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5月22日:肝臓ガン発生のシグナル(Cancer Cell6月号発行予定論文)

2016年5月22日
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   rasを始め発がん遺伝子の多くは、細胞内シグナル伝達経路の異常を誘導する。では現在ガンのシグナル経路の研究が盛んかというと、私の印象ではそれほどでもないようだ。一つの原因は20世紀後半に重要なシグナル伝達経路が詳しく研究され、イメージング研究以外になかなか新しい切り口が見つからないことだ。これに加えて、ガンに関してはシグナル経路の特定だけでなく、その経路がガンに関わるかどうかの生物学的意味が問われるため、遺伝子改変を組み合わせる複雑な発がん実験が要求され、一つの研究をまとめるのに時間がかかるようになったこともある。
  今日紹介するカリフォルニア大学サンディエゴ校からの論文はそんな苦労を厭わず発がんのシグナル伝達経路に取り組んだ研究でCancer Cell 6月号に掲載予定だ。タイトルは「p62, upregulated during preneoplasia, induces hepatocellular carcinogensis by maintaining survival of stressesd HCC-initiating cells (ガン発生前に発現が上昇するp62はストレスにさらされた肝ガン幹細胞の生存を維持して発がんを誘導する)」だ。
   この研究はシグナル研究の大御所Michael Karinの研究室からの論文で、どんな困難があろうとシグナル研究の老舗を守ろうという意思が感じられる。Michael Karinは現在活躍中の多くの日本人研究者を育てたが、この論文にも筆頭著者を始め多くの日本人が著者になっている。この研究ではオートファジーの際にミトコンドリアにユビキチンシグナルを結合させるアダプター分子で、多くの肝ガンで発現が認められていた。しかしmTORC,Myc,TERTといった遺伝子と比べると、この発現上昇の意味は研究されてこなかった。この問題に膨大な実験をつみ重ねて挑戦したのがこの研究で、p62を誘導するシグナル分子、p62が関わるシグナル分子をコードする遺伝子改変マウスとp62遺伝子改変マウスを掛け合わせた発がん実験、あるいはp62をアデノウイルスベクターを用いて肝臓に導入する発がん実験を組み合わせて、p62が様々な原因による肝ガンに関わっていることを証明している。詳細を省いて結論を述べると、 1) p62は脂肪肝やウイルス感染による炎症によりオートファジー機能が弱まった肝細胞で誘導蓄積する、 2) 誘導されたp62はガン予備軍細胞のNRF2,mTORC1,c-Mycを誘導してガン化を促進する、 3) NRF2経路活性化は、活性酸素に対する耐性を獲得し、ガン予備軍細胞に様々な遺伝子変化が蓄積するのを助ける、 などが総合して、肝ガン発生につながるという研究だ。    さらにザクッとまとめると、ガンの周りの環境因子により誘導・蓄積したp62が、細胞自身の様々なシグナル経路のコオーディネーターとなって、環境とがん細胞をつなぎ、発がんが進むことを示した研究で、シグナル伝達経路を扱い慣れているグループならではの研究だと強い印象を持った。最後に人のガンでもp62発現が高いと再発が高いことなどを示しているが、診断よりはp62を抑えるか、p62の作用を抑える方法を発見することがこの研究成果を生かす道になるだろう。期待したい。
カテゴリ:論文ウォッチ

5月21日:生命誕生の有機化学(5月13日号Science掲載論文)

