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1月13日:絶対音感の神経生物学(1月7日号Journal of Neuroscience掲載論文)

2015年1月13日
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絶対音感というと最相葉月さんが1998年に出版された本を思い出す。絶対音感とは何かという最相さんの個人的問いから始め、音楽家から科学者までの多くの取材を重ねて、個人や社会にとっての音楽の多様なあり方を示すとともに、「絶対」の持つ意外な不自由を教えてくれる良書だ。音楽好きは是非読まれることを勧める。今日紹介するチューリッヒ大学からの論文は、この絶対音感に関わる脳の必要条件について調べた研究で1月7日号のJournal of Neuroscienceに掲載された。タイトルは「Bridging the gap between perceptuall and cognitive perspectives on absolute pitch (絶対音感の見るときの感覚と認知の間のギャップをうめる)」だ。音楽についての脳科学的論文はそう多くないので、このグループの論文は他にも読んでおり、紹介することにした。様々な音楽能力を、脳内各部位の結合性の変化と相関させる研究が中心で、これを脳波という単純な方法で調べて来たグループだ。今回の研究でも、脳波に現れるθ波が部位間で同期している程度をコンピューターで計算して、部位間の結合度合いを割り出している。研究ではプロの音楽家を絶対音感の有り無しで分け、それぞれの絶対音感の厳密さを異なるピッチの音を聞かせてドレミを言い当てる検査を用いて測定し、自己申告の正確さを確認する。その上で、脳活動を調べるのだが、これまでの研究の多くは、対象者にピッチの違う音を聞かせて脳の反応を調べるものだった。事実、この論文で引用されていた我が国東京医科歯科大学からの研究では(Neuroscience letters, 548:155, 2013)、ピッチを外した音を聞くとき絶対音感があると脳がおかしいと反応する状態を検出して絶対音感と相関させている。この研究がこれまでと異なるのは、音と脳の反応の相関は全く調べていない点だ。代わりに、連合記憶などの高次認知機能に関わる前頭葉の部位と、聴覚に関わる部位との連結の程度を、安静時に調べている。すなわち最初から調べる部位に狙いをつけて、その間の結合を調べている。結果は、絶対音感があると、左脳だけでこの2つの部位の連結が発達している。一方、音楽家でも絶対音感がないと、いくらキャリアが長くてもこの結合は発達していない。また、絶対音感の程度が高いほど、左脳でのこの二つの部位の結合が高まるという結果だ。まとめると、絶対音感を持つということは、この研究で調べた左脳の2つの部位の結合が高まっている、即ち脳の構造変化が起こっていることを示している。どうりで、日常何気なく入ってくる音も、絶対音感を持つ人には気にって仕方がないのもよく分かる。いずれにせよ、次の課題はこの研究で発見された指標を使ってどの程度絶対音感の有無が予言できるかだ。これが揃って初めて私も説得されるだろう。最相さんの本にも絶対音感と左脳の構造の変化が相関すること、また我々が憧れる絶対音感が、持っている人間には大きな制約になることなどが書かれている。構造的に決定されているということは、制約があるのも当然だと納得する。最相さんの本と、最新の結果がこのように合致するなら、今後の研究にとって、半端でないエネルギーでインタビューを重ねて最相さんが集めた様々な例の記録は役に立つこと間違いない。この本がさらに脳科学者のインスピレーションを刺激して面白い研究が生まれることを期待する。

カテゴリ:論文ウォッチ

1月12日:耐性のない抗生物質(Natureオンライン版掲載論文)

