1月20日:人間でしかできない統計研究(American Journal of Hypertension及びJAMA Pediatricsオンライン版掲載論文)
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1月20日:人間でしかできない統計研究(American Journal of Hypertension及びJAMA Pediatricsオンライン版掲載論文)

2017年1月20日
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   人間でしか研究できない、あるいは気づかない課題は山ほど存在する。例えば言語能力となると、当然人間でしか研究できないが、それ以外にも哺乳動物共有の性質だが、人間を見ていないと気づかないことは存在する。この様な性質の中には、動物で実験し直せば面白いかもしれない性質がある。今日は最近読んだ中で動物でも実験してみたら面白いと思った2編の論文を紹介したいと思う。いずれも先進国の医療機関が、途上地域に出かけて行ったコホート調査だ。
  最初はカナダ・トロントにあるマウントサイナイ病院が中国瀏陽市で行っている妊娠前から出産後まで追跡するコホート研究の解析からわかった不思議な現象についての報告でAmerican Journal of Hypertensionオンライン版に掲載された。タイトルは「Maternal blood pressure before pregnancy and sex of baby: a prospective preconception cohort study(妊娠前の血圧と生まれた子供の性別:妊娠前からの前向きコホート研究)」だ。
  タイトルを見てわかる様に、妊娠前の血圧が高いほど男の子が生まれる確率が上がるという話だが、最初からこの問題を調べようとしたのではないだろう。2009年から3,000人近い妊娠前の女性をリクルートし妊娠、出産、育児と継続的に様々な項目について調べる研究だ。カナダの研究機関がわざわざ中国に出かけてと思うが、湖南省の瀏陽市では民族的にも環境的にも揃った集団を追跡することができるためだろう。実際、出産年齢も平均25歳と極めて揃っている。こうして得られたデータと、生まれた子供の性別に影響する様々な要因(血圧、喫煙、肥満度、教育、コレステロール値、血糖値)との相関を調べた結果、驚くことに血圧のみ強い相関があるのに気づいている。データに影響する様々な要因を補正して調べると、男性が生まれる確率はオッズ比で血圧とともに比例して上昇、例えば収縮期血圧100で1とすると、120で1.5、160で2.5だ。しかも、妊娠前の血圧のみ相関が見られ、妊娠中の血圧は生まれた子供の性別とは全く相関がない。
  おそらく他の研究で確認される必要があるが、現象としては面白い。しかし今の所理由は全くわからない。これまで、テロの襲撃にあったといった大きなストレスにさらされた女性からは男児が生まれやすいことを示す研究もある。こんな話から、重要な発見があるかもしれない。
   同じ様に、理屈を調べれば重要なことがわかるのではと思った論文がスウェーデンのウプサラ大学からJAMA Pediatricsオンラン版に発表された。タイトルは「Effects of delayed umbilical cord clamping vs early clamping on anemia in infants at 8 and 12 months(臍帯結紮の時間と8、12ヶ月時点での貧血)」だ。
   比較的古くから生後すぐに臍帯を結紮しないで、3分以上待ってから結紮すると子供の血液量は30−40%増え、新生児の血行や呼吸動態をよくすることが知られている。ただ、このグループがスウェーデンで無作為化して臍帯結紮時期を変え、長期効果を調べたところ、早くても遅くても、あまり変化がなかった。一方、発展途上国で行われた研究では、結紮を遅らせると、8ヶ月経った後も貧血が少ないことが示されており、
   この違いを明確にするため、ネパール・カトマンズの病院で、無作為化研究が行われた。方法は徹底しており、臍帯結紮時間をストップヲッチで正確に指示、記録している。出産後8、12ヶ月で貧血を中心に検査を行い効果を確かめている。最終的にはそれぞれ150人程度の子供を追跡できている。
   結果は明確で、8ヶ月時の鉄欠乏性貧血で見ると、早く結紮すると38%、遅く結紮すると22%と多く改善している。その後1年目になると、43%、35%で差は縮まっているが、やはり遅く結紮したほうが良い。
   驚くのは、ネパールではまだ子供の貧血率が高いことだ。実際、8ヶ月より12ヶ月後の貧血率は高くなっている。おそらくスウェーデンで行われた調査で差が出なかったのは、子供の栄養がよく、もともと貧血率が低いからだ。このことから、途上国では間違いなく臍帯結紮を3分間待ったほうがいい。一方、基礎研究側から言うと、幹細胞の数が増えたからだろうと単純に説明しないで、様々な可能性を調べることは、今後途上国の母子衛生に重要な示唆を与えられるのではと思う。
カテゴリ:論文ウォッチ

1月19日:動物のロボット化(1月12日号Cell掲載論文)

