2017年2月8日
ガン治療はまず原発巣を完全に制御することが最重要だが、次に転移を防ぐことが重要な課題になる。中でも乳ガンは、原発巣を切除した後、すっかり治ったのかと思っていたら急に転移が見つかり患者さんを失望させる。末梢血中に流れるガン細胞の数を調べる方法の開発により、乳ガンは早い時期から血中に漏れ出す性質を持つことがわかってきた。従って、漏れ出しても他の組織で増殖できなくする方法の開発が重要だ。
今日紹介するユタ大学からの論文は、骨を溶かす破骨細胞の活性を制御して乳ガンで多い骨転移を抑える薬剤の開発についての論文でScience Translational Medicineオンライン版に掲載された。タイトルは「RON kinase:a target for treatment of cancer-induced bone destruction and osteoporosis(RONキナーゼ:ガンにより誘導される骨吸収と粗鬆症の治療標的) 」だ。
乳ガン骨転移のためには、骨を吸収しできた足場の中で増殖しなければならない。ほとんどの癌細胞自体は骨吸収能力がないため、もともとホストが持っている吸収能力を活性化しなければならない。これには骨を吸収する破骨細胞の活性化が必要で、従来から破骨細胞を抑制して骨転移を抑える治療が試みられていた。しかし、この切り札とみられていたRANKL抑制の効果が思ったほどでなく、他の経路が探索されていた。
以前このグループは、マクロファージ刺激因子(MSP)を過剰発現した癌細胞が骨転移しやすいことを見出しており、この研究はその続きになる。結果はクリアで、まとめると、
1) MSPは破骨細胞が発現するRONキナーゼ受容体を活性化して、破骨細胞の骨吸収機能特異的に促進する、
2) RON刺激による破骨細胞活性化にはRANKLやTGFβシグナル系の関与はなく、破骨細胞の増殖や分化も変化せず、機能だけが促進する。
3) RON刺激は細胞内のSrcキナーゼを活性化して、破骨細胞の機能を更新させる。
4) RONキナーゼ阻害化合物により骨転移が抑えられる。
5) RON阻害化合物の中でもRONに対する特異性が弱い OSI-296は骨転移後の乳がんの増殖を抑える。
6) よりRON特異的阻害剤は、閉経後の骨粗鬆症を抑制する。
になる。
この結果から見えてくるのは、乳がんの初期に骨転移を防ぐため、RON特異的な阻害剤を服用すること、また骨転移が発見されたらOSI-269により骨吸収とガン自体の増殖を抑える。必要なら、RANKL1阻害やTGFβ阻害も組み合わせてガンの骨内での拡大を防ぐ、といった治療法だ。血中の癌細胞数がCTC検査で多いかどうか調べて、予防投与を行うこともできる
幸い、RON特異的な阻害剤の方は第1相の治験により、安全性が確認されているので、乳がん骨転移の予防効果についても治験へのハードルは低いだろう。私の印象でしかないが、期待できそうだ。
2017年2月7日
レット症候群はメチル化された DNAに結合して遺伝子転写を調節するMECP2遺伝子の機能喪失突然変異により起こる病気で、女児にのみおこる。というのも、MECP2遺伝子はX染色体上に存在し、X染色体を一本しか持たない男性で突然変異が起こると、発生できず生まれてこない。一方、女性の場合一本のX染色体で突然変異が起こってももう一本の染色体が残っているのだが、X染色体不活化と呼ばれる現象により、病気が発症してしまう。このX染色体不活化は、発生途上で片方のX染色体上の遺伝子をほとんど発現できない様にするメカニズムで、これによりX染色体が一本の男性と、2本の女性での遺伝子発現量を同じレベルに保つことができる。このため、女性の体は、いずれかのX染色体が不活化された細胞が混在しており、片方に突然変異があると、突然変異を持つ細胞と持たない細胞の両方の細胞により組織が形成される。この結果、突然変異は片方の染色体のみにあっても、組織には遺伝子欠損細胞が存在することになり、組織の機能が維持できなくなる。
今日紹介するシアトルのフレッドハッチンソンガンセンターからの論文は不活化されたX染色体を再活性化する方法の開発についての研究で米国アカデミー紀要オンライン版に掲載された。タイトルは「Screen for reactiveation of MECP2 on inactive chromosome identifies the BMP2/TGF-βsuperfamily as a regulator of XIST expression(不活化されたX染色体上のMECP2遺伝子を再活性化する遺伝子スクリーニングによりBMP2/TGF-βファミリー分子がXIST発現の調節因子として特定された)」だ。
