9月5日 パーキンソン病を寝ている間に診断する(8月22日 Nature Medicine オンライン掲載論文)
AASJホームページ > 新着情報 > 論文ウォッチ

9月5日 パーキンソン病を寝ている間に診断する(8月22日 Nature Medicine オンライン掲載論文)

2022年9月5日
SNSシェア

病気の中には、今も確定診断を現れている症状にもとづいて行っているケースがある。パーキンソン病(PD)もそんな一つで、α シヌクレインの蓄積があると言っても、まだ広く検査として使えるバイオマーカーは存在しない。

今日紹介する MIT からの論文は、睡眠時の呼吸状態を調べることで、PD を少なくとも問診に匹敵する精度で診断できるという研究で、8月22日 Nature Medicine にオンライン掲載された。タイトルは「Artificial intelligence-enabled detection and assessment of Parkinson’s disease using nocturnal breathing signals(睡眠時の呼吸シグナルを測定し人工知能で処理することでパーキンソン病の評価が出来る)」だ。

かなり昔から PD には睡眠時の呼吸パターンが異常を示すという論文が発表されていた。例えば睡眠時の酸素飽和度が低いことが知られているし、睡眠時無呼吸も高い確率で見られることも報告されている。また、その呼吸のパターンは、PD に特徴的であることも示唆されていた。

この研究では、睡眠時の呼吸パターン(頻度、深さなど)を呼吸を調べるベルト、あるいはラジオ波による呼吸モニタリングにより測定、それをエンコーダーで数値化し、Self-attention module を用いた深層学習で処理し、睡眠時の呼吸から PD の診断、あるいは PD の様々な指標を診断できるか調べている。

結果は上々で、呼吸ベルトで一日だけ呼吸を計測し分析したデータにより、正確度の評価に使われる ROC 曲線から割り出す AUC が0.889と期待通りだった。すなわち、十分相関性が有り診断に使える。

さらに、呼吸ベルトではなく、ラジオ波で呼吸状態を測定する方法を用いると、さらに良い結果で AUC で0.906になった。さらに、ラジオ波の場合、家庭で何回も測定可能なので、測定回数を増やすことでさらに高い精度が得られるか調べ、12日間に計測数を増やすと、なんと0.95まで精度が高まることを明らかにしている。

さらに、この指標は問診による重症度診断指数とほぼ完全に一致しており、重症度の指標としても使える。そして、徐々に PD の症状が進行することも正確に捉えることが出来る。

この Self-attention モデルを用いた AI が PD のパターンとして特徴づけた眠りのセグメントについて、他の指標との相関を調べると、ノンレム睡眠時、脳波のδ波が低下し、代わりに β 波が上昇すると相関が認められており、呼吸の少なくとも一部が脳波を反映することも明らかにしている。

以上が結果で、AI を用いた研究なので、メカニズムを云々するより、やはり診断的価値を重視すればいいと思う。AI 診断の妙味は、決して難しい検査の解釈ではなく、これまで病気の診断には利用できなかった単純な生体情報を長期的にフォローすることで、これまで気づかなかった変化を検出し、診断に使うことが出来る点で、その意味ではこの研究は素晴らしいと思う。

カテゴリ:論文ウォッチ

9月4日 アストロサイトにより媒介される場所記憶(8月31日 Nature オンライン掲載論文)

2022年9月4日
SNSシェア

アストロサイトは神経活動を様々な形で支援する役割を持つ細胞と考えられている。以前紹介したように、脳に全く線維芽細胞が存在しないという通説は間違っているようだが、組織学的にも神経細胞やシナプスを支持する細胞の主役は、脳ではアストロサイトになる。面白いのは、このアストロサイトも神経と同じように、刺激に反応してカルシウム流入が見られることで、例えば麻酔によりこの活動が低下することから、その機能に興味が集まっていた。

今日紹介するイスラエル・Edmond and Lily Safra 脳科学研究センターからの論文は、場所記憶を調べる課題を行っているマウスで、場所細胞が活動している CA1 領域のアストロサイトの興奮を持続的に調べる実験を行い、アストロサイト細胞の活動に何か法則性があるか調べた研究で、8月31日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Hippocampal astrocytes encode reward location(海馬のアストロサイトは褒美をもらった場所を記録している)」だ。

