昨年12月13日、このホームページで、診断のつかない小児患者さんの全エクソーム解析(ゲノムの内、タンパク質に翻訳される全部分のDNA配列を決めること、全ゲノムの1.5%だけなので全ゲノム解析と比べてコストは安く済む)が診断確定にどの程度役立つかを調べたテキサス・ベーラー大学からの論文を紹介した。実際には普通の検査で診断がつかなかった患者さんのうち、実に25%について診断を確定する事が出来ると言う結果だった。今日紹介する論文はこの仕事の続きで、同じテキサス・ベーラー大学から10月18日号のアメリカ医師会雑誌に掲載された。タイトルは「Molecular findings among patients referred for clinical whole-exome sequencing(全エクソーム配列決定の依頼があった患者さんで見つかった分子異常)」だ。以前紹介した論文では、約200例の患者さんについての、いわばパイロット研究だった。それから約1年後に発表された今回の論文は規模をアメリカ全土に拡大し、通常の検査では診断がつかなかった患者さんが2012年6月から、2014年8月までの2年間にわたって集められ、なんと2000人の全エクソーム検査が行なわれている。当然とは言え、結果はパイロット研究と同じで、25%の患者さんの診断を確定できる事が確認された。こうして診断のついた504人の患者さんのうち450人は神経症状を示す患者さんで、小児の神経疾患の診断が特に難しい事が良くわかる。これだけ数が集まると、病気の原因となる遺伝子異常の特徴について詳しく検討する事が出来る。例えばダイソミーと呼ばれる、片方の親からだけ2本の染色体を受け継いでいる異常が5例も見つかる。最も驚いたのは、診断のついた遺伝子異常の30%は、2011年以降に報告された異常だった点だ。即ち、次世代シークエンサーのおかげで、これまで診断がつかなかった異常がかってなかったスピードで明らかにされている事を示している。おそらく、今は25%の診断率も、急速に上昇すると期待される。ただ残念ながらこうして診断できても、多くは現在の医学では治療が難しい。しかし診断がつかずにそのまま放置されるよりはおそらく気持ちの整理がつく意味で、診断する意味はあるのではないだろうか。他にも、主治医が診断に困っている症状以外にもエクソーム検査からわかる事は多い。例えば最近話題になった乳ガン遺伝子BRCA1の突然変異が14例に見つかっている。診断に結びつかなくとも役に立つ情報が2000人のうち95人で得られている。小児で遺伝病が疑われる場合のエクソーム検査の実力を実感した。驚くのは、2年間に2000人の患者さんについて、全エクソーム配列を決め、大量の情報処理を行ない、診断をつけている点だ。論文を読むと、おそらくベーラー大学だけで検査が行なわれているようだ。同じ事をもし我が国でもやろうとなったとき、対応できる施設や組織はあるのだろうか。何度も繰り返すが、ゲノムを日常診断に利用する取り組みでは、我が国は大きく遅れをとっている。今回2000人もの患者さんで、小児のエクソーム検査の有効性は示された。将来を担う小児だけでも、無料でエクソーム検査が出来る日が早く来る事を願っている。
10月24日:全エクソーム配列検査の実力(10月18日アメリカ医師会雑誌掲載論文)
10月23日:脊髄損傷の細胞治療(Cell Transplantationオンライン版掲載論文)
昨日BBCニュースを見ていたら、トップニュースで事故後2年たった脊髄損傷の患者さんが細胞移植で回復しリハビリをしている映像を見て驚いた。早速論文を調べてみると、Cell Transplantationというあまり聞き慣れない雑誌のオンライン版にトップで出ていた。治療はワルシャワ大学で行なわれ、ロンドンの脊髄損傷専門の研究所も参加している。英国の幹細胞研究助成金も受け取っており、ガセネタではないだろうと読んでみた。実際、脊損の患者さんたちは、この様な論文に一喜一憂し、多くの場合裏切られた気持ちになる事が多い。今回もぬか喜びに終わるかもしれないと慎重に読んでみたが、説得力を感じ紹介する事にした。タイトルは「Functional regeneration of supraspinal connections in a patient with transected spinal cord following transplantation of bulbar olfactory ensheathing cells with peripheral nerve bridging (脊損患者さんの脊髄結合を嗅球鞘細胞と末梢神経ブリッジで再生する)」だ。