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アリストテレス 「動物誌」「動物発生論」:アリストテレスの生命への関心の源を探る(生命科学の目で見る哲学書 第5回)

2019年7月11日
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前回述べたが、バートランド・ラッセルは「西洋哲学史」の中で、

「プラトンがもたらしたものは、感覚の世界を拒否して、自ら作り出した純粋な思惟の世界を優位に据える、という事であった。アリストテレスとともにやってきたものは、科学における根本概念としての目的というものに対する信仰であった」

と述べて、プラトンとアリストテレスを、せっかくイオニアで生まれ始めた科学の芽を摘み取った犯人として扱っている。

この本を先に読んでしまった結果、プラトンやアリストテレスを読もうという気持ちになかなかなれなかったが、今回何冊か読んでみて大きく印象は変わった。前回述べたように、プラトンについては今も苦手だが、アリストテレスには親近感を持つことができた。

ラッセルが、「科学における根本概念としての目的に対する信仰」を持っているとアリストテレスを切り捨てた点に関しては、生命科学を仕事として生きてきた私にとってそれほど違和感はない。もちろん、生命科学でも目的を科学的因果性として扱うことは避けるようになっているが、機能を問うことは当たり前だ。しかし私たちが機能という時、そこには潜在的に目的概念が含まれてしまっている。それほど、生命科学から目的論を排することは難しい。実際「自然目的」は、18世紀の科学の重要なテーマとして、スコラ哲学などとは異なるコンテクストで議論され、その結果自然史や有機体論といった生命科学に近い学問分野が生まれ、この流れからダーウィンの進化論が生まれることになる。

この流れについては、18世紀を扱うとき詳しく議論するつもりだが、今回何冊か著作を読んでみて、個人的にはアリストテレスは18世紀の生命科学を先取りしていた部分が大きいと評価している。というのもプラトンと異なり、アリストテレスを読むと、彼が感覚の世界を重視し、感覚を通して人間や生物も含めた自然を観察し、それを説明しようとしていた強い意志が感じられる。実際、冒頭の写真に示すように、アリストテレスは動物について多くの著作を残しており、生物や人間を宗教的な教義に頼ることなく説明しようとしていたことがわかる。

まさにこの点が、「感覚の世界を拒否し」、ドラマ仕立てのフィクションの創作を続けたプラトンとアリストテレスの大きな違いで、アリストテレスをプラトンの弟子と言っていいのか、疑問を感じる点だ。アリストテレスを輩出したということは、プラトンの学校ではギリシャの自由な伝統が失われず、何かを押し付けるというより、それぞれが才能を伸ばせるような、自由な雰囲気があったのかもしれない(と勝手に思っている)。以上のことから、アリストテレスは動物論、霊魂論、形而上学と3回に分けて紹介したいと考えており、今回は動物学に関する著作、実際には動物誌と動物発生論を取り上げる。

繰り返すが、これがプラトンの弟子かと思うほどアリストテレスの著作はフィクションを排し、論理性を重視したアカデミックな口調で書かれている。このためドラマ仕立てのプラトンと比べると、一般の人が面白く読めるというものではない。おそらく、ほとんどの人は、アリストテレスの名前は知っていても、著作を読むことはないと思う(かくいう私も現役引退まで読んだことはなかった)。それでも哲学書の場合、退屈なのは覚悟の上だ。しかし、今回取り上げる動物誌や動物発生論といった科学的内容の場合、「昔はこんなふうに考えていたのか」という驚き以外は、ただただ観察の羅列が続き、よほどのマニアでない限り退屈すると思う。しかし、動物論についての何冊かの著作こそ、アリストテレスをプラトンから分かつ最も重要な著作だと思う。

一般の人にとって読みにくいのだが、大教授が若者に語るがごとく進んでいく(プラトンではこの役割を登場人物ソクラテスが演じるのだが)アリストテレスの著作は、権威に満ちており、中世の終わりにヨーロッパに再導入されてからは、思想に対する影響力の点では、プラトンよりも大きかったことは容易に伺える。特に自然に関する多くの著作は、アリストテレスが自分の感覚を通して自ら自然を見つめている点で他を圧倒する説得力があり、その後の彼の権威づけに役立ったと思う。この結果、ヨーロッパの科学はアリストテレスのドグマに縛られることになり、その間違いを正すために長い時間がかかる事になる。

さて今回取り上げる動物誌と動物発生論は、動物の多様性(=進化)と発生に関する著作だ。この分野はアリストテレス以後も「なぜ?何のために?」という問いが常に問われた、すなわち目的論と最も近い領域だった。しかしアリストテレスにとって目的因は、それに陥るというような消極的なものではなく、もっと積極的に評価されるべき自然の法則だった。すなわち、目的なしに自然は存在せず、目的因こそが自然に意味を与えるもので、特に生物を観察するとこのことがよくわかると考えていた。勘ぐると、目的因の実在を示すという目的が先にあり、この目的を果たすために動物に強い関心を示し、動物論を書いた可能性が高い。しかしプラトンやその後のキリスト教哲学と異なり、アリストテレスの目的因の背景には、宗教的教義の影は希薄だ(全くないわけではない)。すなわち、宗教的教義に頼らず自分で考えた結果、自然の持つ法則の一つとして目的因を考えており、その意味でイオニアの科学の後継者だと言える。

図2 岩波文庫版の動物誌。

まず「動物誌」からみてみよう。アリストテレス全集と同じ島崎三郎訳の岩波文庫版のカバーには、次のような紹介文が掲載されている。

「その研究範囲は広く、約120種類の魚や、60種類の昆虫を含む、ゆうに500を超える異なる種の動物が対象とされ、アリストテレスの観察家としての才能が発揮されている」