2015年1月12日
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医学の勝利の一つの例がフレミングによるペニシリンの発見と、フローリー、チェインによるペニシリンの単離であることは間違いがない。しかし抗生剤の使用には必ず耐性菌の出現がつきものだ。これに対応するため、新しい抗生剤が開発されるが、耐性菌の出現から解放されることはなかった。結果、MRSAや薬剤耐性の結核菌など、勝利したと思っていた細菌がより強力になって医療現場の問題になっている。今日紹介するボストンのノボビオティックという製薬会社と、ノースイースタン大学からの論文は全く新しい抗生剤の探索の仕方と、それによって発見された耐性が出ないと考えられる抗生剤トキソバクチンについての論文で、Natureオンライン版に掲載された。タイトルはズバリ「A new antibiotic kills pathogens without detectable resistance(耐性の出現のない抗生物質)」だ。しかしこれまでも耐性の出にくいという抗生剤の話はいくらもあった。ほんとかなと読み進むうち、もともと説得されやすい私はすっかり説得された。まず土の中から抗生剤を探す方法が新しい。ペニシリンを始め多くの薬剤が土壌の中に住む細菌から発見され、抗生剤の宝庫であることはわかっているのに、実際には土壌から菌を分離することが難しい。メタゲノムという方法で、土壌中の細菌の種類がわかるようになり、ほとんどの菌は培養で分離できないことがわかった。この問題を解決するため、このグループは全く新しい土壌の中で細菌クローンを培養する技術を開発する。実際には半透膜で隔たれた、多くの小さなウェルを持つチェンバーの中に、土壌中の細菌クローンを撒いて、チェンバーごと土壌の中に戻して細菌を増やしている。単純なアイデアだが、これによってなんと土壌中の5割の細菌が増えてくるようだ。次に細菌を含むチェンバー全体の上に抗生剤を発見したい細菌が一様に分布したシートをかぶせ、細菌が死んでいるのが見つかったウェルから細菌を単離し、抗生剤を開発するという技術だ。詳細は省くが、この方法で現在の医療が対策に困っている緑色ぶどう球菌を殺すトキシバクチンというアミノ酸が連なった構造が、これまで全く知られていなかった新しい細菌から作られていることを発見した。このペプチドをリボゾームなしで合成する経路も特定している。驚くことに、トキソバクチンはぶどう球菌を始め、今病院が対策に困っている細菌を殺してくれる。その効率も、現在市場に出回っている抗生剤よりはるかに高い。また、マウスを使ったテストでも、バンコマイシンのように副作用がなく、抗菌作用は高い。さらに、様々な細菌の培養を用いて調べても耐性菌が出現しない。なぜこんな素晴らしい性質があるのかを追求していくとバンコマイシンと知られる抗生剤と同じように、細菌の細胞壁を作る原料に結合して合成を阻害することで細菌を殺すことがわかった。さらにバンコマイシンの耐性菌が使っている細胞壁原料にも結合して殺すことも確認している。この阻害過程の解析から、原理的にまず耐性は出ないと結論している。説得力のある期待できる論文で、おそらく早期に臨床治験に持っていけるだろう。ただ、リボゾームを介さずトキシバクチンのような分子を合成する経路を開発するのが細菌だ。バンコマイシンも出た当時は耐性の出ない抗生物質が売りだった。まだまだ戦いは続くかもしれない。ただ、これが正しければ当分は多くの患者さんが救われ、院内感染で病院長が頭をさげるシーンが減ることは確かだと思った。

カテゴリ:論文ウォッチ

1月11日:光を細胞内の力に転換する(Natureオンライン版掲載論文)

