歩くために必要な脊髄神経の刺激を AI モデルに記憶させ、それを硬膜外から刺激としてインプットすることで、慢性完全脊髄損傷患者さんを歩かせるローザンヌ工科大学の研究についてはこれまで何回も紹介してきた。ただ、このような AI を用いる方法は、脳との結合が実現できないと、複雑な刺激が必要な手や腕の機能回復にはつながらない。このため現在でもなおリハビリテーションが機能回復にとって最も重要だ。
さて、この論文を読むまで知らなかったのだが、腕と手のリハビリテーションを行っているときに、経皮的に損傷部位に電流を流すことで、おそらく新しい神経をリクルートし、リハビリテーションの効果が高められるという症例報告が発表されていたようだ。
今日紹介するローザンヌ工科大学からの論文は、ARCex-therapy と名付けた経皮的脊髄刺激法を、65名の患者さんで試した、より大規模な臨床観察治験で、5月号の Nature Medicine に掲載されている。タイトルは「Non-invasive spinal cord electrical stimulation for arm and hand function in chronic tetraplegia: a safety and efficacy trial(非侵襲的な脊髄電気刺激による四肢麻痺患者さんの手と腕の機能の回復:安全性と効果に関する治験)」だ。
この治験は、コントロール群を置く治験ではなく、全員が治療対象となる観察研究になる。ただ、最初の2ヶ月は通常のリハビリテーションだけを行い、その後リハビリテーション時に電気刺激を行う治療を2ヶ月行って、最初の2クールと、後の2クールを比較している。
対象は損傷後少なくとも12ヶ月が経過している慢性脊髄損傷患者さんで、様々な程度の障害を持っている。また介入は脊髄損傷部位に設置した2カ所の表面電極で、30Hz のシグナルを 10kHzキャリアーシグナルに乗せて刺激している。見た目で言うと、低周波マッサージ器に似ている。
最終的に60人が全4ヶ月の治験を終え、評価を受けている。まず安全性については中断を余儀なくされる副作用はないので、安全性は確認されたとしている。その上で、最初の2クールと、後の2クールを比較すると、1)腕を持ち上げる力のようなリハビリテーションで回復がしっかり見られ、電気刺激が特に影響がない評価項目、2)握る力などのようにリハビリテーションの効果は存在するが、電気刺激によりさらに回復速度が高まる評価項目、3)そしてリハビリテーションではほとんど回復できないが、電気刺激を始めたときからすぐに回復が始まる評価項目、の3種類の機能が存在することがわかった。
結果は以上で、これまでの症例報告を中規模の対象者を用いて確認した治験で、目新しいというわけではない。しかし詳細は省いたが、リハビリテーションで改善が見られない機能も電気刺激で回復の可能性が見られたこと、またリハビリテーションの効果を電気刺激がさらに高められるという結果は重要だと思う。副作用もなく、また治療方法も単純で安価(?)であることから、ダメ元でも腕と手のリハビリテーションにもっと積極的に採用したらいいような気がする。
この研究は、これまで何度も脊髄損傷の機能を AI で取り戻す方法を開発してきたローザンヌ工科大学から発表されたものだが、AI のようなハイテク技術だけでなく、もっとローテクの手法でも脊髄損傷患者さんの機能回復につながるなら積極的に臨床に提供しようとする意志が感じられる研究だと思う。まさに、ローザンヌが脊髄損傷治療の一大中心になろうとしているのがわかる。