「彼の学問的立場が本質的には生物学を基礎としているところから、自然科学のみならず哲学論文の理解のためにも重要なものであり西洋の科学文明の礎石ともいうべき書である」

この紹介文の通り、実に多くの動物の観察記録が記載されている。もちろん全て自分で観察したわけではなく、伝聞も多いと思うが、それでも良くここまでと驚く。生物少年でもなく医学部に進学し、そのまま生命科学者になった私の知識などはこれと比べると足下にも及ばない。生命誌研究館の顧問になって初めて知ったイチヂクコバチについても、動物誌では、

「野生イチジクの実の中には『イチジクバチ』と称するものが入っている。これは最初は小蛆であるが、やがて皮が破れて剥がれると、この皮を残して『イチジクバチ』が飛び出してくる」

と記載されている。いちいち例を示すことはやめるが、このように、動物誌ではできる限り多くの生物を観察、あるいは観察記録を集め、その中から動物の共通性を明らかにしようとする方向性がはっきりしており、18世紀のビュフォンの「自然史」の先駆けと言える。

現代の理解からみて彼が明らかに間違って解釈している現象は多いが、そんなことはどうでもいい。驚くのは、その鋭い観察力だ。例えばこの本で正しくも軟骨魚類として分類されている数種類のサメとエイについて、

「あるサメでは、先に述べたごとく卵は子宮(実際には卵管)の中央部、背骨の付近についている。たとえばコイヌザメの場合である。卵は成長すると、動き回る。子宮はこういう類の他のものと同様に二股で、下帯についているので、卵は動き回って、どちらの部分の中にも入る。・・・・・・コイヌザメやガンギエイは卵殻のようなものを持っていて、その中に卵状の液体が入っている。卵殻の形はヨシ笛の下によく似ていて、卵殻には毛のような管がついている。」

私も見たことがないので、これほど詳細に書かれていると、信じるしかないと思う。

さらに、自分で解剖や実験を行なっていたことは間違いない。

「クモは先ず小さい卵状の小蛆を産む。・・・小蛆は初めから丸い物である以上、その全体が変化してクモになるので、一部分がなるのではない。・・・子は3日間で形が分化する。・・・押しつぶした時に出る汁は、小蛆の場合でも、幼いクモの場合でも、同様であって濃くて白い」

などはその典型だろう。押しつぶした時に出る汁を比べるとは、科学者の執念が感じられる。

そして、彼の動物観察者としての類いまれなる実力は、循環器の記述に最も明確に現れる。

まずこれまでの方法論の過ちについて、

「(これまでの)無知の原因はこれら(循環器)が観察しにくいことである。すなわち、死んだ動物では、主要な血管でさえはっきりしなくなるものであり、・・・・・従って死んで解剖された動物体で観察した人々は、最大の起始さえ見落としてしまったし、非常にやせた人体で観察した人々は、痩せて体表に現れた血管からその起始を結論したのである」

と間違った観察に至る原因を確かめた上で、動物の循環器を正確に観察するための工夫を

「動物を痩せさせておいてから、絞め殺して見さえすれば充分に調べることができる」

と述べている。このように実験のための工夫と先入観を排する鋭い観察眼のおかげで、心臓を起始として肺、全身へ血液を運ぶ閉鎖循環系の詳細を正確に記述しているが、詳細は省く。

こうして動物誌を通読してみて感心するのは、これだけの本を書きあげたアリストテレスのモチベーションだ。もちろん歴史上には、ビュフォンの自然史のようにもっと大部な動物の記録を書き上げた人もいる。しかし、アリストテレスは自然だけでなく、哲学、倫理、政治に至るまで多様な分野にまたがる著作がある。その合間に、多くの動物を観察し、解剖し、それを記述している。

読んだあと、ひょっとして生物オタクの走りではないかとすら疑ってしまうが、実際にはもっと大きな使命感で動物論諸作を書き上げたと思う。

重要な動機の一つは、プラトンと同じで、イオニア以来集まっていた知識や思想を集大成したいという気持ちだろう。イオニアでは哲学だけでなく、自然学も思想家にとって重要なテーマだった。動物についての観察や、現象の解釈も、自然や数学と同じように議論されていた。例えば物質は原子と空虚からなると原子論を唱えたデモクリトスも、「動物に関する諸原因」(全3巻、ラエルディオス著、ギリシャ哲学者列伝、岩波書店参照)を書いている。このように、イオニアに始まるギリシャ哲学では、自然現象や人間を、宗教的な教義に頼ることなく理解しようとし、様々なアイデアが生まれた。しかし、どの考えが正しいのかを決めるための実証的手法は全く存在しなかった。そのため、ほとんどの考えが未整理のまま集まるという状況があったのだろう。おそらく、アリストテレスにはこの状況は耐えられなかったのだろう。それぞれの考えを整理し、同じ現象を自分で先入観を排して正確に観察することで、多くの人が納得できるよう彼以前の自然学を集大成したいと考えたと思う。彼の正確な観察能力を持ってすれば、多くの人を説得することが可能だと自信も持っていたように思う。

例えば先ほど紹介した循環器の構造についての記述では、最初シュエンネシスと、ディオゲネースの循環器の記述を引用し、これらが解剖の際の不適切な処理の結果生まれた間違った考えであるとして否定している。

さらに動物発生論になると、エンペドクレスやデモクリトスの動物に関する記述をこっぴどく批判している。アリストテレスによると、デモクリトスは動物のオス・メスが生まれる原因について、  

「メスとオスの違いは母胎内で起こる。・・或るものがメスになり或るものがオスになるのは、少なくとも熱や冷によるのではなく、両親のどちらの精液が優勢になることによる」