これまでも脊損の患者さんに対する細胞治療は行なわれて来た。中でも最も多く行なわれたのが、鼻粘膜から採取した再生力のある嗅細胞を培養して移植する方法だが、はっきり言って患者さんの期待に答える治療には発展していない。では今回の方法はこれまでとどう違うのか。詳細は割愛して、実際の治療過程をまとめておく。患者さんは38歳男性。外傷性に9番胸骨部の脊髄損傷で下半身が完全麻痺している。事故後21ヶ月後、手術下に片方の嗅球を切除、培養して鞘細胞、神経細胞、線維芽細胞などが混じった細胞集団を得ている。直接脳から再生力の高い細胞を採取する点がこれまでとは大きく違っている。ただ副作用として、臭いが一定期間失われる。次に試験管内で増殖させた細胞を投与するのだが、古い傷から上下に1ミリ程度余分に切除し、新しい新鮮な切断面を作り、そこから上下に細胞をマイクロマニュピレーターで注入している。その後、ふくらはぎから取り出した6cmの神経細胞を4等分し、カットした脊髄をつないであとはフィブリンをかぶせる。その後硬膜形成を行ない手術は終了だ。これまで行なわれて効果があると言われた末梢神経移植と嗅細胞移植を組み合わせている点が新しい試みだ。私が説得力を感じるのは回復の様子だ。リハビリを続けるが、4ヶ月間は全く回復の兆候がない。ところが、5ヶ月に入ると先ず体幹部、そして大腿と徐々に回復が進んでいる。脊損の程度を調べるASIAスコアも5ヶ月まではAと全く機能がないが、6−10ヶ月はB、そして11ヶ月からはCになっている。また、電気生理学的にも脊髄の結合が認められると言う。勿論1例だけで一喜一憂するのは間違っている。しかし、文章からもなんとなく自信が感じられるし、様々な可能性もしっかりと考慮している。今後更に症例数を増やして効果が確かめられるだろう。少なくとも私には何かありそうな気がする。勿論私は専門ではない。また多くの患者さんが、この様な論文に裏切られて来た事も知っている。その意味で、是非専門の人の意見を聞きたいと思っている。一度専門家を招いて、この論文の読書会をニコニコ動画で公開したい。
10月22日:植物の窒素反応システム(10月17日号Science誌掲載論文)
動物を使った研究を続けてくると、どうしても植物についての研究には無関心になってしまう。引退後、出来るだけこれまでとは違う分野の論文を読もうと思ってはいるが、なかなか取り上げる気にならない。そんなとき、サイエンスのInsight欄に名古屋大学の研究が取り上げられていたので、論文を読んでみた。認知や心理学と比べるとずっと理解し易い。今日はこの論文を紹介する。「Perception of root-derived peptides by shoot LRR-RKs mediates systemic N-demand signaling(LRR-RKsによる根由来ペプチドの認識が植物全体の窒素要求性シグナルに関わる)」と言うタイトルで、名古屋大松林さんのラボからの論文だ。植物の成長には窒素が必須だが、土壌の中の窒素濃度は大きな変動がある。窒素の多い土壌に根を伸ばすのは、植物にとって重要な事だ。意外な事に、土壌の窒素がどう認識され、様々な反応を誘導するのか良くわかっていないようだ。松林さん達は植物ゲノムの中にコードされている短いペプチドホルモンが窒素シグナルに反応して植物全体の反応を調節しているのではないかと狙いを付け、ペプチドと同じ作用を持つ分子に結合する受容体を2種類同定している。次に両方の受容体遺伝子を欠損させた植物を作って調べると、窒素欠乏状態においた植物と同じ症状を示す。ここまでくれば窒素要求性を調節するシステムの根幹は手にした事になる。後は、1)この受容体に結合するペプチドは窒素濃度が低いと誘導される、2)このペプチドは地上部分に発現しているLRR-RKs受容体に結合しシグナルを送る、3)このシグナルにより、根での窒素トランスポーターの発現が上がる、4)根の側鎖の成長もこのシグナルにより上昇する、などが実験的に示されている。要するに、根の一部で感受された窒素欠乏が、一度地上部分(芽や枝)の細胞を刺激、この細胞から新しい分子が分泌され全体の転写を変化させ、出来るだけ多くの窒素を吸収すると言うシナリオだ。