2016年5月21日
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   現役を退いた後ぜひ理解したいと思ったのが、無生物から生物が誕生する過程だ。最初、生命誕生までの過程について自分が納得できる説明に到達できるか半信半疑だった。というより、ほとんど諦めていた。しかし、少しづつ文献を読みながら三年経つと、自分で納得できる、しかも実験可能で具体的な生命誕生のシナリオを描くことはそう難しいことでないと思うようになってきた。
   この私自身の理解が進化してきた過程を、顧問を勤めているJT生命誌研究館のホームページに「進化研究を覗く」(http://www.brh.co.jp/communication/shinka/)として書き綴っている。特に2015年10月15日に書いた「ゲノムの発生学I」以降は(http://www.brh.co.jp/communication/shinka/2015/post_000020.html)生命誕生に関わる論文や自分の考えを紹介しているので、生命誕生に興味のある方は是非読んでほしい。
   この「生命誕生を説明するのは難しくない」という確信をもとに、出張講義を頼まれている医学部学生への講義でもこの課題を取り上げ始めた。昨日皆さんのレポートが送られてきたので、どんな反応が得られたのか読むのが楽しみだ。
   生命誕生研究分野には、例えば分子生物学といった中核は存在せず、物理学、有機化学、情報理論、地球学など広い分野にわたっている。これが、この分野を研究したいという気持ちが萎える一つの原因だが、ほとんどカオスの状態から生命が誕生したことを考えると、当然の話だ。今日はその裾野で生体分子の化学合成に取り組むミュンヘン大学からの論文を紹介したい。この研究では、生命誕生前にATP,DNA,RNAの原料となるアデノシンが一回の反応で合成できる条件を探っている。タイトルは「A high yielding, strictly regionselective prebiotic purine nucleoside formation pathway (高収量で部位選択的な生命誕生前のプリンヌクレオシド合成経路)」で、5月13日号のScienceに掲載された。
  熱水噴出孔の発見は生命に必要な有機化合物合成についての考え方を大きく変化させ、炭酸ガス、水素、アンモニアなどから、アセトンやメタンといった単純な有機物が作られることはこの分野では自明の事実になっている(http://www.brh.co.jp/communication/shinka/2015/post_000022.html)。このため現在では、より複雑な有機化合物が合成される過程を、重要な分子について説明していくことが研究の焦点になっている。
  例えば生命の情報とエネルギーに必須の分子、アデノシンは塩基と糖が結合したヌクレオシドにだが、生体では何段階にもわたる代謝経路に従って合成される。しかしこのような多段階の代謝経路は生命にしか存在せず、生命以前には単純な反応で合成しなければならない。これが可能かどうか研究が続いているが、もちろん研究人口は多くない。
  塩基の中でもプリンはより構造が複雑で、これまでOrgelグループによりアデノシンを合成する一つの反応経路が示されていたが、実際合成してみると、生まれる産物は多様で、目的アデノシンの収率が極端に悪かった。
   今日紹介する研究では、合成回路の理論的検討に基づき、シアン化アンモニウムから簡単に合成されるフォルミルアミノピリミジン(FaPy)を原料とすることでアデノシンの高収量の合成が可能ではないかと着想した (有機化学の専門家は経路を眺めているだけで頭の中で反応が進むようだが、悲しいかな素人にはこれを体験するのは難しい)。基本的にはFaPyから始めるという着想が全てで、後は様々な条件で(熱したり、結晶化させたり、pHを変えたり)反応させてアデノシンの収率を調べている。
   結論としては、FaPyからスタートすることで、生体のように他段階の反応経路を通らなくとも、一回の反応でアデニンを少なくとも20%以上の収量で合成できることを示している。しかも、利用した材料や条件は当時の地球に存在したと十分考えられる条件だ。これをリン酸化するのはそう難しくない。これで生命誕生以前の地球にとって、ATPも核酸も現実に近づいた。
 生命誕生研究の裾野は広いが、それぞれの裾野での研究は着実に進歩している。まだまだ研究人口は少ないが、これから野心的な若者の参加が期待できるように思える。この分なら、生きているうちに、生命合成の瞬間に出会えるかもしれない。
カテゴリ:論文ウォッチ

5月20日:通説を調べてみる(The British Journal of Nutrition, 115:1616, & The Journal of Allergy and Clinical immunology オンライン版)