この研究では、MECP2遺伝子に光を発するルシフェラーゼ遺伝子と薬剤耐性遺伝子を融合させたX染色体を持つマウスから融合遺伝子を持つX染色体が不活化された線維芽細胞株を樹立し、薬剤耐性と発光を利用してX染色体の再活性化をモニターしている。
次にこの細胞に60000種類のshRNAを導入して様々な分子をノックダウンして、X染色体再活性化に関わる遺伝子をスクリーニングし、30種類の分子を特定している。この中には当然、X染色体不活化に関わる分子群が存在しており、例えば不活化の鍵XISTをノックダウンすると染色体は再活性化する。
この研究のハイライトは、スクリーニングにより、BMP2シグナル伝達経路に関わる分子が、Rnf12と呼ばれるユビキチン化酵素を介してX染色体不活化に関わることの発見で、このシグナルを抑制することで患者さんのX染色体を再活性化して、正常のMECP2を組織で発現させる可能性が生まれた。
この研究はここで終わっており、実際にモデルマウスの治療実験には踏み込んでいないが、BMP2シグナルを特異的に抑制する薬剤はおそらく存在しており、今後それを使った前臨床研究が行われるだろう。すなわち、遺伝子治療を待たなくとも、薬剤でMECP2遺伝子発現を正常化させる可能性が生まれた。是非期待したい。
2017年2月6日
学生講義を頼まれると、「21世紀の科学の課題」か「21世紀の臨床医学」のどちらかを選んでもらって話をする。どちらも20世紀の遺物である私に完全に予測できるわけではないが、少なくとも私たちが教えられないことを若者が自分で見つける助けになれば良いと思っている。
後者の話題で講義するときは、1)ゲノム、2)コホート研究、3)IT、そして4)コレクティブインテリジェンス、と4つのキーワードをしっかり理解してもらおうと努力しているが、これは地球上の全ての個人を記録し続けるという新しい歴史学なしに、医療も、医学も、心理学もないと思うからだ。
しかしこの中で最も難しいのはコホート研究で、資金、プライバシー保護、インフォームドコンセントなど多くの問題を解決する必要がある。
今日紹介する米国、英国、カナダ3国を中心に多くの国からなんと281にわたる研究所が参加した身長と相関する分子についての研究は、大規模調査研究のための一つのヒントになる。タイトルは「Rare and low-frequency coding variants alter human adult height(人間の身長を変化させる低頻度のコードされた分子の変異)」だ。
これまでの調査やコホート研究は、既存の技術を利用する方向が体制を占めていた。例えばGWASによる一塩基多型の探索、あるいは次世代シークエンサーによる大規模ゲノム研究がそうだ。例えばガンのコホート研究なら助成を得られるチャンスもあるが、身長に関わる遺伝子を調べるというプロジェクト「役に立たない」となかなか助成してもらえないのではないだろうか。とはいえ、これまで私も多くの論文を目にしてきたし、すでに身長に関わる700近い変異が、ゲノムの421か所に特定されている。それでも違いの20%を説明できるだけで、しかもほとんどは遺伝子をコードするエクソームではなく、イントロンの変異で、因果性を理解するのは困難だ。
さらなる研究のためにはこれまでリストされた変異よりははるかに頻度が低く、またタンパク質へ翻訳される遺伝子の検査が必要になる。頻度が低いと、これまでのような千人から一万人までの対象をさらに増やし、何十万、何百万のゲノムを調べる必要が出てくる。さてこの難問をどう実現するかだ。
この研究では既存の様々なコホート研究147を利用して実に45万人の対象のゲノムを調べることができている。ただ、50万規模になると、エクソームでもDNA配列の情報処理が大変になる。そこで、エクソームチップと著者らが呼んでいる、16000人のゲノムデータから拾い上げたコーディング領域の変異を選んだDNAチップを新たに設計して、変異の一部で良いと割り切って、規模を重視する研究を行うため、それぞれのコホートに提供している。すなわち、コホートを新たに立ち上げるのではなく、既存のコホートに使いやすい技術を提供する手法だ。実際には身長だけではなく、今後は様々な形質について同じデータから結果が出てくるだろう
今回の調査の結果、これまで見落とされてきた頻度の低い(0.2%以下)身長に関わるコーディング遺伝子が発見された。各遺伝子の役割については今後の研究が必要だが、コーディング遺伝子であるため研究はやりやすい。