動物で言えば、末梢から視床下部、また末梢へと言うペプチドホルモンと脂溶性ホルモンとがリレーし合うシステムに似ている。残念ながら、この受容体が刺激されてからのシグナル伝達の全体像は良くわかっていないようだ。論文としては案ずるより産むが易しで、毛嫌いする事はない。認知科学の論文よりははるかに読み易い。ただ、やはり植物については、例えばどのように窒素が検知されているのかなど、これまでの研究についての知識がない事も良くわかる。多くの研究は全体の中の一部に焦点を当てていることが多い。読む方にすると、全体についての知識がないと、理解できても楽しめない。なかなか身に付いてしまった習慣を変えて、植物研究を楽しむまでは遠いなと思い知った。しかし松林さんと言う名字は植物研究に向いているな、などと馬鹿げたことに納得した。
10月21日:エボラ現状分析(10月16日号The New England Journal of Medicine掲載論文
エボラ出血熱(EVD)の猛威が収まらない。勿論ワクチンや有効薬剤の開発は重要だが、今一番求められているのは疫学的解析に基づく公衆衛生政策だ。今日紹介する論文はWHOのエボラ対策本部からの先週号のThe New England Journal of Medicineに発表された西アフリカEVD感染の現状を分析した研究だ。タイトルは「Ebola Virus Disease in West Africa-The first 9 month of epidemic and forward projections (西アフリカのエボラウィルス病:最初の9ヶ月の感染状況から見た将来展望)」だ。これ以前のEVD流行は2000年から2001年にウガンダで起こっているが、このときは425例の発病でとどまっている。これと比べると、今回の流行はこれまで経験した事のない規模で進んでおり、2013年12月に最初の症例がギニアで報告されてから、この調査を行った9月14日時点までで、4507例が確定、あるいは疑わしいと判定されている。最も関心を集めている死亡率は、確定診断のついた患者についてみると70.8%で、極めて高い。それでも15−44歳までの世代では、66%で、45歳以上だとこの率が80.4%に跳ね上がる。従って、治療に当たっても一般的な状態を保つ事が重要だ。死亡率は性別や地域別でほとんど差がない事から、世界中に広がる可能性は十分ある。とは言え一定のコントロールは出来ているようで、西アフリカ3カ国内の67行政区のうちほとんどの患者は14地区にとどまっており、全く発生のない地区も存在する。さて、ではここまで感染が拡がった原因だが、先ず最初から出血が起こるわけではなく、熱や倦怠感等普通の症状から始まるため、隔離が遅れる事が挙げられる。実際今回も出血が最初に確認されているのは18%に過ぎない。潜伏期は11.5日で21日間はウィルスの排出がある。現在発症から入院までに5日かかっているが、これは医療従事者でも同じで、どうしても発見が遅れる事を意味している。さて今後の見通しだが、現在も感染者は増加し続けており、このままの勢いでは15−30日で患者数は倍加し、11月には全地区で2万人を超えると予想している。この猛威への対応の一つは、緊急に現在開発段階にある薬剤の治験を科学的に進める事だが、日本の報道で見られるように、一部の患者に投与して一喜一憂するのは意味がない。実際ここまで拡がりを見せると、効果が確認されても、薬剤やワクチンが間に合わない事は確かだ。従って、明らかに死亡率を減少させる事がわかっている病院への隔離を進め、全身状態を保つ事が重要だが、現在も圧倒的にベッド数が足りない。勿論、感染経路特定に基づく早い隔離、速やかで安全な埋葬など地域ぐるみで取り組む必要がある。しかし、ベッドだけでなく専門家も不足しており、世界を挙げた取り組みが必要な事を強調している。本当なら、我が国も応分以上の取り組みを進めるべきだろう。ずいぶん昔に誰かが言っていた。”Show the flag”
10月20日:空間の記憶(Nature Neurosceinceオンライン版掲載論文)