と考えていたようだが、これに対して彼はオスは原理を提供し、メスは質量を提供することで個体が発生すると彼の考えを述べている。例えば、

「(去勢された人々)彼らは一部分(睾丸)を切り取られただけで、元の姿からあんなにも変わり果て、女の外観といくらも違わぬものになるのである。この理由は、身体の部分の中のあるものは「原理」である、ということであって、一たび原理が動かされると、それに伴う部分の多くは必然的に変化するのである」

と、彼の考える原理とは何かを証拠とともに述べた上で、

「もしオスの精液が支配すれば、(メス=質量)を引き入れてオスになるが、逆に支配されると反対物(メス)に転化するか、または消滅するのである。」

と彼の理論を述べている。

今考えると、どっちもどっちになるが、重要なことは先に引用した様に、アリストテレスの否定は、ともかく自らの実験手法と観察を基礎として行われている点で、他の人を説得するための証拠をさがそうとする、プラトンにはみられない基本姿勢が見られる。

アリストテレスの論理の特徴の一つは、生命を4つの因果性から捉えようとする点だ。そして、これら因果性の全ては生物の観察から証明できるという彼の信念が、膨大な動物論諸作をかくもう一つのモティベーションだったと思う。

動物誌を読んでいて気づくのは、彼の生殖過程への関心の高さだ。「個体の再生産という生物に備わった特徴は古今東西面白いに決まっている」と片付けずに考えて欲しいのは、このような質問は簡単に宗教的教義の中に閉じ込められてしまう点だ。キリスト教に限らず、天地創造から人間創造まで、様々な宗教的教義が存在している。これに対し動物論諸作でアリストテレスは、一貫して観察に基づいた説明を試みており、まさに宗教教義を排して考えるイオニア哲学をひきついでいる。ただ彼の場合、自然を説明するために着想した「アリストテレスの4因」として知られる、自然の法則があった。そして、この4因が最も明瞭に見られる場所が、動物の発生過程だと確信していた。

そのため、動物発生論は、

「・・・事物の基礎には4種の原因があって、「それのためにというそれ」、すなわち終局(目的因)および実態の概念(形相因)であり、第3と第4は材料(質料因)と運動の起源(起動因)である」

とアリストテレスのマニフェストから始まっている。すなわち、「これから記載する生殖と発生の多様性を、全てこの4因という法則を用いて説明するぞ」というマニフェストだ。

このマニフェストの後に、生殖器官、卵、精液、月経血、交尾など、様々な動物に関する記述が続くが、全て割愛する。

先に少し触れた哺乳動物の生殖に限って彼がどの様に考えていたかをもう一度紹介しよう。まず生物種が同じ形を繰り返して再生産し続けられることを、

「動物の本性は永遠であることができないので、生成するもの(生物)はそれにとって可能な様式においてのみ永遠なのである。」

と、種という様式が繰り返して生産されると考えている。誤解を恐れず喩えで説明すると「水の流れの中の渦は様式として永続しているが、それを構成する水分子は常に変わる」というようなイメージではないだろうか。

そして、胎生であろうと、卵生であろうと、また彼が蛆性と呼ぶ昆虫の生殖であろうと、はたまた腐った土から生まれる自然発生であろうと、全ての発生は4因の総合的作用によって「様式」の再生産が可能になっていると考えている(よく似た議論は、ライプニッツのモナド論から続く18世紀の有機体論で現れるのでその時議論する)。

アリストテレスが4因の相互作用による個体発生をどう考えていたのか、もう少し具体的に月経のある哺乳動物での説明を見てみよう。まず、

「メスは生殖に対して生殖液(精液)を寄与するものではないが、何かを寄与するのであり、しかもこれは月経の構成物質や無血動物でそれに相当するものだ。」

と述べて、オスの精液とメスの月経の中の何かが作用しあって個体が発生すると説明している。これに続いて、

「必ず産むもの(生殖原理すなわち起動因)と、それから生まれるというそれ(質料)がなければならない。」

「もしオスが動かすもの(起動因)が能動的なものであり、メスは受動的なものであるなら、オスの精液に対してメスは精液ではなく質料を寄与することになろう」

と、オスの精液は個体発生の起動因として子宮内のメスの月経血の中にある材料にモーメントとその後の運動原理を提供し、その結果発生が始まった個体は、メスの血液を利用して精子に内在する原理により成長すると説明している。

正しいか正しくないかは別として、これは現象の説明にはなっている。しかし発生過程の説明だけでは、なぜ同じ様式が再生産されるのか、そもそも様式とはどこから来るのか、すなわち生物がなぜ存在するのかわからない。これについてアリストテレスは、

「(生殖による様式の再生産が何かのためにという原因(目的因)によって生じる限りその原理は上の方からくるものである。)

「霊魂は身体より良く、霊魂を持っているもの「生物」は霊魂を持っていないものよりその霊魂のゆえにより良く、また存在することは存在しないことより、生きていることは生きていないことより良いのである。異常が動物の発生する原因(目的因)なのである。」

と、少し苦しい答えを示している。

原語をで読んでいるわけではないのでこの煮え切らない不明確な文章の本当のニュアンスは測りかねるが、アリストテレスはここで、単純に発生のメカニズムだけでなく、生物そのものが存在している原因まで問うていることがわかる。

もう少しわかりやすい彼の目的論の解説は動物運動論の蛇についての記述に見られるので、引用しておこう。

「ヘビ類に足のないわけは、自然が何者も無駄には作らず、すべて可能な限り個体にとって最上のものを見通し、個体の特有性と本質を保つ、ということ・・・」

と述べているのは、生命は自然のもつ目的論に従って生まれることを意味しているし、

「有血動物でヘビのように、体の長さがその他の形質に対して不釣り合いなものは足を持つことができない、という事が明らかである」

と述べているのは、本来あるべき様式が存在すると考える形相因を意味している。

この記述からわかるのは、目的や形相が世界とともに最初から存在するという考え方だ。それに従って、物理法則とも言える質料因と作用因具体的に働く。これこそがラッセルが「科学における根本概念としての目的に対する信仰」と切り捨てた、アリストテレスのプラトン的側面だ。