2015年1月11日
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細菌、酵母、植物の多くにはLOV(light oxgen or voltage)ドメインを持った分子が数多く見つかる。このドメインはフラビンを光センサーとして使って、構造を変化させ、同じ分子の他のドメインの機能を活性化させ、様々な機能に関わる。LOV自体も多様で、光によって開いたり、回転したり、2量体を作ったり様々な構造変化を起こすことができる。茎が太陽の方向に伸びたり、ひまわりが太陽を向く動きを見るだけで、光を必要とする植物が様々な戦略を発展させているのがわかるが、LOVドメインはその重要な一員だ。このドメインを動物で使うことができると、新しい細胞操作法を開発できると期待されていたが、今日紹介するオランダ・ユトレヒト大学からの論文はLOVを細胞内のオルガネラ輸送に利用できないか調べた研究で、Natureオンライン版に掲載されている。タイトルは、「Optogenetic control of organelle transport and positioning(オルガネラの細胞内輸送や位置決めを光遺伝学的に調節する)」だ。この研究では、光が当たるとLOV分子が開いて、他のドメイン(ePDZ)と結合するようになる分子の組み合わせを使っている。この研究ではペルオキソゾームやミトコンドリアなどのオルガネラの輸送や位置決めの調節に焦点を絞っている。このために、オルガネラの膜状に発現している分子にLOVを組み込んだキメラ遺伝子と、LOVが開くとそれに結合するePDZを細胞内の動きを担うモーター分子等と結合させたキメラ遺伝子を細胞内導入する。この細胞に光を当てると、LOVが開いてePDZに結合することで、オルガネラに任意のモーター分子や、逆に動きを止める分子を結合させることができる。この方法を使うと、例えば特定のオルガネラを細胞内骨格の微小管を沿わせて細胞の中心に移動させたり、外部に移動させたり、あるいは特定の場所に停止させたりすることができる。この研究ではこれが実際に細胞の中で可能であることを様々なオルガネラ・アンカータンパクとモータータンパクを組み合わせて示している。例えば光を当てた場所だけで、ペルオキソゾームが細胞の辺縁へ、あるいは中心へと動かせるビデオは見るだけで興奮する。また、光による分子変化は可逆的なので、光をon/offすることで、オルガネラを動かしたり止めたりできることも示している。また、神経軸索の伸長に重要な働きをすることがわかっていたRAB11が成長している先端でだけ働いていることを、先端だけで光を当てる実験で証明して、これまではっきりしなかった問題の解決に役立つことまで丁寧に示してくれている。他にも、ミトコンドリアを神経軸索の任意の場所に移動させる実験なども行い、著者たちが子供のようにはしゃいでいるのを感じる。要するに、これまでほとんど不可能だった、分子やオルガネラの細胞内での位置を調節することが可能になったこと、この技術が細胞生物学に大きな可能性を開いたことははっきりわかる。チャンネルロドプシンを使った光遺伝学が神経生物学を変えているのを見れば、このテクノロジーの大きな未来を予測することは簡単だ。どんなエキサイティングな話がこの方法を使って示されるのか、ワクワクする。しかし、細菌のCRISPR、藻類のチャンネルロドプシン、そして細菌や植物のLOVと、動物以外から道具を借りた方法の広がりはすごい。こんな時代になると、狭い知識しかない研究者はどんどん淘汰されてしまう。私はもう現役を退いているが、圧倒されるほどの新しいテクノロジーに直面して、本当に興奮できるのだろうか。実際は置いてきぼりを食って大変だと思うのではないだろうか。例えば、このようなテクノロジーがほとんどリアルタイムで若い人に手に入るような組織を考えたらどうだろうか。金をかけて導入競争をして、有力研究者だけが勝利するという構造は無くなるはずだ。

カテゴリ:論文ウォッチ

1月10日:HPVワクチンと多発性硬化症(1月6日アメリカ医師会雑誌掲載論文)

2015年1月10日
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論文発表から撤回まで10年以上を費やした有名な捏造事件が、Andrew Wakefield事件で、発端は彼と12人の共著者がThe Lancetに発表した3種混合ワクチン(MMR)接種後に自閉症が発症することを示唆する論文を発表したことだった。もちろん大規模な疫学試験によってこの報告が追試できないことはすぐに明らかになる(この調査には我が国のMMRと麻疹単独ワクチン接児を比べた研究も貢献している)。しかしこの事件は最初から科学以外の要因が絡んでいた。まず、Wakefieldが論文にははっきり結論していない因果性についてプレス発表で明言し、MMRワクチンを中止するよう呼びかけたため大きな問題となった。しかし捏造行為自体は自白すれば分かる問題で、その後この論文が、MMRに反対する組織からお金を受け取っていたことや、彼自身が自分のベンチャー会社を設立しようとしていたことが明らかになり、彼を除く12人の共著者が論文取り下げに同意、The Lancetもそれに従った。この問題は、結果としてワクチン接種を止めて麻疹にかかった子供が発生したことなど、重大な実害があったことで、捏造は刑事事件にすべきであるという意見の根拠になっている。一方、ワクチンに反対するグループは世界中に存在し、実際Wakefieldもテキサスでこのような団体に支持される研究所で活動を続けていた。このように捏造行為自体の解明には本人や関係者の自白を積み重ねるしか手段はない。一方、科学側としては論文や雑誌を通して論争を進めるしかない。事実この事件でも先に挙げた日本のデータを用いた研究を含め、様々な雑誌でWakefieldも参加した論争が続いた。特にワクチンのように医学内に論争をとどめにくい問題では、軽々に個人的意見をさけ、あえて医学的論争に終始する態度が必要だ。今日紹介する論文は、子宮ガン予防のために世界的に接種が行われているHPVと多発性硬化症との関連を調べるために行われたデンマーク、スウェーデンの疫学調査で1月6日号のアメリカ医師会雑誌に掲載されている。タイトルは「Quadrivalent HPV vaccination and risk of multiple scleraosis and other demyelinating diseases of the central nervous system (ヒトパピローマウィルス4種混合ワクチンと多発性硬化症や他の脱ずい性神経疾患のリスク)」だ。このワクチンをめぐっては我が国でも全身性の痛みを始め様々な副作用が問題にされている。同じように、欧米ではこのワクチンと多発性硬化症を始めとする脱ずい性疾患との関連を示唆する症例報告が続いていた。しかしこの問題に対しては、結局疫学調査と、症状のメカニズム解明しか答えを出すことはできない。これに対して、2006-2013年にワクチンを受けた方と、受けなかった女性を2年間追跡して、多発性硬化症の発症を調べたのがこの研究だ。研究では約400万人の女性が調べられ、そのうち80万人がワクチンをプロトコル通り接種されている。疫学調査としては十分大規模で、信用できる。結論はこの疫学調査ではワクチン接種と脱ずい性疾患の関連は認められなかったという結果だ。ただ、免疫反応には多くの遺伝的要因が関わる。北欧の結果がそのまま我が国にも当てはまるかは不明だ。我が国でも、このような調査を重ねて、受けるリスクと受けないリスクを正確に出す努力が必要だろう。論争が科学の範囲を越え出すときこそ、科学者は「象牙の塔」にこもる努力が必要な気がする。