例えば、これまで発見された分子も合わせて、新しく発見された分子が関わる生物学的プロセスを抽出すると、骨格形成に関わるヒアルロン酸やプロテオグリカン合成に関わる経路が特定される。また、新たに発見されたSTC2遺伝子は、過剰発現させるとインシュリン様増殖因子の機能を阻害してマウスの成長を阻害することから、この分子の機能が阻害されることで身長が伸びるという因果性も示している。他にも、コレステロール代謝異常とも関わる遺伝子の存在など、面白いネタが示されているが、詳細は省く。今回発見された頻度の低い分子変異を、これまでの研究成果と合わせた、より総合的研究がようやく始まったと言っていいのだろう。
その意味で、この研究のハイライトは、既存のコホートを活用するための新たな技術開発が新しい成果を生むことを示した点だと思う。
2017年2月5日
現役を退いてからは、できるだけ多くの分野の論文を読み、様々な情報を提供できたらと努力しているが、専門ではないのでどうしても勇み足がおこる。昨日紹介した論文の著者の一人から、重要なコメントをいただいた。もっともな指摘で、それを同じサイトにアップロードしたので、ぜひ読んでいただきたいと思う。
本題に入ろう。つい先日、ニコ動にも出演してもらったパーキンソン病の知り合いから、遺伝子検査でPINK1の変異が判明したと連絡を受けた。これは私にとっては驚きで、同じニコ動に出演してもらったもう一人の知り合いはすでにParkin遺伝子変異が判明している。すなわちこのニコ動に出演してもらった3人のうち2人に遺伝子変異が特定されたことになる。遺伝素因が明らかなパーキンソン病の発症頻度については把握していないのだが、おそらく意図せずにParkinとPink1遺伝子変異を持つかたに関わる確率はそう多くないと思う。これを因縁に、この二つの分子については重点的に論文を紹介したいと思う。
Parkinは標的タンパク質にユビキチンを結合するユビキチンリガーゼで、標的タンパク質の分解のスイッチを入れる分子だ。一方、Pink1はタンパク質のリン酸化に関わる分子だ。このParkinとPink1が、同じ経路を介してドーパミンニューロンの細胞死を調節していることはすでに確立した事実だが、両者の相互作用については不明な点が多かった。
今日紹介するジョンホプキンス大学からの論文はParkinとPink1がParisと呼ばれる分子の分解に関わり、細胞の生存を維持していることを示し、これら分子の変異がなぜパーキンソン病につながるかを示した研究で、1月24日号のCell Reportに掲載された。タイトルは「Pink1 primes Parkin-mediated ubiquityinization of Paris in dopaminergic neuronal survival(Pink1はParkinを介するユビキチン化を誘導しドーパミンニューロンの生存に関わる)」だ。
この研究ではまずParkin,Pink1,Parisの3分子がドーパミンニューロン細胞株で複合体を形成するという発見から始まっている。Parisは転写のコアクチベータで、PGC-1αと呼ばれるミトコンドリアのエネルギー代謝に関わる分子の転写調節に関わる重要な分子だ。この研究は、この3者の生化学的関係を詳細に検討し、
1) Pink1はParisの特定のセリンをリン酸化する。
2) Parisのリン酸化がシグナルとなり、ParisにParkinが結合し、ユビキチン化する。
3) ユビキチン化されたParisはすぐ分解される。したがって、Pink1,Parkinの変異によりParisの細胞中の蓄積を誘導する。
4) Parisの量が増えると、PGC-1αの転写が抑制され、ミトコンドリアの増殖など細胞のエネルギー代謝が障害され、最終的にドーパミンニューロンの細胞死が促進され、結果パーキンソン病になる。
というシナリオだ。このシナリオが正しいか、マウスドーパミンニューロンの遺伝子操作を用いて確かめており、他の経路ももちろん並存するが、この論文が示したシナリオがPink1,Parkinの関わる最も重要な経路だと結論している。
この経路が明らかになることで、細胞内のParis量を低下させる、あるいはPGC-1αを補うことで細胞死を防ぐ治療の可能性がクローズアップされる。特にPGC-1α遺伝子の注入治療は早く開発して欲しいと期待する。ただ、この治療はドーパミン神経が死んでしまうと役立たない。その場合はやはり細胞治療や遺伝子治療による、ドーパミン生産システムの再構成しかない。こちらの治療も加速して欲しい。
