子同士の競争の中からランダムに一つのOR遺伝子が選ばれると、転写されたmRNAにより他のOR遺伝子のチャンスをOffにする過程を明らかにした、著者らの執念が伝わってくる、元旦に紹介するに値する素晴らしい研究で、12月20日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「RNA-mediated symmetry breaking enables singular olfactory receptor choice(RNAによる対称性の破綻が一つの嗅覚受容体選択を可能にする)」だ。
OR 遺伝子は両方の染色体で2000個もあり、発生過程で一つの遺伝子が選ばれる過程を調べるには single cell analysis が必須になる。この研究でも、核内での遺伝子同士の距離を調べるDip-CやHi-Cと呼ばれる技術を single cell に適用するという大変な実験を繰り返している。Single cell なので結果が yes or no とクリアに得られない技術的問題を、様々な方法を組みあわせて克服し、発生過程でOR遺伝子発現に関わる60個あまりのエンハンサーが核内でいくつかのクラスターを形成し、そのうちの一つがOR遺伝子にバイ・チャンスでリクルートされると、最終的に他のOR遺伝子とエンハンサークラスターの相互作用が抑制されることを確認する。これまでも指摘されてきたことだが、single cell level で証明するとするために、まさに圧巻の実験が行われている。
次に、OR遺伝子同士のエンハンサークラスターを巡っての競争に終止符を打つ要因として、まず成功したOR遺伝子由来mRNAが他のOR遺伝子のアクセスを抑制する可能性について、今度はマウスレベルの遺伝子改変を用いて証明している。
一つの方法は、一度勝利が決まったOR遺伝子の発現を、他のOR遺伝子mRNAを強く発現させることで抑制する実験を行い、特に完全に勝者の決定していない時期では、勝者を覆せることを、2色の蛍光色素をOR遺伝子に導入したマウスを用いて示している。
さらに、蛋白質の翻訳が出来ないように遺伝子改変したOR遺伝子を強く転写させると、蛋白質は出来なくても他のOR遺伝子とエンハンサークラスターの相互作用を抑えられることを示して、この抑制がmRNAにより行われることを明らかにしている。
面白いのは、こうして確立したOR遺伝子の勝利も、OR蛋白質の発現がないと長持ちしない点だ。メカニズムは明確ではないが、リンパ球と同じようにRNAと発現蛋白質の二重スイッチにより、一つの細胞、一つの受容体の原則を守っていることがわかる。
以上が結果で、ここまでやるかという研究に感心する。ただ、それでもまだ現象論で、最終メカニズムについてはまだ研究が必要だ。しかしこれほど細部にわたる研究を知ると、私の好きな建築家ミース・ファン・デア・ローエの、「細部に神は宿る」という言葉を実感する。そんなことで、年賀代わりに彼のベルリンある自宅の写真をペーストする。