4月23日 Nature にオンライン紹介されたフェニキア人ゲノムに関する論文は、すでに多くのメディアや研究者により紹介されており、わざわざ私が紹介するまでもないとスキップする気でいたが、読んで興奮したのとフェニキアに対して私なりに調べたことがあったので、独断と偏見をいとわず自分流に紹介することにした。
まずこの論文はハーバード大学のゲノム歴史学の世界の中心と言っていいDavid Reich研究室から発表された論文だ。Reich研究室からの論文はこのホームページでも何度も紹介したが、古代ゲノム科学としてだけでなく、歴史書を読むような興奮を経験できる論文が多く、ゲノム時代のシュリーマンと密かに名付けていた。事実、Reichグループからの論文は、伝聞などの歴史的記録が存在して考古学的議論が行われている歴史的事象を選んで、伝聞についての議論をゲノムから確かめ直す研究が多い。
今日紹介する論文はフェニキアを研究対象としており、フェニキアという都市国家がどう成立していたのかについて100体に上るゲノムを詳細に解析して調べている。タイトルは「Punic people were genetically diverse with almost no Levantine ancestors(ポエニの人たち(フェニキア人)は遺伝的に多様でレバントの先祖とはほとんどつながりがない。)」だ。
論文の紹介の前に、私がフェニキア人に興味を持っていた理由についても述べておく。理研CDBを退職したあと5年ほどJT生命誌研究館の顧問を務めていたが、その時、頭の整理をかねて、ゲノム科学、生命誕生、ゲノム進化、脳進化、言語誕生、そして文字誕生に至るまで、当時の論文を読みあさって自分なりの考え方をまとめた。このときの蓄積が分野を超えて論文を理解するのに本当に役立っているが、生命誌研究館最後の1年前は文字の誕生に集中して調べた(JT生命誌研究館のHPからも見られるが、このHPでも再掲しているので読んでいただきたい*https://aasj.jp/news/lifescience-current/11129)。この時、母音のないフェニキア文字を自分の言語に適応させる過程で最初の表音文字ギリシャ文字が発明される経過に一章を割いてまとめているが、地中海に散らばった2つの都市国家の文字を中心とする文化力に驚いていた。
当時からフェニキア人は、言語、文字、文化、そして宗教まで共有する集団だが、民族的には単一でないと考えられていたが、そのルーツは現在のイスラエル、レバノンに相当するレバント人を地中海へ分散する過程で地元民を巻き込んで形成された都市国家ではないかと考えられてきた。
この研究では、紀元前5−8世紀にかけて地中海に散らばったフェニキア人都市に埋葬されている骨からDNAを分離し、最低2万以上のSNPが解読できた157人のゲノムを解析している。もちろんゲノムだけでなく、炭素同位元素による正確な年代測定を行うとともに、同じ場所から出土したゲノムについては詳しい家族関係まで調べている。
結果は明確で、フェニキア人と確認できるこれらの人たちのゲノムは多様で、フェニキア人としてのゲノム統一性はほとんど存在しないことがわかった。そして、フェニキア人の由来とされるレバントのゲノムは、レバント近辺で都市国家を形成したフェニキア人には受け継がれているが、他のフェニキア都市にはほとんど見つからない。
逆に、フェニキア都市が形成される前の先住民のゲノムと比べると、それぞれの都市のフェニキア人には先住民のゲノムが受け継がれていることがわかった。即ち、フェニキア人がレバントから移動して地中海に植民都市を形成したのではなく、様々な形でフェニキア文化が伝えられ、各地で文化を共有した人たちによってフェニキア都市が誕生していることがわかる。
もちろん文化は人によってもたらされることから、極めて少ないが(今回の研究では3人)、レバントのゲノムを持つゲノムが、他の地域から発見されている。このようにフェニキア文化はおそら宗教のように伝えられていったのではないだろうか(と私には見える)。また、フェニキア都市間では主に男性の移動があった証拠もさまざま見つかっており、例えば、Y染色体の多様性が大きいことは、航海を通して少ないが男性の交流が存在したことを示している。さらに、7親等以内の親戚関係にある個体がシチリアと北アフリカのフェニキア都市に海をまたいで見つかっており、都市間で男性の移動はあったと考えられる。
他にも近親相姦の頻度なども調べているが、今回は割愛する。以上紹介した結果だけで本当に興奮する。即ち文化が異なる民族にそっくり伝わって、フェニキア人の統一性が成立している点だ。即ち、優れた文化や経済は人間をまとめる力があり、生殖とは無関係に、脳のレベルでフェニキア人が拡大したことになる。これに宗教がどのような役割を演じたのかも興味を引く。
カルタゴとギリシャの戦争の例からわかるように、もちろん文化の共有だけで国家を維持していくのは簡単でない。ただ、数百年にわたってこのような都市国家が維持されたことも確かで、それを可能にした要因について、今度は考古学から新しい視点が生まれることを期待する。