要するに、このような課題を行わせるときの脳記録は普通神経細胞で行うのだが、この研究ではアストロサイトだけにカルシウムセンサーを発現させ、興奮を記録している。

すると期待通り、普通場所神経細胞の記憶が形成されるセッティングで、一定の法則に従ってアストロサイトが興奮する(カルシウム流入が起こる)ことがわかった。いつ興奮が高まるのか詳しく調べると、場所神経細胞のように決まった場所で興奮するのではなく、課題を遂行中に提供されるご褒美が約束されている場所に近づくにつれて興奮が高まることがわかった。

逆に新しい課題に直面すると、同じような興奮の高まりは見られないが、新しい状況を記憶して、褒美をもらえる場所がわかってくると、同じように興奮が高まることがわかった。また、新しい記憶が成立しても、既に勝手がわかっている課題では、アストロサイトの反応が起こる。

面白いことに、課題の途中で急に画面の投射を切断して、視覚が使えない状態でも、手探りで課題を続け、褒美が近くなるとアストロサイトも興奮する。すなわち、私たちが勝手がわかっている自分の家で、暗闇でもマークを見つけてトイレに行くことができるといったセッティングに対応しているように思える。

最後に、記憶した課題を遂行しているとき、海馬アストロサイトの興奮を記録することで、マウスが褒美にどれほど近づいているのかを解読できることから、この結論が間違いないとしている。

以上、アストロサイトにも記憶があるように見えることがこの研究のハイライトだが、基本的には神経ネットワークに従じているはずで、今後は神経の GPS ネットワークにどう組み込まれているのか、研究が必要になるだろう。いずれにせよ、認知症を考える時、神経だけでなくアストロサイトも常に調べることが必要になる。

カテゴリ:論文ウォッチ

9月3日 ダウン症の認知障害は治療できるかもしれない(9月2日号 Science 掲載論文)

2022年9月3日
SNSシェア

21番染色体の全部、あるいは一部が余分に存在するダウン症では、様々な障害が生後現れるが、中でも重要なのは、年齢と共に認知機能が低下する症状だと思う。

今日紹介するフランス・リールにある、リール神経認知科学研究所からの論文は、ダウン症で起こる認知機能と嗅覚障害に絞ってその原因を探り、卵胞刺激ホルモンおよび黄体形成ホルモンの分泌を調節するゴナドトロピン放出ホルモン(GnRH)の分泌低下が背景にあることを突き止め、これを補うことで認知機能や嗅覚の低下を止める可能性があることを示した画期的な研究で、9月2日号 Science に掲載された。タイトルは「GnRH replacement rescues cognition in Down syndrome(GnRH を補うことでダウン症の認知機能を救済できる)」だ。

この研究は、ダウン症で見られる嗅覚障害が、GnRH 欠損を示すカールマン症候群でも見られること、またダウン症の特に男児が性的成熟が欠如することなどから、ダウン症の病理、特に神経症状や性成熟の異常は GnRH 分泌異常にあるのではとの着想から始まっている。

ダウン症モデルマウスでも、人間と同じように、成熟に伴い、認知機能と嗅覚機能異常が現れることを確認した後、GnRH の発現を調べると、やはり年齢と共に GnRH を発現している視索前野神経細胞の数が低下することを明らかにする。

次に、ダウン症で GnRH の発現が低下するメカニズムを遺伝子発現から探って、遺伝子の翻訳調節を行っている miRNA のいくつかの発現が、ダウン症で年齢とともに低下しており、この中の miR-200 を視策前野神経に発現させることで、嗅覚機能や認知機能が少し回復することを示している。

メカニズムはともかく、この研究の真価は、GnRH 発現低下と嗅覚、認知機能低下を関係づけたことで、当然 GnRH を補充することで認知機能の回復が見られるかが最も重要な実験になる。

浸透圧ポンプを用いて、3時間ごとに10分間、不妊治療に用いられる GnRH を投与する実験を行い、嗅覚機能とともに、認知機能が回復することを確認している。

最後に、既に認知機能が低下している成人のダウン症患者さんに、同じように GnRH を6ヶ月投与する治験を行い。様々な認知機能が回復することを確認している。発達期を対象にしたマウス実験と異なり、嗅覚機能は回復していないが、fMRI で調べた、脳各領域の結合性が間違いなく上がっていることから、白質障害を間違いなく抑えられる可能性が示された。

