ポンペイを訪れたのはケルンに留学中のことで、今から45年近くになる。想像以上に広い領域が発掘されており、街の壁の選挙ポスター、売春宿を示すペニスのサイン、そして公開されている家の中のフレスコ画の生々しさに感激した覚えがある。この遺跡で有名なのは、逃げ遅れて死亡した人たちが灰に埋もれたあと、身体が消失した空洞に石膏を流し込んだボディーキャストで、少数が遺跡でも見学できた記憶がある。実際には様々な場所でボディーキャストが作成され、その姿から考古学的に様々な解釈が行われてきたようだ。
今日紹介するイタリア・フィレンツェ大学、米国ハーバード大学、そしてドイツ・ライプチヒ マックスプランク研究所からの論文は、残されたボディーキャストから骨の断片を集め、核内ゲノム、ミトコンドリアゲノムを読み出し、当時のポンペイ人の人種構成を示すとともに、これまで考古学者が勝手に解釈したストーリーが全く間違っていることを示した面白い研究で、11月7日 Current Biology にオンライン掲載された。タイトルは「Ancient DNA challenges prevailing interpretations of the Pompeii plaster casts(古代 DNA 解析はポンペイのボディーキャストについて現在広く知られる解釈の間違いを指摘した)」だ。
ポンペイには美しい秘密の儀式のフレスコ画で秘儀荘をはじめとして、家々に名前がつけられているが、今回は秘儀荘の1体 (https://www.alamy.com/plaster-casts-of-a-victim-of-the-eruption-of-the-volcano-vesuvius-that-destroyed-the-city-of-pompeii-image486772542.html?imageid=09220DC7-D29D-4223-8CB3-CBE92EA7CCBC&p=1828032&pn=3&searchId=f8bba17f288e018901a5154b9c507198&searchtype=0参照)、金のブレスレットの家4体(https://pompeiiinpictures.com/pompeiiinpictures/Casts/victims%20bracciale.htm 参照)、そして地下柱廊の家の2体(https://archaeologymag.com/2024/11/dna-evidence-rewrites-history-of-pompeii-victims/ 参照)で、実際に分析されたボディーキャストの写真をウェッブサイトとリンクしておいた。
もちろんボディーキャストだけでなく骨格も出土しており、2022年、最初のポンペイ人のゲノム解析がコペンハーゲン大学から報告され、ローマ帝国人のゲノムに近いことが報告されている。この解析と比べると、キャストの骨を集めた今回の解析は一部の断片を拾い集めたといえる程度だが、それでも5人の得られたゲノムから、イタリア半島からエーゲ海、そして現在のシナイ半島の人のゲノムまで様々な民族の集まりであることがわかり、ミトコンドリアハプロタイプも全て異なっており、当時のローマ帝国の多民族性がうかがわれる。
また、明確な結果が得られなかった一人を除いて、全て男性のボディーキャストであることがわかった。
以上が結果だが、この結果が突きつけた大きな問題は、これまでのボディーキャストについての考古学的説明を全く支持できないことがわかった点だ。
秘儀荘の1体については逃げ遅れた召使いでいいのだが、金のブレスレットの家のかばい合うように倒れた2体については、これまで姉妹が抱き合いながら死んだとされていた。ところがすでに述べたように、両方とも男性で、しかも遺伝的関係は全く見当たらなかった。
極めつけは金のブレスレットの家の2体の子供を含む4体についてのこれまでのストーリーは、全員家族で、金のブレスレットをつけ、一人の子供に最も近いところに位置していたので、この家族の母親とされ、子供を守っていたとされている。また、少し離れたところに位置する子供は、家族から離れてしまった子供とされてきた。ところが、わかったことは全員が男性で、しかもわかる限りで調べた結果は3親等以内の姻戚関係は認められないという結果だ。
これまで、考古学はArcheology=古代学というより、日本語がうまく表現しているように「古代を“考える”学問」に近かったのかもしれない。しかし、ゲノム解析という事実が突きつけられると、考える考古学がもろくも崩れ去ることを示している。面白い。