しかしアリストテレスはこの基本概念の欠如が、彼以前の自然学の問題であると、次のように自信を込めて断じている。

「生成は実体にともない、実体のためにあるので、実体は生成に伴うのではない。しかし、昔の自然学者たちはこれと反対に(生成の結果実体が存在する)と考えていた。その理由は、彼らは原因がいくつもあることを知らないで、質料因と運動因しか知らず、しかもこれらを区別せず、概念因(形相因のこと)と目的因を考慮しなかったからである」

毎日毎日、様々な動物を観察しながら、この基本概念を確認していたアリストテレスの姿が目に浮かぶ。

以上、アリストテレスの動物論諸作がどんなものだったか、ある程度わかってもらえたのではないだろうか。次回は動物発生論でも姿を現した、おそらく読者の皆さんにはさらにわかりにくいアリストテレスの「霊魂」概念について見るため、彼の「霊魂論」を取り上げたい。

7月11日 頸部脊椎損傷による四肢麻痺の手の機能を神経移植で再建する(7月4日 The Lancetオンライン掲載論文)

2019年7月11日
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様々な脊髄損傷治療法が開発されているが、慢性期の患者さんに有効であることが示され、なおかつ治療法が論理的なのは、プログラムされた硬膜外刺激とリハビリを組み合わせた治療法だと思っている。ただ、わが国でほとんど紹介されないので、今月の27日、患者さんたちとYouTubeで最近の研究を解説する予定にしている。

この様な研究は、再び歩くための治療法になるが、今日紹介するオーストラリアのモナーシュ大学、メルボルン大学などから共同で発表された論文は、、頚部の脊髄損傷による四肢麻痺の腕の機能を、局所の神経移植で治療する試みで7月4日号のThe Lancetに掲載された。「Expanding traditional tendon-based techniques with nerve transfers for the restoration of upper limb function in tetraplegia: a prospective case series(四肢麻痺の上肢機能の再建のための腱移植を基盤にした術式を神経移植で拡大する)」だ。

恥ずかしいことに脊髄損傷で抹消神経の移植療法が行われてきたとは全く知らなかった。しかし言われてみると、腕の筋肉支配は結構複雑で、C4は肩、C5は上腕外側、C6は肘から手にかけて支配されている。とすると、C4,C5部位の損傷の場合、後方の支配神経を、まだ生きている前方の神経に移すことは十分考えられる。もちろん神経支配は個性が多く、それぞれの患者さんに合わせて行われるが、この治験では主にC4,C5の脊髄損傷で四肢麻痺に陥った患者さんの上皮の機能を、肘を伸ばすという機能、手で掴むという機能に絞って、回復の難しい支配神経を、回復が望める支配神経に移し替える移植手術をおこなっている。

実際にはプロの手術の話で、私もほとんど術式を理解しているわけではないが、これまでよく行われていた神経と腱を筋肉に移植する方法と異なり、上部の神経移植だと多くの筋肉の支配を復活させることができる様だ。この研究では、腱移植を組み合わせたり、神経移植だけにしたり、複数の組み合わせを試している。

結果は上々で、障害を受けてから18ヶ月以内の16人の患者さんに総計59本の神経移植を行い、2年後の経過を観察すると、3例を除いて、全ての人で肘を伸ばし、ものを掴む機能が改善し、その結果室内での移動や、トイレ内での車いすからの移動など、車いすは必要だが、自分でかなりのことができる様になっている。

また腱移植の場合は力が出るが、神経移植の場合はスムースな動きが回復するなど、今後に役立つ結果も多く得られている。

結果の詳細を省くが、専門家の神経移植手術で、四肢麻痺の上肢機能を一部回復させることで、生活上はかなりの改善が見られるという話だ。現在失われた脊髄のギャップを埋める話のみに注目が集まっているが、可能なことは全て試して少しでも機能を向上させる努力も大切なことがよくわかった。

カテゴリ:論文ウォッチ

7月10日 アルコールは長生きの元(Alcoholism: Clinical and Experimental Researchオンライン掲載論文)

2019年7月10日
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このブログも多くの方に読んでいただきやりがいを感じているが、今日は自分のために、気楽に書いているので、あまり参考にしないでほしい。さて、若い時から酒は好きな方だったが、毎日晩酌をする様になったのは50を過ぎてからだった。量としてはほどほどなので、ストレスを感じるよりは体にいいかと勝手に納得してこの習慣をやめようとは思はない。

今日紹介するコロンビア大学からの論文は、高齢になってからは間違っても禁酒しないほうがいいという驚くべき論文で、酒好きの私ですら本当かと今だに疑っている。タイトルは「Alcohol Consumption in Later Life and Mortality in the United States: Results from 9 Waves of the Health and Retirement Study(米国での引退者のアルコール消費と死亡率:9回の健康と引退コホート対象者の調査研究)」だ。

この研究は平均60歳の退職者コホート研究の参加者を1998年から、2014年にかけて追跡している。この研究を始めるときにインタビューを行い、毎日のアルコール消費について、全く飲まない、現在禁酒中、たまに飲む、中程度飲む、かなり飲む、の5段階に分けてその後の生存カーブをプロットしている。

驚くことに、男女共中程度に酒を飲むほうが、ほとんど飲まないより生存率がはっきり高い。たまに飲む人と比べても良い。最悪は、あとから禁酒をした人で、かなり飲むと答えた人よりも生存率が低い。

