6月14日:多発性硬化症への自己幹細胞移植治療(6月9日The Lancetオンライン版掲載論文)
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6月14日:多発性硬化症への自己幹細胞移植治療(6月9日The Lancetオンライン版掲載論文)

2016年6月14日
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  多発性硬化症(MS)は、引き金になる原因は不明だが、自己反応性のリンパ球により神経軸索を囲む髄鞘が攻撃され、ミエリンが剥がれていく病気で、神経伝達の伝達障害に起因する様々な症状がでる。現在は免疫抑制剤、抗炎症剤などリンパ球を標的にした治療が行われ、また活発に新薬が開発されている疾患だが、完治の決め手は残念ながらない。このため、患者の免疫システム全体を移植によりリセットできないかという試みが、特に治療抵抗性で進行性のMSに対して行われてきた。
   今日紹介するカナダオタワ病院からの論文は自己幹細胞移植によりなんと7割の患者で病気の進行が止まったことについての報告でThe Lancetオンライン版に6月9日掲載された。タイトルは「Immunoablation and autologous haemopoietic stem cell transplantation for aggressive multiple scleraosis: a multicentre single-group phase 2 trial (進行性の多発性硬化症に対する免疫除去と自己幹細胞移植治療:他施設単一群第2相治験)」だ。
   実は同じような試みは繰り返し行われてきた。著者らはこれまでの方法の効果が一時的で終わったのは、病気の原因となっている免疫系を完全に叩けていないと考え、徹底的な免疫細胞除去プロトコルを採用している。すなわち、ブスルファンを6時間ごと16回、サイクロフォスファマイドを4日間、それに加えてウサギを免疫して作成した抗ヒト胸腺抗体を投与して免疫系を徹底的に叩いた後、前もって凍結していた患者さんの血液幹細胞を投与するプロトコルを採用している。
  ブスルファン、サイクロフォスファマイドは抗がん剤で当然強い副作用が出ることから、患者さんの選択は厳しい基準で行い、これまでの治療に抵抗し、万策尽きたケースを選んでいる。最終的に治療にこぎつけたのは24人で、そのうち21人が3年間の治験を終え、また13人はその後の経過をフォローしている。
  もちろん、幹細胞調整時や、徹底的な免疫抑制による強い副作用が出るものの、全員末梢血から調整した自己幹細胞移植により免疫系は回復している。
   この徹底した治療は、予想を上回る結果につながっている。実に70%の患者さんで3年間MSの症状が再発することなく経過している。また、MRI検査でもMSによる障害像が全く消失しており、ミエリンの修復が進んでいることがわかった。   一部の患者さんでは、運動失調、眼振の消失が見られ、16人の患者さんは職場や学校に復帰し、なんと5人は結婚に至ったと誇らしげに報告している。他にも様々な検査をもとに、この治療法は進行性のMS患者さんの最後の治療法になりうると結論している。
   7割の方が3年間全く再発なしに生活を送るというのは確かに画期的だ。最後に苦しい治療ではあっても治る方法があることを知れば、患者さんたちも安心して今の治療を続けられる。是非より大規模な治験が行われることを望む。もちろん治験としては単一群で問題があるとする向きもあると思うが、これまでのMS治療について積み上がった経験があれば、私はこの治験はずっと単一群でいいような気がする。
カテゴリ:論文ウォッチ

6月13日:腸の幹細胞を守るクリプト構造(6月16日号Cell掲載論文)