カテゴリ:論文ウォッチ

1月9日:ベートーベンの心臓病(Perspectives in Biology and Medicine, vol 57, 2014, pp285)

2015年1月9日
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ニューヨーク大学の物理学教授アラン・ソーカルが、当時一斉を風靡していたポストモダンの哲学者の説を数学的に正当化できるとする論文をSocial Textに発表、その後これがデタラメの悪ふざけだったことを告白して大騒ぎになったことがあった。私自身はソーカル自身が書いた「知の欺瞞」(岩波書店)を読んで知ったが、客観性や他人との合意に達する決まった手続きが確立できていない哲学の科学への憧れを揶揄した面白い事件だと思った。一方、科学者の方にも芸術や哲学を教養や趣味として身につけるべきであるという憧れがある。私は、科学には文化や教養を超えた客観性を獲得するための手続きがあるおかげで、科学者になるのに教養や趣味は必要なく、誰でもこの手続きさえ受け入れると意思表明すれば科学者になれると思っている。とはいえ、論文の中で自分の教養や趣味をひけらかしたいという誘惑をそのまま実現した論文は確かに存在する。今日紹介するワシントン大学心臓内科からの論文はジョンス・ホプキンス大学から年2回出ているPerspectives in Biology and Medicineに掲載された研究(?)で、ベートーベンが心臓病、特に不整脈に悩んでいたのではないかについて考察した論文だ。タイトルは「The heartfelt music of Ludwig von Beethoven(ベートーベンの心臓状態がわかる(心からという単語の意味を読み替えている)音楽)」だ。読んだ後、すぐソーカルを思い出した。半分悪ふざけだと思う。しかし誰に向けて書いているのだろう。教養に憧れる科学者だろうか?責任著者は心臓内科の医師で、おそらく音楽を自分でも演奏するのだろう。共著者にはミシガン大学の音楽学のメンバーも入っている。さて研究だが、ベートーベンの作品の中でも悲痛な、心の中から込み上げてくる感情が感じられる3曲、ピアノソナタ25番変ホ長調(告別)、弦楽四重奏曲13番(カヴァティーナ)、そして最後のピアノソナタ31番(本当は最後は32番でした)を取り上げ、それぞれの曲のモチーフになる重要なパッセージにリズムの大きな乱れがあることを指摘し、このようなリズムは心室期外収縮からきているに違いないと結論した論文だ。その例として、「告別」の出だし、あるいは弦楽四重奏のカヴァティーナとして知られる5楽章の途中で急に変ハ長調に移調した後の長い休止などをあげている。そして、1)耳の聞こえないベートーベンには健常人よりはるかに自分の心臓が感じられたはずで、これが音楽のモチーフになっている、2)残されている彼の記録には直接的に心臓の異常は書かれていないが、例えば喘息など幾つかの記載から心臓に異常があったことが疑われる、などと議論している。もちろん、この「不整脈的」パッセージはただベートーベンの天才を示しているだけかもしれないと自分の理論の問題も指摘している。どちらにせよ悪ふざけだと思う。私は人を信じる方で、騙されやすいので、もちろん信じてみようと思う。ただ問題は、これから少なくともこの3曲を聴くときはこの論文が私の楽しみを邪魔することは間違いない。