実を言うと今年のノーベル医学生理学賞については、受賞者もその仕事も全く知らなかった。受賞理由には、positioningが科学だけではなく、哲学の問題であった事が強調されている。おそらく、空間が経験(物)を媒介として認識されるとするロック、ヒュームと、空間認識は経験ではなく先験的に備わっている直感形式だとするカントの議論が念頭にあるのだろうが、哲学議論を持ち出せば科学に箔がつくと言う考え方はいただけない。しかし全く知らなかった分野と言う事で、関連する論文が出ればと待っていた所、Nature Neuroscienceにペンシルバニア大学のグループからの論文を見つけた。タイトルは「Anchoring the neural compass:coding of local spatial reference frame in human medial parietal lobe (神経コンパスを支える:人間の中頭頂葉は局所の空間を参照する形式をコードする。)」だ。ただ、読み始めてすぐ失敗したと思った。最近は認知や心理学の論文に頭がついて行くようにはなって来てはいるのだが、今回は困った。目的、実験系、結論などは概ね理解できるのだが、最終的な実験的詳細がイメージできていない。従って、理解できていない所もある事を断って、結論だけまとめることにする。この研究の対象は人間だ。場所記憶に必要な要素を調べるために、公園の中に建っている内部の構造はほとんど似ているが入り口の形などで区別可能な4つの博物館をコンピュータ上にバーチャルに構成する。それぞれの博物館には誰でもが知っている物品(例えば椅子)が陳列物として16個づつ展示されている。それぞれの美術館の入り口は東西南北に向いており、それぞれ向き合っており、中に入っても頭の中で東西南北を判断できる。研究では、被験者にテレビ画面上でバーチャル博物館を訪れてもらい、時間をかけて各博物館の中の展示物の位置を覚えてもらう。覚えた後、今度は指示に従って特定の場所に立った状況を頭の中で想像してもらった上で、陳列物を2種類指定して、どちらが被験者から見て右か左かを答えてもらうと言うのが課題だ。要するに、公園の入り口にいる私は、東西南北などを頼りにグローバルに博物館の位置決めをする。一旦博物館に入ると、もう東西南北は関係なく、部屋の中の様子で位置決めをする。そして最後に自分の身体を基準に右か左かを決めている。ある陳列物を見に行く事を頭の中で想像できるが、その時少なくとも3種類の情報に従って陳列物の位置を判断していると言うわけだ。実験ではこの3つの認識様式のどれを使っているかを区別できるように指示を出して全て頭の中で思い出してもらい(この詳細がわかりにくかった)、それぞれの様式に頼って判断が行なわれる時脳のどの場所が興奮するかをMRIで調べている。結果は、身体を基準に方向性を判断するときと、部屋の様子から場所を決めるときはretrosplenial complex(脳梁膨大後部皮質)が興奮するが、グローバルな位置を決める時に働く場所は特定できないと言うものだ。1971年のオキーフの論文に目を通したが、その簡潔さと比べると、今日紹介した研究はどうしようもないほど複雑だ。このグループがこの分野でどの位影響力があるのかは知らないが、場所記憶を人間で調べるのがいかに大変か良く理解できた。先ずロック、ヒューム、カントの出る幕はなさそうだ。
10月19日:凄まじい淘汰のおかげでミトコンドリアの質が保たれている(アメリカアカデミー紀要オンライン版掲載論文)
ミトコンドリアは細胞のエネルギー代謝に必須の器官だが、この器官に必要な遺伝子の一部は細胞の核とは独立してミトコンドリアゲノムとして存在し、また独立して分裂する。元々精子にミトコンドリアの数は少なく、また受精後ほとんど完全に精子由来のミトコンドリアはオートファジーにより消滅するため、事実上ミトコンドリアは母親に由来する。このホームページでも解説した事があるが(2013年9月)、ミトコンドリア病はミトコンドリアの遺伝子の突然変異の結果起こる病気だ。しかし、ミトコンドリア遺伝子の持つ独立性のために、発症機序を理解する事がなかなか難しい。実際、人間の親子でミトコンドリアがどう伝わっているかについて詳しい研究はそれほど多くない。今日紹介するペンシルバニア州立大学からの論文は、このギャップを埋めるべく39組の親子の血液と頬粘膜細胞のミトコンドリア遺伝子配列を調べた研究で米国アカデミー紀要オンライン版に掲載された。タイトルは「Maternal age effect and severe germ-line bottleneck in the inheritance of human mitochondrial DNA(ヒトミトコンドリアDNA遺伝における母体年齢の影響と激しい生殖細胞ボトルネック)」だ。おそらくタイトルの生殖細胞ボトルネックと言う言葉を知っている方は少ないだろう。