これ以外に、視索前野に正常細胞を注射する細胞治療、あるいは GnRH の発現を視索前野で誘導する遺伝子治療もマウスでは劇的効果があることを示している。

以上の結果は、今後認知機能が低下する前から GnRH 補充療法、あるいは脳細胞の移植や遺伝子治療を行えば、ダウン症の児童の認知機能の低下を防げる可能性を示している。勿論成人への効果は示されたので第2相以降の治験を進めて欲しいし、発達期を標的にし治験も今後行われると思うが、期待できる画期的研究だと思う。

カテゴリ:論文ウォッチ

9月2日 アフリカで発掘された恐竜の骨から考えられること(8月31日 Nature オンライン掲載論文)

2022年9月2日
SNSシェア

現在国立科学博物館では「化石ハンター」と題して、化石研究について展示が行われている。10月までなので一度行こうと思っているが、もう少し感染が収まってからがいいだろう。しかし、どの国の自然史博物館を訪れても、恐竜の化石が一番人気だ。ただ、自然科学として見た時、こんな動物がいたという博物学を超えて、発掘された恐竜から何を学ぶのかを考えるのは面白いが、そのためには深い知識が必要になる。そこで今日は、アフリカ ジンバブエで発掘された竜脚目の恐竜の骨から何を学ぶことができるのかについてわかりやすく教えてくれるエール大学からの論文を紹介する。タイトルは「Africa’s oldest dinosaurs reveal early suppression of dinosaur distribution(アフリカで最も古い恐竜は恐竜の分布が最初抑制されていたことを明らかにする)」だ。

新種の恐竜の骨を見つけたというだけでは、マスコミは取り上げてくれても、科学としては高い評価は得られない。まず大事なのは Question を提示することだ。

現在恐竜と呼ばれている爬虫類は、ペルム紀の爬虫類の生き残りが三畳紀に進化、多様化したもので、その後ジュラ紀、白亜紀と恐竜は進化し続けていく。恐竜だけでなく、三畳紀初期が面白いのは、ペルム紀末の大火山活動で地球上の9割以上の生物が絶滅したため、三畳紀、地球上の生命は新たに生まれ変わる。この中で、恐竜や哺乳類が誕生する。

もう一つ面白いのは、三畳紀では、現在分離している大陸がパンゲア大陸にまとまっていたことで、その後分離された結果の独自の進化を比べることができる点だ。

この研究の Question は、三畳紀初期、恐竜はどこで最初に進化したのか、その後どのように分布したのかを明らかにすることだ。これまでの研究で、竜脚類、獣脚類、鳥盤類など主だった恐竜ははほとんどパンゲア大陸南部に限局して出土することがわかっている。ただパンゲアといってもほとんどの発掘場所は南米に限られており、分布を議論するには発見された化石の数が少ない。

これに対し、これまでほとんど恐竜の化石が発見されてこなかったアフリカジンバブエの三畳紀初期の地層から、現在続々恐竜の化石が発掘され、今回M.raathiと名付けた、最も古い竜脚類の完全な化石が発見され、論文として発表された。

骨格の特徴から竜脚類で、ブラジルで発見されたサトゥナリア、アルゼンチンで発見されたパンファギアなどの同時代の竜脚類に近いことがわかる。また同じ場所から、ヘレラサウルス、Hyperodapedoninae、Gomphodontosuchinae、 aetosaurus、ディキノドンなども出土していることから、パンゲア大陸東側(現在南アメリカ)とほぼ同じ恐竜分布を示す場所が、西側(現在のジンバブエより西)に存在していたことを示している。

結果は以上で、南アメリカに続いて、アフリカでも三畳紀初期の類似した恐竜分布が発見されたことで、恐竜の進化がパンゲア大陸南側の、雨季と乾期の差がはっきりした、高温の気候帯のみで進化したと結論している。その後、気候が温暖化することで、まず獣脚類、そして鳥盤類の北への移動が始まるが、それまではこの領域に限られることから、恐竜の初期の進化を知るためには、パンゲア南部に相当する領域を徹底的に調べる必要があるという結論だ。

恐竜の骨発掘は決してロマンだけではない。

カテゴリ:論文ウォッチ

9月1日 マウスは実験者の性別を嗅ぎ分ける(8月30日 Nature Neuroscience オンライン掲載論文)

