うつ病の治療にケタミンのような麻酔剤やシロシビンのような幻覚剤が効果を示すことがわかってきて、コレラ薬剤の人間の脳に対する作用を調べる研究が進んでいる。2022年4月には、シロシビンの一回注射のあと、うつ病の人では高いレベルを維持している、安静時に活動するネットワーク、default mode network の活動を、シロシビン投与後長期的に低下することを示した論文を紹介した(https://aasj.jp/news/watch/19488)。
今日紹介するワシントン大学からの論文は、シロシビン投与により幻覚体験をしている最中の脳活動、特に神経領域の機能的結合を調べた研究で、7月17日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Psilocybin desynchronizes the human brain(シロシビンは人間の脳の同調性を壊す)」だ。
この研究はうつ病患者さんではなく、25人の正常人にシロシビンとコントロールとしてメチルフェニデート(MTP)を投与し、その効果を機能的 MRI で記録、このデータから領域内や領域間の相関を計算して機能的結合性(FC:functional connectivity)を計算している。
MTP 投与と比べると、シロシビン投与ではともかく脳全体で結合性が大きく変化し、基本的には同じ人の脳領域同士でも、他人の脳と思うぐらい同調性がなくなる。この変化は、default mode network (DMN) で大きい。すなわち、自己に意識を向ける DMN の同調性が失われる。そして、変化はネットワーク内より、離れた他のネットワークとの同調性の喪失の方が大きい。
我々の神経は同調することで統一を保てるが、同調性が失われる結果をエントロピーで表現すると、脳全体の領域でエントロピーが増大する、すなわち規則性が失われているのがわかる。これらの結果は、幻覚剤投与で、神経興奮の変化ではなく、興奮の同調性が失われることが、シロシビンの主な作用であることを示している。
この同調性の喪失による FC の変化が大きいほどシロシビンによる自覚症状が高まる。中でも事故から解放された超越感がこの変化と最も相関するのは納得する。
これが DMN を中心に起こることは、シロシビンで幻覚が現れているときに、被験者に一つの意識的課題を行わせると、同調性が回復することからもはっきりする。
この急性実験のあと、時間をおいて fMRI 検査を行い、脳領域間の機能的結合性を調べている。
3週間たつと、ほとんどの領域間の機能的結合性は回復しているが、海馬前部と DMN の結合は低いまま維持されており、これがシロシビンの抗うつ効果に関わるのではと結論している。
以上が結果で、幻覚剤が脳内の同調性を失わせることで、幻覚につながること、特に幻覚は自分へ意識を向ける DMN 回路の同調性を強く抑制することで自己から自由になることと関連していること、そしてその結果海馬と DMN の機能的結合が長期的に変化するという結論になる。
一回の幻覚剤が長期効果を示すのは怖い話だが、しかし幻覚剤の研究が、デカルト以来哲学的に議論されてきた脳内の自己について知るため重要であることがよくわかる。