2017年1月19日
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   分野を問わず論文に目を通すようになって感じるのは、読者から見たとき脳研究領域が面白いという点だ。もちろん脳の解明は21世紀を超えた最も重要な分野で、何を今更と言われそうだが、この面白さの感覚は、重要性の認識や、新しいことがわかるということとは別の原因があるように感じていた。
   同じことを考えながら今日紹介する、ネズミが餌を追いかけて食べるという一連の過程に関わる脳回路を調べたイェール大学の論文を読んでいるうちに、突然、ずいぶん昔に見たキューブリックの映画「時計仕掛けのオレンジ」が頭に浮かんだ。黒、白、赤が強調された原色の画面と、大音量で暴力シーンに流れるベートーベンの第9交響曲以外の詳細は思い出さないが、この映画の主人公アレックスの暴力性を脳科学的に治療しようとするイメージが、この論文と重なった。そのおかげで、最近の脳科学の面白さの一つの理由が、生きた生物を、機械仕掛けのロボットのように意のままに動かすという研究者の欲望を、光遺伝学をはじめとする様々なテクノロジーが解放したからではないかということに気がついた。
   前置きが長くなったが論文のタイトルは「Integrated control of predatory hunting by the central nucleus of the amygdala(捕食行動は扁桃体中心核により統合的に制御されている)」だ。
   この研究では、ネズミがコオロギを追いかけ、補足し、食べるという一連の動作に関わる神経回路の解明を目指している。これまでの論文なら、行動中の脳活動の記録から始まるのだが、この論文では最初から扁桃体中心核がこの過程をコントロールするとあたりをつけて、中心核のGABA作動性神経を光でコントロールできるマウスを作成し、疑似餌にたいしても補足し噛みつくこと、また本当のコウロギをハントする速度が上がることを示すことから始めている。
   その後、実際の捕食活動での記録、光遺伝学を用いた様々なタイプの神経(GABA 作動性、グルタミン酸作動性)の操作、同じく化学物質を用いた操作をそれに組み合わせる実験などから、扁桃体中心核が、捕食のための首と肩の筋肉の動き、補足後に食べるかどうかの判断など、必要なすべての行動を制御していることを明らかにしている。例えば、扁桃体から網様体へ投射する小細胞性ニューロンは噛みつく動作を抑制しており、この神経を活性化すると、噛み付いて殺す動作が抑えられる(この辺を読んでいたとき突然時計仕掛けのオレンジがひらめいた)。
   詳細は全て省いていいと思うが、一連の動作の促進も抑制も、同じ場所に収束し統合されていることが解剖学的、生理学的に示されている。この様な領域は例えばダマシオらがConvergence-divergence region (CDR)と呼んだ機能領域に一致するが、これを操作して本当にマウスを機械仕掛けの様に動かせるのは圧巻だ。新しいテクノロジーを用いた脳科学も一つのピークに差し掛かった気がする。
   さて時計仕掛けのオレンジに戻ると、映画では人為的洗脳は完全でないことが示唆される。すなわち、暴力性に対抗する良心が生まれるのではなく、暴力性だけが抑制されただけであることがわかる。しかしそんなことにはお構いなく、人間のマインドコントロールに使えないかなどと思い始める権力者がでないとは限らないとちょっと心配になる。
   幸いこの研究グループは脳に限らず広い視野を持っている様で、捕食活動は、顎を持った脊椎動物の進化とともに発生したはずで、これは顎を持たない八つ目ウナギに扁桃体結合が存在しないことから想像できることを議論している。
   今の脳科学が生物を機械の様に動かしたいという研究者の本能を解放したことを考えると、広い視野と倫理性を持つ若者の育成の必要性を実感する。
カテゴリ:論文ウォッチ

1月18日:全能性のES/iPS(1月12日号Science掲載論文)