これは卵子形成過程で一度ミトコンドリアの数が急速に低下した後、分裂により元にもどる現象を指す。これにより、機能異常をもつミトコンドリアを淘汰していると考えられている。さて、この研究では39組の母子の細胞内のミトコンドリア遺伝子配列を調べて、細胞内に突然変異を起こしたミトコンドリアがどの程度存在しているのかを調べている。ミトコンドリアの遺伝の理解を難しくしている原因が、ヘテロプラスミーと呼ばれる現象で、一つの細胞に正常と突然変異を持ったミトコンドリアが共存することを言う。ミトコンドリアゲノムが独立性を持つため起こる状態だが、一つのミトコンドリアで突然変異が起こっても、細胞内には多くの正常ミトコンドリアが存在するため異常が表に出ない。ただ、分裂しない神経細胞などで、異常ミトコンドリアの増殖が高まり細胞を占拠し始めると症状がでてくる。他にも、先に述べたボトルネックを通るとき、異常ミトコンドリアの比率が急に増えることがあり、お母さんは正常なのに子供で病気が急に発症したりする。実際今回の研究で、ほぼ全ての親子で、突然変異を持つミトコンドリアが見つかる。また、突然変異の1/8は病気を起こす可能性がある突然変異だ。幸い、その割合は低く、1例を除いてそのままで異常を起こす事はない。また、アミノ酸変異を起こす突然変異は、ボトルネックの際淘汰されるのか子供に伝わりにくい。とは言え、20代に出産した組を30代で出産した組と比べると、異常ミトコンドリアが子供に伝わる確率は2−3倍上昇する。さらに39組中1組で子供の細胞で異常DNAが急激に増加しているケースも発見されている。以上の事から、ミトコンドリアヘテロプラスミーは誰にでも見られる事がわかる。そして、生殖細胞ボトルネックが異常ミトコンドリアの挙動を左右している事も良くわかった。このためこの研究では、ボトルネックでミトコンドリアの数はどの程度低下するのかを計算している。すると驚いた事に、普通なら10万個程度存在するミトコンドリアが一度は40個以下に減少する事が計算からわかって来た。とすると、ミトコンドリアは氷河期の人類が晒されたのと同じ様な凄まじい淘汰に毎世代晒されている事になる。この結果が裏目に出る事もあるが、このおかげで私たちは異常ミトコンドリアに占拠されずに済んでいるようだ。地道だが、ミトコンドリア病を理解するためには重要な研究だと思った。
10月18日:予想以上に進む遺伝子改変リンパ球によるガンの治療(10月16日発行The New England Journal of Medicine掲載論文)
ガンに対して細胞障害性のモノクローナル抗体を投与する事は今や普通の治療になった。また我が国でもガンの免疫細胞療法を提供する医療機関や企業が増えている。今日紹介するペンシルバニア大学からの論文は、この両方を遺伝子操作で合体させて、ガンの免疫療法の確実で高い効果を狙った研究で、10月16日発行のThe New England Journal of Medicineに掲載された。タイトルは「Chimeric antigen receptor T cells for sustained remission in leukemia (キメラ抗原受容体T細胞による白血病の長期寛解)」だ。今から25年ほど前だが、私が熊本大学に在籍して免疫学会にも関わっていた頃、リンパ球が抗原刺激で活性化されるシグナルについての理解が急速に進んだ。我が国でも当時千葉大学の(現在は理研)齋藤隆さん達が精力的に取り組んでいたので今でも良く覚えている。特に抗原受容体とCD3と呼ばれる4種類の分子の複合体が細胞内のシグナルとして伝わるのか解明すべく熾烈な競争が行なわれていた。そんな時、4種類の分子のうちゼータ鎖分子があればシグナルが伝わる事が、ゼータ分子を直接CD8と呼ばれる分子に結合させたキメラ分子を使って証明された。今日紹介する論文はこの4半世紀前の研究がルーツだ。この研究では、急性白血病に発現しているCD19に対する抗体とゼータ鎖分子の遺伝子を合体させたキメラ遺伝子を用いている。この遺伝子を、患者さんの抹消血から調整したT細胞に遺伝子導入し、試験管内で増幅した後、患者さんに投与している。こうして投与されたT細胞はそれ自身の特異性に関わらずゼータ鎖で活性化されており、CD19を細胞表面に持つ白血病細胞に結合して殺してしまう。実際には、これが臨床で利用できるかどうか2010年頃から少ない症例で治験が行なわれ、有望と判断されて来た。