2022年9月1日
SNSシェア

大学で研究していた頃は、自分自身でもマウスの実験やケージ掃除も行っていたので、マウスと暮らしてきたなとつくづく思うが、マウスが実験者の性別を区別しているなど、気づいていないし、考えたこともなかった。しかし、マウスを使って主にストレスを研究している研究者の間では、マウスが実験者の性別を区別し、その結果、女性が実験するか、男性が実験するかで結果が違うと言うことが気づかれていたようだ。

今日紹介するメリーランド大学からの論文は、ストレスにより誘導される鬱状態をケタミンで治療するという薬理実験でも、実験者の性別が結果を作用するメカニズムについて明らかにしようとしたユニークな研究で、8月30日 Nature Neuroscience にオンライン掲載された。タイトルは「Experimenters’ sex modulates mouse behaviors and neural responses to ketamine via corticotropin releasing factor(実験者の性別がケタミンに対する行動学的神経学的反応をcorticotropin releasing factorを介して変化させる)」だ。

おそらくこのグループは、ケタミンによる鬱状態治療について研究していたのだと思う。ただ実験を重ねるうちに、マウスが実験者の性別を嗅ぎ分けるのに気づいたというのではなく、最初から実験を行う上で、これまで指摘されていた、男性の実験者の臭いがマウスにストレスになるのではと言う問題を重視し、このメカニズムの検討から、ケタミンの作用機序へと研究を進める、面白い順序の研究になっている。

研究ではまず、皮膚を脱脂綿でこすって男性と女性を付着させ、その脱脂綿に対してマウスがどう反応するかを調べている。結果は明瞭で、男性の皮膚の臭いはマウスに強いストレスになっていることがわかる。一方で、女性の臭いは何も臭いがないのとほぼ同じだ。

男性の臭いがストレスを誘導していることは、強制水泳試験などのストレスを測定する実験ではっきりする。特に驚くのは、鬱状態をケタミンで治療する実験を行ったときで、男性の実験者が行うと、ケタミンの効果がはっきりするが、女性の実験者が行ったときにはほとんど効果が見られない。すなわち、男性の実験者と出会ったときにストレスがかかり、その影響をケタミンが軽減していることがわかる。薬理実験でこんな結果が出るとすると、ことは重大だ。

この現象の神経科学的なメカニズムを解析し、最終的に男性の臭いにより、嗅内野のcorticotropin releasing hormon(CRH)遊離神経が興奮し、これが海馬の CA1 神経に作用する回路が活性化することでストレスが生じるが、この回路がケタミンで遮断されることを明らかにしている。

実際この回路を抑制すると、男性の臭いによるストレスは消失するし、この回路を刺激すると、ストレス反応が誘導され、またそれをケタミンが抑制できることなどを示している。

以上の結果、マウスが実験者の性別を嗅ぎ分けるメカニズムが明らかになるだけではなく、ケタミンが作用する回路の一つが明らかになった面白い論文だった。もうマウスに触ることはないが、マウスを触るときには手袋をして、臭いが出ないよう、男性は注意する必要がある。

カテゴリ:論文ウォッチ

8月31日 古代ゲノム解析からわかるインドヨーロッパ語の起源(8月26日号 Science 掲載論文)

2022年8月31日
SNSシェア

昨日に続いて、Lazaridis の論文を紹介することにした。昨日は、ギリシャ時代の様々な記録の断片を、ヒトゲノムからわかる民族の移動と対応させるという、今までにはなかった研究だが、今日紹介する論文では、インドヨーロッパ語の起源に焦点を当て、特にアナトリア地方の古代ゲノムから見た民族交流史から、インドヨーロッパ語の起源を考えている。タイトルは「The genetic history of the Southern Arc: A bridge between West Asia and Europe(南部地域のゲノム史:西アジアとヨーロッパの架け橋)」で、8月26日号Scienceに掲載された。

昨日、農耕発祥の地と考えられるアナトリアが、コーカサス狩猟採取民と、イスラエルからの民族との交雑により形成されていることを少しだけ紹介したが、この研究では、アナトリアのゲノムに、ヤムナゲノムがその後ほとんど流入していないことに注目し、この点について詳しく調べている。

