科学的テーゼかどうかは反論可能性があるかどうかで決まると言ったのは、カール・ポパーだ。とは言え、多くの科学者が受け入れているドグマに沿って研究する方が楽だし、実際論文も出し易いため、確立したドグマに対して反論が試みられる事はそう多くない。血液学の最大のドグマは、「毎日新しく作り続けられる私たちの血液は最も未熟な血液幹細胞から作られ、途中の分化した幹細胞の寿命は短い。」という考えだろう。ただこのドグマは血液幹細胞の機能を調べるために放射線照射した動物に骨髄移植を行なう実験から生まれて来た。実際、血液幹細胞の機能についての論文を送ると、レフリーから骨髄移植で確かめろと言うコメントが来て、実験を追加した事は何度もある。しかし他の実験系がないからと言って、放射線照射した宿主環境が正常造血を再現する環境かどうかは確かに疑問だ。従って、介入のない自然造血で造血がどう進んでいるのかを確かめたいとドグマに挑戦する研究はこれまでも存在した。例えば2012年にドイツのグループがレトロビールスをマウスに感染させて、ビールスの組み込まれ方をクローンの識別に使った研究を発表したが、ドグマを壊すほど完全なデータが示せていなかった。今日紹介するハーバード大からの論文は、説得力のある新しい実験系を開発し、造血の階層性ドグマの見直しを迫る極めて重要な研究で、Natureオンライン版に紹介された。タイトルは「Clonal dynamics of native hematopoiesis(自然造血のクローン動態)」だ。この研究の全ては、自然造血のクローン解析をするために新たに開発された細胞標識法だ。この研究では「眠れる美女」と呼ばれるトランスポゾンシステムを用いて個々の細胞の標識と識別に成功している。少し詳しく紹介しよう。トランスポゾンは特定の酵素の働きで活性化し、染色体の他の場所に飛び込む遺伝子断片だ。この酵素遺伝子が薬剤で誘導できる遺伝子組み換えマウスを先ず作成する。一方、この酵素が発現すると、動き出す側のトランスポゾンも同じように遺伝子組み換えで導入し、動き出すと細胞が蛍光を発するようにしておく。こうすると、薬剤を投与した時だけ酵素が発現し、細胞内でトランスポゾンが動き出し、その結果細胞は蛍光を発する。一方動き出したトランスポゾンは染色体の他の部分に飛び込む。この飛び込む位置はそれぞれの細胞で異なっているため、飛び込んだ場所の遺伝子配列を調べると個々の細胞を識別できる。もう一度まとめると、このマウスに薬剤を投与すると、トランスポゾンが動き出し、動いた細胞は蛍光を発するとともに、トランスポゾンの組み込まれた場所の遺伝子配列の違いから個々のクローンの識別が可能になる。この実験系を用いると放射線照射も骨髄移植も用いる事なく、造血に関わるクローンの動態を調べる事が出来る。結果はこれまでのドグマに完全に反する物だ。即ち、私たちの造血は少し分化した幹細胞によって維持されており、白血球も、リンパ球も普通は別々の幹細胞から作られている事になる。新しい系とこれまでの骨髄移植系を組み合わせると、定常型の造血は、これまでのドグマが支持していた階層型の造血に変わる。おそらく最も未熟な幹細胞は、ストレスがかかった時にリザーブとして機能しているのだろう。この研究はまた、放射線により、幹細胞だけではなく、それを支える環境も大きく変化する事を示している。被爆者の方が老化に伴い、骨髄異形成症候群発生率が上昇する言う最近の観察も、新しい目で見る事が出来るように思う。また、ここで紹介した115歳の方の血液が2種類のクローンによってまかなわれていると言う驚くべき結果も新しい目で見る必要がある。今後様々な研究が新しい実験系を使って行なわれるだろう。教科書を書き換える素晴らしい研究だ。私自身、11月友人のElly Tanakaさんに頼まれ久しぶりにドレスデンの学生さんに連続講義をする事になっているが、その前にこの論文を読めてよかったと思う。結構面白い講義が出来そうだ。ずいぶん昔、階層性造血ドグマの立役者Weissmanさんと、広島のABCC研究所のレビューに行った事がある。その時、40年にわたってある染色体転座を持つ血液が作り続けられている被爆者の症例を見る事が出来た。私もWeissmanさんも、骨髄幹細胞が確かに長期間血液を造り続ける事を確信した。今考えると、このケースも放射線の影響の結果のように思える。白血病の発生も含めて、これから血液学がどう変わるか目が離せない。
10月9日:ドグマが壊れる時(Natureオンライン版掲載論文)
2014年10月9日
カテゴリ:論文ウォッチ