2017年1月18日
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    Natureに掲載された2報の小保方論文を見たとき、STAPがES細胞と決定的に異なると思ったのは、若山さんがlast authorのletter の方の論文の最初の図に、STAPが胎盤と胎児の両方に分化することが示されていたからだ。私が記憶する限り、このデータは、最初2年ほど前に見せてもらった論文のドラフトにはなかったと思う。この結果は単純にES細胞を注射する実験では得られるはずがなく、当事者からの説明ができていない点だと思っている。
   一般的にES細胞やiPS細胞は胎盤などの胚外組織に分化できないため、多能性(Pluripotent)であっても全能(Totipotent)ではない。このため、この差を生む分子メカニズムは多能性の研究にとって重要な課題だった。
   今日紹介するカリフォルニア大学バークレー校からの論文は、この違いが一つのマイクロRNA、miR-34aによって決められている可能性を示す研究で1月12日号のScienceに掲載された。タイトルは「Deficiency of microRNA miR-34a expands cell fate potential in pluripotent stem cells(miR-34マイクロRNAの欠損は多能性幹細胞の分化能を拡大する)」だ。
   どうもこの発見は、研究の過程でたまたま見つかり、著者らも驚いたといったたぐいだ。もともとmiR-34aをノックアウトすると、iPSの樹立効率が上がることが知られており、これについて深掘りしていたのだろう。ところが、miR-34a欠損iPSからできたテラトーマの中に、胎盤細胞が存在していることに気づき、また同じことは試験管内の培養でも再現できることを発見する。そこで、miR-34a欠損細胞を胚盤胞に移植する実験を行い、まず普通なら内部細胞塊だけに組み込まれるES細胞が、胚外の栄養膜細胞にも組み込まれること、そして分化した胎盤にも注入細胞由来の細胞が見つかることを示している。すなわち、全能性を獲得したES/iPSが樹立されたことになる。
  次に、この全能性が獲得された分子メカニズムの解析に進んでいるが、遺伝子発現の比較では内因性のレトロウイルスMERVLのヒストン修飾がオン型に変わり、ウイルス分子が発現していること以外に明確な違いを見出すことができなかったようだ。ただ、この発現は正常マウス発生でも、全能性を持つ細胞だけに見られることから、たしかにmiR-34a欠損と全能性とが一致することは明確だ。そこでMERVLの発現誘導のメカニズムを探索し、miR-34aの標的GATA2がMERVLの発現調節の必要十分条件であることを示している。
   残念ながら、なぜ全能性が獲得できたのかの完全な答えは得られていない。しかし、この研究としては単一のmiR-34a欠損細胞が両方の組織に組み込まれているという結果で十分なような気がする。この分野にはプロが多くいる。納得いく説明があっという間に出てくるだろう。
カテゴリ:論文ウォッチ

1月17日:翻訳開始の狂いがガンを誘導する(Natureオンライン版掲載論文)

2017年1月17日
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     ガンについてゲノムだけでなく、mRNA,タンパク質、エピゲノムなど総合的なデータベースが構築されつつある。これにより明らかになったことのひとつが、多くのガンでmRNAとタンパク質の発現が一致しないことが明らかになり、ガン遺伝子の発現が翻訳調節プログラムを変化させる可能性が示唆されている。
   今日紹介するロックフェラー大学からの論文は、山中4因子の一つSox2が、これを発現している皮膚ガンや肺ガンの翻訳プログラムを狂わせ、発がんに関わるのではという可能性を調べた研究でNatureオンライン版に掲載された。タイトルは「Translation from unconventionall 5’ start sites drives tumour initiation (普通でない5’非翻訳領域からの翻訳開始が腫瘍の発生を誘導する)」だ。
   この論文は皮膚発生や発ガン研究の第一人者フックスの研究所からで、おそらく皮膚ガンだけでなく、肺がんや、喉頭がんなどの扁平上皮ガン共通に発現し、またESやiPSの多能性維持に必須のSox2自体の機能について調べていたと思う。研究を進めるうちにSox2を発現する基底細胞ではmRNAからタンパク質への翻訳スピードが一般的に低下する一方、リボゾームに結合しているmRNA領域の配列からガンが持つストレス抵抗性に関わる様々な遺伝子の翻訳が選択的に維持されることがわかった。
   翻訳が全般的に低下している中で、発ガンに関わる遺伝子の翻訳が選択的に上昇する原因をさらに探索すると、このようなタンパク質では翻訳開始が通常のAUGサイトより上流へシフトすることが翻訳を構造的に安定化させ、これに呼応して合成されるタンパク質の長さが多様化することが明らかになる。不思議なことに、この5’ UTRへのシフトを示すタンパク質の多くが発ガンに関わることから、扁平上皮ガンではSox2の発現が前癌状態を形成していると結論している。
   次に翻訳の5’UTRへのシフトのメカニズムを明らかにするため、750種類のsiRNAを胎児の羊水から発生中の皮膚細胞に導入するという大変な探索実験を行い、Sox2を発現した細胞では、通常の翻訳開始に関わるEif2αを核にする分子セットの活性が低下し、代わりにEif2Aを核にするセットの活性が高まることが、翻訳全般が低下する中で、一部のmRNAの翻訳が上昇する原因になっていることを明らかにした。
   最後にSILAC法(以前の記事参照:http://aasj.jp/news/watch/827)を用いて、Eif2αからEif2Aへのシフトにより、ガンに直接関わるRASやKi67分子の翻訳が選択的に高まることを示し、Sox2発現、全般的翻訳低下、ガンに関わる分子の選択的翻訳増強、そして発ガンの一連の過程の分子メカニズムについてのシナリオを完成させている。
   特異の皮膚上皮細胞操作技術に加えて、ribosome protected sequencingからSILACに至るまで、最先端の解析手法を用いて、他を寄せ付けない研究といえる。とはいえ、ちょっと結論を急ぐ感があり、またなぜ扁平上皮ガン共通にSox2が発現する意味についてはわからないまま終わった気がする。そして何より、このシナリオのmRNA選択制、例えばiPSでは同じことが言えるかなど、このシナリオを受け入れる前に知りたいことは多い。
カテゴリ:論文ウォッチ