カテゴリ:論文ウォッチ

1月8日:I am the Berlin Patient(AIDS research and human retrovirus誌掲載コメンタリー)

2015年1月8日
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メカニズムの異なるAIDSに対する幾つかの薬剤が開発されて以来、多剤併用によるAIDSウィルス増殖の抑制が可能になった。このおかげで、AIDSは不治の病でなくなったが、ではインフルエンザのように根治できるか、即ち薬剤の服用が必要なくなるか?というと、決してそうではない。このため、患者さんは薬の服用を一生続けなければならないという精神的・経済的負担から逃れることができない。とはいえ、いく筋かの希望の光が存在する。すなわち、AIDSウィルスが完全に消えた患者さんが世界には存在する。これまでベルリンに2人、ミシシッピ・ベイビーとして知られていたアメリカの患者1人が根治ケースとして考えられてきた。この中で、感染後早期に集中的治療を行ったケースは、根治につながる薬剤治療が可能ではないかと期待をもたせたが、ミシシッピ・ベイビー、ベルリンの患者もAIDSウィルスが再出現、あるいは低いレベルで残っていることがわかっている。これに対し、AIDS治療の途中で急性骨髄性白血病を発症し、その治療としてAIDSウィルスの侵入口であるCCR5に突然変異があるためウィルスが細胞に侵入できないドナーからの骨髄移植を2回にわたって受けた患者さんは、現在のところAIDSが根治した最初の例として知られている(N Engl J Med 360:692, 2009)。この結果は、遺伝子改変した幹細胞移植が将来の根治治療のために切り札になる可能性を示しており、現在急速に方法の開発が行われている。この患者さんは自分がTimothy Ray Brownであると名を名乗り、新聞やテレビのインタビューにも答えていたが、1月号のAIDS research and human retrovirus誌に自ら体験談を寄稿した。タイトルは「 I am the Berlin patient: A personal reflection (私がベルリンの患者です:個人的回想)」だ。内容はこれまで論文で報告されていたことと変わらない。この回想録により、ベルリンの患者が、ドイツの大学で学んでいたアメリカ人で、10年間AZTとタンパク分解阻害剤で普通に生活していたところ、白血病を発症したこと、そして3ラウンドの化学療法の後、たまたまCCR5の突然変異を持っている骨髄ドナーから移植を受けたこと、白血病が再発し、ベルリンで同じドナーから骨髄移植治療を受け、最後にベルリンの患者と呼ばれるより名前を明かそうと決めたこと、名前を明かした後様々な取材を受けたことなどが淡々と描かれている。最後に、2012年からTimothy Brown財団を設立し、根治に向けて活動を開始していることを書き添えてこのコメンタリーは終わっている。それだけのことだが、患者さんが語ること自体が重要だ。21世紀は客観的記述と主観的記述が同時に行われることで新しい可能性が生まれる時代だと私は密かに期待している。特に患者さんたちからの主観的記述が集まることは重要だ。ベルリンの患者がTimothy Brownに変わることがもっともっとわが国でも広まることを期待したい。

カテゴリ:論文ウォッチ

1月7日:抗生物質をデザインする(1月5日号Journal of Clinical Investigation掲載論文)

