10月9日号のCell誌にMeltonさん達の大量に膵臓β細胞を試験管内で調整する技術の論文がでていた。タイトルは「Generation of functional human pancreatic β cells in vitro(試験管内での膵臓β細胞の生産)」で、淡々としたタイトルだ。成人の膵臓β細胞に匹敵する機能を持つ細胞を多能性の幹細胞(ES,iPS)から誘導する技術について報告する論文で、調整できる細胞数から見ても臨床応用一歩手前まで来たことを報告している。早速朝日新聞の岡崎記者も取り上げていた。この論文の大半は誘導したβ細胞が正常のβ細胞と機能的にほとんど同じである事をこれでもか、これでもかと示すデータで、その意味では岡崎さんの記事も特に問題はない。しかしこの論文の最も評価されるべきポイントは、最後に誘導された細胞の質ではなく、培養自体がこれまでのβ細胞誘導法と全く異なり、3次元培養を用いている点だ。例えば、正常細胞に匹敵するβ細胞が短期間で誘導できると言う論文を、9月11日、Nature Biotechnologyにアメリカのベンチャー企業とカナダの研究所がすでに発表している。培養のプロトコルは一見するとかなり違うが、誘導にかかる日数や必要な培養ステップなどでは酷似している。しかしこの研究はこれまで通り、培養ディッシュに細胞を接着させて分化誘導を行なっている。一方、Meltonのグループは最初から最後まで細胞塊を浮遊させて培養を行なっている。実際よく読んでみると、この3次元培養の詳細は論文を読むだけでは浮き上がってこない。おそらく様々なノウハウが蓄積しているのだろう。この違いに気づかず、ただ「細胞の分化誘導が可能になった。凄い、凄い」などとのんきに受け止める人は、おそらくこの分野が新しい方向を目指し始めている事に気づかないだろう。iPS技術を糖尿病や肝臓障害の細胞治療に使うためには、網膜色素細胞やドーパミン神経誘導よりはるかに多い細胞が必要だ。同じように、iPS細胞自体を実際の医療目的でバンキングするときも多くの施設に分配する必要があり、大量培養が必要だ。私はこの目的には、細胞を浮遊液の中で分化させる培養法の確立が必要だと思っている。プロセス管理、細胞の採取、培養スペースなど多くの面から考えても、2次元培養には限界がある。現在私たちの肝臓内の細胞数を調整しようとすると大きな施設が必要で、数億円のコストがかかる。一方私たちの肝臓は大きいと言っても1.5kgだ。生涯を通して、一億円の食事をする人などこの世にいないだろう。この差を埋める技術の開発が様々な方面で始まっている。現役を退く1年前学術振興機構(JSPS)のプロジェクトの一環としてイスラエルを訪問した。主な目的は当時イスラエルで開発されたヒトES細胞の浮遊培養技術を見学し、日本に導入できないか調べる事だった。見学した印象は、将来のトレンドにかなった素晴らしい方法だった。是非導入したらどうかと日本の様々な分野に紹介したが、結局日本では真剣に受け取られなかったようだ。一方、Meltonが報告した方法はこのES細胞浮遊培養がスタートポイントになっている。ここがNature Biotechnologyに報告された研究と、Meltonの研究を分ける境になっている。この違いがあるから、Meltonもこの方法がヒトに応用する一歩手前に到達した技術だと宣言しているのだ。そのおかげでI型糖尿病の根治も可能になるだろう。子供さんがこの病気にかかった後、研究を膵臓β細胞の誘導にかけた彼の努力が実った瞬間だと思う。再生医学を目指す研究者や企業はこの分野が本当の実用化(低コスト大量培養)に向けて新しいトレンドを模索する方向に向いている事を見落としてはならない。このトレンドが見えていないと、気がついたらガラパゴス化していたことになる。その瀬戸際に我が国もあるように思う。イノベーションは破壊を伴わない革新だから最終的に新しい技術につながらないと言ったのはイノベーションジレンマを書いたクリステンセンさんだ。即ち、トレンドを感じ、今ある技術にとらわれない技術を新たに開発する事が必要だ。我が国で、「アップルは既成技術を集めてうまくマーケティングしているだけだ」などと言っている人を見かけるが、新しいOSの開発を通じたトレンドを作ったことを忘れてはならない。しかし、官民一体で開発された日の丸自動培養装置などを見ていると、もう遅いのではと本当は心配している。
10月11日:大量培養の背景にあるトレンド(10月9日発行Cell掲載論文)
2014年10月11日
カテゴリ:論文ウォッチ