あとから禁酒するというのは、病気など様々な理由の結果だと考えられるので、この様な要因を加味して死亡リスクを計算し直しているが、結局途中から禁酒した人が最も死亡リスクが高く、中程度に飲んでいる人が最も低い。驚くことに、酒を口にしたこともないという人より、中程度にたしなむ人の方が長生きだ。

話はこれだけで、この結果はアルコール消費は死亡リスクをたかめるというこれまでの研究と真っ向から対立するが、著者らはこの研究はこれまで行われた中では、16年しっかり対象者をフォローした最も大規模な研究であると、自信を持って「退職後少なくとも80歳ぐらいまでのアルコールは体にいい」と結論している。

もちろん、他に修正すべき対象のバイアスはあるかもしれないし、この結果は統計の罠で、いつかひっくり返るかもしれない。そのため繰り返すが、今日の論文紹介は自分のためだけに書いてみた。

カテゴリ:論文ウォッチ

7月9日:すい臓ガンの免疫治療効果を高める薬剤の開発(7月3日号Science Translational Medicine掲載論文)

2019年7月9日
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このブログでもすでに60編近い膵臓ガンについての論文を紹介したように、膵臓癌は今も医学に立ちはだかる大きなハードルだ。これらの論文のなかには、ある程度有望な治療法の開発も含まれているが、なかなか完治というところまで至る治療法は動物モデルでも難しく、特に画期的新薬として世にでるまでには至った治療薬はまだないとおもう。

その意味で今日紹介するワシントン大学からの論文は全く新しい発想の治療薬の開発で期待が持てる印象を持った。タイトルは「Agonism of CD11b reprograms innate immunity to sensitize pancreatic cancer to immunotherapies (CD11b分子を活性化する作動薬は自然免疫システムをプログラムし直し、膵臓ガンの免疫治療感受性を高める)」だ。

膵臓ガンは、間質に強い繊維化と白血球の浸潤が特徴で、これが抗がん剤やキラーT細胞の浸潤を妨げて、ガン治療を難しくしていると考えられてきた。したがって、ガンの間質は膵臓ガン制御の重要な標的になっている。この研究の著者らは、膵臓ガン間質に浸潤する白血球がCD11bを認識できるインテグリンを発現していることに注目し、この分子を活性化することで血管への接着を促進し、ガンへの浸潤を抑制することで、ガンの間質制御を通した治療が可能ではないかと着想した。そして、経口摂取可能な低分子化合物ADH-503を開発した。

この研究では、まずADH-503投与により、様々な膵臓ガンモデルの間質への白血球浸潤が抑えられ、その結果間質でのコラーゲン産生が低下するとともに、自然免疫系が免疫誘導型へとリプログラムされ、結果としてガンに対するキラーT細胞が誘導されることを確認している。

あとは、実際のガン治療の状況を作って、ADH-503の効果を確かめることになる。結果をまとめると、

  • ADH-503単独ではガン自体への作用はないが、間質の変化を通してガンの増殖を抑制することができる。
  • ジェムシタビンとパクリタクセルの組み合わせで行う膵臓ガン治療にADH-503を組み合わせると、完治はしないが生存期間を倍に伸ばすことができる。また、放射線照射と組み合わせても、強い腫瘍抑制が可能になる。
  • 抗PD-1抗体と組み合わせると、ガンを完全に抑制できる。また抗41BB抗体を用いたT細胞活性化治療でも、同じ様に完治を誘導できる。

で、要するに免疫反応を強く誘導することが可能になり、チェックポイント治療はT細胞刺激治療と組み合わせると、ほぼ完璧な腫瘍抑制がかのうになると結論している。

使う量も60mg/kgと大量で、薬剤としてはまだまだ最適化できると思うが、インテグリンを刺激するという逆転の発想が、これまで難しかった膵臓ガンの免疫治療が可能になることを予感させる面白い仕事だった。

カテゴリ:論文ウォッチ

7月8日 ウイルス感染で脳に残される入れ墨(6月26日号Science Translational Mecidine掲載論文)

2019年7月8日
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多発性硬化症は脳神経細胞のミエリンに対する自己免疫反応だが、多くの自己免疫病と同じで、病気が発症するまでのメカニズムはよくわかっていない。やはり他の自己免疫病と同じで、ウイルス感染が最初の引き金になる可能性は何十年も指摘されているが、一部の症例を除いてそれを示す動かぬ証拠は捕まらない。

今日紹介するジュネーブ大学からの論文は、この問題の重要な手がかりが示せたかもしれない動物研究で、6月26日号のScience Translational Medicineに掲載された。タイトルは「Brain-resident memory T cells generated early in life predispose to autoimmune disease in mice (脳にとどまっているメモリーT細胞が幼児期の感染で誘導され自己免疫病のリスクになる)」だ。

この研究では幼児期の一過性の感染が、脳に及ぼす影響を調べる目的で、神経感染症のモデルとして用いられてきた弱毒化したLCMV(実際にはウイルス自体ではなく、ベクターに組み込んだウイルスDNAを用いている)を脳に感染させ、基本的には感染部位の自然免疫が一過性に高まった状況を作っている。

この方法では生後1週間でも3−4週に感染させてもLCMV特異的なT細胞を同じ程度に誘導することができる。ところが成熟してから同じマウスに多発性硬化症を引き起こすT細胞を移入すると、幼児期に一過性の感染を経験したマウスは、症状でも病理的にも強い炎症が起こる。

この原因が、一過性の感染を起こした脳細胞自体になんらかの変化が誘導され、ニッチとして機能しているのかどうか、感染時にラベルする実験で、感染細胞を全て除去する実験を行なっているが、病気の発症は抑えられない。