2015年1月7日
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創薬、特に薬効のある化学化合物を発見するためには、ただ大規模な化合物スクリーニングができれば済むわけでなく、必ず分子の構造が頭の中に浮かんでくる優れた化学者の参加が必要だ。この素養に全くかけている私から見ると、このような化学者はいつも奇跡のように思える。今日紹介するスタンフォード大学からの論文は、化学者の手にかかれば現在ある化合物が魔法のように生まれ変わるということを教えてくれる研究で、1月5日号のJournal of Clinical Investigationに掲載された。タイトルは「Designer aminoglycosides prevent coclear hair cell loss and hearing loss (アミノグリコシドをデザインして蝸牛有毛細胞の変性からくる難聴を防ぐ)」だ。アミノグリコシド系の抗生物質は歴史が古く、ストレプトマイシン、カナマイシン、ゲンタマイシンなどの名前を聞くと懐かしい。40年前に私が医師として勤めだした頃はペニシリンと並ぶ主役だった。特に抗生物質の効きにくい細菌にも使えるので、何か最後の切り札のような感じで使っていた気がする。「最後の」と考えるのは、アミノグリコシド系抗生物質が高率に聴力障害を起こす副作用があるためで、かなり慎重に使わざるを得なかった。この副作用だけを抑え、抗生物質としての薬効を残す薬を作れるかがこの研究の課題だ。この研究のきっかけになったのは、アミノグリコシドが聴力障害を特異的に引き起こすメカニズムを明らかにした研究があるからだ。すなわち、アミノグリコシドは通常細胞内に取り込まれないが、蝸牛の有毛細胞が発現して音を聞くのに重要な働きをしているメカノセンサー分子のイオンチャンネルを通って有毛細胞内に侵入できることがわかった。そこで、カルシウムイオン(陽イオン)が流れ込むチャンネルを通ることのできないアミノグリコシドを、正電荷を減らすことで設計できないか検討したのがこの仕事だ。結果は明快で、シソマイシンをベースに、幾つかの正電荷を減らした合成物を作成し、副作用と抗生物質の効果を調べたところ聴力障害性の少ない抗生物質ができたという結論だ。生理学的に、この副作用が予想通りメカノセンサーを介していることも示している。生理学と化学が統合されたいい仕事だと思う。抗菌性の抗生物質は今でも医療の重要な柱だ。同じような見直しで、より優れた抗生物質が開発されることを期待する。しかしこの論文の著者を見ていると、耳鼻咽喉科、腎臓内科、小児科の研究者が生理学者と協力してこの薬を開発したことがわかる。即ち、日々の臨床でアミノグリコシド系抗生物質の副作用をなんとかしたいと思っている医師のイニシアチブが感じられる。このような協力関係が築けることこそが大学の使命だと実感した。

カテゴリ:論文ウォッチ

1月6日:MAPCからiPSへ(1月13日号Stem Cell Report誌掲載論文)

2015年1月6日
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幹細胞研究分野の国際会議は、4000人の会員数を誇るISSCR(国際幹細胞研究学会)に集約されているが、実はこの学会の歴史は浅く、最初の会議は2002年にワシントンで行われた。なぜワシントンかと言われると、ブッシュ政権時ヒトES細胞の樹立や利用を禁止する法案がアメリカ議会を通過するのではないかとの心配から、対抗する一種政治ショーの使命も帯びていた。ハーバードのLen Zonの呼びかけに応じて、この会議に向けてボードを組織し、ようやく会議にこぎつけたが参加者は500人に満たなかったと覚えている。全く母体もなしに国際会議組織を一からどう作ればいいのかを学ぶ良い機会になった。このためこの会議の最も重要なテーマはヒトES細胞だったが、それに対抗していたのが骨髄から樹立される多能性幹細胞MAPCだった。ヒト胚を利用しない倫理的問題のない細胞として、常にヒトES細胞と一緒に取り上げられた。このMAPSの生みの親が当時ミネソタ大学にいたCatherine Verfailleで、ISSCRでも最初から登場願った。ただ追試が難しく、捏造疑惑がでたことで(論文は撤回していない)、いつの間にか注目されなくなり、彼女もベルギーに帰国した。彼女が帰国後、一度MAPCの遺伝子解析を手伝ったが、随分ES細胞とは違った不思議な細胞だった。5年ほど年前に最後に会ってから出会うことがなかったが、1月13日号のStem Cell Reports誌に久しぶりに彼女の論文を見つけた。タイトルは「Restoration of programnulin expression rescues cortical neuron generation in an induced pluripotent stem cell model of frontotemporal dementia(前頭側頭型認知症患者から樹立したiPSの示す皮質ニューロンへの分化異常はprogranulin発現により回復する)」だ。なんとなく懐かしく紹介することにしたが、タイトルにある通り彼女は今iPSを使った研究を進めていることがわかり、なんとなくほっとした。論文はいわゆるiPSを使った疾患モデルの研究で、中年から発症する家族性の認知症の中で、プログラニュリンと呼ばれる増殖因子の突然変異が特定された患者さんからiPSを作成して、病気の原因を探っている。結果は比較的単純で、遺伝子異常により試験管内での皮質ニューロンへの分化が抑制されるが、この異常をプログラニュリン遺伝子の発現量を正確に元に戻す(遺伝子ノックインを用いている)ことで回復させることができる。この結果から、この前頭側頭型認知症はこの分子の分泌異常で起こると結論できる。治療への手がかりを探すため、iPSから神経分化を誘導後40日目の細胞の遺伝子発現プロファイルを比べると、疾患iPSではWntシグナルが上昇している。そこでWntを抑制する化合物を培養に加えると、皮質ニューロンの分化が回復したという結果だ。まとめると、プログラニュリン分泌低下すると、神経幹細胞から皮質ニューロンへの分化が選択的に抑えられ、変性性の認知症に陥る。これに対する薬剤としてWnt抑制剤は使えるかもしれないという結果だ。治療への手がかりが示されている点は評価できる。しかし、なぜ発生で普通に皮質が形成され、年をとってから認知症が出てくるのか?なぜ異常が前頭葉側頭葉に限局しているのか?はわからないままで、道半ばというところだろう。MAPCはやめてiPSに鞍替えして研究を続けているのか、それともまだMAPCを続けているのか、少し気になる。