2017年2月4日
脳機能の研究は21世紀最大の課題で、分子生物学から心理学まで、あらゆる分野の研究者が参加し、あらゆるレベルの研究を長期にわたって支援する必要がある。ただ、重要なのは各分野の連携で、これはそう簡単ではない。おそらく、大所高所からこのような研究を眺めて、統合のためのシグナルを送る役割を担う人物が必要だろう。今まで読んだ脳科学の本を元にこの難しい課題が果たせそうだと思い当たるのはアントニオ・ダマシオさんだが、こんな心配をするのは、論文を読んでいると、まだまだ各研究領域は独立しており、対話は容易でないと感じるからだ。例えば、心理学と認知についての医学研究の間ですらそんな壁を感じる。
今日紹介するブラウン大学からの論文は、心理学分野で、脳の中で新しい学習がどのように安定化されるか調べた、Nature Neuroscienceオンライン版に掲載された研究だ。タイトルは「Overlerning hyperstabilizes a skill by rapidly making neurochemical processing inhibitory dominant(余分に学習することにより急速に抑制優位の神経化学的状態が生まれスキルを強く安定化する)」だ。
この研究はブラウン大学で研究を行っている渡辺さんという日本人の研究室の仕事で、所属を見ると心理科学となっているので、心理学と言っていいのだろう。面白い研究で、最新のMRI技術を用いて生理学的因果性についても調べた良い研究で、これからも頑張って欲しいと期待する。
しかし、医学出身の私にとって、わかりにくいというか、心理学領域への壁を感じる論文でもあったので最後にその感想も述べる。
この研究では、繰り返して訓練を行い学習させた効果が、時間をおかず始めさせた別の学習により邪魔されるという現象に焦点を当てている。面白いことに、最初の訓練をこれ以上繰り返してもそれ以上上達しないというレベルを超えて、さらに訓練を繰り返すと、違う課題の訓練をすぐ始めても、邪魔されにくくなる。もっと面白いのは、最初の訓練を余分に繰り返すと、次の課題の学習が今度は邪魔される。ところが、最初の学習と、次の学習の間に十分時間をおくと、両方ともしっかり固定されるという結果だ。
心理学としては十分面白いが、この脳生理学的基盤をMRIによる成分分析を用いて調べ、視覚野ではたらく神経伝達物質のうち、興奮性のGlutamateと抑制性のGABAの濃度の比が、余分に学習することで低下する、すなわち抑制性にシフトすることが、最初の学習を安定化させるのに聞いていることを明らかにしている。
私なりに解釈すると、学習が十分できると脳内で興奮性が高まるが、この時邪魔が入ると、学習効果が消える。従って、十分休んでから(この研究では3.5時間以上)次の課題にかかるのが望ましい。一番いいのは、これで十分と思っても、余分に学習すると、脳内の興奮が強く抑制できるので、邪魔が入っても最初の学習はのこる。ただ、課題もしっかり学習したい場合は、やはり十分間隔を開けないと、今度は新しい学習効果がなくなる。面白いのは、脳が余分な学習になると自然に抑制性にシフトすることで、さらなる研究を期待したい。
最後に心理学の壁だが、学習の課題にガボールパッチが使われているが、これは心理学特有ではないだろうか。他の課題でも同じ結果になるのだろうか。また、実験結果が正しいかどうかの検証が完全に統計学に依存している点だ。もちろんどちらも問題はないのだが、医学部出身者にとってはどうしても違和感を感じる。こんな小さな違和感がおそらく大きな壁に発展するように思う。この小さな違いをぜひ両方で乗り越え、対話を深めて欲しいと感じた。
2017年2月3日
私たちの視力は、例えばネコ科の動物と比べてかなり劣るはずだ。ただ、劣るというのはカメラの解像度といった問題ではないだろう。遠くのものを区別する能力があれば視力として充分だ。この私の勝手な思い込みの背景には、哺乳動物でサルと人間だけに存在する中心窩という構造があり、周りの網膜と比べ極めて特殊な構造をしており、緻密な視覚はここから得られるという、解剖学・生理学的ドグマがある。事実、私たちの網膜から出る視神経の50%は中心窩からのシグナルを1次視覚野に伝えている。また中心窩には色を認識する錐体細胞で占められており、色彩はこの場所を中心に認識される。今再生医学が注目される黄斑変性症はまさにこの中心窩の機能を奪うことから、単純に視野が一部失われる以上の影響を視覚に及ぼしているはずだ。