というのも、ヤムナ文化が、インドヨーロッパ語の起源で、紀元前5000年以降、民族の大移動と、移動した土地での交雑により、一種の縄目文土器とともにインドヨーロッパ語をユーラシア全体に拡げたというのが現在の通説になっており、実際インドヨーロッパ語を話すほとんどの地域でヤムナ属のゲノムの流入が認められるからだ。

アナトリアも、ヒッタイト語などインドヨーロッパ語を話していたことがわかっている。にもかかわらず、ヤムナ民族との交雑の痕跡がほとんど存在しないとすると、ヤムナ民族の流入がそれぞれの地域にインドヨーロッパ語を伝えたという説は崩れる。

この論文でも引用しているが、1926年イエール大学の Sturtevant は、Indo-Hittite 仮説、すなわちインドヨーロッパ語と、ヒッタイト語は、同じ先祖から分岐し、その後独立して発展したという仮説を提案している。この説は現在では少数派になっているが、Lazaridis らは、アナトリア民族にヤムナ民族ゲノムがほとんど存在しないという事実から、Sturtevant の説が正しい可能性を示唆している。

研究の詳細はジャーナルクラブで解説するとして、ゲノムの流れから、新石器時代インド・ヨーロッパ・アナトリア語の起源となる言語を話していた民族が、一部は北に移動し、今のウクライナステップの民族と交雑してヤムナ民族を形成する。一方、一部は東に移動し、アナトリア民族を形成する。この移動により、インド・ヨーロッパ・アナトリア起源語は、インドヨーロッパ語と、アナトリア語に分岐し独自の発展を遂げる。

一方、起源言語を話していたコーカサス地方は、その後ヤムナ民族の侵入により、ゲノムと言語の変化を遂げるが、アナトリアではヤムナ民族の侵入がなく、独自の言語と文化を発達させたというシナリオだ。

このヤムナ民族がコーカサスを越えなかったというシナリオを解く一つの鍵は、昨日紹介した論文で少し触れたウラルトゥ王国で、この地域にインドヨーロッパ語には属さない日本語と同じ膠着語のフリル・ウラルトゥ言語が残っていたことから、これをボーダーとしてアナトリアへのヤムナ民族の侵入が防がれた可能性を示している。

いずれにせよ、現在のアルメニア、アゼルバイジャン地方の古代ゲノム解析が最も重要な課題として浮かび上がった面白い論文だ。

しかし、読んでいるとゲノムだけでなく、言語学についても深い議論がされており、人間を理解するためには、文理融合などと言ったかけ声ではなく、人間の新しい科学が必要で、しかも着々と進展していることが実感できる。

カテゴリ:論文ウォッチ

8月30日 ゲノムから歴史を描く:新しいシュリーマン(8月26日号 Science 掲載論文)

2022年8月30日
SNSシェア

ホメロスのオデッセイを書き留めるために、ギリシャでアルファベットが誕生したと言われるほど、ギリシャの古代、すなわちミノアやミケーネ時代の歴史は、ギリシャ人の心のルーツといえる。これを読んだドイツ人シュリーマンは、これがただのお話ではないと直感し、トロイやミケーネの発掘を行ったことは有名だ。

勿論ホメロスだけでなく、青銅器時代以降の西アジアからギリシャ・ローマにかけての歴史記録は、ギリシャ神話や、ヘロドトスやクセノポンのような歴史家による記述も残っており、また多くの遺跡や出土品も存在して、研究が進んでいる時代だ。

今日紹介するハーバード大学からの論文は、これに当時の人たちのゲノム解析をかぶせることで、これまでの歴史観を検証し、新しい可能性を示唆できないか調べた極めてチャレンジングな研究で、8月26日号の Science に掲載された。

実際には3編の論文から出来ており、この分野では第一人者の Reich 研究室からの論文だが、senior author は全て Iosif Lazardis の論文だ。実際には、地中海を中心とする1万年にわたる民族交流を700体の古代ゲノムから解析した論文で、簡単に紹介するにはあまりに膨大すぎる。そこで、9月のいつか、全体について紹介するためのジャーナルクラブを企画することにする。そして、今日は3編のちょうど真ん中の論文、エーゲ海を中心としたミノア、ミケーネ、ギリシャまでの時代についてのゲノム解析を、様々な文献と比較した研究の触りだけを紹介する。タイトルは「A genetic probe into the ancient and medieval history of Southern Europe and West Asia(古代から中世に至る南ヨーロッパ及び西アジアの歴史についての遺伝的調査)」だ。