2016年5月20日
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   私たちは様々な通説に囲まれて生きている。子供の頃なんども耳にした「甘いものばかり食べたら虫歯になるよ」という、科学的根拠のある話から、「食べてすぐ横になると太る」と言った、誰が確かめたかわからない話まで、内容は多彩だ。今考えても、確かに横になると肝血流量が増えるので、何か影響が出そうだが、やはり統計的に確かめないと正しいかどうかわからない。問題は、いわゆる健康法や健康食品の多くはもっともらしい通説に頼っていることだ。どれを信じていいのか、結局科学的調査を待つしかない。
  今日最初に紹介する英国からの論文は、「遅い時間に夕飯をとると太る」という通説を調べた研究でThe British Journal of Nutrition 115:1616に掲載された。タイトルはズバリ「The timing of the evening meal:how is this associated with weight status in UK children(夕飯の時間:英国の児童にどのような影響があるのか?)」だ。
  研究では4−10歳の児童768人、11−18歳の児童852人に4日間食事日記をつけてもらい、8時以降に夕飯をとる児童と、それ以前にとる児童で肥満度を比べている。他にも栄養摂取量など詳しく調べているが、結論は夕飯が遅くとも、児童に関しての肥満度の差は確認できないことが明らかになった。
   もう一編のロンドン大学からの論文は水道の水に含まれるカルシウム濃度とアトピーの発生率を比べた論文で、The Journal of Allergy and Clinical Immunologyオンライン版に掲載された。タイトルは「The association between domestic water hardenss, chlorine and atopic dermatitiss in early life: a population-based cross sectional study(家庭の水道の硬質度や塩素濃度とアトピー性皮膚炎:地域別横断的研究)」だ。
  硬水を使っているとアトピーになりやすいという可能性は考えたことがなかったが、これまでも問題にされて来たようで、大人については我が国からの研究も発表されている。ただ、ひふのバリアーが完全でない乳児についてこれを調べた研究はなかったようだ。この研究では、1303人の3ヶ月児をリクルートし、診断基準に従ってアトピー性皮膚炎に罹患しているかどうか調べている。他にも、皮膚からの水分蒸発度を調べたりして、皮膚のバリアー機能を測定している。その上で、それぞれの住む地域の水道データから炭酸カルシウム濃度と塩素濃度を割り出し、アトピー性皮膚炎と水道水の硬度との関係を調べている。
   結論だが、この通説は正しいようで、水道水の炭酸カルシウム濃度や塩素濃度が高い地域では、アトピー性皮膚炎が優位に増加している。最近出産時にワセリンを塗ることでアトピーの発症を著明に抑えられることが報告され、乳児期に皮膚のバリアーを守ることの重要性が明らかになっている。その延長で考えると、硬水で体を洗うことで、知らず知らずのうちに皮膚のバリアーを壊しているのかもしれない。
   17世紀からの哲学を追いかけていると、イギリス経験論の実証性が大陸の哲学者に大きなインパクトを与えたことがよくわかる。この通説を信じず、自ら確かめる精神がイギリスには生きていることが、これらの論文を読んで改めて実感した。
カテゴリ:論文ウォッチ

5月19日:変わった生物の進化(5月23日号Current Biology, 5月17日号Nature Communication)

2016年5月19日
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   現役の頃はもっぱらマウスを用いて実験を行っており、様々な動物についてあまり知る機会もなかった。しかし引退して分野を問わず論文を読むようになってからは、世界中には様々な変わった動物が存在し、その進化をなんとか説明しようとしてゲノムを調べている人たちがいることを知るとともに、このホームページでもできるだけ紹介していきたいと思っている。今日はそんな論文を2編紹介する。
  最初はポーランド・ワルシャワ大学とチェコ・カレル大学からの論文で、、ミトコンドリアを完全に失ったMonocercomonoidesと呼ばれるトリコモナスに近い真核生物がいることを証明した研究だ。タイトルは「A eukaryote without a mitochondrial organelle (ミトコンドリアのない真核生物)」だ。
   真核生物の特徴の一つはミトコンドリアを持っていることだが1980年、一部の真核生物はミトコンドリアを始め様々なオルガネラが欠損して、アルケアに近いと考えるArchezoa説が唱えられた。しかし、ミトコンドリア関連オルガネラの存在がみつかり、この説は形態的にもゲノム的にも間違っていることが証明されて、すべての真核生物はミトコンドリア、あるいはミトコンドリア関連オルガネラを持つという命題が受け入れられてきた。
   この研究ではMonocercomonoidesの全ゲノムを解読し、この生物にミトコンドリアはおろか、ミトコンドリアを特徴付ける分子がほぼ完全に欠損していることを明らかにした。すなわち、ミトコンドリアもミトコンドリア関連オルガネラも存在しない真核生物が存在しうることが示された。
   研究ではまず、Monocercomonoidesゲノム中に現存の真核生物のミトコンドリアに存在する分子の特徴を持つ分子が完全に欠損していることを確認している。その上で、エネルギー生産は嫌気的なグリコリシスで行われること、そして鉄硫黄タンパク質合成系のCIS経路は全く存在しない代わりに、原核生物の持つSUF系を導入して細胞質でFe-Sアッセンブリーを行っていることを明らかにしている。
  この結果から、Monocercomonoidesはもともとミトコンドリアを持つ完全な真核生物だったが、嫌気環境に適応してミトコンドリアを消失。同じ環境の多くの生物はFe-Sアッセンブリーのためにミトコンドリア関連分子を保持し、2重膜を持つミトコンドリア関連オルガネラを持つようになったが、Monocercomonoidesだけは原核生物から獲得したSUF系のおかげでミトコンドリア関連オルガネラも完全に消失することができたというシナリオだ。必要なくなればミトコンドリアといえども完全に消し去るのが生物だ。
   もう一編のタンザニア、ケニア、アメリカからの共同論文は進化研究の定番「キリンの首はなぜ長い?」についての研究で5月17日号のNature Communicationに掲載された。タイトルは「Giraffe genome sequence reveals clues to its unique morphology and physiology (キリンのゲノムはその特異な体型と生理の手がかりを与えてくれる)」だ。
   この定番ともいうべきキリンのゲノムがまだ解読されていなかったのは驚きだが、研究ではマサイキリンと首のまだ短い仲間オカピの全ゲノムを解読し、この疑問に答えようとしている。キリンとオカピは他の有蹄類から2800万年前に分離し、オカピとキリンは1100万年前に分離している。研究ではキリンへの進化で大きく変化した遺伝子を拾い出し、それぞれの分子の機能を調べ、形質の変化と対応させるという手法を用いている。
   結論としては、幾つかの鍵となる分子を中核として多くの遺伝子が並行に変化することでキリン特有の骨格が生まれるという常識的なものだ。ただこの中から変化の鍵として提示している分子は確かに面白い。骨格でいえばFGF受容体と拮抗する阻害分子FGFRL1が大きく変化している。FGFシグナルを阻害すると鶏の首が伸びること、あるいはこの突然変異で骨格の大きな変化が起こることが知られており、この分子の変化を皮切りに様々な分子が並行進化するというシナリオはわかりやすい。他にも、長い首の先にある頭に血液循環を維持するための血圧維持機構に関わる分子の変化が集積していたり、あるいはキリンで多くの染色体が融合した原因になったと考えられるMDC1分子の大きな変異の発見など、いろいろな課題を拾うことができている。
  ただ残念ながらゲノム解析ともっともらしいシナリオだけでは、トップジャーナルにゲノム研究を掲載するのが難しくなっている。今回得られた課題を遺伝子編集を用いてマウスに導入することで、首の長いマウスを作ることが要求されるだろう。
「首の長いマウスが生まれるのを首を長くして待とうと思っている」
カテゴリ:論文ウォッチ