などと知識を並べてみたが、今日紹介するワシントン大学からの論文は中心窩が他の網膜とは全く異なるアルゴリズムで興奮を伝えていることを示す、文字通り目からウロコの論文で、1月26日号のCellに掲載された。タイトルは「Cellular and circuit mechanisms shaping the perceptual properties of primate fovea(サルの中心窩の感覚特性を調節する細胞及び神経回路メカニズム)」だ。
もともと電気生理学は苦手な分野で、上手く紹介できているかわからないが、この研究はまさにオーソドックスな解剖生理学的研究と言える。
研究ではサルの網膜を取り出して網膜を培養している間に、細胞の興奮特性の記録や、組織学的検討を行っている。ウイルスベクターでマーカーを導入する程度のことは行われているが、全く光遺伝学や光を使った興奮記録もない。考えてみると、もともと光に反応する網膜では光遺伝学は使いづらいのだろう。
まず最低限の知識として、かのカハールを魅了した (http://www.brh.co.jp/communication/shinka/2016/post_000023.html) 網膜神経結合について述べておくと、光刺激により誘導される錐体細胞の興奮はまずミゼット神経節細胞の興奮に転換され、それが視神経へと伝えられるという、3段階になっている。この神経節細胞レベルでは抑制、あるいは興奮性の調節を受け、網膜で変調させた信号を脳に伝えるようにできている。
この研究は、切り出した網膜で、光を当てた時の各細胞の電気生理学的特性を丁寧に記録し、中心窩とそれ以外の場所で比べている極めてシンプルな研究だ。詳細は省くが結果は、
1) 同じ光に対する視覚ユニットの反応は、中心窩で反応が遅く、だらだら続く。
2) 解剖学的に中心窩では視細胞、神経節、視神経が一対一の結合を行っているが、周辺では多数の視細胞と多数の神経節細胞がひとつの視神経に集約される階層構造になっている。
3) 解剖学的にも生理学的にも、中心窩の神経節細胞はほとんど抑制性のシナプス入力が存在しない、
4) 錐体細胞刺激経路では、抑制性シナプスは反応のパターンではなく、反応の強さのみ調節する、
5) 中心窩で光に対する反応がだらだらしているのは、錐体細胞自体(特に外接と言われる部分の電導性)の特性が、他の場所とは異なり、その結果遅い反応が起こっている。
とまとめられる。
こんな基本的なことが今までわかっていなかったのかと驚くが、このような2種類のアルゴリズムが何をしているのか、極めて面白い課題が誕生したように思う。機能的に同じかどうかわからないが、哺乳動物以外の脊椎動物では中心窩が存在するものも多い。例えば鳥がそうだが、同じことが鳥でも言えるのか興味は尽きない。大事なことでも本当にわかっていないことが多いこともよくわかった。これが解明されれば、また新しい電子の目が可能になるだろう。
2017年2月2日
朝の短時間で紹介原稿を仕上げるため、専門論文を一般の人でも完全にわかるよう説明するのは難しい。読んでいただいている多くの方から、理解できない点が多いと指摘される。この要望に答える代わりに、たまには誰もが完全に理解できる論文も紹介することにしている。
その意味で、今日紹介するメイヨークリニックからの論文は誰もが理解してもらえると自信がある。タイトルは「Association between mentally stimulating activities in late life and the outcome of incident mild cognitive impairment, with an analysis of the APOEε4genotype(高齢者の脳を刺激する活動と軽度認知障害の発症との相関:APOEε4遺伝型の解析を併せた研究)」だ。
タイトルからわかるように、この研究では高齢者が知的活動を続けることで、老化に伴う軽度の認知障害(MCI)に陥るのを防げるかどうか調べている。実際には、1929人の認知障害の全くない高齢者(平均77歳)をリクルートし、平均4年間追跡した研究だ。この時、参加者が毎日行っている知的活動について聞き取りを行い、経過観察中は看護師が参加者を訪ねて、活動が続いているか確認するという念の入れようだ。この研究では毎日の活動として、1)様々なゲーム、2)工芸作業、3)コンピュータ作業、そして4)社会活動を取り上げ、これらの活動に全く関わっていない人と認知症の発症率を比べている。