2016年6月13日
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   最近急速に進む腸内細菌叢の研究から、細菌叢はその中に存在する一部の菌の合成する単鎖脂肪酸を介して私たちの体の細胞に多様な影響を及ぼすことがわかってきた。例えば9月6日号のNatureにはエール大学のグループが、細菌叢が合成する酢酸塩が副交感神経細胞刺激を介してインシュリン分泌など体の代謝を肥満の方向へ変化させるという研究が発表されていた(Perry et al, Nature 534:213, 2016)。一般的に細菌叢の合成する単鎖脂肪酸は体に良い働きをすると思われているが、酢酸塩合成細菌も実際食べ物が少ない時代には、しっかりと栄養を身につけるための重要な刺激として私たちと共進化してきたのだろう。しかし、同じ機能は飽食の時代には肥満の原因になる。
   酪酸も細菌叢が合成する単鎖脂肪酸で抑制性T細胞の分化を促してアレルギーや炎症を抑える効果が注目されている。今日紹介するワシントン大学からの論文は、同じ酪酸が腸管の幹細胞の増殖を抑制し、高濃度では細胞死を誘導することを示し、そのメカニズムを明らかにした研究で6月16日号のCellに掲載された。タイトルは「The colonic crypt protects stem cells from microbiota derived metabolites (大腸のクリプトは細菌叢由来の代謝物から幹細胞を守る)」だ。
   この研究は最初から細菌叢が分泌する探査脂肪酸の大腸の幹細胞への影響に絞って実験を行っている。まず試験管内で幹細胞から形成させたオルガノイドに様々な単鎖脂肪酸を作用させ、酪酸のみ幹細胞の増殖を阻害することを明らかにした。ただ、これは試験管内での話で、マウスに酪酸を投与しても、幹細胞に強い影響は見られない。したがって、体の中では幹細胞は細菌叢の合成する酪酸から守られている。著者らは、大腸のクリプトと呼ばれる大腸組織の奥深くに入り込んだ上皮構造が、クリプトの底辺にある幹細胞を守っているのではと考え、クリプトの存在しないゼブラフィッシュに酪酸を投与する実験、あるいは組織を障害して幹細胞が露出するような実験系を用いて、クリプトが幹細胞を酪酸の作用から守っていることを明らかにしている。
  次にクリプトによる酪酸解毒作用のメカニズムを調べ、アシルCoAデヒドロゲナーゼがクリプト細胞内で酪酸を分解し、エネルギーとして使ってしまうことを示した。
  最後に、酪酸が幹細胞の増殖を抑制するメカニズムを調べ、Foxo3転写因子の標的遺伝子への結合を直接的に高めることが細胞増殖の抑制のメカニズムであることを示している。Foxo3は幹細胞を静止期に止める分子であることから、納得できる結果だ。
   以上、酪酸は直接Foxo3に働いてFoxo3のDNA 結合活性を高めて、幹細胞の増殖を抑えるが、この作用はクリプトの上皮細胞が酪酸を代赭分解することで、防がれているという結果だ。
   しかし、解毒できるにしても幹細胞の増殖という重要な機能を抑制する酪酸を合成する細菌叢がどうして維持されるのか不思議だ。これに対し、著者らは組織障害時に幹細胞が完全に消失するのを防ぐため、酪酸が増殖を抑え組織を守るとする考えを提案している。このような複雑な関係の成立は、今後腸内細菌叢と私たちの体が共に作用しあって進化する共進化過程の重要な課題になることを示唆している。
カテゴリ:論文ウォッチ

6月12日:神経性食思不全の思考回路(Translational Psychiatry発行予定論文)

