7月3日 Nature にオンライン掲載された論文の中に、2編考古学論文が含まれていた。
最初はオーストラリアのグリフィス大学からの論文で、インドネシア スラワジにある洞窟画の年代測定の研究で、タイトルは「Narrative cave art in Indonesia by 51,200 years ago(インドネシアの物語が描かれた洞窟画は51200年までに描かれた)」だ。
最も古い絵として知られているのは、スペインのネアンデルタール人が洞窟に残した手形で、これが絵と認めるかどうかは議論がある。一方、ショーベネやアルタミラなどに残る物語を描いた絵画は、ホモサピエンスによるもので、ショーベネのものが3万7千年前になる。
もう一つホモサピエンスの絵画が存在するのが、ホモサピエンスがヨーロッパより早く移動してきたインドネシ アスラワジの洞窟絵画で、鮮明ではないが狩の絵が描かれている。これまで、時代検証で4万5千年前とされてきたが、レーザーを用いた絵の具の採取とウラニウム年代測定から、それより5千年以上前で、おそらく51200年前と結論された。すなわち、ホモサピエンスはさらに早い時期から絵で物語を表現していたことになる
もう一編の論文は中国蘭州大学、デンマークコペンハーゲン大学などを中心に発表された論文で、チベットで続けられているデニソーワ人についての考古学研究の続報で、タイトルは「Middle and Late Pleistocene Denisovan subsistence at Baishiya Karst Cave(中期から後期更新世、デニソーワ人は白石崖溶洞に生きていた)」だ。
デニソーワ人は最初シベリアのデニソワ洞窟で発見された指の骨のDNAで初めて特定された人類だが、次の証拠はチベット白石崖溶洞から発掘された下顎骨がコラーゲン解析からデニソーワ人と判明し、2019年5月に Nature に発表された(https://aasj.jp/news/watch/10139 )。その後骨は発見されていないが、沈殿物からミトコンドリアゲノムを採取する研究で、デニソーワ洞窟及び白石崖溶洞からもデニソーワ人のミトコンドリアDNA が発見され、16万年から4万5千年前まで白石崖溶洞でデニソーワ人が暮らしてきたことがわかっている。
この研究では、この洞窟に残る哺乳動物の骨を徹底的に解析して、チベットに住むヤギ、牛、ヤク、そして馬や鳥を含む様々な骨が出土すること、そしてその骨には明らかに人間の手による様々な細工の痕跡が存在することを明らかにしている。すなわち時代によって使われる動物は変化するが、デニソーワ人は早くから骨を道具として利用していたことが明らかになった。
そしてこの骨の中から、骨が出土したデニソーワ人としては3人目の肋骨が見つかり、DNAは採取できなかったが、これまで通りコラーゲンなどのタンパク質を用いて、デアミネーションを指標とする時代測定、及びアミノ酸配列の解析から、間違いなくデニソーワ人の骨であることを確定している。また、この骨は時代の新しい地層から発見され、デアミネーションによる測定でも4万8千年から3万2千年の間に生存していたデニソーワ人の骨であると推定している。
現在、デニソーワ洞窟、白石崖溶洞、形態学的にデニソーワ人の歯が見つかったとされているラオス・Tam Ngu Hao洞窟などぼちぼちデニソーワ人の生活のあとが追えるようになってきた。次の新しい発見をわくわくしながら待っている。