5月18日:スタチンは万能薬か?(米国アカデミー紀要オンライン版掲載論文)

2016年5月18日
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  病気になる前から、生活習慣病リスクの高い人に予防的に低用量の薬剤を長期間投与することが米国では真剣に検討されている。これまでその中心はアスピリンだったが、最近の論文では、高脂血症に使われるスタチンが、心臓発作による死亡を確実に低下させることがわかり、予防薬としての重要性が急速に増してきているように感じる。
   今日紹介する西オーストラリア大学からの論文もスタチンの多様な作用を示す研究で米国アカデミー紀要オンライン版に掲載された。タイトルは「Pravastatin ameliorates placental vascular defects, fetal growth, and cardiac function in a model of glucocorticoid excess (プラバスタチンはグルココルチコイド過剰モデルによる胎盤血管形成異常、胎児発育異常、心機能異常を軽減させる)」だ。
  1年もしない間に3Kg以上の細胞塊が形成される胎児発生では、胎盤と胎児の増殖を厳密に調節する必要がある。この増殖期から分化期へのスイッチに、胎児と胎盤でのグルココルチコイドの濃度上昇が関わることが知られている。したがって、増殖期の胎児胎盤のグルココルチコイド濃度は低く保たれる必要があり、この調節に母親からのグルココルチコイドを不活化する酵素HSD11b2が関わっている。
   このグループは増殖期のグルココルチコイドの影響をHSD11b2遺伝子ノックアウトマウスを用いて調べていた。この分子が欠損したマウスでは予想通り、臍帯血の血流が低下し、胎児発生が阻害される。この原因を調べていくと、胎児の心臓がまだ十分な大きさに達する前に分化が進んでしまうことがわかった。もちろん他にも様々な影響はあるが、グルココルチコイドの上昇による胎児発生異常の最も重要な原因が、心臓の発達異常にあると結論づけている。
   ここでスタチンを選んだ理由が私にもよくわからないが、唐突にスタチンでこの異常が防げないかという実験が行われる。マウス胎児発生6.5日目から17日目まで、メバロチンを母親に投与すると、驚くことにHSD11b2欠損マウスの胎児発生異常を予防することができた。すなわち胎児や胎盤の重さも正常化し、臍帯血の血流も正常化している。
  そしてグルココルチコイドで異常が起こった心臓の遺伝子発現のうち、アンジオテンシン転換酵素やコラーゲンの発現を正常化することがわかった。とはいえ、まったく影響を受けない遺伝子発現もあり、スタチンの効果のメカニズムの全像が分かったとは到底言えない。しかし、もともと妊娠時には避けなければならないとされているスタチンが、成長から分化へのスイッチの異常をなんとか取り繕っているという結果は面白い。結局メカニズムはよくわからないまま終わっている論文だが、現象の面白さで採択されたのだろう。
   このホームページでも、スタチンの意外な効果を紹介してきた。例えば多発性硬化症に対する効果がその例だが、理由は後にして、とりあえずスタチンの効果を調べてみても、バカにされないで済む時代がきているのではないかと思える。
   アスピリンと同じように、「困った時のスタチン」と言える安価な保健薬としてスタチンが定着するようになれば、ノーベル賞の声が聞こえるような気がする。
カテゴリ:論文ウォッチ