2016年6月12日
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   以前述べたが、京都大学に移ってから雇った最初の秘書が神経性食思不全だった。秘書をしてもらいながらなんとか立ち直ってもらいたいなどと、甘い考えで雇うことにしたが、励ましたり、暖かく接することで治るような簡単な病気ではなく、結局体重の低下が止まらず、仕事を続けることができなかった。その時から、この病気の患者さんの食事に対する思考回路には興味がある。
   今日紹介するパリ聖アン病院からの論文はこの病気の患者さんが痩せることについてどう考えるのかを調べた研究でTranslational Psychiatryに掲載予定だ。タイトルは「Higher reward value of starvation imagery in anorexia nervosa and association with Val66Met BDNF polymorphism(神経性食思不全症で見られる飢餓状態に高い価値を求める気持ちとBDNF Val66Met多型との連関)」だ。
  どのように体型に対する思考回路を調べるのかと最も興味のあるところだ。この研究では71人の神経性食思不全(AN)の患者さんに、BMI12-16の瘦せ型から26-36の肥満の女性の裸の写真を見せて、自分がその状態にあるとしたらどう思うかを4段階に評価させるとともに、皮膚の電導性を測定している。素人にも納得できる課題だ。結果だが、AN患者さんは正常人と比べると瘦せ型に対する評価が高く、肥満型に対する嫌悪感を示す。実際平均評価でいうと、瘦せ型に対する評価がANで2.7、肥満に対する評価が1.9と瘦せ型の方が評価が高いが、正常人では逆に1,6と2.6と逆転している。予想通り、太るより痩せる方に好感を持っている。また、同じ写真に対する反応を皮膚の電導性で調べると(いわゆる嘘発見器)、やはり反応が正常人の反対で、ANでは見せられた写真の体重に反比例して高い電導性を示すが、正常人は正比例している。また、ANの方では、電導性の絶対値が高い。
  この結果は、AN患者さんの客観的評価方の一つとして、皮膚電導性を使える可能性を示唆している。そこで最後に、ANと相関するとされてきたSNPの一つBDNF遺伝子の多型と皮膚電導性の相関を調べて、この多型は正常人での皮膚電導性反応と全く相関しないが、AN患者さんではMet型の場合電導性が明確に高いことを明らかにしている。
  少しわかりにくいかもしれないが、これらの結果から、瘦せ型に対する好感度を持つAN状態を背景に、この遺伝子多型が身体反応を高め、症状を促進する因子として働いているという結果だ。
  特に新しい方法を使っているわけではないが、地道に患者さんの評価法を開発しようとする意図がはっきり見えた論文で、ANを理解しようと苦労している様が伝わってくる。
カテゴリ:論文ウォッチ

6月11日:ニコチンの胎児への影響(Nature Neuroscience掲載予定論文)

2016年6月11日
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   妊娠中に何を食べていいのか、何を避けるべきなのかはお母さんたちにとって最も重大な関心事だが、通常の生活で実際何を口にしているのか全て把握するのは難しい。何れにしても、これまでの研究で害を及ぼすことが明らかな嗜好品などは絶対に避けることが必要だ。中でも、アルコールとタバコについては、これまでも胎児発生への影響が詳しく研究されている。
  これまでタバコはニコチンを介して直接胎児神経細胞に急性の影響を及ぼし、発生異常を引き起こすと考えられてきた。今日紹介するエール大学からの論文は、ニコチンの害はこれだけにとどまらず、ニコチン刺激自体が染色体の構造を変化させて脳の遺伝子発現を長期にわたって変化させることを明らかにした研究でNature Neuroscienceに掲載予定だ。タイトルは「A epigenetic mechanism mediates developmental nicotine effects on neural structure and behavior(ニコチンはエピジェネティックな機構を通して脳の構造や行動に影響する)」だ。
  この研究は、ニコチン摂取させた妊娠マウスから生まれた胎児に明確な脳解剖学的異常と行動異常が見られるという従来の結果が発端になっている。細胞学的に調べると、神経軸索のスパインと呼ばれる神経伝達構造が減少している。これらの異常は、従来ニコチンの急性毒性によると考えられていたが、この研究ではニコチン刺激が、エピジェネティックメカニズムを介して生後の神経細胞の遺伝子発現を変化させているのではないかと疑った。そこで妊娠時にニコチン摂取させた母親から生まれたマウスについて生後21、90日目で脳を採取、発言が変化している遺伝子を探索している。この実験により18種類の大きく発現が変化する遺伝子が見つかっている。この中で最も発現が高まっていたのが、ヒストンメチル化に関わるAsh2lで、ついに急性反応と慢性反応をつなぐ糸口が見つかった。
  次にニコチンシグナルが直接Ash2l遺伝子を誘導し、その後様々な遺伝子の長期的発言異常を誘導できるか培養神経細胞を用いて検討し、ニコチン刺激で、Ash2lと神経発生のマスター遺伝子Mecf2がまず誘導され、Mecf2により様々な神経発生に関わる遺伝子が活性化されたところに、Ash2lの作用でこれら遺伝子のプロモーターがon型にヒストン修飾され、長期の脳機能の異常が維持されるというシナリオを導き出している。
   エピジェネティックス機構の研究としては、わりと平凡な研究だが、Ash2lなどヒストンメチル化酵素がニコチン刺激で誘導されるという結果は重要だと思う。もしニコチンで誘導できるなら、他の神経刺激でも誘導できるはずだ。一方、神経刺激も記憶など長期の効果を持つとすれば、当然生後もこのようなメカニズムを使って遺伝子発現を制御していていいように思える。今後注目したいと思う。
カテゴリ:論文ウォッチ