この研究では、アルツハイマー病発症リスクが高いAPOEε4遺伝子型についても調べている。これは、老化による軽度認知症と、器質的な認知症を区別するためで、両者を比べることで、知的活動の認知症予防効果の仕組みの一端を知ろうとしている。また、認知症の診断もMCIと呼ばれる軽度認知症の診断基準を用いており、老化に伴うより生理的な認知症が対象になっていると言っていいだろう。
さて結果だが、驚くなかれ、平均77歳の高齢者を追跡すると、4年以内に実に1/4の人たちがMCIを発症する。こう聞くと恐ろしいが、MCIが一種の老化の表現だと思えば納得がいく。ただ、老化だからと諦めることはない。先に述べた4種類の知的活動を保っている人たちでは認知症の発症率が低い。実際のデータをみると、特にコンピュータを日常使っている高齢者で発症率が低く、次が手芸など工芸作業が予防効果がある。
この研究では日常本を読むという行動についてもその効果を調べているが、他の活動と比べると効果は高くない。またアルツハイマー病の遺伝リスクの高い人では、それぞれの活動の予防効果も限られる。
以上を私なりに総合すると、知的な刺激と指先も含めた適度な運動が組み合わさると、老化による生理的な認知障害の進行を防止することができるとまとめることができるだろう。ぜひ皆さんも心がけてほしい。
しかし、頭と指先を動かし続けると、脳の老化を防げるという話はよく耳にする。しかし、それを統計学的に証明しようとすると、このような十分な数の集団を追跡する大規模な研究が必要になる。この論文を読みながら少し気になって、今テレビで大きく宣伝されているトクホ食品や飲料の科学性はどのように担保されているのか、会社発表のデータを調べてみた。
例えば体脂肪を低下させると銘打ったS社の飲料で学会発表として引用されているのは80人・12週間の経過観察、また同じ成分の効果を日本の雑誌に発表したデータは200名、12週の経過観察だ。他のトクホもこの程度で、今回行われたような2000名、4年間といった長期研究はほとんど行われていない。もちろん、毒性がなければ、消費者が宣伝に惑わされて買うことに私はなんら問題は感じない。マーケティングが上手な会社が栄えるのは当然だ。
私が一番懸念するのは、それぞれのメーカーの研究者たちが、科学性とはこの程度のものだと勘違いすることだ。そんな風潮が食品といった最も大事な科学に広がれば取り返しがつかない。消費者の本当の健康を守る科学を目指す科学者が、日本のメーカーに溢れることを期待している。
2017年2月1日
「歳をとると記憶力が落ちる」という当たり前のことが実感される毎日だが、特に記憶の正確さが失われているのがわかる。例えば、以前行った美味しいレストランについては鮮明に覚えているのだが、名前は出てこないし、住所についても、〇〇通りにあったのは覚えているのだが、通りのどの辺だったかという点についてはほとんど曖昧になっている。自分で暮らすには問題はないが、おそらく多くの人に迷惑をかけているかもしれない。
こんな記憶の問題を外から電磁波を脳に照射して操作しようとしている論文を最近見かけるようになった。このHPでもすでに同じ経頭蓋磁気刺激法(TMS)については、耳鳴りの治療(http://aasj.jp/news/watch/3789)や自己中心的衝動の抑制(http://aasj.jp/news/watch/5976)に使っている例を紹介した。もちろん記憶についてもこの方法が効果があるか研究が続いている。
今日紹介するシカゴにあるノースウェスタン大学からの論文もその一つで2月6日号発行予定のCurrent Biologyに掲載されている。タイトルは「Stimulation of posterior cortical-hippocampal network enhances precision of memory recollection(後頭皮質と海馬のネットワークを刺激することで記憶の正確さを促進できる)」だ。
同じグループは以前ScienceにCued Recallと呼ばれる記憶テストを用いてTMSの効果を詳しく調べ、記憶が改善するとともになんとfMRIで測定される皮質と海馬の結合が高まることを示していた(Science 345, 1056, 2014)。今回は、様々なイラストが散在する絵を見せて、特定のアイテムがどこにあったかを思い出す記憶テストで同じ実験を行ったものだ。このテストは、場所が変わっていたという一般的記憶だけでなく、間違いやすいアイテムの移動の距離から(アイテムが少しだけ動かされただけだと間違う確率が高い)、記憶の正確さを図ることができる。