結局、幼児期に感染したマウスの脳を、4週で感染させたマウスの脳と比べる実験から、CCL5ケモカインが浮上し、最終的にCCL5ケモカインを発現する局所メモリーT細胞が、幼児期に感染した病巣(すでに治癒している)を認識して止まって、全身に存在する自己抗原に反応するT細胞を脳内に流入させている可能性を突き止めた。また、このメモリーT細胞を局所にとどめているのが、クラスII MHCを発現する抗原提示細胞であることも示している。

すなわち、幼児期に細胞障害性でないウイルス感染が起っただけで、脳内に一種の入れ墨の様に抗原提示細胞とメモリーT細胞のセットが維持され、CCL5を分泌して自己免疫性のT細胞を脳に呼び入れるという話だ。最後にこの仮説を頭に実際の患者さんの組織を調べると、ほとんどの患者さんでメモリー型T細胞の存在が見られている。

遺伝子操作による細胞標識を駆使することで、幼児期の感染場所がわかる様にしたことで、メモリーT細胞と以前の病巣の相関が明らかにできたわけだが、細胞障害性がないウイルス感染だけでこの様なことが起こるとすると、まず発見することはできない。また、同じことは1型糖尿病などの他の組織の自己免疫病でもおこる可能性も高い。この入れ墨とも言えるマクロファージ+リンパ球の局在を誘導し、維持する機構を是非明らかにして欲しい。

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7月7日 発達障害とナトリウムチャンネル(8月21日発行予定Neuron掲載論文)

2019年7月7日
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自閉症スペクトラム(ASD)との相関が示されている遺伝子は100を超えるため、個々の変異遺伝子の機能とASDの因果性についての研究は意外と遅れている。また、変異遺伝子の多くはクロマチン構成やシナプス機能のサポートのような、多くの細胞で働く遺伝子が多く、症状との因果性を調べるのは難しい。

ところが今日紹介するカリフォルニア大学サンフランシスコ校からの論文は、分子機能とその発現がはっきりした分子、すなわち電位依存性ナトリウムチャンネルの変異による電気生理学的異常からASDの発症を説明しようとした研究で8月21日号のNeuronに掲載される予定だ。タイトルは「The Autism-Associated Gene Scn2a Contributes to Dendritic Excitability and Synaptic Function in the Prefrontal Cortex (自閉症と関連づけられるScn2a(電位依存性ナトリウムチャンネル)は、前頭前皮質の樹状突起の興奮性とシナプス機能に寄与する)」だ。

Scn2a 遺伝子が片方の染色体で失われるとASDと知能障害が起こることがわかっている。この分子はグルタミン酸作動性の錐体細胞の軸索起始部に発現して神経の興奮に関わっていることがわかっている。そこでこの研究では、片方の染色体のScn2a遺伝子が欠損したマウス(Scn2a+/-マウス)を作成し、錐体細胞の興奮の変化により神経ネットワーク形成が障害される過程を探っている。

結果をまとめると次の様になる。

  • 脳の発達過程では、Scn2aは軸索の根元で発現しており、局所の神経興奮の強さを調節している。発現量の低下により興奮の引き金が入りにくくなる。しかし、この異常は成熟とともに、正常化する。
  • 成熟後は、錐体神経の樹状突起のシナプスに発現がみられ、樹状突起への興奮の広がりが障害され、樹状突起の先端に行くほど興奮性が低下する。
  • この結果新皮質でのシナプス形成の細胞学的異常がおこる。すなわち、スパインと呼ばれる突起が長く弱々しく、成熟しきれていない。
  • しかし、この異常は発生過程で形成されるものではなく、Scn2aの発現の量的な低下による直接の効果を反映している。
  • Scn2aの発現異常を誘導したマウスでは、学習障害と、社会性の異常を示す。
  • 従って、シナプスの機能さえ取り戻せれば、症状を改善させることができる。

ナトリウムチャンネルは神経細胞のイロハで、軸索を通って興奮が伝播することをホジキン、ハックスレーが発見し、沼先生のグループによって遺伝子がクローニングされた。自分の頭の中で極めて単純にイメージしていたナトリウムチャンネルが、特異的で微妙な神経興奮調整に関わり、ちょっとした変化がASDにつながることがよくわかった論文だった。

今後、このスキームが他の遺伝子の異常でも起こっているのか知りたい。またうまく特異的な刺激剤が開発できれば、治療可能性も生まれる。古典的分子がまた表舞台に登場する様な気がする。

カテゴリ:論文ウォッチ

7月6日 市民の正直度を測る(7月5日号Science掲載論文)

2019年7月6日
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旅行中にスリにあったことは何回かあるが、だからと言ってその国の市民が不正直だとは決して思わない。何をもって、市民の正直度を測定できるのか、心理学的にも経済学的にも面白い問題だ。

今日紹介するミシガン大学からの論文はこの課題にチャレンジし、実に40カ国で市民の正直度を測った研究で7月5日号のScienceに掲載された。タイトルは「Civic honesty around the globe(世界の市民の正直度)」だ。

この研究では持ち主がわかる名刺と、買い物のレシート、そして鍵の入った、外から中身が見える名刺入れを小道具として用意する。実験場所は銀行、ホテル、役所、文化施設、郵便局、そして警察署を選び、窓口の人に「名刺入れをここで見つけたので持ち主に連絡してほしい」と頼んで立ち去り、連絡があるかどうかを、40カ国で17,000回繰り返して調べている。この時、名刺入れに、それぞれの国民の経済感覚で約10ドル程度のお金を入れておく場合と、お金の全く入っていない場合を設定し、お金が入っていることが連絡する確率にどう影響しているか調べている。

道で落とした財布が返ってくるかではなく、公的な機関の従業員に名刺入れを預けて持ち主に連絡させる点がポイントで、確かに一般市民の正直度を調べるいい方法だと納得する。