5月17日;ガン細胞を守る間質細胞(5月19日号Cell掲載論文)

2016年5月17日
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    現在多くのがんにシスプラチンなどの白金製剤が使われているが、薬剤耐性が出現しやすい。この耐性出現については、遺伝的変異、エピジェネティックス、薬剤のトランスポートなどの点から研究が進んでいるが、耐性を防ぐための治療の糸口が見えているわけではない。
   今日紹介するミシガン大学からの論文は白金製剤耐性が最も問題になる卵巣癌について、薬剤耐性が出現する過程を明らかにした論文で5月19日号のCellに掲載された。タイトルは「Effector T cells abrogate stroma-mediated chemoresistance in ovarian cancer(エフェクターT細胞は卵巣癌のストローマ依存性耐性を無効にする)」だ。
  研究手法はオーソドックスで一昔前の内容ばかりに見えるが、ともするとモデル動物や細胞株だけで終始するガンの薬剤耐性研究を、最初からガン患者さんから得られたサンプルを用いて行っている点で、臨床研究家の強い意志が見られる研究だ。
   手術で得られた卵巣癌と、ガンの周りの細胞を同時に免疫不全マウスに移植すると、シスプラチンに耐性になることがこの研究のきっかけだ。すなわち、ガンの周りのストローマ細胞が、シスプラチンからガンを守っている。そして、様々な実験を組み合わせて、 1) ガン周囲に集まるCD8陽性T細胞により、ストローマ細胞によるガンの保護作用を抑制することができる。この作用は、T細胞由来のγインターフェロンで置き換えられる。
2) 線維芽細胞によるガンの保護作用は、ガン内でのシスプラチン濃度上昇を抑制することが原因になっている。
3) これには線維芽細胞からガン細胞へ受け渡されるグルタチオンによってシスプラチンがキレートされることが原因になっている。
4) CD8陽性T細胞が分泌するインターフェロンは、ファイブロブラストでのシステイントランスポーターの転写を抑制し、グルタチオン産生を抑制することで、線維芽細胞のガン保護作用を無効にしている。
5) 卵巣癌では、ストローマ細胞の存在やCD8+T細胞の浸潤が、ガンの予後を決める。
を示している。
  すなわち、卵巣ガンの薬剤耐性は、ホストの解毒作用をうまく利用した結果ということになる。
   論文を読み進むと誰でも知りたいと思う卵巣癌の間質でのグルタチオン代謝と予後についての結果が分かるには、これから前向きの研究が必要で時間がかかるだろう。しかしこの研究が正しければ、シスチントランスポーターの機能を阻害するサラゾスルファピリジンの効果が期待されるし、なによりもインターフェロン投与も効果が期待できる。将来について著者らは免疫チェックポイント治療との併用を強調して、せっかく見つけた代謝経路を標的にすることに触れていないが、婦人科学教室も関わっているので、この点もぜひ調べて欲しいと思う。
カテゴリ:論文ウォッチ

5月16日:新しい公衆衛生学(5月12日号Nature掲載論文)