1月16日:クエン酸回路の酵素がミトコンドリアから核に移動して転写開始に関わる(1月12日号Cell掲載論文)

2017年1月16日
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   毎日論文を紹介しようと思い立ってもう2年近くになるが、「今日は読んだ論文が面白くないので紹介できない」という気持ちになったことはない。ほとんど、「どれを紹介しようか?」と悩むぐらい、毎日興味を惹かれる論文が数多く発表されている。17世紀近代誕生以降、おそらく新しい知識を生み出すという点で、結局前進しているのは科学だけという状況になっていると思うのは、科学者の思い上がりだろうか?
   個人的に一番面白い論文は、「どうしてこんなことが今までわからなかったのか?」と思う発見についての論文だ。その典型例が今日紹介するUCLAからの論文で1月12日号のCellに掲載された。タイトルは「Nuclear localization of mitochondrial TCA cycle enzymes as critical step in mammalian zygotic genome activation(ミトコンドリアのTCAサイクルに関わる酵素の核移行は哺乳動物の受精卵のゲノムの活性化に必須のステップ)」だ。
   タイトルにあるTCAサイクルはクエン酸回路のことで、酸素呼吸を行う生物の最も重要な代謝回路と言っていいだろう。この反応は、ピルビン酸がピルビン酸デハイドロゲナーゼ(PDH)によりアセチルCoAになるところから始まるが、全てミトコンドリアの中で行われる(と思っていた)。
   この研究は受精卵が分裂を進める過程の代謝を調べ、最適の胚培養法の確立を目指していたのかもしれない。ピルビン酸の存在しない培地でマウス受精卵を培養すると、2分割して止まる理由を調べるうちに、培地にピルビン酸が存在しないと受精卵の新たな転写が起こらないことが、胚発生が停止する原因であることを突き止める。そこでピルビン酸からアセチルCoAへの経路に関わるPDHやその活性を調節するPDKなどの酵素について調べるうちに、ピルビン酸存在下のみで活性のあるPDHが核に移行し、活性のないリン酸化PDHはミトコンドリアに残ることを発見した。
   ミトコンドリアの酵素が核に移行するという話はこれまでも報告はされているが、初期胚ではクエン酸回路でスクシニルCoAのできる前の段階に関わる酵素の全てが系統的に核移行しており、また完全に胚の新たな転写開始と一致していることから、この移行により核内でクエン酸回路の最初の過程がオペレートすることが必要と結論している。
   次の問題は、この移行の機能だが、ピルビン酸が存在しないとアセチル化H3K4が欠損し、メチル化H3K27も消失することから、ヒストン修飾にクエン酸回路酵素が関わり、ヒストン修飾異常により転写が開始しないと結論している。一方、核移行のメカニズムについては、酵素に糖が付加されシャペロンにより核に移行する可能性をあげている。
  残念ながら、核内移行のメカニズム、転写開始とクエン酸回路をつなぐ分子などについては完全に解明できていないことから、全貌が明らかになったとは言い難いが、ミトコンドリアの酵素が大挙核に移動することが正しいなら、クエン酸回路はミトコンドリアという教科書的話は通用しなくなる。おそらく哺乳動物特異的だと思うが、なぜこんなことが今までわからなかったのかと思うとともに、「真実は細部に宿る」ことを実感する面白い論文だ。もう少し深くこの現象の意味とメカニズムを知りたいと思う。
カテゴリ:論文ウォッチ

1月15日:私たち真核生物の先祖(Natureオンライン版掲載論文)