6月10日:tRNA発現分布の歪みとガンの悪性化(6月2日号Cell掲載論文)

2016年6月10日
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   生命科学の学生なら誰でも知っているが、アミノ酸と対応する塩基配列をコドンと呼んでいる。このコドンがどうして決まったかは、生命誕生を考える上で最も面白い問題で、幾つかの可能性は生命誌研究館のウェッブサイトに連載している「進化研究を覗く」(グーグルでこのままインプットしてもらうとトップにくるはずだ)にも書いている。ただコドンとアミノ酸は1:1の関係にあるのではなく、一つのアミノ酸に2−4種類のコドンが存在している。例えば今日話題になるグルタミン酸ではGAA,GAGの2種類のコドンが対応する。したがって、一つのアミノ酸に2種類以上のtRNAが使われ、翻訳時には何十種類ものtRNAが使われる。翻訳過程を考えるとき、通常それぞれのtRNAの量のバランスについて考えることはない。必要十分量存在していると勝手に想像している。また、気になったとしても、それぞれのtRNAの量を測るのは簡単でないため、実際バランスがどうなっているかあまり調べられたことはなかった。
   今日紹介するロックフェラー大学からの論文は、各tRNAの発現量のバランスを正確に測ることで、このバランスの歪みがガンの悪性化につながることを示した論文で6月2日号のCellに掲載された。タイトルは「Modulated expression of specific tRNAs derives gene expression and cancer progression (特定のtRNAの発現変化は遺伝子発現とガンの進展を促進する)」だ。
   この研究のハイライトは、tRNAの発現量を測る方法を開発したことだ。一般の方には耳慣れないことだろうが、tRNAには様々な修飾が加えられており、またヘアピン構造など複雑な2次構造を持っているため、逆転写酵素でcDNAを作ることは簡単ではなかった。この研究では、2本の長いDNAをtRNAとペアリングさせた後、残った切れ目をリガーゼで結合させることで、逆転写酵素を使わずアンチセンスcDNA鎖を合成するという凝った方法を開発し、各tRNAの発現を測定できるようにしている。この方法の開発がこの論文のほぼ全てと言っていい。
  後はこの方法を用いて、様々な乳がん細胞を調べ、ガンではtRNA発現のバランスが大きく歪んでいることを発見する。なかでも、UUC-tRNA(グルタミン酸)、CCG-tRNA(アルギニン)のアンチコドンを持つtRNAの発現がガンだけで上昇していることが明らかになった。実際のガンで調べても同じ傾向がみられる。そこで、これらのtRNAの発現を上げたり下げたりしてガンの悪性度を調べると、これらのtRNAが上昇するとガンの悪性度が上昇することがわかった。 
   この結果は、mRNAがGAAのコドンを多く使ってグルタミン酸をコードしている場合に、タンパク質の翻訳量が上昇することが予想できる。すなわち、発現が上昇したtRNAに対応するコドンを多く持ったmRNAの翻訳が上昇することで、一部のタンパク質の発現が上昇する可能性を示唆する。そこで、これらtRNA上昇と並行して上昇するタンパク質を探索、EXOSC2,GRIPAP1分子の発現が特に強く上昇していることを見出している。最後に、それぞれの分子とガンの悪性化との関わりを調べ、EXOS2,GRIPAP1分子の発現をノックダウンすると悪性度が減少することを示している。
  他にも、実際にこのタンパク質発現の変化がコドンの分布の違いであることなどを証明するために詳細な実験が行われているが、紹介は省いていいだろう。
  残念ながら、なぜtRNAの発現が歪むのかについては不明のままだが、意外な可能性を学ぶことができた、面白い論文だった。
カテゴリ:論文ウォッチ

6月9日:ダウン症治療のための茶カテキン(The Lancet Neurology7月号掲載論文)