カテゴリ:論文ウォッチ

1月5日:良い肥満と悪い肥満(1月2日号Journal of Clinical Investigation掲載論文)

2015年1月5日
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お正月が開けると、食べ過ぎて太っていないか心配な人も多いだろう。今日は肥満についての研究を紹介する。良い肥満と悪い肥満があり、また日本人のように肥満がなくても糖や脂肪代謝の異常が起こることは耳学問で知っていた。しかし、脂肪や糖代謝をヒトでどこまで深く調べることができるのか、実験レベルのことはほとんど知らなかった。今日紹介するワシントン大学からの論文は、ヒトで肥満による代謝を徹底的に調べるときに専門家がどんな検査をしているのか知る意味では格好の論文だった。タイトルは「Metabolically normal obese people are protected from adverse effects following weight gain(肥満でも代謝が正常な人は体重増加による悪影響から守られている)」。先の大戦でイギリスを指導したチャーチルは、現代から見ると悪い習慣の代表みたいな首相で作家(ノーベル文学賞を受賞しているので作家と紹介しないわけにはいかない)だった。いつも葉巻姿で、お腹が出た典型的英国型の太ったジョンブルだった。それでも91歳まで生き、天寿を全うしたと言えるだろう。こんな例を見ていると、間違いなく肥満自体が問題ではないことがわかる。したがって、良い肥満と悪い肥満を区別することは医学の重要な課題だ。研究では肥満で健康に暮らしている人を集めて、なんと1日3500Kcalの食事を続けて、体重が6%近く増加したところで検査を行うことで、急激に体重を増やした時に代謝がどう変わるか調べている。まず驚いたのが、良い肥満と悪い肥満を見分ける最初の指標として、核磁気共鳴法を用いて肝臓内のトリグリセリド量を調べていることだ。核磁気共鳴法がイメージングだけでなく、分子の特定にも使えるのは知っていたが、ここではこれを利用して肝臓内のトリグリセリドの高い人を悪い肥満、正常の人を良い肥満とまずわけて、これが正しいかより詳しく調べている。そのために一般検査は言うまでもなく、入院させて朝からカテーテルを静脈と動脈に留置して、異なるアイソトープでラベルしたブドウ糖、パルミチン酸を注射し、その後血中に存在するアイソトープでブドウ糖やパルミチン酸の代謝を計測する。インシュリン抵抗性を調べるために、2種類の用量のインシュリンをこれも静脈から投与し血中濃度を一定に保って代謝を測定している。これにより、肝臓と筋肉インシュリン感受性を区別して調べることができる。この検査の1週間後に次は超低比重リポタンパク量の変化とともに、これもアイソトープでアミノ酸代謝を測定している。最後にインシュリン濃度を固定している間に腹部脂肪組織をバイオプシーして、脂肪組織の遺伝子発現を調べている。太ることだけでも大変だろうに、何日もかかる検査に付き合ってくれるボランティアの方がよくいたなと感心する。結果は一目瞭然、肝臓内トリグリセリドで良い肥満と悪い肥満を区別できる。悪い肥満の人は、肝臓も筋肉も糖や脂肪の代謝レベルでインシュリンに抵抗性が顕著だが、良い肥満の人は太っていても代謝にほとんど変化がないという結果だ。その上で、超低比重LDLが肝臓内トリグリセリドと相関していることを示しており、今後の診断に使えそうだ。ではなぜこのような差が出るのか?これについては答えは出ていないが、インシュリン濃度を一定にした時の脂肪細胞の遺伝子発現から、良い肥満の人は急速に体重が増えると脂肪合成や代謝に関わる酵素が増加しているのに、悪い肥満の人ではこれらの遺伝子発現が低いままだ。したがって、この体重増加に対する脂肪細胞の反応の差の原因を調べることで今後遺伝子やエピジェネティックレベルの研究が進むだろう。しかし、代謝を徹底的に調べることがどんなことかよく理解できた。肥満なら全て悪いという乱暴な議論が多い中で、いい勉強になる論文だと思う。