今回の臨床研究はこの続きで更に規模を30人に拡大して2年間の経過を見ている。現在では小児の白血病に対しては治療法が確立し、治療成績もいい。それでも、一定の割合で再発例が見られ、また再発すると治療が困難になる。この臨床研究では、まさにこのような患者さんを集め、キメラ遺伝子を導入した自己T細胞を注射している。結果はこれまでの研究結果を支持し、なんと9割の患者さんで完全寛解が見られている。さらに78%の患者さんが2年間目で生存しており、6ヶ月目で何も起こらない患者さんの率は68%、2年目でも50%に達している。十分な数の遺伝子導入T細胞を導入できればかなりの確度で白血病細胞を押さえる事が出来ることが確認された。また、再発のないケースでは注入したT細胞も長期間体内で維持され、ガンを押さえ続けている事が確認された。これは以前の研究から予想された事だが、30人を2年にわたって追跡する事で、副作用やその対処法がしっかり検討されている。例えばこの細胞を注入すると、やはりCD19を発現しているB細胞も殺され、抗体が作れなくなる。このような治療により必ず起こる長期の副作用にたいしては対処可能だが、おそらくそのための治療を続ける事は患者さんには大きな負担になると考えられる。成績は素晴らしいが、いろいろな問題を考えさされた。先ず、この治療法は他のガンに拡大されて行くだろう。特に細胞障害性抗体の効果がはっきりしているガンでは広く使われる予感がする。特にガンだけに安定して発現している様な抗原が見つかれば更に副作用の少ない治療は可能だろう。一方、小児白血病の治療としては、やはりあくまでも最後のラインとして位置づけるべきだろう。現在も様々な薬剤の開発は続いており、選択肢は増えている。それでも再発する例については、このパワフルな治療法が待っているという順番だろう。そうすると、各病院で遺伝子導入した細胞を調整するのは非現実的だ。かなり早い段階から、議論をした方がいいと思う。しかし、四半世紀をかけて、新しいパワフルな技術の臨床応用が可能になった事は喜びたい。
10月17日:悲しい現実と希望(10月号Biological Psychiatry及びアメリカアカデミー紀要オンライン版掲載論文)
4年ほど前に北ルーマニアの木造教会群を旅行したが、ヨーロッパの他の国と比べても、信心の厚いキリスト教国(ルーマニア正教)と言う印象だった。しかしこの国も、チャウシェスク政権下では様々な精神的破壊を経験している。実際、美術館に行っても戦後の文化活動の低下が良くわかる。私は音楽家しか知らないが、エネスコやリゲティなど芸術の豊かな国のはずだ。この独裁政権下で今でも記憶に残るのがチャウシェスクの孤児と呼ばれている孤児院に入れられた数千人の子供達だ。人口増加を計る目的で、チャウシェスクは人工中絶禁止政策などをとったが、この結果多くの子供が捨てられる結果を招き、この子供達を急設した孤児院に収容する。この子供達の置かれた劣悪な環境が、チャウシェスク政権崩壊時明るみに出て、ニュースで取り上げられた。今や私たちの記憶から消えようとしているが、子供達には悪いがこの滅多にない経験を医学的に追跡し続けているコホート研究があるのを知って驚いた。今日紹介する論文はハーバード大子供病院の論文で、この子供達が成人してからの精神状態についてMRI検査とともに行なっている研究で、Biological Psychiatry誌10月号に掲載されている。タイトルは「Widespread reduction of cortical thickness following severe early-life deprivation:A neurodevelopmental pathway to attention-deficit/hyperactivity disorder(幼児期に厳しい条件に置かれると大脳皮質が小さくなる:ADHD症候群への神経学的経路)」だ。少しタイトルは大げさだが、この研究では孤児院に収容された子供達58人を8歳、10歳時にMRIとADHD(注意欠陥過活動性障害)について調べている。結果は明快で、孤児院に収容された子供達は、大脳の広い範囲で皮質灰白質の厚さが低下しており、この低下により、常道性や注意障害などが起こっているようだ。悲しい結果だが、この機会をしっかりと記録し続けている研究がある事を知って心強く思った。この子供達の脳は既に成長期を過ぎており、症状を改善するのは至難の業だろう等、考えていると思いがけない論文を見つけた。