研究ではこの課題に関わる脳活動の場所を、被験者一人一人fMRIで正確に測定し、その場所をめがけて電磁波を照射している。絵を見せて記憶させてから、毎日1回TMS照射を行い、7日目に記憶テストを行う。同じ被験者を次の週今度は電磁波照射を行わずに記憶テストを行い、照射の効果を調べている。期待通り、照射した場合に正確な答えを出す確率が5%ほど改善し、また間違いが起こりやすいアイテムの移動距離も平均で2mmほど改善している。特に物忘れの激しい人ではその効果が高い。
期待通りの結果だ。この研究では神経結合が上昇したかどうかについては調べていないが、代わりに脳刺激後1秒間の脳波を測定し、照射後0.5秒程度に4−13Hzの脳波の強さが選択的に低下していることを見出していること、またこの低下と、正しい答えを出す確率が一致することを示している。ただ、この変化の意味については今後の研究が必要だろう。
結果は以上で、かなり威力がありそうだと思える。ただ、検査は繰り返して行われており、5%の改善が実際にどれほどのものかよくわからない。そろそろこのような研究も、実際に期待される具体的効果と合わせて結果を示してほしいと思うのは年寄りだけではないと思う。
2017年1月31日
今年からNature出版は「Nature Human Behaviour」をスタートさせた。メールマガジンで送られてきた第1号の論文リストを見て、思わずフリーアクセス論文を4編もダウンロードしてしまったほど、一般の興味を引く論文が掲載されている。Aims & Scopeを見ると、人間の行動に関することならなんでもありという雑誌で、「人間科学」専門誌と言ってもいいのかもしれない。今後が楽しみで、ぜひ図書館でも購入して欲しいと思う。ただ、今日紹介するMITからの論文はこの新しい雑誌に掲載された論文ではなく、1月26日号のNatureに掲載された論文だが、エディターも新しい雑誌のことを意識して掲載を決めたのではないかと推察する。タイトルは「A solution to the single-question crowd wisdom problem(問題解決のための集合知が抱える問題に対する一つの対策)」だ。
論文を読んでいてほぼ全てが理解できる場合と、主旨や結果はおおむね理解できるのだが、途中過程の詳細がよくわからない論文がある。そんな論文は責任が持てないので、紹介しないようにしているが、今日はあえて「途中の過程は理解できていません!」と断った上で、それでも紹介することにした。
この研究が対象としている問題解決に対する集合知とは、次のようなものだ。例えば私たちがアメリカに行って、周りのアメリカ人に「ペンシルバニア州の首府はフィラデルフィア?」、あるいは「サウスカロライナ州の首府はコロンビア?」とそれぞれ一番人口の多い都市を指定して尋ねて回り、正しい答えを導き出そうとしたと考えてみよう。もし最初の問いも、次の問いもYesが60%,Noが40%だとすると、多数決でフィラデルフィア、コロンビアが正解として選ばれる。これが単純な統計原理だ。ところが正解はハリスバーグとコロンビアで、ペンシルバニア州の首府については間違った情報を得てしまう。すなわち、単純な多数決原理では、一般的に人口の多い都市が首府だとするバイアスに囚われていたり、知識程度が多様な人達に尋ねても正解が得られないことが多い。
この問題を解決するため、答えの信頼度に関するデータを集め補正する必要がある。Yes/Noを聞くと同時に、自分の答えにどのぐらい自信があるかを尋ねて、答えを補正することが次善の策になる。ベイズ統計もよく似たものだが、人間の自信ほど信頼おけないものはない。実際データを集めてみると、フィラデルフィアに関する問題の場合、どちらの答えを出した人も、自分の答えは信頼おけると答えている。一方、多くの人が知識がないと感じているサウスカロライナ州の場合はどちらの答えを出した人も、自信の程度はばらつく。すなわち、自信度で補正しても、結局正しい答えが導けない。従って、比較的単純なルールに基づく問題に適用できても、人間の知識のように多くの要素が関わる場合、この方法はあまり役立たない。
そこで著者らは、自分の答えの信頼性を聞くかわりに、自分の答えが他人の答えとどのぐらい一致しているかを予想してもらうと、正解に近づけるのではと提案する。