タイトルには中世とあるが、中世はローマ時代を扱うとき、ビザンチンから中世が扱われているという程度で、、この研究は地中海と隣接する西アジアの新石器時代からギリシャ時代までを扱っている。この論文をわざわざ選んだのは、ゲノム研究と、それまでの歴史記述や言語についての対応が議論される、まさに文理融合の手本とも言える論文だからだ。

さて、私たちはギリシャも含めてヨーロッパの人間は、オリジナルな狩猟採取民に、インドヨーロッパ語のヤムナ、そして農耕のアナトリアゲノムが様々な割合で混じり合ってると単純に考えてしまう。しかし、常に交流が行われた時代には、純血のヤムナとかアナトリアは存在しない。すなわち、それぞれの地方の時代別のゲノム解析が必要になる。

そのため最初の論文は、アナトリアの起源になるメソポタミアの新石器時代のゲノムを調べ、アナトリアゲノムがメソポタミア、イスラエルなどの狩猟採取民からできあがっていることを示している。

このような新石器時代の起源系列を特定した後、この研究ではミノア、ミケーネとエーゲ海文化を担った人たちのゲノム解析を行っている。その結果、エーゲ海民族は、アナトリアのゲノムに、主にコーカサス狩猟採取民のゲノムが混じり合って形成されること、ミノアからミケーネにかけて、ゲノム構成が極めて多様化することをまず明らかにしている。

すなわち、ミノアまではほぼアナトリアに近いゲノム構成が、その後おもにヤムナを中心としたステップ地帯の狩猟採取民ゲノムが流入して、ミケーネ、そしてギリシャゲノムが形成されている。実際、クレタ島の東端には全くヤムナゲノムが存在しないゲノムも見つかっており、オデッセイに書かれた民族のるつぼとしてのクレタ島のイメージに合致する。

他にも、様々な記録との比較が行われているのでそれだけを列挙すると、

  1. プラトン・メネクセノス:古代ギリシャでは外部との交流は少ないという記述が、ミノアゲノムと一致する。
  2. ギリシャ神話の英雄時代の近親相姦の後が、ミケーネ人で見られる。
  3. ヘロドトス:アナトリア地区のギリシャ植民地で現地人との融合が行われ、アレキサンダー王もペルシャ人を妻に迎えたという記述があるが、ギリシャ植民地では全く交雑が見られない西部の植民地に対し、アナトリア側では交雑が進んでいたことがわかる。
  4. ギリシャ神話でトロイのヒーローアエネイアースがイタリアに逃れローマ建国に関わったとされているが、実際ローマ帝国以前のローマ人のゲノムを見るとこの流れに矛盾しない。

などなどだ。

さらに、やはりインドヨーロッパ語を話す、アナトリア農耕民族にほとんどヤムナゲノムが入っていないことにも注目し、それを代表するウラルトゥ王国についても、インドヨーロッパ語の伝搬の新しい考え方とともに議論しているが、今日はここで終わる。ジャーナルクラブについては、なるべく早くアナウンスする予定だ。

カテゴリ:論文ウォッチ

8月29日 サル以降の前頭葉進化を single cell RNA sequencing で調べる(8月25日 Science オンライン掲載論文)

2022年8月29日
SNSシェア

このブログでも、サルから人間の進化、特に脳の進化については論文を紹介してきているが、この目的のために single cell RNA sequencing を用いた論文は、今日紹介するイエール大学からの論文が初めてだと思う。タイトルは「Molecular and cellular evolution of the primate dorsolateral prefrontal cortex(霊長類の背外側前頭皮質の分子細胞学的進化)」で、8月25日 Science にオンライン掲載された。

これまで人間の脳の進化を調べた論文のほとんどは、脳各部の遺伝子発現を調べた研究だった。しかし、脳細胞は同じに見えても多様化して居ることを考えると、細胞レベルと分子レベル同時に進化を調べることが出来る single cell RNA sequencing(scRNAseq はうってつけの方法で、今まで調べられなかったのが不思議なぐらいだ。

