個人的には意識の問題は定義の仕方に帰するところが大きく、全てを説明するような大きな理論的枠組みで捉えられないのではと思っていた。例えば先日紹介したばかりの研究では、画像を何かと認識できたときの視床、前頭前皮質の活動の同調性を意識として定義していた(https://aasj.jp/news/watch/26507)。ただ、人工知能がこのように発展して来ると、どうしてもAIに意識はあるのかと言った問題が議論される。そのため、このような問題に科学はどうアプローチしているかを、科学界として発信していく必要がある。そのためには、脳科学者が集まって意識とは何かについて、ただ自説と実験を述べるだけでなく、実験から解釈まで共同で行う collective science を行い、意識も脳科学として実証可能な問題として世間に示していくことは、トランプ時代の反科学や独断的哲学に対抗する意味で極めて重要だと思う。
今日紹介するドイツ マックスプランク財団が支援した多くの脳科学研究者が集まって発表した論文は、意識に関する2つの異なる見解について、それぞれの見解を持つ研究者を含む多くの脳科学者を世界中から集めて、実験の計画から測定、そして解釈までを議論しながら行った collective science の結果を発表した研究で、4月30日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Adversarial testing of global neuronal workspace and integrated information theories of consciousness(敵対的テストによる意識のGlobal neural spece仮説とintegrated information仮説の検証)」だ。このようなサイエンスを組織できた脳科学領域と、このグローバルな取り組みを支援したマックスプランク財団には心から敬意を表したい。と述べた上で、このブログでは私の独断と偏見を交えた読み方を紹介するので、今日の話は著者の意図を正確に紹介しているかどうか保証できないことを断っておく。
まずそれぞれの仮説についての私の理解を述べておくと、Global neural space (GNS) 仮説は、無意識と意識の差を重視した説で、見るという感覚インプットが、主に前頭葉(他の場所でもいいとは思うが)からの意識指令に基づき脳全体に共有されることが意識で、この共有せよという指令がないと、意識されないとする考えだと理解している。
一方、integrated information theory (IIT) は、感覚インプットが自分の主観として共有されることが意識だと考えており、GNSのように意識の指令があるわけではない。すなわち、感覚インプットが脳全体で再帰的に統合される度合い自体が意識だと考えている。個人的には、IITの方がAIが意識を持てるという考えに近いように感じていた。
このように、意識を統合せよとする司令塔が前頭前皮質にあるという考えと、感覚インプットがそれを受けた脳のネットワークと統合される度合いで意識が決まるという説を今回は検証している。
この2説が対立しているかどうかはよくわからないが、意識の指令があるとすると前頭前皮質から感覚インプットを脳全体に共有させようというシグナルが、対象を意識したときには発生するはずだし、感覚の統合度合い自体が意識を決めるとすると、視覚の場合、意識したとき視覚野での結合性が高まり維持されることになる。
これを区別する最も簡単な課題としてcollectiveに合意された課題が、異なるカテゴリー(顔、道具、文字、意味のない形)などを短時間で提示したときに、先に覚えている形として認識できたかどうかをボタンを押して答えるという課題だ。これを読むと、意識の問題をあまり難しい話にしないよう専門家が工夫しているのがわかる。
この課題の間に、脳波計、脳磁図、そして機能的MRIを用いた測定を一定の基準で様々な施設で行うことで、測定の限界の問題を乗り越えようとしている。
それぞれの実験について、皆さんで結果を予測する議論を十分行って、実験結果と予測が合致しているかを調べるのだが、実際には異なる領域の活動が、意識が発生したという結果をどの程度各領域の活動から説明できるかをデコーダーで計算する方法を用いている。そのため、基本的に二つの説は、意識されたときに前頭前皮質からの指令シグナルが脳全体に広がるか、視覚を担う後頭でのネットワーク結合性が高まり維持されているかが主な指標になっている。
多くの課題で意識される時の前頭前皮質からの指令シグナルがあまり観察されず、結論から言うと、私が想像したよりずっとIITを支持する結果に思えた。ただ、IITでも意識の維持に必ずしも強いネットワークの持続的結合性が見られなかったことは、まだまだ脳や意識は複雑な問題であることを示している。
元々データとして完全に理解できているわけではないので、詳細な結果を紹介することはやめて、この程度の紹介で終わるが、「意識の座」からの指令シグナルが観察しにくいことはこの論文を読んでよくわかった。ただ、この研究の重要性は、どちらが正しいかを単純に決めるものではない。意識というAI時代に最も議論されるだろう問題について、脳科学者が集まって私のような素人にもわかりやすい形で実験し、議論した点で、哲学とは異なるガリレオ以来の科学の手法とは何かをはっきりと示せたことが重要だ。そのため、敢えてタイトルに、AIでシステム検証に用いられる Adersarial Testing という言葉を用いているように思う。今回使われた方法論に加えて、現在では脳内電極を用いたさらに精緻な脳測定法が存在することを考えると、これから第二弾、三弾とこのような研究が続くと期待できる。