カテゴリ:論文ウォッチ

1月4日:ガン発生リスクの組織差:思い切った仮説を元に考えてみる(1月2日号Science誌掲載論文)

2015年1月4日
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以前ポルトガル・グルベキアン研究所が組織していた大学院コースで集中講義を頼まれた話を紹介したが、その週の朝の講義を担当していたのが、発生学の教科書「Principles of development」で有名なLewis Wolpertだった。いい機会だと私も学生に混じって5日間の講義を全て聞いたが、学生を惹きつける講義法に感心した。中でも初日と最終日の講義が印象に残っている。最終日は科学と政治の話で、コンラート・ローレンツがナチスに協力したことを題材に、科学者が大衆に迎合することで、逆に大衆を扇動してしまう危険性を説いていた。一方初日は、講義冒頭に「発生に必要なシグナルは5種類しかない」と話し始めて、参加した学生の「そんなはずはない」という反論を促し、その反論に答える形で講義を進めていた。批判力を強め、総合的な人間の魅力を高める以外にいい講義はできないことを学んだ素晴らしい経験だった。前置きが長くなったが、今日紹介するTomasettiとVogelsteinが1月2日号のScience誌に発表した論文を読んで、同じような思いが蘇ってきた。タイトルは「Variation in cancer risk among tissues can be explained by the number of stem cell divisions(ガン発生リスクの組織差は幹細胞分裂の数で説明できる)」だ。著者の一人Vogelsteinは言うまでもなく、発ガンの多段解説で有名なガン遺伝学の大御所で、医科研の中村さんのAPC遺伝子の発見論文の共著者にもなっている。研究というより、一つの考え方を提案した論文で、「なぜ組織ごとにガンのリスクは異なっているのか?」を問題にしている。わかりやすく言うと、なぜ直腸・大腸ガンはガン全体の5%に達するのに、小腸ガンは0.2%にしかならないのかという問いだ。ガンのゲノムが明らかになってくると、変異を起こしている遺伝子の種類は似ているのにこのような差が生まれていることがわかる。この問いに対して、Vogelsteinは極めて単純な可能性を提案する。すなわち、各組織の幹細胞の数とその分裂回数を乗じた全幹細胞分裂数が各組織の癌リスクを反映するという仮説だ。そして様々な資料を探し出して、例えば直腸・大腸の幹細胞分裂数を1兆回、小腸の幹細胞分裂数を三千億回と計算して、各ガンの生涯リスクとプロットして、確かに癌リスクと幹細胞分裂数が相関していることを示している。こういう単純な仮説を出されると、「Vogelstein先生らしくもない、それはあまりに単純でしょう。」と反論したくなる。そんな反論は百も承知で、今度は全幹細胞分裂回数と、実際のガンの生涯リスクの対数を単純に乗じただけのExtra Risk Scoreを指標としてガンを並べると、直腸がん、基底細胞癌、肺がん、ウィルス性ガンなどの指標が高スコアのガンから、膵臓癌、小腸ガン、十二指腸癌などの低スコアのガンまで並ぶ。そして、高スコアのガンは、分裂回数に環境などの要素が加わっていることを示しており、予防可能だと結論する。実際、直腸がん、肺がん、C型肝炎による肝がんなど、すでに一定の予防が可能なことがわかっている。一方、膵臓癌、小腸ガンのリスクは幹細胞分裂回数と密接に関わるため、予防より早期診断しかないとしている。話はこれだけで、ガンの専門家ならこんな当たり前のことを論文にしてと怒るかもしれない。しかし、同じような論文がこれまでなかったとすると(検証していない)、1)当たり前のことを疑問に思う、2)単純に物を考えてみる、そして3)一般的に物を考えることの重要性を示して見せた点でなるほどVogelstein先生だと納得する。おそらく、ガンのゲノム研究が個別の問題を扱いすぎることに対する、大御所からの皮肉を込めたメッセージであるような気がする。

カテゴリ:論文ウォッチ
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