ただ、異なる種の scRNAseq のデータを同じ土俵に展開し、詳しく比べるアプリケーションの開発など、決して簡単ではなく、大変な研究だと思う。実際には、死亡したヒト、チンパンジー、アカゲザル、そしてマーモセットの前頭葉、特に背外側前頭皮質を切り出し、そこから核を取り出し scRNAseq を行って、ヒトへの進化で見られる細胞種の変化、あるいは同じ細胞種での遺伝子発現の変化を捉えようとしている。

出てきたデータは、膨大で、しかもそれぞれの変化の生物学的意味については到底理解するには至らないので、実際には説明しづらい。とりあえず、面白いと思った点だけを列挙することにする。

  1. それぞれの種特異的に存在する細胞があるか?という点についてまず検討が行われている。その結果、5種類の種特異的な細胞が特定されている。その中にはマーモセットだけに見られるものもあり、新しい細胞種が進化とともに増えるというわけではない。ただ、霊長類のみに見られる細胞は、アストログリア系の細胞で、神経細胞自体でないのは面白い。
  2. 興奮神経、抑制性神経、アストロサイト、ミクログリアなど、ほとんどの細胞種やそのサブタイプは、全ての種で共通に存在するが、発現する分子でははっきりとした違いが見られる。今後それぞれの違いの意味について調べる長い道のりが待っている。
  3. 中でも面白いのは、人間だけに見られるソマトスタチン発現抑制性神経の中に、ドーパミン産生に必要な分子を全て備えたグループが存在し、ソマトスタチンからドーパミンへのスイッチ可能な細胞が脳全体に分布していることで、ひょっとしたら大化けする発見になるかもしれない。
  4. もう一つ、この方法を用いることで、これまで言語に関わり、神経に発現している遺伝子 FOXP2 が、神経だけでなく、ミクログリアに発現していることも明らかになった。
  5. さらに、神経細胞での FOXP2 発現の調節機構を探ると、霊長類の進化とともに、FOXP2 の発現調節機構、及び FOXP2 による遺伝子発現調節変化が見られており、この生物学的意味を言語誕生と合わせて調べる価値は十分ある。
  6. 最後に、自閉症やパーキンソン病と言った神経疾患と相関する分子についても、発現に進化に連動した変化が見られる物があるので、今後重要な課題になる。

以上、答えはないが、今後調べるべき多くの問題を提示した重要な研究だと思う。

カテゴリ:論文ウォッチ

8月28日 睡眠中の目の動きから夢の中での身体の動きを解読する(8月26日号 Science 掲載論文)

2022年8月28日
SNSシェア

睡眠中に目だけがキョロキョロ動くRapid eye movement sleep(REM睡眠)は、発見の当初から夢を見ていることと関係があるのではないかと考えられ、REM睡眠中に覚醒させると見ていた夢を語れるチャンスが高いという発見につながった。ただ、注意深く実験を行えばREMと夢とは関係がないという結果も発表され、議論が続いていた。

今日紹介するカリフォルニア大学サンフランシスコ校からの論文は、REMが少なくとも覚醒時の行動を反映しているという仮説を、REMから行動をデコードできるかという野心的な課題に置き換え、覚醒中の頭の動きをREMが反映していることを示した研究で、8月27日号 Science に掲載された。タイトルは「A cognitive process occurring during sleep is revealed by rapid eye movements(睡眠中の認知過程はrapid eye movementに表象されている)」だ。

少し大げさに言うと、このような研究は脳や身体の研究から夢は再現できるかという試みの一つだ。これまで、脳自体の興奮を夢と関連付ける研究は行われてきているが、REMからどこまで夢をデコードできるかという研究はめずらしい。

この研究では、覚醒時のマウスの頭の動きと目の動きを詳細に記録し、さらに頭の動きを視床のADN核の神経の興奮と相関させることで、頭が動かない睡眠状態でも、目の動きからAND核の活動、そしてその背景にある頭の動きを推定できるかについて実験している。

もう少しわかりやすく言うと、右に首を向けたとき、当然それに合わせて目も動き、強い運動ではサッカードと呼ばれる振り子運動を起こす。この時、ADNの神経活動は首の動きと相関する。寝ているときは、首は動かないが、夢で首を動かすと、ADNが同じパターンで興奮すると考えられるが、そのときそれに会わせた目の動きが観察できるはずで、これが正しければ、目の動きを追えば、夢の中での首の動きが追えるというわけだ。