2016年6月9日
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   ダウン症候群は21番染色体の数が3本になるトリソミーが原因の発達障害で、全世界に500万人の患者さんがおられる。この病気が原因でおこる様々な症状や二次疾患については治療法が存在するものの、脳機能の発達障害に対する治療はこれまで存在せず、様々な教育プログラムで発達を促すことがこれまでの治療の中心だったが、その効果は大きくない。ところが最近になって緑茶の成分カテキンのうちepigallocatechin-3-gallate(EGCC)が21番染色体上のdual specificity tyrosine phosphorylation regulated kinase 1A (DYRK1A)活性を阻害でき、マウスモデルで学習や記憶を促進させることが明らかになり、脳機能に直接作用する薬剤がついに現れたのではと期待が高まっていた。
  今日紹介するスペインバルセロナ・ポンペウ大学からの論文は、平均23歳のダウン症成人の脳機能障害を、EGCCと従来の学習プログラムを組み合わせて治療する臨床治験研究で7月号のThe Lancet Neurologyに掲載された。タイトルは少し長いが、「Safety and efficacy of cognitive training plus epigallocatechin-3-gallate in young adults with Down’s syndrome: a double blind randomized placebo-controlled phase 2 trial (ダウン症若年成人での認知トレーニングとEGCCの安全性と有効性:二重盲検無作為化第2相治験)」だ。
  既に述べたが研究では89人のダウン症若年成人をリクルートし、完全に無作為化してEGCC+脳トレーニングと偽薬+トレーニングの2群に分け、12ヶ月間週3回程度の脳トレーニングを続けるとともに、片方にはEGCC600mg、もう片方は米粉の入ったカプセルを毎日服用させている。6ヶ月、12ヶ月目に様々な脳機能を調べるためのメンタルテスト、MRIによる脳結合検査、自己申告による生活上の改善につて調べている。
  使われたメンタルテストについて知識がないので著者らの結論をそのまま受け入れるしかないが、記憶、行動性、学習能力、適応性などあらゆる項目について機能低下を抑えることができている。一方、自己申告による生活の質などは変化がなかった。   何よりも驚くのは、このような検査結果に加えて、MRIを用いた脳領域間の結合を調べる検査で、神経結合が保たれることで、メンタルテストの結果が解剖学的基盤を持っていることがわかる。
  副作用については偽薬群と変わりはないが、トクホ飲料でも宣伝しているようにコレステロールを下げる効果はあるようだ。
   今後は、様々な時期にEGCCの効果を調べる治験が必要だが、期待が持てる結果だ。茶カテキンの思わぬ効果と言っていいだろう。ただ、もしEGCCがDYRK1A機能を抑制することで効果があるなら、正常の人が茶カテキンを大量に服用した時、コレステロールだけでなく脳にも影響が出る心配がある。ダウン症の場合DYRK1Aの機能は1.5倍に上がっているため、抑制も意味があるが、EGCCが脳血液関門を通る以上、正常人の脳機能への長期効果は調べておいたほうがいいと思う。
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6月8日:テロメアが伸びた細胞の運命(Nature Communications DOI: 10.1038/ncomms11739掲載論文)