2017年1月15日
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   現存の地球上の生物は、核膜でDNAを包み込んでいる真核生物と、核膜構造が見られない細菌生物に分けることができ、この細菌をさらに、真正細菌と古細菌に分けることができる。真核生物と細菌類の差は核膜の差にとどまらず、細胞骨格、ミトコンドリアやクロロプラスト、ゴルジや小胞体などの細胞小器官、細胞分裂、そしてクロマチン構造など、ありとあらゆる複雑性が真核生物誕生とともに細胞内に持ち込まれた。この過程にリン・マーギュリスの革命的アイデア内部共生説が関わることは間違いないが(生命誌研究館に書いた記事を参照してください:http://www.brh.co.jp/communication/shinka/2014/post_000008.html)、ミトコンドリアや遺伝子水平移動だけでこの複雑性の全てを説明するには至らない。特に、内部共生が可能になるためには、細胞骨格の発達、ファゴサイトーシス、細胞小器官の移動の調節に関わるメカニズムがどこかで用意される必要があった。
   ゲノム時代に入って、真核生物と細菌類のゲノムの比較から、真核生物が古細菌に近いことが明らかにされ、真核生物は古細菌がαプロテオバクテリアの仲間を取り込んで生まれたと考えられるようになった。2015年に入って、これを裏付けるように、ゲノムレベルで真核生物に最も近く、これまで真核生物にしかないと考えられていた細胞骨格形成や小胞体などの輸送に関わる分子をコードする遺伝子を持つLoki古細菌及びThor古細菌が発見され、内部共生説に至る準備過程が徐々に明らかになってきた。
   もちろんLoki古細菌の発見は、真核生物誕生の新たな疑問を呼び、Loki古細菌類と真核生物のギャップを埋めるための試みが始まった。
   今日紹介するスウェーデン・ウプサラ大学からの論文はこのギャップを埋める新しい古細菌Asgard古細菌類の発見でNatureオンライン版に掲載された。タイトルは「Asgard archea illuminate the origin of eukaryotic cellular complexity (Asgard古細菌は真核生物の細胞の複雑性の起源を明らかにする)」だ。
   この研究のハイライトは、Loki古細菌と真核生物のギャップを埋めるために選んだ方法だろう。細菌というとこれまで培養してから遺伝子を調べないと、どの遺伝子が例えばLoki古細菌に属するのか特定するのは難しかった。しかし、メタゲノム解析と呼ばれる特定の場所に存在する全ての細菌のゲノムの配列を一挙に決定した後、情報処理技術を使って一つ一つの細菌のゲノムを再構築する方法が発達し、細菌が培養できなくともゲノムを比べることが可能になった。この研究では、この方法が使われた。
   ギャップを埋める古細菌を求めて今回、Loki古細菌が見つかったロキ熱水噴出孔をはじめ、イエローストーン国立公園、竹富島の熱水噴出孔まで、世界中から集めた水中堆積物に含まれる全てのDNAの配列を解読している。実際には6880億塩基対(ヒトゲノムの200倍分)の配列を解読し、この中から30億塩基対の長い配列を再構築している。
   さて結果だが、著者らが期待した通り、真核生物特異的と考えられていた多くの遺伝子を持ち、DNA配列上でもLoki古細菌と真核生物を埋める新しい古細菌を発見することができた。Loki, Thorともに北欧神話の神々の名前で、今回新たに発見された2種類もOrdinとHeimdallという北欧神話の名前がつけられた。そしてLoki,Thorを合わせた群を北欧の神々が棲む世界Asgardと命名している。
   新たに発見されたHeimdall, Ordinから得られた進展をまとめると、
1) ゲノム配列を様々な方法で比べ、Asgard古細菌群と真核生物は共通祖先から別れてきた生物で、最も真核生物に近いのがHeimdallである事。
2) これまで真核生物特異的とされてきたほとんどの遺伝子群は、Asgard群全体を探索すると特定できる事、
3) 特に、角膜形成、小胞体のゴルジ体への輸送、他の細胞を取り込むために必要な貪食などに関わる、細胞内膜制御分子が揃っている事、
4) 小胞体輸送に関わる遺伝子群はクラスターを形成してセットになっていること、
5) これまで探し求められていたチュブリンの相同分子が特定できた事、
などをあげる事ができるが、これらはこれから始まる大きな物語の序章に過ぎないだろう。
   真核生物誕生まで、生物の全進化時間のほぼ半分以上が費やされている。なぜ進化は複雑化の方向へ進むのか、遺伝子の水平移動や、細胞同士の合体など、Asgard古細菌群の研究は今後ゲノム研究を超え、実際の進化再現研究へと大きく展開する可能性を秘めている。
カテゴリ:論文ウォッチ

1月14日:文化とリズム感覚(2月6日発行予定Neuron掲載論文)