結果は予想通りで、睡眠中も左右の目は協調して動き、目が大きく動くと、それに相関して頭の動きに対応するADNの興奮パターンが観察できることから、頭を動かす夢を見たとき、目もそれに合わせて動いていることを示している。

面白いのは、夢の場合、外界からの刺激がないので、大きく動いた目でサッカードは観察されず、400msの間に中央に戻る。

結果は以上で、脳の活動に合わせて、目が動くことからREMの少なくとも一部は夢での行動を反映していることを示している。

現在、脳内電極を設置した患者さんで夢の研究が行われているようになっており、一度ジャーナルクラブでまとめてみたいと思っている。

カテゴリ:論文ウォッチ

8月27日 炎症性腸疾患と sp140 :遺伝子多型解析から治療法開発まで(8月18日号 Cell 掲載論文)

2022年8月27日
SNSシェア

21世紀に入ってから、急速に病気のゲノム解析が進み、それぞれの病気について、相関する多くの遺伝子多型が特定されている。このパワーの威力については、今回 Covid-19 の様々な病態に対し、詳細な遺伝子多型マップが完成していることからわかる。ただこのような研究は、それぞれの多型、あるいは多型セットが病気につながるメカニズムを明らかに出来て初めて役に立つ。

今日紹介するハーバード大学からの論文は、2010年頃から様々な免疫性炎症や、細胞内寄生に対する抵抗力の異常に関わることがわかってきた遺伝子 sp140 の作用機序を明らかにし、クローン病など炎症性腸疾患の新しい治療戦略を示した遺伝子多型から病気のメカニズム、そしてその治療まで明らかにしたお手本のような研究で、8月18日号 Cell に掲載された。タイトルは「Epigenetic reader SP140 loss of function drives Crohn’s disease due to uncontrolled macrophage topoisomerases(エピジェネティック状態を監視する sp140 の機能異常は、マクロファージのトポイソメラーゼの調節不全に起因する)」だ。

この研究が注目した sp140 は、免疫系細胞に発現すること、そして免疫性炎症の異常に関わることが知られているが、その機能はインフラマソームや自然免疫シグナルに関わる分子ではなく、H3K27me3 といった遺伝子発現を抑制するヒストンと結合する分子で、これが何故炎症のリスク遺伝子になるのかは、免疫学的にも面白い課題だ。

これを解くため HEK293 T細胞株を用いて、sp14と結合する分子をスクリーニングし、トポイソメラーゼ(TOP)1、TOP2といった DNA を緩める働きがある分子と直接結合していることを発見する。

一方で、クローン病患者さんの遺伝子多型 rs28445040 により、sp140 の機能が低下していること、また sp140 の機能が低下すると、TOP1、2の活性が高まり、転写のリプログラムだけでなく、ヘテロクロマチン領域の DNA 断裂が起こることを示している。

この過程をさらに詳しく解析し、sp140 は、遺伝子発現を抑えるヘテロクロマチンに、TOP や他のクロマチン再編成分子を寄せ付けないようにして、いったん完成したエピジェネティックな遺伝子抑制システムを維持するための重要な分子であることがわかった。また、sp140 発現レベルが低い遺伝子多型では、この防御が破れ、エピジェネティックな転写抑制が乱れることで、主にマクロファージの活性化が起こり、免疫性の炎症が起こることが示唆された。

以上の結果は、sp140 が低下して発症する免疫性炎症は、それにより活性が高まる TOP を抑制することで治療できる可能性を示唆している。そこで、sp140 をノックダウンしたマクロファージを TOP 阻害剤で処理すると、転写のプログラムが正常化し、細胞内寄生体に対する抵抗力が回復することを明らかにした。また、同じ正常化を、クローン病患者さんのマクロファージでも観察している。

最後に、硫酸デキストランで腸を傷害して誘導するマウス腸炎で、sp140ノックアウトマウスで見られる炎症の重症化を、TOP阻害剤で抑えることが出来ることも示している。

以上、人間の臨床例の研究はまだだが、病気の遺伝子多型から病気の治療法開発にまで至ったお手本と言える研究だ。いずれにせよ、慢性炎症性疾患でもゲノム解析が必須の時代はすぐそこにきている。

カテゴリ:論文ウォッチ
2024年5月
« 4月  
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031