例えばペンシルバニア州の首府の場合、誰もが一番大きな都市フィラデルフィアだと思ってしまうことから、フィラデルフィアと答えた人も他の人が同じように考えていると予想する。しかし、ハリスバーグという正解を知っている人は、これは自分しか知らないだろうと思っているので、他の人はまず間違うだろうと予測する。すなわちYesの答えを出した人は他の人と100%意見が一致すると言い、Noと答えた人はまず他人とは一致しないからNoと答える。このため、この条件で補正すると正解に大きく近づく。一方、サウスカロライナ州のようにもともと知識が乏しい州の場合、答える側もそのことを知っており、結果他人との一致率についての予測度はばらつくため、コロンビアという答えが大きく補正されることはない。
このアイデアを使えるかどうか、アメリカの州の首府についての問題、一般的な物知り度を調べる問題、皮膚科医の診断能力を調べる問題、現代絵画の価格を推定する問題を、実際に行って得たデータを、単純多数決、自分の答えに対する信頼度を補正した計算、そして他人と自分の意見の一致率の予想値を補正した計算のどの方法が実際の正解に近づくか調べている。
結果は全ての場合で、著者らの提案する他人と自分の意見の一致についての予測値を加味した時が一番正解に近い数値が得られるという結果を得ている。一種の論理学の問題と言えるだろうが、ちょっとしたアイデアが立派な論文になっているのに驚く。
問題は、政治や経済のような、嘘がまかり通る世界でこの手法が使えるかだが、直感的に簡単でないだろうという印象を持つ。とはいえ、人間の行動パターンを知るための研究としては面白いし、集合知を利用するなら、このような研究を地道に重ねるしか方法がないだろうと思う。
2017年1月30日
食中毒の報道では「嘔吐と吐き気を訴える患者が病院に搬送された」というのが定番だが、この嘔吐と吐き気が私たちの体にとってどんな意味があるのか、まず考えることはない。私も、細菌の毒素などによる刺激が、迷走神経を刺激し、その結果延髄の嘔吐中枢が刺激され食事制限を自然にしていると理解していた。すなわち体を守る反応と理解していた。事実、嘔吐が続く患者さんに無理やり食事をとらせることはしない。
今日紹介するソーク研究所からの論文は、食中毒の原因菌もホストの体に悪い作用の分子だけを作っているがわけではなく、吐き気を抑えるようなホストの体に良い作用を持つ分子を作っていることを示した研究で、細菌と体の関係の複雑性を物語る。タイトルは「Pathogen-mediated inhibition of anorexia promotes host survival and transmission(病原菌が原因の吐き気の抑制は宿主の生存を促進するとともに個体間伝播も促進する)」で、1月26日号のCellに掲載された。
最近バクテリア由来のleucin-rich repeatタンパク質は自然免疫性炎症の鍵として注目されているが、おそらくこのグループもいわゆるinflammasomeと呼ばれる炎症の核になる分子複合体を研究していたのだろう(これは私の勝手な想像)。私たちにも身近なサルモネラ菌からSlrPと呼ばれるleucin rich repeatタンパク質を欠損させ、ホストの反応を調べていたところ、予想に反してSlrPが欠損したサルモネラ菌の方がマウスの致死率が高く、体重減少誘導も強いことを発見する。
マウスの観察から、SlrP欠損菌に感染するとより強い嘔吐を誘導することから、食事量が減るから死亡率が上がるのではと、無理に食事を押し込むと、確かに死亡率が減る。すなわち、SlrPは細菌の分子であるにもかかわらず、宿主の嘔吐を減らし、食事摂取を維持して宿主を守っているという意外な結果が出てきたことになる。
このメカニズムを探るため、細菌により刺激される様々なサイトカインの小腸での産生を調べ、SlrPによりCaspase1が阻害されることで活性型IL-1βの生産が落ちることを明らかにする。この結果、IL-1βによる迷走神経刺激が抑えられ、結果として嘔吐などの症状が抑えられるという結論に到達している。
これが正しいとすると、なぜサルモネラ菌は宿主を守るメカニズムをわざわざ発達させているのかという疑問が湧くが、同じケージに感染マウスと、非感染マウスを飼うと、感染実験により、SlrPを持つ細菌の方が症状は軽い代わりに、他の個体への感染力は強いことを示し、ホストの症状を抑えることがバクテリアにとっても大きなメリットになることを示している。
話は面白いが、読んでしまうとあまり余韻が残らない研究だと思う。特に、多くの実験が細菌叢のない無菌マウスとサルモネラ菌との関係を調べる研究で、豊かな腸内細菌叢を持つ私たちにも本当に当てはまるのか心配になる。ただ、SlrPがCaspase1の活性化を阻害するという効果があるなら、inflamasomeの抑制に使える可能性はありそうだ。