2017年1月14日
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   個人的興味から、音楽や言語に関わる心理学や、脳科学については今年も積極的に紹介したいと思っている。この領域の研究で最も面白いのは、研究者逹がどのようにして、極めて複雑な音楽や言語の中から一部の要素を取り出し、それを科学的な指標に変えて分析するかという課題の設定だ。この能力は誰もに備わっているわけではない。言語や音楽にかなり専門的な知識がないと、課題の設定どころか、問題設定すら難しい。かくいう私も、自分がこの領域を研究する側に立つことなど想像だにできないが、それでもこのような論文は大変面白い。
   今日紹介するコロンビア大学からの論文は私たちの持つリズム感を科学的に測定しようとした研究で2月6日発行のNeuronに掲載予定だ。タイトルは「Integer ratio priors on musical rhythm revealed cross-culturally by iterated reproduction(音楽のリズムの整数比は繰り返して再現することで文化の違いがわかる)」だ。
   会議などで様々な国の人と一緒になると、私たちの持っているリズム感は生まれつきではなく、文化や訓練により醸成されていることを感じる。私自身はリズム感がない方なので、特に違いを感じることが多い。この研究では、この文化や訓練で獲得されたリズム感を将来科学的に研究できるようにするための方法論の確立を目指している。
   論文を読むと、論調が若々しい。少し気になって著者のJacobyさんをウェッブで調べると、2000年にヘブライ大学数学・物理学科を卒業の若手研究者で、MITでポスドクをした後、コロンビア大学で独立しているようだ。このようなユニークな若手がどんどん活躍できることが、このような分野では重要だ。
   さて研究だが、MRI、脳波計、PETなどの大掛かりな機器は全く使っていない。リズム発生器と、被験者の発するリズムの測定法があればそれで十分。どの研究室でも安価に出来る実験だ。様々な実験を行っているが、タン、タン、タン〜(1:1:2)といったように様々な整数リズム、時によっては非整数のリズムを聞かせながら、それを指のタップでなぞってもらう。その後で、同じリズムを今度は思い出してタップで再現してもらう。場合によっては声でリズムを刻んでもらう。この被験者がタップや声で再現したリズムを著者らがリズムスペースと呼ばれる3次元空間にプロットし、それを2次元表示したものを指標として使っている。
   もともと私たちには文化や訓練によるリズム感が刻まれてしまっているため、初めて聞くリズムをなぞるには慣れが必要だが、繰り返すと被験者がなぞったリズムは、聞かせたリズムの周りの一定の範囲に集まってくる。このパターンは、指タップでも、発生によるリズムでも同じような分布を示す。また音楽家と素人でそれほど大きな差はない。こうしてプロットしたパターンを調べると、どのリズムが被験者にとってなぞりやすいかがわかる。例えば1・1・2や2・1・1、1・2・1などのリズムはアメリカ人がもともと持っているリズム感に近いことがわかる。
  この研究のハイライトは、次に西欧音楽には触れたことのないアマゾンの原住民に同じ実験を行い、プロットのパターンが大きく異なることを示している。アマゾンの原住民は1・1・1 あるいは1・1・2に強くバイアスがかかっており、3・2・3、2・3・3に対して全く反応しないことがわかる。想像通り、リズム感は文化により異なる。ただ、訓練でそれが大きく変化することはないという結論になった。
   話はこれだけで、要するにリズム感の民族差を簡単に計る方法を開発したという研究だ。今後、同じ方法を使って様々な民族が比べられ、それと脳活動との関係が調べられるだろう。しかし、あらゆる研究には、誰もが可能な測定法の開発が必要で、それができたことをNeuronの編集者たちも評価し掲載することを決めたのだろう。この研究者には今後も注目したいと思う。
カテゴリ:論文ウォッチ

1月13日:ヒットラーの医学者達(1月6日号Science掲載記事)