結果だが、持ち主に連絡する率は、ほとんど連絡されないと言える10%からほぼ連絡される70%まで大きな開きがある。最悪が中国で、最も連絡率が高いのはスイスだ。正直度の高い国には北欧の国が並ぶが、なかにポーランドや、チェコが混じっているのも興味を引く。一方、最悪国の中には、中国、マレーシア、インドネシアといったアジアの国が、アフリカや南アメリカの国と一緒に並ぶ。

ただこの結果が、お金欲しさというわけでないのは、名刺入れにお金が入っている方が連絡率が平均で10%近く上昇する。これは調べたほぼ全ての国で見られる現象で、逆はメキシコとペルーだけだ。おそらく、お金が入っていることで、自分は泥棒になるという倫理観がどの国でも働くのだろう。実際名刺入れの中に100ドル近くのお金が入っていると、さらに持ち主に返却される率は高まる。

ただ、いろいろ条件を割り出して、これが処罰されるという恐怖や同僚に監視されているという心配からでないことは確認しており、結局相手の困り方を考慮して連絡するかどうかを決めていることになる。実際、鍵の入っていない名刺入れの場合、さらに連絡率が落ちる。

最後に米国の一般市民がこの様な実験の結果をどう予想するか聞いてみると、実際の結果とは逆で、お金が入っている場合は連絡されないと思っている。一方、経済専門家に同じ予想をしてもらうと、お金が入っているから返却されないと単純に考える人は少ない様で、少しは市民心理がわかっている様だが、結局正確な予想はできていない。

以上が結果で、40カ国で17,000回の実験を行ったことだけで頭がさがるし、結果も納得できるものだ。ここで測定されている正直度は、相手の困難を想像する能力と、それに合わせて行動する意志にかかっている様に思える。すなわち、自己中心主義をどう克服できているかになる。残念ながら、我が国ではこの実験は行われなかった様だが、どんな結果になるか、我が国の将来を占う意味でも興味がある。

カテゴリ:論文ウォッチ

7月5日 バクテリア+ラマの抗体=ガン免疫療法(Nature Medicine掲載論文)

2019年7月5日
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免疫治療がガン治療の大黒柱になることを疑う人はもういなくなったが、しかし10年後にどの免疫治療が中心に来ているのか予想することは難しい。というのも、論文を読んでいると、多様で豊かな発想の免疫治療法が開発されており、免疫治療のレパートリーは急速に拡大しているからだ。そんなわけで、7月19日AASJのジャーナルクラブでは、これまで紹介した新しい免疫治療についてまとめることにした(https://www.youtube.com/watch?v=vxZFpDx4rIg)。

今日紹介するコロンビア大学からの論文も是非紹介したいと思われる免疫治療法の新顔で、なんとラマの抗体を分泌するバクテリアをガン局所に注射して免疫を高める、一種のアジュバント治療といっていいい。タイトルは「Programmable bacteria induce durable tumor regression and systemic antitumor immunity(プログラム出来るバクテリアは持続的ガンの退縮と全身性のガン免疫を誘導できる)」だ。

バクテリアを遺伝子操作することは簡単だが、ヒトの抗体のような2種類のペプチドが折りたたまれた複雑な構造を安定に分泌させるのは簡単ではない。この問題を解決してくれるのがラクダ科の動物の抗体で、なんと一本のH鏁ペプチドだけで機能する。

主にラマで作らせた抗体の遺伝子を利用する技術は現在急速に発展しており、4月には食べられる抗体として家畜の餌に混ぜて食べさせる抗体の論文を紹介した(http://aasj.jp/news/watch/9968)。すなわち、バクテリアや酵母に安定的に抗体を作らせることができる。

この研究ではすでに開発されていたラマのCD47抗体遺伝子をバクテリアに導入し、細胞内に蓄積した抗体を、バクテリアが局所増殖して一定の数に達したとき破壊されるようにして(バクテリアのクオラムセンシングと呼ばれる性質を利用している)吐き出させるという戦略をとっている。CD47は細胞がマクロファージに食べられるのを阻止する分子で、これを抑制するとガン細胞がマクロファージに貪食され、ガン抗原が調整されるのを促進するという発想だ。

吐き出された抗体が、CD47を阻害することなど様々な条件設定を行った後、このバクテリアをガンを植えた局所に注射し、ガン免疫が誘導されるか調べると、腫瘍組織に注射したときだけ強い抑制効果がみられる。

また、他の場所に移植した腫瘍も消失するし、リンパ組織にガン特異的なペプチドに対する免疫細胞が誘導できることも示しており、読んだ限りはかなり有望に思えた。おそらくすぐに治験が始まるように思うが、この方法だとCD47の抑制だけでなく、様々なアジュバント作用をバクテリアに期待することも可能で、発展性は高いように思う。もちろん、オブジーボなどのチェックポイント治療との相性はいいだろう。

実際のデータの詳細はほとんど割愛したので、詳しく知りたい人は是非7月19日夕方7時のジャーナルクラブを見て欲しい(https://www.youtube.com/watch?v=vxZFpDx4rIg)。

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7月4日 肺がん転移のマスター遺伝子と酸化ストレス(7月11日号Cell掲載論文)

2019年7月4日
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ガンゲノム研究から、転移ガンに特有の様々な遺伝子変異がリストされてきた。ケモカインや、マトリックス分解酵素、あるいは上皮間葉転換など、なるほどとわかりやすい遺伝子変異もあるが、まだまだ解析が必要な分子も多い。特に多くの転移ガンに共通に見られる変異は、将来治療標的のヒントが得られることから、研究が進められている。

今日紹介するニューヨーク大学からの論文は転移肺ガンの3割近くに見られる変異が転移に関わるメカニズムを明らかにした研究で7月11日号のCellに掲載された。タイトルは「Activation Promotes Lung Cancer Metastasis by Inhibiting the Degradation of Bach1 (Nrf2の活性化はBach1の分解を抑制して肺ガンの転移を促進する)」だ。