2016年6月8日
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原核細胞が進化し線状のゲノムをもつ生物の誕生の際、染色体のが短くなって遺伝子が失われないようにするメカニズム、テロメアが生まれた。テロメアは、各染色体の両端に存在する繰り返し配列で、断端がDNA修復により他の染色体と融合したりしないよう厳重に守られるとともに、幹細胞ではテロメラーゼが発現し、短くなったテロメアを元に戻して、細胞分裂が続くようにできている。これまでこのテロメア機能を調べるため、テロメラーゼや断端保護に関わる分子を操作した細胞やマウスが作られてきたが、人為的にテロメア自身が長くなった細胞の体内での運命を調べた研究はあまり見たことがなかった。
  今日紹介するスペイン国立ガン研究所からの論文はテロメアの長いマウス細胞を作成する方法を開発して、その細胞の生体内での振る舞いを調べた研究でNature Communicationsに掲載された。タイトルは「Generation of mice with longer and better preserved telomeres in the absence of genetic manipulations(遺伝子操作なしに長いテロメアが維持されたマウスを作成する)」だ。
   この研究はマウス細胞のテロメアの長さが内部細胞塊時期の未分化細胞の分裂時に形成されるという独自の発見からスタートしている。内部細胞塊に対応するES細胞を培養し続けるとテロメアが長くなるかどうか調べると、数回分裂することで通常より長いテロメアを持ったES細胞ができるが、一定の長さに達するとテロメア断端を守るシェルタリン分子の発現が低下し、それ以上長いテロメアができるのを防いでいることが明らかになった。
  次にこうしてできた長いテロメアを持った細胞を胚盤胞期のマウスに注入して、長いテロメアと正常のテロメアが混在するキメラマウスを作り、両者を比べることで長いテロメアがどのような影響を持つか調べている。このようにテロメアの長い細胞を作るために全く遺伝子操作が行われていないことがこの研究の一つの売りになっている。
  さて、長いテロメアを持つことの意味だが、悪い作用はあまりなさそうだ。例えば複製のしにくいテロメアが長いとDNAが障害される心配があるが、障害の程度が異常に上昇することはない。逆に、老化とともに上昇するDNA障害によるテロメアの脆弱性が抑えられる効果がある。とはいえその効果は相対的で、正常の2倍程度の長さだと、体のあらゆる細胞へと分化し、組織で機能できると結論していいのだろう。
  気になる幹細胞機能だが、正常に機能するだけでなく、正常テロメア長の幹細胞より増殖能が高い傾向にある。実際修復機能が高まっている。
  ではガンになりやすいか調べると、正常テロメア長の細胞と比べて特に変化がないという結果だ。
  話としてはこれだけだが、これまでテロメラーゼなどを操作した細胞で研究されてきた結果とは異なる面白い研究だと思った。残念ながら、長いテロメアだけからできたマウスについては全く触れておらず研究は全てキメラで行われている。ひょっとしたらびっくりする話が待っていて、あえて隠しているのか、あるいは技術的に難しいのか?実際このストーリーが正しいと、ES細胞からできたマウスは全てテロメアが長くなっているはずだ。例えば、生殖細胞ができるときにテロメアの長さが元どおりになることも考えられる。本当にテロメア長が2倍のマウス系統ができるのか?おそらくできないのではと思うが、期待して待っておこう。
カテゴリ:論文ウォッチ

6月7日:社会階層化の遺伝学(5月31日号米国アカデミー紀要掲載論文)