2017年1月13日
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   英国のジャーナリストJohn Cornwellさんの著書「Hitler’s Scientists」は、ヒットラー政権下のドイツの科学とそれを支えた科学者についてのレポートで、読んだ後、科学者が本質的に政権側と一体化する宿命を背負っていることを再認識させる本だ。この本によると、様々な分野の中でも、医師・医学者が最もナチスを熱狂的に支持したようで、ピーク時には驚くことにドイツ医師会員の45%がナチ党員になっている。これは、例えば弁護士会の25%と比べると倍近く、医師達が圧倒的な政権支持基盤を形成していたことがわかる。
   この本はもちろん、ナチスの原爆開発とハイゼンベルグの果たした役割や、毒ガスの開発とドイツの化学などあらゆる分野にわたる本だが、医学出身の私にとってはやはり、当時収容所で行われた人体実験について述べた章が最も印象深く、他人事ではないと深く反省した。
   特に興味を惹かれるのは、ナチスによるユダヤ人大量虐殺の前に、ナチスと科学者が、知的障害や精神障害を持つ人を「Lebensunwertes Leben(生きる価値のない命)」と決めつけ、社会への負担であるとして抹殺する「Rassenhygine(民族衛生)」計画を策定、実行したことだ。この計画を理論的に支えたのは、当時ドイツの指導的精神科学者達で、この中にクレッペリンやアルツハイマーも含まれているのを知ると改めて驚く。
   この民族衛生計画はヒットラー政権下で実行に移され、精神疾患施設や学校では定期的にナチの点検を受け、「AktionT4」と呼ばれる安楽死担当室が設置され、20万人を超えるれっきとしたドイツ人がガス室送りになる。事実、後にユダヤ人大量虐殺に用いられるほとんどの技術はこの時開発されたもので、例えばシャワー室にしつらえたガス室などがそうだ。
   この時、おそらく生体実験は行われなかったと思うが、殺された人たちの一部の脳は、幾つかの研究室に研究材料として提供されている。これも「既に亡くなった人の脳だから使わせてもらおう」というのではなく、わざわざガス室で亡くなるのを待って、新鮮な脳を摘出することが日常行われており、研究者が積極的にこの計画に関わっていたことを示している。
    長くなったが、この恐ろしい民族浄化計画の後日談ともいうべき、ベルリン在住のレポーターMegan Gannonさんによる記事が1月6日号のScienceに掲載されていたので紹介する。タイトルは「Germany to probe Nazi-era medical science(ドイツはナチス時代の医学について調べを始める)」だ。
   記事の内容は、殺された後、数カ所のカイザー・ウィルヘルム研究所(現在のマックスプランク研究所の前身)に送られ、研究に使われた脳標本がその後どう処理されたかの全貌を明らかにするため、マックスプランク研究所(MPG)が再調査を四人の研究者に許可したというニュースについての解説だ。
   話は1980年に遡るが、一人のジャーナリストがHitler’s Scientistでも言及されている神経病理学者Hallervordenが用いた38人の知的障害児に関する標本を発見する。この指摘に対し、MPGは10万にも及ぶプレパラートを儀式を執り行って丁重に葬る。
   その後、当時の研究者がナチスと一体になって研究を行っていたことが明白になったため、MPGは犠牲者に対して歴史的な公式謝罪を行い、全貌解明に動き始める。特に焦点になったのは、戦争の終わった後も研究者が由来を知りながら、標本を使ったのではないかという点だ。事実Hallervordenは戦後国際的に活躍、1953年には神経医学の教科書の共同執筆者として、当時犠牲になったHans-Joachimさんの脳標本を瘢痕回の例として掲載している。
   これをきっかけに2015年、新たな脳切片が発見され、すべての標本が埋葬されたわけではないことが明らかになる。この事実に直面したMPGは、さらに徹底的な調査を行う目的で研究者にすべての資料を開示し、当時何が行われたのかの全容解明に踏み出すことを決める。
   これがレポートの内容だが、これにより当時のMPGと研究者が戦争に巻き込まれたのではなく、積極的に関わったことを示す暗い歴史が明らかになるだろう。これを暴き出すのは、それに関わった研究者を断罪するためではない。私たち研究者自身に潜む「ヒットラーの医学者」を暴き出すためだ。ミレニアムプロジェクトで政府と一体となって再生医学を推し進めた私も、思い当たることも多く、Hallervordenと変わるところはない。この意味で、この決断を行ったMPGには頭がさがる。
   この記事を読んで、我が母校の京大医学部出身、石井四郎指揮下の731部隊を思い出した。おそらく私の先輩たちも731部隊の研究に協力し、標本の一部は京都大学にあるのではないだろうか。一度教授会で議論するぐらいの見識が欲しいと思う。かくいう私もかっての教授会メンバーで、このような議論ができなかったこと真っ先に反省すべきだと思っている。今更遅いのだが。
カテゴリ:論文ウォッチ

1月12日:MRIによる組織学(1月6日Science掲載論文)