これもハーバード、マサチューセッツ総合病院からの論文で、自閉症の症状を改善する薬剤の研究で、アメリカアカデミー紀要オンライン版に掲載された。タイトルは「Sulforaphane treatment of autism spectrum disorder(ASD) (自閉症スペクトラム障害のスルフォラファンによる治療)」だ。この研究では、最初ブロッコリーから抽出されたスルフォラファンを13−27歳の自閉症患者さんに4ヶ月にわたって間服用してもらい、症状を調べている。程度の差はあるが、ほぼ全ての患者さんの様々な症状が大幅に改善する。一方、偽薬を飲んでいる群では全く改善はない。症状が改善するのは、異常行動、社会性、興奮性、無気力、多動、常同性などだ。対症療法である事は、服用を辞めるとすぐに元にもどる。従って、服用を続ける必要がある。ただ、スフロラファンは日本でも食品メーカーから売られている抗酸化作用をうたったサプリメントで、長期服用は可能ではないだろうか。だとすると、ADHDの子供達にも是非試してあげて欲しいと思う。
10月16日:腸内細菌叢を飲み薬にして難治性下痢に使う(10月11日発行アメリカ医師会雑誌掲載論文)
このホームページで何回も紹介して来たように、腸内細菌叢研究がこれほど盛り上がりを見せているのは、これまで治療が困難だった様々な病気を、腸内細菌叢を変化させて治す可能性があるからだ。このため、論文の多くは、腸内細菌叢を他の個体に移植する、言い換えれば大便を他の個体の腸内に移植すると言う方法を用いている。これは何も動物実験だけではない。実際健康人の大便の移植は炎症性腸疾患の治療として使われ始めており、我が国でもこの治療を提供している医療機関がある。ただ、これまでの治療は大便中の腸内細菌を分離して、それを内視鏡やチューブで直接腸内に移植する方法を用いている。もし腸内細菌叢の移植の治療成績がいいなら、経口的に服用する事で同じ効果が得られないかと考えるのは当然の成り行きだろう。今日紹介するマサチューセッツ総合病院からの論文は、この可能性を20人のクロストリディウム・ディフィシーユ感染による難治性の下痢患者さんで確かめた研究で、10月号のアメリカ医師会雑誌に掲載された。タイトルは「Oral, capsulized, frozen fecal microbiota transplantation for relapsing clostridium difficile infection(再発を繰り返すクロストリディウム・ディフィシーユ感染を凍結腸内細菌叢カプセルの経口服用で治療する)」だ。クロストリディウム・ディフィシーユは免疫機能が低下している場合に起こる感染症で、他の細菌を抗生物質で治療しているうちに勢力を拡大して腸炎を起こす厄介な細菌だ。バンコマイシンが効くが、患者さんの一部は慢性化し、再発を繰り返す難治性のケースに発展する。この再発する難治例について、このグループは腸内細菌叢をチューブで直接腸内に移植し成果を収めていたようだ。今回の研究は、腸内直接投与の代わりに、腸内細菌叢を健常人から分離し、これを遅溶性のカプセルにつめて20人の患者さんに経口的に服用させ、6ヶ月経過を見ている。便の処理だが、正常大気中で行なっており、嫌気性菌はある程度の障害を受けている可能性がある。処理後の細菌叢の構成などは調べていないようだ。基本的には濾過、遠心などを繰り返し、細菌叢が濃縮された浮遊液を調整、それを0.6mlのカプセルにつめ、更に念のため一サイズ大きなカプセルをかぶせて調整は完成だ。このカプセルが溶けるのに、約100時間かかる事も確かめている。これを−80℃で保存し、患者さんには15錠を2日に分けて服用してもらう。うまく効かない場合は、もう一度だけ同じ治療を行なっている。予想通りと言うか、結果は上々だ。2日間の投与で14例はすぐに症状が改善している。残りの6例は、元々健康状態の悪かった患者さんで、このうち4例は2回目の投与後症状の改善を見ている。6ヶ月経過した時点で、18例がほぼ健康を回復し、下痢は完全に治っている。この治療以前、抗生物質等ではほとんどコントロールできなかった事を考えると、素晴らしい結果だ。おそらく、大便由来であると言う想像力さえ少し鈍化させれば、これほど安価で効果的な治療法はない。自信があるのか、ディスカッションで大規模臨床研究を行なうにしても、プラシーボ群をもうけるなど普通の治験方法を用いるのは非人道的だとまで言っている。誰も考えられる事とは言え、驚いた。しかし論文を読んでいると、この分野の我が国のプレゼンスはあまり高くないように思う。と言うよりアメリカの一人勝ちの分野に思える。我が国では、腸内細菌叢を売りにしたヨーグルトが大ヒットだが、細菌叢全体として考えて行く総合的なアプローチにあっという間に追い越されてしまうかもしれない。実際、腸内細菌叢をバランスを崩さず培養したり、増幅したりする技術はこれからの研究に重要だ。医療費削減から考えると、最重点領域かもしれない。