2016年6月7日
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  昔から家柄の釣り合わない結婚は、悲喜劇の背景として小説や映画の題材になってきた。社会の階層化が進むと、同じ階層同士の結婚によりこの差が拡大生産される。特に著しい経済発展を遂げた20世紀は、格差が拡大しやすい。
   この変化は様々な分野に及ぶ。例えば私が学生の頃、医学部の同級生の半分以上は公立高校出身だった。ところが20年後、今度は教授会入試判定会議に出てみると、京大医学部に入学する学生の9割以上が私立高校出身者で占められているのを知って驚いた。
  社会の隅々でこのような変化が重なり格差が拡大するとともに、この格差が結婚行動を縛り始めると、こんどは格差が遺伝的差異として固定されていく可能性がある。実際フィクションの世界では、この遺伝的差異に裏付けられた階層の話は繰り返し題材になってきた。しかし、社会階層が実際に特定のゲノムレベルの差異に反映されているかどうか調べた研究はまだ多くない。
   今日紹介するニューヨーク大学社会学教室からの論文は、米国でのヒスパニック以外の5000人近い白人の夫婦を対象に、この20世紀の社会的変化が階層同士の結婚を通して遺伝的な分離を引き起こしていないか、またその分離が子供の数の変化につながっていないか検討した研究で、5月31日号米国アカデミー紀要に掲載された。タイトルは「Assortive mating and diffential fertility by phenotype and genotype across the 20th century (20世紀を通じた形質と遺伝型による選択的結婚と生殖能力の差異)」だ。
  この研究では、相関する遺伝的多型(SNP)データが蓄積されている、身長、BMI、うつ病の有無などの形質をスコア化するとともに、各形質のSNP リスク計算データから、特定の形質を持つ遺伝的確率をスコア化した指標として算定し、結婚がどれだけ形質や遺伝的背景に縛られるか調べている。また、1919年から1955年生まれの対象について、年齢別にこれらの指標を調べ、形質や遺伝型により結婚が影響される傾向が20世紀にどう変化したのかを調べている。
  結果だが、まず最終学歴、身長、BMI、うつ病の全てで、これらの条件が、形質的にも、遺伝的にも結婚相手の選択に影響していることが明らかになった。最終学歴と身長に対応する遺伝指標については、特に強い影響が認められる。
   一方、20世紀を通したトレンドの変化を見てみると、最終学歴、身長、BMIの伴侶選択への影響が時代とともに強くなっているのがわかる。
   ところが、遺伝指標のスコアを年度別に比べてみても、身長に対応する遺伝指標を除いてほとんど変化がない。すなわち、形質自体は結婚に影響しても、これが遺伝的分離をもたらすまでは至っていないことがわかる。
  次にこの4種類の形質と、子供の数との相関を調べると、学歴とははっきりと逆の相関を示す。すなわち高学歴ほど子供の数は少ない。次に夫婦のSNPデータから計算される遺伝指標と子供の数を相関させると、はっきりした負の相関が見られるのは学歴に対応する遺伝指標だけで、身長、BMIに対応する遺伝的指標では逆に弱い正の相関が見られる。最後に、遺伝的分離が少子化という20世紀のトレンドに影響しているのか調べ、遺伝的背景の影響がもしあるとしても弱い影響しか認められないと結論している。
  以上をまとめると、学歴や身長という形質自体は結婚の条件として階層化に関わっており、時代とともに影響は強くなっている。またこれと並行して少子化が特に高学歴層で進んでいることは確かだが、これが遺伝的な分離に発展するところまでは至っていないという結論になる。
  いつかこのような格差の遺伝背景を調べる論文が出ると思っていた。しかし格差が遺伝的差異がとして固定されるのではという懸念を一応否定するホッとする結果だが、示されたデータには、有意差はなくとも弱い相関が見られるので、気にかかる。さらに長期の調査が行われば結果が変わる可能性も残っている。結局この問題に対しては、遺伝的分離を心配するより先に、格差社会を解消するための処方箋を見つけることが肝心だと思う。
カテゴリ:論文ウォッチ

6月6日:都市の工業化に伴い発生した工業暗化の原因(6月2日号Nature掲載論文)

2016年6月6日
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   マンチェスター市が工業化して街がすすけた時、本来は黒い斑点を持っていた蛾の一種のオオシモフリエダシャクが、すすけた街の色に適応した真っ黒の羽を持つ蛾へと急速に変化した「工業暗化」の話はあらゆる生態学の教科書に記載されている。この工業暗化突然変異が優勢になった原因は、すすけた街で鳥の攻撃から身を守る適応と説明されている。その後、街の環境が戻るにつれて真っ黒の羽の蛾の割合は急速に低下し、現在ではまたマイノリティーに戻っている。この迅速な適応進化の遺伝的背景の解明が試みられてきたが、完全に原因を特定するには至らなかった。
  今日紹介するリバプール大学からの論文はこの工業暗化突然変異がトランスポゾンの挿入であることを特定した研究で6月2日号のNatureに掲載された。タイトルは「The Industrial melanism mutation in British peppered moths is a transposable element (英国のオオシモフリエダシャクの工業暗化突然変異はトランスポゾンだった)」だ。
   この論文以前の遺伝的研究から、工業暗化突然変異は17番染色体上の400kbの領域まで絞り込まれていたが、現象を到底説明できるレベルではなかった。この研究では従来の遺伝学的方法で100Kbにまで絞り込んだ後、BACやフォスミッドと呼ばれる大きな領域を含む黒い蛾のゲノムライブラリーをもとに、工業暗化を示すほとんどの蛾で見られ、正常の蛾には存在しないトランスポゾンの挿入がcortexと呼ばれる遺伝子の第一イントロンに存在することを特定した。
   この挿入は2型のトランスポゾンが2+1/3回繰り返されたもので、それ自身は転写されない。従って、cortex遺伝子の発現量を変化させることで、工業暗化を促進していると考えられる。
   この点を確かめるため、cortex遺伝子発現を発生段階で調べると、もともと羽が発生する時期に発現が上昇するcortex遺伝子の発現レベルが、トランスポゾン挿入によりさらに高まることが明らかになった。このcortex遺伝子はショウジョウバエの卵巣での細胞周期に関わることが知られていることから、おそらくこの遺伝子発現が羽の発生時期に促進されることで工業暗化が送るのだろうと結論している。
   この工業暗化を誘導したトランスポゾンは、その後集団内で交配を繰り返しながら組み換えが起こることで、現在では挿入が多様化している。この多様化の程度をもとに、工業暗化したポピュレーションの移り変わりを計算すると、都市の工業化が起こる1600年から挿入が存在し、1800年代に都市化とともに急速に増加したことがわかる。
   残念ながら、cortexの発現量が工業暗化を誘導できることの完全証明とまでは行っていないが、200年にわたって研究されてきた工業暗化の原因はついに特定されたと言っていいだろう。4月30日ダーウィンフィンチのくちばしの多様性を決めるHMGA2遺伝子の研究について紹介したが(http://aasj.jp/news/watch/5170)、ダーウィン時代から研究が続いてきた進化の謎がまた一つ明らかになった。
カテゴリ:論文ウォッチ