2017年1月12日
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    論文の読み方は人によって違うだろうが、私はサマリーをざっと見て、本文を読むかどうか決める。したがって、サマリーがわかりにくいと、本当は素晴らしい話でも、読まずに済ましてしまうこともある。逆に、サマリーが面白いのに、読み始めるとがっかりという論文も多い。最も困るのが、サマリーはよくわかるのだが、本文に入ると自分の理解できない方法が使われている時だ。
   今日紹介するスタンフォード大学からの論文は内容は面白いが、実際に行われている解析については私の理解を完全に超えるケースの典型だ。タイトルは「Microstructural proliferation in human cortex is coupled with development of face processing (大脳皮質の微小構造の増殖が顔認識処理能力の発達と相関する)」で、1月6日号のScienceに掲載された。
   この研究はMRIを用いて子供と大人を比べ、人間の顔の認識機能の発達に呼応した脳の変化を明らかにしようと試みている。この目的で、どの領域が顔の区別や、顔の記憶に関わるかを調べる機能的MRIと最近進歩してきたquantitative magnetic resonance imaging(qMRI)という手法を用いた組織の成分や構造を調べる方法を組み合わせて、顔認識に対応する領域の組織学をMRIを用いて調べている。ただ、この組織学的プロファイルは磁場にさらされたプロトンの緩和状態が水と高分子で異なることの指標となる緩和時間で全て代表されている。
   研究では5−12歳の子供22人、22−28歳の成人25人について、顔と、場所の区別、記憶についての機能的検査を行うとともに、fMRI, qMRIでこの機能に関わる領域、及びその領域のプロトン緩和時間を調べる。プロトン緩和は高分子中のプロトンほど早いので、時間が短くなる(私の理解)。
   結果は、顔認識と場所認識領域は明確に区別できる。それぞれの領域のプロトン緩和時間を測ると、顔認識に関わる領域の緩和時間は、子供の方が明確に大人より長い。一方、場所認識に関わる領域ではこのような差はない。これが結論の全てで、あとは領域と機能との相関の確認など、この結論の検証を行ったデータが中心だ。最後に、緩和時間の変化が、ミエリンに覆われた軸索の増加によるかどうかを調べ、これだけでは説明できないと結論している。また、実際の脳の組織学とも比べて、この緩和時間の変化がミエリンの増加だけでなく、樹状突起やグリアの増殖による変化であると推定している。
   結論的としては、脳の組織学的発達は機能ごとに異なっていること、また発達に伴う組織学的変化は、これまで言われていたようなシナプス結合の整理だけではなく、ミエリンによる被服、樹状突起の増加、グリアの増加などを伴う場所があり、顔認識領域についてはこのような変化が著名に見られると理解していいのだろう。顔認識と、場所認識の発達がこれほど違っているというのは驚きだ。他人の顔色を伺いながら一生を過ごす運命の人間ならではなのか、あるいは他の動物でも同じなのか。さらには自閉症スペクトラムなどではどうなのか興味は尽きない
   物理と数学をマスターしないと方法は理解できず、結局批判的に読むことはできないが、今後脳障害の症例の検討や、組織学的検討が進めば私の頭の整理がつく。しかし、本当なら面白い。
カテゴリ:論文ウォッチ

1月11日:食道癌・胃ガンと単純に2分することの間違い(Natureオンライン版掲載論文)

2017年1月11日
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   我が国では食道癌は圧倒的に男性に多く、発症数は増加傾向という程度で収まっている。一方、欧米では最も増加が著しいガンの一つで、かなり人種による違いが存在している。この原因の一つが、実はこれまで食道癌には胃の近くにできる腺ガンと上部にできる扁平上皮ガンに分けられることが知られており、我が国では圧倒的に扁平上皮ガン、一方欧米では腺ガンが多いためだと考えられる。さらに欧米では食道ガンと並行して胃ガンが増加している。要するに食道にできたから食道ガンとして扱うのではなく、食道から胃へとつながる連続して変化するガンとして扱う必要が認識されていた。
   今日紹介するガンゲノムアトラス国際プロジェクトによる論文は、胃から食道にわたって発生したガン559例で、化学療法や放射線治療を行う前にがん細胞を摘出して、全ゲノム、多型、DNAメチル化、mRNA、miRNAについて解析し、新しい分類の確立を目指した研究でNatureオンライン版に発表された。タイトルは「Integrated genomic characterization of oesophageal carcinoma(食道ガンの統合的ゲノムによる特性)」だ。
   これまで明らかにされたいたように、食道ガンでも腺ガンと扁平上皮ガンはゲノム上でも組織学的にも完全に分類できる。これをさらに分類可能か調べ、最終的に1−3型に分けられることを示しているが、ほぼこれまでの腺ガン、扁平上皮癌の分類で足りるように思える。また予想通り食道ガンのタイプと人種との関係は明確で、アジア人は1型、欧米人は2型が多く、3型はアメリカ、カナダにだけ存在している。これに生活習慣が加わり、かみタバコが普及しているベトナムではタバコによると見られる変異が強く見られるが、普通のタバコの影響はそれほどではない。日本人もそうだが、1型の場合はアルコール処理酵素の欠損と強く相関している。
   この研究のハイライトは、胃ガンを、EBウイルス感染、マイクロサテライトの不安定性、染色体の不安定性、ゲノム全体の不安定性から4種類に分類し、この中の染色体不安定性を示す胃ガンと2型の食道ガン(腺ガン)のゲノム変異、遺伝子発現、メチル化DNAの分布などが極めて似ていることを明らかにしている。また、2型食道ガンにも染色体不安定性がみられる。
   以上の結果から、食道ガンと胃ガンという単純な分け方ではなく、境界に発生する腺ガンは染色体不安定性を持つ共通のガンとして扱って、他のタイプとは分けて治療や予後予測を行うべきだと提案している。
   食道から胃にかけての正常組織学から考えても当然の結果で、やはりガンのゲノムや遺伝子発現をしっかり調べた上で治療方針を立てることの重要性を示す結果だと思う。今後は、予後も含めさらに臨床に利用できるデータが発表されるのを期待する。
カテゴリ:論文ウォッチ