2016年5月16日
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   19世紀末、流行病の原因を一つの細菌に求める大きな流れに立ち向かい、生活環境も含めた複合病因説を唱え、「公衆衛生学の父」と呼ばれるようになったペッテンコッファーは、コレラの原因物質が人の糞便を通して土壌と相互作用を行い、最後に病原性を獲得するという説を唱えた。歴史的には細菌説が勝利し、それに耐えられずペッテンコッファーはピストル自殺とされているが、もちろん彼の思想は公衆衛生学として生きている。
   今日紹介するワシントン大学からの論文は、公衆衛生学、細菌学、疫学を統合して細菌感染に立ち向かおうとする研究で、ペッテンコッファーとコッホの論争を知る者にとっては感慨の深い論文だ。タイトルは「Interconnected microbiomes and resistomes in low-income human habitats (低所得の集団に見られる相互に関連した細菌叢と耐性)」で、5月12日号のNatureに掲載された。
  この研究の目的は、抗生物質耐性の感染症が人と環境にどのように維持されているのかを明らかにすることだ。このため、糞便や環境に存在する抗生物質耐性に関わる遺伝子を網羅的に探索するための方法が開発されている。実際には、調べたい糞便や土壌に存在する全ての細菌ゲノムを断片化し、遺伝子ライブラリーにして大腸菌に導入、その大腸菌の中から様々な抗生物質に耐性株を取り出し、耐性を付与した遺伝子を網羅的にリストしている。これにより糞便から、1000を超える耐性遺伝子が特定でき、そのうち1割以上は新しい遺伝子であることが示されている。この方法で探索を拡大していけば世界のヒトと環境に存在する耐性遺伝子のデータベースができるだろう。
  この方法を用いて、この研究ではエルサルバドルの貧しい農村、及びペルーの都市スラムの住人とその環境に存在する耐性遺伝子を探索し、人と環境の関係を新しい視点から掘り起こそうとしている。
  結果はペッテンコッファー時代とそれほど変わりはなく、人の糞便に見られる耐性遺伝子群は、家畜や便所近くの土壌に存在する耐性遺伝子群に近く、家から離れるに従い失われていく。農村では、ほとんどの耐性遺伝子はもっぱら人由来だ。一方、ペルーの都市スラムを調べると、住居から流れる下水の耐性遺伝子群はヒトの糞便より多様化しており、ヒトの糞便と環境とがさらに複雑な相互作用を行って耐性遺伝子を維持していることがわかる。しかし、下水処理場からの排水からは耐性遺伝子群は消失するので、公衆衛生的対応がいかに重要かがわかる。
   最後に、これら全ての耐性遺伝子群の塩基配列からヒトや環境中に存在する耐性遺伝子の関連を調べると、多くが水平遺伝子伝搬により広がってきたことが明らかになった。ある意味で、ペッテンコッファーの複合病因説に近いと言ってもよさそうだ(と勝手に思っている)。
   最近の腸内細菌叢研究の流行を考えると、この論文も流行を追う研究の一つかと読み飛ばしてしまうが、よく読んでみるとこの論文には全く新しい公衆衛生学や疫学の方向性が示されているように私には思えた。
カテゴリ:論文ウォッチ

5月15日:クリスパーと相同組み換え修復の意外な利用法(5月12日号Cell掲載論文)