6月5日:着用型人工腎臓(6月4日号JCI Insight掲載論文)

2016年6月5日
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   日本透析医学会によると、我が国の透析患者数は32万人を超えているようだ。この数の患者さんをカバーできるだけの透析施設が存在しているが、地震などの大災害では、施設の損害や、水不足などで施設が使えなくなり、患者さんも他県の透析施設の利用を余儀なくされる。もし施設に頼らず透析が可能なら、患者さんへの恩恵は計り知れない。
   これも結局は無い物ねだりかと思っていたら、6月4日号のJCI Insightになんと身につけたまま血液ろ過が可能な着用型人工腎を開発して臨床治験を行ったUCLAからの論文が掲載されていた。タイトルは「A wearable artificiall kidney for patients with end-stage renal disease (最終段階の腎不全患者さんのための着用型人工腎臓)」だ。
   透析は、血中に蓄積した尿酸を半透膜を介して透析液に移行させることで除去するのが原理だ。このため、透析で尿素を除去するための大量の透析液が必要で、どうしても小型化することは難しかった。
  この問題に対してこの研究では、これまでの透析法の代わりに、まず血液を尿素分解するウレアーゼを含むカラムを通過させて、アンモニアと炭酸ガスに分解する。続いて、発生したアンモニアはジリコニウムのカラムに吸収させ、炭酸ガスは外部に逃すことで血中の尿素を除去している。これに加えて、活性炭素カラムを使って他の老廃物を除去する仕組みを持った機械を開発している。論文に写真が掲載されているが、この透析機は大人のウエスト周りに全て装着できる大きさだ。おそらく透析患者さんが見たら驚かれると思う。
  次に、この機械の安全性と効率を確かめるため、腎不全患者さんをリクルートし、その中から条件にあった7人を選んで、この装着型透析機を24時間装着させてその安全性と効果を調べている。7人の患者さんは安全のために全員入院させて機械を装着させている。
   さて詳細を省いて結論だけを述べると、24時間ではあるが、通常の透析機と比べても、尿素やクレアチニン除去ができており、血中の老廃物の量も一定に保たれたという結果だ。
  24時間ではほとんど副作用は見られなかったが、最終産物である炭酸ガスの排気は完全でないことが改良点として見つかっている。実際この治験中も、患者さんが手動で排気をしなければならなかったことが多々あったようだ。この意味で、さらに長期の治験を行うにはまだ時間がかかりそうだが、原理的に人間に使える着用型人工腎ができたことは確かで、装着型人工腎が一歩一歩実現に近づいていることを示すことができている。そして何よりも、24時間だけだったとはいえ、着用型人工腎を使ってみた患者さんのほとんどが、人工透析より生活の質が向上したと答えている。実現もそう遠くないと思うので、期待したい。
カテゴリ:論文ウォッチ