この研究は、30%の非小細胞性肺ガンがKeap1遺伝子欠損か、Nrf2遺伝子の発現上昇があるという現象を理解しようと始められている。久しぶりに生化学的過程の分子経路を丹念にときほぐす論文を読んだ気がする研究で、逆に新鮮だった。

さて、この研究ではKeap1遺伝子が肺ガンで欠損すると、Bach1と呼ばれる転写因子とその下流の分子の発現が上昇し、この中にケモカインや、マトリックス分解酵素など転移に関わる遺伝子が多く含まれていることを発見する。

研究ではまずKeap1遺伝子欠損とBach1タンパク質発現の上昇の間を埋める生化学的解析を行い、Keap1が失われたことで、酸化ストレス反応と同じ状況が生まれ、Keap1の抑制から逃れたNrf2タンパク質が壊されずに、様々な遺伝子発現を誘導するが、この中に存在するHo1遺伝子により酸化反応を促進する細胞内ヘム分子の増加が抑えられる。この結果、ヘムにより活性化されBach1の分解を促進するFbox22の機能が低下することで、Bach1タンパク質の分解が抑えられ安定化する結果、Bach1が転移関連遺伝子の転写を上昇させ、転移が誘導されるという分子経路を明らかにしている。

簡単にまとめてしまったが、実際には多くの生化学的、細胞学的研究が組み合わされた力作だ。さて、この結果からわかるのは、肺ガンにとって細胞内ヘムの濃度は活動にとっては重要だが、転移にとってはBach1を分解するという意味で抑制的に働くことを意味する。したがって、一つはガン特異的に細胞内のヘム代謝を変えることは重要な介入手段になる。こう考えた時に頭に浮かぶのは、ビタミンC大量療法で、以前紹介したように(http://aasj.jp/news/watch/6679)、ビタミンCは一般には還元作用と考えられるが、ガンにとって大量のビタミンC は細胞内のフリーの鉄を酸化させることで、さらにフリーの鉄を上昇させて、ハイドロオキシラジカルを生産するサイクルが働くことがわかっている。この作用はこれまでラジカルにより細胞を殺すという経路だけで理解されていたが、今回の研究では同時にヘムが上昇することでBach1の分解が促進され、転移が抑えられるという効果も期待できる気がする。これは私の勝手な考えだが、少なくとも非小細胞性肺ガンでは、ビタミンC大量療法は重要な選択肢の一つではないだろうか。

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7月3日 Akkermansia muciniphila菌はロイテリ菌に続くか(Nature Medicineオンライン掲載論文)

2019年7月3日
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腸内細菌叢の研究の現状を見ていると、かってドイツで起ったコッホとペッテンコッファーの論争を見ている気がする。この時コレラは一種類の細菌で起こると考えた細菌説をとなえたのがコッホで、これに対し生活環境の問題だと公衆衛生説を唱えたのがペッテンコッファーだ。病気の原因という意味ではコッホが正しいのだが、病気の予防という観点からはペッテンコッファーも正しい。

同じように例えば病気と腸内細菌叢の関わりについての考え方も、特定の菌の因果性の問題としてとらえるグループと、何かよくわからないが全体の構成が変化したディスビオーシスだとするグループに分かれている。細菌説と公衆衛生説と同じで、おそらくどちらの考えも重要だと思うが、医療という観点から言うと、細菌説と同じく因果性がはっきりした介入方法が主流になるように思う。すなわち、よくコマーシャルで目にする〇〇菌が〇〇を防ぐという、プロバイオ効果を正しく計画された治験をとおして医学的に証明することが重要になる。しかし、薬品と同じ程度の治験を通して開発されたプロバイオは数えるほどしかなく、最も有名なのはスウェーデンで開発されたロイテリ菌だ。

今日紹介するルーヴァンカソリック大学からの論文はAkkermansia菌のメタボリックシンドロームへの効果を確かめた第2相の治験論文でNature Medicineに掲載された。タイトルは「Supplementation with Akkermansia muciniphila in overweight and obese human volunteers: a proof-of-concept exploratory study (Akkermansia muciniphilaの肥満への効果:コンセプトの証明のための探索研究)」だ。

これまで、Akkermansia菌の割合が肥満や2型糖尿病の人で低下していることが知られていた。このグループは動物を用いた研究からAkkermansia菌の投与が肥満軽減効果を持つことを発見し、すでに第一相の治験も終えていた。この研究は探索研究とはいいながら、無作為化2重盲検法を用いた治験で、健常人32人を3群に分け、偽薬、Akkermansia菌100億個/day, 低温殺菌したAkkermansia菌100億個/dayを3ヶ月投与し、前後で様々な代謝指標を調べている。

結果は期待通りで、インシュリン抵抗性を抑制し、高脂血症を著明に改善させる。また脂肪量も低下し、ウエストも細くなる。ただもっと驚くのは、インシュリン抵抗性や炎症を抑える効果については生菌の方が効果があるが、高脂肪や肥満などの脂肪代謝に関しては低温殺菌した菌の方が効果がある点だ。

いずれにせよ、国際的な治験登録機関に登録してコントロールされた臨床治験が行われ、安全性とともに一定の効果が確かめられたことから、次の治験に進むことは間違いない。

結局因果性を一つ一つの菌の効果として確かめる方法が、最も信頼おける方法として定着し、今後FDAレベルの検証を受けた菌の利用は高まっていくと思う。一方、ディスバイオーシスを唱える人たちは、明確な治療や予防法のための介入方法として、細菌叢全体を移植する以外にまだ明確なアイデアがないため、まず方法論から確立することが必要だろう。しかし、かなり新しい発想がないと、今の状況は打ち破れない気がする。

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