2016年5月15日
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   今日紹介するフロリダ・マックスプランク研究所の安田グループからの論文は、出色のクリスパー遺伝子編集法の利用法の一つと言える。我が国のメディアも、生きた脳細胞の遺伝子を組み替える技術として紹介している。もちろんこんな言葉では説明できないことは専門家には明らかだ。遺伝子編集と日本人を組み合わせて単純な話としてしか報道できないのが我が国のメディアのレベルだと思えば、この論文の真価を正しく伝えられないのは当然だ。しかし心配なのは、これをSNSで紹介している科学者の多くが、この論文の真価を正確に伝えようとせず、メディアと同じレベルに自らを貶めていることだ。科学者として紹介するなら、言葉を尽くしてきちっと説明するべきだろう。
   マスメディアのように、効率のいい遺伝子編集法で生きたマウスの脳に遺伝子ノックインする方法と説明してしまえば、一般の人は、ほとんどの脳細胞の遺伝子が編集されると考えるだろう。しかし著者らがSLENDERと呼ぶ方法のミソは、この方法で脳内の一部の細胞だけを正確に遺伝子編集することができる点だ。そして、この編集により、細胞がひしめく組織の中のほんの一部の細胞だけに焦点を当て、分子の動態を細胞レベルで詳しく調べられる点だ。実際効率が良すぎると、脳のような細胞がぎっしり詰まった組織では、個々の細胞の特徴を全く観察できない。この問題解決のためにこの方法を開発したと著者らもイントロダクションで述べている。実際これまでも組織の中の単一クローンを可視化するために様々な方法が開発されてきた。ただ、個々の細胞の任意の分子を正確に標識することは難しく、クリスパーを用いることで初めて可能になった。しっかり論文を読めば、この方法が拓く将来は明確に理解できる、ワクワクする論文で5月12日号のCellに掲載された。タイトルは「High-throughput, high-resolution mapping of protein localization in mammalian brain by in vivo genome editing (生体内でのゲノム編集を用いたタンパク質局在の高効率・高解像のマッピング)」だ。
  この方法では胎児の脳内にCas9とガイドRNAを使って標的遺伝子を切断すると共に、相同組み換え修復を誘導するDNAを導入して電流を流すことで遺伝子を導入し、一部の細胞のゲノム遺伝子を標識のついた遺伝子に置き換える。クリスパーをわざわざ効率の低い電気穿孔法と組み合わせて、大きな組織の中で個別の細胞を浮き上がらせ、その中で働く様々な分子の動態追跡を可能にしている。
   研究では、多くの研究者が脳細胞内で動態を正確に知りたいと思っている様々な分子の標識を行い、この方法が今後脳細胞研究で多くの問題解決に寄与するポテンシャルを持つことを示している。また、この方法による遺伝子編集が特異的で、標識できなかった細胞の遺伝子を変化させせていないことも確認している。そして、異なる分子の同時標識、リアルタイムモニターへの応用、免疫電顕への応用、そして標的遺伝子をノックアウトした細胞の追跡など、これでもか、これでもかと可能性が現実に示される。そして何よりも、例えば遺伝子を強制的に導入するこれまでの方法では見落としていた問題がこの方法で見えることを示している。ウォリーを探せというパズルがあるが、集団の中に埋もれていた個別の細胞を詳しく追跡する方法は、脳研究やマウスを超えて利用は広がるだろう。
   以上脳細胞の研究者に大きなプレゼントを提供したと言える仕事だが、この論文に感動して紹介したいと思ったならこのワクワク感を伝えるのが科学者の務めだと思う。私はこれを伝えるのは、結局感情以外何も伝えることのできないSNS上の短い言葉ではないと思う。
カテゴリ:論文ウォッチ

5月14日:乳がん治療の新しい標的(4月号Nature Medicine掲載論文)

2016年5月14日
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   オリジナルで面白い発見が行われ、それが広く認められると、多くの研究者はその方向に流される。そんな中で、他とは違う視点を探している研究は読むと面白い。例えばガンのゲノム解読が可能になると、発がんに関わる変異を求めてエクソーム、全ゲノムと研究が進み、5月4日に紹介したように560例もの乳がんについて全ゲノム解析が終わり、データベースが作られた(http://aasj.jp/news/watch/5185)。
   ただ、このようなガンゲノムの研究は、異常から正常を引き算した発がんに関わる変異の探求に偏りがちだ。発がんに限らず、ガンを独立した一つの全体として捉えその全体的性質と相関させようとした研究は私が見る限り少ない。そんな例として私の印象に残っているのが少し古いがケンブリッジ大学から出された乳がんのゲノム研究で、発がんとの関係にかかわらず、ガンのゲノムに見られる全ての多型を、ガンの遺伝子発現パターンと相関させ、乳がんを10種類に分類できることを示した研究だ(Curis et al,Nature 486:346, 2012)。このように、ガンを独立した一つの単位として、全体を把握する研究はこれからますます重要になるだろう。
   今日紹介するカリフォルニア大学サンフランシスコ校からの論文は、悪性度の強いトリプルネガティブ乳がんの代謝に注目して治療可能性を探索している研究で、4月号のNature Medicineに掲載されている。タイトルは「Inhibition of fatty acid oxidation as a therapy for myc-overexpressing triple negative breast cancer (Myc発現の高いトリプルネガティブ乳がん治療としての脂肪酸酸化酵素の阻害)」だ。
トリプルネガティブ乳がんの特徴の一つはMycと呼ばれる遺伝子の発現が上昇していることだ。このMycはそれ自身ガン遺伝子として様々な発がんに関わっている。このため、発がん過程にどう関わるかについての研究は進んでいても、一見ガンとは関係なさそうな性質との関連は研究が遅れる。この研究では、mycが脂肪代謝に影響して、それが発がんに関わるのではという可能性に狙いを定めて研究を進めている。まずMycの発現により誘導される代謝産物を調べ、脂肪酸酸化酵素(FAO)が上昇することで、脂肪代謝が変わることを明らかにしている。次に実際のMycが上昇している乳がん細胞で脂肪代謝の異常が誘導されるか調べ、確かにMycの高い乳がんではFAOの上昇による脂肪代謝異常が誘導されていることを確認している。さらにこの脂肪代謝異常を直すことで、ガンの悪性度が低下することを発見し、最後にFAO活性阻害剤がガンの進展を抑制できることを示している。
   この結果を脂肪代謝とエネルギー代謝の問題だけで説明するのは簡単だが、脂肪代謝から生まれる中間体としての分子が核内受容体分子を通して転写に影響することも知られている。すなわち因果のサイクルが続いている気がする。この研究をきっかけに、さらにガンを全体として捉えることがすすむだろう。もちろん、トリプルネガティブ乳がんの治療の難しさを考えると、新しい標的が発見できたことがこの研究の最も重要なメッセージだ。
カテゴリ:論文ウォッチ