10月15日:多発性骨髄腫に対する薬剤を鍛え上げる(10月13日発行Cancer Cell掲載論文)
理研には後藤さん率いる創薬プロジェクトがある。化学から生物まで専門家が集まって、アカデミアの成果を薬剤開発につなげる事が目的だ。このチームには、普通医学部には見かけない、有機化学の専門家がいて、どうすれば化学化合物が薬剤として鍛え上げられるかを教えてくれる。一緒に仕事をしていると、抽象的な化学式が頭の中では実体としてイメージできる人だと良くわかる。また実際の創薬が、この様なメディシナルケミストと呼ばれる人なしでは決して進まない事も良くわかる。この薬を「鍛え上げる」と言う実感を教えてくれるのが今日紹介するロンドンのインペリアルカレッジとイタリアの国立研究所からの論文で、10月13日発行のCancer Cell誌に掲載されている。タイトルは「Cancer-selective targeting of the NF-κB survival pathway with GADD45β/MKK7 inhibitors(GADD45β/MKK7阻害剤でNF-κBを介する生存シグナルを標的としてガンを特異的に制圧する)」だ。この研究の標的は現在も治療が困難な多発性骨髄腫だ。この腫瘍の多くはその生存がNF-κBシグナル分子に依存している事がわかっている。しかし、NF-κBは身体の様々な細胞で重要な機能を担っており、薬剤が開発されても副作用が強いと予想される。このためNF-κBの上流で働いている分子に対する薬剤がこれまでも開発され、特に免疫疾患には使われ始めている。この研究では逆にNF-κBの下流の分子過程を標的にがん特異的な薬剤が作れないかが試みられている。まず多発性骨髄腫でこの分子の下流で細胞の生存に関わる一連の分子過程を、NF-κB 活性化によるGADD45β発現、GADD45βによるMKK7抑制、MKK7抑制によるJNK活性の抑制、その結果としての細胞死の抑制と特定した。次にまず試験管内でGADD45βとMKK7の結合を阻害する分子をスクリーニングしている。おそらく他のライブラリーも調べたのだろうが、GADD45βとMKK7の結合阻害活性がヒットして来たのがこの研究では4つのアミノ酸をランダムに重合させたテトラペプチドライブラリーの中の2化合物だった。ただ、このままの形では血中の蛋白分解酵素ですぐ分解される。そこで先ず鍛え上げ第一弾として、アミノ酸を私たちが使っているL型からD型に変換する。すると運良く、阻害活性はそのままの分解されにくい阻害剤に変換できた。鍛え上げ第2弾は、細胞内への透過性を上げる事で、これをアセチル化されたペプチドをベンジルオキシカルボニル基に変える事で達成している。この分子が確かに細胞内に入り骨髄腫細胞を殺す事を確認した上で、鍛え上げの仕上げは計算機による活性部位の構造計算に基づく最適化過程で、これによりDTP3と言う分子が出来上がった。モデル実験系で示されたデータは素晴らしい。DTP3は骨髄腫特異的に細胞死を誘導し、ほとんど正常細胞に影響がない。それもそのはず、GADD45β遺伝子が欠損したマウスも普通に生まれ、寿命を全うするため、正常細胞でこの分子の機能はそれほど重要でない。免疫系細胞の中にはGADD45βを使う細胞もあるが、この場合結合の相手はMKK7ではない。このおかげで、ヒト骨髄腫細胞を接種したマウスに投与すると、腫瘍を完全に消滅させられる。更に、水に解け易く、薬剤として大きく期待が持てると言う結論だ。ヒトに対する効果についてはこれからだろうが、いずれにせよ創薬には薬を鍛え上げて行くと言うプロセスが重要で、これのわかるメディシナルケミストを始め様々な専門家が協力して初めて可能である事が良くわかる論文だ。勿論、多発性骨髄腫細胞には特効薬がまだない。細胞死を誘導するDTP3は、メカニズム的にも根治につながるかもしれないと期待する。今後も注目して紹介して行こうと思っている。