5月13日:脳内炎症と腸内細菌の関係(Nature Medicineオンライン版掲載論文)

2016年5月13日
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    腸内細菌叢は、私たちには不可能な細菌特異的な経路を使って様々な分子を生成し、私たちを助けたり、困らせたりしている。その意味で、遺伝的にはもちろん完全に分離していても、もう一人の自己といえる存在で、私たちの健康を考える時には常に頭に入れておく必要がある。その典型がこのホームページで2014年9月19日に紹介したグルコース摂取を抑える目的で使うアスパルテームなどの人工甘味料が腸内細菌叢の作用で、インシュリン抵抗性を誘導する物質を作り、結果として逆に糖尿病を引き起こすという話だろう(http://aasj.jp/news/watch/2190)。
  今日紹介するハーバード大学からの論文もそんな一つで、脳内の炎症に関わる分子経路をたどっていくと腸内細菌産生分子に行き着いたという話で、Nature Medicineオンライン版に掲載された。タイトルは「Type I interferons and microbial metabolites of tryptophan modulate astrocyte activity and central nervous system inflammation via the aryl hydrocarbon receptor (1型インターフェロンと腸内細菌叢由来トリプトファン代謝物はアストロサイトの活性と芳香族炭化水素受容体を介する中枢神経炎症を変化させる)」だ。
  多発性硬化症のような自己免疫性脳炎に対して1型インターフェロン(IFN-1)が抑制効果を持つことがわかっていたが、他の作用も多く、この経路からより特異的な標的を見つけることは重要な創薬課題だった。著者らも同じ目的でマウス脳炎モデルを使って、炎症刺激によりアストロサイトで誘導される遺伝子の中からIFN-1で抑制される炎症分子を探索し、この多くが様々な芳香族炭化水素分子により活性化されるARH受容体を介していることを突き止める。これをきっかけに、論文の前半は、基本的にアストロサイト内でIFN-1からARH発現にいたるシグナル経路の話で、特に新味はない。要するに、IFN-1シグナル経路により誘導されたARHがSOCS2などの誘導を介して炎症を抑えるという話だ。
  ところが後半になると、このARHを活性化する芳香族炭化水素分子が腸内細菌によりトリプトファンが壊される過程で作られることを示して、面白い論文になった。実際、ARH分子の発現が上昇しても、それだけでは何も起こらない。ARHが機能するためには、それと結合して転写活性を上昇させるリガンドが必要だ。この研究では最初からリガンドのソースとして腸内細菌に焦点を当てている。そして、炎症マウスにトリプトファンを除いた食事を摂らせると脳内炎症が増悪することを確認している。また、トリプトファンからARHリガンドを作ることができる細菌をアンピシリンで殺すと、やはり脳炎が増悪することを示している。
   最後に、ちょっと驚くが多発性硬化症の患者さんと正常人の脳組織の血清を採取し、ヒトでもこの経路が働いていること、そして多発性硬化症の患者さんにはARHを活性化するリガンドの濃度が低いことを明らかにしている。
  結果をまとめると、腸内細菌叢でのARHリガンドの生産が落ちることで多発性硬化症が悪化することを示している。したがって、一定量のARHリガンド投与は、多発性硬化症の治療選択の一つだというのが結論だ。多発性硬化症の患者さんへの抗生物質投与には注意が必要なことも重要なメッセージだろう。    しかしARHのリガンドダイオキシンが引き起こす様々な症状を考えると、ARHを刺激して炎症を抑えようとすると、かなりさじ加減が必要な治療になる気がする。
カテゴリ:論文ウォッチ
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